「よし。じゃあ行こうか、葵」
「……うん」
朝練を終えて食事を取り、部屋に戻って制服に着替える。
たったそれだけのことなんだが、妙に懐かしく、そして嬉しく感じるのは何故だろう。
どうやら通い始めて数カ月で、俺はこの、IS学園での生活に愛着を持ってしまったようだ。
箒と話したときも感じたけど、俺にとってこの『日常』は、失いたくないと思うほど重要なものへと変わってしまったらしい。
……最初は、スパイもどきの行動だったのにな。不思議なもんだ。
自分たちの部屋である1017室に鍵をかけ、二人揃って教室へと向かう。
そして、階段を一歩踏み出そうとしたところで――葵に制服を引っ張られた。
「ぐえっ……」
見かけからは想像もできないような力で引っ張られ、一瞬息が詰まる。
潰れたカエルって、こんな感じの声を出すんだろうなぁ……じゃ、なくて!
「どうしたんだ、葵?」
「……今日は、こっち」
左腕一本で俺を引きつつ、葵が指さしたのは校庭――の、向こうのホール。
……ああ、そういや。
「今日のSHRと一限で、全校集会やるんだっけ」
コクリ。
葵が頷く。
それにしても、この時期に全校集会とは。
先生……じゃ、ないよね。原因は。
脳裏に浮かぶのは、一人の先輩の姿。
最初の依頼人にして、一人の友人とよく似た、その姿。
……性格は真逆だったけどな。
そんなことを考えながら、俺は葵と共にホールへと向かうのだった。
◆
〈side:山代 葵〉
全校集会が始まった。
内容は、今月にある学園祭についての説明。
……退屈だ。そんなの、みんなとっくに知ってるのに。
「ねー、葵ちゃん。今日の山代くんどんな感じだった?」
「……間違って、教室行こうとしてた」
「へー。そんなうっかりさんなところもあるんだねー」
「でもさ、完璧超人よりはそういう『弱点』みたいなのがある方がかわいいよな」
「あ!分かる~。そういえば葵ちゃん」
「……何?」
「葵ちゃんが好きなタイプって――」
「それでは、生徒会長から説明をさせていただきます」
「……話はおしまい」
「そーね」
生徒会役員らしき司会者が告げたその言葉をきっかけに、周囲が静まっていく。
その様子に合わせるかのように会話を止めた私達は、ただ静かに壇上を見つめた。
そして――
「やあみんな。おはよう」
「……あ」
現れたその人物を見て、私は間抜けな声を上げてしまう。
そこにいたのは、先日スコープ越しに見た、簪のお姉さんらしき人物だったのだ。
「ふふっ」
その様子に気付いたのか、彼女は薄い笑みを浮かべる。
でも……すぐに気付いた。
あれは、私に向けられたものじゃない。具体的には一組の誰か……紅也か一夏だろう。
そう思ってさらに注意していたら、今度は私の方を向く。
視線が一瞬交錯する。
瞳の奥に垣間見えた彼女の感情は……興味?
ひょっとして、今ので、前に監視してたのが私だと気付かれた?
……墓穴掘った。
が、そんな私の内心を気にも留めない様子で、彼女は話し始める。生徒会長として。
「さてさて、今年は色々と立て込んでいてちゃんとした挨拶がまだだったね。私の名前は
そう言って再び頬笑みを浮かべる彼女……更識楯無。
その表情に魅了されたのか、列のあちこちから熱っぽいため息が漏れた。
「あの人こそ本当の完璧超人だよな」
「『弱点』、あるのかなー?」
先ほどまでのやりとりを思い出したのか、メリッサとりんごが小声でつぶやく。
……自粛しなさいよ。周りに聞こえるわよ?
「では、今回の一大イベント学園祭だけど、今回に限り特別ルールを導入するわ。その内容というのは……」
言いながら、更識先輩は懐から扇子を取り出し、横へとスライドさせる。
するとそれに応じるように、空間投影ディスプレイが浮かび上がった。
「……名付けて、『各部対抗織斑一夏争奪戦』!」
閉じた扇子が、ぱんっ!と開く。
それに合わせて、ディスプレイには一夏の写真が大きく映し出された。
「え……」
「えええええええええ~~~~~~~っ!?」
その宣言に。
会長の言葉に。
それに返事する叫び声で。
世界が、揺れた。
「静かに」
それでも、たった一言で静寂が訪れる。
この会長。やることなすこと突拍子なくても、求心力だけは抜群らしい。
「学園祭では毎年各部活動ごとの催し物を出し、それに対して投票を行って、上位組は部費に特別助成金が出る仕組みでした。しかし、今回はそれではつまらないと思い――」
びしっ、と扇子を前に向ける会長。その先にいるのは……おそらく一夏だろう。
「織斑一夏を、一位の部活動に強制入部させましょう!」
そして、再び巻き起こる歓声。
……うるさい。
「うおおおおおおおおっ!」
「素晴らしい、素晴らしいわ会長!」
「こうなったら、やってやる……やぁぁぁってやるわ!」
「「「OK!忍!!」」」
「今日からすぐに準備はじめるわよ!秋季大会?ほっとけ、あんなん!」
何だか、空を断つ牙を連想させるような声が上がったのは、まあ無視するとして……。
いくらなんでも、最後の一人はまずくないかしら?
しかも、なんか聞き覚えのある声だったような。……部長?
「よしよしよしっ、盛り上がってきたぁぁ!」
「今日の放課後から集会するわよ!意見の出し合いで多数決取るから!」
「あれ?そういえばもう一人の子……山代君はどうするの?」
「そうだ!山代君もついてくるとか?」
「ええ~~っ!一位の所が織斑君で、二位の所に山代君が行くの!?」
「それ本当!?だったら、ウチにもチャンスが……」
突然、誰かから飛び出した疑問。
それが誤報となって会場内を飛び交い、ホールを満たすのに一分もかからなかった。
「ちょっと待てぇぇぇ!一位が一夏で二位が俺ってのはどういうことだ!俺が一夏より劣ってるってか!?ざっけんなちくしょぉぉぉぉ!」
そして聞こえてきた、そんな声。
……何やってるのよ、紅也。
「あら?山代君は、織斑一夏くんより下に見られるのが嫌なのかしら?」
「あったり前田のクラッカーパーティだぜ、更識先輩!そもそも、俺とあの未熟者を比べるんじゃねぇっすよ!」
「ちょっ、紅也!なんかいろいろ酷くないか!?」
それを会長と一夏があおり、紅也の声はどんどん大きくなる。
あまりの剣幕に、先ほどまで騒いでいた周りの子も全員黙ってしまい、その顛末を見守る。
「ひどくねぇよ!鈴音ごときにフルボッコたぁ……。情けなくって涙が出らぁ!てやんでい、べらぼうめぇい!」
「もはや意味不明だっ!?」
「――ふーん。じゃ、一位の部活に山代くん、二位の部活に織斑くんなら文句ないわけね?」
「ああ!その条件ならいくらでも……はっ!?」
普段の冷静な紅也なら、ここまで熱くはならなかっただろう。
でも、タイミングが悪かった。
久々に帰って来た学園の懐かしさにテンションが上がり、夏休み中の出来事のせいで 『当たり前のこと』でも無上の喜びを感じるようになってしまった、今の紅也には。
冷静さなど、期待できなかった。
結果――
「……と、いうわけで今年の学園祭では山代紅也を一位の部活動に、織斑一夏を二位の部活動に強制入部させることが決定しました!」
「「「「わぁぁぁぁぁぁ!!!」」」」
「だぁぁぁぁぁぁっ!?」
藪からバジリスクが飛び出した。
◆
〈side:山代 紅也〉
失敗した。
失敗した。失敗した。
失敗した失敗した失敗した失敗した失敗した失敗した――ッ!
あの全校集会の後。俺は一人、ホールの中で打ちひしがれていた。
「……で、何か言い訳はありますか?山代紅也」
「まさか、その場の勢いだけであんなこと言ったわけじゃありませんよね?」
「うっ……ごめんなさい。名護屋河先輩、天白先輩」
訂正。一人ではなかった。
打ちひしがれていた俺を
「本気ですか。本気でのーぷらんなのですね。ならば……」
「身から出た錆です。仕方ありませんけど……」
「「喰らいなさい!!」」
「ぎゃあぁぁぁぁぁぁ!!」
降りそそぐ矢の嵐。
俺は何となく、英雄王と対峙する贋作者のような気分になりながら、今度こそ崩れ落ちた。
◆
何もない空間に浮かぶ、四角い砂嵐。
その場にいた誰もがそこに注目し、その場にいた誰もが声を発せずにいた。
そんな、沈黙を。
「――ねえ、パパ。どうして何も映ってないの?もっと見たいよ、宇宙」
ただ一人、無垢故に何も知らぬ幼子の声が、破り捨てる。
注意の沈黙も、緊迫した空気も気にせずに。
年相応の好奇心で目を光らせるその子は、ぐいぐいとスーツの袖を引く。
「――ッ!そうだ、乗組員へ連絡を!」
「無線!赤外線!何でも試せ!」
「コアを使った量子通信を!……通じない!?」
「クラウス!クロウ!ニコラス!マリア!――ロバーク!!」
「「type-00」は無事か?あれには多額の資金を……」
にわかに騒がしくなる室内。でも、彼にはそんなことは関係ない。
「ねえ、パパ……」
このとき、彼は。
目の前の景色の意味を理解するには、あまりに幼すぎた。
◆
「……あ?うぅ……」
西日が差す保健室で、俺は目を覚ました。
どうやらあの嵐のような弾雨を喰らい、気絶したらしい。
布団をはがし、自分の身体の具合を見る。
……制服に穴は空いてない。どうやら二人とも手加減してくれたようだ。
身体にもあざ一つ残ってないのに、痛みだけはある。
そんな、絶妙な手加減を。
「……あ、気がついた?」
微塵もありがたくない配慮に感動して涙が出そうになるが、次いで聞こえた声に気付いてそれをこらえる。
――この事態の元凶に、見せる涙など無い。
「……何しに来たんですか、
「だから、普通に呼んでってば。山代紅也くん」
近場の椅子に腰かけ、どこか楽しげな――しかし薄っぺらな――笑みを浮かべているのは、この学園の生徒会長、更識楯無その人であった。
「……じゃあ、更識先輩と」
「うむ、よろしい。で、用件なんだけど、ちょっと一緒に来てくれない?」
「何故ですか?ひょっとしてさっきの馬鹿げた提案、取り消してくれる気になったとか?」
「ん、察しがいいね、キミ」
「え?本当に……」
そうだよな。
あんなの、売り言葉に買い言葉。その場の勢いに流された発言に、強制力なんてあるわけがないじゃないか!アンタもそう思うだろ?
「その件に関しては、先程の職員会議で正式に決定したから。もう覆らないよ」
……思わないのか?
そうか。
俺だけ、なのか……。
「なんで、思わせぶりな発言をしたんですか?」
「そりゃ、そっちの方が面白そうだったから」
「それだけっすか!?」
酷い、あんまりだ。
というか、誰か止めてくださいよ。
……え?自業自得?
「とまあ、それは置いといて」
「あっさり流された!?」
またも扇子を取り出し、ばっと勢いをつけて開く更識先輩。
そこには、『本題』の二文字が。……また新しい扇子か。もう驚かねぇぞ。
「実は、一夏くんは『強制入部』に不満があるらしくてね」
「まあ、そうでしょうね」
「そこで私と勝負して、一夏くんが負けたら従うことになったのよ」
「……はあ?無茶苦茶じゃないですか、そんな条件!?」
一夏の提案。
それは、あまりに公平性を欠いたものだ。
負けたら、っていうのは、実は非常に微妙なルールだ。
ならば、何を以って負けと定義するのか……。それを決めていなければ、勝負にならない。
そう――
「そんなルールで、一夏が勝てるわけが無い!」
「あら、知ってるのね。私のこと」
この人に勝つには、そんなあいまいな条件ではいけない。
『敗北』を定義し、『勝利条件』を提案し、その上で裏をかく。
そのくらいしなくては、『格下』の一夏では勝てない相手なのに。
「そりゃあ、まあ。『IS学園の生徒会長。それ即ち学園最強』ってのは有名ですから。
ま、一夏みたいに部活やってない人間じゃ、知らないのも納得できますが」
「本人にも説明したんだけどね。どうやら誰かさんみたいに、うっかり口を滑らせたみたいだよ?」
……ぐうの音も出ない。
「……で?何でそこに俺が関わってくるんですか?」
「それはね、どうせならキミにも挽回のチャンスをあげようと思って」
「ちゃんす?」
「そ、チャンス。機会ってこと。
キミが私と勝負して、負けたら私の言うことに従う。それでどう?」
そう言いながらも、笑みを崩さない更識先輩。
その表情に浮かぶのは、慢心でも油断でもなく、実力に裏付けされた笑顔。
自分が負けるとは微塵も思っていない。
そんな、冷たくも美しい笑み。
「……俺の『勝利条件』は、俺が更識先輩を『倒す』こと。で、『敗北条件』は俺の降伏か、俺の身体が動かなくなること。……それでいいですか?」
「うん、いいよ。どうせ私が勝つから」
果てしなく不利な条件なのに、笑みを崩さない更識先輩。
……本当に、自分が負ける所など想像していないのだろう。
面白れぇ。
『学園最強』を名乗るこの先輩で、試してやろう。
夏を経て生まれ変わった俺の、新しい力を。
そして――
進化の現実ってやつを教えてやる。