月曜日。
5日働いて2日休んで、そのあと訪れる最初の日。
夕方6時半には憂鬱になり、悶々としたまま目を閉じて、朝が来なければいいのにと願うのは学生でも社会人でも共通している、そんな日。
だというのに、織斑一夏は5時半にはすでに目を覚ましていた。
(寝癖は……ついてないな。昨日は涼しかったから、汗もかいてない)
窓を開け放ち、朝日を浴びる。わずかに体に残った眠気が、温められたことで蒸発して消えたような気がした。
(あとは……制服にアイロンでもかけておくか。せっかく時間もあるし)
昨日はシャルと一緒に買い物に出かけ、外出先でたまたま出会った蘭と合流して3人で買い物をしたり、お昼を食べたり、遊んだりと目いっぱい楽しいことをした。おかげで、黒い靄に覆われていた一夏の心象風景には晴れ間が差した。
それもこれも、外に出るきっかけを作ってくれた仲間と、満面の笑顔を見せてくれた親友の妹のお陰だ、と彼は思っていた。気分転換に成功して、こうしてスカット&サワヤカな朝を迎えることができたのだ、と。
……しかし、今話題に挙がった二人が今の一夏の様子を見て喜ぶかと言われると、確証は持てないだろう。
サンタクロースを待つ子供のように、同窓会の当日の大人のように。
一夏の態度は、そんなものではなかった。
彼女たちが、いやおそらく誰もが、こう思うはずだ。
彼はまるで、恋する乙女のようだった――と。
今日、彼女が帰ってくる。
◆
「わたくしもいますわよ!」
「……セシリア?」
IS学園へと向かうバスの中。空席はいくつもあるというのに、仲良く並んで座っている同年代の少女が二人。
どこにでもいそうな――いや、このレベルの美少女がどこにでもいる環境となると、それこそ初音島とか藍蘭島とかそういう特殊な環境だろうが、そういうことではない――彼女たちが、表向きには世界に468個しかないISコアを託された『専用機持ち』だと誰が思うだろう?
「それにしても、空いていますわね。日本の通勤ラッシュというのは、もっと激しいものだと思っていましたわ」
「IS学園の学生は、みんな寮生。一般人はIS学園に入れないから、まず乗らない。そして学生が朝帰りなんてしたら……」
「出席簿で真っ二つにされそうですわね」
そんなわけでこのバスの乗客は、休日をオーストラリアで過ごし、心の洗濯を済ませた山代葵とセシリア・オルコットの二名だけだ。
実戦任務という緊張感を共有し、おまけに一緒に休日を過ごしたことで、二人の距離は以前よりもはるかに縮まったようだ。紅也が見たら喜ぶか、寂しがるか。微妙なところである。
「学園に戻ったら、ブルーを調整しないと」
「『サード』から『セカンド』への換装は昨日終わったのではなくて?」
「そうだけど、そうじゃない。……キャノンボール・ファスト」
「ああ……そういえば、そろそろでしたね」
学年行事が迫っていることを思い出したセシリアだが、彼女の表情に焦りはない。『ブルー・ティアーズ』には既に、臨海学校のときも使用した高機動パッケージ、〈ストライク・ガンナー〉がインストールされているのだ。
一方、葵の『ブルーフレーム2ndK』は短距離における機動力・加速力には優れるものの、長距離を長時間加速するにはやや不向きな機体と言える。かつての『レッドフレーム』のようなフライトユニットを使えば問題は解決するが、第二世代装備の出力ではレースに勝つことは不可能だ。
「……私にも、高機動装備がある。それを使えば……」
言葉を遮り、突如葵は左手を上げ、バスの壁面を打ちすえる。
直後、間の抜けたようなブザー音が鳴り、乾いた音を塗り替えていく。
「……私の方が、速い」
「……いえ葵さん、バスのボタンを押しただけでそこまで勝ち誇られても……」
◆
「あれ、一夏。こんなところでどうしたんだ?」
なんとなく気がはやり、学園前のバス停で立ち尽くすこと5分。織斑一夏の背後から聞こえてきたのは、今や
「なんか、目が冴えちまってな。葵の出迎えに来た」
「そうかそうか。……ん、どうした箒?妙な顔して」
「いや、別に……。……珍しいこともあるものだ」
振り向きもせず返答した一夏は、ここでようやく篠ノ之箒の存在を認識する。紅也をして妙な顔と評された表情は、彼から見たら別段普段と変わりの無い仏頂面であった。
「紅也はわかるけど、箒はどうしたんだ?ちょっと汗かいてるし、朝練抜けて来たのか?」
「いや、紅也と打ち合っていた。こやつ、急に二刀を使いたいなどと言いだしてな」
「なぁに、最近ガーベラだけじゃ手数が足りないことがあってな……。ビームサーベルにせよ剣にせよ、同時に使えるようになりたいと思っただけだぜ」
「そうか。二刀流じゃ、箒の方が先生なんだな」
うむ、とどこか上機嫌そうな箒。篠ノ之流古武術に二刀流の技など存在しないが、彼女のIS『紅椿』は二刀を使って戦う機体だ。習熟のため愚直に鍛錬を続けた彼女の二刀流は、いつしか新たな技として昇華されていた。
彼女にとって紅也に教えるというのは、受けた恩を返すと同時に、すこしでも彼に近づけた証なのだ。嬉しくないわけがない。
そのせいか、彼女の頭をもたげた疑問は、口に出されることなく消えてしまった。
「しっかし、難しいな二刀流は。ちょっとでも力むと体幹がブレて、まるで威力が無くなっちまう」
「当り前だ。二刀流の方が強いのであれば、剣道家は今頃全員二刀流だ。しかも普通は小太刀を使う所を、普通の木刀でやるのだから尚更だな」
「まあ、本番ではISを使うだろうから、多少はプログラムとパワーアシストで補正できるが」
「すげぇな、紅也は。まだ強くなるつもりかよ。昔は片手で日本刀を持つなんて、無理だったじゃねぇか。夏休みに猛特訓でもしたのか?」
「ああ、まあ……」
「そ、その話はいいだろう、一夏?そろそろバスが着くぞ」
箒の言葉で、それもそうだなと思い出す一夏。長い長い橋の向こうから、ぼんやりと箱型の影が見えてきた気がする。
「葵とセシリアか……。学園祭以来だが、元気にしていただろうか?」
「セシリアといやあ……一夏。今日から始まるいちかレンタル、確か初日はテニス部だったよな」
「あ……ああ!そういやそうだった!やべっ、忘れてた……」
すでに遥か遠い過去の出来事のような気がするが、学園祭において行われた『織斑一夏争奪戦』において、彼は山代葵――の、姿をしたワイズに連れ去られ、そこで白式を奪われた。
しかし、混戦だったため一夏が消えた瞬間を見た者はおらず、生徒たちが知っているのは「更識楯無が王冠を持ち帰った」という結果のみである。
ゆえに楯無は一夏を生徒会役員に指名。不毛な争いを防ぐと同時に、女子生徒たちの不満を解消するために『生徒会執行部・織斑一夏貸し出しキャンペーン』を実施し、またも支持を盤石なものにしたのである。
「テニスなんて、俺、できねぇぞ……」
「いや、お前にそういうのは求められてねえよ」
そんな話をしている間に、気がつけばバスの車内まではっきりと見えるほどの距離になっていた。三人とも隣り合って座る葵とセシリアの姿に違和感を覚えたものの、それぞれの理由で納得する。
やがてバスは停止し、扉が開く。
二人が席を立ったのが見えた。三人の姿を視界に収め、ほがらかに微笑んでいるのが分かった。
たった一週間の別れだというのに、喜びと寂しさが奇妙に同居していた。
さあ、二人が降りてくるぜ。なんと声をかければいいだろうか。決まってんだろ、せーの。
「「「おかえり!!」」」
「「ただいま!!」」
◆
「お久しぶりですわ、一夏さん、紅也さん、箒さん」
「黙っていなくなってごめん。怒るなら紅也を怒って」
「久しぶりだな、葵、セシリア。こっちは特に変わりなく過ごしてるよ」
「俺はしばらく開発三昧で引きこもってた。んで、この前すごく怒られた……って、毎日話してたから知ってるか」
「みんな心配したのだぞ、紅也。そちらは代表候補生としての仕事だと聞いたが、どうだったのだ?」
「あいにく、この件に関しては話すことができませんの。ですが週末は葵さんに地元の案内をしてもらいまして、いい時間を過ごせましたわ」
「セリアやソフィア、エイミーさんと一緒に遊んだ。楽しかった」
夏休みにオーストラリアを訪れ、ついでに姉経由で紅也の過去を色々聞かされている箒は「なんだその修羅場パーティは」と戦慄していたが、葵の様子を見る限りでは、幸い血の雨が降るようなことはなかったらしい。
「地元の友達か?そういや、俺も昨日町に出かけたらたまたま蘭と会ってな……」
「
「面白い……?……
「わかってる」
五反田 弾の名は、意外にも葵の印象に強く残っていた。
あの夏祭りが楽しかった……という理由だけではもちろんない。箒の“気付き”に気付いたのもそうだし、日本でできた友達と紅也抜きで遊んだ初めての日というのも印象的だった。でもそれ以上に、彼との会話を最近思い出し、酷い後悔に襲われたのだ。
『いやぁ、前に街で見かけたときは一夏と楽しそうに話してたんで、てっきり付き合ってるのかと……』
『――前?』
『はい。8月の初めころだったかな?』
学園祭で、ワイズの顔を見た今だからこそわかる。
彼女は、ずっと前から日本に潜伏していたんだ。私のふりをしてうろついて、情報を集めてた。
それに気付けなかったから、みんなも傷ついたし、一夏の白式も奪われてしまった……。
そんな想いが表情に出たせいか、一夏は彼女にかける言葉を変える。
「その蘭だけどな、キャノンボール・ファストに招待したんだ。一人しか招待できないのはちょっと不便だよな」
「……わかる。私もその話をしたら、セリアたちがすごく揉めた」
「やはり修羅場ではないか!」
珍しく箒がツッコミに回ることで、思わず固まる一夏と葵。思っていた形とは違ったものの、一夏の気遣いは功を奏したというわけだ。
「お前、セリアちゃんに渡しただろ……。仕事中にソフィアから怒涛の様なメールラッシュがあったのはそのせいか……?」
「……あまりの剣幕だったので、思わず私の招待券を渡してしまいましたわ」
「あーその……サンキュー、セシリア。じゃあ、俺は誰を誘うかな?」
父さんはアメノミハシラだし、母さんは来るとしたら企業枠だし。というか、セシリアは地元の友人を誘わなくてもよかったのか?わたくしは、別に……などと招待券の話題で盛り上がる三人を横目に、葵は一夏に歩み寄る。
「……一夏」
「ん?」
「……ありがと」
「……おう」
普段の葵らしからぬ照れたような物言いに、一夏は頭が熱くなっていくような感覚を覚えた。