始祖の揺籠   作:一ノ原曲利

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井伊友野

 耳に流れ込んでくるのは津波が押し寄せる音と轟く雷鳴である。獣は雄叫び、鳥は泣き喚き、我ら人間はただただ蹲り、災厄が去るのを待つのみであった。幾星霜もの月日が流れようと、あの日々は忘れられない。

 もう断罪は起こらない。そう信じ、生きてきた。だがいざ死んでみれば、我が手中には思い出の舟と裁きの津波があるではないか。

 

 どういうことでしょう、私は主に問うた。

 

 主は答えた。再び大地が傷付き暴虐な流血が流れたそのとき使うのだ、と。

 そんな馬鹿な。人が悪をおこなうのは避けられないと、二度と地を呪われたものとは見なさないと、主はそう仰ったではありませんか。預かり知れぬ不思議な空間の中で、私はいまだ感じる主の気配に問う。

 すると驚くべき答えを告げられた。

 

 私はいずれ死ぬ。

 

 馬鹿な、主が死ぬなどあり得ない。何故主が死なねばならないのですか。信じていたものの裏切りにも近いその告白に慟哭した。嗚呼、そんな困ったような笑いをされては恥ずかしいではありませんか。

 

 だから、お前にそれを託すのだ。神ではなく、人間であるお前に託す。私が死んでしまったら、お前が決めよ。人類を生かすも殺すも、好きにするといい。

 

 流れる涙はまるであの日の大雨のようだった。なればこそ、なればこそ主はあの日祭壇に生贄を捧げたときの誓いを嘘にしないことを約束しよう。主は最後まで主で在られたことを証明するために。必ず新世界で絶望しないことを約束しようと、虹を架けられない私は祈りと共に宣誓を告げた。

 

 まさにお前は聖人だ。心からお前という人間が生まれたことに感謝する。では■■よ、しばし眠るがよい。私が死んでしまう、そのときまで。

 

 もっとも。

 

 そんな時が、来なければよいのだが。

 

 

 

 

 再び、幾星霜の時が流れた。

 存外この次元の狭間という場所は退屈だ。たまに埒外な大きさのドラゴンを目にするが、別段お互い何かする訳でもなければ何かした訳でも無い。時たま目は合うが興味を持たないのでお互い不干渉を貫いている。

 しかし退屈であればいい。私がこの狭間から現世に出てくるということは、主の滅亡を意味するのだから。

 で、あるならば。

 ずっとここにいれば、それ以上の幸福は無い。

 最近、死んだ目をした少女に話しかけられるのだが、存外面白い。気配は埒外な大きさのドラゴンと酷似しているので恐らくドラゴンの擬態した姿かと思われる。曰く、あの大きなドラゴンが五月蠅くてかなわないのだとか。何故分かったと聞かれれば、逆に何故私はここにいても良いのかと問い返す。

 

 お前、五月蠅くない。

 

 成る程、尤もな判断である。

 

 

 

 

 途切れた。

 それは耳元で聞こえる主の声が相当切羽詰まった時だった。前後の会話を聞くに、長い長い大戦争だった。天使、悪魔、そして堕天使というなんとも奇妙な三勢力が三つ巴となって戦争を起こしたのだという。

 唐突に主の気配が霧散した瞬間、理解した。嗚呼、神は死んだのだと。

 傍らで少女が首を傾げる。どうやらお別れのようだと告げると、そう、と短く答えられる。

 

 お前、また逢えるか。

 

 その問いに答えるのは難しいことだった。だから、私はこう返す。

 

 縁があれば、きっと逢える。主の導きが無い今、我々との間にあるのは縁だけだから。

 

 その答えに満足したのか、少女は小さく頷くと手を振った。誰かに見送られるのは久しぶりだ。

 やがて、魂だけだった私が次元の狭間から消える。主が今際の際に約束したのは、私の現世への受肉。それと―――

 

 

 

 

「マスター、葡萄酒ひとつ」

「…あいよ」

 

 バーに現れたその男の姿は、かなり奇妙なものだったと当時のマスターは記憶している。

 この小さな島国でもここ最近外国人は多く見かけるし、一見さんお断りの立て札を掛けるほど律儀な店でもないので基本的には大歓迎だ。カウンターに座った目の前の男の顔立ちは黄色人種のそれと同じ平たい顔、ここまでは良かった。

 髪と肌は雪のように白く、そこから覗く瞳は薔薇のように真っ赤に輝いていた。アルビノという奴である。

 おまけに見たところ若い。かといって悪道に走るような雰囲気でもなければこれから悪いことをしようと企んでいる訳でも無い。最低限、年齢でも聞くべきかとマスターは逡巡していると。

 

「あー、悩んでいるところ悪いがコイツ俺の連れでな、成人してるんだ。俺も同じものを頼む」

「…そうですか、失礼しました」

 

 いつの間にか青年の隣に座っていた男が軽い口調で注文を頼む。おかしい、確かさっき見たときはいなかったような。悩むもアルビノの青年に気を取られていたことは事実であり、入り口のベルの音に気付かなかったんだろうと結論付け、マスターは店の奥に入り葡萄酒という珍しい注文の品を探しに行った。

 店の奥に消え、姿が見えなくなってから漸くアルビノの青年は口を開く。

 

「成人、ね。字は間違ってるけど読みはあってるか」

「いい加減その姿で酒飲むの止めろよ、クリスチャンは酒に呑まれるなと聞くが?」

「生憎と、生前は葡萄酒飲んで酔っぱらいもしてたがね。そうでなくても並の酒で酔える体ではないことは知っているだろうに」

「見た目学生のお前が言う台詞じゃあねえよな」

 

 店の奥から戻ってきたマスターは栓を抜きグラスに葡萄酒を注ぐ。同じ瓶でも? と聞かれ二人はYesと了承した。並々と注がれた葡萄酒を口に含み、よく味わって飲み干す。美味い。よく味わったところで、今度は男が口を開く。

 

「最近そっちはどうだ、ミカエルは息災か」

「どうもこうも、なんとかシステム代行を務めているけど小さな芽でさえ刈り取る姿勢はそう長く続けられないだろう。件の『聖女』がいい例だ」

「『聖女』――アーシア・アルジェントか…人間や天使のみならず悪魔も癒す神器『聖母の微笑(トワイライト・ヒーリング)』の所有者ね。アレだろ、お前がこっちの派遣されてきたのもその子を守る為だったんだよな」

「とか言いつつどこぞの監督不届きな堕天使のせいで到着する頃には勤め先だった教会はボロボロ、そして護衛対象の彼女は殺され転生悪魔。これが来日して数日の内ってどういうことなんでしょうねぇアザゼルさん。計画的犯行もいいところだ」

「その点に関しては悪い、なんせコカビエルの奴がここのところ面倒な動きをしててな」

「コカビエルが? あ、マスターもう一本追加で」

 

 マスターから追加の葡萄酒を注文し話に戻る。

 

「ああ。俺が駒王学園に入ったのも、お前を転入させる手続きを手伝ったのもそれが関係している。どーもあの戦闘狂、よりにもよってバルパーの爺さんと手を組んで戦争を仕掛けるんだと」

「……いよいよ堕天使滅ぼしていい? あ、でもその話からすると教会にも手引きした連中いるのか。じゃあやっぱ全部滅ぼしてリセットしちゃうか。堕天使のつがいはバラキエルで」

「おいおいおいおいおい止めろ、お前が言うとシャレにならん。あと露骨な身内贔屓はよせよ、生き残らせるなら俺だろ」

「はぁ? なんでアザゼルを生き残らせないといけないんだよ、寧ろ滅ぶべきでしょ」

 

 カンカン、と爪でグラスを弾いて呆れた表情を浮かべた。アザゼルは何でだよ、と青年の肩を叩きに掛かるが寸での所で自制して止める。青年の片手には、いつの間にかアザゼルには見慣れた瓶が掴んであった。中に入ってるのは小さな舟、ボトルシップである。中で波打つ水を見た瞬間肝が冷え、アザゼルはすごすごと引き下がった。

 

「待て、落ち着け。俺が全面的に悪かった。事が済んだらいろいろ含めて謝るから。な?」

「ことが済んだらって…ああ、コカビエル止めたら前に話してた和平を結ぶ会議をするのか。アーアーもうさっさと和平して欲しいよ。あまり失望させないで欲しいな」

「なんで絶望から失望に変わってるんだよ、お前もこっちに来てからだいぶ変わったな」

「受肉してからこの姿のまんまじゃあなぁ」

 

 そう、およそ10世紀を生きた老人の魂は齢16歳前後という、所謂人間の一生における全盛期の姿に受肉し、受肉して――以降そのままの姿なのである。悪魔や天使にも匹敵する年数を生きた青年はあまりにも移り変わる時代を、そしてその変遷を目の当たりにしすぎた。神でも悪魔でも、ましてや天使でも堕天使でもない彼は人間だ。自己完結していない存在である以上、変わるのは当然のことである。

 

「と、なると」

「ああ、丁度いいことに駒王学園には現魔王の妹でグレモリー家とシトリー家の跡継ぎの両名がいる。コカビエルが戦争を起こす切っ掛けとしてフッ掛けるには申し分無いだろうな」

「……倒せるのか?」

「 ギリギリアウトってとこか」

「駄目だこれ。戦争起こすならリセットしよう」

「待て待て待て待て待て! グレモリーの眷属には件の聖女もいるし、何より『赤龍帝』もいる!」

「ドライグが? ……あぁ、報告にあった転生悪魔ね。当代の『赤龍帝』にはまだお会いしてなかったな」

「まぁ保険として最後にはヴァーリに出張って貰う。今一度、己の敵が誰なのか再認識することも含めてな」

 

 ヴァーリの名が出た瞬間、青年の顔が曇る。別段苦手意識があるわけではなく、むしろ向こう側が相性最悪と分かっていながら嬉々と向かってくるのが性質(タチ)が悪くてどうしようもないのだ。

 

「ちゃんと手綱は握っておきなよ、当代の『白龍皇』はちょっと危なっかしい」

「言われなくともわかってるさ。と言うわけで、お前には転入ついでにコカビエル及びバルパー・ガリレイの下らない野望の阻止に協力して欲しい。本音を言えば、お前もまた全てを滅ぼしたくはないんだろう?」

「一人で? ん、そういえばミカエルから聖剣使い二人のお守りを任されたっけ。えーっと確か…」

「『破壊の聖剣(エクスカリバー・デストラクション)』所持者のゼノヴィア・クァルタと『擬態の聖剣(エクスカリバー・ミミック)』所持者の紫藤イリナ。お前も知ってるだろ?」

「聖剣の授与式の時に一度だけね、ああでもイリナの場合は二度目か。ミカエルの使いで日本から教会に引っ越す時に迎えに来た」

 

 そういえばイリナもこの町出身だったことを思い出す。よく遊ぶ男子がいると聞き伺ってみたがどうも、龍の気配をした少年だった記憶があった。だが次元の狭間にいた擬態した龍ではなく封じられている龍の気配、まさかアレがドライグの宿主だったのだろうかと当時の記憶を思い出す。

 

「成る程、あの二人とグレモリー、シトリーの跡継ぎ…リアスとソーナを共闘させるつもりか。まぁ確かにギリギリアウトっぽいなぁ。当代の『白龍皇』が来るまで持てばいいけど…持たなかったら」

「その調整を頼みたい。何、最悪コカビエルを殺しても構わん」

「昔は仲良かったのに?」

「あくまでも最悪、だ」

 

 青年の目の前の男、アザゼルの目は本気である。だが青年も分かってるとおりアザゼルは身内には甘い、邪魔だ邪魔だと疎ましく思いつつもコカビエルを放ってはおけないのだろう。なんというツンデレ。男には要らないと、青年の胃の中から吐き気が込み上げてくる。

 明らかに酒とは異なる酸味が喉の奥からせり上がってきたので、それを紛らわすようにグラスに余っていた葡萄酒を煽り無理矢理流し込む。

 

「ホンット身内には甘いなぁ、吐き気止まらない」

「酷いなオイ!」

「まぁ、戦争を防げるなら手ぇ貸すよ。最悪……」

 

 青年はカウンターにワイン代を置いていき席を立つ。

 

「『白龍皇』が来る前にコカビエルを倒してしまっても構わんのだろう?」

 

 ご馳走様、と言い青年は店を出た。カランコロンとドアに付いたベルが鳴りもうその姿は見えない。いつの間にか手にあったボトルシップは消えている。

 青年が去った後、アザゼルは深く溜息をつき椅子に深く背もたれた。

 

「お前と話すのは疲れるよ、■■」

 

 まぁ愉しいからいいんだけどよ、と続けて愚痴を零し、最後の葡萄酒を煽る。

 

 この数分後、青年が払い足りてないことに気付きアザゼルが奢ることになるのはまた別のお話。

 

 

 

 

 

 世界は一度滅んだ。

 そして人類は新たな再出発を果たしたが、蓋を開けてみれば今日の世界よろしく愉しいが同様に度し難い。

 二度目の滅亡を起こさないことを約束した神は、それでも後の世を憂い、一人の人間の魂にその役目を任せた。

 そしてその人間は今も世界を俯瞰し続け、破滅を呼ぶ瓶を今も持ち続けている。

 彼が今の世に絶望したそのとき、地獄の門は開かれ世界は二度目の絶望を迎えることだろう。

 彼の名は――

 

「初めまして。家の都合でこちらに転入することになった井伊(いい)友野(ともの)です」

 

 

 

 




 ※戯言シリーズとは無関係です。ただ、丁度いい名前だったんです
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