「あっ…!」
声を漏らしたのは誰だったか、女性特有の甲高い声だった。少女は思い出した、白銀の髪と真っ赤な瞳。かつて教会で懇意に世話をしてくれた、聖人の如き青年のことを。
声を上げてしまい一斉にクラスメイトの視線が殺到する。急に視線が集中し顔に熱が集まる。恥ずかしくなって思わず身が縮こまる。友野は呆れて肩を竦ませた。
「えーっと、髪が白いのは遺伝なので地毛です。脱色もしてません。改めてよろしく」
助け船のつもりである。一応目論み通り気は逸らせたし、間接的に我が身を助けることにはなったのでよしとする。だがどうも、とある男子には悪い意味で注目されてしまったようだ。
成る程。
彼が、悪魔か。
馴染みある気配が漂う一人に目を付けると酷く怯えられた。向こう側は気付いていないかも知れないが、恐らく本人の悪魔としての生存本能故の畏れと思われる。最大限自らの持つ強い属性を隠蔽したつもりではあるが、どうにも敏い連中には効き目が薄いらしい。
これでは密偵に向きそうにない。ドッキリも成功し無さそうで、大変残念である。
「Long time no see! やぁお久しぶり、ミス・アルジェント」
「おっお久しぶりです! トモノさん!」
ぎくしゃくしているようだが、教会で世話していたときも今と差ほど変わらない態度だったので問題ないだろう。来日してからだいぶ日本語は学んだらしく後半の日本語にも反応出来ていたから日本語でも問題はない。
「え、何々二人とも知り合いー?」
「そうなんです! 実は本当は私と一緒に転入予定だった筈なんですけど…」
「いやぁ、手続きに手間取ってしまって。こうして時期がズレちゃってね」
見た目好青年。日本語にも訛りは無し、至って流暢な口調に好感が持てる。質問の主、桐生藍華は眼鏡をキラリと光らせる。
「二人の関係は? まさか恋人とか~」
「え!? えぇっと…」
「上司と部下? 聖職者同士、かな。生憎とそこまでロマンチックな関係性じゃないよ、期待に応えられなくて悪いね」
「なぁんだ残念。こっちに来たのは留学?」
「そう。あと…教会、あるでしょこの町。そこの管理人が居なくなってしまってね、そこの担当として派遣されたことも理由の一つかな」
ギクリ。アーシアと後ろで聞いていた男の肩が揺れる。
仕方ない、その教会はかつてアーシアの神器が奪われ命を落とした場所であるし、そもそも悪魔となっている彼らにとっていい思い出など何一つ無いのだから。
「あっ、あの…実は…」
「申し訳ない」
「え?」
応答の意図が分からず目を白黒させている桐生を置いといて、友野は申し訳なさそうに頭を下げた。
「俺が間に合わなかったせいで、来日早々
「そんな…! トモノさんが頭下げることないですよ! それより私はもう…」
悪魔になってしまったんです、と続けようとしたが、それは友野が目の前に翳した掌によって遮られる。そこから先を言わずとも分かってるという意思表示を含めて。
「いや、教会でも言った通り俺はキミの味方だ。恋人のように支えることは出来ないけど同業者である以前に友人として支えていくよ。何、女性一人守れなくては男として廃るからね」
ポンポンと、教会にいた時にやったように頭を撫でる。言葉の真意を理解したアーシアの両の目からは涙が止まらなかった。友野の指先が器用に涙の雫を掬い取ると、じゃあ職員室に用があるから、と断りを入れて教室から出た。
「何アレ…超絶イイ男じゃん…! しかも下のサイズが計測不可…? 無いのか、それとも私の鑑定眼を凌駕するサイズなのか…!?」
「うっうぅぅ~」
「アーシアちゃん!? 大丈夫!? アイツに何言われたんだ!?」
来日以来、最も親しいと言えるだろう兵藤一誠は慌ててアーシアを宥める。当然だ、ほぼ一から日本語を教えているのは一誠である。例の教会での事件の当事者でもあり、同じ悪魔の眷属なのだ。真っ赤な目で啜り泣いていれば心配しない筈がない。
「おやおや~嫉妬ですか兵藤氏。爆ぜればいいのに」
「寝取られちゃいますか兵藤氏。死ねばいいのに」
「お前等酷いな!」
残念なことに井伊友野のスケジュールは大詰めである。
「これは酷い」
途中、悪魔特有の絡みつくような視線がいくつかあったが挨拶が面倒という理由で追跡を振り切り帰路に着いた。というのも、新居が教会ということもあり好んで無理して追跡するつもりは無かったのだろう。今後の生活に必要なものに加え、これから来るであろう客人のことも考え十分な食材も買い込んだ。ちなみに費用は全部教会持ちである。
個人資産は山一つ買い込んでも余るほどだが友野には生来物欲に乏しい。金銭に関して殆どは気まぐれで孤児院や慈善団体に寄付しているから総額がいくらあるのか、いくら残っているのかは把握していない。そういう意味では比較的適度に円滑に経済を回していると言える。
「あーらら、さっきまで月が浮かぶほど晴れてたのに」
天を仰げばどんよりとした雲が覆っている。一雨来ても問題ないが、せめて以前の戦いの痕としてぽっかり空いてる天井や壁、割れたガラスを直さなければ。雨露を凌げない家ほど頼りないものはない。
「まぁ、工事に関してはスキル的にカンストしてるからいいか」
生憎と、友野はモノを造る、もしくは直すということに関しては最高級EXを誇る技能を有している。見た目からは考えられないが、数十世紀も生きている友野からすれば一から作り上げるならばまだしも、破損したものの修復程度であれば。
「はい、終わり」
ぱちん、とウィンクに近い瞬きをする。それだけで荒廃した教会は新居に早変わりする。修復どころか以前あった時よりも綺麗な、まさに新築同然のような輝きを放っている。基本、二桁以下の工程で為される作業に関しては考え、思い描くだけで目の前に再現される。
極める、とは工程の省略である。
ここからは一般人も悪魔とも、天使とも堕天使とも異なる点であるが、誰よりも凡夫である友野は誰よりも文化的最低限度の作業工程は思い描くことが実行そのものなのだ。だが細かい所に手が行かないのは友野本人がどうにかするしかない。
「あぁ、そういえば死体とか地下室にあったっけ」
奥の地下室への通路を覗けば腐敗した血肉の臭いに顔を顰める。誰であれ汚いものを見てはいい思いをしないものだ。加え、身元不明とはいえ邪な思いを抱き屍と化した死骸には怨念が宿る。この時点で教会という場所は悪霊の住まう根城に化していた。
故に、掃除する。
「
思い浮かべるは作業工程ではない、心の奥底に眠るボトルシップ。コルクで塞がれた栓をゆっくり回し、僅かに弛めた。中で波打つ濁流が漏れ出しては、荒れ狂う奔流を制御し操る。
清めて祓う。そこにどんな想いや恨みが込められていようが関係ない。汚物だろうが何だろうが一切の抵抗の余地はなく、無差別に降り注ぐ津波は一瞬にして死骸を、そして留まっていた怨念を洗い流し跡形もなく消し去る。それは小川の奥底に沈む石が長い年月を掛けて小石になってしまうように、流体力学という摂理を加速させているようであった。
「うん、綺麗になったな」
「邪魔するぞ…ん? お前は…」
「お、来たか」
清潔な空気に早変わりした地下室から這い出れば、降り出した雨に濡れたローブを払う二人の少女が玄関口に立っていた。待ち人来たる、彼女たちこそが友野が待っていた新たな同居人である。
「聖剣授与式以来だね。ゼノヴィア、イリナ」
「あっれー友野じゃん! ひっさしぶりー! ってわぁ何これリフォームどころか新築同然じゃない! どうしたのこれ!?」
「おいイリナ、一応奴は我々の上司だぞ」
「そういうのいいから。ホラ、風邪引く前に入ってきなさい。少し待っていれば食事にするから」
食事、というキーワードに聖剣使いの二人の喉が鳴る。単純に空腹と言うこともあるが、友野の料理は教会で何度も味わったことがある。食べれば食べるほど食指を誘い、満腹になっても食べ足りない、体型を維持する女性からすれば天敵同然だ。
「そういえば、もう一人現地入りしていた教会の者が居るはずだが」
「友野見てないー?」
「……あぁ、それ俺のことね。ちょっと教会もいざこざがあるから名前は伏せていたんだ。これは勿論ミカエル様のご意向」
嘘だ。
実はこの町にもう一人聖職者が来ているが、買い物の帰りにどこぞのキチガイエクソシストに追いかけ回されていたのを目撃した。今頃息の根を止められていることだろう、障らぬ神になんとやらだ。
加えて友野の派遣に関してはミカエルの思惑ではない。無論、着いてからミカエルにこの町に来ていることを告げ、入手した聖剣強奪と堕天使の計画の阻止の意向を伝えている。別段ミカエルにデメリットは無く、むしろ教会側にもスパイがいることは分かっていたのでその炙り出しをすることも含めて頼まれた。
何も、わざわざ四大天使のミカエルにお願いされるほど偉い身分ではない。天使や堕天使、悪魔達には及ばない程度に人間より長生きしてるだけである。
人間はどの種族よりも混沌だ。
純粋な正義を振るう天使。悪の限りを尽くす悪魔。神の被造物でありながら神に逆らう堕天使。
白、黒、灰と三種族の色はこうもはっきりとしているが、人間はその三色をごちゃ混ぜにしたかのように正義にも悪にも反逆者にもなりうる要素を持つ。友野自身、人類史上最も長く生き長らえている身としては極めつけの混沌具合であると自負している。この世のありとあらゆる罪を掻き混ぜた地獄の坩堝よりも濁り、誰よりも矛盾した存在であると理解している。
それでも、いやだからこそ人間なのだ。
どこまで追い求めても井伊友野という人物は人間の枠を出ることはない。それは過去にも未来にも不変の真実である。
※微訂正しました(2015/07/20)