始祖の揺籠   作:一ノ原曲利

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お久しぶりです。二週連続の試験も漸く片が付き一時の休息を得られました

7月がお逝きになり8月がやってきました、毎日暑いですね。読者様方はいかがお過ごしでしょうか


感想やコメント多数頂き大変参考になりました。ありがとうございます


それではどうぞ


始祖の揺籠

 

 

 天から降り注ぐ六角結晶は戦場には似つかわしくない、まるで雪のようであった。

 

 天蓋を突き破った雷は正真正銘、旧約聖書に描かれているバベルの塔に降り注ぎ、地上にあらゆる困難を招いた神の鉄槌である。鼓膜を突き破り、闇夜を白昼と見紛うほどの光量を誇る雷は虚空から駆け抜けシトリー達が張っていた結界をいとも簡単に引き裂く。

 その現象が、リアスの中で一つの事実を突き付けた。

 

「まさかあの雷…! 魔法を無に帰すとでも言うの!?」

 

 リアスの呟きは誰一人として聞こえなかった。

 否、呟きどころかありとあらゆる〝音〟が聞こえなかった。

 原因は地を穿つ稻妻の轟音である、まるで神の怒りを示すかのような稻妻は周囲一切の音を赦さず大気を振動させる。

 魔法とは多種多様存在するが、冥界出身である悪魔達が習う魔法は主に構成された魔方陣を展開し様々な魔法を扱う。他にも人間界、天界に魔法の存在は確認されており、魔方陣式の魔法よりも手間と労力は掛かるものの遙かに威力を向上させた詠唱式の魔法も存在し、いずれの世界でも使う者は少なくない。

 

 ノアが発生させた稻妻は、そのありとあらゆる魔法を消し去る神雷だ。

 

 閃光が魔方陣を喰い破り、轟音が詠唱を赦さない。

 

 十全に発揮された『Balal(大混乱)』の雷は校舎を覆っていた結界を破壊しただけに留まらず、遠方から、それこそ町のあらゆる所から魔方陣の破砕音が連続して木霊した。

 

「全術式破壊確認」

 

 ぼう、と指先に灯していた光を見つめながら呟き、ノアは手にした聖剣『破壊の聖剣』(エクスカリバー・デストラクション)『デュランダル』の二振りを地に突き刺した。

 それはコカビエル達が仕組んだ、聖剣合成の際に発生した膨大な魔力を用いた大規模破壊魔法を無効化した瞬間だった。

 

「この町に仕掛けた術式を解除することが目的だったか。だがいいのか? この戦場を覆っていた結界まで壊してしまっては我々の戦闘の余波でこの町が吹き飛ぶぞ!」

問題ない(ノープロブレム)

 

 口角を釣り上げて左右非対称な笑みを浮かべたノアは、両の手の灯る指先を上空のコカビエルに突き付ける。

 

「言っただろう、『小さな戦争』だと」

 

 ノアが手繰る水流があらゆる方向から殺到する。崩壊と消滅の水流は空中で波を、津波を形成しコカビエルを飲み込まんと迫るが、魔方陣を経由しない手法で生み出された光の槍を手に一閃し薙ぎ払う。

 崩壊を招く毒々しい魔力を孕んだ津波を蒸発。対価として生み出した槍の喪失。

 つまり、この瞬間だけコカビエルは無手だった。

 

「ぅおおおおおおおおおおお!!!!」

 

 掻き消された水流は弾幕。霧散した水の向こう側から一陣の赤き閃光が駆け抜け、一直線にコカビエルへと迫っていた。『赤龍帝(ブーステッド)(・ギア・)鎧』(スケイルメイル)を纏った一誠の拳が、まるで彗星の如くコカビエルの頬に突き刺さる。

 

「ごぉッ…! ハ、ハハハ! いい拳だぞ赤龍帝!」

「うおっ!」

 

 確実に頬骨を折った感触が手に残っているのだが、コカビエルはその痛みに歓喜すらみせて再び生み出した光の槍で一誠に斬り掛かった。いくら龍の鎧によって悪魔の致命的な弱点が補強されようと、堕天使の中でも最高位に位置する幹部であるコカビエルの光力は凄まじい。まだ慣れていない背中の推進器(スラスター)を駆使し何度も迫ってくる光の槍の閃撃を避ける。

 

「ぐあっ! なんつー熱さだ!」

 

 しかし今避けているのはそれこそ紙一重でしかなく、並の堕天使とは比べものにならない光量を持った槍は一閃するだけで大気を燃え上がらせ灼熱を叩き込む。火を吐く龍こそ耐熱に特化しているという常識を持つドライグや一誠ですら熱いと感じるコカビエルの槍は、成る程確かにノアの水を蒸発させるに足る光力密度を誇っているのだろう。

 

「シッ」

 

 ここでノアが手繰る水流が動きを見せた、明らかに今までとは違う。

 まるで指揮者の様に不規則に振るう手の動きに合わせて波がより細く、より長く形を変える。いままで津波というしかない、それこそ数の暴力に過ぎないような水の使い方が初めて目的を持って形を変えた。

 

Current(射よ)

 

 大気を跳ね飛ばすような手の軌道に合わせ、一点に凝縮された水が空を奔る。それは明らかに先端に殺意が籠められた水矢の連弾。しかも一直線ではなく空中で何度も何度も複雑な軌道を描き鋭角的に動きを変えてコカビエルを貫かんと迫る。一誠にも直撃するかと思われたそれは速度からは到底予測できない軌道で曲がり、跳びはね、一誠を跳ね除けてでも打ち消そうと薙いだ光の槍を潜り抜けてコカビエルの腹を貫いた。

 

「ゴホッ! …ぉおおおお、なんて力だ…! 貫かれた所から毒の様に俺の体を蝕まむとは!」

 

 その水は人間はおろか、巨人さえも泥人形に変え消滅させる滅びの魔力が凝縮され、水という姿で可視化された崩壊の水。貫かれた腹からは始まりこそ堕天使でも変わらぬ真っ赤な鮮血が滴り落ちたが、不自然なまでに少ない出血量は明らかに異常だ。恐らく接触部分から泥化が始まっていると思われる。

 

『相棒! いくらノアがこっちに掛からないようにしているとはいえ油断するなよ!』

「あぁ分かってる! さっき水蒸気を突き抜けた時に、すこし鎧部分が砂になっちまったからな!」

 

 コカビエルも無意味に光力密度の高い槍を振り回していたわけではない。並の堕天使であれば魔方陣や詠唱を封じられた時点で武器の形成そのものが困難となりお手上げ状態となる。しかしそこは聖書に名を残す最高幹部の堕天使、術式形成以前より生きてきた彼からすれば、数百年前に用いた力の使い方でも十二分に戦うことはできる。

 魔方陣を経由せず形成された槍は並の堕天使であれ光力の制御が出来ず槍という形に留めるのが難しい。だがコカビエルはそれを自力で制御し、加えて有り余るほどの光力が熱となり周囲を焼き焦がす。それはノアの操る水を蒸発させるに足る余剰エネルギーの運用だった。

 

「クックック…確かに赤龍帝も厄介だが、矢張りお前から先に仕留めるべきだなノア! ここで人類最初の生贄と成るがいい!」

「行かせるかァ!」

「しゃらくさい!」

 

 空中で加速し弾丸のように体を丸め体当たりを目論んだ一誠だったが、まるでその手を読んでいたようにコカビエルの魔手が正面から『赤龍帝(ブーステッド)(・ギア・)鎧』(スケイルメイル)の兜を掴み停止させ、思いっきり地面へと叩き付けられる。(てのひら)から放たれた追撃と言わんばかりの光の槍の群と共に。

 

「ぐぁああああ――!」

「イッセー!」

「次は貴様だノア――!」

 

 五対の黒翼が動き、一瞬でノアの目の前へ迫った。瞬間移動のような移動速度だが、これがコカビエルたる彼の実力である。まるでリアス達には墨汁で塗り潰した様な黒が一直線に空を駆け抜けたとしか見えなかった。

 その一瞬という間にも、ノアは何もしていなかった訳ではない。『Current(射よ)』による水矢を何十、何百と迫り来るコカビエルへと向かわせ、その体を貫こうとした。だがコカビエルは両翼を駆使しアクロバットテクニックで空中で何度も体を捻り、回転させて小刻みに軌道を変える水矢の直撃を避けた。

 飛び散った黒の羽毛や服の端々、羽の先端の一部が泥化し砂に変化していることから多少受けたようだが、その程度ではコカビエルにとっての致命傷に成り得ない。

 

「喰らえェ‼︎」

「!」

 

 地に足を付け、踏ん切りを付け体幹の捻りによってコカビエルの地力が完全解放された槍の投擲がノアに迫る。それは以前木場が見たように目の前で不可視の防壁に阻まれて終わる――かに見えた。

 

「うぉ、!」

 

 確かに防壁が槍の直撃を阻んだ。だがコカビエルの全力投擲から生み出された運動エネルギーを殺し切れず、槍の命中とまでは行かなかったものの、殺し切れなかった運動エネルギーは不可視の防壁ごとノアの全身を吹き飛ばし、投擲された槍と同等の速度で頭から校舎に吹っ飛ばされた。

 

「馬鹿な! あの完全防御が!」

「直撃は避けられみたいだけれど…!」

「私達の、校舎が……」

 

 ノアが頭から突っ込んだ校舎は旧校舎。そう、リアス達の部室がある校舎の方だった。落下速度を遙かに上回る速度で水平から突っ込んだノアは校舎と接触直後、一人の人間が衝突したにしてはあまりにも大規模な崩壊が校舎を襲っていた。

 

「どういうことですの!?」

「受け身を取って威力を押し付けた…ような動きは無かったぞ」

「…まるでノアさんを覆っている何かがぶつかったみたいな…」

 

 全壊こそ免れた。そうとしか言いようがない。

 粉塵舞い散る旧校舎の木材の瓦礫の山から、埃を被り多少切り傷を全身に創ったノアが這い出てくる。

 

「いってて…敵意ある攻撃は防げても、障害物に作用しないのは厄介だな…」

「フン、漸く姿を見せたか。いい加減そのぼやけた舟も見飽きたところだからな」

 

 傷痕を舐めながら出てきたのはノアだけではなかった。空舞う木片に弾かれて徐々に姿を見せるそれは、ドライグや一誠達の目にもはっきりと映し出された。

 それは、舟。見た目は唯の舟だが。

 

「なんじゃこりゃあ…でけぇ…!」

『アレを見るのは久方振りだが、いつ見ても尊大なモンだな』

 

 その大きさは校庭のグラウンドに匹敵する巨大な木造舟だった。

 大洪水を乗り越え、様々な生物の繁栄を約束した方舟。その実物が目の前にある。

 

 

 

 

 ノアの方舟。

 

 旧約聖書『創世記』に記された大きさは長さ300キュビト、幅50キュビト、高さ30キュビトとある。キュビトはより詳しくは『キュビット』という名称でありラテン語で「肘」を意味する『cubitum』に由来する。1キュビトがその名の通り人間の肘から中指の先までの間の長さを示す身体尺であり、現在日本で最も多用されている単位に換算すると、長さ133.5m、幅22.2m、高13.3m。

 

 世界最大の木造船は現存するものでも長さ67m、幅11.8m。最新技術を用いてもこれが木造船の限界の大きさと言われている。しかもノアの方舟はいまよりずっと昔、紀元前3000年代という超古代にたった一人の人間が造ったと伝承に残っている。

 

 加えてノアの方舟の設計は現代にも匹敵する、複数の小部屋を内蔵しゴフェルの木で組み込まれた内外面には防水作用を施すタールが塗りたくられた完全防水の水密構造であった。

 

 神託によりノアの手で作り出された方舟は侮る事なかれ、全てを泥化し消し去る魔の大洪水を乗り越え唯一生存の可能性を示した陸上生物を守った伝説の代物であり、今日び忘れられること無く人類の記憶に刻まれている。

 

 

 

 

『始祖(アーク)(・オブ・)揺籠』(プロジェネター)。ご存じの通り、生前の俺が一から作り出したノアの方舟そのものだ」

「ほう、その神器の正式名称を聞くのは初めてだな」

「神器? 馬鹿を言うな」

 

 半透明の『始祖(アーク)(・オブ・)揺籠』(プロジェネター)のゴフェルの木の繋ぎ目の向こう側で、ノアが不機嫌な表情を浮かべた。

 

「神器ではなく人器。〝神〟が生み出した〝器〟ではなく〝人〟が生み出した〝器〟だ」

「ハハハハハ! そうだな、原初の人間たるお前が生み出した代物だ! いやスマンな、だが神器にも似た気配を感じるのは致し方ないことなんじゃないか? 人が生み出したものとは言えど地上生物救済の代物だ、聖書より語り継がれるそれは多くの人間の信仰を得て単体で神格化したところで何らおかしくはない。作り手である貴様を守る絶対防御として機能しているのも神格化したその方舟の恩恵によるもので間違い無い筈だ」

「そうだな、俺の舟の絶対防御は多くの役割を担う上での機能の一つに過ぎない」

 

 そも、ノアの方舟が存在しているという事実は二度目の大洪水が有り得る、若しくは想定されているという事実を裏付けることに他ならない。『始祖(アーク)(・オブ・)揺籠』(プロジェネター)は人類、ひいては地上に生きとし生ける全生物を救済する為にあるのだから。

 

「なぁコカビエル、俺がこの戦争の始まりに介入した意味は分かってるよな?」

「無論だ、貴様の下らん考えなんぞすぐ分かる。貴様が『小さな戦争』と揶揄するのは俺とそこの小僧と貴様の三人だけの戦争で終わられようとするのだろう? 思い上がるなよ()()()。確かに貴様は教会側で最高戦力に値するだろうが俺の飢えを満たすかどうかは別だ! そこな赤龍帝の小僧と手を組んで俺を止められるものか!」

「出来るか出来ないかじゃ無い、やるんだよ」

「ハッ! 赤龍帝の小僧に前衛を任せて後方支援する貴様がそれを言うか? ああそうだ、お前と赤龍帝の小僧の連携は見事だ。だが精々足止めするのが関の山だろう、貴様が引いた線の先にいる聖剣使いや魔王の娘共が万全で総出で掛かってくれば、多少俺に追い縋ることくらいは出来たかもしれんがなぁ!」

 

 確かに、ノアの滅びの水による遠距離攻撃からの後方支援と一誠の『赤龍帝(ブーステッド)(・ギア・)鎧』(スケイルメイル)で接近戦に持ち込んだコカビエルの討伐が今回の作戦だ。善戦はしているようだが、一撃入れたところで二度目の同じ攻撃は通用しないし並の堕天使以上に光力の内蔵量と扱いに長けたコカビエルには魔法封じの神雷もこれ以上の効果は望めない。いくら光の速度とは言えど、五対の翼が健在である限り高速の機動力は健在だ。

 

「……イッセー、まだやれるか」

「おうっ、まだ時間はあるぜ。それにここで斃れられっか!」

 

 部長のおっぱいのために! と意気込む姿が勇ましい。悪魔である筈なのに、まだ成り立ての悪魔だからかまるで人間のような浅ましい欲求を持ちつつも絶対的強者を目の前にして立ち上がる彼の姿は英雄と呼ばれるにたる人間そのものだ。原初より、人間は同じ神の被造物である善性を持つ天使よりも悪性を持つ悪魔や堕天使に近い。一誠の魂の輝きは誰よりも人類賛美するノアが美しいと思うものだ。ならば。

 

『始祖(アーク)(・オブ・)揺籠』(プロジェネター)解除」

 

 ポン、と小さく大気を破裂させる音と共にノアを包む半透明の巨大木造船は姿を消した。それは元の無色透明な絶対防御に戻ったのではなく、ノアの手で消失したことを意味する。

 その証拠として、ノアの手にある瓶に『始祖(アーク)(・オブ・)揺籠』(プロジェネター)と思われる模型の舟が波に揺れていた。

 

「…なんのつもりだ」

 

 手にし、懐に入れた瓶。コカビエルにとっては奇妙な光景のように思えた。それは一誠も、境界面の向こう側から見ているリアス達も同じだった。

 まさか戦争の敗北を悟ったのか、諦めたのか。それにしてはその目に宿る戦意が消えてない、それどころかより獰猛な、蛮勇な人間が浮かべるような表情だった。

 

 

 

 

 元より、蘇ったノアという人物像は酷く歪み、矛盾している。

 

 地上を抑えきれない悪で再び覆い尽くされ、多くの絶望で埋め尽くされた時、再び地上生物を滅ぼす使命を神から賜った。それが大洪水の再来である。

 

 そのために舟の作り手であった唯一の全き人であるノアに方舟と悪意を溜め込む瓶を、二度目の生を与えた。

 

 しかし今の彼に大洪水の再来を望んでなどいない。それは最初からそうだったわけではない。

 

 確かにノアは全き人だった。誰もを尊いと思い、恨まず蔑まず、常に繁殖し無限に増殖を繰り返し幾度もの歴史を乗り越えても彼ほどの人間は居なかっただろう。

 

 だがノアは人間だ。人間なのである。常に変化しない筈など無い、自己完結された存在ではないのだから変化が生じるのは当たり前だ。不変の人間で居続けることは叶わない。

 

 

 地獄を見てきた。

 

 比喩ではない、つまらない小さな人の諍いから国と国とを争う戦争。誰も目にしたことのないような人類の可能性が導く悪性。幾つもの善行を積み重ねそれこそバベルの塔の如く高々と掲げたところで台無しにするような、蟻地獄のような底無しの悪意。

 思うのだ、バベルの塔の雷は確かに神がもたらしたものだろうが、それは欲深き人間の業が招いたものなのだと。それは過去現在未来であろうと贖えないものなのだ。贖えないならば溜め込むしかない。そのための瓶だった。

 

 だから、三度目の黒い雨が降ったとき開けようとしていた。

 

 思い留まったのは三度目がなかった時、人類に可能性を見出したからだ。

 

 

 同時に、己が()()()()()とは根本的に異なった存在に変質していることに気付いた。

 

 それは今亡き神ですら、予測していないことだった。

 

 

 

 

 鎖に雁字搦めにされて怒り心頭だったが冷静になった今、コカビエルの中では一つの疑問が浮かんでいた。

 

 あの金の鎖は、誰の持ち物だったのかと。

 

「歯ァ食いしばれ」

 

 疑問は意識に挟まった1枚の紙だった。全きまでの白は空白の意識そのものだ。

 瞬きはしていない、目も離していない。

 ノアにとっての一歩先――コカビエルにとっての一秒先には眼前にノアが迫っていた。目にも留まらぬ速さで――否。

 

 それは人体の駆動限界を超えた、()()()()()()()()()

 

 

 目にも留まらぬ速さを人は神速と言った。

 

 目にも写らぬ速さを、人は縮地と言った。

 

 

解放(エーミッタム)

 

 踏み抜いたノアの二歩目は右足が前に出ていた。それは大地に向けて衝撃波を生み出し、衝撃で変形した大地は幾多もの槍状の凶器となってコカビエルを襲う。空白の意識から回帰したコカビエルは無意識に、しかし意識的に光の槍で横に薙いだ。

 即座に手にした光の槍で斬り払えたのは歴戦の勘と言えるもののお陰だろう。だが向かってくる全ての石槍を除けることは叶わず、何本かがコカビエルの足を貫く。

 

 普通ではあり得ない光景だ、自然災害の一部程度の障害が堕天使幹部の肉体を貫くなど。

 だが石槍を生み出したノアの一撃は違う。自らの内に宿る〝力〟と表現する他無いものを大地に叩き込み、より目的のはっきりとした形と成って現れたのだ。

 唯の堕天使であればここで全身を串刺しにされて死に絶えていただろう、無論コカビエルを相手取っているノアに油断はない。

 

 だから動けなくなった標的に一撃を打ち込む為に、必殺の左足の()()()が大地を踏み抜く。

 

右腕解放(デクストラー・エーミッタム)――霜の巨人(ベルゲルミル)

 

 振りかぶり、弓の如く引き絞った拳が突き出される。咄嗟に眼前に掲げ防御姿勢を取ったコカビエルの光の槍を文字通り()()、強烈な一撃が鼻柱に叩き込まれた。

 たった一点。矮小な人間の小さな、しかし(つぶて)のような一撃は鼻柱に留まらず顔面から全身までもを殴打する一撃だった。

 

 このとき、一誠達はノアの拳が巨大化したと幻視した。

 

「ハ――ハッハッハッハッハッハッハッハッハッハハハハハハハハァ――!!」

 

 だがコカビエルだけは違った。ノアの拳を受けた本人であるコカビエルだけは、ノアの力の源泉を垣間見て、理解して、歓喜した。学校の境界まで吹き飛ばされたところで黒翼を駆使し、地に足を付けて踏ん張って足下に摩擦熱で生み出された二本の炎道を作り出して漸く制止する。

 折れ曲がった鼻柱からは大量の鼻血が流れているが、それを意に介すること無くコカビエルは歓喜に打ち震え破顔していた。

 

「俺が誤っていた、謝罪しよう! お前を見くびっていたと、過小評価していたと! そして俺は確信した! お前こそ全人類という立ち塞がる壁に相応しいと! 成る程成る程、然り! これも今亡き神の悪戯に相応しい、奇跡など生温い! お前と戦うだけでも前の戦争より血が滾りそうだ、なぁそうだろうノア! 教えてくれ、一体どれくらい()()()()()()()!?」

「さてな」

「うおっ! 瞬間移動か!?」

 

 思い切り大地を踏み抜き、次の瞬間には一誠の隣に立っていた。半壊した校舎、そしてコカビエルを殴り飛ばした位置の大地には足型の凹みを中心に蜘蛛の巣状の罅割れがあった。明らかにノアの身丈でがあり得ない痕跡だ。

 

「スマンなイッセー、少し遅くなった」

「敵は強いなぁノア…いや、()()()()()()()()

「その通り、だろうドライグ」

『おう! 懐かしいねぇ、お前との共闘は奴の言うとおり血が滾る』

 

 兜の奥で、一誠はまるで歴戦の相手に向けるような清々しい笑みを浮かべていた。

 それは一誠自身も不思議なことだった。だが『赤龍帝(ブーステッド)(・ギア・)鎧』(スケイルメイル)を身に纏う一誠にはかつての『赤龍帝(ブーステッド)()籠手』(ギア)歴代所有者が見た光景が無意識下で見えていた。それはノアの聖人の血による禁手化(バランス・ブレイク)による影響か、はたまたドライグの過去を断片的に追体験しているのか。

 

「「今日はお前と俺で二人だからな」」

 

 

 

 

 

 




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