第零話 桜舞う頃に
「……はぁ」
2095年4月3日、日曜日。とある高校の入学式当日。
その高校の無駄に広い桜並木を、一人の少年が溜息を吐きながら歩いていた。
まず目を引くのはその髪だろう。
日本人としては珍しい見事な赤毛を長めに伸ばし、それを後ろで紐で括るという特徴的な髪型をしている。
そのまま視線を下に移せば、見事に整った優しそうで理知的な顔立ちをしていることに気づく。……目の下の
身長も高く、真新しい制服に身を包んだ体もすらりとしていて、まるでどこかのタレントでもおかしくないと感じる容姿だが、実際にタレントをしているというのだからあながち間違ってはいない。
では、なぜそんな少年が、入学式の日の朝から溜息を吐いているのであろうか。
その理由は、少年が左手に持つ、アンティークの懐中時計の針が指し示していた。
「7時14分……あと2時間……」
つまるところ、早く来すぎてしまったのだろう。
目の下の隈や少しだるそうな歩き方を見ていれば、はしゃぎすぎて目が覚めてしまった、というよりかは、何らかの理由で眠れなくてそのまま徹夜してきた、といった感じであろう。
ならば、先に会場に行って少し寝ていればいいじゃないか、と考えるかもしれないが、残念ながらそれも出来ないのだ。
「カフェは混乱防止のために閉まってるらしいし、IDカードがないと図書館とかも利用できないし……。しかも講堂の開場は10時から……。
ホントにどうしようかなぁ」
一応端末をつけて確認したみたいだったが、結局ダメだったようで肩を落としている。
その画面にはこう書かれていた。
『国立魔法大学付属第一高等学校入学式
開場10:00〜 開始10:30〜』と。
この世界には、『魔法』と呼ばれるものがある。
始まりは今世紀初頭、中東において発生した核ミサイルによるテロ事件を、たった一人の超能力者が食い止めたことだ。
当然各国家は、それだけの力を持つ未開発の領域をこぞって開拓しようとし、国家の繁栄のためと称して莫大な予算をつぎ込んで研究に踏みだした。
その過程で魔女や忍者など歴史の裏に隠れた存在も明るみになっていき、未だ経験則的なブラックボックスこそ多いものの、超能力やそれらの原理の大部分の解明に成功する。
それらを再体系化し纏めたものが『魔法』だ。
今世紀中期、世界全体の急激な寒冷化に端を発する第三次世界大戦により魔法の実用は示され、いまや各国の軍事力で主要な地位を占めるようになっている。
……しかし、原理は解明されたとは言っても、それは誰もが等しく扱える、と同義ではない。
魔法を扱う技能は多分に遺伝的要素が強い属人的なものであり、実用レベルの魔法技能を持つのは中高生で1/1000程度。大人になればなるほど加齢的な要素でさらに減少していき、全体で見れば1/10000ほどしかない。
だが、そんな希少能力者である魔法師——魔法技能を持つ人間——を軍事力として導入しようとすれば、後進の教育に携わることのできる魔法師の数は限られてくる。
しかし、魔法師の数はそのまま国家の戦力の数に直結するため、先進国各国は魔法師を育てるための教育機関を国策として設置した。
それが、日本における国立魔法大学であり、全国にあるその付属高校九校なのである。
国立魔法大学付属第一高等学校、通称『一高』は、九つの魔法科高校のうちの一つ。
毎年二百名が入学する。がしかし、事故などにより魔法技能を失って退学する生徒がでてくるため、進級率はだいたい八割から九割。生徒総数約五百名超の高校である。
そして、この学校に入学するためには、魔法の才能はもちろん、筆記などでも厳しい試験を突破できるだけの力が求められる、超エリート校でもあった。
「うーん、どうしようかなぁ」
しかし少年は、そんなエリート校に入学したというのに、緊張に身を固まらせているわけでも、ましてやそれにおごり意味のないやる気を引き出しているわけでもなかった。
まるで、その程度などほんの些細なことかのように、ただ自然にそこにいた。
ふと、視線を彷徨わせて暇つぶしを探していた少年の動きが止まる。
その視線の先には、ひらひらと花びらを風に舞わせる桜並木があった。
「桜風に約束を、か……」
その瞳の先になにを映しているのかは知りようもないが、少年はその外見に似つかわしくない郷愁をその身に纏わせており、その年齢を分からなくさせていた。
どこか遠い過去を、まるで生まれる前のさらに前でも思い浮かべているかのような様子で、少年は呟く。
「そうか……。こっちの世界でも、あの時のみんなの歳を越しちゃったのか……。
みんなも、こんな気持ちだったのかな?」
まるで前世でも体験してきたかのような口振りで、少年は言葉を紡ぐ。
どこか頭の中身を心配されるようなセリフだが、込められた感情はどこまでも実感が込められており、もし誰かが聞いていたとしても疑うことはなかっただろう。
「……ふふっ。なら、笑っていかないと。
じゃないと、担任としてみんなに顔向けできないもんね」
そう言うと、彼は頬をたたく。
よほど大切な思い出だったのだろう。その顔には、例えようもない、だけど誰が見ても幸福そうな感情が滲み出ていた。
「……よしっ!」
上げた顔には先ほどまでの暗さはない。心なしか、その顔に影を作っていた隈も薄くなっていた。
そして、少年は足を踏み出した。
ゆっくりとした速度で、美しい桜並木を目に焼き付けるように、少年は煉瓦を模したソフトコート舗装された道を歩む。
「……ん? なんだろう?」
5分ほど歩いた頃だった。
遠くからかすかに、少女の声が風に乗って響いてきた。
少年はその歩みを止めて、顎に手を当てる。
「んー。悲鳴じゃなかったから事件じゃないだろうけど……ケンカかな?」
そう考えながら、自然と足がそちらに向かう。
野次馬的な考えがないとも言わないが、それよりも入学式というめでたい日に喧嘩をしていること自体のほうが気になったのだろう。
幸い、声の発生地点とはそこまで離れていなかったようで、ほんの1分足らずで現場に着いた。
「やはり納得ができません! なぜお兄様が二科生なのですか!」
「そうは言ってもだな……」
声の主は、雪のように可憐な少女だった。
冷たくも柔らかいという相反する雰囲気を同居させたその美貌を憤りに染めながら、目の前の男子生徒に詰め寄っている。
それに対して、詰め寄られている男子生徒——少女の言葉が正しければ彼女の兄なのだろう——は、シュッと伸びた背筋と鋭い目つき以外、整ってはいるがどこか無個性な顔に困惑を貼り付けている。
(うわぁ、兄妹ゲンカかぁ。一方的みたいだけど。
それに、あの制服……)
少し離れたところからその様子を見ていた少年は、二人の着ている制服、そのブレザーに注目した。
二人とも真新しい制服に身を包んでいるが、問題なのはそこではない。双子か年子かは分からないが、そういうこともあるだろう。
しかし、同じ学年だろうにもかかわらず、二人の制服には明らかな違いがあった。
男子と女子の違い、ということではない。
少女のほうはその上着の胸と肩の部分に八弁の花をあしらった校章が刺繍されているにもかかわらず、その兄の方にはただ正八角形の空間があるだけなのだ。
これがこの学校の抱える
先の説明の通り、日本という国に限った話ではないが、とにかく魔法師の数が足りていない。
そこで、国は第一から第三高校までの魔法科高校に、新入生をそれまでの倍の二百名とるように指示した。
しかし、人手が足りないのは魔法科高校も同じこと。その上、魔法大学に一定数以上入学させなければならないというノルマも課せられていた。
そこで第一高校は、新入生二百名のうち上位百名を一科、下位百名を二科と分け、一科のみに実技の個別指導を受けられるようにしたのだ。
制服の違いもそれに起因する。
一科生の制服には花があり、二科生の制服にはそれがない。
つまり、目の前の二人の制服が違うのは、妹の方は一科生なのに対し兄の方は二科生である、ということだ。
(魔法技能がある場合は兄妹でそんなに差はつかない、っていうのが通説なんだけど……何事にも例外はある、ってことなのかな?
まあ、それよりも……)
懐から懐中時計を取り出し、時間を確認する。
針は7時24分を回ったところだった。
(お姉ちゃんから聞いた話だと、確かリハーサルは7時半からだったはず。
こんな時間にここにいるってことは、リハーサルのために来たんだろうし……。そろそろ切り上げないとまずいんじゃないかな?)
幸い、ここから会場である講堂まで歩いて3分少々だろうから、今切り上げれば充分間に合うはずなのだが……
(完全にヒートアップしちゃってるよね、アレ)
掴みかかるような勢いで詰め寄る妹と、それをおさめる兄を見て、少年は割り込むことに決めた。
(ホントは兄妹ゲンカに首をつっこむべきじゃないんだろうけど、このままだとお姉ちゃんに迷惑がかかるかもしれないし……。仕方がないよね)
内心でそう言い訳をしながら、少年は二人に向かって歩みだす。
背後から近づく形になるため兄の方は気がつく様子もなく、妹の方は既に視界が集中してしまっているのか、これまた気がつく様子がない。
少年としては、人目に気づいて止めてくれるということを期待していたのだが、その様子もないことから実力行使に打って出た。
「まあまあ、少し落ち着いてください」
といっても、声をかけるだけだったが。
しかし、効果は
妹の方は少年の姿を確認すると、俯いて羞恥に頬を染め。
兄の方は振り返ると、わずかに驚きの表情を浮かべた。
「今日はせっかくの入学式なんですから、朝からケンカなんてしてたら勿体無いですよ」
「あ、ああ……」
未だ驚愕から抜けきっていないのか、もしくは何かを考えているのか。どこか上の空で返事を返す兄。
その視線は、少年の胸元に向かっている。
そこには、兄と同じく花柄のない空間が広がっていた。
そして、少年は自らの名を告げる。
前世における自らの父と同じ名を。
「あっ! 自己紹介がまだでしたね。
同じ一年生でしょうし、気軽にナギと呼んでください」
——そうして、英雄は主人公と出会った。
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これは、
とある世界において、
ただそれだけのお話。
しかし、英雄の周囲がただ平和なはずはない。
不幸があり、戦いがあり、対立がある。
これは、そんな彼の物語。
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