過去話其之壱 英雄で魔物な赤ん坊
かつて、日本の埼玉県麻帆良市に、麻帆良学園という場所があった。
明治の中頃にヨーロッパから訪れた人物が設立した、幼児保育から大学まで無数の学校が存在する超巨大な学園であり、巨大という言葉でも足りない樹高270mに及ぶ巨木・『世界樹』を中心とする一つの都市でもあった。
そこに通う生徒は、才能と活気が溢れていてノリが良く、細かなことを気にしないおおらかな性格であることが多く、そのこともあってか全校が一斉に行う学園祭、通称『麻帆良祭』は、一大テーマパークもかくやという人気を持ち、2億6000万円もの金が動くともされた。
しかし、それでもある時期までは、あくまでただの学校群だった。だが、今世紀、つまり二十一世紀初期に大きな転換が起きる。
宇宙につながる軌道エレベーターがここに建てられたことで、世界的に重要度が急増、人口が一斉に集中することとなったのだ。
もちろん、人口の増加に促進を促したのはそれだけが理由ではない。歴史の裏に隠れてきた『魔法使い』の存在も大きく関わっていた。
世に隠れながら正義をなしてきた彼らが、裏火星に作られた
それらの要素が重なり、麻帆良市は新たな日本の首都・
「ボクが事務局長を退任するのを、認めたくない人もいると思う」
2065年9月某日。
そんな
壇に立つ男性の名前は、ネギ・スプリングフィールド。
かつて、たった1年半であるがこの地で教鞭を振るっていた人物であり、世界屈指の魔法使いにして吸血鬼の真祖もどき。
今や世界の誰もが知っているまでに成長した
そんな彼が急に引退するという。
しかも、彼の外見は人外であることからか大変若く、今年で72歳を数えるはずなのだが未だ20代の青年と言っても通じる容姿をしているのだ。
当然その人気は高く、未だ聴衆は納得がいってない者も多くいる。
彼を崇めるが故のヤジが飛び交い、懇願の声がすすり泣き、混迷をきたす会場で、しかし彼は、そんな民衆を諭すように話し始める。
「
この街も活気にあふれていて、ボクがそれを作り上げる手助けをできていたなら、それは喜ぶべきことなんだと思う。
……でも、それはこの街の中だけの話。この街以外はどんどん衰退していってて、次々と地方行政が破綻していってしまっているんだ。
それだけじゃない。一歩街を踏み出せば、そこは今日を生きるのにも必死なスラム街になってしまってる。
いくらみんなが相応しいと言ってくれても、それを止められないボクは、やっぱり指導者失格なんだと思うんだ。
その上、ボクが、元人間であり、裏火星の亡国の王子であり、魔物であるせいで、それぞれの派閥に力と対立を与えちゃっている。
ボクは、そんなことを望んではいないんだ」
彼は、一つの世界を救った英雄であり、世界屈指の魔法使いではあったが、決して優れた政治家ではなかったのだ。
僅かな、身内と呼べる間柄の仲間を牽引することはできても、世界の中心人物として全ての民衆を守るためには、その才能が致命的に足りなかった。
栄華を極める都市の外では、貧困にあえぐ人々で溢れ。
人も亜人も魔族も関係なく生活を過ごす世界の裏では、覇権を得たい各勢力の諍いが頻発する。
そんな現状に心を痛め、どうにかしなくてはと動こうとしても、それを止める手立てを考えつくわけでもなかった。
「だから、ボクは彼に後を託すんだ。
ボクの長年のライバルであり、人でも、亜人でも、魔族でもない彼なら、今よりもっと良い社会を築けると信じているから。彼は本当の意味で歳をとらないから、寿命という心配もないしね。
だから、みんなも彼を信じてくれないかな?
きっと、すべての人種の幸福について、彼以上に望んでいる人はいないと思うから」
その、英雄の口から語られた力不足という真実に、民衆の口が閉ざされる。
彼らは、彼こそが指導者にふさわしいと思ったのだ。一つの世界を救い、新時代を築いた英雄こそが。
しかし、それは人々の願望が作り出した虚構であり、この世界の負の部分から目を逸らしていただけだと、その本人から告げられた。
認めざるをえない真実に、一人、また一人と顔を落としていく。その目には、英雄の元で新時代を過ごさない悔しさがあり、今現在も苦しんでいるスラムへの罪悪感があり、さらなる世界を創り上げられるという新事務局長への希望があった。
そうしてヤジが消え、静寂に包まれた会場で、再び英雄は口を開く。
テレビの前の民衆まで彼の言葉に注目するさなか——
「きっと、世界を変えるには彼だけじゃ足りないと思う。
だから、世界中のみんなで、これからの彼を支えて——」
パン、と。
どこか軽い音がした。
完全な不意打ちで、彼めがけて超音速で進んだ弾は、しかし彼の目の前30センチほどで障壁に防がれる。
それは当然のことだろう。
彼は世界を救った英雄だ。ただの鉛の塊程度であっけなくやられるほど甘くはない。
——それがただの銃弾だったのならば、の話だが。
ギュインという音とともに弾が
まるで、彼の教え子が愛用する特殊な弾のような光景が、彼を中心に広がった。
その時に至って漸く、その光景を見ていた者たちに焦燥が浮かぶ。
彼なら大丈夫だろう。その、数多の戦場を共にしたからこその信頼も、この場面では役に立ってくれそうにない。
彼が普通の方法では死なないことは、"裏"を知っている者なら誰もが知っていることだ。
そんな彼に対して暗殺を仕掛けようとするのだから、あの魔法陣が、彼に対して有効でないはずがない。
「ネギ君ッ‼︎」
『ネギ先生ーっ⁉︎』
まるで、死を目の前にした人間のように自分の周囲の時間が遅く感じている彼は、確かにその声を聞いた。
視線を横に動かす。
慌てた様子で立ち上がり、こちらへ向かおうとしている長年のライバルがいた。
彼がこんな表情をするのは珍しいな、などと、どこか場違いなことを思い浮かべる。
視線を前に戻す。
何が起きたのか理解できていない民衆の中、最前列で必死の形相で叫ぶかつての教え子たちがいた。
その多くは歳をとり、欠けている人たちもいるけれど、それでもその老体に鞭打って自分の名前を叫び駆け出そうとする仲間たちに、英雄は満たされたような笑みを浮かべた。
——世界中の人々が注目している放送のさなか——
——新たな未来に向かおうと先導してきた英雄は——
——バシュウという音とともに、この世界から消え去った。
後に残った体は、伝承に従い日に焼かれ塵になって空気に溶け、止まっていた世界が動き出した時には、彼の痕跡を示す物はもうそこには無くなっていた。
一拍後、会場に悲鳴と喧騒が木霊する。
世に『
虚空に手を伸ばす白髪の青年は、その目から光を失っていた。
◇ ◇ ◇
トクン、トクン。
そんな優しい音が聞こえる。
身体がフワフワと浮きながら、なにか液体のようなもの包まれている気がする。
暖かくて、優しくて。水の中にいるはずなのに、不思議と安心する。溺れているなんてことは、微塵も思い浮かばなかった。
『…………。…………』
どこからか、優しい声が聞こえてきた。
篭っていてよく聞き取れないけれど、それでも、その中にある愛情は、染み渡るように感じられる。
まるで、彼女たちが自分の子に話しかけていた時のような、そう、母の愛だ。母親のいなかったボクにはよく分からないけど、間違いがない。
……ああ。なんとなく分かってしまった。ボクは死んじゃったのか。
あの、一瞬だけ見えた魔法陣。あれにはどこかで見覚えがあった。
そう、確か、世界間転移魔法の失敗作。精神だけを、世界と世界の狭間に飛ばす魔法。確かにあの魔法なら、事実上ボクを"殺せる"。
悪用されることを恐れて厳重に封印しておいたはずだけど、まさか自分に対して使われるとは思わなかった。
でもなんで、こうして復活しようとしてるのか。その理由は恐らく、ボクが不死者だから。
でも、それにもいくつか例外がある。その一つが、肉体と魂の分離だ。
ボクや
この理由としては、精神と肉体が緻密に結びついているということがある。普通の人のように「肉体に魂が入っている」のではなく、「魂が肉体を作り、その中に入る」という構造になっているのだ。そして、基本的に同時に作れる肉体は一つまで。だから、身体が身体の構造を持ち続けている以上は、いつまで経っても再生しないんだ。
そんな特殊な魂だ。それだけ他所の世界に飛ばしてしまえばその世界からはいなくなるし、逆に飛ばされた魂は新たな肉体を作ろうとするだろう。
それが、どうしてこうやって赤ん坊からやり直そうとしているのかは分からない。だけど、ボクに拒否権はない。
むしろ、前世では体験できなかった、"両親がそばにいる普通の生活"ができるかもしれないのだから、是非ともやりたい。
『………………。…………?』
『…………!………………!』
暫くすると、男の人の声が聞こえてきた。そして、ポン、ポン、という振動がする。ああ、これが"お父さん"なのかな?
……きっと、彼女たちは辛い思いをしてるんだろう。彼とも、こんな形で別れるとは思ってもいなかった。それを思うと、産まれたら必死に手段を探して、すぐに戻るべきなんだろう。
でも、本音を言うと、ボクにも少し休みが欲しい。英雄の息子でも、英雄でもなく、ただの人間としての生活を経験してみたい。
アスナさんたちにも言われていたけれど、ボクは少し頑張りすぎたんだと思う。よくよく考えれば、10、いや、3歳のあの日からずっと、止まらずに走り続けてきたのだ。いくらやりたいこと、やるべきことだったとは言っても、さすがに疲れもたまってくる。
それに、もうあっちの世界にはボクは必要ない。
なら、ここら辺で、溜めてきた有給を使ってもバチは当たらないと思うんだ。
『…………愛してるわ』
(……今のは聞こえたよ。ありがとう、"お母さん"。
ああ、なんだか眠くなってきた……)
さて、もう少し眠ろうかな。
できるなら、次に目が覚めた時、まだ見ぬこの世界の両親に会えることを願って。
◇ ◇ ◇
それから暫くして。ボクは
いや、本当に痛かった。産まれるって、ここまで痛いのかと痛感したよ。赤ん坊って凄いんだなぁ。痛みに慣れてるボクですら泣くほどなんだから。
そして、多分数日が経った頃、漸くボクの目が開いた。
"多分"ってついてるのは、時間がわからないから。赤ん坊になってて殆ど寝てるから、時間感覚がまるでないんだ。
どうやらボクは未熟児気味だったみたいで、目を開けた時、透明な保育容器がまず見えた。まぁ、すぐに看護婦さんが来てくれて、ボクの"お父さん"と"お母さん"を呼んでくれるみたいなんだけど。
こっちの世界の両親は、「お父さん」と「お母さん」って呼ぶことにした。やっぱり、ボクにとって"父さん"は"ナギ・スプリングフィールド"だし、"母さん"は"アリカ・アナルキア・エンテオフュシア"だから。
……さて。こっちの世界での、ボクの両親はどんな人なんだろう。
父さんは、なんというか、いい加減な人だったし、母さんに至っては会ったことがない。
だから、少し期待してしまう。いわゆる、普通の両親はどんな感じなんだろう? ……教え子?ボクの周りは……ほら、個性的な人たちばっかりだったから。
そんなことを考えてると、ドタドタという足音が聞こえてきた。もしかして……
「
「え、あ、すみません」
「早く会いたいのは分かりますけど、そんなに急がなくても逃げませんよ、あなた」
「そうは言ってもね。やっぱり気になるんだよ、大切な一人息子だしね」
多分、この人たちだろう。どこかで聞いたような声だけど、どこだっけ?
音の主は、さすがに注意されたのが答えたのか、静かな足音で近づいてくる。
そして、次の瞬間、目に映った光景に、遠い記憶を刺激させられた。
「うわぁ。分かるかい? 僕がパパだよ?」
「あぶぅあーー!(た、タカミチ!? どうしたの真っ赤に髪染めて!?)」
「ふふっ。なら私も。おはよう、私がママですよ」
「ゔぁーぶ!(しずな先生!? 若返りました!?)」
混乱する頭の中、ここが別世界であることを思い出す。つまり、目の前の二人は、彼らによく似ているけど別人だということ?
……そもそも、ボクの知っている彼らは既に亡くなっていたや。別に戦死だとかじゃなくて、普通に老衰で。ボクより20以上は年上だったんだから、ある意味当たり前だ。
漸く落ち着いてきたところで、お父さんが手に持っていた紙をゴソゴソと広げだす。目に映る景色が妙に未来的だけど、こういうところは変わらないことを確認できて安心する。
「凪。君の名前は
偶然か否か、あの破天荒な父の名前をもらったのには、いろいろな感情が出てくる。ボクはあんな適当じゃない、とか、そう、色々。
でも。それでも、この二人が考えてくれた名前を、受け入れないはずがない。これが、この世界でのボクの名前。
きっと、お父さんたちは、既にボクの自我があることを知らないんだろう。ただ一人の息子に、一人の親として接しているだけだ。
それでいい。ボクの前世では、そんな"当たり前"が得られなかったんだから。この世界でこそ、その当たり前を感じてみたい。
だから、
「ぶぅわーゔ!(よろしくお願いします!)」
◇■◇■◇■◇■◇■◇■◇■◇■◇■◇
こうして、英雄は少年に戻った。
ただ、どこにでもいる一人の男の子として、再び、前世では得られなかった生を謳歌する。そう、胸の内に秘めて。
しかし、世界はそんな、どこにでもある尊い願いを踏み潰す。
まるで、住む世界が変わろうとも、英雄に平穏などない。そう、言っているかのように。
しかし、今暫くは休息を与えよう。それぐらいは認められてもいいはずだ。
次のページは、十年後。彼が世界の無情さを痛感する日。
それまでは、一度の平穏を謳歌しようか。
・主人公の名前
主人公の名前はどうしても「ネギ」だと日本人の名前として違和感しかない為、偽名の「ナギ」の方にしました。
「わかりずれーよ」という方。安心して下さい、作者も書いてて高頻度で間違えます(^_^;)
・・・白い少年の出番ここだけだから「BL」タグなくてもいいよね?(震え声)
2016/01/12
改稿。