8月5日、九校戦三日目。
前日のクラウド・ボールでは、女子の部で色々と吹っ切れた真由美が大暴れして優勝。同率4位にも2年の選手が一人入り、男子の部ではクジ運に見放されたものの意地と執念で一人が4位に入った。
これで、初日の得点も合わせて第一高170ptと単独トップを独走中。次いで第三高校90pt、第二高校60ptと続き、四高以降は混戦状態だ。
残りの種目も、4種目で摩利と克人が出場するため優勝はほぼ確実視されており、新人戦に関しても、多少の不利は否めないが大きく離されるメンバーではないことは、一高内部で周知の事実だった。
ゆえに、多少なりとも彼らが気を緩めていたのも仕方がないだろう。
例え妨害を企む輩の情報を得ていても、まさかこんな大胆な行動に出るとは思わなかったのだから。
◇ ◇ ◇
「む、春原一人か?」
選手用の客席に座って観戦していたナギの背後から、高校生にしては少々重厚すぎる声が掛けられた。
一度聴いたら忘れられない、存在感に満ちた声色の持ち主を瞬時に思い浮かべると同時、振り向いた先の視界にその人物を捉えた。
「あ、十文字先輩。はい、そうですよ」
「司波たちと一緒ではないんだな」
「達也くんたちは渡辺委員長のバトル・ボードを観戦しに行ってますね」
「そうか」
本日の種目は、男女バトル・ボード準決勝と3位決定戦と決勝。そして男女アイス・ピラーズ・ブレイクの三回戦と三つ巴の決勝リーグだ。
そして、ナギの姿は、そろそろ三回戦第二試合が始まろうかというアイス・ピラーズ・ブレイクの会場にあった。
「十文字先輩は、三回戦の準備ですか?」
「ああ。そういう春原は見学……いや、分析か」
「はい。来年も代表になれたなら、戦うかもしれない相手ですから。見れるときに見ておかないと」
昨日は、『姉の試合に勝るものはなし』と
世話になっている委員長の試合も気にはなるが、来年のことも考えて、いつもの仲間と分かれここで観戦しているのだ。
「なるほど、殊勝な心がけだ。しかし、新人戦が控えている一年が本戦を観るのは気負いにも繋がりかねんからな。個人的にはそこまでする必要もないとは考えているが……春原にはいらん心配か」
「そうでもないですよ。十文字さんとの練習試合だって、あの不意打ち以降は一回も勝ててないですから」
「それはそうだ。十師族の矜持より先に、三年として一年の春原に、そう簡単に負けてやるわけにはいかないだろう」
「そういうものですか?」
「そういうものだ」
人の上に立ったことはあっても人の先に進んでることの少なかったナギにとって、十文字の言葉はピンとこないものだった。いくら人生経験が長くとも、経験したことのないものまでは共感できない。
自分も三年になれば分かるのかな、などと思いつつ立ち上がる。
「控え室にお邪魔してもいいですか?」
「構わんが、位置的に女子の方の試合を見るには不都合だぞ?」
「男子だけでも見れれば充分ですし、近くで見た方が色々わかることもあるかと思って」
「一理あるな。いいだろう」
許可も得られたので、二人連れだって選手控え室へと向かう。元々、選手控え室に同じ学校の代表が顔出しに行くのはよくあることなので——昨日も達也と新人戦女子アイス・ピラーズ・ブレイク代表が、本戦女子アイス・ピラーズ・ブレイク代表の二年生、
そんな訳で関係者以外立ち入り禁止の扉から入った道すがら。十文字がポツリと漏らした言葉が、ナギの耳に引っかかった。
「ふむ、今日は居ないか」
「居ない? 誰がですか?」
「他校の選手だ。ホテルだと捕まえられんこともあるからな、宣戦布告などはこうした控え室までの通路で行うのが暗黙のルールになっている」
「へぇ、そうなんですか」
「春原も
「大丈夫ですよ。宣戦布告されてもされなくても、全力で相手をすることに変わりはありませんから」
「その意気だ」
そんな他愛のない話をしながら歩き、控え室に着くと躊躇いもなく扉を開ける。中には、既に担当のエンジニアが居て準備をしていた。
「おう十文字、と春原?」
「ああ、遅れてすまんな。見学者を連れてきた」
「なーる。ま、ゆっくりしていけや。
で、早速で悪いんだがCADの調子を見てくれ。何かあったら調整しなくちゃならねぇからな」
「ああ」
出場する二人が準備に掛かりきりになってしまったので、手持ち無沙汰なナギは窓に近づいて、ちょうど始まった第二試合に集中することにした。
ナギの所見では、アイス・ピラーズ・ブレイクにおいて基本とされる攻め方は幾つかある。
特に、加重系による圧壊、振動系による振動破壊、移動系や加速系による倒壊はポピュラーなものだ。当然多くの対策も考えられているようだが、シンプルさゆえに力勝負なところがあり、魔法力に自慢のある選手が使ってくれば止めることが難しいと見える。
目の前で行われている試合でも、一人が振動破壊、それに相対するもう一人が倒壊を用いる戦法を使っていた。若干ではあるが振動破壊を試みる三高選手の方が魔法力が強かったらしく、試合の流れは三高側に傾いている。いや、そのままの形で今ちょうど終わった。
「ほー、三高のあいつ、去年の新人戦で準優勝したやつじゃねぇか。一年でぐんと腕を上げやがったな」
「あ、準備は終わったんですか?」
「ああ。調整は完璧だったからな、これで心配事なく試合に臨めそうだ」
「よせよせ、褒めたって何も出やしねぇよ」
「出るだろう? 調子が」
「あー、オレは煽てられて伸びるタイプだからな……って
コントじみた掛け合いに、思わずナギの口元も緩む。どうやらこの巌のような会頭にも、十文字家とは関係なく気のおける友人がいるようで何よりだ。
「でも、一本ずつ倒していってるのは何故なんですか? 纏めて倒しちゃった方が楽そうですけど」
「何故って、そりゃおめぇ、一本ずつしか倒せねぇからだろうよ」
「? どういうことですか?」
「なにも攻撃だけしている訳ではない、ということだ。自陣に情報強化や領域干渉なども掛けているからな、その分魔法力を割かなければならず、減った魔法力で相手の防御を確実に貫くには数を減らすしかないというわけだ」
「そもそも複数同時照準なんてのは高難易度の技術だしな、ましてや12なんてオレら普通の魔法師じゃムリムリ。
多分できるのは十文字か渡辺か七草か、あとは妹の方の司波か……。春原と戦う奴で言えば一条の御曹司なんかも出来るかもしれねぇけどな」
「もちろん、千代田の地雷源や春原の使うような高威力広範囲の物理現象を介した魔法を使えば話は別だ。だがそれはかなり適正が限られる方法だからな。滅多に目にかからん」
「へぇ、詳しくありがとうございます」
ナギはまだ見ぬ相手の戦力予想を下方修正すると同時に、唯一相見えた強敵である将輝の危険度を上げた。
現代魔法が苦手であるナギの情報強化や領域干渉は、他の選手よりも数段劣る。それに対して、将輝はそんな弱々しい壁などないかのように突破し、一瞬で勝負を決めるだろう。となれば、真由美や鈴音の予想通り勝ち筋は……
その時、そんな思考を断つかのように十文字の懐の端末が鳴った。
ぞわりと、ナギの背筋に嫌な予感が走る。
「む? 市原から?」
「は、市原? 激励、つーわけではなさそうだな」
「何かあったのかもしれん。
……十文字だ、どうした市原? ………………何? 渡辺が事故?」
その瞬間、空気が変わった。
エンジニアの男子生徒は困惑と驚愕の表情を張り付け、ナギと十文字は顔を険しく歪める。
「怪我の具合は? …………肋骨の骨折はほぼ確定で、内臓や脳はこれから精密検査だな、最低でも全治一週間というところか。…………ああ、七草はそのまま付けておけ、代わりの仕事は俺たちでする。
それで、原因は?…………七高選手のオーバースピードに巻き込まれた? 相手も去年の準優勝者だろう、そんな単純なミスを犯すか。…………なるほど、司波も同意見で既に映像から調査を開始していると。なら取り敢えずは司波に任せろ、もし人手が足りなければ手の空いてる奴を向かわせられる用意もしておけ。
それと、余計な動揺を与えんよう選手たちにはまだ伝えるな——」
「いえ、それはダメです!」
「春原?」
「渡辺委員長の事故なら一大ニュースです、いくら隠そうとしても何処からか絶対に耳にします。その時、事故に巻き込まれて病院に送られたということしか聞かなかったりしたら……」
「怪我の程度が分からないため、最悪の事態も想定してしまう、か。なるほどその通りだ。
市原、事故の話は極力そちらから広めてくれ。ただし、骨折程度で命に別条はないことも必ず盛り込んでだ。必要以上に不安を煽らないよう細心の注意を払ってくれ。
…………ああ、次の試合が終わったら直ぐにそちらに向かう」
十文字は端末を切ると、神妙な顔で黙り込む。張り詰めた空気の中口火を切ったのは、裏の事情を聞かされてない男子生徒だった。
「渡辺が離脱って……波乗りだけじゃなくてミラージもマズくねぇか? たしか補欠が居ないんだろ?」
「ああ。だからと言って捨てるには惜しい。どうするか……。
……とにかく、今は俺たちの戦いに集中するべきだな。今後のことはまた後で市原たちと協議する」
「それもそうだな。っと、そろそろ委員にCAD見せに行かねぇとな」
「ああ、頼む」
試合前のレギュレーションチェックのため、男子生徒が控室を出る。直後、十文字の顔から"学生"が消えた。
「どう見る春原。例の妨害工作の一環だと思うか?」
「……ほぼ間違いなく。まさかこんな大胆な手を使ってくるとは思いもしませんでした。
渡辺委員長と競い合うような選手がこんな事故を起こすとは思えませんし、渡辺委員長も素直に巻き込まれるとは思えません。きっと、対処できると踏んで行動を起こしかけたところで、何か妨害を受けたんだと思います」
「となると妨害は、七高選手をオーバースピードさせたものと、渡辺の対処を妨害したもので最低二つ。他にもあるか調べる必要があるな」
「今動いてもらっている達也くんには悪いですが、調べた程度で決定的な証拠が出てくるほど、相手も甘くないでしょう。誰がやったかは分からない前提で、妨害が行われたことを示す物が出たら儲けものといったところです。
それよりも問題は、こちらの柱の一つが折られたことですね。精神的にも実力的にも、渡辺委員長の存在は大きかったですから」
「そうだな、特に千代田は渡辺と仲が良かったはずだ。これが試合に響かなければ良いが……」
一高本部の方角を見る十文字の不安な呟きは、返答がないまま中空に溶けていった。
◇ ◇ ◇
時は過ぎ、洛陽が空を紅く染める頃。
第一高校の本部テントに、摩利と深雪を除く一高首脳陣が揃っていた。
「やはり渡辺は出場不可能か」
「ええ。一晩様子を見て何もないようだったら退院できるらしいけど、それでも日常生活までらしいわ。十日間は激しい運動は厳禁だって」
「正直に言うと痛いですね……。女子バトル・ボードでは棚ぼたで決勝に上がった三高の水尾選手がそのまま優勝。小早川さんがなんとか三位に入りましたが……」
「男子でも三高が優勝、四位も三高だ。
「それに対して俺たちは、会頭の優勝と俺と千代田の二位、小早川の三位での100ptだけです。総合でも270ptと逆転されました。せめて俺が優勝できてれば……」
服部が悔しげに拳を握る。それをなだめるように、真由美か肩に手を置いた。
「接戦だっただけに悔しいのは分かるけど、準優勝出来ただけで充分よ」
「はい。これは千代田さんにも言えることですが、渡辺風紀委員長の事故で不安定な精神状態で、あそこまで戦えたのは実力が伴ってこそです。悲観する必要はありませんよ」
「……ありがとうございます」
まだ服部の中では折り合いの付いていない様子だったが、頭を下げたことで一先ずのところはこの話題は終わりとなった。
それを見届けてから、十文字が建設的な話を切り出す。
「それよりも今議論すべき問題は、今後の試合についてだ。妨害対策については司波の解析待ちだが……」
「達也くんの方には深雪さんが付いてるわ。何か分かったら連絡が来るはずよ」
「そのことですが会長、先ほど五十里君と春原君、それと応援で来ている一年二科の吉田君と柴田さんを部屋に呼んだようです。何か進展があったようですね」
「……早いな、本当に一年か?」
「技術力だけなら我が校でもトップクラスですから」
「そうか。なら我々はそれ以外のことを進めておこう。まず初めに提案だが、渡辺の抜けた本戦ミラージ・バットに……」
そうして陽は落ちて闇が天を呑んでいく。
彼らの協議は、夕食の会場が開くまで続いたのだった。
◇ ◇ ◇
ほぼ同時刻、達也の部屋。
部屋の主である達也を背後に、本来なら相手選手の分析などに使う機材に齧り付く二つの影があった。
一人は一高エンジニアの実質的纏め役、五十里啓。もう一人はその婚約者、千代田花音。一高の中で最も有名なカップルだ。
「……完璧だね、これ以上は専門機関でもなければ無理だと思うよ」
「……つまり、誰かが水面に干渉して"穴"を作り、そこに摩利さんが足を取られたせいで対処が遅れたってことなのね?」
低い、怒りを孕ませた声を絞り出す花音。もし目の前にその下手人がいたならば一切の容赦を見せずに叩き潰すだろうと分かるぐらいには、その瞳の奥に炎が燃え上がっていた。
「いえ、正確に言えば違います。水面に干渉したのではなく、水中に収束系の力場を作り、その影響が水面にまで出たということです」
「そんなのどっちでもいいわよ!明確な悪意を持って妨害されたのには変わらないんだから!」
「花音、司波くんに当たっちゃダメだよ。憎むべきはそれをやった相手なんだから」
「……そうね。ゴメン司波くん」
「いえ、親しい友人が襲われたんです。多少イライラしても仕方がないですよ」
「……思ってたよりも優しいわね、一年の子たちが信用するのもわかるかも。啓には敵わないけどね」
空気を変えようとしたのか、花音がいつのもように惚気る。達也と五十里もそれが分かっているのか、何も言わずに苦笑しただけだった。
「でも、どうやってやったんだろう? これって
「はい。同様に三高の水尾選手からの可能性もないですね。ですので自分は、"水中から"投射されたと考えています」
「……それは本当に可能なのかい? いくらなんでも水中に隠れ続けることは不可能だと思うんだけど」
「まだ確証はありませんが、それを握っている協力者を、今深雪が呼びに行っています」
『……失礼します。お兄様、その……』
「ああ、ちょうど来たようですね。入ってくれ」
達也に促され、ガチャリと扉が開かれた。
まず入ったのは深雪、その背後に達也が呼んでくるよう指示した三人、幹比古、美月、そして最後にナギと続き……いや、と中にいた三人は目を見開く。
さらにその背後に、まだ人影が居た。
それも、特徴的な
そして、その先頭に居る男子に、達也は非常に見覚えがあったのだ。
180cmに僅かに届かない、高校一年にしては高めの身長。
肩幅は広く、しかし細くしまった筋肉と長めの脚、何よりも整った顔立ちで威圧感はあまりない。むしろアイドルにでもいそうな、若武者といった野性味と爽やかさが同居した雰囲気を醸し出している。
だが、その雰囲気は日常での話。一度戦場に立てば、敵味方の血を全身に浴びながらも奮戦する、実戦経験済みの魔法師だ。
映像でしか見たことはないが、日本の魔法師の九割は知っているだろうその名は……
「クリムゾンプリンス……一条将輝……!?」
「ああ、少しばかり邪魔するぞ」
今ここに、正史よりも3日早い、強敵との邂逅が成された。