「は、はは……」
口から乾いた笑いが漏れ出て、顔が引き吊る。思わず夢か何かだと思いたくなるが、そんな訳がないのは自分でもよく分かっていた。
そう、分かっていたのだ。今の世界情勢で派遣されてきた掛け値なしの美少女が、ただの通訳なわけがないことは。
それでも、せいぜいお目付役兼護衛なのだと思った。まさかこんなバレバレの諜報員がいるはずがない、と。
——だが、どうやらその認識は甘かったようだ。もしくはよほど舐められているのか。
ここまでの経緯を整理してみよう。
空港を出てから暫くコミューターの中で自己紹介を兼ねた軽い会話をして、彼女の言う『宿泊先』に到着した。そして、絶句した。
彼女の頬を薄らと紅く染めていたのは、ピンク色に輝くライトによるものか、はたまたその場所が示す行為によるものか、あるいはそのどちらともだったか。
……一言で言えば、そこは俗に『ラブホテル』と言われる場所であった。
照れ隠しのためか、かなり早く捲し立てられた彼女の話によると。
なんでも、急な日程変更だったため、彼女に依頼をしたUSNA軍でも十分に警備の整った宿泊施設を抑えることが出来なかったらしい。日本選手団が来れば予定通りのホテルに泊まれるらしいが、それまで一週間以上も間がある。
そこで、彼らはこう考えたそうだ。『中途半端に高いホテルに泊まると逆に目立つ。東海岸は人間主義運動が活発化しているため、住宅街を巻き込みかねないホームステイも出来ない。なら一層の事、絶対に代表選手の泊まらないような宿泊施設に泊まって貰えば逆に安全なのではないか』、と。
絶対に嘘だ。言っている本人も胡散臭げに目を泳がせていた。
誰の目からも分かりやすいほどに別目的でこのホテルに泊まらせようとしているのだが、だがしかし。だからと言って表向きの説明に矛盾があるわけではない。
第一、代表とはいえ一高校生が文句を言える事柄ではない。変えさせるにしても日本政府を通さなくてはならないだろう。それにしても、最低二、三日はここに泊まらざるを得ない。ここは諦めるしかなかった。
なに、要は手を出さず、情報を漏らさなければ良いのだ。
到着直後に説明を受けたところによると、幸いにもリーナが泊まるのは隣室らしい。同室でないのなら夜這いを心配する必要もない、少し気を張っている程度で済むはず……
(そう思っていた時期が、ボクにもありました……)
「だ・か・ら!水道管トラブルで部屋が使えないってどういうことなのよ!?」
ロビーのチェックインカウンターにて、リーナが受付嬢に怒鳴り散らす。それを受けても受付嬢は申し訳なさそうに同じ説明を繰り返すだけだ。
どう見ても、リーナは思いっきり動転していた。これが演技だとしたら、有名な映画コンクールの主演女優賞を総なめできるだろう。
となれば、何も聞かされてないのか、もしくは何か作為的なものか。どちらにせよ、こうも流れが整えられていくと、次の展開も容易に見えてくる。どうせ、大方……
「ナギ、えっと、その……空き部屋がないから、一緒に泊まってくれ、ですって」
「うん、わかってた」
どこまで露骨にテンプレートをなぞれば気がすむのか。
誰ともしれない作戦考案者は、よほど純粋な心の持ち主か、それともよっぽどの大馬鹿者か。
それでも否と返せない状況に追い込むあたりに逆に感心を抱きながら、渋々とナギの首が縦に振られた。
◇ ◇ ◇
「……よし!」
パチンと頬を両手で叩くと、リーナは視線を端末から外し、行動を開始した。
今回の任務、ハニートラップの経験はおろか恋愛経験すらないリーナにとっては鬼門中の鬼門。単独では成功など出来ないことはどう考えても明らかだった。
なので、上層部もサポートを用意していた。統合幕僚本部直属諜報活動部
重度の日本通、特に今世紀初頭のジャパン・コミックに造詣の深い彼女は、ある恋愛漫画に衝撃を受け独自の恋愛理論を確立。その理論を元にネット上で恋愛成就の道への指南サイトを立ち上げたところ、その百発百中ぶりが話題となり、新戦力を欲していた統合幕僚本部にスカウトされたという異色の経歴の持ち主だ。噂に聞くところによると、正式に軍属となってからもその成功率は未だ100%を保っているという。
もっとも、彼女に出来るのはあくまで『ターゲットを恋に落とすまでの展開の構築』だけであり、その先の情報入手は実際に動く本人の技量。とはいえ、その前段階で躓いているリーナにとっては、これ以上ないぐらいの頼もしいサポートと言えた。
(でも、ワタシにも詳細な情報をくれないのはどうかと思うわよ!)
心の中で毒づきながら、リーナはシャツのボタンに手をかける。
直接文句を言ったところで、その恋愛マスターは「リーナは顔に出やすい。自然な演技なんて出来ないだろうから教えなかった」とでも言うのだろう。その場面が手に取るようにわかる。
しかも、そう言われるとリーナに反論はできない。できないのだが、それでも心の準備というものがある。特に、知らされていた予定と違って同室と告げられた時には、口から心臓が出そうだったのだ。愚痴の一つでも言いたくなっても仕方がない。
まあ良い、今は指示通りに動くだけだ。シャワーの音が聞こえるユニットバスの扉に手をかける。
K・Kから送られてきたメール曰く、「ラブホテル→別室と告げられた安心感→トラブルによる同室、と畳み掛けたことによって、彼の心には動揺が出来ている。ここでニホンの伝統芸『お背中お流しします』に成功すれば、高校生男子の四割は獣になるはずだ」とのことである。
全くもって信じられないが、恋愛経験のないリーナには代案が思いつくはずもない。従うしか選択肢がなかった。
「ハイ、ナギ! 失礼するわ——」
「動かないで」
「よ……」
だがその作戦Aは、一番初めから躓いた。
「さてリーナ、どういうことか教えてくれる?」
「え、えーと……お背中お流しします?」
掌に霧状の塊を作り出しこちらに向けるナギの姿(しかも着衣している)を瞳に入れ、哀れな少女の額から一筋の汗が垂れた。
◇ ◇ ◇
やっぱりこの作戦立案者はバカだ。ナギは心の中でそう断言した。
美少女の護衛、ラブホテルで同室。ここまで露骨に来られたら、次に来るのは『お風呂場で混浴』か『ベッドで夜這い』のどちらかなのはすぐ分かる。ナギが警戒しないはずがなかった。
もちろんナギとて健全な高校生男子(?)だ。体に巻きつけすらせず、申し訳程度に胸と腰回りにバスタオルを当てて前を隠している姿に全く興奮しないわけではない。もし仮に、これが真由美相手だったら、少し、理性の壁が危うかったかもしれないだろう。
だが、リーナは今日初めて顔を合わせた少女だ。恋愛関係にもなっていないどころか友人関係を築いて1時間の相手、それも思惑がありありと透けて見える相手の据え膳を遠慮なく受け取るほど、彼は発情した獣ではない。
浴室で遭遇イベントは、完全に予期できぬ事故でない限り、お互いにある程度の信頼があって初めて成り立つ。信用していない人間の前で無防備になることなど、男だろうが女だろうがありえない。
故に、
「え、えっと、ナギ? その煙の玉は何かしら? できれば下げて欲しいかも?」
「
表面上はにこやかに、リーナの問いかけに答える。最後に一言付け足したのは、もし従わないようなら殺傷性のある魔法に切り替えると暗に告げるためだ。
それは、リーナにも伝わったのだろう。その証拠に、頬はヒクつき、冷や汗がダラダラと流れ出している。
「な、ナギ、まずは話しをしましょ! 会話は大切よ!ワタシたちには言葉があるんだから! ね!?」
「ノックもせずに扉を開けた子には、言われたくないかな」
「え、えっと、それはごめんなさい!でもお願いだから話を聞いて!」
「……じゃあ、まずは一つ。ボクのお願いを聞いてもらおうかな?」
「な、何かしら? 助けてくれるのならワタシに出来ることならなんでもするわ! 文字通りなんでも、エッチなことでもマニアックなプレイでも!」
その覚悟を示してか、バサッと前面を覆っていたバスタオルを剥がす。腕が触れたのか、それとも動きによるものか、適度に大きく形の整った乳房がぷるんと跳ねた。
もはや隠すものなど何一つない白い肌には羞恥で薄っすらと朱色が差し、ギュッと目を瞑った顔はより濃く紅が色付き、プルプルと小刻みに震えていた。
「その、まずは服を着よ?」
その呟きが耳に入った瞬間、リーナは恐る恐る目を開いた。
ナギの頬は湧き上がってくる扇情的で背徳的な興奮に赤みを増し、その視線はバツが悪そうに、引きつけられそうになるのを堪えるかの如く逸らされている。
そして。一拍置き、耳まで真っ赤に染まったリーナが頷いた。
◇ ◇ ◇
「じゃあ教えてくれる? なんであんなことをしたのか」
15分後、再び服を着たリーナと元から服を着ていたナギは、ピンク色のカバーが掛けられたダブルサイズベッドの上で向き合っていた。
ナギの顔にはもう先ほどの赤色は消えているが、リーナはまだ真っ赤だった。しかも今の言葉で己の痴態を思い出したのか、さらに赤くなる。『あれじゃあ完璧に単なる変態じゃない』と俯き、穴があったら入りたい気持ちで視線を落としていた。
しかし、このままだんまりという訳にもいくまい。ナギは狙われた側だ。取り押さえられた以上、どんな手を使っても逆に情報を入手しようとするだろう。
なら逃げ出すか抵抗する……というのも出来ない。服は着るよう促されたが、流石にCADを持つことは許されなかった。いくら発動速度に定評のあるリーナとはいえ、CADなしの同条件ではナギに遠く及ばない。
状況的に、このまま逃げ切ることは不可能だった。
覚悟を決め、キッと視線を上げる。
そして、真剣な面持ちでこちらを見つめる少年と視線を合わせ、リーナは口を開いた。
「う」
「う?」
「うわぁぁああんッ!!!!」
「……ええっ!?」
泣いた。嘘泣きではなくかなりガチで泣いた。
「なんでよ!?スエゼン食わぬは男の恥なんでしょ!?自分で言うのもアレだけどスタイルには自信あったのよ!?さっき粉々に打ち砕かれたけどねッ!!」
「え、あの……」
「初めてだから!? 経験ない処女は面倒くさくて抱けないって!?ええそうよ、エッチはおろか同い年の男の子に裸を見せたことすらなかった面倒な女ですよぉッ!! 」
「いや、別にそんなんじゃ……」
ドバドバと溢れ出す本音、ついでに涙腺も決壊した。もはや口調すら乱れている、というか若干の幼児退行もしているかもしれない。
ナギもどうしていいのか分からずオロオロしているのだが、一度
「だいたい何よ!?こっぱずかしい思いしてハダカ見られて!そんな思いして尋問されるってワタシがツライだけじゃない!? だから嫌だったのよハニートラップなんてぇ〜〜〜!!」
「へ、へぇ……」
「ぐずっ、初めてはぁ、好きになった人にあげるつもりだったのにぃ……それでも覚悟を決めてヘンタイみたいな格好して突撃しても手を出されすらしないなんてなんなのよぉ〜……」
「いや、だって、ねぇ?」
もちろんコレは作戦の一環だ。……99.9%は本音でもあるが。
『ターゲットは紳士的な性格だ。万が一バレても泣き落とせば情報を得られるかもしれない、少なくとも同情は買えるだろう』とはK・Kの弁。つまり、色仕掛けが失敗して捕らえられた時のための保険である。作戦立案に関わっていないリーナには本当のところはわからないが、これがあるから積極的に攻めたというのもあるのだろう。
ということで、任務の指示という大義名分を与えられたリーナは、今まで溜め込んだ鬱憤を吐き出すように泣き叫ぶ。
その姿は演技でもなんでもなく、本気で思っていたことを涙とともに吐き出しているだけだ。どんな観察眼や異能力を持っていても、いや、持っていた方が嘘だとは思わないだろう。実際に、嘘ではないのだから。
「だいたい何でワタシなのよぉ、他にもいい人はいるでしょぉ命令するならぁ……」
「えっと、誰に命令されたの?」
「統合参謀本部に勤めてる知り合いの大佐……そんなの断れるわけないじゃない!ワタシだってアメリカ人よ!? 断ったら犯罪になるんだからぁっ!!」
「うん分かったから。辛かったよね」
「そう思うなら何か成果をちょうだいよ!エッチはしなくてもいいから、ナギの魔法を教えてくれるだけでいいからぁ……」
「そ、それは……」
そして、分析通り、その様子にナギはかなり揺さぶられていた。
魔物も英雄も、総じて身内には甘い。さらに言えば、エヴァンジェリン師弟は敵じゃなければ基本甘い。リーナが『諜報員』のままだと永遠に情報を漏らすことはなかっただろうが、すでにナギの認識では『無理やり命令された少女』だ、"敵"のカテゴリーからは外れてしまっている。
加えて、「もうお嫁にいけない」だの「ここまでお膳立てされて失敗したなんて言えないわよぉ」だの、無自覚にリーナが突っ込んでくる台詞にゴリゴリ何かが削られている。しかも感情も糧にする魔物の性質のせいで、それが本音だと分かるのが
「う、ううーん……」
「ううぅ……ぐずっ、お願いよぉ」
「……少し考えさせて。ちょっと、すぐには決められない、かな」
Noとは、言えなかった。
少なくとも、今、このタイミングでは。
「それって、おしえてくれるってことなの……?」
「断言はできないけど、考えてみるよ」
すでにこの時点で、今まで接触してきた日本の諜報員よりも優れた回答を引き出すことに成功している。
げに恐るべきは、こうなることを予測したK・Kの才能か。それとも溜め込んだ本音を吐き出しただけで動かしたリーナの天性の才か。
どちらにせよ、初日の成果としては上々すぎる。もともと失敗の可能性が非常に高い作戦だったのだ、成功の可能性が出てきただけで十二分に好転したと言えるだろう。リーナは涙をぬぐいながらも、コクンと小さく頷いた。
「……ね、ナギ。お願いがあるんだけど」
「なに?」
「愚痴、聞いてくれる?」
もうここまで来たら、吐き出せるものを吐き出してしまいたいのだろう。恥ずかしげに、申し訳なさそうに上目遣いで見上げている。
ナギはその瞳を、遠い思い出に浸るような目で、まっすぐ見つめていた。
きっと、リーナにも何らかの立場があるはずだ。じゃないとこんな任務には選ばれない。
彼女は今まで、それに相応しくあろうとして、自分を強く見せようとして、感情を押し殺して来たのだろう。それが、どんなに苦しくとも。"
——弱い自分は、"自分"を知っている身内には明かせず。
——弱い自分は、"自分"を知らない他人には明かせない。
そうやって今まで、発散することが出来なかったであろう、積み重なった感情。彼女の心を縛り付けていた、彼女にとっての《闇》。
それを話したいと言われ、ナギは笑顔で答えた。
偶々でも、誰かの策略で出会った間柄でも。
自分が、それを発散できる『"リーナ"を知っている
「もちろん。何でも話してよ」
その行動に、前世の後悔がないとは言えない。
彼は教師だった。だがしかし、生徒よりも年下の、頼りない子供だった。
いくら力はあっても。いくら知恵はあっても。教師としての、頼りになるような安心感が足りなかった。
その短い教師人生の中で、自発的に彼に悩みを打ち明ける生徒は
そんな自分が、今
それが、彼には嬉しくてたまらなかった。泣きたくなるほどに、誇らしかった。
「じゃあ、その前に……」
これからはリーナのプライベートな話。これ以上は、もう必要ないだろう。
ナギは腕を軽く振ってから、姿勢を正してリーナと向き合う。リーナも、ナギへとまっすぐ視線を向ける。
二人だけの会話が始まった。
◇ ◇ ◇
「……盗聴器、四つ全て通信が途絶えました。破壊されたものかと」
「隠しカメラも同じく」
「そうか」
リーナは知らなかった、というより嘘の情報を握らされていたのだが、彼らが泊まる部屋は当然のことながら監視の目が光っていた。
これには、二つの理由がある。
一つ。ナギが情報を話した後、リーナに精神干渉系魔法をかけて他言できないようにした時のための保険。
系統外魔法『
そして、もう一つは——
「でも上層部も疑り深いっスねー、シリウス少佐が反抗した時のために弱みを握ろうなんて」
耳を澄ませる必要がなくなった反動だろう。腕はいいが軽いことで有名な諜報員が口を開く。
そう。それが今回、リーナが選ばれた裏の理由の
「仕方がないでしょう? 少佐は今現在、USNAでは単独戦力では最強です。造反者を取り締まる側がゆえに、造反の意思を持つようになる可能性も人一倍高い。保険はいくらあっても足りないでしょう」
コンビを組んで長年の付き合いから、男の口調を咎めるのは諦めたのだろう。吊り目の委員長のような女性隊員も、砂嵐を映す画面から視線を外し、眉間を揉みながら後に続いた。
「そうなんスけどね〜、でも煽りすぎなのは間違いないっしょ。お上のお偉い様は
「それは、まあ、確かにちょっとやりすぎな気もしますが……」
今回の作戦は、二つの段階に分かれている。
まず第一段階。分かりやすすぎるほど雰囲気を煽りつつ、リーナに突撃させる。
そして第二段階。第一段階の失敗を受け、泣き落としでナギの罪悪感を揺さぶる作戦である。
想定されているパターンは、全部で五つ。
まずパターンA。第一段階で成功し、リーナが
これはほぼあり得ないと予想され、事実その通りとなった。正直、このシナリオでハニートラップが普通に成功するとは思えないし、そもそも成功を前提にしていない。
それでも、もし仮にここで堕ちたとしても、それはターゲットが肉欲に弱いか状況判断に疎い証左。ハニートラップの高確率での成功を意味している、デメリットはない。
次にパターンB。第一段階の失敗の可能性の一つ、風呂場に突撃したリーナが過剰な反撃により重傷、もしくは殺害された場合。この可能性も既になくなった。
この可能性が現実となった場合は、ターゲットを拘束する大義名分となる。たとえ彼が無実を訴えようとも、ここはUSNA国内。いくらでも証拠は捏造でき、100%過失を押し付けられる。
戦略級魔法師の死去は無視できないデメリットだが、それを交渉カードに日本からいくらでも譲歩を引き出せるだろう。その交渉の結果にもよるが、確保したターゲットの魔法の解析・実戦配備を加味すれば差し引きゼロぐらいにはなるはずだ。
パターンCは、第二段階の
成功すれば有用な情報が手に入り、万が一情報が得られなかったとしてもリーナとの間にコネクションは残る。日本の有力な魔法師との関係はなかなか得られるものではない、値千金の価値は十分にある。
罪悪感に漬け込んだような悪質ともいえる手口だが、諜報も戦争。核や虐殺、陵辱などのように余程道を外れない限りは、手法に道徳は言っていられないのが戦争だ。
パターンDは、第二段階『泣き落とし』の失敗である。
これもパターンAと同様、低確率だと推測された。日本の諜報員が手に入れた
とはいえ、仮にこのパターンだったとしても、メリットはないがデメリットもない。日本政府からの小言など、実害が出てない以上はどうにでもなる範囲だ。
そして最後、パターンE。五つ目にして最悪の可能性。
それは、第二段階が
どちらにとっても過度な煽りも、リーナにもナギへと好意を抱かせるようなシナリオも、全てはこの可能性を
利点としては、『シリウス』の忠誠心を試せること。恋愛程度で亡命するような人間に、USNA軍最強の魔法師は任せれない。特にリーナは日本のクォーターであり、一部の上層部からはその愛国心に猜疑的な目線を向けられている。その疑惑を払拭させる、もしくはそれを証明するために、
とはいえ、この想定が現実のものになると大変まずいことになる。そのメリットが、戦略級魔法師『アンジー・シリウス』を失い、なおかつ日本からの利益も得られないというデメリットにまるで釣り合わないのだ。亡命に成功され、日本に所属されたりしたらなおさらである。
一応、
しかし、何事にも予想外の例外はある。過信してばかりはいられない。
口調の軽い男性隊員も、吊り目の女性士官も、それを考えての発言だったのだろう。この場のほぼ全員には分かった、彼らも同じ懸念を抱いていたのだから。
「大丈夫だ。この程度のイベントで、そこまで強いフラグは立たない」
だがしかし。一人だけ、それに異を唱える声があった。その場の人間全員の視線が、話に割り込んだ声の持ち主に集中する。
男のような口調の女性は、この時代には珍しく眼鏡をかけている。しかし、それには度が入っていなく、少女にも見える女性が霊視放射光過敏症というわけでもない。単なるファッションアイテムらしい。
しかし、見た目などどうでも良い。この場で彼女を説明するにあたり、情報は1つでいいだろう。
——彼女が今回の作戦シナリオの考案者、
「K・K、どういうことっスか?」
「シリウス少佐は、ポンコツ属性持ちだが真面目キャラだからな。『職務を放り出して逃げ出したら、今まで処断してきた彼らが浮かばれない』とでも思って、亡命を思いついても動けないだろうさ。アレは間違いなく、相思相愛になったとしても遠距離恋愛になるタイプだ」
そう言われて、リーナを直接知っている何人かが首を縦に振った。その姿を容易に想像できたのだろう。
まあ、とK・Kは腕を頭を後ろに組み、背もたれにもたれながら話を続けた。
「もっとも、予定外の強いイベントが起きたら話は別だがな。例えば、命を救われたり……程度じゃまだ弱いか。仲間の命も救われた、極論すればUSNAを救ったぐらいのことをされると怪しくなってくる。
あとは、恋心を抱いたまま任務が終了して数ヶ月、想いが募ったところで日本で再会したりするのは要注意だな。そうなったらエンディングまで秒読み状態だ」
「流石にそれはないと思いますが……。前者だと我々に取っても英雄です、シリウス少佐との恋愛も認めざるを得ないですし」
極端な例を挙げただけだ、とK・Kは委員長(仮称)の指摘に答えた。
そして、電力の無駄だからと電源を落とされた画面を見て、先ほどまでそこに映っていた少女を思って、「まあでも」と口を開いた。
「
今度こそ、全員の頭の動きが一致した。
—◇■◇■◇—
そんな会話が行われているとは露ほども知らず。
二人だけの一方的な会話は、誰に邪魔されることなく続いていく。
リーナは、ゆっくりと言葉を紡ぐ。
シリウスやスターズなどの機密事項は伏せて。それでも熟成された自身の闇を、思いの丈を切り崩すように。
ナギは、静かに話を聞く。
何かを隠していることに気が付きながら。かつての仲間たちにして貰ったように、少しでも支えられるように。
カチコチと、時計の針が1つ目の数字を越しても、話し声は響いていた。
低く多言に、不満を零す少女の声と、相槌を挟み適度に問いかける少年の声。
カチコチと、時計の針が2つ目の数字を越しても、まだ話し声は続いていた。
険が取れ、少しだけ柔らかくなった少女の声と、時折自分について語る少年の声。
カチコチと、時計の針が3つ目の数字を越しても、まだまだ話し声は交わされていた。
しょうもない話や周囲で起きた話をネタに湧き上がる、少女と少年の笑い声。
そして、短針が4つ目の数字を指し示す頃。
その部屋には、二つの規則正しい息の音と、時計の針の音だけがあったという。
今日の星座
さそり座は夏の星座で、全天21の一等星のうち16番目に明るいアンタレス(和名:赤星)を有しています。その名の通り赤い星と思われがちですが、実は2つの星が重なっていて見えていて、手前にある明るいアンタレスAが赤く、奥の五等星アンタレスBは青白いそうです。
諸説ありますが、さそり座の蠍は、女神アルテミスの恋人の英雄オリオンを刺し殺したことで天に昇ったと言われています。アルテミスは処女神で狩猟の女神。そんな彼女を射止めたオリオンは、それはそれは大変にモテたと伝えられています。
モテるという点では、数々の女性を