どうもお久しぶりです。
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………………………………遅れてすいませんでしたぁああああああああああああああ!!
「く、はははははッ!!」
「くうっ!?」
審判権限が発動する少し前、地上より遥か上空1000メートル地点。地上の騒乱も影響を及ぼさぬ高空で大気の層を突き破る程の拳を交わし合う二つの人影があった。
片や心底愉快そうに口の端を吊り上げ高らかに哄笑を上げながら、もう一方は苦悶に端正な顔を歪め苦痛に満ちた呻き声を漏らしながらぶつかり合っていた。
「真っ直ぐ攻撃するだけじゃなくフェイントも使え! イノシシじゃねえんだからもっと柔軟に攻めてこい!!」
「うぐっ!?」
フェイントの基本とも言える顔面を狙うかの様に見せかけて鳩尾に向かって放たれた拳。それを鈴香はギリギリで受け止めるが咄嗟の事だった為に満足に威力を殺せず吹き飛ばされた。あわや境界壁に激突する寸前で体勢を立て直す事が出来た鈴香は微塵も隙を見せぬように神経を極限まで研ぎ澄ませながらルフを睨みつけた。
戦闘開始から五分と少々。お互いに攻撃を受け流し、いなし、致命傷や有効打を避け続けているものの、パワー、スピード、テクニック全てにおいて鈴香の上を行くルフ。鈴香は刹那でも気を抜けば自分の命を奪い去るであろう攻撃を辛うじて凌いでいた。
「おいおいこんなもんか。こんなんじゃ期待はずれも良いとこだぞ?」
「舐めるなッ!!」
ルフがため息混じりに口に出した挑発とも取れそうな言葉に鈴香は手足に妖気を纏わせると、瞬時に懐に潜り込んで一気に攻め立てる。鈴香の手足から放たれる一撃一撃は並の者であれば即座に沈め得る程なのだが生憎とこの男は並の有象無象とは次元が違っていた。
「はははははははッ!! 良いぞ! それで良い!!」
現にルフは高らかに笑いながら己に向かって繰り出される拳打、蹴打、肘打ち、膝蹴り、鈴香の四肢より放たれる必殺の意思を込めた連撃を腕でいなし、手を添えて逸らし、時には真正面から打ち合わせて弾いていく。怒濤の連撃を繰り出す鈴香の四肢に纏わせている妖気が己の手足を防御の上から揺さぶり、強烈な酸に漬け込んだかの様に焼き焦がすがルフは気にも留めない。いや、それどころか笑みをより深くして迎え撃っていた。
そして怒涛の連撃の最終打。一際力の込めて繰り出された一撃を両腕で受け止めたルフ。じゅわりと腕を焼きながら
「ふう…………なかなか良い攻撃だ。今度はこっちから行くぞ?」
攻守交代。ルフは拳を固く握り込みながら楽しそうに笑う。
ああ、これほどまでに骨のある相手はいつ振りだったか。先程この猫又を殴り飛ばした一撃も耐えられた者はここしばらくは居なかった。
なのに目の前の少女と来たらどうだ。戦闘不能寸前のダメージを負いながらも体勢をすぐさまに整え、即座に反撃までしてきたのだ。しかも現在の自分の力では敵わない事を理解しながら。
仲間の為に。
魔王に抗う為に。
そして勝つために。
そうだ。それで良い。知恵を絞り、武勇を尽くし、そして揺るがぬ誇りをもって我が身を貫く剣と為れ。
六桁、いやこの猫又が所属しているのは七桁のコミュニティだったか。所詮は下層の取るに足らない有象無象だけだと侮っていたのに実際はどうだ。深手を負い窮地に立たされてなお虎視眈々と己の喉元を引き裂こうと迫ってくるではないか。
全く、これほどの者が更に研鑽を積み、見識を広め、経験を重ねていけば一体どれほどの強者になるのか。そう考えるだけでこの身は歓喜に震える。
───さあ、今度はもっと上手く避けろよ? そして次はオレに何を見せてくれるんだ?
ルフはにこやかに言うと同時に、音を置き去りにしながら鈴香に肉薄した。
(ったく、聞いてないわよこんなのがいるなんて!)
肉薄してきたルフが繰り出す拳を同じ徹を踏まぬ様に辛うじていなす鈴香。卓越した技量で十二分に力を受け流した筈だが、それでもなお鈴香の腕は衝撃に揺さぶられ、逃しきれなかったダメージが鈴香を襲う。
サウザンドアイズの幹部はこれほどの強敵が来ることを予見していたと言うのなら随分と性根が悪い。サウザンドアイズが白夜叉を新たな階層支配者諸共切り捨てたのかと一瞬疑ったくらいだ。
(全く見通しが甘かった! 偉そうに言っておきながらこの体たらくとはね!)
敵の実力は軽く見積もって五桁クラス、いや楽観は止めよう。この男の力は間違いなく四桁相当だ。これは言うまでもなく六桁のサラマンドラ、ひいては鈴香自身の手にも余る敵であろう。此度の祭典の共同主催者である白夜叉が無力化されてさえいなければどうとでもなったのだろうが、頼りとすべき白夜叉は封じられ見動きが取れない以上、状況は想定より遥かに悪かった。
「くっ…………」
「まだまだ行くぞ!」
先程鈴香が繰り出した連撃に対する意趣返しだろうか、ルフは四肢を用いて鈴香以上の苛烈な連撃を以って襲いかかる。対する鈴香は両腕に妖気を柔らかく纏わせて威力を削ぎつつ受け止めていく。これにより纏わせた妖気で防御しつつ攻撃部位を焼いていくという攻性防御としての役割は望めなくなったものの、鈴香への負担は大幅に軽減された。
「ハッ! 少しは考えたじゃねえか!」
「ぐっ…………」
しかし負担は減っても連撃の手が緩むわけでもなく、むしろより密度の増したルフの猛攻に依然として鈴香は防戦一方の戦いを強いられていた。
鈴香は反撃に移る為の隙を探すものの、攻撃の密度が非常に濃い為になかなか機会がない状況だ。
(つっ…………)
そして鈴香にとって最悪とも言える悪条件がもう一つ。それは邂逅の際、腹部に受けた拳撃のダメージがあまりにも大きかった事である。そのダメージは内臓に甚大な損傷をもたらしており、彼女の全力での戦闘行為をこの上なく阻害していた。そのダメージ足るや僅かにでも気を抜けば意識を一気に持っていかれる程で、鈴香は自身の唇を噛み切る事で辛うじて意識を繋ぎ止めている程である。
近接戦闘はあまりにも分が悪いと悟った鈴香は、身に纏っていた妖気を炸裂させてルフから半ば強引に距離を開けた。近接攻撃を除く鈴香の手札は妖術のみ。
「回れ!火車ッ!!」
鈴香の手によって生み出された炎の車輪はルフに向かって真っ直ぐに飛んでいき凄まじい熱量を撒き散らしながら飲み込んだ。
並の者ならこれで燃え尽きる所なのだが生憎と目の前の男は並のそれではない。
「温い。この程度の炎なんて数えるのも億劫なほど食らってきた」
煌々と燃え盛る火焔の内よりルフの呟きが聞こえた次の瞬間、ルフを燃やし尽くさんと包み込んでいた炎が腕の一振りと共にあっけなく散らし尽くされた。
「チッ…………焼け! 滅ぼせ! 煉獄・三千世界!!」
ならば更に高火力の炎を放とうと膨大な妖気を練り上げ、頭上に掲げた手に巨大な炎塊を作り出す鈴香。先の一撃とは比肩するのも烏滸がましい熱量を内包した炎塊はさながら太陽の如く。火力面では最大級、まごう事無き鈴香の切り札一枚とも言える技である。
「食らいなさいッ!!」
そして放たれた鈴香の切り札は
「技が大味過ぎる」
ルフに呆気なく躱された。
「覚えとけよ小娘。炎ってのはな、規模がデカければデカイほど自分の視界を塞ぐんだよ。ただ闇雲に火力を上げてもそれは自分自身を窮地に追いやる事と何も変わらねえ」
膨大な熱量を撒き散らしながら迫りくる炎塊を躱し、鈴香の懐に潜り込んだルフは先程までの獰猛な笑みを消して隠しようのない失望感と共に拳を握り込む。
「はぁ…………もう少し楽しめると思ったんだが期待外れだったか?」
「がふっ……」
そしてルフは大技を放った事で妖気を目減りさせ満足に防御が出来ない鈴香の腹部に今まで保っていた均衡を崩すに足る致命打を叩き込んだ。元々初撃の影響により辛うじて意識を保っていた鈴香は口から大量の血液を零す。
「ったく、これなら最初に打ち込むんじゃなかったか? ああでもそれじゃあオレがコイツに興味なんぞ抱かなかっただろうし…………ホント、儘ならねえ…………ッ!?」
鈴香に有効打を与えて戦闘不能に追い込んだルフは至極つまらなそう口を開いた瞬間、彼の肩口から脇腹にかけて一直線に大きな裂傷が走った。裂傷から夥しい量の血液が流れる中、鈴香を見やれば彼女の指先には一尺程の妖気の刃が作られていた。
「…………さっきのは訂正だ。まさか防御を捨ててオレに一撃を入れるとはな」
「ゆ、だんの…………しす、ぎ……よ…………」
「ああ、言葉もねえよ」
そう言いながら拳を振り抜き鈴香を境界壁に叩きつけたルフ。既に気を失いかけている鈴香は受け身を取ることすら叶わずにその身を境界壁にめり込ませる事となった。
「ぅ、ぁ…………」
「呆れた頑丈さだな」
境界壁に叩きつけられたにも関わらず意識だけは繋ぎ止めているものの当然戦闘が出来るような状態ではない。鈴香は朦朧とする意識の中、僅かに呻くだけである。
「無理に苦しめるのは趣味じゃねえ。今、楽にしてやる」
せめてもの手向けだと呟くとルフは鈴香に止めを刺す為にゆっくり拳を握り込む。
そして鈴香に拳を叩き込もうと腕を振りかぶった瞬間
遠方より放たれた一本の矢がルフの腕を貫いた。
「チッ、新手か!」
不意打ちを受けたルフは刹那程の間も置かずに警戒レベルを最大まで引き上げた。それに伴い一先ず瀕死の鈴香よりも新手を優先すべきと思い、先の一撃から弾道及び射角を探り始める。
狙撃手は気配を絶って近辺に潜んでいるか意識的に探らねば特定出来ない距離に居るかのどちらか。しかし上空1000メートル地点を狙える場所は限られてくる。それこそ境界門を司るといった特殊なギフトを使わずに地上から狙うというのは非現実的と言える。
(なら一番可能性が高いのは…………)
神経を研ぎ澄ませながら思案に耽るルフに放たれる第二射。先程は不意打ちという事もあり腕を撃ち抜かれるという失態を見せたが、今度は危なげなく音速で飛来する矢を掴み取った。
「時計塔、か」
ルフは飛来した矢を一瞥すると眼下の時計塔を見やる。ルフの視線の先、半壊した時計塔の上には六尺以上の大きさの大弓を構えぎりぎりと弦を引き絞るサウザンドアイズの女性店員でお馴染みの楠葉の姿があった。
そして第二射を掴み取られた事にも微塵も動揺した様子は無く、ルフの心臓目掛けて第三の矢が放たれた。
「なるほど? なかなか期待出来る奴がまだいるじゃねえか」
第三の矢を半身になる事で躱しながらルフは狙撃手に対して大いに関心した。
狙撃手というのは往々にして自分の技量に多かれ少なかれ自信を持つ生き物だ。いや、むしろ持たねば狙撃手足り得ない部分すらあると言える。当然だ。自分の腕を信じられずして狙撃手など務まるはずもない。
自身の位置が特定されぬように常に細心の注意を払い、如何なる時も一撃必殺を心得なければならない彼らは必然的に己の技量を精神の支柱にする。そんな彼等が必殺のタイミングにおいて標的を仕留め損なうというのは、精神の支柱を崩される事にも繋がりかねないのだ。
そしてそれはルフに攻撃を加えた楠葉も決して例外ではない。しかし楠葉は心の乱れを強靭な意志でねじ伏せてルフに向かって矢を番えているのである。
「っと、今のはあぶねえ」
しかもその相手が尋常を超える力を持っているというのであればルフの沈んでいた心根が再び高揚するのも無理からぬ事だった。ルフの瞳に隠しきれぬ歓喜が窺えるのがいい証拠だ。
「さあ、そろそろこっちからも行くぞ」
いい加減狙われ続ける事に煩わしさを感じたのか、飛来した矢を掴み取ると楠葉に向かって猛烈な速度で近づく。その間にも数本の矢が射掛けられるが掴み取った矢で全て打ち払った。
「…………流石、魔王に与するだけあって並ではない。弓矢程度では役に立ちませんか」
楠葉は幾度となく矢を放つも初撃を除いて命中打は無し。楠葉は使用している武器が通用しないと悟ると迷う事なく弓と矢筒をギフトカードにしまい込み、今度は薙刀を取り出す。
「良い判断、だッ!!」
拳撃の範囲内にまで接近したルフは楠葉に向かって鈴香を沈めた拳を振るう。万全とは程遠かったとはいえ、人間よりも遥かに強靭な肉体を持つ妖怪の、それも大妖怪に属する鈴香を沈める程の攻撃を人の身で耐えられる筈などありはしない。
「脆弱極まる人の身なれど、あまり舐めてもらっては困ります」
楠葉は己にとって必殺となり得る攻撃にも臆する事なく薙刀で受け流す。不壊のギフトが付与されているのか、薙刀はギシギシと音を軋ませるものの破損する様子は無い。
巨岩すら砂細工の如く破壊するであろう攻撃を卓越した技量を持って最小限の威力で凌ぐ楠葉。次々と振るわれる拳を受け流しながら内心で唇を噛む。
(…………ッ、分かってはいましたがやはり私の手には余る相手ですね)
如何に並から抜きん出た技量があっても種族上、霊格上の強度はどう見ても相手が上。このまま戦い続ければ楠葉は五分と保たずに敗れ去るだろう。
(しかしそれは想定済みの事。まだやりようはある)
鈴香とルフが繰り広げていた上空での戦いを観察していた楠葉はもし自分が戦う事になれば、辛うじて食い下がる事は出来ても勝つ事は不可能だと判断していた。まあ、あくまで
現に楠葉は周囲に幾つかの仕込みを施していた。
(それを活かすタイミングさえあれば…………)
内心でそう嘯く楠葉はポーカーフェイスを保ったままにルフの攻撃を受け流していく。楠葉は表情にこそ出さないものの、着々と積み重なるダメージを前に焦燥感を募らせる。楠葉はルフから一撃でも貰えば即死してもおかしくはないのだ、僅かなミスも許されない極限にまで高められた緊張感は楠葉から確実に集中力を削いでいた。
戦闘開始初期こそ確実に躱せていた攻撃も時が経つに連れ受け流しきれない事が増えて来た頃、楠葉は歯を食い縛りながら耐え続ける。不壊の恩恵の甲斐あって武器こそ無事ではあるが、それを扱うのはあくまで人の手である以上、均衡はいつ崩れてもおかしくはない。
「ッ!? しまっ……」
「残念だったな。人間にしてはよく鍛えてるし、この緊張感でよく保った方だよ」
絶妙なタイミングに繰り出されたフェイントに呼吸を乱された楠葉は手にしていた薙刀をルフに弾き飛ばされた。得物を失った楠葉にはもはや打つ手無しと見たルフは彼女の心臓を貰い受けんと手刀を伸ばす。
このまま為す術無く心臓を貫かれるかと思われた瞬間、楠葉の目つきが鋭さを増した。
「『起動』」
「何ッ!?」
楠葉がそう呟くと周囲に散らばっていた瓦礫が勢い良く飛び出し、その全てがルフに向かって殺到した。
これが楠葉が周囲に施していた仕込みの一つ。効果は単純なもので狙った相手に術式を刻んだ物体を飛ばすというものだ。
「こんな子供だましが通じるかッ!!」
ああ、舐めた真似をする。こんな石ころ如きが自分に通じると本気で思っているなら興醒めも良い所だ。ルフは頭に血を昇らせながら、しかし未だ冷静さが残っている思考でそんな事を思う。
そしてルフが殺到する瓦礫を残らず叩き落とそうと腕を振るった瞬間
「『炸裂』」
「うおっ!?」
飛来した瓦礫が一斉に破裂した。砕け散った瓦礫は大量の粉塵となってルフの視界を塞ぐ。
「『拘束』」
巻き起こった粉塵により視界の利かないルフの足元から間髪入れずに数本の鎖が飛び出して瞬く間にルフの全身に絡みついた。
「クソが! しゃらくせえんだよ!!」
それなりの耐久性を持った鎖の様だがルフを縛り続けるには強度が足りないようで、ルフは鬱陶しく絡みついた鎖を一息に引き千切る。
「どうした!! 小細工はもう終わりか!!」
先程までの嬉々とした笑顔はとうに消え失せ、つまらない小細工に付き合わされたルフは怒りの形相で叫ぶ。そんなルフの足元に小太刀が、正確には足元に散乱している引き千切られた鎖目掛けて小太刀が投げ込まれた。
小太刀が鎖と接触し、カキンと甲高い金属音とともに火花が飛び散った直後、ルフを中心として大爆発が起こった。所謂“粉塵爆発”である。楠葉は周囲に爆薬も仕込んでいたようで、途轍もない爆発がルフを包み込んでいた。
「────舐めるなっつってんだろうが!!!」
「うぐぅっ……」
大爆発に包まれてなお傷を負うことはなかったルフは爆発により生じた煙を振り払うと同時に楠葉に肉迫すると首元を掴んで壁に叩きつけた。
「ぐっ…………ええ……私も貴方が、うっ……この程度の爆発で……やられるとは思ってません…………」
壁に叩きつけられた楠葉は全身をくまなく揺さぶる衝撃に息を詰まらせる。頭部から血を流しながら、進退窮まった以上悪あがきは止めだと楠葉は力を拔いた。
「随分と賢しい知恵を使ったみたいだが二度目は無え。ここで潰す」
「…………悔しいですが、やはり私には……荷が、重かったみたいですね……なので…………」
「────後は……貴女に、任せるわ…………
────ドスッ
「無茶を言ってくれるわね。こっちも限界なのよ?」
「っ、テメェ……まだ、動けたのか」
ズブリとルフの背中から突き抜ける形で腹部から刀身が顔を覗かせる。刀身にはしっかりと妖気が込められているようで傷口から焼きごてを当てたような音と共に薄く煙を立ち上らせていた。
刀を突き立てたのは先程ルフに戦闘不能にまで追い詰められ、瀕死のはずの鈴香である。
「そこの楠葉のお陰でね。でももう限界、痛みで足なんて動かないし血が足りなくて力だってほとんど入らないわ」
そう言うとカクンと糸の切れたからくり人形の様に座り込む鈴香。その様子を見るに虚言やはったりではなく本当に立つだけの力すら残っていない様だ。
「そうか、お前は仙術も使ってたな。こいつが足止めしてる間に回復に努めてたって事か」
「…………ええ……上手く行くかは………賭け、でしたが…………」
「だがオレを殺すにはまだ足りねえ。お前等はもう限界である以上」
ルフは自身を貫いている刀を引き抜くとその刀を座り込んでいる鈴香に向ける。貫通する形で刺さっていた刀を引き抜いたので、腹部から少なくない量の血が噴き出す。しかし特に気に留めた様子も無く、あくまで視線は鈴香に定めたままである。
楠葉はこのまま鈴香を殺らせまいと動こうとするが全身を襲う痛みに身じろぐ事しか出来ない。そんな楠葉を後目に冷たく光を反射する刃が鈴香の首筋に添えられるが鈴香も立つことさえ儘ならなくては抵抗も出来ない。
「────この勝負はオレの勝ちだ」
「くっ…………」
「さて、これで生殺与奪はオレ次第となったわけだがお前等をこのまま殺すのは少しばかり惜しい。元の場所からこっちに鞍替えする気はあるか?」
「「無い」」
ありきたりな勧誘に熟考する事も無く、即座に突っぱねる鈴香と楠葉。ルフとしても良い返事など期待はしていなかっただろうが、予想通りの返答に深いため息を吐く。まあ気概があると思ったが故にこそ、自分はこいつらに興味を抱いたのだからこんな定例文に靡かれても興醒めも良い所であると思ったルフは潔く諦める。
「…………残念だ」
ルフは静かに呟くとせめてもの慈悲として苦しむことが無いように一太刀で仕留めるつもりで刀を振り上げるた瞬間、
突如として街全体に響き渡った雷鳴に動きを止められた。
「“審判権限”が受理されました! これよりギフトゲーム“The PIED PIPER of HAMELIN”は一時中断し、審議決議を執り行います! プレイヤー側、ホスト側は共に交戦を中止し、速やかに交渉テーブルの準備に移行してください! 繰り返します─────」
「あの月の兎の持つ審判権限か。ったく、命拾いしたな小娘共」
今回の戦闘で悉く画竜点睛を欠いたルフはやれやれと頭を振ると振り上げていた刀を放り捨てるとその場に座り込む。そのまま懐から喫煙パイプを取り出すとご機嫌な様子でそれを咥えた。
「あら、止めは刺さないの?」
「ああ? 馬鹿かテメェは。オレ達がしてんのはゲームであって殺し合いじゃねえんだよ。中断されりゃやめるし再開されれば戦う。そんだけだ」
自分を屠るなら今が絶好の機会にも関わらず、その機会を無造作に放り捨てたルフに鈴香は疑問を投げかけた。吹かした喫煙パイプの煙と共に返ってきた返答は自分達は魔王に連なる無法者だが、それでも領分はプレイヤーなのだと言う至極尤もな答えだった。
「ねえ、なんで貴方はそれだけの強さと確かな意志がありながら魔王に与したの?」
「…………さてな。それを教えてやる義理はねえよ。まあそれでも聞き出したかったらオレを踏ん縛ってから聞くんだな」
鈴香の些か踏み込んだ質問を少々の間と共に黙したルフは、話は終わりだと言外に言いつつパイプを吹かし始めた。その様子を見て納得出来る答えは得られないと悟った鈴香はこの場を立ち去ろうと立ち上がろうとして…………
「そうだったわね…………」
立つことすら儘ならない程に消耗していた事を思い出した。未だ全身は酷い痛みに楠葉は顔をしかめながら、彼女は気のおける友人に一つため息をつくと傍らに歩み寄って手を差し出す。
「仕方ないわね。鈴香、宮殿まで肩を貸すわ」
「…………お願いするわ」
鈴香は自分を助ける余裕なんてないだろうにと苦笑を浮かべながら差し出された手をとった。
そのまま宮殿に戻ろうとこの場を後にする鈴香と楠葉の背を横目で追いながらルフはふぅっと煙を吐き出す。そして誰も居なくなった時計塔の上で一人呟く。
「あー、痛え」
仮にも神霊であるルフはこの程度の傷で死ぬ事は無いものの、やはり体内から焼かれればそれは看過し難い苦痛となる。
うーあーと唸りながら痛みをやり過ごすルフはある事を不意に思い出してピタリと動きを止めた。
「…………そういやマスターは審判権限を初めて経験するんだよな」
あれでなかなか欲深い少女が餌を前に片っ端から条件を呑むような真似をしないと良いがとルフは思う。しかし些か不安ではあるのだろうが本人は至って呑気な様子である。
「まあ此処を乗り切れねえようじゃ復讐なんて夢のまた夢。オレがあれこれ言わなくても切り抜ける程度の根性は見せて貰わねえとな」
元より前線で敵を打ち倒す事こそが己の領分であり、絡め手虚飾も何でもありの権謀術数は領分外である事を自認するルフでも相手の要求を呑み続ける事が危険であると身を以って理解している。しかし身を以って知っているにも関わらずルフは主人を助けようとはしない。
それは自分の主人に対するある種の試練であり
「まあ、お手並み拝見だ。マイマスター」
せいぜい上手くやれと漏らすとルフは再びパイプを吹かし始めた。
それでは皆様、読んでいただきありがとうございました。