大地を穿つ如き轟音の後に灯衛が降り立った世界は青色に染められた日常だった。
「え? 何? ここ」
戸惑い周囲を見回す灯衛は自分のすぐ傍に氷の如く固まった法子と自分自身がいるのに気付く。
「あ、あれ? 何コレ……あ! そっか、これが噂の幽体離脱アプリ!」
「残念。ちょっとちがいまーす」
「ふぇ?」
思わぬツッコミに振り返るとそこにはハロウィンのような魔女の衣装をまとった法子が……否、魔法使いアバターへと身を変えた法子がにこやかな笑顔で立っていた。
ならば自分は、と己の手足を眺めて灯衛はここでやっと自分も某人気ドールハウスの住人のような灰色のネズミの姿になっているのに気付く。
「あー」
得心したような声をあげる灯衛の姿を見回して法子は「かわいー」と小さく声をあげる。
「可愛いネズミさんね。それは灯衛ちゃんが作ったアバターなの?」
「ううん。お母さんのお店で働いてるお姉さんに貰ったの。ほんとはね、ウサギさんの方が良かったんだけど旭が……妹が欲しがったんで我慢しなさいって……」
その時のことを思い出したのか拗ねた表情を浮かべる小さなネズミを魔法使いの少女は優しく抱き寄せる。
「そっか。灯衛ちゃんは偉いね。優しいお姉ちゃんだね」
「……えへへ」
慣れない労いの言葉にはにかむ子ネズミを抱き締めながら小さな魔法使いは優しく言葉を続ける。
「灯衛ちゃん、ここはまだブレイン・バーストのほんの入り口。この先にある世界には唯一貴方だけのアバター……デュエルアバターが灯衛ちゃんを待っているわ」
「あたしだけの?」
「そう。他の誰の為でもない貴方だけのモノ。灯衛ちゃん専用よ」
子を慈しむ母のような眼差しで微笑む少女に小さなネズミは瞳を輝かせて歓喜の声をあげる。
その様子を見て「まずは加速についての説明とお約束を……」と考えていた法子の決心は大きく揺らぐ。
(もっとこの子の笑顔が見たい)
(今すぐこの子を喜ばせたい)
そう願う法子の心は既に一人の母親としての愛に満ちていた。
「じゃあ、もう始めちゃいましょうか? ブレイン・バースト!」
「いいの? お約束は?」
ハイテンションな親バカ魔法使いと違って意外としっかり者な子ネズミが確認を取るが今夜このことを思い出し、ベッドの中で身悶えするであろうほど浮かれた少女は今より開かれる魔女の夜会に心をときめかせるばかりであった。
「後でも大丈夫よ。それに私も早く灯衛ちゃんのデュエルアバターを見たくなっちゃったんですもの!」
一時のテンションに身を任せる様は己の母と似ているな、と灯衛は冷静に分析するが彼女自身もブレイン・バーストを……彼の人、オーラムの居る世界を待ちわびていたのだ反対する理由等ありはしない。
「うんうん。あたしも!」
長く細い尻尾を振り、二つ返事で頷く我が子を見て満足気に頷いた魔法使いは己の仮想デスクトップを子にも見えるように設定しブレイン・バーストの《インストラクション・カード》……通称《インスト》を開く。
「いい? こうやってマッチングリストを開いて対戦者を選ぶの。今、私達はグローバル接続をせずに直結をしているだけだからお互いの名前しか表示されていないけどオンライン状態なら十条近辺でもそれなりの人数が表示されるわ」
(対戦ゲーなんだー)
おおまかなジャンルだけとはいえ謎のゲームの実態に一歩近づき、期待を昂らせつつ灯衛はマッチングリストに表示される2つの名前を注視する。
《ワイン・ブルーム》。そして……《グレイ・シグナル》
「ねぇ、どっちがあたしの名前?」
そう問い掛けるた灯衛の声は虚空に消え入った。我が子の姿を見ることに待ちきれなくなったダメな母魔女によって対戦が開始されたのだ。
デュエルアバターへと転身した灯衛が降り立った地は先程までいた公園……の姿をした鏡の園だった。
樹木や遊具などから足下の砂に至るまでほぼ全ての物がその身に世界を写し出す鏡の如き光
沢を宿す光景に灯衛は息を飲む。
「すごい……」
そのたった一言のみを発し少女は魔鏡の中に魂を吸い込まれたかのように立ち尽くす。
その非現実的で幻想的な光景でありながら現実的な存在感に満ちた世界に感動し心を奪われてしまったのだ。
「すごい」
もう一度、ボキャブラリーの貧困な小学生にとって精一杯の言葉で感動を言い現す。
TOの世界に初めて降り立った時は「すげー!」と叫んでアクティブmobの群れに飛び込んだ、と言えばささやかながら彼女の感動の度合いが伝わるであろうか?
ちなみに。その一部始終を目撃し、リスポーン直後に再びアクティブmobの群れに向けて駆け出す無謀な初心者tomoeを引き留めた紳士こそが彼の人オーラムである。
やがて230秒程ただただ鏡の世界を眺めていた灯衛は視界に広がる幻想的な風景の中に混ざる異質な存在に気付きフラフラとソレに歩み寄る。
「これが……あたしのデュエルアバター?」
そう。
鏡の中に写る灰色の細身なロボットのような存在こそがこの加速世界……ブレイン・バーストにおける高柳灯衛の現し身《グレイ・シグナル》なのだ。
ダークグレイの髪を現実の灯衛のように三つ編みにした小柄な体は身長にして1m30cm程で肌の色はその名の通り灰色をしている。特筆すべきは顔の左半分を隠す半円の仮面と、肘と膝から先の鎧のような手足が全てガラスのような透明な素材で形成されていることだろう。
また、背中には身の丈の7割程の巨大なダークグレイのバインダーを背負い、ライトグレイのビキニアーマーのような貧相な装甲に包まれた起伏のまったく無い胴体の腰の周りには4本の透明なナイフのような物が携えられている。
「ふぇえええ」
眼前に写される自身の姿と視界に見える己の手や体を見比べ、動かし、触れてみて灯衛……いや、シグナルは感心した声を漏らす。
硬く透き通った手足は動かす度にカチリカチリと音をたてるのに生身の体であるかのように触れた物の感触を脳に伝えてくるのだ。
「あはは、面白ーい。……って、あれ?」
不思議な感覚にケラケラと笑うシグナルだったが鏡に写る己の姿を見てやっと自分の顔が無いことに気付く。
只でさえ左半分を透明な仮面に覆われているというのにシグナルの顔は漆黒のバイザーに閉ざされ、表情はおろかおおよその形さえ計れないのだ。
「ん……? でもこれ、どっちかって言うとのっぺら……」
……と、口に出しかけた疑問を頭上から降り注ぐ声が遮る。
「灯衛ちゃーん!」
「?」
振り仰ぐシグナルの視界に在るのはまたしても魔法使い。
ただし先刻と異なるのはその体は生身の人間の物ではなく、シグナルの灰色の素体同様に白い素肌の少女型機械生命体が金の装飾をあつらえたワインレッドのセクシー魔女衣装をまとった上、箒に腰掛けて宙に浮いているという点だが。
「ごめんなさい、灯衛ちゃん。私ったら浮かれてろくに説明もしないで……! え?! まさか玉装!?」
「ふぇ? え? あ、のり……」
空から舞い降り、己の名を呼ぶ魔法使いを法子と判断した灯衛は彼女の名を口に出そうとするがすんでのところでそれを押し留める。
(危ない危ない)
TOにてオーラム達ギルメンに教え込まれた個人情報保護遵守の精神を遺憾なく発揮した灯衛ではあったが冷静に考えて自分も法子もグローバル接続しないオフライン直結状態なのだから見知らぬ第三者が紛れ込む可能性はないことに気付く。
「どうしたの、灯衛ちゃん? 私よ? 法子よ?」
「う、うん。だいじょぶ。TOでゲーム内ではリアルネームとか呼んじゃいけないって教えて貰ったから、あはは」
表情こそ見えないが照れた様子で頭を掻く灰色の我が子に優しく微笑みながら地面に降り立った魔女は心の中で強く両手で己の頬を打つ。
(しっかりしなさい、ワイン・ブルーム! 今日から私がこの子の親になるのよ! 私独りでバカみたいに浮かれていては灯衛ちゃんが……私のシグナルが可哀想じゃない! 今、目の前にいるのは世界にたった1人だけの私の子なのよ。それに比べればジュエル・コート……玉装なんてありふれた強化外装でしかないわ!)
白間法子ことワイン・ブルームはそう心の中で張り叫んで己に渇を入れると我が子グレイ・シグナルの頭に優しく撫で繰る。
「まぁ。うふふ、それは感心ね。良かったわね。初めてのVRMMORPGでの出会いが良い巡り合わせで」
「うん!」
屈託ない様子で頷くシグナルにブルームは「ならばこの世界での我々の出会いも良きモノであって欲しい」と願いつつ、F型アバターの中では平均より少し小さい位の身長の我が子に目線を合わせるために少し膝を屈ませる。
「では、改めて自己紹介をしましょう。この世界での私の名はワイン・ブルーム。《北の魔女》とも呼ばれているわ」
「北の魔女……か、かっこいい!」
「そんな大したものではないのよ……。それに、由来も誇れるものではないしね?」
感激の声を上げる娘に魔女は照れ臭さそうに笑う。僅かの気不味さも含みながら。
「そして貴女はグレイ・シグナル。ほら、あれを見て」
そう言って指し示す先にはどこから伸びているのか鎖によって吊り下ろされた千と三百程の数を刻む4桁ダイヤル式の錠前の様なタイマーとそれを挟んでやはり天より伸びた鎖に吊るされた2つの厳しい装飾を施された旧時代の蛍光灯のようなゲージがそれぞれ青い光を煌々と放っている。そしてそのゲージの下にはこれもまた鎖によって吊るされたプレートにシグナル、そしてブルームの名をそれぞれ刻まれている。
「Gray・SignalにWine・Broom……灰色の信号機? 変な名前ー。ブルームちゃんの葡萄酒の箒の方がファンタジーっぽくてかわいいー」
拗ねる娘に魔女はクスリと笑い、自分が初めて加速した日のことを思い出してもう一度クスリと笑う。可愛いとは言われたが加速世界の住人達にとって己の名前や外見、能力に関しては皆それなりに一家言あるものなのだ。
「実は葡萄酒色の……ワインレッドの箒なんだけど、ね」
「へぇー」
半ば感心したように応え、ブルームを見ると確かにその握られた箒も彼女の衣装同様にワインレッド彩られて……と、ここでシグナルはその法則に気付き再び鏡に向き直り自身の姿を見つめる。
「あー。そーいうことかー」
ダークグレイの髪と灰色の素体にそれを申し訳程度に包むライトグレイのビキニアーマー。透明な手足のにもライトグレイのパーツを囲むようにダークグレイの溝が彫られており、確かにシグナルは透明な部分を除いたほとんどが灰色に染め上げられている。
「色の名前なんだね。グレイとかワインって」
「そう。冠名……名前の頭にゆく言葉にはそのデュエルアバターを成す色や鉱物、現象等の名称が宿されるのよ」
「へー。」
感心しながらシグナルは鏡に写る己の顔を覆う半円の仮面を見つめて「なるほど。確かに信号っぽい」と納得する。
「変わった構成よね。手足そのものが玉装で尚かつそれに似た兵装?……オプションもあるなんて私の知る中でも例がないわ」
魔女はそう言って娘の文字通り透き通る手をとるとしげしげと眺める。
「材質は何かしら? ガラス……それともクリスタル?」
「クリスタルの方がいいなー。ガラスって安っぽくて壊れやすい感じがするもん」
そう言ってシグナルも自身の空いた手を見いる。
もっとも、まだ小学生の彼女らが知る由もないのだがガラスもクリスタル……水晶も同じ二酸化ケイ素で構成されており、2つの違いは結晶化しているか否かだけなのである。
つまり氷と水に例えるならば水晶が氷でガラスが水なのだがガラスが液体という筈もなく、非常に液体に近い固体……のような物らしい。
「ステータス画面で名前を見れば判るかるかもしれないわね。視界の左上に貴方の名前とライフゲージ……青いゲージがあるでしょう? それを触ってみてくれるかしら」
「あ、ほんとだ。全然気付かなかった」
灯台もと暗し。加速世界の美しさに見惚れるあまり視界内のステータスやオプションの確認を怠っていたシグナルは指示された通りに視界内に浮かぶ自身の名前にガラスの破片の如く鋭利な指で触れつつ、己にしか視認できない仮想情報を確認する……が、左上のネーム及びライフゲージ以外はめぼしい物は存在しなかった。強いて言うならば教えられたライフゲージの下に空のゲージとピンク色の短いゲージがある事くらいだろうか。
改めて頭上のレトロな蛍光灯をよく見ると青いゲージの下に光の灯らぬ少し細いゲージがあることに気づくがそこにピンク色のゲージは見当たらない。
(こっちのはなんだろう? 自分にだけ見えるヤツなのかな?)
淡白にそういうものかと納得するとシグナルの視線は3本のゲージ郡から開かれたインストに向かう。
そこに表示されたステータス情報にはグレイ・シグナルの名と簡単なアバターの立体像の他にレベル1という表記、基本技の手刀、そして《Enhanced Armament》……通称《強化外装》の項に表記される文字を見てシグナルは子供らしからぬ低い声を絞り出す。
「うぁ。《Glasswork Arms》……。ブルームちゃん、やっぱりガラスだよコレー」
消え入りそうな声を発してうな垂れるシグナルをその信号機という名前から恐らく水晶ではなくガラスだろうと察していた母はよしよしと頭を撫でて慰める。
しかしガラスの全てが悪いというわけではない鉱物の強度をあらわすモース硬度においては硬度7の水晶に比べれば低いが硬度5と鉄をも凌駕する硬さを持っているのだ。もっとも、硬度の高さはあくまで傷の付きにくさを表すものでマンガやアニメでよくある硬度が高いから無敵の防御力などという事はなく、硬度10を誇るダイヤモンドでさえ硬度4程度の鉄のハンマーに殴られればあっけなく砕けてしまうのだ……。
また電気抵抗が高く、錆や酸などの腐食に強いという点も挙げられるがその最たるものは結晶化してない故の光の透過性にある。これが同じ二酸化ケイ素で構成され、結晶化している水晶ならば結晶化されているが為に光の透過が妨げられてしまうのだ。
更に加えておくとガラスは結晶化してない固体のため、結晶化している水晶や鉄等よりも鋭利な先端を形成することができる……が、靭性が貧弱な為に武器としての実用には向かないのもまた事実である。
「それでその《グラスワーク・アームズ》……ガラス細工の腕はどんな効果があるのかしら?名前のところに触れてみて」
問い、促すブルームにシグナルは小さくかぶりを振りながらインストに触れて小さく呻き声を上げる。
「アームズは腕じゃなく武器だと思うよ? 足もガラス製だし……って、うわぁ。なんかいっぱいあるー。あたし武器って苦手なんだよねぇ」
日本人武道家の祖母とアメリカ人格闘家の祖父の孫である灯衛はその血筋ゆえかワンパクで小学校5年生の兄と喧嘩しても負けない程の暴君振りを家でも発揮しているのだが、武器職優遇なティルナノグ・オンラインにおいても素人殺しの過疎職と呼び声高きグラップル系統で準廃人にまで至った拳に生きる剛の者なのだ。まぁ……一応、他のギルメンの足を引っ張らない程度には他の武器の熟練度も上げているのだがそれも終了まで短期間のプレイであったが故に本当に最低限である。
ちなみにシグナルがブルームに訂正できる程度に英語に長けているのは彼女が日本生まれ日本育ちの金髪白人クォーターであるが為に幼稚園の頃に英語が話せないのをからかわれた事に端を発し、悔しさから他の勉強を犠牲にまでして無料英語学習サンプルや米国育ちで当然英語も堪能な母と英語を学んだ成果である。
その結果。学校の成績は体育以外全て中の下か、下の上程度になったしまったのだがそれもやむなしである。
「い、いっぱいってどの位あるのかしら?」
若干興奮した様子で詰め寄るブルームにシグナルは「うんとねー」と言うとインストに顔を向けたまま右手で腰のオプション……装具を1つ手に取る。
「ソード!」
シグナルがそう唱えると共に手にあるソレは見る間に形を変える。ガラスのへらのような形から幅と若干の厚みと長さ、そして切っ先の鋭さを得て透き通る見事な短剣と成ったのだ。
「「わー」」
その様子に親子は驚きの声を揃えて短剣に見入る。見ればライトグレーの基部とガラスの刃の間にシグナルの手足と同様にダークグレイの溝が生まれており、質素だったへら状の時に比べ彩りが与えられている。
「綺麗ねー。それに4振りも剣があるなんて凄いわ。近接攻撃ではなく投擲による中距離攻撃にも対応できるのよ?」
興奮した様子で語る魔女であったが彼女は大きな勘違いをしていた。彼女の娘はこの武器の数に対して「いっぱい」と言ったのではないのだ。
「えへへ。ランス!」
続けて与えられる主の指令に剣は更に姿を変える。15cm程度だった柄は10倍の1m50程にも伸び、刃も少し長さを増してシグナルの肘から指先位の長さだった短剣は彼女の身の丈を越す程の槍へと身を転じたのだ。
「え、え。ええっ!?」
ただただ戸惑うばかりのブルームだがこれはまだほんの序の口に過ぎない。シグナルは更に……いや、次々とコマンドを発していったのだ。
その規格外の変化に魔女は歓喜興奮する。
(すごい! すごいわ、私のシグナル! この子はきっと8人目の大盟主になるわ!! いいえ、もしやあの8大レギオンの盟主達の上に立つべき存在なんじゃ?!)
しかし、ワイン・ブルームの人生において最も幸福に満たされた時間も長くは続かなかった。
デュエルアバターのポテンシャルはすべからく平等。眩い煌めきの裏には深い影が寄り添うものなのだ。
「はぁ・・・・・・」
初めての加速を終え、十条駅に向かう灯衛の隣で法子が深い深い溜め息を付く。
気温は雪のちらついた昨日に比べて多少は暖かいが空は相変わらず雲に覆われ、少女の心を映し出しているようだった。
「もー。大丈夫だってば。あれだけフィールドが広いならワンパダだって余裕でできるしー」
そんな法子とは正反対に灯衛はいたって気楽……いつも通りだ。
ちなみに《ワンパダ》というのはTO内で敵を釣る時等に使われるローカル用語である「ワンパン入れてダッシュで逃げる」の略称《ワンパンダッシュ》が更に略されたものだ。
「……う、うん。そうね」
力なく答えるも法子の頭はこれから灯衛が……愛娘グレイ・シグナルが歩むであろう苦難の道の想像で埋め尽くされていた。
(まさか。どうしてあんなアビリティが……。あれじゃいくら玉装を持った変色式万能型だって全部……全部台無しじゃない!)
眼鏡の少女は大きく悔やむが全ては手遅れである。良い巡り会わせであれと願った二人の出会いは最悪となり、いつの日か灯衛に恨まれる日さえ来るであろうと自責の念にさいなまされた法子が再び深い溜め息をつき。その様子を眺める灯衛もまた溜め息を吐く。
(もー、たかがゲームでそんな深刻な顔してー)
灯衛はそんなことを想いながら石神井川の水面に小石を投げ入れた。
石神井川を渡り、昨日あの3人組と出会った神社の前を抜けた2人は国道455線沿いにあるショッピングモールと一体型の高層マンションの1階にある屋外フードコートの一席に腰を下ろす。
「……帰りたい」
憂鬱な気持ちをポツリと漏らす法子に灯衛は紙コップに入った水と一番安いSサイズのフライドポテトを差し出す。
「え?」
「にひひ、昨日のお返しー」
「…………ふふっ、ありがとう。ごちそうになるわ」
愛する我が子さえに気を使わせてしまったことに恥じてか、法子はしばしブレイン・バーストのことを忘れて灯衛と冬休みの宿題やアニメの話に華を咲かせていたがやがて灯衛の瞳をまっすぐに見つめて一言問い掛ける。
「覚悟はいい?」
「もちろん!」
力強く首を縦に振る金髪の少女に己自身も覚悟を決めた法子は首のニューロリンカーにXSBケーブルを接続すると反対側の端子を灯衛に差し出す。
「はい」
差し出された端子を「うん」と受け取った灯衛が自分のニューロリンカーに接続すると同時に視界には有線接続……ワイヤード・コネクション警告が表れ、数秒で消える。
『灯衛ちゃん。私は覚悟を決めたわ』
思考発声で語り掛ける法子に灯衛は黙って聞き入る。
『貴方のデュエル・アバターは貴方が思っている以上に壊滅的に弱いわ。でも使えない訳ではない。戦う術は幾らでもあるわ。だから貴方は正々堂々と、思うがままに戦いなさい』
『うん、わかった。あたしも約束を守るよ。諦めず、楽しんで、正々堂々戦って、それで法子ちゃんを守ってあげる!』
『灯衛ちゃん……』
優しくも強い眼差しで微笑む法子に灯衛もまた力強い眼差しで応える。小さな騎士の言葉に感動した魔女はその手を取ると瞳を閉じてそっと囁く。
『ありがとう、灯衛ちゃん。私も約束するわ。《親》として貴女を必ず守ると……!』
『親?』
『……あ、あら?』
我が子の言葉に法子は己が初めての子に興奮する余り暴走して教えるべき……必ず教えなければいけない事を教えていないことに気付き少し赤面する。
(うふふ、可笑しなものね。冷静沈着、冷酷無比と恐れられた北の魔女たる私が《子》1人にこんなに浮かれて……)
子を作り浮かれていた友人や仲間達に対し、小姑のように冷ややかに親の在り方を説いていただけに法子の心中は穏やかではいられなかったが悶え苦しむのは夜、ベッドに入る時まで先延ばししておくとした。
『親とはブレイン・バーストを与えた側のことを言うのよ。そして逆に灯衛ちゃんみたいにブレイン・バーストを受け取った側は《子》と呼ばれているの』
『へー。ブレイン・バーストではあたしと法子ちゃんは《親子》なんだね』
『ええ、そうよ』
TOであった養子や師弟システム程度の認識ではあったがそれなりに理解した様子の灯衛に法子は言葉を続ける。
『昨日言った通り、ブレイン・バーストのインストールが成功する条件は決して簡単なものではないわ。それ故にこの世界での《親子》関係は時として現実の肉親同士よりも強く、大きな絆ともなるのよ』
『そう……なんだ……』
現実よりも強い絆という意味は理解しかねたが《優しいお姉さん》である法子とより親しくなれる事と、その相手に自分なんかが選ばれた事が灯衛には素直に嬉しいと思えた。
そんな灯衛に法子が遠慮がちに問い掛ける。
『マ、ママって呼んでもいいのよ……?』
『えーっ?! ママはないよぉー』
『え? え? そ、そうよね? うふふ…………はぁ……』
法子からの突然の申し出を灯衛が笑って返すと母は気まずそうに笑って肩を落としてしまう。
だが、やがて2人は堪えきれなくなったかのように声を上げて笑い合う。
「「ぷっ。あははは」」
周囲の視線も気にせず2人は30秒ほど笑いあっていたが不意に法子がニューロリンカーに右手を添えると灯衛も笑い声を殺し、共にグローバル接続をオンにする。
『準備はいいわね?』
『あ。や、やっぱりタンマ。あたしちょっとトイレに』
『大丈夫。2秒で全部終わ…………』
法子がそう言い終えぬうちに世界は暗転する。本来あるべき世界の流れから彼女達を引き裂くが如き断裂音を響かせながら2人の前に文字が浮かび上がる。
【HERE COMES A NEW CHALLNGER!!】
変わりゆく風景の中、この日2度目となる焔の文字を見て灯衛は知らずに笑みを浮かべる。
これから戦う相手が法子……ワイン・ブルームとは違う手加減などしてくれぬ相手である事にも、己のデュエルアバターに忌まわしき制約がもたらされている事にも不安がないと言えば嘘になる。
……が、それでもTOに継ぐ新天地での冒険の始まりに期待する胸の高まりを抑えられないのだ。
「わっふー。かーっこいいー!」
生成された対戦フィールドに降り立ち、灯衛……いやグレイ・シグナルは歓声を上げる。
公園の時と同様に加速前までいたフードコートからは大分離れ、十条駅のロータリーにいるようだが美しかった魔鏡とは打って変わって世界は荒れ果てておりアスファルトの路面は割れ、建造物のガラスや看板も砕け散り、コンクリートの壁面が半壊している建物さえもある。
「うわぁ。交番燃えてるし」
周囲を散策したい欲求にかられるも今正に自身が対戦中である事を忘れるわけにはいかず、グッと堪えて対戦者のいる方角を示すカーソルの向く方に走り出す。
(時間制限のある対戦ゲーじゃ、じっくりフィールドを見る事もできないじゃん。勿体無いなー。作った人は天才だけどバカなのかなー?)
無論、この広大かつ美麗な仮想空間を満喫する方法は存在するのだが彼女がそこに至るのはまだ遥か遠く先の話である。
「いた! えっと名前はオニキス・ビトレイヤー? 黒瑪瑙色の裏切り者……かな?」
そう言ってシグナルは道路の中央に進み、こちらへ疾走してくる対戦者との距離を10m程まで詰める。
ちなみにオニキスの名については彼女が独学で学んだ知識ではなくTOで得た知識である。娯楽から得る知識……雑学もそうバカにはできないのだ。
シグナルの5m手前で立ち止まったオニキス・ビトレイヤーは身長2m近くもある逞しいマッチョタイプのM型デュエルアバターで薄い黄土色の素体にアメフトのプロテクターの様な漆黒の装甲を身にまとい、その表面には白い幾本かのラインと魔法陣の様な模様が描かれている。
その容貌を見てシグナルは「強そうかも」と緊張しながらもひとまず挨拶を交わす。
「押忍! よろしくお願いします!」
「…………」
しかし、黒い対戦者は沈黙し何も語らない。
(礼儀がなってないなぁ。まぁ、いいけど)
心の中で侮蔑のつばを吐いて腰の武器の1本を剣に変えたところで対戦者はやっと重い口を開き、苦々しく怒りと憤りを吐露する。
「貴様ぁ、玉装だとぉ? 玉石の冠名でもない癖にぃ?!
「?」
黒い闘士の言葉にガラス細工の戦士がいぶかしむ様子を魔女ワイン・ブルームはすぐ真上のマンションの3Fから長剣を腰に帯びた長い長い銀色の髪の剣士と頭部に旧世代のテレビのアンテナの様な物を生やした焦げ茶色の素体を小金色の装甲で覆ったM型アバターの2人の友人と眺めていた。
「うわぁ、いきなり因縁の対決だね」
「ええ。デビュー戦の相手としては最悪ですね、ブルーム。オニキスは玉石の名を冠しながら玉装を持たぬノーマルカラーである事に酷くコンプレックスを抱いています。それがよもやノーマルカラーでありながら玉装を持つ者が相手では冷静ではいられないでしょう」
「…………」
友人の言葉に魔女はただ黙するのみであった。そんな事は彼が……オニキス・ビトレイヤーがニュービーの頃から今は亡き友と共に指導していた自分が一番よくわかっているのだ。
「更に奴のレベルは3。君の子が余程のポテンシャルを持つ者でもない限り勝つのは厳しいぞ、魔女よ」
不意に後ろから聞こえる声に銀髪の剣士とアンテナ男が振り向くと白タイツに大きな金の冠を被り、藍色のマントと藍色の王子様ルックのF型アバターと白地に黒のレースが装飾された洋風のお姫様……いや、魔法少女のような小柄なF型アバター。そして2m近い長身で装甲部分のまるでない剥き出しになった萌黄色の素体に特撮の女性昆虫怪人の如き奇っ怪なマスクのF型アバターが立っていた。
彼女達こそが加速の聖地《秋葉原》と並ぶもう1つの聖地……《メッカ》とも呼ばれる加速対戦の最も盛んな地である《池袋》を擁する豊島区とシグナル達が住まう板橋区に北区を治め、この当時においては最強と呼ばれていた藍のレギオン《ポラリス》の主要メンバーである。
「やあ、皆さんお揃いで」
「こ、こんにちは。あ! どぞどぞこちらへ」
気さくに挨拶を交わす銀髪の剣士とは対照的にアンテナ男……ヤマブキ・シンパシーは恐縮した様子で場所を譲る。そしてワイン・ブルームは「ごきげんよう」と一瞥するとまたすぐに視線を眼下の娘に向けてしまう。
「機嫌わりぃなぁ。昨日はパチキかまして鼻血流させたとか浮かれまくってたってのに。お前が余計な事を言うからだぞ? もうちょっとオブラートに包んだ物言いをしろよ」
「う。す、すまない。というか、それを君が言うか? コランダム!?」
昆虫女……コランダム・マンティスに肘でつつかれて謝罪を述べる王子姫。彼女こそが藍のレギオンの盟主であるインディゴ・アウル、その人である。
尚、《盟主》とは遥か未来に《王》と呼ばれるレギオンマスター達のレベル9に至る前の呼称の1つでエリアによってその呼び方も様々である。
「……まったく」
不満そうに視線を階下の2人に戻す藍の盟主のアイレンズに今正に黒い闘士に向けて猛然と駆け出したガラス細工の戦士の姿が映る。
「は、速っ! レベル1の動きじゃないよ、アレ!」
柵から身を乗り出して驚愕するヤマブキの言葉にブルーム以外の全員が同意の相槌を打つ。しかし、それはあくまでも平均的なレベル1のスピードと言う意味でありシグナル以上に速い者も稀ではあるが当然存在する。
「てぇええええい! ランス!」
雄叫びと共にオニキスに二太刀入れたシグナルは武器を槍に変えるとよろける対戦者の喉下に向けて渾身の突きを放ち、あろうことかオニキスの巨体を2mも吹き飛ばしてみせる。
(え!? 今の技ってもしかして?)
シグナルが見せた動きに息を飲むヤマブキを余所に周囲は大きな歓声に沸く。
「うおおおおおお! すげぇ! 槍を折りながらふっ飛ばしたぞ、あのチビ!」
「どういう事だ、ブルーム! あのスピードにしてあのパワー! 彼女は何者なんだ?! 君はどうやってあんなモンスターを生んだんだ!?」
「そうですわ! しかも玉装の可変武器まで持っているだなんて明らかに同レベル同ポテンシャルの枠を超えてますわ!?」
「…………」
(? ブルーム?)
沸き上がる友人達とは真逆に沈痛な面持ちの魔女の姿に疑問を抱いた銀髪の剣士はあることに気付く。
「待って下さい! 今の攻撃は入っていませんよ!? 彼女はダメージを与えていません!」
何をバカな、と藍のレギオンのメンバーが頭上のゲージを確認するが確かに全く減った様子はない……が、そこでそれまで沈黙していたワイン・ブルームが衝撃の発言をする。
「いいえ。確実にダメージを与えているわ。3発入れたから3ドット程かしらね」
「?!」
確かに。確かにオニキス・ビトレイヤーのライフゲージは数ドットほど減っていた。しかし、それはとてもダメージを与えたと呼べるようなものではなかった。
直後。ガラス細工の戦士が黒い闘士の反撃をかすりながらも捌いた時、更に驚くべき事が起こる。シグナルのライフゲージが実に5%も減少したのだ。
「おいぃ! 減り過ぎだろ、今のおおおっ!」
怒りの声を上げるカマキリ女の横でアンテナ男が閃いたかの様に声を上げる。
「わかった! あいつチートしてるんだよ! ブルームちゃんもそれが判ってたから今日はちょっと変だったんでしょ? あいつらにリアルで狙われてるって言ってたし!」
その言葉に一同の視線が集まる中、魔女は事も無げにこう言い放つ。
「いいえ、今のはシグナルの運がちょっと悪かっただけよ」
「バカ言ってんじゃネェよ、お前! どこの世界に運が悪いからってカスダメで……あんな……」
まくし立てるコランダムだったが語勢が徐々に弱々しくなり最後には完全に途切れる。他の仲間達もそれに気付いたのか場には自然と沈黙が流れた。
「いつか、心傷殻について議論をした時のことを覚えているかしら?」
素早い動きでオニキスを翻弄するシグナルを眼下に眺めながら問うブルームに友人達は顔を見合わせる。
「か、覚醒卵……。メタルカラーが大きな心の傷を代償に生まれるならば、デュエルアバターの部位欠損や強化外装の消失を対価により強力なアビリティを得られるのではないか?……っていう話だったよね?」
おずおずと返すヤマブキにブルームが答えることはなかったが、その場にいる全員がその問いの意味を理解した。
そう。それこそがブルームの抱く不安の種にしてシグナルの持つ力の影の部分。
《maigre》と《infortune》というマイナスアビリティの効果なのだ。
自身が与えるダメージを低下させ、受けるダメージを増加させるだけだなく。デュエルアバターや強化外装の耐久性をも下げる《maigre》……《貧弱》と運勢や自身の判定値を不利な方へと導く《infortune》……《不運》。
グレイ・シグナルというデュエルアバターは力を得る代わりにこれらの大きな代償を払ってこの加速世界に誕生したのだ。
それも八大盟主の上に立ち、全ての戦士を統べる最強最高の存在などではなく……。
加速世界で唯一、呪われた枷を2つも持つ最弱最悪の戦士として。