それから1週間と2日目の昼休み、俺たちは練習をしていたはずだったのだが気付いたら男女混合の試合をすることになっていた。
ことの発端は簡単だった。
トップカーストの連中がテニスをしたいと言い出し、俺たちを追い出そうとする。こっちは事情を話して引いて貰おうと思ったのだが、結局
『うまい人と練習したほうが戸塚君のためになるよね』
という発言で妥協させられてしまった。
こうなった理由の一つは雪ノ下が保健室に救急箱を取りに行っていて不在だったということだ。
試合は男女混合で戸塚が怪我をしている。俺は出る気は無かったが戸塚が怪我をしているためにしょうがなく由比ヶ浜と参加する。
「お前いいのかよ、あっちすっごい睨んでんぞ」
と言うと由比ヶ浜はうそ、と小さく言うとそーっと相手コートを見る。
それに気がついたのか縦ロールが
「何?結衣、あんたはそっちに付くん?」
「ゴメンね優美子。私がこっちで出ないと試合はできないし.........それに私も部員だから」
「.......そっか。でもやるからには加減しないから怪我する前に止めなよ」
縦ロールからは棘が感じられなかった。それどころか言葉の裏に子供の成長を喜んでいる親の様な優しさを感じられる。
きっと由比ヶ浜が自分の本心を直球で伝えてくれたことを嬉しく思っているのだろう。宣戦布告しながらも心から気遣うのはこいつくらいかも知れないな。
試合形式は6ゲーム先取。テニスを辞めて暫く経っていた俺だったがなんとか相手と対等に渡り合いカウントは3-3となっていた。予想以上の接戦で辺りにはトープカースト目当ての観客で一杯である。
何故かは知らんが両方がんばれー、というか声も聞こえるがあれだろ?
トップカースト(長くて面倒いしトーストで、べ、別に腹が減ってたってわけじゃないんだからね!)のカッコいいところもっと見たいから引き立て役直ぐに負けんじゃねぇぞってことだろ。
由比ヶ浜のサーブで始まるため防戦を強いられていた、そんな時だった。
由比ヶ浜が派手に転んでしまったのだ。
原因は解けていた靴紐だった様で、試合を続けることは出来そうにないくらいに出血している。
取り敢えず転んだ由比ヶ浜をベンチにまで連れて行き綺麗なタオルで簡単な止血をする。
「......大丈夫か?」
「うん......ゴメンね、足引っ張っちゃって。でも試合どうしよう?」
「気にしなくていい。......最悪俺が下手に出るさ」
俺がそう言うと由比ヶ浜が何か呟き、ラケットを再び持つと杖の様にして歩き始めた。
「おま.....怪我したんだから座ってろよ」
由比ヶ浜は真剣な表情で
「ちょっと保健室行ってくる」
と言い、コートの外へと出て行った。
おおよそ3分が経過していた。
「ねー隼人ー。これって試合続行不能であーしらの勝ちじゃない」
「そうだな....。そろそろ時間切れだろうし、あと1分待って試合が続けれそうじゃ無かったら俺たちの勝ち。それでどうかな?」
トーストによる提案という名の強制。にこやかに優しい声で告げたため誰も違和感を抱かない。だがそんな提案を飲むわけにはいかないんだ。
それにまだ勝負は終わっていない。
というかまだ始まっていない。
俺の勝負は今からだ。考えるんだ、彼女が帰ってきさえすれば試合は再開できる。一人の時点で俺は得点を稼ぐことすら出来ない。だから俺は最後まで諦めなければいい。
.......方針は決まった。あとは実行するだけだ。
「NOだ」
審判である戸塚の声が響く。
「30-40」
また25秒がたった。
「ゲーム。チェンジサーブ、チェンジコート」
俺はベンチに座る。
「お前らは「はぁ?」........由比ヶ浜を心配しないのか?」
ちょっとあの縦ロール何であんなに機嫌悪いの?直ぐにキレるとか何なの、おこなの?
「心配はしてるし。でもあの子が決めたことだし、勝ってから様子見に行く」
縦ロールさん、男前っす。つかもう勝った気でいますのね。それにしてもあのトーストは何を考えてるのか全然わからん。口では心配してるとか言いながら目の奥には何処か冷たいものが蠢いているような気がする。
「あんたはどうなんだし。隼人の提案まで蹴って結衣のことどー思ってんの。ましてや部活のために怪我までしたんだよ」
ここで俺は立ち上がり所定の位置につく。ここで答えてしまうのは得策じゃない。
来る時のために幾つかの種を撒いておく。
少しでも時間稼ぎはしたいがルールに抵触しない様にギリギリを攻めなければダメだ。そして由比ヶ浜の努力を無駄にしない為にも.......。
「4-3リード葉山、三浦」
結局更に100秒が経過した。
ゲームカウントは
「5-3リード葉山、三浦」
万事休す。
あと100秒で負けが決まるのに彼女が現れる気配が一向にない。
「0-15」
俺は持っているボールを握りしめる。このままだと俺は負けるだろう。最悪、俺が土下座するくらいは覚悟しとかないとな。
「0-30」
俺は目を閉じて最後まで思考を止めない。どうすれば、どうすればいいんだ。
「比企谷君、いつまで目を閉じているのかしら?反撃の時が来たのだけれど」
俺の耳に入ってきた声は鈴の様な音色で凛としていた。
「間に合った.....な。ここからの反撃は楽じゃないぞ」
「貴方は私を誰と思っているのかしら。貴方と私なら絶対に負けないわ」
そんな言葉に俺は珍しく勇気付けられ、構え直す。
トスを上げ体を鞭の様にしならせて打ったサーブはセンターに入り縦ロールは身動き一つ取れない。
辺りから上がる歓声。
俺は気にせずに構えようとすると、
「へぇ、貴方ってテニスできたのね」
「昔に少しな......。やっと肩が回ってきた様だ」
「15-30」
次もセンター.........に見せかけてワイドにサーブ。
打つ瞬間に手首をずらしてっと。
思った以上にいいコースに飛んで行ったボールをトーストは計画通りというかの様に不敵な笑みを浮かべている。
既に決めた気でいる奴は気づいていない、此処までは俺の計画通りに進んでいるということに。
バウンドするボールはラケットの面に吸い込まれることなく奴の面に吸い込まれる。ほんの一瞬の出来事、トーストは咄嗟に左手でボールを掴む。所詮はツイスト、されどツイストだ。とっておきを見せてしまったのは辛いが相手は警戒するものが増えて大変だろう。
「30-30」
俺のフラットを警戒していた縦ロールはいつもより少しだけ後ろに構えている。
曲がるスライスサーブをネットギリギリに打つ。体勢を崩しながらも返されたボールは雪ノ下の頭上へ。スルーすると思っていた俺が動き始めた瞬間、雪ノ下が跳んだかと思ったらボールは相手コート後ろのフェンスに挟まっている。
理由は簡単だ。
雪ノ下がスマッシュを打った。
ただ余りにも綺麗だった雪ノ下のモーションに魅了されていて見逃してしまったのだ。
「40-30」
.............
「.........そんなに見られると困るのだけれど。早くサーブを打ってくれるかしら」
「う......ぁ、すまん。お前でも照れるんだな......。見られることには慣れてそうなのに」
「真意は後で確かめる事に事にして.....とりあえずこのゲームはあと1ポイントなのよ。早く取りましょう」
後で尋問される事が決定した様だ。
まあ、このまま負けるのは癪だし一丁やりますか。
そのまま俺は構え、トスを上げる。ボールはスローモーションの様に見え、最高のタイミングでラケットにボールが当たる。
今日で、いや今までで一番のサーブ。
問題は、フレームに当たってしまったこととその衝撃でガットが切れてしまったこと。
それを読んでいたかの様な動きで打ち返そうとするトースト。
ラケットに吸い込まれるボール。
返されればこのポイントを取られてしまう。
万事休す。
ラケットにボールが当たる。
フルスイングされボールは自陣コートに叩き込まれた........筈だった。
振り切った姿勢で立っているトースト、ただ手には何も持っておらず、彼のラケットはボールと共に彼の後ろに転がっている。
「5-4リード葉山、三浦」
辺りからは物凄い悲鳴が上がる。
これ後で大丈夫だよね。トーストのファンに刺されたりしないよね?
大丈夫だわ。この学校で誰にも認識されてないし。.......自分で言って悲しくなってきた。
実際は悲鳴というより歓声の方が多く、少なくなかったファンが更に増えるのだが本人は気づいていない。
「比企谷君。サイドはどっちに入ればいいのかしら」
俺としてはお前の得意なサイドに入って欲しい、が流石にメンバーチェンジを許してもらっているんだ。サイドまでは無理だろう。
「フォアサイド何だが、大丈夫か?」
「問題ないわ。ならこのまま終わらせるわよ」
そこからは圧倒的だった。
雪ノ下はギリギリのコースを打ち分け、ギリギリ返されたボールを自身か俺が一撃で決める。
そんな感じで結局1ポイントも取られずにマッチポイントになっている。
相手チームは何処か焦っている様だ。今まで撒いてきた種が芽を出し始めたのだろう。下に見ていたイラつく相手に負けるという屈辱という種が。
雪ノ下のサーブはワイド一杯を抉り、トーストはロブで繋げようとした。
だが甘い。あげられたボールは俺の頭上、チャンスボールとなっている。
ジャンプしてスマッシュを放つ。最後には絶好のシチュエーションだった。だからこそ俺は緊張してネットギリギリに叩き込んでしまう。高く上がったボールは徐々に高度を下げる。普通なら諦めてゲームセットの場面。しかし種が完全に開花してしまった縦ロールはそれを追い下がっていく。ただ一点、ボールを見ながら。