血界戦線――三分間前奏曲―― 作:柳之助@バケつ1~4巻発売中
「くそ、拙いぞこれは……!」
ギルベルトが運転する車の中、スティーブン・A・スターフェイズはらしくもなく焦りを隠すことなく冷や汗を流していた。老執事が運転する車はヘルサレムズ・ロッドの道路を駆け抜け、時に塀を破壊しながら突き進む。それでも、交戦中のルードヴィヒの下に行くまで五分は掛かる。
「五分じゃ、間に合わないぞ……!」
苦虫を噛み潰すように吐き捨てられた言葉に応えたのは彼の隣に座るレオナルドだった。クラウスとスティーブンに挟まれた彼は、
「で、でもルーさんなら五分くらいなんとか……」
「そういう話じゃないっ……って少年は知らないのか?」
「へ? 何がですか?」
「……レオ」
「は、はい」
重々しく赤い偉丈夫が口を開く。レオナルドもまた応えるが、些かたどたどしい。当然だ、それほどまでに今のクラウスには触れ難い。
彼は時折思考に深く嵌りすぎると、周囲を圧倒する程の集中力を見せる。普段温厚な紳士であるが、その時はまさしく修羅や鬼にしか見えない程にだ。
けれど、今この場では、それすらも超えていた。
極度の集中が物理的な熱と衝撃を放っているようであり、薄く開いて義眼で見た彼は真紅に染まっていた。
「ルードヴィヒ・マグダレナは確かに強い。しかし、彼はエルダークラス相手には
エルダークラス、といっても戦闘能力を一切持たないレオナルドには理解が及ばない。解るのは、それぞれがヘルサレムズ・ロッドにおいて一騎当千の力を持つはずのライブラの仲間たちですら圧倒しうるだけの強さを持つということ。
だから、エルダークラス相手でもルードヴィヒが勝てないのは解る。
でも、
「三、分……?」
その言葉を強調した物言いに、違和感を得る。
勝つとか負けるとかじゃなくて、その時間を区切りとしたものいいに、だ。時折難しい、金言を言うクラウスだが、しかしそこに込められた真意は単純であり、明確だ。
だから、彼の言葉に怪訝に思い、それに気づいたからこそ、続きがあった。
●
大地を蹴りつけながら、拳を強く握る。筋肉の硬直により、手首に食い込んだブレードが、血管からさらなる血液を噴出させ両手を赤く染める。オープンフィンガーグローブがさらに血を含み、指先には血が滴る。
緩く手を鉤爪状に開き、両手を黒コートへと振りぬく。
音速を超越した両手の振りぬきは男の身体を×の字に切り裂く。それは単なる傷ではない。
牙狩りとして改造された俺の身体に流れる血はただの血液ではない。対象の細胞レベルにまで浸食してダメージを与える血液だ。故に鉤爪となった血は触れるだけで血界の眷属である男に対しては特級の細胞にダメージを与える。
だが――そのダメージは傷ついた端から即座に修復されていく。
「ははは、その程度かな人間!」
ブラッドブリード故の弱点は、しかしブラッドブリードの回復力故に傷つけることができない。
交戦してから一分。同じことだ。技を繰り出せば、攻撃は当たる。だが、それはダメージとして成り得ない。
だが、
「ほら、これならどうだね?」
「っぐ……!」
無造作に振るった男の腕から血液が奔り、数十の刃となって複雑怪奇な機動を描きながら俺へ迫る。攻撃としては単純だが、全て避けきれるものではない。血刃の一本一本の速度が異常であるからだ。
飛び退いて回避は間に合わない。
だから両腕を走らせる。捌き、受け流す。浸食血液に手が濡れている故に、接触するば一時的にとはいえ血刃を崩すことができる。それでも、数が多すぎた。半分近い血の刃が俺の身体を切り裂き、貫き、また大量の血が零れ落ちていく。
失血による虚無感を、気合いと震脚で振り払いながら拳を振りかぶり射出。一撃をブラッドブリードは回避することなく顔面に受け、頭部の左半分が吹き飛ぶが、
「がっ――!?」
カウンターの一撃を胸の中央に為す術もなく受けて後方へ吹き飛ぶ。
単純な身体能力の差が違い過ぎるのだ。技術では埋められない絶対的な軋轢がそこにはあり、膂力、反応速度などの全てが圧倒的に引き離されている。そして純粋なスペックの差というものは俺のような白兵戦特化型にはどうしようもない。
「ごほっ……っつ……!」
内蔵が幾つか破裂したのか、血の塊を大きく吐き出しながら拳を握り直す。吐血した血を両手に吐きかけれたのは不幸中の幸いだろうか。既に全身傷だらけのせいで、血に濡れていない所なんてどこにもないのだが。
そんな俺に対して男は小さく首を傾げる。
「ふむ……牙狩りというものは我々に対して特化した血液を保有し、血法を操ると聞くが……」
何故、と血界の眷属や問う。
「――血に濡れた拳で殴るだけなのか?」
●
「対『血界の眷属』特化型人間兵器――即ち、僕たちのことだが、細胞レベルに浸食する血を自在に操作する能力、通称血法だがこれには幾つかのプロセスが存在する」
「プロセス、ですか」
スティーブンの言葉にレオナルドは眉をひそめる。
ライブラの主要メンバーがそれぞれ用いる血法だが、そういえば未だに詳しく話を聞いたことはなかった。解っているのは結果だけだ。
スティーブンはレオナルドへ手を掲げて、人差し指を立たせる。
「まず一つ、属性変換。少年も何度も見ているだろう? 僕らの血が氷や十字架に変わる所を」
クラウス・V・ラインヘルツならば十字架。
スティーブン・A・スターフェイズならば氷。
KKならば雷。
ザップ・レンフロならば炎。
ツェッドならば風。
二人の師である裸獣汁外衛賤厳なら炎と風の二重属性。
彼らは水からの血液を、個人の属性に変換する力を持っていた。
次いで二本目が立ち、
「一つ、形状変化。変換した属性で特定の形に変えることができる。ザップやツェッドが刃身というそれぞれの型に変えたりするだろう? あれのことだ。僕も氷を針状にすることができるし、クラウスも十字架のサイズを自在に出すだろう」
そして三本目が立ち、
「一つ、具象操作。属性変換と形状変化から生まれたものを操ることだ。ザップ達糸を操作したり、今言った氷の針も遠隔操作することができる。KKも弾丸に電撃を込めて色々するし、クラウスだって地面だったり周囲だったりと出現させたりするだろう」
属性変換。
形状変化。
具象操作。
「技によっては形状変化が抜けることもあるがざっくり言うとこの三つが基本の技能だ。これの精度は応用範囲が牙狩りとしての能力の高さになるわけだ。クラウスの『密封』はまた少し別の話だがね」
「な、なるほど……で、それが一体……?」
元々ルードヴィヒの話だったはずだ。それなのに、牙狩りとしての根本的な話になるのか。
答えはクラウスから。
押し殺したような、溢れんばかりの思いを、しかし押し殺したような低い声で。
「ルーは――ルードヴィヒ・マグダレナはその三つの技能、全てが使えないのだ、レオ」
「………………はぁ? ……ちょ、ちょっと待ってくださいよ!」
言われたことが理解できなかった。
今言われた三つの技能が牙狩りとしての基本技能だという。しかしこれまでレオナルドはルードヴィヒがブラッドブリードやそれ以外の異業と戦っているのを何度見ているし、『ベートホーフェン派血響奏』という血法も知っている。
「じゃああれは何なんすか」
「……『ベートホーフェン派血響奏』等という血法は存在しない」
「は?」
「それはルーが自分で叫んでるだけで、やってることはただの体術なんだよ。まぁ、それだけであそこまでの戦闘能力を発揮するのも頭おかしいんだけどな」
「徒手空拳に於いて、ルーは私よりも強いからな」
「ちょ、ちょーい! 一体どういうことなんすか!? ルーさんは血法じゃなくてデカい声で技名叫んでただ殴ってるだけの痛い人ってことすか!? いや、でもじゃあなんで戦えて……!?」
「血法は使えないが、血そのものは牙狩りのものなんだよ。細胞浸食の特性自体は付与されているが、そこで止まってるんだ」
「そ、そんなこと、あるんすか?」
「寧ろ、よくあることだ。簡単に僕たちのようになっていれば人類はもっと楽だっただろうね。細胞浸食の血が自分の身を亡ぼしたり、三技能が使えずに対『血界の眷属』特化型人間兵器に成り得なかったということは決して珍しくない」
「ルーの場合――細胞浸食血液を自傷により流すことで拳に纏わせることでブラッドブリードにダメージを与えている。それもルーの武威があるからこそ実現しているものだが。彼以外では決して成し得ないだろう」
しかし、
「そこには絶対的な欠落が生じている。属性変換――レオ、君は思ったことはないか? 我々が変換して生み出した技が消費される血の量と釣り合わないのではないか、と」
「そ、それは確かに……」
クラウスは自らの血からトラック一つを押し潰すだけの巨大な十字架を生み出してた。スティーブンも大通りの表面を完全凍結させていたり、ザップもまた身の丈もある巨大な刀を作りだしていた。
言われてみれば確実に体積が釣り合わない。
人間一人分の血液を使っても足りるかどうか怪しい時もあるし、今まで見たどの技も失血死や重度の貧血になってもおかしくない。しかし戦闘で負傷して入院というのはあるが、貧血の類の話も聞いたことがなかった。
「属性変換はその変換率も大切な技量なんだ。少ない血からより多くの氷や炎を生み出す、それがこの練度になるわけだが、ルーはこの場合の変換率が実際の血液と等価だ――この意味が理解できるか、少年」
「……ちょ、ちょっと待ってくださいよ。ルーさんって手首リスカしてますよねいつも。頭おかしい人だからそういうもんだって納得してたけど、今の話はつまり――」
「そうだ、あの出血はそのままの意味だ。血法としての能力はない。彼の戦闘術は常に命を摩耗させるものであり、そして相手がエルダークラスのブラッドブリードの場合、想定されるルードヴィヒ・マグダレナの戦闘可能時間は――三分」
自傷と負傷による出血を試算すると百八十秒しか持たないし、実際それまでずっとそうだった。
故にルードヴィヒは牙狩りとして 対『血界の眷属』特化型人間兵器としてはどうしようもない欠陥品なのだ。
「っ……ぎ、ギルベルトさん! ルーさんの場所までは!?」
「――全力で飛ばしていますが、どれだけ早くとも後二分。……後一分少し間に合いません」
「そ、そんな……!」
愕然とせずにはいられない。
つまり、どうあがいてもレオナルドたちはルードヴィヒのタイムリミットに間に合わない。つまりそれは彼の死ぬということに他ならない。しかしレオナルドにできることはない。『神々の義眼』があり、視覚においてはなんでもありとされるほどのレオナルドだが、しかしそれ以外はただの人間でしかないのだ。
手が、知らずに震え、
「――レオ」
静かな声がそれを止めた。
隣のクラウスが静かに立ち上がる――オープンカーの座席から。
「ちょ、おいクラウス!?」
スティーブンが慌てるが、しかし構う様子はない。
「レオ、かつて私が君に言ったことを覚えているかね?」
「え――」
言われ、脳裏によぎったのは彼がライブラに加わる切っ掛けになった時のこと。
自らの過去に悔んでいたレオナルドにクラウスはこう告げた。
『光に向かって一歩でも進もうとしている限り、人間の魂が真に敗北することなど断じて無い――』
「あの言葉はルーを見て、幼い頃から彼を隣で見ていて私が思ったことなのだ。――故に!」
熱が、ある。
クラウスから発せられる気迫が物理的な熱力となり、そして義眼を通してみれば眩しくて目が開けられない程に輝いている。
それは彼の怒りであり――魂の輝き。
「あの男が戦い、光に向かって進もうと走っている。なればこそ膝を折ることなど絶対にありえない――往くぞ、レオ! 我らが
叫び――クラウスはレオナルドは右手で首根っこを掴んだ。
「えっ?」
●
「っ……ごふっ……っくっ……はっ……はっ……!」
血が、足りない。
全身が堪らなく冷たい。血を流し過ぎた。コートのブラッドブリードと戦い始めてから二分と少しが経ったが、たったそれだけの時間が永遠にも感じる。解っていたことだが、絶対に勝つことはできない。この男が一体何が目的で、どうして俺を狙ってくるのかは一切解らないし、そこまで考える余裕はない。
失血、そのまま意識の混濁に繋がる。
コンマ一秒にも満たない意識の停滞が、また同時に気が狂いそうになるか、そのまま意識が消えてしまいそうで、
「――がぁっ!」
地面を踏み鳴らして、繋ぎとめる。
まだ、三分経っていない。ならば崩れるわけにはいかない。
死ぬわけには――いかないのだ。
フェムトにははぐらかしたが、しかし理由はある。どうしようない決定的な欠落を抱えても吸血鬼共と闘い続ける理由が。
「――く、ハハ。あぁ、これだよなぁ」
命を懸ける。死に抗う。生きて足掻く。――絶望と戦う。
人の精神が音に聞こえる俺にとって、最も旋律が輝くのがそういう時だ。自分の音は音楽にもなっていない無骨な鼓動でしかないが、こうして馬鹿みたいに血塗れになりながら死にかける時の音が一番気に入っているというのは笑えた話だ。
そして、俺だけではなく。
ライブラの連中は皆そうだ。どいつもこいつもそれぞれ滅茶苦茶な音だしているのに、それなのにも関わらず、アイツらは絶望と戦っている。その旋律が堪らなく美しく、愛おしい。十三王の混沌よりもそれが好きだから。
だからルードヴィヒ・マグダレナはライブラにいる。
――まぁそれだけでもないんだけど。
「さぁ、ほら行くぜ化物――」
「あぁ来いよ人間」
男は笑っている。笑って、見下している。
当然だろう、ブラッドブリードから見れば人間なんて羽虫にも等しい存在だ。それは間違っていなくて、彼らはただあるだけなのに絶対的な力を持ち、俺みたいなのは命を限界まで振り絞っても碌なダメージを与えられていない。
ルードヴィヒ・マグダレナはブラッドブリードには勝てない。
そんなことずっと前から解っていたことで。
「
笑って――飛び出す。
疾走するだけで、傷ついた身体が血か吹き出る。好都合だ、今の俺は全身浸食の塊ということなのだから。中国拳法に於ける縮地を基礎としたこの世に存在する全ての高速移動術と無拍子、零拍子を組み合わせながら男の懐に潜り込む。
思い切り右腕を振りかぶり、
【ベートホーフェン派血響奏――
技名を叫びながら掌底を叩き込む!
超高速の疾走の加速と発剄を組み合わせた絶紹。人間に当てればインパクトの瞬間に全身が弾け飛ぶし、異形ならば弾けなくても胸を貫き、心臓を直接握りつぶすことができる。
でも、ブラッドブリードには――足りない。
胸は貫いた。血液が吸血鬼の身体を侵食する。心臓は俺の手に握られたまま背から飛び出たが、それだけ。ブラッドブリードを倒すには侵食血液を以て同時に全身を吹き飛ばすしかなく、それでは足りないのだ。
つまるところ俺の一撃は何の意味もなしていない。
「無駄だったな?」
「――まさか?」
笑う男に笑い返す。掴んだ心臓は侵食血液に犯されながら、その場から修復されていく。
無駄にしか思えない。
だけど、これでいいのだ。
ルードヴィヒ・マグダレナは所詮前奏曲だ。
たった三分しか奏でられない出来損ないのプレリュード。
それが俺で、
「ほら――運命が扉を叩く音がしただろう?」
「なに――?」
だったら、叩いた扉から現れるのは、
「――フィナーレだ」
「ブレングリード流血闘術――推して参る……!」
総てを終わらせる真紅の
●
「グルウ・ウルドラ・エルスト・フィン・ヴェルシュタイン――貴公を、『密封』する」
「――!?」
告げられた諱名に男――ヴェルシュタインは驚愕する。
だけど、もう遅い。
俺の掌底により露出された心臓は既にクラウスの血に触れているのだから。
視界の隅に亀裂の入った道路にレオ少年が転がっている。そしてクラウスの背後には宙に伸びる氷の道。そしてそこから飛び出る十字架。途中から、スティーブンが氷の道を作り、クラウスが十字架を射出機として時間を短縮してきたのだろう。そしてそれと共にレオが諱名を読み取れば万事準備は完了される。
全く、俺と違って器用な連中だ。
「憎み給え、許し給え、諦め給え、人界を護るために行う我が蛮行を――【ブレングリード流血闘術999式・
クラウスのナックルガードから真紅の血が、そこに付与された滅獄の血が人類に倒せぬ化物を十字架として密封する。
後に残るのは――大地に転がった小さな十字架だけ。
「ルー、大丈夫か!」
「…………大丈夫なわけねーだろ」
失血死寸前の様で大丈夫なわけがないだろうが。
全くこのでくの坊は昔からこういうあたり鈍いのだ。
嬉しくもない幼馴染に苦笑しながら――意識は消滅した。
もう一話だけ続くんじゃよ。
ラストはちゃんとチェインと絡めないと(
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