くろはく
とある春の日の午前中、新しい提督が我が鎮守府に着任してくると連絡が回覧で回ってきた。窓の外に目を向けると、桜並木は風に揺られながら花びらを舞わせている。
「きれいだけれどシロアリがいっぱいいるのだろう?」
以前、部下たちの前で言ったら全力で殴られた。
よそ見から戻った私は回覧に目を通しながら緑茶をすする。煎れるときに少し茶葉が多かったのか、それとも煎じる時間が長かったのか緑茶はいつもより苦みが強かった。お茶うけには甘いものがほしい。
そんなことよりも今は回覧だ、周りの噂話によると新任提督の父親は上層部のかなり偉い人物らしい。
一部の連中はどうやったら上手くお近づきになれるかを考えあぐねていることであろう。連中からしてみれば、太くて頑丈なコネクションは喉から手が出るほど欲しいものだ。
一方で、叩き上げの連中にしてみたらそれは面白くない話になる。連中は特別扱いが大嫌いだ。どうやって困らせようか考えているものもいると聞く。
両方に共通して言えることは、よからぬことしか考えていないということだ。
それでも同じお仕事仲間になるわけだから、私は事を荒げようとは考えていない。
仕事に支障が出るのはこちらにしても都合が悪いし、かといって特別扱いもするつもりはさらさら無い。最初で甘やかせば人はダメになる。今後の計画も近々考えておく必要がありそうだ。ものすごく面倒だ。
今日の執務はポスター作りだった。
趣旨は備品を大切に使うこと、廊下は走らない等といったありきたりなものである。
こんなものが必要になるのは、勿論守れない輩がいるからだ。
作業中の4人は変わるがわる椅子に座っては目の前にある端末とにらめっこをしていた。
私のところには現在この4人しかいないが、戦力不足が否めないので主に後方支援や資源の確保を任務としてこなしている。本人たちには言わないが、よくやってくれていると思う。ただ一名が勝手に調子に乗るので口が裂けても言うわけにはいかない。
中には戦艦も空母も配備されていない私を出世から外れた負け組だと言うやつもいるが、勝手に言わせておけばいい。そういうやつに限って自分は特別だと思い込んでいる。
ついでに馬にでも蹴られればいい。もっとも私は今より上に上がるのはあまり興味がない。自由が利かなくなるのが嫌だと言ったほうが正しいか。
しっくりとしたキャッチコピーが出てこないらしく、あれでもないこれでもないと話し声が聞こえてくる。
懐から取り出した懐中時計は、時刻午後12時を指す。
そろそろ食堂に向かおう。今日は何を食べようか、さすがにカレーは食べ飽きてしまった。
「もうみんなお腹も空いた頃だろう。お昼にしよう」
第六駆逐隊の4人に作業を中断させ声を掛ける。
「今日のおすすめはなんだったかしら、響知らない?」
伸びをしながら暁が尋ねる。今日のおすすめとは、青葉のリサーチによりその日食べておきたい食堂のメニューのことだ。しばらく響は考えてから、
「今日のデザートは料理長の気まぐれスイーツだったと思うけど、アレにはあんまりいい思い出が無いね」
それを聞いた暁の顔が形容しがたい表情に変わり、響は苦笑いをしている。私もあれにはいい思い出が無い。それがいいものだとは言えない。なんといっても一番被害を被ったのは私だったのだから。
…もう臨死体験はしたくない。
「たまに比叡の作った暗黒スイーツが出てくるのよね。今度は大丈夫かしら?」
そもそも何故比叡が作ったものが料理長のスイーツとして出てくることがあるのだろう。
料理長要素が皆無ではないか、タイトル詐欺で訴えれば勝てそうな気がする。
噂ではスランプに陥った料理長に比叡が創作料理のレシピを見せたのが発端だとかどうとか。真相は謎のままだ。暗黒レシピを実用化するなどその時の料理長は頭がいっていたとしか思えない。
比叡のデザートが食堂のメニューに出て、それを食しても無事で済むのは赤城ぐらいだろうさ。
たいていの者は半日寝込む。それさえも運が良ければの話ではあるが…
私の場合は全快するのに丸一日かかった。
「今そんなこと考えたって、その時になってみないとどうなるかなんてわからないじゃないの。考えるのは後でいいわよ。幸い死人はまだ出ていないのよ?」
雷はあまり心配していないようだ。そういえば雷はこの前、自分の分を赤城に食べさせていたな。運のいいやつである。
「おねえちゃんはもうちょっと危機管理を持ったほうがいいと思うのです」
腕をぶんぶん振りながら電は言う。
「電が心配性なだけなのよ。何かあったら私がちゃんと守ってあげるから。大船に乗った気分でいなさい」
自分の胸にどんとこぶしを当てながら雷は言う。それを聞いた電は力なくため息をついている。いつも電は雷に振り回されている。大変な目にあっても次の日には仲直りしているのだから電は本当にやさしい子なのだろう。
「おねえちゃんは駆逐艦なのです…戦艦よりはちっちゃいのです」
「言葉の綾じゃない。そんなこと言ったら私たち駆逐隊ですもの」
他愛もない話をしていると食堂の前に着いた。するとそこには張り紙が貼ってあり、そこに人だかりができていた。張り紙を指さし四人を見ると、彼女たちは無言で頷いて人ごみをかき分けながら張り紙の前を目指す。しばらく待っているとみんなが帰ってきた。
詳しくまとめると赤城がバカ食いして本日完売御礼とのことである。他にも比叡の作った料理が含まれているなどといったお知らせもたまに貼ってあるのだが、たいていの場合は残念なお知らせである。
「どうする司令官?」
雷が私に聞いてくる。まれによくあることなので、こうなってしまった場合の対策も勿論用意してある。
「ここがだめなら仕方ない外に食べに行こう。各自食べたいものはあるかな?」
「お寿司がいいな!司令官」
暁が目を輝かせながら言う。いつにもまして素直だな。いつもより聞き分けのいいお子様のようではないか。出前のほうが手っ取り早いが折角なので出かけよう。出前と店に行くのではやはり違うものがある。
「皆は寿司でいいか?」
念のために他の三人にも確認を取る。意見が割れれば多数決なりじゃんけんなりで行先を決める。
「お寿司食べたいのです」
「別に私たちはどこでもいいわよ?」
電も笑顔で、響も雷もそれでいいようなので回る寿司屋にでも行こうと思う。
回らないお寿司屋さんには暁がレディーになれたときにしよう。店は車を走らせればそこまで時間は掛からない距離にある。
私は駐車場に行って5人乗りの黒い普通車を動かし、鎮守府入口に車をつけて待たせていた4人を拾う。
乗り込んだのを見て私は車を出す。移動中に他愛もない雑談をしているとほどよくして回る寿司屋にたどり着いた。そのころになると、途中から雑談がしりとりに代わり響の“る”攻めに暁がやられていた。4人を先に降ろし、場所を取りに行かせる。
車を駐車場に停めて入口から入っていくと、奥のほうのボックス席から響が手を挙げ合図を送ってくる。どうやら待たずに済むようだ。みんなのいるボックス席に私も向う。
席に座るや否や雷が私の前にお手拭き、割りばし、緑茶の入った湯呑を渡してくる。
「手際がいいな。雷、ありがとう」
「こんなの普通よ」
いつものことじゃないと雷が至極当然のようにそう言うと、暁はむっとした顔で不機嫌そうになる。
「私もそれくらいできるもん」
暁の対抗心に火をつけてしまったらしい。そんなことにいちいち反応するのが彼女らしいといえばらしいのだが…
「まぁ折角ここまで来たんだ。好きなだけ食べないと勿体ないぞ」
「おー今日の司令官は太っ腹だね。出るお腹ないけど」
響までそういうことを言ったそばから、トロ、イクラ、穴子と結構なお値段の寿司ネタを流れてくるレーンに手を伸ばしテーブル席に並べていた。
「たまご、いかさん、たこさん、鉄火巻」
歌いながら電が取っているのは、どちらかというとお財布にやさしいもので、そして全部山葵抜きだった。
「電は山葵だめなのか?」
「ツーンと来るのが苦手で」
かくいう私も必要以上に山葵の乗った寿司はできたらご遠慮したい。舌が大変なことになる。
電の隣に座る雷はというとネギトロ、納豆、海栗と軍艦巻きを攻めているらしい。
暁はというとまだどれにしようか考えていた。
「好きなもの食べていいとは言ったけど、長居はできない。だからあんまり優柔不断だと何も食べられずに帰ることになるぞ、暁」
「そう言われても悩むのよね。そうだ司令官おすすめないの?」
「そうだな、炙った塩サーモンとか炙りエビマヨとかどうだ?」
丁度よく流れてきたので私はそれを取り、暁の前に置く。
「ありがとう。お礼くらい言えるし」
そっぽを向きながら、ぶっきらぼうに暁が言う。一言が絶望的に不要だった。その様子をジーっと響は眺めている。
「素直になれない姉さんは可愛いと思わないかい?司令官」
響がニヤニヤしながら聞いてくる。このシスコンを私には矯正できそうにない。
「ノーコメントで頼む」
「司令官は釣れないねぇ」
面白くなさそうにため息を吐き、響は緑茶を飲んでいた。彼女は湯呑を置き、再び高そうな寿司の乗った皿をレーンから取っていく。そろそろ手持ちで足りるのかが不安になってくる、この店はカードが使えただろうか。そんな私を察したのか雷が耳を貸してとサインを送ってくる。耳を傾けると雷は周りには聞こえないように小声で、
「いざって時は私がどうにかするわよ?この雷様に任せておきなさい」
雷様はなんでもお見通しというわけか、頼もしい限りではある。
「流石にそれはどうかと思う」
「割り勘とかでも気にしなくていいわよ。司令官が奢るとは一言も言っていないし、放っておけば響だけが無駄に高くつくわよ?」
言われてみればそうなのだが、その提案に甘んじてしまってもよいのだろうか。そんなことを考えながら、真鯛、カンパチ、ビントロの皿をレーンから取る。
「1貫私におくれよ、司令官」
こっちを見ていた響が自分を指さしながらこっちを見ている。お財布に直撃を与えるだけでは飽き足らず、私の寿司ネタまで狙っているだと。そんな様子を見ていた電が響にエビの皿を取って渡す。
「響ちゃん、これおいしかったですよ。よかったらどうぞ、なのです」
「あぁ、電ありがとう。でも私はその司令官の真鯛もおいしそうに見えてね」
電からエビを受け取り、すぐさまこちらの真鯛を補足する響。
「おいちょっと待つんだ響、高い寿司を食べているなと思ったら今度は人の分まで強請(ねだ)るのかお前は」
クレームを突き付けても、響はきょとんとしている。
「流石に司令官がおごってくれるにしても、ちょっと響高いもの食べ過ぎなのよ。それと予算オーバーしたら割り勘なんだからね。自分の食べた分は後できっちり請求させてもらうわよ」
雷が助け舟を出してくれた。それを聞いた響は、そいつは初耳だと驚いている。まぁ今初めて言ったわけですが…
「そろそろ年貢の納め時なんじゃない響。あんまり司令官いじめたら可愛そうよ」
暁もプリンを食べながら、響に姉らしく言う。素晴らしくプリンがよく似合うお子様にしか見えないが、たまにはいいことを言ってくれた。
「姉さんがそう言うならしょうがないね。判ったよ」
ようやく響はあきらめてくれたらしい。私も肩の荷が少し降りた。
それからしばらくして私たちは、店を出ようとお会計に向かうと私の財布だけでは足りないという現実を突き付けられた。それを聞いた4人はかわいらしい財布を取り出し、オーバー分の支払いを済ませる。その後で鎮守府への帰路に発つ。帰りの車の中で、食後の眠気のためか暁と雷、電はぐっすり寝ていた。
「お寿司おいしかったね。司令官」
「そりゃあれだけいいもの食べりゃ満足するだろう」
「連れて行ってくれてありがとう司令官。次はどこに連れて行ってくれるんだい司令官」
「そうだなぁ、今度は響の奢りでどこかに行こうか」
「じゃあそのために、私のお給料を上げてもらわないと…」
結局はそうなってしまうのか。それは私がどうこうできる範疇を超えている。
「給料は何につかっているんだ」
「それは乙女の秘密だよ。じゃあ司令官当ててみなよ」
「そうだなぁ、鎮守府を裏で牛耳る為の裏工作とかか?」
「司令官、私がそんな風に思われているなんて心外だな。いくらなんでもそれはないよ」
運転中の後頭部を響にポンポンされる。運転中にちょっかいを出すのは事故の元だから本当にやめてほしい。
「じゃあ他の連中は何に使っているんだ?」
「姉さんと電はかわいい小物とかぬいぐるみに、雷は手芸用品とかが多いかな」
年頃の女の子らしいじゃないか。私がこの子達くらいの頃はずっとゲームをしていたような気がする、引きこもりではないインドアなだけだ。まわりにいる乙女達の秘密はペラペラしゃべるなぁ。まぁ、あの子たちからしてみたらなんでもないことのようにも思えるが…
「無駄遣いしているわけでもなさそうだし、それだけ分かってよかったよ」
「だけどね司令官、一つだけ問題があるんだよ」
「何があるというんだ」
信号で車が止まったので、私は振り向いて彼女のほうに顔を向けると、響は言葉を考えながらしばらくして返答する。
「姉さんが可愛い子猫が飼いたいって言うんだ。しかも室内で」
流石に室内で動物は飼えないんじゃないか?壁で爪とぎとかされても困る。
「それからね、私は猫アレルギーなんだよ。でも笑顔の姉さんになかなか言い出せなくてね」
相手を傷つけずに自分の言い分を言うのもなかなか難しいものだ。
「だったら、一緒に考えよう。一人で悩むよりはいいと思うぞ」
「ありがとう司令官」
帰り着くまで時間は少なかったけれども一緒に考えた。そして暁の目が覚めるちょっと前に名案が浮かんだのだ。
響が暁にどう言ったのかは、また別の話である。