やはり妹の高校生活はまちがっている。   作:暁英琉

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密かに彼の心は悲鳴を上げ始める。

「ふぅ……」

 風呂から上がり、ベッドに身を投げる。正直、ぐちゃぐちゃの思考をほどいている間の記憶がない。ただ、そのおかげでだいぶ今の思考はクリアだ。だから、もう一度熟考を始める。

 昼の間にまた新たな情報が入った。いままでの小町の俺に対する態度とは明らかに違う何か、その何かを未だ測りかねているわけだが、全体的に好意的印象を俺に対して持っている……と思う。というより、好印象ではない人間に対してキスする女に育てた覚えはお兄ちゃんはない。

では、問題はその好印象がどの方面のものかという話だ。あくまで兄妹愛の範疇なら、小町が重度のブラコンにさらに重度のブラコンをこじらせてしまっただけということになる。思えば、高校に入った小町は最初からやけに俺にべったりだった。中学の時はそんなでもなかったはずだが、やはりかなり頑張って入った達成感からか、俺に甘えようとする機会が増えた気がする。となると、これは一種のつり橋効果のようなものであり、一過性のものである。放っておけば問題はないはずだ。対して恋愛感情。そんなことはあり得ないと思うが、あくまで仮定として思考する。そもそも、兄妹愛の類なら一緒に寝たからと言ってドキドキしたり、普段着ないような服を着たりするだろうか。答えは……否、とも言えない。そもそも情報量が少ない。漫画や小説のフィクションなんて参考にならないし、現実じゃ友達がいないから参考がない。こんなときに交友関係の薄さがネックになるとは……。だから想像するしかない、自分の価値観で補完するしかない。しかし……しかし……。

「お兄ちゃん……」

 ガチャリと扉が開いた。思考の間、意識の端に歩いてくる足音はあった。誰がそこにいるのかも理解していた。そこにいたのは、現在俺の思考の中心である小町である。いつもの俺のお下がりジャージに身を包み、枕を胸に抱いている。……ん? 枕? なんで?

「どうした?」

「えっと、一緒に寝ても、いい?」

 …………。

 えっと、うん。よく考えろ八幡。数年間全然一緒に寝なかった妹が二日連続で一緒に寝ようとしてくる。これは事件だ、きっと何かしらの悩みを抱えていて、俺に相談もできず心細いに違いない。とりあえず、ここは拒否よりも受け入れが大事な、はず……である。

「あぁ、いいぞ」

 身体をベッドの端に寄せてスペースを作る。掛け布団を上げると、小町が中に滑り込んできた。割と十分な幅があるはずなのに、今朝のように俺の胸に顔をうずませるほど近い。

「どうした、なんか悩み事か?」

「ううん、大したことじゃないよ。ちょっと、お兄ちゃんが恋しかっただけ」

 頭をポンポンと軽くなでてやると小町の身体からかすかに力が抜けた。全くこいつは、いくつになっても甘えたがりだ。

「まったく、そんなんじゃ何時まで経っても兄離れできないぞ?」

 それはただ茶化すだけの言葉だったはずで、お前も妹離れできてねえじゃねえかというブーメランギャグだったわけで。

「小町は、お兄ちゃん離れするつもり……ないよ」

 だから、返ってきたまじめな声が一瞬誰のものか分からなかった。視線を落とすと、まっすぐな目をかちあう。小町はゆっくりと口を開き、しかしその口はなにも発することなく閉じられる。きゅっと横一文字に引きのばされた唇はやがて両の口角が上げられ、いつもの元気な笑顔になる。

「じゃあ、お兄ちゃんおやすみっ」

 ぽふっと再び胸にうずめられた頭は再び動くことはなかった。

「……おやすみ」

 小町の頭と肩に軽く腕を乗せ、俺も目を閉じる。脳裏によみがえるのは昼の、あのプリクラでの小町の表情。あの表情を思い出すたびに心がざわつく。

 小町の心を探るために、情報を精査、分解、統合し、計算し、論理立てをしようとした。しかし、答えを導き出すにはどうしても俺では情報、経験値が少なすぎた。だから、今度は自分の気持ちを探る。

 小町はかわいい妹だ。多少あざといところや変なところに気を回すところもあるが、それでもかわいい、自慢の妹である。それが今までの俺の認識であったはず。では、なぜ彼女の言葉に心乱され、彼女の表情に魅入ってしまうのか。小町が変わった、いや新たな一面を俺に見せているように、俺の小町への感情に別の側面があるのでは――

「あぁ、これはだめだ……」

 心が軋み、悲鳴を上げる。これ以上は思考の限界、いや思考のセーフティラインに引っかかる。無意識が「それは勘違いだ」と思考を塗りつぶしていく。真っ黒に塗りつぶされた意識は次第に睡魔の海に沈んでいく。

 

 俺は……俺は……おれ、は……。

 

 

 日曜日は普通に過ごせていたと思う。いつも通り朝のスーパーヒーロータイムを過ごし、本を読んだり受験勉強をしたりしていた。そう、今まで全然話題に上がらなかったが、俺は今年受験生なのである。まあ、アホの子由比ヶ浜ならともかく、俺の文系成績はすこぶる良く、第一志望の私大文学部の模試判定も良好だからいつもは時間を見つけて確認をする程度で十分なのだが、その日はいつもより机に向かっている時間が長かった、正確には部屋に閉じこもっている時間が長かった。小町と顔を合わせるのが気まずかったというのもある。全然いつも通りじゃねえな。飯の時にはどうしても会うことになるが、その時の小町はいつも通りで俺だけ変に遠慮しているのが馬鹿らしくなる。

 そして、その夜も小町は俺の部屋にきた。もうそこが定位置と言わんばかりに俺の胸に顔をうずめて眠りに落ちている。手ぐしで軽く髪をすいてやると、気持ちよさそうな吐息を吐く。そんな彼女を見て抱く感情を「兄妹愛」だと断定し、安心し、俺も眠りにつく。

 

 

 そして月曜日だ。休日の後の最初の平日であるところの月曜は本来忌み嫌われるところである。しかし、不思議なことにぼっちの俺でも愛着があるのか最後の一年ということもあり、月曜が少々楽しみになっている節があった。

 目を覚ますとすでに小町は起きているようでベッドには一人。頭を掻きながら洗面所に向かい、顔を洗ってリビングに行く。

「あ、お兄ちゃんおはよー」

「おぉ、おはよ」

 昨日も思ったけど小町ちゃんほんといつも通りよね。意味深な発言や行動、表情をしていたことは別人みたい。これだから女子ってやつはわからん。十五年連れ添っている妹すらわからんのだから、俺が女心を理解するには転生が必要まである。

 朝食を取って登校の準備をする。玄関に出るとすでに自転車がスタンバっていた。荷台にはマイリトルシスター小町。

「こいつ……」

 文句を言っても時間を無駄に食って遅刻するだけなので、軽く悪態をついてサドルにまたがる。いつも通り腰に回される腕、いつも通り背中に密着するあれやそれ。

「――――――っ」

 いつも通りのはずの行為にいつも通りの対応ができない俺がいた。妙に背中の感覚が敏感な気がする。鼓動は全力疾走した後のようにバクバクと打ち鳴らされ、額にはじっとりと汗のにじむ感覚があった。

「? お兄ちゃんどうしたの?」

「っ……なんでもない、いくぞ」

 首を振って余計な思考を振り払い、ペダルに力を込める。

 いつもより早く走っているはずだった。

 いつもより強くこいでいるはずだった。

 なのに、どうしてこんなにペダルが重く、学校が遠く感じるのだろうか。

 

 

 長かったような登校時間だったが、実際にはいつもより早いくらいだった。小町と別れて昇降口に向かう。靴箱を開けると、上履きのほかに見覚えのない、しかしもはや見慣れたものが入っていた。

「五通……ね」

「ヒッキーおはよー! あ、今日も入ってたの?」

 丁度登校してきたらしい由比ヶ浜が肩越しに俺の手元を見てくる。大きさや形は多少違うが、封筒に入ったそれは恋文、ラブレターと呼ばれるものに違いなかった。

 眼鏡の件で一躍学校の有名人に(不本意ながら)なってしまった俺に対する周囲の反応は第二フェイズに突入していた。第一フェイズではそもそも俺のパーソナルデータが全く知られていなかったため、周りは騒ぎつつも俺に対する接し方を決めあぐねていた。いや、おそらく俺を観察してどういう人間か判断していたのだろう。人間観察が趣味の俺が人間観察されるとは不覚。

 で、一色や小町に聞いた情報によると、俺の今の他者からの印象はクールで寡黙、群れない一匹狼と言ったところらしい。無愛想で無口、ぼっちって変換すると超俺っぽい。人は同じ情報でも自分の都合のいいように解釈すると言うが、ここまで好印象だと逆に怖い。俺なんもしてないんだけど。

 そして、印象の大枠ができるとこのようにラブレターを靴箱に放り込まれるというラブコメ展開が第二フェイズとして始まった。正直一過性の話題程度の認識だっただけに最初は驚いたが、今では特に何も感じない。というか気が重い。

「これ返事どうするの?」

「んー? 名前があったら手紙でお断り返信、名前がなかったら無視だな」

 それがこの現状に対する俺の対処法だった。こういうのに名前を書かない奴は相手に告白の時間までに考える時間を与えない身勝手な奴だし、いたずらの可能性も高い。名前が書いてあれば返答くらいはするが、面と向かって断るのは後味悪いし、そもそもよく知らない相手に告白されても困る。あー、マラソン大会の時の葉山もこんな気持ちだったのだろうか、あいつも大変だな。

「ふーん、まあヒッキーらしいというかなんというか……」

「まあ、中学の頃の俺だったらほいほい行ってたかもな。ていうか、これ場所時間トリプルブッキングかましてるじゃん。いやだよ修羅場みたいになるの……ん?」

 よく見ると封筒の間に小さく折りたたまれた紙が挟まっていた。何回も折りたたまれたそれを開く。

「…………」

「うわ……」

 広げられた紙にはただ一言。

 

『調子に乗るなよ』

 

 

「では、作戦会議を始めましょう」

 本日の奉仕部は雪ノ下の一言から始まった。部室には雪ノ下、由比ヶ浜、俺、小町、一色――

「ってなんでお前ナチュラルに参加してんの?」

「え?」

 いやなにその何を言われたのか分かりませんみたいな顔。なぜ生徒会長様がここにいるんですかねー。

「いいじゃないですか~。今日生徒会ないんですから~」

「いやならサッカー部行けよマネージャー」

 つーんとそっぽを向かれた。無視ですかそうですか、このクソガキ……。

「んで、なんの作戦会議なんだよ」

「今朝あなたがもらったという警告文に対してよ」

「…………」

 おら、睨んだからって目線泳がせてんじゃねえぞ由比ヶ浜。ったく、余計なことしやがって。

「別に気にするこたないだろ」

「そうはいかないわ。いくら犯罪者とはいえ一応は奉仕部の部員なのだから、あらぬ疑いがかけられているならちゃんと対処しなくてはいけないのよ」

「待て! いつから俺が犯罪者になったんだよ。未だ清い身体だしこれからも清くあり続ける予定だよ」

「そんなことはどうでもいいわ。時間も限られているのだから、すぐに会議を始めましょう」

「いやどうでもよくは――」

「始めましょう」

「……はい」

 ひえぇ、怖いよー……。なんでこいつこんな怖い目できるんだよ、覇王色の覇気とか使えそう。あ、けど雪ノ下あの世界にはとある一部分がそぐわないな。

「それで、手紙はどんなものなの?」

「あぁ、これだ」

 ポケットから例の手紙を取り出し、雪ノ下たちに渡す。広げた雪ノ下は一瞬不快そうな顔をした。

「手書きだけど、何度も重ね書きしているせいで筆跡の判別は付かないわね」

「男の子か女の子かもわからないね」

「新聞の切り抜き文字よりいや~な感じですね~。こんな陰湿なことするのいるんですね」

 職場見学のチェーンメールや一色の生徒会長出馬の件など、割とうちの高校は陰湿な奴いると前から思ってたけどね。そもそも高校生なんて自尊心の塊なんだから、自分よりちょっと目立つ奴に嫉妬するし、自分より楽しそうな人間を妬むものだ。要は自分が劣っていると認識するのが気に食わないのである。

「ふむ、これでは筆跡鑑定も無理ね」

「ただの手紙でそこまでしなくていいんじゃないですかね。お前が言うと冗談に聞こえん」

「あら、冗談のつもりはなかったのだけれど」

「なにそれこっわ。別に気にせんでいいだろ。俺だって目立たなかった奴がいきなり人気者になったらいらっとくるし、去年は割と悪目立ちしたからな。恨まれる相手なんて数え切れん」

 実際割とどうも思っていないのだ。実害が出ているわけでもないし、実害を出すような輩ならすでに行動しているだろう。おそらく非リア男子か去年の俺の行動を快く思っていない連中だ。どうせ人は慣れる。人の噂も七十五日というし、放っておけばたいていの人間は現状を受け入れるものだ。

「そう、あなたは解決を望まないのね」

「解決もなにも事件は起こっていない。葉山だって万人に好かれるわけじゃないように、俺が目立つことに批判的な人間がいるのも事実だと言うだけの話だ。むしろこういうのが今までなかったのが奇跡だとすら思うぞ」

 俺の説明に一応皆理解はしたようだが、まだ納得はしてないようだ。小町は普段見ないような難しい顔をしている。俺のためにこんな表情をしてくれていると考えると悪い気はしない。苦笑しながら小町の頭を軽くなでてやった。

「ま、変に波風立てずに今は放っておこうぜ。今は情報が少なすぎるしな」

「わかったわ」

「うん、そうだね……」

 会議が一応の結論に達したことで、その日は解散となった。鍵を返しに行く由比ヶ浜と雪ノ下、生徒会室に戻る一色と別れて小町と駐輪場に向かう。

 俺はあくまで楽観的だ。この程度の手紙、中学のころにもらった不幸の手紙に比べれば屁でもないし、他に動きもない。やり口が生易しすぎて笑えてくるレベルだ。だから、今は何もしない。警察が事件が起きてから動きだすように、俺は動きがあってから動きだそう。

 小町は全くしゃべらず常に俺の服のどこかを掴んで付いて来ていたが、家に帰る頃にはいつもの調子に戻っていた。――いや、無理をしていつも通り振る舞っていると分かっていて、俺はなにも言うことができなかったんだ。

 




さーて、どうやってこの兄妹くっつけさせよう(無計画

というか、週一更新の予定だったのに気がついたらほぼ日刊投稿になってますねこわ
これも全部小町が天使なのが悪い

ただ、今週はちょっと忙しいかもなので日刊は無理かも・・・

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