あの日の奇跡と東風谷早苗について   作:ヨウユ

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柊玲奈について 2

 唐突な東風谷の柊お泊り確定宣言を告げられた後に、柊についての話題にすぐさま変わった。

 東風谷から話された事の仔細をかいつまんで説明する。

 

 柊玲奈は妖怪と人間の混血らしい。

 

 二柱もその判断に行き着いたことから、ほぼ間違いないとの事だ。その話を俺と一緒に聞いている柊は、落ち着いたものだった。俺の居ない場での話し合いで聞かされていたせいかと思ったが、そうではない。

 彼女自身に元々、普通ではない自覚はあったらしい。流石に自分の血に妖怪なんていう不確かな存在の血が流れているというのは、思ってもみなかったらしいが。

 ただ、それが原因で問題が起きたこともあった、と彼女は静かに語った。その言葉に、その柊が語る俺の知り得ぬ彼女の過去に、やはり、俺は東風谷早苗の幻影を見るのだ。

 

 もし、俺の居合わせぬ場所で、東風谷が中学のあのような問題に直面していたら、と。

 彼女は俺にはその過去を細かくは説明しなかった。ただ、問題が起こったのだと、自覚はあったのだと、静かに、諦めたように説明する彼女の隣で痛々しそうな表情をしている東風谷の顔を見て、何となく、柊は東風谷には話をしたのだろう、とそう思った。

 

 いつの間にやら二人は随分と親密になったようで、俺の置いてけぼり感が凄い。

 とりあえず、俺らの懸念は解消され一件落着かと思いきや、話は終わらず、同時に柊自身が別の問題を抱えていることが発覚した。

 藪をつついて蛇が出た、とはいっても身構えていたものとは別だったが。

 

 それは俺自身も学校でも少し違和感を覚えた、柊の右腕に関係することだった。見ていてあまり気分の良いものではないと、柊は言った。その忠告を受け取ったうえで、拝見した柊の右腕は、そこに出来ていた傷は、確かに彼女の言う通り尋常ではなかった。

 

 袖を捲りあげて、巻かれた白い包帯を解いて、右肩から肘にかけて斜めに入った刃物のようなもので切られたような傷跡。これだけで既に異常ではあった。

 だが、異様なのはその傷口を中心に広がる黒い痣のようなもの。大火傷の跡のような醜さ。彼女の白く細い腕にその亀裂が走ったように拡がる痣は皮膚を溶かすように爛れ続けて、触ったらグジュグジュと音がしそうだった。何より異様だったのは、その拡がった痣を押し戻すよう僅かに縮んだり、蝕むように拡がったりしていたことだ。それは脈動しているように見えて妙な生々しさがあった。

 柊には悪いが、確かにあまり思い出したくないものだ。

 

 

「ごめんなさいね」

 

 柊が傷のあった自身の右腕を見ながら、申し訳なさそうに言った。今、東風谷はお茶とお菓子を取りに行っている。数分は戻って来ないだろう。つまりこの場には俺と柊しかいない。

 

「……何がだよ」

「顔を見れば分かるわ。おぞましいものを見たって、そういう顔をしてるもの」

「俺はいつもこんな顔だよ」

 

 いやまあ確かに、思い出したくない類のものではある。食事時に見せられたら食欲失せるレベル。だが、ここで確かに気持ち悪いね、と言えるほど鬼畜にはなれない。他人に害を与えないよう生きてきた俺は、今回もそのように振る舞う。というより、怪我人や病人を指さしてそんなことを言えるような人間の方が稀だろう。

 

「それに、面倒事に巻き込んでしまったわ」

「ばーか。巻き込んだとかそんなの気にしなくていいって。お前、東風谷見ろよ東風谷。ついでみたいに問答無用で俺も家に呼んでおいて、一時間近く俺という客を放ってたのに謝罪一言ないんだぜ? あいつのハリケーンっぷりを考えたら大したことじゃない。なんなら今回もどっちかっていうと東風谷に巻き込まれたとも言える」

 

 実際、俺一人では柊の事情に関してここまで深く知ることは無かっただろうし、知ったところでどうこうしようとも思わなかっただろう。東風谷と柊が居て、お互いに何か感じるところがあって、柊は東風谷に自分のことを話した。それを聞いた東風谷が動こうとしてるところに、俺も立ちあっていたから動くだけだ。

 

「それに、東風谷がやるって言ったら俺もやるんだよ。別に柊がどうって訳じゃない」

 

 ツンデレ風に言えば「べ、別にあんたのために動くんじゃないんだからね! 東風谷の為なんだからね!」である。あれ、それ柊の為に動いてね?

 

「東風谷曰くお前を傷つけた奴をブッ飛ばすらしいしな。色々大雑把過ぎてツッコみたいところはあるが、やることは決まってるし、明快だ」

 

 そう、傷が出来るということはその原因がある。あんな太刀傷みたいな跡は自傷癖でもなきゃつかない。自傷癖があっても、ああはならないだろう。つまりは柊の腕を斬った奴が居る。

 東風谷の話では、二柱曰く、どうやら斬った刃物が対妖怪に有用な物であるらしい。それのせいで、半端に妖怪の血が混ざっている柊の腕はあの惨事になっている、と。解決方法は至って単純。斬りつけたその武器を破壊すればいいとのこと。俺は妖怪だの神様だのに詳しくないので何とも言えないが、こちらにはその手のスペシャリストが居る。

 

 東風谷と彼女の信じる二柱だ。そもそも二柱は、妖怪変化が跋扈する時代より前からおられる方々だ。こんなに心強いものはないだろう。とはいっても、そんな対妖怪用の武器持ってるってことは、襲ってきた相手もその手の専門家である可能性が濃厚なんだが。その辺ちょっとこわい。

 

 そして、実際に動くのはその頼りになる二柱では無く、ド素人の俺とその道にどれくらい精通しているのか不明の東風谷である。

 うわあ、めっちゃ不安になってきた。

 

「貴方みたいな人は、見たことがないわ」

 

 そんな俺の内心の不安に気付かず、柊は唇に右手を軽くあてながら、ふふっと上品に笑う。

 

「いや、目につかないだけだよ。なるべく目立たないようにしているからな」

 

 出る杭は打たれる、つまり、特筆した才能が無い者は無暗に目立ってはいけないのだ。人間普通が一番だ。平凡、凡庸、何が悪い。自分は特別だと勘違いして思い上がって、目立って袋叩きに合わないようにしているのだ。能ある鷹は爪隠すと言う。つまり、誰の目にも止まらない程の俺は才者。違うか。

 

「学校での俺の姿見たことあるなら知ってるだろ。教室の隅で少ない友人と話すか寝てるかしてる目立たない生徒Aだぞ。どこか希少なところがあるなら、聞きたいもんだね」

「あら、東風谷さんから聞いた話では、中学では中々悪目立ちしたようだけど?」

 

 意地の悪い笑いを柊は浮かべる。好戦的な表情と言うのは、およそ彼女に似合わないと勝手に思っていたが、中々どうして様になっている。

 ……ていうか。

 

「おっま、どこまで知ってる!? どこまで聞いた!?」

 

 前のめりになって、恫喝じみた聞き方をしてしまう。ていうか何、あの子俺の事までペラペラ喋ったの? ステフかなんかかよ。

 

「それはもう詳らかに語ってくれたわよ、嬉々として」

 

 しかし、俺程度の威圧にはものともせずに柊はにっこりと笑う。なんでこいつちょっと楽しそうなんだよ。

 あの馬鹿。くそう、滅茶苦茶恥ずかしい。だが、東風谷が自慢げに指をたてて、ペラペラ何でもかんでも喋りまくってる姿が容易に想像できてしまう。

 

「そんときは何かおかしかったんだよ……」

 

 気恥ずかしさで、意図せず声が小さくなってしまう。あれはあの場で虐げられていたのが東風谷だったから、動かずにはいられなかったのだ。俺がどうかしていたんじゃなく、周りが正常じゃなかった。

 あの場で東風谷の実態を見つめて、本当の意味で嫌悪を覚えたのはおそらくたった一人。だというのに、それに乗っかって、さも自分たちが正しいと言わんばかりに行われる悪辣な行為に、それと、連中に対するわずかな個人的な感情で、一矢報いんとしただけのことだ。 あの時の事を、あの時の俺を東風谷がどう想っているかは、どう消化したのかは、俺には分からない。

 ただ、あの出来事は俺と東風谷の関係の分岐点だったとは思う。あれが無ければ、俺は今も、教室の隅で中田と話してるか、それこそ柊のように独りで大人しく席に座っているかだけの人間だった。

 表面上はどう見えたのか、東風谷がどう受け取ったのかは置いておいて、あの時に本当に救われたのは俺の方だ。

 

「じゃあ聞くけど、聞きますけど! お前こそ、何で学校で友達作んねえの? お前くらい外見良ければ引く手数多だろうに、あんな話しかけないでくださいオーラ出してさ」

 

 このまま会話を終えると、負けたような気がして、話を断行する。そもそも、こいつは一際目を引く容姿をしている。雰囲気からの近寄りがたさもあるが、それでも最初は話をしてみようと試みる生徒はいくらか居た。じゃあ、何故、こいつにクラスメイト同士の交流が出来ないのか。簡単だ、本人がそれを拒絶してるからに他ならない。

 勢いというのもあるが、その在り方の理由が少し気になっていたというのもある。

 

「煩わしいからよ」

 

 結構踏み込んだ質問だったが、柊はバッサリと斬って捨てるように真顔で言ってみせた。

 

「えー、こえーよ。え、なに、今こうしてる間も話すの煩わしいとか思ってるのかよ」

 

 こえーよ、何それこの子超怖い。

 

「何を勘違いしているのか分からないけど、私が言っているのは友達を作ったりして、その先のことよ」

「あー……なに。あれか、一人の時間が奪われるとかそういうあれか」

 

 まあ、分からなくはない。独り身だからこそ自由にできる時間というのも存在する。

 

「違うわ」

「違うのかよ、じゃあなんで」

「こういうと自信過剰で品が疑われそうだから、あまり言いたくはないけれど、私って……。顔立ちが整っているでしょう?」

「まあ、そうだな。お前を見て不細工だって言う奴がいたら、俺はそいつに眼科へ行くことを勧めるね」

 

 なんというか、「私ってば美人でしょ」とか「可愛いでしょ」と言わずに「顔立ちが整っている」と表現した辺り、相当自分では言いたくなかった感があるから、あえてツッコまずにいよう。事実ではあるしな。

 柊は一瞬だけ力が抜けたような顔をしたが、すぐに普段の表情を取り戻し、会話を続ける。

 

「……そのおかげか、小学生の時には私の周りにはいつも人が集まっていたわ。クラスが替わってもただ座っているだけで、誰かが私に話をかけて来て、私はそれに応じる。そうすれば自然と友達も増えていった」

 

 うーん、ぼくにはちょっと理解できないです。話かけに行かなきゃ誰も来ませんよ、ふつう。俺だけか。なんなら話しかけに行ってもあんまり仲良くなれない。

 

「男子に告白されることもよくあったわ。でも、そのことをあまりよく思わない子達もいるわよね?」

「まあ、お前に告白した男子の事を好きな女子だっていただろうしな」

 

 関わる人間が多い分、そういった恋愛ごとは複雑そうだ。小学生でも一丁前の男と女である。異性を意識する頃もなれば、打算で生まれる関係もあるだろう。なんか、色んな思惑が錯綜してるんだろう、人気者の周囲ってのは。

 

「そう、それが原因であまりよく思われないことも増えてきたわ。そういうのが積もりに積もって気づけば私にとって本当に仲の良い友達というものは減っていった。私に声をかけにくる子の大半は私の友人であるというステータスが欲しいのだと、察せたから」

 

 つまりは、人気者、持つ故の悩みという奴だろう。そりゃ隣に立っている奴が、自分の好きな異性の関心を買ってるなんて知れば良い感情は持たれないだろう。しかし、柊くらいの容姿を持つ者の取り巻き……こほん。友人となれば、それだけで一つの強み、アドバンテージになる。

 そういう人物と付き合いを持つ旨みというのは、想像に難くないところだ。人気がさらに人を呼ぶ。ここまでいくと蟻地獄かなんかだな。それに東風谷を見てきたから経験が無いわけじゃない。

 俺自身、小学生時代、東風谷を取り巻く人々の一員だったのだ。あの中に居た時の俺は、まだ人を疑うことを知らない純真さを備えていたからな。一度、東風谷から距離を置いた後には、本当に色々と考えさせられた。

 今にして思えば、東風谷の周囲にだって、柊が言っているような複雑で触れがたい、陰謀めいた思惑は常に渦巻いていたのだろう。もはや当時の細かいあれやこれを知る術は無いが。

 だから、贅沢な悩み、とは思わない。

 誰の一番にもなれないというのも悲しいが、誰にとっても一番というのも、やはり面倒くさいのだろう。

 

「まあ、それはかまわなかったのよ。感情がある以上、仕方ないと思えたわ。それに、それでも信頼の置ける友人がその時はまだ居たから。でもそれも」

「……」

 

 なんとなく、場の雰囲気が変わるのが分かった。思わず息を呑む。

 

「――――私の異常を知るまではの話だけど」

 

 言いながら、柊はどこからかハサミを取り出した。

 

「おいバ――」

 

 ふっ、と笑うと、俺の制止しようとするのも無視して、彼女は一切の躊躇なく、刃の部分を親指の腹に這わせて切ってみせた。それも結構深めに。そうしてサムズアップをするようにして俺の方に切った部分を見せてくる。見てみると、切り口からわずかに血の滴がしたたっていた。

 当然だ、指を切ればそうなる。

 だが、そこからが普通では無かった。非現実的だった。溢れるはずの血はすぐさま止まり、3秒も経てば傷口も閉じて、全くの元通りになってしまった。

 

「カ―――……?」

 

 開いた口がふさがらない、とはまさにこの事か。

 東風谷も神様が見えるのとは別に、摩訶不思議なことがいくつか出来ると聞いていたが、実際に見せてくれたことはない。故に、このような人ならざる業を見るのは、初めてだ。

 自嘲気味に、彼女は薄く笑って俺に言う。

 

「ご覧の通り、これが私の普通じゃないところよ。この程度の傷なら秒で治る。これだけが全てを台無しにしたと言っても過言ではないわ。このことが周囲に発覚してすぐに、私を取り巻く人たちの態度は変わった。血のつながった親にさえ怯えられ、小学校では化け物と誹られ嫌われ者になったわ」

 

 天井の灯りを見上げた彼女の瞳は、実際には何を見ているのか俺には分からない。

 

「いつ、どこで怪我をしないとも分からないし、誰かと仲良くなれば、その分だけ露見する機会が増える。きっと、その度に噂が飛び交って迫害されるのよ? 事実、コレが知られてからの小学校での生活は不快なことだらけだったわ。ほら、そんなの煩わしいじゃない。だから、中学以降は身の振り方を変えたの、あなたも知る高校での私のように」

 

 彼女はそうして線を引いたのだ。自分と他者との間に。決して自分の側には立ち入らせないように。

 

「……本当に勝手だわ、人って。勝手に期待して勝手に裏切られれて、私の何が変わったと言うのよ。あなたたちが知らなかっただけで、元から私はそうだったというのに」

 

 ああ、全くもってその通りだ。

 東風谷の時だってそうだった。あの虐めの一件をとってみても、東風谷早苗はその以前と以後とで変わってなどいない、変わったのは彼女を見る相手の目だ。

 いつだって他者から見た自分という虚像と、己が考えている自分という実像とに差がある。

 本来、そのズレは日々を過ごしていく内に、集まっていく情報をもとに逐一調整されていくものなのだ。例えば、あの人は実は照れ屋だったとか、ものすごい努力家だったとか、外では完璧に仕事をこなして頼れる人なのに、家ではだらしないだとか。

 そういう知らぬ一面を知ることで、実像とのズレを少しずつ近づけていくものなのだ。そうやって「この人は本当はこういう人なのだ」と理解して、受け入れ親しくなる、或いは許容できずに離れていくこともあるだろう。まあ、そうして調整していったものも、きっと本物からはズレているのだろうけど。

 

 彼女のように一見して優秀で非の打ちどころのなさそうな人間ほど、その虚像に求められる潔癖性、完璧性の水準は高くなる。そして、虚像の理想が高い程、実像との間に「大きなズレ」があると気づいてしまった時――その人物に理想を抱いていた人間ほど――嫌悪するのだろう。

 

 アイドルやらに彼氏彼女が居たと発覚したときに、そのファンが一斉にバッシングするのがきっと近い。そういった者たちはきっとこう言うのだろう「裏切られた」と。

 彼女に理想を抱いた者達にとっての実在の彼女と理想との「大きなズレ」は今しがた目の前で起きた現象に違いなかった。ソレは勉学や運動が出来るだとか出来ないだとか、容姿が優れているとか劣っているとか、そんな「普通」から逸脱した「異常」そのものだった。

 人は、他者に対して勝手な印象や固定観念で評価をつける。そうやってつけられる様々な評価を募った虚像を俺が見ることが出来たとして、しかし、そのどれを見ても、こんなものは見当たらないだろう。

 

 ――――だって、現実的に考えて、常識的に考えて在り得ないものなのだから。

 

 ならそれは受け入れられない。受け付けられない。生理的に嫌悪する者すらいるだろう。

 好印象を与える材料にはなり得ない要素を孕んだ彼女の実像は、いつか必ず、他者が勝手に抱いていた『柊玲奈』という虚像を粉々にする。

 そこから先にあるのは、他者からの悪意や害意だけだ。その敵意は、より親しかった者ほど苛烈になる可能性すらある。

 勝手に裏切られただけの彼らは、しかし、裏切られたという大義名分をぶらさげて、 それに周りの者が同調して、彼女を非難し、攻撃する。

 一体どちらが裏切られていたのか、彼女はその時にどう想ったのか、俺の知るところでは無い。なぜなら、俺は他人から注目を受け人気を得たことなどないからだ。

 

 ただ、そうならないためにはどうするかは俺にも分かる。

 希望を持つから絶望するのだ。期待があるから落胆するのだ。なら、最初からそんなものは持たなければいい、持たせなければいい。だから線引きをした。他者とは絶対に交わり合えないと、ずっと以前に彼女の心は冷え切ってしまって、諦めてしまったのだ。それがきっと今の彼女の在り方に繋がっている。

 

 教室で、独り窓の外を見つめている彼女の姿が、ふと脳裏に浮かんだ。どんなに大切な相手でも、いずれ袂を分かつと分かっているなら、最初から干渉し合わないようにする。そんな考え方は、至ったまでの過程は違えど、どこかの誰かと似ていた。

 ああ――――だからか。

 ようやく、柊玲奈という少女が妙に気にかかった理由が分かった。

 

「さて、そんな化け物の一面を見た訳だけど―――貴方はどうする、綾崎くん?」

 

 柊玲奈は、試すように問いをなげる。

 いつのまにやら、彼女は俺の方へ向き直っていた。

 見据えられたその視線から、彼女の引いた境界線がすぐそこにあるのが分かる。自分の側に立ち入らせていいのか、その瞳は冷静に冷徹に見極めようとしている。

 彼女の凍てつくような氷の瞳の中に俺が映っている。

 

 傷がすぐに癒える。確かに普通じゃない。腕が無くなっても生えてくるレベルなのか、今のような軽傷程度なら治るというだけなのか、どこまでその力が及ぶのかは分からないが、普通ではないということだけは確かだ。

 彼女は自身が特異であることに絶望したのか、それとも受け入れない周囲に絶望したのかは分からない。

 

 でも、俺は彼女を見て、正直羨ましいと想う、恨めしいと想う。だって、俺にはこんなにも何も無い。生まれながらにして柊は俺なんかより、ずっと東風谷に近いところに居る。   

 だから彼女は東風谷の事はすぐに信頼できたのだろう。だから東風谷は柊の為に立ち上がるのだろう。では、俺はどうだ。

 

 俺は普通の人間だ。

 

 俺がこうで無かったのなら、そのように生まれてきていたのなら誰かと誰かの関係は、もっと簡単に上手くいったに違いないのに。

 

 自分の凡庸さに目を、耳を塞ぎたくなる。俺は本当にありきたりな人間だ。

 でも、そんな普通の奴に目をかけてくれる奴が居る。そいつは自分が特別だって分かって、きっと真に同じものを共有することは無いって理解して、それでもこんな平凡に向かって手を差し伸べてくれている。自分とは決定的に違う者たちを、それでも好きだと言ってくれている。自分の最も大切な存在を忘れてしまったような連中を、飽きもせず、諦めもせずにヒトって生き物を信じている。そんな女の子を知っている。

 なら、お前だって諦めるには早いだろうに。

 

 一度、深く息を吸う。

 

 本当に。本当に不思議なもので、柊玲奈の内面に、他者との距離のとり方に、俺は共感できる。そして俺とは違って、生まれながらの素質は、とてもよく東風谷に似ている。その一際、人の好感を集めやすい淡麗な容姿も、特異な力も。

 きっと、今日俺が彼女に声をかけてしまったのは、それらのことから発生したシンパシーからだ。東風谷の影を見たからだけじゃない。自分と同じような考えに至った者だと、何となく気配で察したからに違いない。

 

 ――――やはり、俺は以前とは何かが変わった。

 

 何故か。

 彼女の考え方が、出した結論は、根本の理由は違えども俺に似ている。だというのに、それじゃだめなんだって、今はそう想えるからだ。

 能力が向上したわけではない。結局のところの問題の解決も出来ちゃいない。

 彼女ら特別と俺は、近くてもやはりどこか遠い。そんな感覚が絶えずあり続けている。ただ心の持ちようが変わっただけかもしれない。

 

 けど、それでも確かな変化があったのだ。

 

 東風谷から神様なんてものの話を聞いて、決して自分では見ることも聞くことも触れることも実感することも出来ない存在を告げられて、それをもっと知りたいと答えた。

 自分では決して理解できないものを受け入れて向き合っていこうとしている現在の状態を、妥協と言うべきか、手探りでも進んでいっていると言うべきか、俺には分からない。

 それが分かるのは、きっと、もっと先の話なのだろう。

 だから、その答えが出るまでは俺は異常だろうが奇異だろうが怪異だろうが背を向けるわけにはいかない。

 それらから目を背ける行為は、東風谷早苗を裏切ることに他ならない。

 他人に期待なぞしない、だけど、かけられた期待には応えたい。それが俺に唯一残された他者への近づき方だ。

 なら、俺は他の連中が柊を化け物と呼ぶに至った原因たる異常を、彼女の完璧をつき崩した菩提樹の葉を、柊玲奈の個性として、特徴として呑みこめる。

 まあ、なんだ、つまりは。

 俺をあまり見くびるなってこと。

 

「どうもしない」

 

 それにまず。

 こいつには言っておかなければならないことがある。

 

「とりあえず、自分で自分を傷つけるのはやめろ馬鹿。結構痛いだろ、今の。そんなことしなくたって、口で言えば俺には分かるっつーの。他人に裏切られたっていうんならせめて、自分くらいは自分を大切にしろよな」

 

 思ってもみなかった返答だったのか、それを聞いた柊は目を丸くして驚いた。

 

「へ?」

 

 普通の人間である俺に、そんな風に言われたのが意外で仕方ないと言った様子の彼女に何だか腹が立って、捲し立てるように続ける。

 

「東風谷から多分聞いてんだろうけど、俺は、神様が見えるなんて言葉をぬかしてる女子を、確証も無しに信じて、その実在を是としたド級の信者だぞ。柊のそれなんてどうってことはない、へえ便利だなー程度にしか感じねーよ。異常でも何でもねえ、お前のプロフィールを作成するときがあったら、特技の欄にでも書き込んでやる」

「ぷっ……く、くくく」

 

 柊が肩を抱いて震わせる。なんだよ、そんな可笑しなこと言いました俺?

 

「ホントに」

「はあ?」

「ホントに東風谷さんの言う通りだわ、おかしな人ね」

 

 柊玲奈は長い黒髪を揺らしながらくすぐったそうに笑う。

 なんでだろう、昔、誰にでも好かれて、期待されて、自らもそれに応えようとしていた時の彼女の笑顔はこんな風だったのだろうな、と見たこともないのにそう感じた。

 

 

 


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