あの日の奇跡と東風谷早苗について   作:ヨウユ

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柊玲奈について 3

 

「とりあえず、襲ってきた人の特徴とか教えてもらえますか?」

「長身の男で刀を持っていたわ、そこは断言できる」

「他に……顔とかはどうです? 犯人像のイラストとか書けますか? よくあるアレ」

「いえ、暗かったせいであまりはっきりとは。帽子を深くかぶっていたし」

「じゃあ、服装とかはどうですか?」

「オリーブグリーンの薄手のコートが印象的だったわね」

「ふむ。なんだか、刑事さんみたいですね。職は刑事なんですかねえ、結鷹?」

 

東風谷がお茶とお菓子を手に戻って来て、ようやく三人揃ったところで柊玲奈襲撃事件の話が行われていた。なんかこの字面だと柊が誰かを襲ったみたいだな。

とりあえず、柊に襲ってきた犯人の人物像を尋ねてみたが、これといって、手掛かりになるような情報は無い。ていうか、東風谷さんさっきからあなた会話散らかしすぎでしょ。

 

「いや、刀持っていきなり斬りかかってくる奴が刑事なわけねえだろ」

 

 おそらく東風谷の脳内にある刑事像は、捜査線が踊ったり踊らなかったりするドラマの主人公だ。あれってミリタリージャケットかなんかじゃなかったっけ。服の事はよくわからん。でもあの人帽子は無かったよね。取りあえず事件は現場で起きているのである。

 

「それに、アレを治安を守る立場の人間だとは思いたくないわね」

 

 その時のことを思い出しているのか、苦い顔をして柊がそんな言葉を漏らす。自分が殺されていたのかもしれない瞬間のことだ、その表情は当然のものだろう。

 

「まあ柊の身の回りの人間に心当たりがない以上、俺たちに出来ることは誰かしら傍に居てやるくらいだからなあ。探し出そうにも刀持って街中うろついてるわけはないだろうし」

 

 警察にも捕まっていない辺り、案外、そいつの表向きの職業は警察関係者という線も無くは無い感じがしてきた。いや、ないか。

それに、警察に頼ってどうにかなるなら、もうこの案件はとっくに片付いているはずだ。

 

「相手が出てくるのを待つ他ないですね。うー、このやる瀬無い感じ……結鷹、何とか出来ないんですか!?」

「無茶言うなよ」

「そこをなんとか、先生!」

 

 東風谷は目を固く瞑って両手を合わせて、後生だからよぉ、と訳の分からない言葉を吐く。

 

「……てか、柊は東風谷の家泊まるんだろ?」

「はい! 今の柊さんを一人にはしておけませんから。柊さん、一人暮らしなんですよ。まったく年頃の女の子が一人暮らしなんて」

 

 俺の質問にいち早く反応したのは、東風谷だった。いや、君も傍から見たら一人暮らしだからね。神奈子様と諏訪子様が東風谷の中では頭数にカウントされているのだろうけど。

 神様を家族として数えるのは、本来失礼なことなんだろうけど、東風谷の話を聞いてるうちに出来た俺の神奈子様像だと、今の台詞を聞いて、感激して涙している気がする。

 

「そこは柊が答えるとこだろ、いいけどさ。そういえば着替えとかは良いのか? 取りに行くなら陽が高い内の方がいいだろ。つってももう結構な時間だけど」

 

 言葉にしてから気づいたが、俺が女子の着替えについて言及するのは若干気持ち悪かったかもしれない。一瞬、邪な発想に至ったせいで、言ってから一人で勝手に気まずくなって、湯呑みを手に取ってお茶を大げさに啜る。

 ちょっとした沈黙が凄く心苦しい。

 ふー、何これ、ちょっと体が熱いんですけど、暖房効きすぎでなくて。つけてない? マジかよ地球温暖化やば過ぎ。

 

「そうでした。柊さんさえ良ければ私の、パジャマとか下着とか、諸々貸しますけど」

「……ぶ」

 

 思わずお茶を吹き出しそうになる。えぇ、マジで。友達に寝間着貸すくらいならまだギリギリ分かる。だが、仲の良い男子同士でも下着は貸さないぞ、どんだけずぼらな奴でもしない、多分。てか、ぜってえ貸したくない。中田が言って来たら思わず殴っちゃうレベル。なにこれ百合? もしかして百合なの? そういうのはいけないと思うの。 でも、でもでもちょっといいかもぉ。

 ……つーか、下着のサイズ合うんだろうか。東風谷は平均より大きいというか、柊は見たところ平均を下回って……。あ、そういう場合付けないのかな。

 ていうか、この場に俺居ていいんだろうか。なんか禁断の花園を覗いているような、そんなイケナイ気分になる。

 

「誰かさんの視線が一瞬だけ、かなり不本意な個所を行き来したのは気になるところだけど」

「げふん」

 

 誰だね、年頃の女の子にそんな不躾な視線を向ける輩は。

 

「……そうね、借りるのも申し訳ないし、取りに行ってくることにするわ」

 

 言いながら、流れるように立ち上がる柊。なにか武道でもやっているのかと思うくらい、ぎこちなさが完全に排除されたその動きに一瞬、目を奪われる。

 だが。

 

「ちょっと待て」

「む」

 

 声をかけなければ、何食わぬ顔で出ていってしまいそうだったので、思わず柊の左の袖を掴んで制止する。不満げに聞こえた声は幻聴かなにかだろう。

 

「……?」

「その本気で何やってるのお前的な視線やめてくれる? 今、お前を一人にするのは危ないって話したばっかじゃねえか、なに一人で行こうとしてるの?」

 

 というか、彼女は自分が結構な怪我をしている自覚がないのだろうか。何泊するか分からない程度の荷物にはなるだろうに、その怪我してろくに動かない右腕でどうやって運ぼうとしていたのか、甚だ疑問である。

 

 

 

 

 

 というわけで。

 付き添いとして俺が駆り出されることになった。ちなみに東風谷は夕食の準備をして待っているとのこと。

東風谷の家を出て、小さな無人駅まで歩き、電車に揺られて、今は都市部を歩いていた。東風谷の家は小山の上だけあって、付近の小さな無人駅すらちょっと遠い。小学生の時は、近所の者達で集まって登校していたのだが、東風谷はまず山を下り、農地を駆けて住宅街の集合場所へ向かうことになる。自転車すら使って無かったことを考えると、朝から中々ハードである。俺だったら不登校になるレベル。ちなみに俺は東風谷とは反対に、集合場所が家のすぐそばだったため、ギリギリまで寝ていられた。

今にして思えば、そんな東風谷の家に足繁く通っていた俺スゲーな。

柊の家は、都市部のマンションらしい。

高校生なのにマンションで一人暮らしとは良い御身分、と言いたいところだが、柊の事情を聴くに色々と察する部分はある。まあ、それでも、彼女が金銭面ではかなり裕福な家庭に生まれたのであろうということには変わりないのだが。

歩きながら、何となく隣を歩く柊に声をかける。

 

「そういえば、怪我、痛くねえの?」

 

 彼女と話していると、到底、あんな怪我を負っている者の様子とは思えないくらい普通なのだ。彼女にとって、傷がすぐ癒えるのが常だったのなら、余計に治らない傷は痛いものではないのか。ずっと思っていたことではあるが、流石に痛みに頓着が無さ過ぎるだろう。

 

「どうしたの、急に」

「いや、だって。箸もろくに使えねえってくらいに右手器用に動かせないのに、話してる分には大したことないって顔してるからさ……ちょっと気になって」

「そうね……。ありていに言ってしまえば、痛いのには慣れたのよ。治らない傷というのははじめてだから、不便ではあるけれど」

 

 なんてことは無い、と言った様子である。

 

「慣れた、ってお前なあ」

 

 それは痩せ我慢かなんかの間違いじゃないのか、と言いかけて、しかし、その言葉を飲み込む。

 何故か。

 彼女があまりにも真剣な顔だったのもある。だが、それ以上に俺自身思い当たってしまったのだ。彼女が、俺の目の前で自身の指を切ってみせた時の表情を思い出した。

 そう――無表情だったのだ。

これから来るであろう痛みに表情を歪ませることもなく、走った痛みに耐えるようにしかめっ面にもならず、声すら上げない。ただ、ひたすら他人事のように切っていたのだ。

あの時は、傷がどんどんと治っていく光景が異様で、そちらに意識が向かなかった。

だが少し考えてみれば、傷が治ることなんかよりずっと、そっちの方が異常だ。傷がすぐに治る。その再生能力は生まれ持った力だ、常識を超えた能力ではあるが実在を知ってしまえばまだ納得が出来る。では、その痛みにひたすら無関心で無頓着な、その精神はどうやって得た。

まさか痛みを感じないわけでもあるまい。

生来持ち合わせたものであるはずがないそれは、どうやって育まれたというのだ。

何も言えずしばらく沈黙が流れて、堪え切れずに俺が話題を変えようとした直前に、彼女は口を開いた。

 

「別に痛くないわけでは無いの。でも、人って順応する生き物だって言うじゃない。どんな熾烈で苛烈な環境だろうと、そこに身を置き続ければ、それが日常になる。なら、私は痛みに慣れて、順応したのよ、きっと」

「でも――」

 

 それは、なんて――。

 

「それに、これは私が周りの人間の言うようなモノであると、理解するために必要なことだったの」

「柊……」

 

 何かを否定しようとして絞り出した何を言おうとしたのかも分からない俺の声は、言わせまいとする柊の声にかき消されてしまった。彼女は足を一度止めて真正面から俺に向かい、正眼に捉えて、しかし、自らに言い聞かせるように言った。

 俺が彼女の青い瞳に映る自分を見たように、彼女もまた俺の瞳に自分を見ていたのだろうか。

 

「……必要なことだったの」

 

 それで、これ以上は言うことは無いと、彼女は歩くことを再開した。今実際に離れている何歩分かの距離よりずっと、心理的な距離を感じる。

でも、彼女が距離を測りかねているのが、何となく分かる。本当に俺に対しては一線を引いているなら、こんな話はしなくていいのだから。彼女にとってある意味で同類であった東風谷とは、俺は違う。だから余計に委ねて良いのかあぐねているのが分かる。なぜなら、俺と目の前の少女は他者との距離の測り方という部分において、非常に似通った思考と手法をもっているからだ。

 ああ、理解できる。理解できてしまう。

 状況は違えど、細部は違えど、通ったことのある道だから分かる。だから、こんなにも心がざわつく。同情してるわけじゃない憐れんでいるわけじゃない、それは誰も傷つけまいと孤独を選んだ彼女への侮辱だ。自己保身のため他者に一線を引く俺自身の否定だ。それでも、考えずにはいられない、想像せずにはいられない。

 

 ふと、思い出す。

 

 俺にとっての二つの転換期の記憶だ。

 今までに無い怒りが湧いた瞬間がある。周りにあざ笑われ、貶され、おそらく本人自身初めての経験であろう、最底辺の暮らし。絶対に他人を見捨てなかった誰かが、その瞬間だけ何もかもを諦めてしまいそうに見えてしまった。太陽のように在りつづけたそいつが沈んでいくその光景に堪えられなかった俺はようやく、一歩を踏み出せた。

 

 ――す、と記憶の景色が切り替わる。

 今までになく、自分に絶望した瞬間がある。勘違いしていた。自分はそれなりの地位を築いているのだと、勝手に思い上がっていた。

それら全ては俺のものでなく、彼女のものだったというのに。友達の友達は友達では無い。想いや好意が一方通行であるなんてありふれた話だ。でも、たくさんの会話を交わしたはずなのだ。和気藹々としたその集団の輪の中に自分も確かに居たのだ。なのに、それら全てが無意味だったと知ったその時の無力感。

 

平凡を認めたくない自分に言い聞かせ、試行錯誤して俺は人に好かれるような人間ではないのだと理解していき、今の身の置き方を覚えた。それは、綾崎結鷹を構成することとなった時代の記憶だ。

 それこそが、陽に当たらない時の俺の本来の姿だ。

 ああ――、俺は俺がひどくつまらない人間だと理解するために何度も言い聞かせた。他人のふとした優しさに希望が顔を覗かせそうになっても、それを押し殺した。俺は他人に好かれるはずの無い人間だと自らに焼き付けた。そうだと思わなければ、やってられなかった。だから、俺は他人に期待はしない。期待して、応えてもらえるような価値が無いと経験してきたからだ。

 

 なら、柊玲奈はどうだ。柊の周囲は彼女を化け物と呼んだ。なら、まずは化け物であるその自覚を彼女自身が持たなければ、迫害されることに、仲間外れにされることに、孤独であることに到底納得できなかったのではないか。

 彼女を化け物たらしませた部分を柊自身が深く理解する、その為にとると考えられる手段はたった一つで。

 それはなんて、惨たらしい。

 その結果が現在の彼女を形作ったというなら、残酷すぎる。

 思考がマイナス方面に向かって、奈落の底に落ちかけたその時に、ふと意識の外から声がかけられた。

 

「着いたわ」

 

 気づかぬ内にかなり歩いていたらしい。下を向いて歩道を映していた顔をあげる

 どうやら、ここが柊の自宅らしい。思わず、首がもたげるくらいに建物を見上げる。

 なにこれ凄い。一介の高校生が一人で住めるようなところでは無い気がする。柊はマジのお嬢様なのかもしれない。ただ、こいつの所作の上品さは、今まで聞いた話を鑑みるに、英才教育の賜物というよりは、独りで何でも熟さなければいけない環境のその過程で身につけていったものという気がする。

 他者に攻撃される材料を与えないように、学校生活でミスをしてボロを出さないようにしている俺のそれに近いのだと思う。勿論、柊の場合はそこに求めている水準がかなり高いのだろうが。

 学校での失態は友達が少ない、又はいない奴はやってはいけないのだ。ただでさえ下に見られるからな。

 

「お前の家、本当に金持ちなんだな」

「そうなのかしら?」

「その本気で聞いてる感じが純粋培養っぽい」

「でも、お金があれば幸せというものでもないわ」

「そうだな」

 

 ふと湧いた疑問が他の思考を遮った。

 仲間外れにされた時、迫害された時、孤独だと感じた時。

 程度は違えど、似たような経験をした綾崎結鷹と柊玲奈は、その事実を受け止める為にその原因を自意識に焼き付けた。えぐられた傷を焼いて、自らのものとした。

 しかし、そういう経験を得て自らの在り方を定めたというなら。この場に居ない少女にも何かしらあったはずなのだ。

 彼女は、きっと俺と会うずっと以前から自分が特別であると知っていた。多くの人間と違うことを自覚していた。また、中学では柊が経験したように迫害も受けた。

 考えもしなかったことだ。

 彼女は迫害を受け、なお、俺に問いをなげた。拒絶される可能性を推して、それでもだ。それは事実として残っている。おかげで、今の俺と東風谷の関係がある。だが、その中間はどうなんだ。どういう風に彼女の心は動いたというのか。彼女の強さの要因。たくさん時間を共有してきたのに、それだけは分からない。

 東風谷だって人間だ。穢れを知らないわけでは無い。純真無垢というわけでもない。人に貶されて何も感じない程に厚顔なわけでもない。生来のものとして、人がいいのは知っているがそれにしたって――――。

得も言われぬ孤独感を覚えたはずなのに。

 ――――東風谷早苗は、どうしてそれを乗り切ることができたのだろう。

 

 


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