あの日の奇跡と東風谷早苗について   作:ヨウユ

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あの日の奇跡と東風谷早苗について 1

 春が過ぎ、夏が過ぎ、季節は秋。夏休みがあっという間に過ぎ、あけてから二週間ほどが経った。未だ暑さの残るこの時期は、長い休み気分が抜けないのも相まって、学校中の生徒がどこか気だるげだったが、今はわいわいと騒がしい。それぞれが仲の良い友達連中と話しているが、話題はある一つのことでほとんどを占めていた。台風だ。それなりに大型らしい。もしかしたら明日明後日には休みになるかもしれないという旨の話は、ウチのクラスでも担任からも聞かされており、不意に訪れた休みというのは、誰にとっても嬉しいものだ。ということで台風の話が生徒間では持ちきりなのであった。

昼休みの時間になり、俺がそんな喧騒から背を向けて、例の空き教室へと歩を運ぶのは、もはや習慣や習性に近いものになっていた。

 廊下を歩きながら、なぜだか違和感を覚える。

 実はこの違和感は今に限ったことじゃない、ここ最近ずっとだ。

 何かを忘れてしまっているような感覚、だというのに、何を忘れてしまったのか、何に関連するようなものなのか、全く思い出せない。そして、それを思い出さずとも、違和感を拭わずとも日常は進んでいく。つまりは、その思い出せないナニカは、無くても俺という人間の人生が緩やかながらも費やされていくのに支障ないと言う事なのだ。

 それがどこか無情で、物悲しいことのように感じた。

 

 誰も居ない教室に独り座って食事を始めていると、がらら、と音をたてて扉が開かれた。そちらを見ることもなく、俺は思い当たる人物の名を呼ぶ。

「柊か」

「ええ」

 ここに来る人物は俺の知る限り一人しかいない。それが彼女だ。昼休みにはここに来て、二人で各々昼飯を片付け、喋ったり喋らなかったりして、昼休みの残りの時間をここで過ごす。飽きる程に繰り返された日常だった。

 お互いに持ち合ったものをそれぞれが食べ終えると、沈黙が訪れた。柊は文庫本を引っ張り出して読み始める。俺はなんとなくぼうっとしている。自分も本でも読もうかと思ったが、さっきも言った妙な違和感のせいで何も頭に入って来ないだろう。柊と喋る時間は言うに及ばず、俺はこの静かな時間があながち嫌いじゃない。

 ただ、少し、不思議に思う。

 柊玲奈は俺と同じクラスの人間だ。ならばクラス内で同席すればいいだけの話。男女二人で机を合わせて食ったりしていたらそりゃ多少はクラスの中でも目立つだろう。

 しかし、それを差し引いても。

どうしてこんな空き教室を見つけて、わざわざこの場所で過ごすなんていうことが習慣となったんだっけ。

 

 昼休みの終わりを告げるチャイムがそろそろ鳴ろうかという頃。早めにあの空き教室を出て、クラスに戻ろうとしていた俺と柊だったが、柊が突然、途中の他のクラスで足を止めて、開け放たれたままの扉から教室内を見始めた。

 どうしたんだ、と声をかけようとした瞬間に、教室からバタバタと駆けてくる男子が居た。そいつは柊の目の前に躍り出て、人のいい感じの笑顔で尋ねた。眩しい。

 めっちゃ爽やか。こうして出てくる時点でそれなりに自信のある人間なのだろう。背も高く、パッと見で顔もそれなりに良い。むかっ。雰囲気からして俺とは相いれないタイプの人種な気がする。

「柊さん、だよね。誰かに用? 俺が呼ぼうか?」

「いいえ、特に用は無いわ」

「そ、そう」

 邪魔よ、と語尾についてもおかしくなさそうな柊の態度に、遣る瀬無さそうに男子は元いた集団の中に帰っていた。あしらわれたことを、おそらくからかわれてるのだろう。そのグループからどわっと大きな笑い声が聞こえてくる。

 まあ、あの男子の気持ちも分からないでもない。柊はおそらくこの学校の中じゃとびきりと言ってもいいくらいに出来た女子だ、可愛い女の子とは機会があればお近づきになりたいと考えてしまうのは、思春期男子にあって当然の思考だろう。柊は顔も良ければ成績も良い。他クラスでもそれなりに話題になっているであろうことは、中田くらいしか接点の無い俺でも分かる程。

 とはいえ、こいつは安易には他者を寄せ付けない。話をかけようとしても軽くあしらわれ、取り付く島もないというのを幾度も見てきた。なんとかつながりを作ろうとして玉砕していく彼らを見ていると、俺はよくこいつと昼を一緒に食べる程度には仲良くなれたものだと思う。そんな柊が俺とは行動を共にするので、一度は色恋云々の噂がたったのだが、今では普通に友人として認識されている。

 まあ、陰で何を言われてるかは分かったもんじゃないが。中田を通じて耳に届いた噂の一つに、俺が弱みを握って柊を従わせているというものがあったのだが、流石に俺もドン引きだった。

「ごめんなさいね、急に立ち止まって」

「いや、いいけどさ、なんかあったのか? あの男子じゃないけど普通に気になるんだが」

「いいえ、何でもないのよ本当に」

「そうか?」

 柊は俺の問いから顔を背けるようにして、もう一度教室内を見た。小さな箱庭を見つめる柊は神妙な面持ちであった。

 痛ましそうな表情をほんの一瞬だけ覗かせた彼女は、向き直って、それでもこう言った。

「ええ、何でもない。行きましょう」

 悲しそうな辛そうな、複雑な表情。

 そんな風に見えた彼女の表情は既に平常のもので、そのあとの柊はいつも通りだった。

 けど、思い違い、ではない気がする。

 さっきのは俺自身が何か思い当たるからこそ、そう見えたのだ。

 そう感じるのに、何かが変なのに、それを拭うための取っ掛かりが全く分からない。

 何かが抜け落ちてると言う感覚があるのに、不気味なほどに順調に過ぎていく日常。わずかな軋みすらないこの日常の、どこに綻びがあると言うのだ。

 ――――いったい、なんだってんだ。

 

 夢を見た。

 そこには、まだ幼いといっていいだろう俺と、誰かが居た。幼い自分と同じ年頃の女の子だ。どこかも分からない山道の石造りの階段に二人で座り込んでいる。不思議なことに、そいつの表情は口元しか分からない。それより上は、まるで靄がかかっているようで、見えている筈なのに認識してくれない。柊だろうかと考えたが、よく考えてみたら彼女との交友は高校からの出来事だった。夢だからそこら辺が適当になっているのかもしれないとも思ったけど、やっぱり彼女では無いだろう。

 そう感じたのは、女の子の長い緑の髪のせいだ。

隣に座る彼女にはたくさんの友達がいる。俺もその内の一人だ。だけど、そんなたくさんの人たちの中で、俺だけがこの女の子の緑髪を知っているのだと確信していた。確認する術も持たないが、それは絶対だ。そして、なんだかそれはとても誇らしいことのように思った。

そう、俺はこの隣に座り込む女の子のこの緑の髪と、溢す笑顔が好きだったのだ。

そして、そのことを知って嬉しそうに笑ってくれた女の子が、本当に大切だったのだ。

緩やかに時間が流れているのが分かる。空は綺麗に澄んでいて、心地のよい風が全身を撫でた。心が久々に窮屈な違和感から解放され、退屈を忘れた。ずっとこの場所にこの子と居られるのなら、そうしたいと、本気で思う。

隣に座る彼女もそう思っているのだろうか、いてくれると嬉しいな、なんて、そんなことが気になって、ふと、横を見る。俺が彼女を見るのとほぼ同時に向こうもこちらに顔を向けた。表情は相変わらず靄がかかったように見えないのに、目が合ったことが分かった。

 彼女の口元がおかしそうに笑いながら、俺の名前を呼んだ。音は聞こえない、まるで深い水中にあるように音は聞こえず、暗い水底に溶けていく。それでも、俺を呼んだのが分かった。

――ねえ、ゆたか。

 彼女が俺を呼んだように、俺も彼女の名を呼ぼうとして、それで――――。

――――――――。

――――……。

 帰り道。いつもならウキウキで、なんなら学校に居る時の万倍元気に帰路についているはずなのだが、今日はそうではなかった。台風が間近に迫っているせいか。天候があまりよくないのもある。どんよりとした暗雲が太陽と青空を完全に覆い隠し、気が滅入るくらいの曇天模様だった。幸いにも雨足はそこまでだ。大して強くない今の内にちゃっちゃと家に帰ってしまうのが吉だろう。その悪天候と、ずっと残っている妙な違和感と、さっきの夢が相まって、気分は最悪に近かった。唯一気が安らいだ時間が、柊と過ごした昼休みと夢の中とはなかなか笑えない。

 まあ、そんな冴えない気分のせいか、自然、顔は下を向いてしまう。それでも身体が覚えている感覚だけで道を歩けていたせいで、曲がり角から出てきた誰かに気づかず、ぶつかってしまう。

「きゃっ」

「っぶ!?」

 何を言おうとしたかというと「危ない」である。しかし、俺の心労も相まって反応の驚くべき愚鈍さから、本来ぶつかる前に避けようとして発する言葉をぶつかる瞬間に言おうとして、言えなかったのだ。

「あ、すみません。だいじょ、うぶ……か」

 本能的に謝罪が出たが、そのぶつかった人物を見て、おもわず口が止まる。向こうも、こちらを見て愕然としていた。俺が、口を止めてしまった理由。それは、ぶつかった人物。俺と同じくらいの年であろう女の子。それが、あまりにも、夢の中のあの女の子と一致していたせいだ。だって目の前の女の子には、きっとこの世に二つと見ることがないであろう、その緑の髪が、あったのだから。

「あの、これ落としました。ぶつかっちゃって本当にごめんなさい。私、先を急いでいるのでこれで」

「あ、ああ」

 言いながら、手が差し出される。受け取る手にちょこん、と落とされる何か。その手の仕草に思わず心臓が高鳴る。女の子はそれを俺に落とすと足早に駆け去って行ってしまう。

 突風のように現れて去っていた彼女に妙な親近感が湧く。今までズレていた何かが、一瞬だけ元に戻ったようなそんな感覚があった。

 手元に視線を落とす。

渡されたそれは、お守りだった。そう、俺が日ごろから身に着けている大切な――――。

 あ、れ?

 なんで、俺はこのお守りを大切にしていたんだっけ?

 わずか、心に沸いた疑問。それで、電流が全身を駆けるように、急に彼女ともっと話さなければならない気がして、去っていった方を見る。しかし、さっきまでの空白は彼女に追いつくのを不可能にするのに十分な遅れを生んでしまっていたようで、彼女を呼び止めようとした時には既にその姿は消えていた。

 


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