“なんで、だれもほんとうのわたしをみてくれないのだろう”
それは私が、小さな子供の頃にただひたすらに純粋に感じた疑問でした。
“パパも、ママも、ともだちも、みんな、わたしのいうことをほんきで信じていない”
幼い頃の私は、友達に、自分の目に映る、神様のことを話したことがありました。他にもいろんなものが見えるのだと、両親には誰に言うよりも早く語ったものです。仲が良い友達だったから、可愛い一人娘の言葉だったのだからか、誰も私のそんな言葉を頭ごなしに否定するようなことは無かった。けれど、それを分かってくれることも無いのです。
非道い話です。もし最初から、それは異常なんだって、厳しく指摘する人が居たのなら、この時には諦めることが出来ていたのかもしれないのですから。
私は、私が大好きなみんなだったから、自分の言うことを信じて欲しかった。
いつかの日に、妖精が見えると語る女の子に、私も似たようなものが見えると言いました、最初は仲良く出来たけど、彼女と話している内に、自分の見えているものとは、どうやら違うものが彼女は見えているようだと気づくのに、そう時間はかかりませんでした。
きっと、あの女の子には、私に見えるものは何も見えていなかったのだろう、と少し残念でしたが諦めることにしました。
話半分に流されて、理解されないことが悔しかった私は、次に、私の慕う二柱の神様に、一つ聞いてみようと思いつきました。
“かなこさま、すわこさま、なんでみんな、さなえのいうことしんじてくれないのかな”
自分にしか見えていないとまだ確信していなかった頃のことです、大好きな二柱の神様にそんな問いを投げ掛けました。
“そうだねえ。早苗は、少し特別なんだ”
困った顔で、私の質問に答える神奈子様の顔を、私は、未だに覚えています。だって、あなたは異常なんだよ、なんて優しい神奈子様が、まだ小さい私に言えるわけが無かったんですから、当然と言えば、当然の事です。
“早苗の髪の毛、みんなは黒い綺麗な髪って言うだろう?”
そう私の髪を撫でながら言ったのは諏訪子様でした。今ではそんなことして貰えないけど、諏訪子様より私がずっと小さい時、良く撫でてもらって、私はそれが好きでした。
“うん、みんなそういうの。でも、これ、みどりいろだよね”
“ああ、そうとも、とても綺麗な緑の髪さ。そうだねえ、でも、もし、その髪の毛を緑だって言う子が居たのなら、その子は早苗のことを、信じてくれるかもしれないね”
それは今にして思うと、諏訪子様なりに、幼い私に希望を与えつつも、やんわりと諦めさせようとしていたのだろうと思います。成長した今だから分かることですけど、だって、現代に、本当に霊感がある人なんてごくごく少数なんですから。
神事にまつわる人でさえも、現代では力を持っておらず、ただ、昔の慣わしに応じて真似ているだけの者が多い今の世の中です。幼かった私の身の回りで、そんな人を見つけるのは本来至難の業です、見つけることができたのなら、それこそ奇跡ですよね。
だけど、当時の私は、そんな神奈子様と諏訪子様の言葉を信じて、そんな存在を何より希求していたのでした。
しばらくして、友達もいっぱい出来て、それなりに楽しい日々を過ごしながらも、私はずっと待っていました。私のことを見つけてくれる人を。
求めていたものと違う現実にも挫けず、日々を過ごしました
私の前に、その彼が現れたのは、そんなある日のことでした。
目立つような子でもなく、同年代の子に比べて大人しい子だ、というのが当時の私の印象でした。いつも私を囲うたくさんの人の輪の中に入ろうとして、入らないでいる彼を少し、じれったいやつだと、内心思っていたりもしていたものです。
わたしの友達の一人の女の子が、私の伸ばした髪のことを、さなえちゃんのくろいかみ、きれいだよねー、かぐやひめみたい、と私の髪の事を褒めだしたのです。おれ、しってるぜー、こ-ゆーの、やまとなでしこってよぶんだー、そう続けて言ったのは、クラスでも目立つやんちゃな男の子でした。
私の髪の事で盛り上がるクラスのみんな。同時にやっぱりみんなには見えていないんだ、と落ち込みました。
みんなが綺麗な黒髪だと同意する。
私は、その事を残念に思って、心の奥での暗い寂しい気持ちをしながらも、それを封じて、そう言って褒めてくれる友達にお礼を言おうとした、その瞬間のことでした。
―――――私は、奇跡と遭ったのです。
“ちがうよ!”
そこに、異論の言葉が飛びました。
全員がざわめきました、何せ、そんな言葉を放ったのは、私を含めてみんなに、大人しい子、という印象しか持たれていなかった、例の、じれったいと感じていた、男の子だったのですから。
“さなえちゃんのかみは、みどりいろだよ”
そう言い放ったその男の子は、みんなから大ブーイングを受けました。なにせ、盛り上がっていた場を空気も読まずに鎮めさせ、そのうえ、周りの子からしたら、あまりにもとんちんかんなことを言っていたのですから、それも当然の事でした
でも、とうの私は、その男の子によって、世界が広がったようにすら感じていました。誰もが、本当の私を知らない、そんな世界は、私にとって色の無い、閉塞した世界に等しかったのです。
たくさんのひとが周りに居るのに、みんなのことが大好きなのに、それだけに、私はひとり。みんなと居るのは楽しいけど、同時に空しくなる。みんなと、何かが違うと、当時の私は、既にそう感じてしまっていたから。
次にその男の子は、その時になって初めてたくさんの人の輪の中に入って来て、私の目の前まで歩み寄って来て、私に指を指して、あどけない笑顔でこう言ったのです。
”おれ、そのかみのいろすきだなあ、ほかのひととはちがってて、きれいなんだもん”
その時の私は、砂漠の中で、目当ての一粒の砂を見つけたような心持ちでした。
その一言で、ひとりぼっちの私の、灰色の世界は、瞬く間に色付き、輝きを放ち始めました。
きっと、この人なら――――。
彼と居ると、どんな時間でも楽しかった。雨の日でも晴れの日でもどんより曇りの日でも、雪の日でも、毎日毎日、日が暮れるまで遊びました。褒めてもらった髪の毛なんて、何より大事に丁寧に手入れをしました。
彼には、私の見ているものを知ってもらいたい、信じてもらいたい、好きでいて欲しい。私が実の両親にすら諦めていたことを、神様は本当に居るんだってことを、彼にはなんとか認めてもらいたかった。だから、何度も何度もアタックしました、あの時の私にとっては、もう愛の告白なんかよりも、ずっと真剣です。
両親にだってこんなに言って聞かせて、して見せたことはありません。
きっとそれは、その男の子が私のこの髪が見えたからだけではないと思います。
けど、そうして見せた時の、彼の反応は優しさからの肯定でも、常識からくる否定でも、まして嫌悪からの拒絶でもありません。その男の子は、そんな私を見て、いつもは楽しそうだというのに、その時ばかりは表情を曇らせるのです。
まるで、信じたいのに、信じているのに、それを信じてしまうことこそが、彼にとっては何より辛いことだとでも言うように。
それが、私には不思議で仕方がありませんでした。
そんな日々を過ごして、小学生も最終学年を迎える頃のことでした。ある日、私と彼が一緒に遊んでいると、そのことを茶化す輩が現れたのです。
だからどうした、と私はそれを聞いて思ったのですが、彼は違いました。
からかわれた、その日を境に、彼は私に近づかなくなっていって、去っていきました。もう当時の私は家では大泣きです、神奈子様と諏訪子様には泣きつきました。たくさんの人に囲われていても、彼がやってこないのなら、私はきっと、また独りです。
それでも、みんなの前では、泣かないようにしていました。
神奈子様は言いました、私は他の人とは違う、特別なんだって。
もう意地です。許せません。彼が離れていったことを後悔させてやろう。そんな気持ちが私の中に芽生えました。彼が足を止めてしまったのなら、いつか、追いかけてきてくれるように、追いかけたくなるような存在になれるように、頑張ろうと、そう思い立ったのです。
中学に上がってからはもう、彼と会って話すような機会はありませんでした、けれど、私から声をかけてなんか絶対にあげません。
……けれど、前を一人で歩いていると誰だって、時々、振り返って後ろを確認したくはなるじゃありませんか。待っている人が居るなら、なおのこと。
廊下ですれ違ったり、教室の前を通る彼の姿を見ると、私はあなたを見てますよ、ここで待ってますよ、って強い視線を送ります。が、大抵、彼は私に見向きもしません。気づかないなら仕方ないのですが、時折、視線が合ったというのに、そそくさと逃げてしまうではありませんか。
こら、逃げるんじゃありません。
友達の前だというのに、私は少しむくれてしまいます。
中学生の時間のほとんどは、そんな風に過ぎてしまいました。
しばらくして、ある日の夜、私は図らずも、あることを聞いてしまうのでした。それは、私の大好きな二柱の神様が消えてしまうかもしれない、ということです。
それはいけません。そうなってしまったら今度こそ私は本当にひとりぼっちです。その前の年には両親を亡くしましたし、その上に二柱まで居なくなってしまったら、私は本当の天涯孤独です。
それに、まだ、彼にもお二人の姿を見せられていません、信じてもらってません。
私は焦ります。
二柱が消えてしまうまでの、明確な時間までは分かりませんでしたが、分かっていないからこそ、より焦燥にかられるのでした。
そんな時に、私はあることを思いつきます。
それは、人を利用するようで、少し心が痛みますが、背に腹は代えられない、というやつです。
クラスの中でも人気者であるという、伊達君。彼がもし信者となって我が神社を信仰してくれたのなら、彼に続いて、多くの生徒が信者になり、たくさんの信仰を得られるのではないか、という今にして考えてみると、驚くくらいに安易で目論見の甘い、浅い考えでした。
ですが、それを私は最高の策のように感じて、すぐに敢行しました。
伊達君は私が、自分に告白をするものと勘違いしていたようです。確かに、放課後に二人で話したい、という誘い方は、誤解を生んでも仕方ないかもしれません。
少し申し訳ない気分になりながらも、私は、私の作戦にうつります。
神様を信じてもらえませんか、信者になってくれませんか、と、単刀直入に切り出したのです。彼はしばらく固まった後に、明確な敵意と嫌悪を持って、顔を顰めて彼自身はおそらく自覚せずにこんな言葉を吐き出しました。
“――――気持ち悪い”
私は、初めて人から明確な拒絶の意思を受けました。それは衝撃でした。きっと、伊達君から告白を受けるよりもずっと、その台詞は私の心を揺れ動かしたことでしょう。
そうして、ようやく私は思い至るのです。
本当の私とは、多くの人々にとって受け入れがたい、醜いものなんだと。
今まで神様が見えることを話して、誰にも拒絶されなかったのは、あれだけちやほやされれば、厭でも分かってしまう自らの容姿の良さ、それと、人にそんなことを吹聴していた時期が幼い子供の時だったからに過ぎない、と。
私は急に不安に陥ります。だって、このまま彼は追いかけてこない、という可能性が浮上したんですから。
だって、彼が離れていったのが、伊達君と同じように私への拒絶の心の表れだったとしたのなら。私がいくら先を進んで輝いてみせて、振り返ってみても彼が見えてくる筈が無いんですから。
それを想像すると背筋が凍るような思いをしました。あまりの恐怖に、私は夜には涙を流して、その日は眠れませんでした。そうして、私の生活は一日の内に一変しました。
朝、登校してきて、まず、私を待ち受けていたのは、クラスメイトからの粘つくような悪意の視線。昨日までそれなりに親しくしていたはずの子達からの嘲笑。黒板にでかでかと書かれている謂れの無い罵詈雑言。
どうやら、一日にして、私はいじめられっ子になってしまったようです。
ただ、不思議とそのことで傷つくことはありません。嫌でしたけど、悲しいことでしたけど、そんなことより、彼に拒絶されていたのかもしれないという考えと、いつか消えてしまう神奈子様と諏訪子様のことの不安の方が、私の心に爪跡を強く残していたものですから。
強く在ろうとは思っても、教室中から悪意を向けられて、のほほんとして居られるほど、私も馬鹿にはなれません。なので、いじめられっ子らしく大人しく縮こまっていることにしました。
世界はいつかのように色を失っていって、私は、また独りになっていくのを、強く感じました。
気づけば、昼休みです。どうしましょう、お腹は空いていても、食べるものがありません。折角作ってきた弁当は、朝の内に無残にぶちまけられてしまいました。
この心を苛む孤独感を癒してくれる人は、もう現れないのかもしれません。
誰よりも私を信じて欲しかった人にはきっと、拒絶されたという思いに支配され、両親のように私に接してくれる二柱の神様もいずれ消えてしまう。暗い深い水の中に落ちていくような感覚、灰色の世界、誰にも理解されずに、誰にも信じてもらえない。
日々が過ぎるごとに遠のく幼い頃からの理想。自分を信じてもらいたい、そんな小さなことすら、この世界は許してはくれない。
なら、こんな処に、居る意味なんて、あるのだろうか――――。
そんな疑問が頭を過った時に、がらら、と教室の扉が開く音がしました。誰かが教室に戻ってきたのでしょうか。教室はなおも喧噪に満ちていて、それはいつもと変わらないことです。けれど、教室に入ってきた誰かの足音に耳を澄ませていると、どうやら、その人物は、私の真横で足を止めたようなのです。
今度は直接、手をあげられるのでしょうか。せめて、髪だけは守らなければ、と体を突っ伏したままの状態で考えます。
動く気配を感じ取り、全身が強張って、身構えた、次の瞬間。
なんとも懐かしい声が、教室に響いたではありませんか。声は昔よりも低くなっていましたけど、それを、聞き間違えるはずがありません。
“東風谷”
その声は、他の誰でもない私を呼びました。
なんで、でも、そんな。
そんな、奇跡みたいなこと――。
思わず肩が跳ね上がってしまいます。心臓の鼓動は高まって、煩いくらいです。
私は、顔をゆっくりとあげます。その声の主を見てあげた驚きの声は、きっと私のものでしょう。そこには、居る筈のない、彼が居たのですから。
昔は名前で呼んでくれていたのに、と、少し寂しくなります。
いつの間にか、教室は静まりかえっていました。周りから馬鹿にした声が聞こえますが、先ほどの騒々しさはもうありません。
彼は上擦った声で、あまり人を誘うのに慣れない様子で、私に言いました。
“一緒に飯食おうぜ”
こんなの卑怯です。思わず、口元が緩んで、顔が熱くなるのを感じます。俯いてはいますが、今の私は、きっと耳まで真っ赤になっていることでしょう。
心中を悟られたくなくて、涙だけは流すまい、と必死に堪えます。
色褪せつつあった私の世界に、色彩を与えてくれたのは、またしても彼でした。
ある時は、自信満々で褒めてもらおうとした風祝の衣装を、変だと言って私を泣かせて、ある時は、どんな時でも助けるなんていう夢物語みたいな約束をとりつけさせました。また、ある時は、ずっと一緒にいようと約束した、私を知っていて欲しくて、信じて欲しくて、一緒に居たいと思う男の子。
その男の子の名前は――綾崎結鷹。