それでは、どうぞ!
「ゴオオオァァァァァ!」
「っがぁっ……!」
鳴き声を上げながら、その強靱な筋肉に物を言わせてタックルを繰り出す巨体。そしてそれに吹き飛ばされ、あまりの痛みに碌に声も出せず悶絶する、どう見ても目の前に立ちはだかる脅威に対峙するには力不足な小さな存在。血臭漂う遺跡平原の一角にて、戦いと言うにはあまりにも一方的な蹂躙劇が繰り広げられていた。
「くそっ……!」
“恐暴竜”イビルジョーに吹き飛ばされた人間、ギルドナイトの男は、喉から溢れかけた鉄の味がするそれを回復薬グレートで胃へと押し戻した。飲んだ側から負傷が回復していくこの奇妙な薬に感謝しつつ、今度はいつでも回避できるような体勢をとりつつ目の前を睨みつける。
再び咆哮したイビルジョーは、その口から強酸性の唾液を振りまきながら前進してくる。男はそれを間一髪で避けつつボウガンの一撃を放つも、所詮ライトボウガンの弾一発、歴戦の傷を体中に刻むこの竜の前にはそう大したダメージでも無いようだった。
「ゴォァァ!」
「がぁっ!?」
その大質量の体を勢い良く半回転させ、極太の尾が男を打ち据える。回復薬グレートを飲んでいたとはいえ先程の一撃のダメージの影響が色濃く残るその体にとって、この攻撃は一時的に男を行動不能へと追い込むのには十分であった。
「グググ……」
仰向けに倒れこんだ男の眼前に、その異常発達した巨大な顎が迫る。その時男が見たのは、己の事を敵とすらも認識していない――そう、ただただ食料としか見ていない、狂ったような目だった。
あわや男の体が、奴の腹へ収まるかと思われた……その瞬間だった。
「せいやぁぁぁ!」
突如、この殺伐とした光景には不釣り合いとも言えるような少女の声が、エリアへと響き渡る。大きく仰け反るイビルジョー。そんな奴の背には……小柄な、人間の姿があった。
「ゴォァァッ!?」
「よぉっと!」
背に幾度となく突き立てられたはぎ取りナイフにより、怯んで倒れ込んでゆくイビルジョー。その背から飛び降りた少女ハンターは、ズザザッと音を立ててギルドナイトの男のすぐ傍らへと着地した。
「君はっ……!」
「早く、とりあえず逃げなきゃ!」
立ち上がり、苦悶の表情を浮かべながらもどうにか声をかけようとした男だったが、それは少女ハンターに手を引っ張られる事によって中断させられる事となった。
「一体何を考えてるんだ!」
ある程度逃走したところで回復薬グレートの服用によってようやく体力を回復した男は、息も切れ切れのままに怒声を飛ばした。そのあまりの剣幕に、少女ハンターはビクッと体を震わせる。こちらを向いて見せた少し怯えるような目に若干の罪悪感を感じた男だったが、こればかりは彼も譲るわけにはいかなかった。
「君に対しては、ギルドマスターから直々に指示書が送られたはずだろう!? 第一、俺がここへ向かう時にも念を押しておいたはずだ!」
現在、この遺跡平原はギルドからの指示によって進入禁止令が発令されている。彼女は本来この地でクエストを遂行する予定ではあったが、禁止令の発令によってそれを中断、男は平原へと向かう途中で止まっていた彼女達を追い越す形で調査へやってきた。しかし、今彼女がこの場所にいるという事は、ギルドマスター直々の伝書を無視してやって来たという事。ハンターズギルド内の治安を守る事も職務に含まれるギルドナイトであり、その仕事に強い誇りを持っている彼にとって、これはそうそう許されるような事ではなかったのだ。
「うぅ、ごめんなさい……。何だか嫌な予感がして、思わず飛び出してきちゃったんです……」
嫌な予感。彼女は、たったそれだけの理由でギルドの規定を破り、この地へとやって来たというのか。そう考えて呆れた男だったが、事実、今こうして自分が説教を垂れる事ができているのも彼女の助けによるものであるという事を改めて認識し、その予感もあながち間違っていなかったと言えるのだろうかとも考えた。そう、彼女は曲がりなりにも、彼の命の恩人なのだ。
「全く……。しかしまぁ、助けてくれた事には礼を言おう。……助かった、ありがとう」
「……えへへ」
若干涙目ながらも照れ笑いを浮かべるその少女ハンターの顔は、歳相応のとても可愛らしいものであった。男にはそれが、血に塗れた遺跡平原に一筋の小さな光が射し込んだかのようにすら見えたのだった。
◆
「ゴォァァ……」
空腹に苛まれ、異質なる獣竜は呻く。その果てなき飢餓感は、今は理性無きその身を苦しめる。
「ゴァァ……」
空腹はより強く、食欲は止まる事を知らず。それに本能的な危険を感じとった獣竜は、ついにその身の安全装置を“解除”した。
「ガッ……ゴォァ……ッ」
そして、その身に変化が訪れる。その強靱な肉体は異常発達した筋肉で隆起し。首からは黒いエネルギーが溢れ出す。その目に狂気の光を湛え、恐王は新たな“
「ゴオオオァァァァァ!」
狂ったような咆哮が、遺跡平原に木霊する。暴食に支配されたその身の遙か奥底に眠る“心”は、まだ目覚めない。
◆
「……ん、どうかしたか?」
背後をついてきていた足音が途切れたのに気がつき、背後を振り返る男。ふと立ち止まってもと来た方を眺めていた少女ハンターはその声に「すいません、何でもないです」と返事をして、小走りに追いついた。
「何でもないって言う割には、随分と思案顔だね」
「あ、いえ……。少し、あのイビルジョーについて考えてまして」
イビルジョーについて? と疑問を口にすれば、若干眉を潜めた笑顔を浮かべる少女ハンター。直後にその可愛らしい口から発せられた言葉は、彼の予想だにしないものであった。
「何だかあのイビルジョー、とっても……苦しそうだったんです」
「苦しそう……? まぁ、確かにあいつらは大抵常に飢餓感を――」
「いえ、そういう意味じゃないんです」
その遮る言葉に、改めて彼女の顔を直視する。一方の少女ハンターは若干目を伏せ、何やら悲しそうな顔をしていた。
「何というか……寂しくて、苦しそうだったんです」
「寂しくて……?」
モンスターが、それもかの暴君イビルジョーが、寂しいと感じている。これまでモンスターの“感情”という面に関して考えた事もなかった男にとって、この意見はかなり新鮮で、また少なからぬ衝撃を与えるものであった。
「……どうしてそう思ったんだ?」
「何となくです。私、お母さん譲りで観察癖があって……。でも、モンスターの感情が分かった気がしたのは今回が初めてです」
困ったような笑顔を浮かべる少女ハンター。明らかにその笑顔が彼女の心中を取り繕うものである事は男にでも容易に察する事ができたが、果たしてそれが自分が踏み込んで良いほどのものか、流石にそこまでの判断はできなかった。
「……さて、あとは帰還して、上位かG級のハンターに依頼を出せば俺の仕事は終わりだ。君の事も、助けられた事に免じて報告しないでおくよ。だから、もうあんな危険な事は――」
妙な空気を打開するべく、努めて明るい声でそう言いつつ少し大股に歩いていく男。少女ハンターはそんな彼の背中へ微笑み、再び追いつこうとペースを上げた――その瞬間だった。
「ゴオオオァァァァァ!」
「っ……!?」
「ひっ!?」
何の前触れもなく男の目の前で起こるのは、爆発と見紛う程の轟音と勢いで砕け散る岩盤。身の毛も弥立つような恐ろしい咆哮。そして――。
「嘘……だろ……!?」
先程よりもさらに荒い息。不気味に膨れ上がった筋肉。口もとから吹き出す黒い何か。赤い光を放ち、狂気に染まってまともに見えているのかも怪しい双眼。先程と確かに同じ個体であるはずだというのに、先程よりも遙かに酷悪で、恐ろしく、それが例え古龍であったとしても全ての生物が恐れ戦くであろうその姿。それらの情報が彼の脳内で急速に構築され、ついにギルドナイトとして蓄えた様々なモンスターの知識から、ある一つの、最悪の答えが導き出された。
イビルジョー飢餓、またの名を“怒り喰らうイビルジョー”。己の命を削り、食欲のみに全てを注いだ最恐の存在が今、目の前に立ちはだかった。
「まずいっ……!」
勝てない。こんな化け物を相手にして、自分なんかが勝てるわけがない。本能的な危機感に知識上の相手の実力が上乗せされ、さらなる恐怖が彼へと押し寄せる。急いで元来た道を引き返そうとする男が――。
「ゴオオオァァァァァ!」
「っぐぁ……」
直後鳴り響くのは、空間が歪んで見えるほどの大咆哮。それにより男は思わずその足を止めて両耳を塞ぎ、うずくまってしまった。そして、未だ続くキーンという耳鳴りにどうにか耐え、ようやく顔を上げた彼の目の前に迫っていたのは……大型モンスターの中でもかなり大柄な部類に入る、筋肉で異常なまでに盛り上がったその巨体だった。
「ゴオァォ!」
「ぐあぁっ!?」
目の前に火花が散るかのような幻覚が見え、体のどこかから骨の折れる音が響く。既に先程の時点で彼へと絶望的なまでの実力差を見せつけたはずの攻撃からさらに数段威力を増したそのタックルは、まるでか弱い木の葉のように、彼の体を易々と吹き飛ばした。凄まじい衝撃により飛びそうになる意識の中、彼が見たのは――こちらに背を向け、走り去ろうとする少女ハンターの姿だった。
ああ、良かった。あの様子なら無事に逃げきれるだろう。ドサリ、と地面へ横たわり、その凄まじく凶悪な口が近づくのをどこか他人事のように感じながら安堵する。しかし、彼の意識が途切れる直前にその耳に届いたのは自らが咀嚼される音ではなく――。
プオーン、プオーン……
震えた、ぎこちない角笛の音だった。
◆
ギルドナイトさんを食べようと大口を開けていたそのモンスターがその動きを止めて、ゆっくりと私の方を向く。たったそれだけでも怖くて一刻も早く逃げ出したくなるけれど、ここで止めたら意味が無くなってしまう。
だからもう一度、私は角笛を吹き鳴らす。モンスターの神経を逆撫ですると教えられたその音は確かにそのモンスターへ届いて、体もこちらへ向けてきた。
とうに近場の小型モンスターは逃げ出していて、ここにいるのはあの巨大なモンスターと、私とギルドナイトさんだけ。血の臭いを湛えた風が、永遠のようにも感じられた沈黙の中を流れた。でも――その瞬間、私には見えた。先程まで狂気に塗りつぶされていたその瞳が、まるで小さな子供のように純粋な視線を、こちらへ向けている事に。
「ゴ、ガ、ゴオオオァァァァァ!」
それは、本当に突然。いきなり目が覚めたかのように再び鳴き声を上げたそのモンスターは、またその瞳を狂気に染めて動き出した。目標は……勿論、私。
「っ……!」
確かにあのモンスターを引きつけた事を確認した私は、その場に背を向けて走り出す。ズシン、ズシンと重厚な足音を立てて後ろから近付くそれには振り返らず、一目散に。
だんだんとスタミナが切れ、でも後ろからやってくるその気配は近くなる一方で。だんだんと足が動かなくなるのを、無理矢理気力で前へ押し出す。
「はぁっ、はぁっ、はぁっ、はぁっ……」
切れる息に、走る音。そういえば、前に似たような夢を見た事があったな、と現実逃避気味に思い出す。そう、あれは確か、ゲネル・セルタスの狩猟クエストの時――。
「あっ……」
そう、間違いない。これはあの時の夢と全く同じだ。もつれて倒れ込む浮遊感をその身に受けながらそう考えた私は、そのまま音を立てて地に伏した。装備で覆っていない所の肌を地面の岩肌で擦り剥いた鈍い痛みが、しかしこれが今や夢ではないという事実を私に突きつけてくる。
「嫌……」
早く、早く逃げなくちゃ。急いで起きあがろうとするも、すぐ後ろで唸るその声に硬直してしまう。走れないならと振り返って対峙しようとするも、怖くてそれができない。せめて震える自分の体を落ち着けようにも、それすらままならない。
「誰か、」
あてもなく、震える声を必死に押し出す。今この場に、助けてくれる人なんているわけがない事は分かっていた。
――でも、言わなければならないような気がした。
もし万が一誰かがいたとしても、このモンスターの前には手も足も出ないだろう。
――それでも、私は何故か助けを求めようとしている。一体誰に?
私の頭の中で僅かに残った冷静な部分が、助けを求めなさいと言った。何でそうしなくちゃいけないのか、すぐには理解できなかった。そして粘着質な口を開く音が背後から聞こえた頃になって……その夢の最後を思い出した。
「助けて――!」
私を助けてくれる、その存在を――。
「ギシャアアアァァァ!」
聞き覚えのある鳴き声と、力強い羽音。そして……轟く爆音。それに驚き、そして期待して振り返った私が見たのは――口元から黒煙を出して大きく怯むあのモンスターと、私の目の前に着地し、大きく鎌を振り上げる“徹甲虫”の姿だった。
はっきり言いましょう。私、シリアス書くのが大の苦手です。具体的にどれくらい苦手かと言いますと、過去に書いてきた作品達は大体シリアスシーンに移行する段階で更新がストップしております(ぇ
以上、更新が遅れた言い訳でした。