真・恋姫†無双 ~華琳さん別ルート(仮)~   作:槇村 a.k.a. ゆきむらちひろ

5 / 10
05:縁

繰り返すことになるが、華琳は義父である一刀大好きを公言してはばからない。姿が見えない声も聞けないとなれば「義父さま成分が足りない」などと戯けたことをぼやきだすほどの重症ぶりだ。"成分"などという概念が確立しているかも分からない言葉を使っているあたりからも、育ての親である一刀の影響がどれだけのものかが窺い知れる。

そんな彼女が、長く一刀の傍を離れてそれなりにやっていけているのにも理由がある。一刀から定期的に送られてくる、必要な報告や連絡のしたためられた直筆の書簡のおかげだ。

 

益州牧・劉璋の軍勢を事実上乗っ取ったといってもいい江州軍。華琳がその舵を取ることになるだろうことを予想していたかのように、一刀は此度の討伐行を後方から支える準備をしていた。華琳もまた、それを当然のように受け入れて活用している。

一刀が後方で情報収集と伝達、輜重の手配や支援などを行い。

それを受けて華琳が前線に立って動く。

過程はどうあれ、兵が不必要に疲弊することなく、飢えることもなしに、結果を出している。

どこからも咎められるいわれはないと、華琳は涼しい顔をしている。

一刀がこの場にいたとしても同じ態度を取っただろう。

率いられる兵たちもまた、行軍の負担と辛さを軽減しようとしている華琳たちの行動を知っている。そのためだろう、商人である華琳の指示に従うことにも抵抗を感じていなかった。

もっとも、江州や成都において、華琳を相手に武力でも軒並み叩きのめされているため逆らえない、という事情もあったりはするのだが。

 

 

 

さて。

一刀から届く報告は大概、華琳もよく見知った商人たちが携えてくる。今回もまた同じだと思っていたのだが、意外な人物がやってきた。

 

「……どうして貴女がこんなところにいるのよ」

「お前を手伝ってやってくれ、と便りをいただいた。

 それで遠路はるばるやって来たというわけだ」

 

まだ一刀に保護されたばかりの頃、商用の旅の途上で友となった女性。

姓を関、名を羽、字は雲長。真名を愛紗という。

 

幼馴染みとも言うべき彼女は、幽州涿郡に居を構えている。一刀と縁のある商隊で護衛として働いたり、郡の兵たちと組んで山賊の討伐などを行っており、その武の程は"黒髪の山賊狩り"と謳われるほど。その名は幽州はもとより、遠く離れた益州にまで響いていた。

 

とはいっても、その当人の気質を知る者にとって、周囲が後から被せる評価などは重要ではない。よっぽと変わってしまったということでもなければ、やり取りや接する態度などもまた変わらないものだ。

 

「……愛紗。久しく見ない間に、また胸が大きくなっていない?」

 

だが華琳にとって、関羽の変化は見逃せないものだったらしい。

もっとも、こんなやり取り自体は変わりのないものではあるけれども。

 

関羽は関羽で、会って早々にあんまりな言葉を掛けられ思わず、その立派な胸を腕で隠すような仕草を見せる。次いで、思わずとばかりに溜め息を吐いた。

 

「華琳よ。久方振りにあった友に対して、第一声にそれはないんじゃないか?」

「まったく、愛紗といい焔耶といい紫苑といい桔梗といい、どうして私の周りにはこう胸の大きな女が多いのかしら。私だって小さいわけじゃないのよ? なのにどうして劣等感に駆られなきゃいけないのよ。納得いかないわ」

 

ぶちぶちと呟く華琳は、関羽の言葉に耳を貸そうとしない。そんな彼女を見て、関羽と魏延は顔を合わせる。初対面ではあるが、華琳に付き合う人間として相通じるものを感じたのかもしれない。

 

「もういい。お前に変わりないことは分かった。

ほら、愛する義父上からの報告だぞ」

 

もうどうでもいいやといわんばかりの投げやりさで、関羽は、華琳に書簡の束を差し出す。

次の瞬間、目にも留まらぬ速さでそれらは華琳の手の中に移った。

笑みを浮かべながら一枚一枚検分していく彼女の姿に、関羽は「やはり変わっていない」と苦笑せずにはいられない。

 

一方、魏延は心中穏やかではなかった。

華琳の幼馴染みだと?

その一事だけで、自然と腰が引けてしまいそうになる。

もしかしてこいつも、華琳みたいな"いい"性格なんだろうか。

華琳みたいな奴がふたりもいるなんてたまらない、と、魏延はわずかに警戒する。

 

もっとも、それはわずかな間でしかなかった。

 

「華琳と幼馴染みってことは、北郷さんとも知り合いなのか?」

「うむ。小さい頃からよくしてもらっている」

「……お前も、"弄る側"なのか?」

「……お前も、"弄られる側"なのか」

 

それ以上の言葉は、必要ない。

 

「愛紗と呼んでくれ。よろしく頼む」

「焔耶だ。こちらこそよろしくな」

 

ふたりは強く手を握り合い、互いの境遇に想いを馳せる。

ことあるごとに弄られるという意味ではあるが、同じ立場にいる何かがふたりを共鳴させ、分かり合うことを可能とさせた。それこそ、姓名を教え合う前に真名を交換してしまうほどに。

 

もしこの光景を厳顔が見ていたら、常に弄られ続ける同士として彼女も涙を流すに違いない。生暖かい視線を向ける黄忠の優しい笑みに見守られながら。

ふたりにそこまでさせた一刀と華琳の行状というのも、大したものだと言えるものだろう。

もちろん、多くは悪い意味で、だけれども。

 

 

 

ほかには分からない何かによって、深く誼を交わすふたり。それを放置して、というべきか、ふたりに放置されてというべきか。とにかく、華琳は一刀からの書簡を受け取り、"後ろの方"から目を通していく。

 

前半には、黄巾賊の状況であるとか、ほかの軍閥の動きであるとか、軍のこれからの動きに影響するそういった情報が記されている。もちろん、この書簡において主となる重要な内容だ。

同時に最後の部分には、一刀が娘を気遣う言葉が記されているの常だった。

 

ゆえに、彼女は後ろの方から目を通す。じっくりと、何度も何度も。華琳はいわゆる「義父さま成分」をそうやって補給することで、自身の士気であるとか意欲であるとか、そういったものを維持しているのだ。

傍から見れば、くだらないことかもしれない。だが本人にしてみれば至極真面目で、深刻な問題なのである。

 

笑みを浮かべながらひとしきり文字を眺め、満足したところでようやく彼女は本文の方へ目を移す。表情も、真面目なものに切り替えながら。

 

「ようやく本題に目が行ったか」

「相変わらず優先順位にブレがないな」

 

華琳の姿を見ながら、思ったことを好きなように口にする魏延と関羽。

 

「悪いやつじゃないんだよな。頭の回転が速くて性格が少しばかり陰湿ではあるけど」

「……私以外の評価も、そんなものなんだな。安心した」

「恋する乙女っていうのも、気持ちは分からないでもないんだ。だけど相手は義父なんだよなぁ」

「まぁ、父親とはいえ義理だ。年も離れすぎているというわけじゃない。細かいことを気にしなければ、問題ないとも、言えなくはない」

「はぁ?」

 

理解を示すようにひとりうなずく関羽。

魏延はまさかそういう方向で肯定されるとは思いもせず、間の抜けた声を上げて関羽を見返した。

 

「焔耶。華琳の境遇については?」

「詳しくは知らないけど、大まかには」

「係累がいないというのも?」

「知ってる」

「わずか6歳で身ひとつになり、それから育て上げてくれたのだ。それに一番近くに居続けた男性でもある。親愛が異性へのそれに変わったとしても不思議じゃないだろう」

「確かにそうかもしれないけどさ」

「何より義兄上は男性としてすばらしい人だ。惚れてしまったとしても仕方がない。年の差など何の障害にもなりはしない」

「……は?」

「優しく頼りになり何でも知っている義兄上は私にとってもかけがえののない存在だ。時に厳しいこともあったしかしそれもすべては私のことを思ってのこと愛そう愛ゆえのものだったのだ愛紗はその思いに応えてきましたもちろんこれからも応えていきます義兄上あぁ義兄上」

 

目を輝かせうっとりとしながら、流れるように言葉を紡ぐ関羽。

そんな彼女に、魏延は少しどころではなく腰を引いてしまう。

 

「兄さまの死後、私をここまで育ててくれたのはほかならぬ義兄上だ。敬愛せずにいられようか、いやいられまい!」

 

背後から効果音が聞こえてきそうな勢いで。

関羽は拳を振り上げた姿勢をキメて自らの想いを叫ぶ。

 

あぁ、やっぱりこいつも華琳と同類だったか。

あれ、というかこいつらをここまでダメにしたのも北郷さんなんじゃないか?

 

魏延はそんなことを考えつつ。

真名をあずけたのは早まったか、と、少しばかり後悔していた。

 

 

 

 

 

先にも触れたが、華琳と関羽が出会ったのは、ふたりがまだ小さい頃。一刀が華琳を引き取り各地を放浪していた時期だ。

関羽の生まれは、洛陽の北に位置する、司隷・河東郡解県。両親はおらず、実兄とふたりで暮らしていた。

彼女の兄は専売制となっている塩の密売をしており、一刀とはその縁で知り合っている。華琳を連れて放浪を始めて間もなく、一刀は彼の下を頼った。

理由はいくつかある。

ひとつは、洛陽周辺で曹一族虐殺の調査を進めるための拠点が欲しかったこと。

ふたつは、さすがに洛陽へ華琳を連れて行くことはできないため、彼女をあずける先が欲しかった。信用できる人間のうち、一番洛陽に近かったのが彼の下だったこと。

そして、華琳に同世代の友人を作らせたかったこと、だ。

 

当時の関羽にとって、一刀は「兄の知り合い」という程度の認識である。

そんな彼が突然連れてきた、同年代の女の子。それが華琳だった。

 

「俺のいない間、一緒に遊んでやってくれないか?」

 

関羽は両親の居ない中で自分を育ててくれている兄を尊敬しており、一刀はその兄を助けてくれる人ということで、それなりに懐いてはいた。その彼のお願いなのだから、それくらいのことならわけはない。

 

最初は互いに怖々と接しながらも、やがてそれなりに仲良くなることができるのは幼さゆえか。

だが幼いとはいえ"あの"曹操と関羽である。互いに我が強く、ひと言遊ぶといっても自分の得意な土俵で相手を振り回すようなものばかりだった。

思考型の華琳は、何かと小難しいことを吹っ掛けて関羽の頭を混乱させ。

行動型の関羽は、何かと強引に方々へ連れ回し華琳の体力を削っていく。

お陰でというべきか、関羽は動くにしてもいろいろと考えをめぐらす思慮深さを得て、華琳は考える粗方を自分でこなしてしまえる自力を得た。図らずも切磋琢磨を続けることとなり、成長したふたりの知的身的能力は相当なものになっている。

「"関羽"レベルの曹操、"曹操"レベルの関羽なんて怖すぎる」

"天の知識"ゆえの連想に、一刀が内心畏怖した時期があったことは誰も知らない。

 

 

 

そんな幼少時がしばし続き。年相応、と言うにはやることが飛びぬけていたりもしたが、年相応に友人と遊び回る楽しい時間が流れた。

だが天とやらは、ここでも無慈悲な事態を引き起こす。

 

関羽の兄が生業としているのは、塩の密売。本来は官主導で行われる専売品であるため、無論、違法行為である。というよりも、権力と権威が上乗せされている専売制の旨みを他に渡したくないのだろう。それを侵す商人たちに業を煮やしたのか、官吏たちが兵を連れて制圧に現れた。

関係者は慌てるが、"フットワークの軽さ"を信条にする一刀が全員に檄を飛ばし、逃走を図る。

逃げる商人連中の先陣を一刀が受け持ち、殿を関羽の兄が受け持った。

妹を頼む、と、一刀に託し走り去る兄。追おうとする関羽だったが、一刀に無理矢理抱え上げられ引き離されていく。泣き喚く彼女に構わず一刀は、華琳と関羽、そして仲間たちと共に河東郡を離れた。

 

捕縛あるいは殲滅を目的とした官吏たちから逃れ、落ち着いた先は幽州涿郡。関羽ら兄妹の叔母が住む村だ。

だが一刀はひとり、息を吐く間もなく河東郡へと取って返す。

「華琳と一緒に待っていてくれ。何、あいつと一緒に直ぐ戻る」と。

関羽の頭を撫で、華琳の頭にも手をやり。

誰の制止の声も置き去りにして、彼は駆けて行った。

 

それからの華琳と関羽は、毎日村の入り口に立ち、ひたすら待ち続けた。

戻らない肉親を想い、あふれそうになる涙を堪えながらふたりは夜を明かす。

幼い彼女たちのそんな姿は、周囲の大人たちの胸を締め付けさせた。

 

どれ位の日数が経ったか、一刀は再び涿郡へと戻ってきた。単身、傷だらけの状態で。

驚いて駆け寄る華琳と関羽、そして共に逃げた商人の仲間たち。

一刀は関羽の前にひざまずき、頭を垂れ、声を絞り出す。

俺はあいつを助け出せなかった、と。

彼が持ち帰ったのは、関羽も見覚えのある上着と、腕輪。

彼女に手渡されたそれらは血に塗れていて。

兄がどうなったのかは幼い身であっても想像はついた。

大切な兄は、もう戻ってこない。

涙が、あふれ出す。

崩れるように膝を突いた関羽は、そのまま一刀へともたれ掛かり。

垂らした彼の頭を抱き込むようにして、泣いた。

 

 

「必要なときに、泣かせてくれた。だがそれだけじゃない。

大人の男性が自分の行動を悔い、小さな子供に泣いて許しを乞うなどどれだけの者ができるだろう。それは兄さまを、私を、それだけ大切な者だ思っていてくれたからにほかならない。

だが今思えば、あの時に私はこう、胸が、悲しみとは別の何かで胸がうずいて……。

つまりそういうことだ」

 

 

以後、関羽は叔母夫婦にあずけられ、この地で過ごすことになる。

そして、一刀のことを"義兄上"と呼ぶようになった。

いきなり呼び方が変わり一刀は驚いたが、兄がいなくなった代わりなんだろうと考え、それを受け入れる。

さらに、華琳が嫉妬に狂うほど一刀にべったりとなった。

事情は理解しているし、自分も同じような境遇だったために自重していた華琳も、許せなくなったのか、それとも自分が耐えられなくなったのか、争うようにして一刀に抱きつくようになる。時に張り付く場所をめぐって喧嘩になるほどに。

周囲の目は、元気で何よりと微笑ましく受け取っていた。

しかし一刀ひとりだけ、

「幼いとはいえ"あの"曹操と関羽が拳で語り合ってる」

などと考えていたのは誰も知らない。

 

 

それから10年以上が経った。関羽は近しい者を失わないよう武の研鑽に努め、一刀の手助けになれるように華琳と共にさまざまなことを学び。可愛らしい少女は、凛々しさを湛えた魅力を持つ女性へと成長した。

 

 

 

新たな友・魏延を前にして関羽は、敬愛する義兄・一刀と自分にまつわる話を語る。大いに熱を込め、どれだけの一大叙事詩なんだと思わせるほどに。

聞かされる魏延にすればうんざりするようなものではあったが、話の主役は自身もよく知る北郷一刀という男。語られる彼の言動のところどころに心当たりがあったり納得したりするものだから、退屈にはならないところがまた憎らしく思う。

そして知れば知るほど、彼のことが分からなくなってくる。何よりもその考え方と知識、物事の捉え方に理解が追いつかない。

 

「あの人の知識も謎過ぎるだろ。時々聞いたこともない言葉使うし、物知りとかそう言う問題じゃない。羅馬(ローマ)より向こうから来た、って言われても信じちまいそうだ」

「私は、羅馬とは逆の海の向こうから来た、というのを聞いた覚えがあるような」

「愛紗、当たりよ」

 

受け取った書簡に目を通し終えて、あれこれ策を頭の中でめぐらせていた華琳が近寄ってくる。

おそらくは「義父さま成分」を補充できたおかげだろう、生気にに満ちた表情を浮かべて会話に加わった。

 

「え、本当に海の向こうから来たのか?」

「笑いながら言っていたことだから、本当かどうかは分からないけれどね。

でも、義父さまの生まれが地の果てだろうが海の果てだろうが関係ないわ」

「それもそうだな。今そこに義兄上がいて、自分を気に掛けてくださる。その方が大事だ」

「分かってるじゃない愛紗」

「当然だ」

 

示し合わせるでもなく、華琳と関羽は強く手を握る。互いに満面の笑みを浮かべて。

 

どうしよう、こいつら重症だ。

魏延は口を挟むことなく、ふたりからもう少し距離を取る。

だが一方で、「これまで生きてきたおよそ7割を、共にもしくは心の支えにして過ごしてきた」と考えれば仕方がないのか、とも思う。ふたりの境遇を想像するしかできない魏延には、深くどうこう言うこともできない。中身はともかく当人が幸せそうで、自分に迷惑が掛からなければいいか、という、消極的に見守ることで落ち着くことにする。

何となく黄忠から無言の威圧を感じたような気がしないでもないが、魏延は気のせいだと思うことにした。

 

 

 

 

 

話はやっと本題に戻る。

 

冀州近辺を根城にしていた黄巾賊の集団が移動する。中央から派兵された軍勢は洛陽に近づかせないよう追いやり続け、その結果、賊徒たちはどんどん南下していくことになった。

 

不幸中の幸いというべきだろうか、その道程に大きな町や集落は多くなく。移動している規模を考えれば、被害の程はそう大きなものではなかった。

もちろん、被害が皆無だったというわけでは決してない。各地の被害の程も、分かる範囲で報告がなされている。それらを目にするたび華琳は顔をしかめるが、今の彼女にどうにかする術はない。

洛陽の軍に対しても、数万単位で兵を出しているのだからもっとうまくやればいいものを、と思わないでもない。洛陽から遠ざければそれでいい、という考えなのか、徹底して討伐するという意識が薄いことも見て取れるのだ。

そんなことを言ってもどうしようもない。それは分かっている。それでも、ツケがすべて一般の民に降り掛かってくるのはが納得いかない。

華琳は、そう思わずにはいられなかった。

 

江州軍は益州を出て、現在、荊州南陽郡のやや南、襄陽に程近い場所にいる。

追いやられる形で南下して来た黄巾賊が、洛陽軍の追撃が緩んだところで再集結を始めた。そして南陽郡・宛の街を包囲しているという。さらに、それに対処する軍勢も近付いているという連絡を受ける。

一刀からの書簡にも南陽へ向かう軍閥がいる旨は記されており、華琳が方々へ放っている諜報役からも同様の報告があった。

 

そしてその軍閥を率いるのは、兗州・濮陽の県令だと聞き。

昔馴染みの顔を思い浮かべた華琳は、柔らかく微笑んだ。

 

「南陽を囲もうとしている黄巾賊を狙って、軍閥が展開しているわ。

私たちもそこに合流しましょう」

 

これまでに被害らしい被害を出していない頭脳役の華琳が言うのであれば、誰もそれに反対する理由などなく。

先触れを走らせた後、江州軍は進路を北へ取り、南陽へと向かう。

 

 

 

宛の街を遠巻きにしてたむろする黄巾賊の大軍と、それを威嚇するようにして陣を敷いている官軍。江州軍が到着した頃、近辺は一触即発とまでとは言わないがそれなりの緊張感に満ちていた。

 

そんな空気など知ったことかとばかりに、声を上げ駆けてくる女性がひとり。

 

「かりんさまーーーーーーーーーーーーーっ!!!」

 

真名を叫びながら、彼女は一直線に華琳へと向かい、抱きついてきた。

 

「かりんさまかりんさまかりんさまかりんさまかりんさまかりんさまかりんさ」

「いいかげんにしろ姉者。華琳さまが困っているだろう」

 

抱きつくやいなや、華琳の顔を大きな胸にうずめさせ、自身の頬を摺り寄せる。摺り寄せ続ける。

続いて、そんな彼女を姉と呼ぶ女性が現れ、頭を小突いてみせた。

 

「そんなことはないぞ秋蘭、私と会えて華琳さまもこんなに喜んで」

「とりあえず、苦しいから離れなさい春蘭。その胸揉み潰すわよ?」

「そんな、華琳さま!」

「いいから離れろ姉者」

 

無理矢理引き剥がされた女性は、華琳の言葉に傷ついたかのようにそのまま膝を突く。

さめざめと泣かんばかりの彼女を放置し、後から現れた女性もまた嬉しそうに笑いかける。

 

「お久しぶりです、華琳さま」

「元気そうで何よりね、秋蘭」

「私も元気です華琳さま!」

「見れば分かるし、身をもって体感したわよ。

……ふふ、相変わらずね。嬉しいわ、春蘭」

 

膝を突いたせいで低い位置にある頭を、華琳は優しく撫でる。

懐いた小動物のように嬉しそうな表情をする姉、その姿を見て顔をほころばせる妹。

このふたりもまた、華琳の古くからの友人であった。

 

 

 

双子の姉、姓を夏侯、名は惇、字は元譲。真名を春蘭。

妹、姓は夏侯、名を淵、字は妙才、真名を秋蘭。

華琳にとって彼女たちは、曹一族虐殺が行われる前からの知己である。

 

夏侯姉妹の父が華琳の父・曹嵩と誼のあったことから、3人は幼い頃に知り合っている。いずれは華琳と主従に、という考えもあったようだが、まだ片手で足りるほどの年齢であった彼女たちは互いに同年代の遊び相手として親交を深めていった。

そして起こった、華琳の祖父・曹騰、父・曹嵩が暗殺。

洛陽の中枢を統べる十常侍の極めて利己的な思惑から起きたこと。事態を知った夏侯姉妹の父は、娘ふたりを逃がした上で、行方知れずになった華琳の身元と、真相を明らかにすべく動き出した。

しかし、重ねて行われた曹一族の虐殺に巻き込まれる形で彼も殺されてしまう。

 

曹騰と曹嵩と誼があり、十常侍に与しないだろうという考えから、夏侯姉妹は袁家に縁のある家へあずけられた。

あずけられた事情、袁家の娘・袁紹の知己である華琳の友人ということも考慮され、ふたりは袁紹の近くに身を置くことになる。袁紹もまた、華琳という共通の友人の存在もあってかすんなりとふたりを受け入れた。袁紹の側近候補として傍に置かれている文醜と顔良も加わり、同年代の5人は友となった。

 

そこに伝えられた、夏侯姉妹の父の死、曹一族の滅亡、華琳の生存は絶望的だという知らせ。

友人と父親を同時に失った夏侯姉妹は 深い悲しみに囚われ泣き腫らした。

袁紹もまた友人を失ったという点では同じだ。だが「父親も失ったふたりに比べれば悲しみはまだ浅い」と、彼女は夏侯姉妹を慰めようとする。そして、そんな3人をさらに文醜と顔良がなだめるという日々が続いた。

 

幼い5人は、同じ悲しみを共有して涙を流し合った。皮肉ではあるが、このことを機に彼女たちの繋がりは深いものとなっていった。

 

 

後年、曹一族虐殺に関する得られる限りの情報を集め取りまとめた上で、一刀は袁家の主・袁逢の下を訪れ、華琳との再会の場を作っている。事情を知る者ということもさることながら、商人という立場で堂々と対応しようとする一刀に興味を持った袁逢の取り成しもあり、彼女たちは数年振りに再会することができた。

 

夏侯惇、夏侯淵、そして袁紹は、華琳の姿を見て呆然とし。次いで弾けるように抱き付き喜びの涙を流す。華琳もまた釣られるように涙ぐんだ。

 

中でも特に夏侯姉妹の喜びようは、歓喜を通り越し取り乱しているかのように激しかった。再会の場を設定した一刀と袁逢はもちろん、華琳までもが驚くほどに。

仲のよかった友を失い、次いで実の父親も失う。幼い頃のその経験が夏侯惇と夏侯淵に「身近な者を失う恐怖」を植え付け、そして死んだと思っていた友との再会が「もう失いたくない」という強迫観念のようなものを生んだのかもしれない。

 

 

「貴女たちも、いい加減に"様"付けはやめなさい」

「でも、華琳さまは華琳さまです」

「小さい頃の癖が染み付いて離れないんです。もうあきらめてください」

 

そういって微笑む夏侯惇と夏侯淵に、華琳は苦笑を漏らすしかない。

 

華琳にしてみれば、祖父と父が死なずにいたなら、ふたりが自分と主従の関係になっていたかもしれないことは想像できる。事実その頃から、敬称の意味も分からずに"様"付けをされていたのだから、夏侯姉妹の父にはそのつもりはあったのだろう。

だが今の彼女は一介の商人でしかなく。身分だけで言うならば、この中でもっとも下に位置するはずなのだ。夏侯姉妹もそれは分かっている。だがそれでも幼い頃と同じ呼び方をしてしまうのは、失ったと思っていたものが今もその手にあるという喜びからなのかもしれない。

 

 

 

「で、あの軍勢は濮陽軍になるのかしら。それとも袁家の私兵扱い?」

「袁家の兵になります。麗羽さまは新しく渤海郡太守を任ぜられました。転任の時期と黄巾討伐の下知が重なってしまったので、濮陽から兵を出すことができなかったんです」

「あら、出世したのね。

それじゃあ、麗羽は先に渤海に行っていて、現地をある程度掌握してから兵を再編成するってところかしら」

「はい。そのつもりです」

「じゃあ、今の軍勢の責任者は?」

「名目上は、姉者なのですが……」

「分かったわ」

 

華琳はその場に膝を突き、頭を垂れ、改まった態度を取る。

 

「袁渤海太守が軍の将・夏侯将軍にお願いがございます」

 

態度と共に声音も改まったものになる。まるで"平民が官吏に目通りを願う"かのように。

それに続くようにして、魏延と関羽も同じように膝を突き、頭を下げる。

 

「華琳さま、何を」

「姉者」

 

華琳の豹変に付いていけずうろたえる夏侯惇。

そんな姉の動揺を、夏侯淵は手をかざし押さえ。華琳に先を促す。

 

「ふむ、なんだろうか」

「益州牧・劉璋様の命により、我々は兵を率い黄巾賊の討伐を行っておりました。

独自に情報を集め、南陽近辺に黄巾賊が集結しているとの知らせを受け、そこへ向かう途中でした。

見れば将軍の軍勢も向かう先は同じ様子。

そこで、我々もその一端に加えていただけないでしょうか」

「華琳さまが一緒に来てくれるのなら喜んで!」

「姉者」

 

嬉しそうな声を上げる夏侯惇を再び諌めながら、夏侯淵は想像した通りの流れに微笑する。

 

「少数ながら多くの成果を挙げていると聞く、名高い"江州軍"と合流できるのだ。こちらの方こそ喜んで迎え入れたい」

「ありがとうございます」

 

さらに深く、頭を下げる華琳。そんな彼女に、夏侯淵は笑みを浮かべながらうなずいてみせる。

 

「こんな感じで、よろしいですか?」

「えぇ。ありがとう、秋蘭」

 

言葉と態度を最初のものに戻し、改めて素で接する華琳。

 

例え友であっても、今の彼女たちは立場が違う。

夏侯惇と夏侯淵は名家・袁家に属する将であり、対して今の華琳はただの商人でしかない。

例え古くからの友人であったとしても、外からはそんな事情など見えはしないのだから。

華琳が持つ実質的な権限というのも、しょせんは江州軍という身内の中でのみのもの。名代である魏延も、正式な地位で言うならば夏侯惇と夏侯淵に及ばない。ゆえに、揃って頭を下げてみせ"正式に"願い出たということになる。

 

「しかし頭を下げられているのに、見下ろしている気分ではありませんでした」

「当たり前じゃない。常にそういう心持で物事に向き合っているんだもの。

見ていなさい、いずれすべてを"下から"見下ろしてやるわ」

 

彼女の言葉には苦笑せずにいられない。

夏侯淵はもちろん、同じく顔を上げた魏延と関羽もまた同じ反応だ。

ただひとり夏侯惇だけは、何か眩しいものを見つめるかのような視線を向けているけれども。

 

「さて、まずは南陽に恩を売るわよ」

 

必要とされている場所に必要なものを届け、相応の対価を得る。

それが商人の基本のひとつだと、彼女は義父・一刀に習った。

華琳が求める対価とやらがどれだけのものになるのか、それはまだ誰にも分からない。

 

 

 




・あとがき
華琳「お義父さんのお嫁さんになる!」
愛紗「お義兄さんのお嫁さんになる!」

槇村です。御機嫌如何。




そんなわけで、ここの愛紗さんはブラコン設定になりました。
……おかしいな、どうしてこうなった?

さらに春蘭さんと秋蘭さんが登場。名前だけですが袁家の3人も。
「曹一族皆殺しって夏侯姉妹はどうなったー」という声もありましたが、
こんな感じにさせていただきました。

……おかしいな、このお話は1話5000字もいけばOKなつもりでいたのに。
でも第5話は書いていて楽しかった。



次は多分、4月末。
いや、ゴールデンウィーク明けになっちゃうかもしれない。

……祝日が入ると仕事があわただしくなるんですよ。
祝日なんてなくなればいいのに、と半ば本気で思うくらい。


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。