実況パワフルプロ野球 聖タチバナアナザー   作:向日 葵

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プロローグ

 心臓が高鳴る。

 まるでホームとマウンドが五〇メートルは離れているかのような、遠い距離感。

 誰しもがこの場面なら、そんな感覚に陥るはずだ。

 七回裏ツーアウト、ランナー満塁、一打サヨナラの大ピンチ。

 カウントツーストライクスリーボール――フルカウント。

 バッターには四番打者『友沢亮』。

 今日は三の三。

 打点は無いものの三打席ともツーベースという長打を放っている、投げてはキレ味鋭いスライダーと一三五キロのストレートを投じ、打っては三安打、プロ野球ならば猛打賞という怪物。

 

「――来い。パワプロ」

「言われなくても!」

 

 挑発的な瞳でマウンドの投手を睨む友沢を、俺は見つめ返した。

 帝王シニア対パワフルシニア。

 中学野球界の覇権を争う今日の試合も、次の一球で終わるかもしれない。

 両軍のベンチは固唾を飲んで見守り、守りに付く選手たちは緊張した面持ちながらも、自軍のエースである俺と、相手の四番である友沢との真剣勝負を楽しんでいた。

 グッと振りかぶる。

 絶対に抑えて、延長戦で勝つっ! 勝ってみせる!

 テイクバックは大きく。

 躍動感を意識した、サイドとオーバーの中間――スリークォーター。

 指先に全体重を預けるようにして右腕から放つ、強豪である帝王シニアをここまで無失点に抑えてきた俺の生命線――一二〇キロの渾身のストレート。

 そうして投じられた、俺の全身全霊を込めたボールは、

 

 そのまま、吸い込まれるように友沢の肘へと直撃した。

 

 少し遅れて、ゴッ、という鈍い音が耳に届く。

 何が起こったか、俺には分からなかった。

 ただ、分かったのは、

 指先から感覚が失われていくということと。

 ここまで切磋琢磨したライバルが肘を抑えて苦悶の表情を浮かべていることと。

 ――その原因が、自分が投じた内角へのストレートに有る、ということだけだった。

 

 

            聖タチバナ“アナザーストーリー”

 

 

 聖タチバナ高等学校。

 タチバナ財閥が経営する私立学校だ。

 生徒自身が未来を作るという理念の元、生徒会が様々な決定権を持つという風変わりなシステムが好評で、少子化が進み、学校経営が厳しくなっているという現在でも、安定して黒字経営を行っている高校である。

 部活動が盛んであり、中でも運動部は『とある部を除いて』どの運動部も全国上位に食い込む活躍を見せるという、有名なスポーツ校でも有る。

 そんな聖タチバナにも、新入生が入る季節が訪れた。

 四月。

 出会いと別れの季節であり、そして何よりも、

 

「球春ッスよー!」

 

 ――野球の季節の、始まりだ。

 教室内に明るい声が響き渡る。

 声の主は、野球帽を被ったピンク色のツインテールの美少女だ。

 どこから手に入れたのか、既に聖タチバナ野球部のユニフォームを身に纏い、ユニフォームの上からでも分かるむっちりとした肉付きの良いお尻を揺らしながら、プロ野球選手のフォームのマネをしている。

 そのあまりの完成度に拍手を浴びながら、ツインテールの美少女――川星ほむらはテンション高くはしゃぎ回っていた。

 いよいよ、自分も高校野球部に入る時が来た。

 野球を何よりも愛し、その愛情たるやちょっと行き過ぎなのではないかと友達に心配されるレベルである野球狂の女、ほむらは、いよいよ訪れる夢のような三年間に、張るほどもない小さな胸を躍らせる。

 高校野球と言えば、日本人なら誰もが知っている野球の華形。

 シニアでも野球をしていたものの、どちらかというとマネージャーのような役割をしていた彼女も、高校野球になれば話は別だ。

 マネージャーではなく、選手として甲子園に出場する。

 野球選手ならば誰もが憧れるその舞台に、選手として立つ。

 それが彼女の夢であり、大きな野望だ。

 ゴゴゴゴゴ! と炎が見えそうな程に燃えるほむらを、後ろから紫色の髪の少女が『どう接したものか』という感じで見つめていた。

 

「そこの女の子!」

「……私か?」

「そうッス! 貴方も野球部に入るッスよね!」

「う、うむ、そうだが」

「やっぱり! その下半身のどっしりさと良い、やけにかさばった荷物と言い、野球部だと思ってたッス! さてはその荷物はキャッチャーの防具ッスね!?」

「そ、その通りだが……どっしりか……そんなに私は太っているのか? き、きんつばの食べ過ぎだろうか」

「何言ってるッスか! 下半身が大きいのは良い選手の証ッス! ほむらも下半身は重点的に鍛えたッスよ!」

 

 えっへん、と大きなお尻を誇るように胸を張るほむらの下半身に女の子は目をやる。

 確かに、下半身が凄く大きい。彼女の言う、重点的に鍛えたというのは本当だろう。

 それは彼女が野球に対して、いかに真摯に取り組んできたかという証拠でもある。

 同じ野球を愛する者として、それを確認するだけで、聖のほむらに対する警戒心は、あっという間に消えていった。

 

「……ほむら」

「はいッス!」

「宜しく頼む。私は六道聖だ」

「ひじりんッスね!」

「ひじりだ」

「ひじりんッス!」

「こ、困る。いきなりフレンドリーにされると、どう接していいか分からないぞ」

「フレンドリーに接するのは当然ッスよ! チームメイトになるッスからね! 仲良くしないと損ッス!」

 

 にこっと可愛らしい笑顔を向けるほむら。

 そんな彼女の笑顔に、聖は思わず小さく笑みをこぼした。

 

「確かに、ほむらの言う通りだな」

「分かってくれて嬉しいッス! それじゃ、早速野球部に行くッスよ! ひじりん!」

「う、うむ。そうだな。……分かっては居るんだが……き、緊張するぞ」

「大丈夫ッスよ! ほむら達は全力で高校野球道を進むだけッスー!」

「ま、待ってくれっ、ほむらっ」

 

 きゃっほーい! とテンション高く走って行くほむらの後を追って、聖も走り出す。

 その背中を一人の男子生徒が見つめていたことに、二人は気が付かなかった。

 

 

                     ☆

 

 

「それで、野球部は何処ッスか?」

「知らずに突き進んでたのか。道理で逆方向に進んでいると思ったぞ……」

 

 校門の前でやっと立ち止まったほむらは、振り返るなり聖にそんな疑問をぶつけた。

 聖はぐったりとした様子で深々と溜息を吐く。

 

「大体野球部ってグラウンドの有る所に行けば有ると思ったけど、この学園、物凄く広いッス! 勘でどうこう出来るレベルじゃないッスよ! グラウンドを既に三つ見たッス!」

「あれはそれぞれソフトボール部、サッカー部、ラグビー部のグラウンドだ。それぞれ全国区だそうだぞ」

「へぇぇ、ひじりんは詳しいッスね。ほむら、この学校には野球部が有ることと、部活動に力を入れているって事以外は知らなかったッス。此処三年、運動部の中で野球部だけが予選一回戦敗退が続いてるのは知ってるッスけど」

「うむ。私もそれは知っているぞ」

 

 運動部に力を入れている聖タチバナの中で、唯一成績の奮っていない運動部――それが野球部だ。

 理由は様々有るだろうが、一番の原因は監督だとほむらは思う。

 前任監督である大仙が退任して、代わりに就任した監督は、野球のことを一切知らなかったと聞いている。

 運動部に力を入れているという聖タチバナが、何故そんな人物を監督に据えたのかは分からないが、どっちにしろ設備が整っているのならば、ほむらには文句は無い。

 

「ほむら、一つ聞いても良いか?」

「? ほむらに答えられる事だったらOKッスよ!」

 

 考え事をしていたほむらへ、聖がおずおずと問いかける。

 ほむらが快諾すると、聖が「それでは」と口を開く。

 

「どうしてほむらはこの学校を選んだのだ? 一回戦敗退が続いている学校を選ぶだなんて、道のりが困難になるだろう?」

「それも考えたッスけど、運動部に力を入れているのなら、設備とかは整ってる筈だし、何とかなるかなと思ったッスよ」

「なるほど、確かに一理有る」

「ひじりんはどうして此処を選んだッスか?」

「む、私か。私は、約束を果たすためだ」

「約束? ッスか?」

「うむ。……一緒に甲子園に行こうと誓った親友がいるのだ」

「良いッスね! 激アツッス! そういうの大好きッスよ。ほむらもその約束の為に全力を尽くすッス!」

 

 むんっ、とほむらが両拳を握る。

 自分の事でやる気を出したほむらの姿に、聖は僅かに微笑んだ。

 

「……ほむらは真っ直ぐだな」

「そうッスか。単純なだけッスよ?」

「いや、そんな事はないぞ。私も、ほむらの夢を叶える為に全力を尽くす。一緒に頑張ろう」

「勿論ッス! 聖タチバナの捕手はひじりんしか居ないッスよ! あのキャッチング能力は凄いッスからね!」

「そう言ってくれるとありがたいぞ。……む? 待ってくれほむら。ほむらは私がキャッチャーをやっている所を実際に見たことがあるのか?」

「あはは、そうッスよ。ほむら、ひじりんとみずきちゃんのバッテリーは知ってるッス」

「そ、そうだったのか……、荷物でキャッチャーだって事に気づいたのかと思っていたが」

「あはは、アレはちょっとしたジョークって奴ッス。ほむらは野球バカッスからね。有名所の中学生選手は全部調べあげてたッス」

「凄いな。それなら私の事を知っていても不思議ではないか」

「そうッスよ~。みずきちゃんとひじりんのバッテリーは有名だったッスからね。やっぱり、バッテリーを組んで甲子園に行くって約束したのって、みずきちゃんッスよね?」

「……うむ、そうだな。それで、合っている」

「?」

 

 奥歯に物が挟まっているような答え方をした聖の様子にほむらは首を傾げる。

 だが、それ以上聖は話そうとはしなかった。

 それ以上聞くことも出来ず会話が途切れた所で、ほむらはハッと本来の目的を思い出す。 

 

「とと、長話してる場合じゃないッスね。野球部に行くッス! ひじりんは野球部の場所、分かってるッスか?」

「うむ、あっちだ」

 

 聖に案内され、ほむらは彼女と共に学校裏に向かう。

 

「そっちって、入試の時には裏山が有っただけだと思うッスけど……」

「うむ。私が最後に見た記憶でもそうだが、聞いた話ならば――」

 

 門を曲がり、裏山が有った場所に出た二人が見たものは、

 

 ――ナイター設備まで有る、公式戦が行えそうな程の巨大なグラウンドだった。

 

 二チーム分のベンチ、バックネット、フェンスにバックスクリーン――おおよそ、普通の学校が備えている規模ではない、“野球のための施設”が、そこには完成していたのだ。

 

「お、おぉぉぉ……! す、凄いッスー! や、野球部のグラウンドッスか!?」

「そうだな。みずきから聞いた話通りなら、これは野球部の為に新しく作った、野球部専用グラウンドだそうだ」

「ふぇぇ、凄いしか言葉が出ないッスー! しかもこれ、出来て間も無いッスよね? 二月に来た時には無かったということは、ここ二ヶ月で新設したって事になるし!」

 

 目をキラキラさせながら、ほむらがグラウンドに目を向ける。

 流石に黒土や天然芝ではないものの、真新しいグラウンドは、まさにオープンしたてと言った感じで荒れ一つ無い。

 

「ふぉおぉ、あの用具箱にベースとか入ってるッスかね!?」

「ああ、私も驚いた。みずきから話は聞いていたが、ここまでの物だとは……」

「どっちにしろ、ほむら達はラッキーッスよ! 入部する年にこんなグラウンドを作ってもらえるなんて! きっと野球部が低迷しているからテコ入れの為に作ったッスね!」

「いや……逆だと思うぞ」

「? 逆、ッスか?」

「私達が入部するから、このグラウンドを作ったのだろう」

「ええー!? も、もしかしてほむら達超期待されてるッスか!? そ、そんな期待にほむら、答えられるかドキドキッスよ!?」

「いや、みずきも入部することになるだろう?」

「? そうッスね。ひじりんがこの学校に居る以上、みずきちゃんもこの学校に入学することになると思うッス。つまりはこの野球部にみずきちゃんも入部するッスよね」

「だから、だ」

「ふぇ? ……あ」

 

 そこまで聞いて、ほむらはやっと答えに至る。

 聖の親友の名は、橘みずき。

 角度のある珍しい左のサイドスローからキレ味の鋭いスクリューを投げる、シニアではそこそこ有名だった好投手だ。

 そして、今ほむら達の居る学校の名前は、聖“タチバナ”学園高等学校。

 つまる所、この学校は、

 

「も、もしかして、この学校って――みずきちゃんの血縁者の経営する学校ッスか!?」

「うむ。そうだ」

「とと、ということは、みずきちゃんは引いては橘グループのお嬢様ッスか!?」

「そういうことになる。だから、みずきが裏で働き掛けてこうしてグラウンドを作らせたのだろう。……メチャクチャなことを平然とするからな、みずきは」

 

 聖が苦笑いをしながらグラウンドへと目を向ける。

 それに釣られて、ほむらもグラウンドに目をやった。

 

(――みずきちゃんも、野球のことが好きなんスね)

 

 そこで浮かんだ感想は、それだけだった。

 確かに、やっていることは滅茶苦茶だと思う。

 人の迷惑を考えない、お嬢様ならではの発想だとも思う。

 でも、そんな行動から感じられるのは、『野球を目一杯やりたい』という、一つの感情だけだ。

 同じ野球を愛するものとして、ほむらの中でみずきへの好感度はうなぎ登っていく。

 

「みずきちゃん、ありがとうッス……! きっと一緒に甲子園に行くッスよ!」

「うむ。そうだな。……にしても、おかしいな」

「? 何がッスか?」

「いや、せっかくこんな設備が有るんだから、野球部が活動していないとおかしくないか? 見たところ、もうグラウンドは完成しているだろう? なのに、グラウンドに誰も居ないとは」

「……あ、そうッスね」

 

 言われてみれば、確かにグラウンドには人っ子一人居ない。

 グラウンドが荒れていないということは、完成してから誰も足を踏み入れて居ない、ということにもなる。

 その事実に気付いて、ほむらは何か、言いようのない不安に襲われた。

 

「……ひじりん、とりあえず入部届を提出しに行くッスよ」

「う、うむ。そうだな……監督に渡そうと思ってこっちに来たのだが、今日は休みかもしれない」

 

 ほむらと同じ不安を覚えたのだろう、聖は根拠の無いことを言ったきり、黙りこむ。 

 

「それじゃ、職員室に行くッス」

「うむ」

 

 ほむらの言葉に頷き、聖が踵を返そうとした、その時。

 

「無駄だよ」

「――みずき?」

 

 聖に話しかけてきたのは、橘みずきだった。

 色素の薄い青い髪を快活そうなショートヘアにした彼女は、その端正に整った容姿に表情を宿すことなく、普段のみずきを知っている聖には想像も付かない程に冷たい碧眼で、ほむらと聖の二人を見つめている。

 

「ど、どうしたのだ……? 無駄とは、どういう、意味なのだ?」

 

 学校指定の制服を身に纏い、手に荷物すら持っていないみずきに、聖が不安そうに声を掛ける。

 

「……だから、入部届を持っていくのが、無駄だってこと」

「それは――」

「野球部は、廃部になりました」

 

 その言葉を聞いた瞬間、聖とほむらは脳天をトンカチで殴られたような衝撃を受けた。

 驚愕のあまり声も出ない二人に、みずきは淡々と“事実”だけを告げる。

 

「近年の不振を受けて監督は解任。続く監督も名乗り出ず、野球部員も全員退部することが決まったので、今年度前、昨年度いっぱいを持って、野球部は廃部になりました」

「なっ――」

「そんなのおかしいッス!」

 

 声を上げたのは、聖ではなくほむらだった。

 目に怒りすら浮かべて、ほむらはみずきをじろりと睨む。

 頭の片隅では、廃部を決めたのはみずきではないと分かっていたものの、声を荒げずにはいられなかったのだ。

 

「こんな、こんな野球の為のグラウンドを作っておいて今更廃部なんて、絶対おかしいッス!」

「……設備は、業者に頼んで完成間近だったので、廃部が決まっても予定通り施工されただけです」

「っ、みずき、一体どうしたのだ? 大体、そんな喋り方、お前らしくないぞ! 他人行儀すぎだろう!」

「うるさいっ! 高校に入ってイメチェンしたのよ!」

「~~~~っ!」

 

 どこがイメチェンしているのだ! と叫びそうになった聖だが、それをぐっと堪えてみずきを睨む。

 みずきはそんな視線をものともせず、ほむらをじっと見つめた。

 

「他に質問は有りますか?」

「あるに決まってるッス! こんなグラウンド作ってどうするッスか! ただの工事費の無駄ッスよ!」

「それは現在生徒会の”ご要望会議“でも議題に上がっています。貴女には関係ありません」

「ご要望会議……って、なんッスか?」

「入試のパンフレットにも書いてあったのに、呼んでないの?」

「ひじりん! 説明お願いするッス!」

「……この学校は、全国でも珍しい、生徒の主体性に任せるという学校。そんな校風に置いて、最も権力を持つのが『生徒会』だ。その『生徒会』には、代々四人が就任するのだが、その四人に、様々な部活や委員会などが、部費や活動範囲などを交渉する機会が一ヶ月のうちに何度か与えられる。それが、“ご要望会議”だ」

「ふむ、つまり、生徒会へのおねだりタイムってことッスね」

「その認識で間違いないぞ」

「つまり――この野球部のグラウンドを、他の部活が使いたいって言ってきてるって事ッスね!」

「もう野球部はありませんが、そういうことです」

「むぐぐぐぐぐ……! そうはさせないッス! このグラウンドは野球部のッス!」

「分からないやつねっ、もう野球部は無いって言ってるでしょ!」

「うるさいッス! 大体、なんでみずきちゃんがそんなこと言えるんスか!」

「――私が、新しい会長だからよ」

「!」

 

 みずきの言葉に、聖が驚愕する。

 生徒会長。

 それは、この学校でも最高権力者と言っても過言ではない。

 権力者には、それ相応の量の務めがあるはずだ。

 それこそ、野球をする暇など無い程の、沢山の仕事が。

 聖が言葉を失っていると、ほむらがずいっと一歩踏み出した。

 

「それならもう一度作り直すだけッスよ!」

「……もう一度作りなおす? 野球部を?」

「そうッス! 廃部になっちゃったならもう一度作れば良いッス! たかだか廃部で、ほむらの野望を潰すことが出来ると思わないで貰いたいッスね!」

 

 両手を振り上げ、決して負けぬぞー! とやる気をアピールするほむら。

 そんな彼女を見て、みずきの表情が一瞬綻んだのを聖は確かに目撃した。

 

「……最低でも部員三人」

「へ?」

「それが、部を設立する条件です。三人の署名を持って“ご要望会議”が行われた時に、生徒会室にお越し下さい。そこで議論の結果、可決すれば野球部の設立を認めます」

「分かったッス! 絶対に集めてやるッスよ!」

「……ま、無理だと思いますけど」

「ぬぐー! 捨て台詞をーっ!」

 

 それだけ言って、みずきはクルッと踵を返す。

 そんな彼女の元に、聖は走った。

 

「みずき、待ってくれ! お前、どうして――」

「聖。私、野球出来ない」

「え……?」

「野球部も守れなかった。……ごめん」

「――っ」

 

 俯き、聖にだけ聞こえる声でそう呟いて、みずきは歩いて行く。

 それを見て、聖は確信した。

 何かみずきの身に、予期せぬことが起こったのだと。

 

(一体、何が……)

 

 度々、祖父であるタチバナグループの総裁と野球の事で衝突しているのを聖は知っている。

 それが何か関係しているのだろうか。

 ……だとしても、あのみずきの言葉と表情を鑑みれば、決して今の状況はみずきの臨んだ状況ではないのだと言い切れる。 

 

「とにかくひじりん! 部員を集めなきゃッスよ!」

「……うむ、そうだな……」

「みずきちゃんのことは今は置いとくッス! みずきちゃんが野球をやりたがっているにしろ、入る場所が無かったら意味が無いッスよ!」

「! ……ほむらは、みずきが野球をやりたがっていると思うのか?」

「当然ッス!」

 

 聖の疑問に、当たり前だと言うが如くほむらが頷く。

 

「ほむらが野球部を作りなおすって言った時、みずきちゃんは笑ったッス。アレって、そうして欲しかったって事ッスよね」

「……確かに、そうだと思うが」

「それにッス。……ひじりんとバッテリーを組んでた時のみずきちゃんは凄く楽しそうだったッス。一度野球の魅力に取り付かれた人が、そう簡単に野球を捨てる事なんて絶対に出来ないッス! これは天地に誓ってッスよ!」

「……うむ。そうだな、よし、分かった。野球部を作り直そう、ほむら」

「とーぜんッス! それじゃ、どうするッスか? とりあえず後一人、部員を探さないといけないッスけど」

「それはほむらに任せて良いだろうか。私は知らない人と話すのはあまり得意ではないのだ」

「別に構わないッスよ! 任せるッス! それじゃ、行ってくるッスよー!」

「今日のところは殆どの生徒が帰宅しているか部活に行ってしまっているだろう、ここは明日から――ってもう居ない!?」

 

 ばびゅーん! と突風を巻き上げて走って行くほむらに、聖の声は届かない。

 ぽつねんと取り残された聖は、疾風のようなほむらの背中を見送ることしか出来なかった。

 

 

                   ☆

 

 

 新たな学校生活の一日目は、あっという間に過ぎていった。

 俺は、そんな沈んでいく夕陽を見つめながら一人、椅子に座ったまま外を見つめていた。

『球春到来ッスよー!』

 心底楽しそうに言っていたクラスメートの姿を思い出す。

 いつの間に着替えたのか野球のユニフォームを着て、楽しそうに野球の事を話していた。

 あの子は今頃、野球に入部して、白球を投げているのかな。

 初日に友達は出来た。

 昨日見たテレビの話もしたし、メールアドレスだって交換した。

 ――でも、なにか違う。

 俺の求めているものとは、何かが決定的に違う。

 ……そして、その求めているものが何か、俺は知っている。

 それでも、その“なにか”をもう一度手にすることは、俺には赦されない。

 

『もう、投手を続けることは――』

 

 見舞いに言った時にちょうどかち合ってしまった、あの時の事を思い出す。

 小さな、弟が居る。

 小さな、妹が居る。

 病気がちの、母親が居る。

 倒産寸前の会社で必死に働く父親が居る。

 知っている。知っている。

 あいつの家のことは、知っている。

 だから――俺は、もう白球を握っちゃいけないんだ。

 

「……帰ろう」

 

 椅子から立ち上がる。

 俺はどうして、こんな時間まで学校に残っているんだろう。

 ぼんやりと考え事をしてたらこんな時間になっていただけだけど、こんなこと、家で考えれば良いのに。

 

 まるで、ここに居ることに何らかの意味が有ったかのように。

 神様が、ここに居ろと俺に言ったかのように。

 

 帰るという選択肢を、こんな時間になるまで思いつかなかった。

 一歩教室の外へ向かって踏み出す。

 その時だった。

 

「――もしかして、パワプロくんッスか?」

 

 俺の名前を呼ぶ、一人の女の子が目に入る。

 その子は、さっき野球部に入ると騒いでた、ツインテールの可愛い女の子だった。

 小柄な彼女はぴょこぴょこと俺の前に移動すると、じっと俺の顔を見上げてくる。

 

「やっぱりそうッス。パワプロくん、ッスよね? パワフルシニアのエースピッチャー」

「……うん。そうだけど」

「神の思し召しッス……」

「へ?」

 

 キラキラキラー! と女の子は両手を組んで、天へ祈りを捧げる。

 ど、どうしたんだろうこの子。野球部に入りに行ったんじゃ……?

 

「パワプロくん! 勿論野球部に入るつもりだったッスよね!」

「……ううん。俺は、どの部活にも入るつもりはなかったよ」

「そうと決まれば早速用紙に記入ッス! いやー! 一人見つければ良いのに皆に断られて泣きそうだったッスけど、最後の最後にパワプロくんを見つけられるなんて、ラッキーじゃなかったッスー!? どどどどど、どうしてッスかー!?」

 

 なんという反応の遅さ……! 

 どうやら、彼女は完璧に俺が野球部に入るって思い込んでたらしい。

 ……それも、当然か。

 中学校時代の俺の事を知っているみたいだし、それならそう思われても仕方ない。

 中学校時代の俺は野球以外の事しなかったくらいの、野球バカだったし。

 

「……えっと」

「も、も、もしかしてどこか痛めてるッスか!? それなら任せるッス! ほむら、マッサージには自信が有るッスよ! ほむらの特別サービスを受ければ体力が三〇くらい回復するッスよ!」

「体力三〇って何の話!? そして大分如何わしい!」

「三〇は三〇ッス! さあ、そこに横になるッスよ!」

「い、いや、違うよ。疲れてる訳じゃない。怪我もしてないよ」

「ち、違うッスか? 良かったッス。パワプロくんが怪我したらもったいないッスからね。……ということは……やっぱり、中学校最後の事件、ッスか?」

「っ……うん」

 

 どうやら、彼女はあの事件の事を知っているらしい。

 ……それも当然か、あの友沢亮が選手生命を断たれた事件だって言えば、少しアマチュア野球に詳しい人なら、誰でもピンと来るはずだ。

 

「大丈夫ッスよ。パワプロくん!」

「え? な、何が?」

「誰しも戦犯になることなんて有るッス! サヨナラ押し出しデッドボールは珍しいッスけど、そんなこと気にすること無いッス。間違いなく、全国決勝まで辿り着いたのはパワプロくんのその右腕のお陰ッスよ!」

「……へ?」

 

 思っていたのと違う言葉が帰ってきて、俺は思わずマヌケな声を上げる。

 ……えっと、どうやら彼女は、俺が野球部に入らない理由を、あのデッドボールでサヨナラ押し出しをしたことだと思っているらしい。

 確かに、デッドボールが原因なのは間違ってないけど、俺が野球をやらないのは――そうじゃなくて。

 

「あ、えっとさ、そうじゃなくて――」

「それに、ほむら、分かるッス」

 

 俺の言葉を強引に遮って、女の子がにっこりと微笑む。

 

「パワプロくんは、野球が大大大好きッス。プロにだってなれるくらい、凄い選手になるッス! だから大丈夫ッスよ! あの負けの何倍もの勝利を、そして――真紅の優勝旗を手に出来る筈ッスから!」

「……っ」

 

 夕暮れに染まる、彼女の笑顔。

 凄く神秘的で、俺が野球が大好きだと信じて疑わない、屈託の無い笑顔。

 声が、出なかった。

 

「それに、パワプロくんが居ないと困るッス」

「お、俺が居ないと困る?」

 

 彼女の言葉に、男子高校生の性か、ドキンと胸が高鳴る。

 勿論、恋愛感情が篭っていないことは知っている。

 それでも可愛い女の子にそんなセリフを言われれば、ドキッとしてしまうのが男というものだ。

 

「実は……野球部は廃部になっちゃったッス」

「――え!?」

 

 そして、そこから更に紡がれた驚くべきセリフに、俺は戦慄する。

 同時に、納得した。

 さっき彼女は部員を勧誘している旨の発言をしていた。

 つまり、野球部を再設立させる為の部員を探しているんだろう。

 

「つまり、野球部に入ってくれる人を探してるってこと?」

「そうッス! そこでパワプロくんを見つけたッスよ! これはもう運命ッス! エースピッチャーを見つけてしまったッスから! もう神の思し召しとしか言いようが無いッス! 神様が『ほむら、甲子園に行け』と囁いているに違いないッスよ!」

「……エース、か」

 

 その言葉に、申し訳無さがこみ上げてくる。

 彼女もきっとパワフルシニアの仲間のように、俺にもう一度エースとしてマウンドに立つことを望んでいるのだろう。

 ……でも。

 

「ごめん、えっと」

「あ、ほむらッス! 川星ほむら!」

「じゃあ、川星さん」

「ほむらで良いッスよ? チームメイトになるッスから!」

「……じゃあほむらちゃん。ごめん、確かに俺は野球が好きだ。……野球を、したいと思う。でも、投手は出来ない」

「……出来ないッスか?」

「うん。……イップス、なんだ」

 

 その言葉を聞いて、ほむらちゃんがはっと息を呑む。

 理由は言わなくても分かってくれるだろう。

 ――一人の選手生命を奪った、内角へのストレート。

 それは、俺の指先から感覚を奪っていった。

 

「普通に野球をしている時は大丈夫なんだ。でも、マウンドに立つと、指先の感覚が感じられなくなる。ストレートも球速が出ないし、コントロールも付かない。……俺にはもう、投手は出来ないんだ」

 

 血を吐くように、告白する。

 チームメイトに、同じ事を言ったことが有る。

『俺はもう、マウンドには立てない。ごめん』

 その言葉を聞いたチームメイト達は、失望を隠さなかった。

 同時に、どこか希望を持っても居たのだろう。

 いつか、俺のイップスは良くなると。

 投げさせている内に復活して、また自分たちは全国に行けるのだと、そう信じていてくれた。

 でも、俺は最後までその期待に答えることは、出来なかった。

 それが辛くて、逃げるように皆と違う地区の学校を選び、この聖タチバナに入学したのだから。

 

「……なるほどッス、だから中学校最後の方は試合に出てなかったッスね。納得したッス」

「期待させて申し訳ないけど、ごめん」

「でも、ショートなら出来るッスよね」

「――え?」

 

 彼女の言葉に、俺は驚きを隠せなかった。

 ど、どうして――!?

 驚いた俺の顔を見て、ほむらちゃんが勝ち誇ったような表情を浮かべて、胸を張る。

 

「当たり前ッス。ほむらを誰だと思ってるッスか。パワチューブで野球動画を漁り、SNSを使って全国各地の野球ファンと情報を共有してたッスよ! パワプロくんがショートの練習をしてたのはサーチ済みッス!」

 

 シニアの監督ですら俺がショートを練習していることは知らなかったのに、この子――凄い。

 

「……ショートで試合に出たことはないし、自信はないけど」

「試合に出たことがないなら、自信がないのは当たり前ッス。言ったッスよね、ほむら」

 

 俺に向けて、ほむらちゃんが手を差し出す。

 暗い闇の中に居た俺を、光の中へ引っ張り上げるかのように。

 

「プロにだってなれるくらい、パワプロくんは凄い選手になるッス。ほむらが断言するッスよ」

「……はは、ほむらちゃんに言われると、本当にそんな気がしてきたよ」

 

 俺はその手を、迷わずに握った。

 まだ友沢への申し訳無さは消えない。

 それでも、俺は野球をもう一度やりたいと思った。

 俺なんかに期待してくれたほむらちゃんに、応えたいと思った。

 ごめん、友沢。やっぱり俺――白球は、捨てられないよ。

 

「よろしくッス、パワプロくん」

「うん。よろしく、ほむらちゃん」

「フフ、ショートッスか。じゃあ、ほむらのパートナーッスね」

「え? ほむらちゃん、セカンドなの?」

「シニアではファーストやってたッス。でも、足にはちょっと自信が有るッスから、セカンドで頑張りたいと思って練習したッス。……だから、パワプロくんと一緒ッスね」

「俺と一緒?」

「そうッス。セカンドで試合に出たことがないッスから、自信なんか無いッス。ほむらとパワプロくんは似たもの同士ッスね」

 

 ほむらちゃんが嬉しそうに微笑む。

 それに釣られて、俺も笑った。

 なんだか、久々に笑った気がする。……ほむらちゃんのお陰かな。

 

「頑張ろう、ほむらちゃん」

「勿論ッス! 一緒に甲子園行くッスよ!」

 

 おー! と手を上げるほむらちゃんに釣られて、俺も手を上げる。

 手にした“何か”を、今度は離さないようにしようと、しっかり握りしめながら。

 

「……そ、そんなにぎゅっと握られると、流石に恥ずかしいッス」

「わ、ご、ごめん」

 

 ぽっと赤くなったほむらちゃんから手を離して、俺はすーはーと深呼吸する。

 そ、そういえば、女の子の手を初めて握ってしまった。

 練習しているせいかかなり手の皮が厚かったけど、やっぱり女の子なのか、どこか柔らかかった気がする。

 

「だ、大丈夫ッスよ。差し出したのはほむらッスから! 今日はもう遅いし、明日、もう一人の部員を紹介するッス。今日の所は解散するつもりッスけど、良いッスか?」

「うん、分かった。……ほむらちゃん、本当にありがとう。ショートで、頑張るよ」

「此方こそ、入ってくれてありがとうッス! あ、そだ。メールアドレスと電話番号教えあうッスよ!」

「あ、そうだね。じゃあ、赤外線で」

「了解ッス」

 

 二人してスマートフォンを取り出し、赤外線モードでアドレスと電話番号を交換する。

 ほむらちゃんは登録し終わったスマートフォンをポケットにしまうと、俺から離れ、教室の入り口へと向かう。

 廊下に出てから俺の方に振り向くと、ほむらちゃんは大きく手を振りながら、別れの挨拶をしてくれる。

 

「それじゃあ、今日は帰るッス。また明日ッスよ、パワプロくん!」

「うん。また明日ね、ほむらちゃん」

 

 またッスー! とぱたぱた走って行く彼女を見送って、俺はスマートフォンに目を落とす。

 そこに表示された、『川星ほむら』の欄。

 今日登録したアドレスの誰よりも繋がりを感じるその名前を見つめながら、俺は帰路に着いたのだった。

 

 

 

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