四月二週
「パワプロくん! 行くッスよ!」
「ちょ、待ってよほむらちゃんっ」
「ひじりんも行くッスよ~!」
「ま、待ってくれほむら、私はカバンに教科書を仕舞えていない」
「後で良いッスよ! 早く野球部に行くッス~!」
今日は昨日と打って変わって晴天となった。
授業中……というよりも、朝から楽しみにしていたのだろう。ほむらちゃんは授業が終わるなり、俺と六道さんの手を掴んで引っ張り、校舎裏へと走って行く。
校舎裏、と聞くと日当たりが悪そうなイメージがるものの、グラウンドはこの学校の中でも一、二を争うほどの好立地な場所に作られている。
というか、好立地だからこそここにグラウンドを作ったんだろうな、橘さんは。
「パワプロくんっ、早く早くッス!」
「分かってるよ。……よし」
ガチャン、とグラウンドへのフェンスの鍵を開けて、俺達は初めてグラウンドに脚を踏み入れた。
昨日の雨の影響は殆ど無く、グラウンドは綺麗なままだ。
「ふぁぁぁ……か、感動ッス……! グラウンドッスよ~!」
「うむ。私達のグラウンドだなっ」
六道さんも嬉しいらしく、ワクワクした様子でグラウンドを見つめている。
俺はそんな二人を微笑ましく見守りながら倉庫の扉を鍵で開き、中を見る。
中には、備品が既に運び込まれていた。
凄い仕事の速さだ。ボールも沢山有るし、プロ顔負けの設備が揃っている。
それだけで橘さんがどれだけこの野球部に情熱を注いでいるのか伝わってくるようで、俺はちょっとした感動すら覚えていた。
「わぁっ」
後ろからほむらちゃんの嬉しそうな声が聞こえる。
キラキラと目を輝かせているツインテールの美少女は、ぴゅっと俺の脇を通って倉庫の中に入ると、早速ベースを持った。
「早速ベースを埋めるッス! 早くっ、早くっ」
「あはは、子供みたいだね。六道さんも手伝ってくれる?」
「……うむ」
やっぱりまだ六道さんは俺を許していないらしく、なんとなく俺と六道さんの間には距離を感じる。
でも、良いんだ。あの時の行動に後悔は無い。
三人で手分けして、ファーストベース、セカンドベース、サードベースを差し込む。
そして、ボールが入ったカゴとノックバットを出して、最初の準備をした所で、宇津くんが現れた。
その後ろには、男子生徒達がぞろぞろと着いてきている。
……その中の一人に見た覚えのある顔が有って、俺の心臓がドクン、と大きく鳴った。
「お待たせしたね。連れてきたよ。野球部に入ってくれる皆だ」
「……宜しく頼みますよ」
それぞれが挨拶していく中、俺の目は、一人の男子生徒を捉えて離さない。
……蛇島、桐人。
帝王シニアの三番セカンドを打っていた――あの蛇島だ。
蛇島も俺に気づいたのか、一瞬驚いた表情をした後、柔和な笑みを浮かべた。
「あああああー! 蛇島くんッス!」
「おや、貴方とは会ったこと、有りましたか?」
「無いッスけど、ほむらは知ってるッス! 帝王シニアの三番セカンド! 攻守の要の蛇島くんッスよね!」
「ええ、そうです」
ほむらちゃんが興奮した様子で蛇島を見つめる。
まあ、ほむらちゃん位になれば知ってて当然か。
同じ世代でも、蛇島といえばバッターとしても内野手としても非常に有名だ。
特にそのセカンド守備は世代ナンバーワン、と言われたほどの実力を持っている。
……セカンド、か、ほむらちゃんと同じ守備位置だ。
「キャプテンはどなたですか?」
「……俺だよ」
「これはこれは……お久しぶりですねぇ、パワプロくん。“貴方の”、右腕の調子はいかがですか?」
「ッ」
蛇島が楽しそうに微笑みながら俺に問いかける。
……わざわざ、俺のって強調する辺り、どうやら蛇島は、チームメイトを潰した俺を許すつもりはないらしい。
「……平気だよ」
「それは良かった」
笑みを浮かべながら言って、蛇島は俺をじっと見つめる。
……やり辛いけど、ここで戸惑ってても仕方ないか。
「えっと、それじゃ、皆に自己紹介をお願いしてもいいかな」
俺が言うと、同級生達は快諾してくれた。
「それじゃ、オレは行くよ」
「ありがとう、宇津くん。橘さんにもお礼を言っておいてくれるかな」
「……必ず伝えるよ。それじゃあ」
グラウンドを後にする宇津くんを見送って、俺は新しく仲間になる部員たちを見つめた。
「俺は朝倉慎二。守備位置は外野手、できればセンターが良い」
「生田相二ー。ポジションファーストかレフト。テニス部に入ってたけど、野球部が出来たって聞いて一日で抜けてこっちに来たんだ。野球部を作ってくれて、ありがとうー」
「笹本光太郎だ! 右翼か三塁を守れるぜ。見ての通り背が高いけど、同い年だぜ! シニアの時は県大会で敗退したチームだけど、四番を打ってた!」
「朝倉くんは俊足で有名だった選手ッス。生田くんはファーストの守備が凄く上手いッス! 笹本くんは四番を打ってたのからも分かる通り、打撃で有名だったッス!」
すらすらと、まるで本を朗読するかのようにほむらちゃんが自己紹介した選手たちのプロフィールを教えてくれる。
相変わらず凄い情報量だ。皆驚いて目を真ん丸にしてほむらちゃんを見つめている。
蛇島だけは何故か微笑んでいるけど、何故だろう……?
「水瀬拓馬。投手をやってた。ライトも守れるけど、打撃は嫌い。野蛮だからね」
「伊藤光成。レフト、ファースト」
「水瀬くんは投手ッス。中学時代は速球派で有名だったッスよ! 打撃もパンチ力が有るいい打撃をしてたッス! 決め球はスライダーッス! 伊藤くんは肩を怪我したことがあって、あんまり強いボールは投げられないッスけど、スローイングは良いッスから、レフトなら十分だと思うッス!」
蛇島を除く五人が自己紹介を終えて、蛇島に視線が集まる。
ここにいるメンバーは、全員が中学校で野球をやっていた。
なら、誰もが目の前の男のことを知っているだろう。
青みがかった、長い髪の毛。
常に微笑みを浮かべている、何を考えているかイマイチ分からないものの整った容姿。
「……ボクは蛇島桐人、元帝王シニアの三番。メインポジションはセカンドです。ショート、サード、ファースト、どこでも守れますけど、セカンドには拘りが有ります。打撃や守備も、どうせこの後能力テストでもするんでしょうし、その時に披露しましょう」
自信満々と言った様子で、蛇島が笑う。
「蛇島くんは言わずとしれた、あの帝王シニアの中核ッス! 守備、打撃共に凄くハイレベルで、帝王実業高校にそのまま進学すると思ってたッスけど」
「……まぁ、色々ありましてね」
一瞬、蛇島の顔から笑顔が消えたような気がした。
……気のせいかな。とりあえず俺たちも自己紹介しないと。
「それじゃ、俺達も自己紹介するよ。俺はパワプロ。一応、聖タチバナのキャプテンだ。ポジションは――ショート」
「ショート? パワプロって投手じゃなかったか?」
「……色々有って、ショートになることにしたんだ」
「……あ……そっか。ワリィ、パワプロ! デリカシーが無かったぜ!」
「いや、良いんだ。そういう訳で、宜しくね」
笹本が両手を合わせて謝ってくれる。
俺はそんな笹本に手を振って微笑んだ。
やっぱり、中学校で野球をやっていた人の中には知っている人も居るらしい。
……今はもう、ショートとしてやることを決めたんだ。落ち込む必要なんか無い。
「じゃあ、次は――」
「はい! 川星ほむらッス! ポジションはセカンドッス!」
「……ポジション、ですか?」
「? そうッス! ほむら、セカンド希望ッス!」
「……ふふっ、そうですか」
それを聞いて、蛇島が笑う。
流石にその笑いは癇に障ったのか、ほむらちゃんがむっとしたような表情を浮かべた。
「な、なんで笑うッスか? そんなにおかしいこと言ったつもりは無いッスけど」
「いえ、何でもありませんよ。……そちらの方は知っています。六道聖さん、ですよね」
「……うむ、六道聖だ。ポジションはキャッチャーだ」
「女性キャッチャーで結果を残すなんてすげぇよなー!」
「ああ、野蛮じゃなく、可憐だ」
「……女性だから、という事は好まないぞ。私もほむらも、フィールドに立っている以上は平等な選手だ」
「わ、ワリィ!」
「そうだな。悪かったよ」
不満そうな六道さんに、笹本と水瀬が謝る。
このメンバーが聖タチバナ野球部のレギュラーメンバーになるんだって思うと、感慨深いものがある。
今は色々分からないこともあるメンバーだけど、一緒にやっていく内にきっと打ち解けて、掛け替えの無い仲間になるんだろう。
そんなことを、俺が考えていた所で、
「それで?」
冷水を浴びせるような、蛇島の声が聞こえた。
蛇島は微笑みを湛えたまま、ほむらちゃんと六道さんを見つめていた。
「……それで、って?」
「残り二人はどこですか?」
「どういうことッスか?」
「『マネージャーは二人居ますが』、肝心のプレイヤーは見当たりませんよ?」
「……私とほむらもプレイヤーだぞ。そう自己紹介しただろう」
「ええ、確かに聞こえましたが……もしかして、女性のくせに、貴方達がレギュラーになるんですか?」
「むうっ、そんな言い方すること無いじゃないッスか!」
「……不愉快だぞ」
「蛇島、言い過ぎだ。ほむらちゃんも六道さんも、俺達の野球部のメンバーだよ」
「ちょっと今のは言い過ぎだぜ!」
「ああ、野蛮な物言いだ」
「……ふふ、非難轟々ですね。貴方達は分かっていないのですよ。これから分かるでしょう。彼女たちにはプレイヤーは無理だと、ね」
蛇島が笑ったまま、そんな不穏なことを口にした。
ほむらちゃんと六道さんがむっとした表情のまま、蛇島を睨みつけている。
……おかしいな、初日からこんな殺伐とした雰囲気になるだなんて。
パワフルシニアの時はもっと楽しい雰囲気だったのに、これじゃまるで、チームが半壊しているみたいだ。
目指している場所は同じなのに最初から道がを間違えているような、そんな違和感。
でも、その違和感が何なのかはっきり口には出来ず、俺は首を横に振るった。
「それじゃ、皆の能力を把握するためにテストでもしようか」
「そ、そうッスね。基本ッス!」
「うむ。そのほうが作戦も立てやすいだろう。私も賛成だ」
「皆もそれで良いかな?」
「ああ、構わない」
「おっけーだぜ!」
「それが良いと思うー」
「良い選択だね」
「了承」
皆が俺の言葉に頷いてくれる。
ただ一人、蛇島は何が面白いのか笑い続けているだけだったけど、反対しないということは、それで構わないということだろう。
「ユニフォームは倉庫の中に入ってたから、更衣室で皆着替えてから、準備運動をしよう」
「了解ッス!」
「……うむ」
俺の指示に従って、皆が更衣室まで歩いて行く。
女子更衣室まで用意してある辺り、橘さんの準備の良さが伺えるみたいだ。
聖タチバナのユニフォームに着替えてグラウンドに戻り、しっかりと準備運動を始める。
いきなり部活の初日で怪我なんて真似はしたくないし、一人でも大怪我をして夏に間に合わない、ってことになれば、恐らくその時点で夏の予選は出られないことになる。それだけは避けないと。
全員身体も解れたであろうタイミングで、俺はキャプテンとして指示を出す。
「じゃあ、ベースランニング走から」
「ほむら、これには自信有るッス! ほむらから行って良いッスか?」
「うん。じゃあほむらちゃんから」
「行くッス!」
「それじゃあ……」
ほむらちゃんがバッターボックスに立つ。
準備が出来たのを確認して、ホイッスルを咥え、「ピッ!」とスタートの合図を出すと同時に、ストップウォッチのスイッチを押した。
ほむらちゃんが、弾けるように走りだす。
「全力、ッス!」
言いながら、ほむらちゃんが全力でファーストへと向かう。
――速い。
見ている誰もが驚いた表情を浮かべている。
あの蛇島でさえ、笑顔を浮かべるのを忘れているといえば、その速さが分かるだろう。
ほむらちゃんはあっという間にファーストベースに到達すると、ファーストベースを蹴ってセカンドへ向かう。
そのままサード、本塁へと戻ってきて、ほむらちゃんは最後をスライディングで決めた。
「はぁ、はぁ、どうッスか!?」
「14,6秒……! 凄いよほむらちゃん!」
「脚は得意分野ッス!」
ほむらちゃんがピースサインを作る。
本当に速い……! ベースを回る技術も相当上手かった。
これなら実践で三塁打も狙えるレベルだろう。
高校1年生にしてみれば、これは本当に凄い数値だ。
恐らく平均と較べても遜色の無い数字だろう。
「それじゃ、皆も順番に走ってくれるかな」
俺の言葉に皆が返事をしてくれる。
生田は一六秒後半とかなりの鈍足、笹本は平均的で15,5秒。朝倉はほむらちゃんより少し遅いくらいで、で14,9、水瀬は16,2秒、伊藤は15,7秒だった。
一本しか測ってないから平均速度ではないものの、これで皆の大体の走力は予測が着くだろう。
用意したルーズリーフにしっかりと書き込んでいく。
いずれ来てくれるであろう監督にこの身体能力のデータを渡せば、打順などを作る手助けになるだろう。
「次は六道さん」
「あまり脚に自信はないが……」
言いながら、六道さんが準備に着く。
ピッ、と俺が笛を鳴らすと同時に、六道さんがベースランニングを始めた。
ホームベースに戻ってきたタイミングでストップウォッチを押し、タイムを確認する。
16,3秒。確かに得意じゃないと言っていた通り、六道さんの脚はそんなに早くは無いようだ。
「次、蛇島」
「ええ」
蛇島がバッターボックスに立つ。
……対戦したことが有るから、俺は大体の蛇島の脚力を把握している。
はっきり言えば、蛇島は相当な俊足だ。
ピッ、と笛を吹く。
同時に、蛇島は走りだした。
やっぱり速い。
ほむらちゃんと同じか――それ以上の速度だ。
走塁技術もずば抜けて高い。
ベースを踏む度に加速しているような、そんな錯覚すら与えてくる。
ホームベースに戻ってきた蛇島が叩きだしたタイムは――14秒3だった。
皆が驚いて、声も出さない。
……相当早かったほむらちゃんを抜いて、ダントツのトップ。
身体能力も然ることながら、ベースとなる技術がずば抜けて高い。
ほむらちゃんは自分が一番だと思っていたのだろう。呆然と蛇島を見つめている。
……あのほむらちゃんのベースランニングを見るに、ほむらちゃんは相当な時間を走塁練習に充てていたはずだ。
それを軽々と超える身体能力と走塁センス。
やっぱり、蛇島は凄い。
「最後はキャプテンですねぇ」
「あ、ああ。ごめんほむらちゃん、ストップウォッチ、変わってもらっていい?」
「い、良いッスよ! 準備完了ッス!」
「うん。それじゃあ」
計測係を変わって貰って、俺はホームベースに着く。
……そういえば俺、自分のホームベースのタイム、測ったこと無かったな。
ずっと投手で走力なんか関係ないと思っていたし、ショートになってからは、投手として復活するまで試合には出さないと言われて続けたせいでレギュラー落ちをしていた。
俺がやっていたのは、只管にショートとして研鑽を積むことだけ。
だからこうして、自分の可能性を確かめることは――
「行くッスよー。……ピッ!」
――凄く、楽しみだ。
エンジンを蒸すように、脚を動かす。
俺はファーストへ向かって疾走した。
円を描くようにベース向かい、ベースを踏んでセカンドへと走りだす。
そのまま三塁を蹴り、ホームへと帰還する。
か、会心のベースランだった。これなら……!
「ど、どうだった?」
「15秒きっかりッス!」
「……あれ?」
お、思ったより普通……! 平均よりちょっと速いくらいだ!
「平均的よりちょっと速いくらいッスけど、部内なら三位ッス! 流石ッスね!」
「な、なんか釈然としないけど、上手く走れて良かったかな」
うーん、ベースは何度も回ったことが有るし、その中でもピカイチの速さだと思ったんだけど、思ったより速度は出ていなかったらしい。
そう考えると、ほむらちゃんの14,6秒って凄い数値だ。
GからSで評価をするのなら、ほむらちゃんはC、生田はG、朝倉はD、水瀬はE、六道さんはF、蛇島はB、俺はDって所だろう。
「じゃあ、次行くッスよ!」
「そうだね。次は遠投にしよう」
「皆二球ずつ投げて、その飛距離を測定するよ」
メジャーを用意して、計測の準備をする。
順番はベースランニングと同じだ。
まずはほむらちゃんからということで、ほむらちゃんがボールを握りぐるぐると肩を回す。
「行くッスよー! ――てりゃっ!」
ビュッ! とほむらちゃんが腕を振るう。
流石ほむらちゃん、フォームはしっかりしてる。
投げられたボールが最初に弾んだ地点を計測する。
「えっと、六〇メートルだね」
「むむぅ。短いッスねぇ」
「大事なのは送球の速さだからね。特にほむらちゃんはセカンドだから、数字はあくまで参考程度だよ」
「分かってるッス! じゃあ二球目行くッスよ! てりゃっ!」
ほむらちゃんの二球目は、先程よりも少し遠くにバウンドした。
六二メートル。平均よりも大分短いけど、球の速さ自体は平均的だし、二塁手としてなら全然問題ないレベルだろう。
最大の距離はそれぞれ以下の通りだ。
生田は七〇メートル、笹本は八七メートル、朝倉は八五メートル、水瀬は九一メートル、伊藤は肩を壊したということもあって、五〇メートル程度だったが、低めに鋭くボールを投げることは上手く、送球自体はなかなか上手だった。
そして、キャッチャーの六道さんがボールを握る。
「これはキャッチャーとして負けられない、ぞっ!」
ビュンッ! と勢い良く六道さんがボールを投げる。
一球目が落ちた所で測定すれば――九三メートルだった。
凄い。しっかりと強いボールを投げられていたし、中学校時代に実績を残した捕手というのも頷ける。
続いて投げたボールは九二メートル。スローイングも安定しているようだ。
自然と皆が拍手をしてしまうような、凄い記録だ。
「じゃあ、次はボクですねぇ」
蛇島がボールを握る。
そして、二、三度軽く腕を振った後。
「ふっ!」
息を吐き出すと同時に、蛇島がボールを投じた。
シュンッ、と音がしそうなほど投じられた速いボールは、そのまま真っすぐに飛び、
六道さんが投げたボールが落ちた地点を、軽々と超えた。
しん、と誰もが言葉を失う。
記録は、一〇一メートル。
……おおよそ、高校一年生ではあり得ない、凄い記録だ。
「二球目、行きますよ」
ギュンッ! と投じられたボールは、一球目よりも更に後方でバウンドした。
一〇三メートル。
一年生で遠投一〇三メートルなら、超高校級だと騒がれてもおかしくない。
そんな記録が、確かに計測された。
「こんなものです。まあ、遠投なんて参考になりませんけどね。強い送球が出来るかどうかが大事ですから。……そうでしょう?」
「……そう、だな」
六道さんを見ながらそういって、蛇島がまた笑みを浮かべる。
確かに、蛇島の言っていることは正論だ。
山なりに一〇〇メートルを投げられるよりも、レーザービームのような速く強いボールを投げられたほうが、野球というスポーツでは活躍出来る。
そういう意味では、今測った遠投の記録は、殆どが意味のない数値とも言えるかもしれない。
だが、それでも、身体能力を表すのに、遠投という手法はオーソドックスだ。
そんな記録を魅せつけることで、まるで『高校野球レベルではお前たちの出番はない』とでもほむらちゃんと六道さんに宣告しているかのように感じるのは、俺の気のせいなんだろうか。
「じゃあ、最後はパワプロくんッスね!」
「変わって貰ってごめんね、ほむらちゃん」
「平気ッス! それに、ほむら楽しみッスよ! パワプロの記録が!」
「頑張ってみるよ」
ほむらちゃんに変わって貰って、俺はボールを握る。
遠投か。中学校で測った時以来だ。
ただ、俺は遠投にそう自信がない。
というのも、俺は高くボールを送球するのがかなり苦手なのだ。
とりあえず、やれるだけやってみよう。
ぐっと腕に力を込め、ボールを投じる。
ビュッ! と、送球の角度的にはベストと言われる四五度ほどを狙って、腕はボールを放つ。
「ほう……」
「なっ……」
「おおっ!」
蛇島、六道さん、ほむらちゃんの順番で声が聞こえる。
糸をひくように真っ直ぐと飛んだボールは、七〇メートルほどでバウンドした。
「次、行きます!」
同じようにボールを投じる。
今度もボールは低く投げられ、七〇メートル付近でワンバウンドする。
「……速」
「あれ、何キロぐらい出てるんだ?」
「恐らく一三〇キロほどだろう。……投手は本当に辞めたのか? パワプロ」
「あ、うん。もう投手をするつもりは無いよ」
「そうか……投手で十分通じる球速だったが、そう言うなら仕方ないな」
捕手として投手が潤沢なのに越したことはないと思ったのだろう。ギクシャクしている俺に話しかけてまで、六道さんは残念がってくれた。
「いやぁ、本当に残念ですねぇ。投手を続けていたら、エースだったでしょうに」
「そうかもしれないけど、もう俺はショートだから」
「フフ、そうですねぇ。ショートがこれだけ強肩なら、セカンドである私は助かります」
「……セカンドは、ほむらちゃんだよ」
「まだ決まった訳じゃありませんよ?」
「蛇島がセカンドをするって決まってる訳でもないけど、チーム状況を考えたら、ほむらちゃんがセカンドで蛇島がサードが一番良いと思う。蛇島は肩も強いし」
「……そうかもしれませんねぇ。川星さんが選手として出るなら、ですが。……クックック」
俺の発言に目を細めて、蛇島が笑う。
あ、そういえば細かい記録はどうだったんだろう?
「ほむらちゃん。俺の記録、何メートルだった?」
「……凄いッス」
「へ?」
「凄いッス! パワプロくん! あんな速い送球見たことないッスよ!」
「わぁっ!?」
俺が話しかけると、何やら感動した様子のほむらちゃんが身を乗り出し、俺の手をぎゅっと掴んで顔を近づけた。
うわわわ、ほ、ほむらちゃんの顔が、目の前にっ……!
「あ、ご、ごめんッス。えっと、記録は七三メートルッスよ! でも、あの送球の速さなら遠投の距離なんて関係無いッスね!」
「あはは、ありがとう。ほむらちゃんもセカンドなら十分すぎるくらい良い送球だったよ」
「本当ッスか? ……ありがとうッス、パワプロくん」
ほむらちゃんが何処か安心したように笑って、俺から離れる。
やっぱり、蛇島の言っていたことを気にしてるんだろうな。
フォローを入れてあげた方が良いだろうか。
なんと声を掛けようか迷っていると、蛇島がおもむろにノックバットを握って、俺へと話しかけてきた。
「それでは、次のチェックと行きましょうか」
「そうだね。守備力のチェックをするよ。連続ノックで、大体の守備範囲を把握したいから」
「では、川星さん……セカンドの守備位置へどうぞ?」
「了解ッス!」
蛇島に促され、セカンドのポジションへと川星さんが移動する。
……なんだろう、この胸騒ぎ。
蛇島にノックバットを握らせてはいけなかったような、そんな気がする。
思った瞬間、籠からボールを取り出し、軽く上へと放り投げた蛇島が、ノックバットを振るった。
カァンッ! と見事にコントロールされた強烈な打球が、ほむらちゃんの左側、セカンドベース方向を襲う。
「――っ!」
ほむらちゃんが慌てて飛び込むが、間に合わない。
あの速度とコース……瞬間的に判断して動き始め、横っ飛びしないとキャッチできない、絶妙な位置だ。
「おや? フフ、捕れなかったのはたまたまでしょうか? 次、行きますよ」
「ばっちこいッス!」
再びセカンドベース側へ、痛烈な打球が飛ぶ。
ほむらちゃんは何とか反応しようとするが反応しきれず、ボールはほむらちゃんの脇を抜けていった。
あからさまに捕れないボールなら、誰もが蛇島のノックの方に文句を言ったかもしれない。
だが、コースも速さも絶妙な、頑張れば捕れそうなボールを蛇島は放っている。
「……くっ」
俺から少し離れた所に居る六道さんが、悔しそうに唇を噛んだ。
俺は何も言えずに、目の前の蛇島のノックを見やる。
「どうしましたぁ? 捕れるところに打ってるんですけどねぇ」
「はぁ、はぁ、っ、くっ」
にたり、といやらしい笑みを浮かべて、蛇島が打球を放つ。
ビシィッ! とほむらちゃんのミットの先に掠って、ボールは背後へと抜けていった。
「これくらいの打球は捕れなければ、セカンドを守ることなんて出来ませんよ? センターラインは重要なんですから」
「う、そ、それはっ……」
「分かって頂けましたか? 川星さん……あなたにセカンドは無理です。変えの利かないキャッチャーであり、中学時代に実績を残した六道さんなら考えなくも無いですが、中学時代実績も無い貴女に、セカンドは任せられませんね」
「……その、ほむら、は……」
初めて、
ほむらちゃんが蛇島の言葉を受けて、俯いた。
ちょっとやりすぎじゃないか、という表情を笹本が浮かべるが、それでも止める言葉が見つからず、何も言えない。
蛇島の言っていることは、一見すれば正論のように聞こえる。
確かに、センターラインは重要だし、ほむらちゃんは中学校時代に実績を残して居ない。
でも、なんでだろう。
どうして、あいつの言葉は酷く薄っぺらく聞こえるんだろう。
あいつの言葉は、チームの為に放たれているのではなく――まるで、自分のために放たれている、そんな風に感じてしまう。
「兎も角、そこから退いて頂きましょうか。……六道さん、貴女、ノックくらい出来ますよね?」
「……出来るが?」
「私がお手本を見せて差し上げましょう。川星さん、“そこを退いてください”」
「――っ」
蛇島の言葉に、ほむらちゃんの身体が震える。
……俺は、自分の中の怒りを抑えるので、精一杯だった。
「あ、あはは、せっかくノックして貰ったのに、上手く捕れなくて申し訳無いッス」
「いえいえ、セカンドは難しいですからねぇ」
言いながら、蛇島がグローブを片手にセカンドに向かう。
ほむらちゃんは肩を落としながら、とぼとぼとホームベースの後ろに戻ってきた。
それを見て、ノックバットを握る六道さんの目に怒りが宿る。
「……私にノックを頼むか。多少強い打球になるが、構わないか?」
「ええ、構いませんよ。捕れる範囲に打ってくれるのであれば、問題ありません」
「――では、行くぞっ!」
カァンッ! と宣言通り六道さんが痛烈な打球を放つ。
一、二塁間のセカンド寄り、通常ならばヒットコースの当たりを、
蛇島は、易易とキャッチする。
驚いたのは六道さんだろう。
絶対捕れないと思っていたボールを簡単にキャッチした蛇島は、ボールをファースト側に軽く放ると、セカンドの定位置に戻った。
「どうしました? この程度で驚いて。セカンドなら、この程度キャッチ出来て当然でしょう?」
「またほむらへの当て付けのつもりかっ。マネージャー扱いしたり、酷すぎるぞ!」
「それは失礼しました。てっきりマネージャーかと勘違いしてしまったんですよ。許してください」
限りなく疑わしくても、そうだったと言われれば否定することは出来ない。
チームメイト達も蛇島の言動には感じるものがあったのだろう。全員が蛇島に敵愾心を向けている。
だが、誰も何も言えずにいた。
それほどの能力が、蛇島には有るからだ。
セカンドベース側へ、強い打球が飛ぶ。
蛇島はそれを逆シングルで華麗に捌いて捕球すると、誰もいないファーストへとスナップスローで送球した。
しん、とグラウンドから声が消える。
怒っていた六道さんでさえ、言葉を失っている。
それほどまでに圧倒的な実力差。
有無を言わせない、自分への不満や反対意見、ポジション巡るライバルでさえ実力で黙らせ封殺する、帝王のような力。
――でも。
ちらりとほむらちゃんの方を見てみる。
彼女は蛇島の実力を目の当たりにして、じっとセカンドベースを見つめていた。
その姿が、必死で涙を堪えているように見えて、
「蛇島、変わってくれ」
「……良いですよ」
俺は思わず一歩、脚を前に踏み出していた。
蛇島と入れ替わり、ショートのポジションに着く。
分かってる。甲子園優勝を口にした手前、蛇島の力は絶対に必要だし、キレイ事が通用するとは限らないんだって。
蛇島の言うようにセンターラインは重要だし、ほむらちゃんには実績が無い。
ほむらちゃんに放たれていた打球だって、蛇島自身はキャッチ出来る所に打っていたんだろう。
だからセカンドは蛇島にすべきだ――十人の監督が居たら、十人がそう思うのかもしれない。
……でも。
さっきのノックだって、最後の方はグローブの先に打球が掠っていた。対応しようとしていた。
彼女が野球を愛しているのも知っているし、それを尊敬もしている。
何よりも、彼女は努力をしているんだ。
今日の能力テストで、何度もその片鱗を見た。
ベースランニングだって必死に努力して、あれだけ速くなったんだろう。
及ばない肩だって、鋭い送球を投げられるように何度も腕を振るったのだろう。
そんな彼女が、セカンドを守りたいと願った。
――俺なんかを、パートナーだって言ってくれた。
だったら、その気持ちに俺は応えたい。
ほむらちゃんの努力が報われない所なんて、俺は見たくないんだから。
☆
「行きますよ」
「来い!」
蛇島の声に、パワプロが声を張り上げる。
蛇島はボールをトスして、ノックバットを振るった。
キィン! と放たれた痛烈なゴロをパワプロは丁寧に正面でキャッチして、ファーストへとボールを投げる。
「ちょっと簡単すぎましたか……」
反省混じりの言葉を呟いて、二球目を蛇島が放つ。
カァンッ! と痛烈なゴロが再び打ち出される。
パワプロは“セカンドベースの後ろ”で、そのゴロをシングルハンドでキャッチしてファーストへとボールを投げた。
「……え?」
最初にそれに気づいたのは、ほむらだった。
三球目。
再びショートの定位置に立ったパワプロへ向けて、今度は三塁寄りの深い位置へとゴロが放たれる。
パワプロはそのボールを身体を倒して捕球し、ファーストに投げた。
元投手なだけ有って地肩が強いパワプロは、逆シングルでも鋭い送球を見せる。
気のせいかもしれない、ほむらがそう思った瞬間、四球目が火のように打ち放たれる。
同時にパワプロが打球の方へと走りだし、易易とそのボールをシングルハンドでキャッチした。
そこで、ほむらは確信する。
(パワプロくん、ボールがバットに当たった瞬間に動き出してるッス……!)
その事実に気付いているのは、今のところほむらだけだ。
守備時、野手は打球が放たれた瞬間、打球の角度とスイングスピードから打球の強さとコースを予測して動き始める。
パワプロはその判断速度が平均的なショートと比べて、圧倒的に速いのだ。
それは、卓越した動体視力と空間知覚能力、そして、投手を諦めてショートに転向してから過ごした血の滲むような日々が可能とする、パワプロだけに見えている世界。
通常、ショートは打球の方向を予測することで、一歩目の動き出しを速くする。
試合中ならば、捕手の出すサインやバッターの傾向などのデータを元に予測するのだが、今回はただのノック。予測も何もない、打球が飛ぶ方向は蛇島の気分次第だ。
それでも、パワプロは普通ならばキャッチ出来るかどうかギリギリのボールを、悠々と捕球する。
そんな『超速反応』を可能としているのは、ボールがトスされてバットに当たる瞬間、どの角度で当たっているかをその抜きん出た動体視力で視認しているからだ。
そして、捕球位置へと、出来うる限りの最速で移動。
飛んできたボールをどう捕球すれば最も効率的に、尚且つミス無く捕球出来るか、その空間知覚能力で判断して捕球することで、厳しい打球も簡単に処理しているように見えるのだ。
だが、ただ動体視力が良ければ、空間知覚能力が高ければ、こんな芸当が出来るという訳ではない。
二つの能力を融合させ、パワプロの『超速反応』を作り上げているのは、経験によって培った“経験則”の打球判断に他ならない。
――パワプロは誰にも話さない。
どう話していいか、分からないからだ。
もう使い物にならない投手としてしか、自身の価値を見出されなかったとしても、彼がコンバートを決意してショートになった時から過ごした、研鑽の日々を。
いつも白球を追っていた。
投球練習は出来ない。
打撃練習はしてない。
練習時間は全て、ショートの守備練習に充てた。
練習が出来ない時はイメージの中で白球を追い続けた。
入浴中、勉強中、就寝中でさえも、夢の中でボールを捕球し続けたのだ。
それでも試合に出されることは全く無く、パワプロは、それを友沢という天才を潰した罰なのだと思い、野球を諦める決意をした。
だが、それでも研鑽を辞めた訳ではない。
それは、日課にしているスローラン中のメンタルトレーニングの中に。
常に守備のことを考え、どの打球をどうキャッチしてどうアウトにするか、それだけを考えてきたのだ。
そんな白球に溺れた日々は、いつしかパワプロに、
決して誰も比肩することの出来ない能力を、授けていた。
パァンッ! と厳しい打球をパワプロが悠々とキャッチする。
そこで、他の皆も気付き始めたのだろう。野球部の面々がざわつき始めた。
「……ほぉ」
蛇島が感心したような声を上げる。
パワプロはキャッチした十球目のボールをファーストへ投げながら、蛇島を見つめた。
「ほむらちゃんは――俺をパートナーだって言ってくれた」
パワプロの言葉に、彼の守備に見惚れていたほむらが我に返る。
そんな彼女の方を見つめることなく、パワプロは蛇島を見つめながらはっきりと宣言する。
「投手の俺を知っているのに、ほむらちゃんは“ショート”としての俺に、パートナーだって言ってくれたんだ。……だから、セカンドはほむらちゃんじゃなきゃ嫌だ」
「っ、パワプロ、くん……」
「……へぇ、それは泣けるお話ですねぇ。……それで? それが、私がセカンドを守ることと何の関係が有るんですか? 実力差を鑑みれば、セカンドは私でしょう」
「それは違う」
「――何が違うと言うんだ? このオレとあの女、どちらが上かは火を見るよりも明らかだろうがッ!」
笑顔と丁寧語も忘れて、蛇島が激高する。
それでもパワプロは目線を逸らさない。
「確かに、能力は蛇島の方が上かもしれない。それは認めるよ」
「それなら、川星さんではなく、ボクをセカンドですよねぇ? それで解決じゃないですか。ほら、早く撤回してください。セカンドは川星さんじゃないと嫌だ、という言葉を」
「――でも、セカンドはほむらちゃんだ。蛇島にはサードを守ってもらう」
ビキリ、と蛇島が怒りを爆発させる音を、グラウンドに居る人達は確かに聞いた。
「……一応、理由を聞いて良いですかねぇ?」
「ほむらちゃんはサードは守れない。ファーストの経験は有るって聞いたけど、チーム内で二位の脚力をファーストで起用するのは勿体無い。だからセカンドが良い。守備も上手くて、肩も強い蛇島はホットコーナーのサードを守ったほうが、総合的に見て守備力は上がるはずだ」
「なるほど! パワプロの言うことは最もだぜ!」
「……うむ。確かにそうだな。私もその意見に賛成だぞ」
「……皆……ほ、ほむら、セカンドを守って良いッスか……?」
「当たり前だよ、ほむらちゃん。――俺のパートナーなんでしょ?」
「パワプロくん……、……そうッス! ほむらは、パワプロくんのパートナーッスよ!」
ほむらが目に涙をいっぱいに溜めながら、満面の笑みを浮かべる。
(良かった。やっぱりほむらちゃんには笑顔が一番だ)
心の中で安堵しながら、パワプロは自分が求めていた野球部の形が見えてきたような気がした。
だが、そんなパワプロ達の結束打ち破るように、
「くだらない」
蛇島が、ノックバットを地面にたたきつけた。
「くだらないくだらないくだらないくだらない!! パートナー? そんな安っぽい言葉でセカンドのポジションを奪われては溜まったものじゃない!」
「どうして蛇島はそこまでセカンドに拘るんだ? 蛇島なら、サードでもトップクラスで……」
「その女如きに、このオレがポジションを追いやられる? クックックッ……あまりにもおかしすぎて笑える冗談だ……そんなこと認める訳がないだろう」
本性をむき出しにして、蛇島がパワプロを睨みつける。
「……悪いが、オレは抜けさせて貰う。貴様らと一緒に、仲良しごっこの野球などやっていられない」
「仲良しごっこだと!」
「言ってくれるな……!」
「蛇島くん! いい加減にするッスよ!」
「黙れ川星。……だが、オレは野球は続けたい。プロに行きたいんでね。だから……勝負だ、パワプロ」
「勝負?」
「ああ、五月の一週。オレの顔が効く選手たちを集めた連合チームと、お前たち聖タチバナ野球部で、試合をしよう。オレのチームが勝ったら、オレが聖タチバナのキャプテンになる。そして川星ほむら……お前はマネージャーになれ」
「そんな条件受けられる訳がない。相手が不明瞭すぎるし、ほむらには何のメリットもないだろうっ」
「うるさいですねぇ? ……大体、野球において対戦相手を選べる方が稀でしょう。それと同じことです。違いますか?」
「た、確かにそうだが、それとこれとは……!」
「……じゃあ、蛇島くんが負けたら、どうするッスか?」
「ほむら!?」
「起用に関して文句は言わないし、サードとして試合に出ることを了承しよう。……クックック……甲子園に行くためにはオレの力が必要だろう?」
「……分かったッス。ほむらは良いッスよ」
「なっ……」
聖が絶句する。
聖は、ほむらの夢が甲子園の舞台に選手として立つことだと知っている。
だが、蛇島との勝負にもしも負ければ、ほむらはマネージャーにされてしまうのだ。
蛇島のことだ。後からマネージャーから選手に復帰するなんてことは、決して許さないだろう。
そうなれば、ほむらの夢は決して叶わない。
「や、止めろほむら。ほむらがそんなデメリットを負うことはないぞ」
「駄目ッスよ、ひじりん。悔しいッスけど、蛇島くんの言ってることは正しいッス。ほむら達が甲子園に行こうと思ったら、蛇島くんの力は絶対に必要ッスよ」
「そ、それは……確かに、そうだが」
「……ほむらは良いッス。……だから、後はパワプロくんが決めて欲しいッスよ」
じっとほむらはパワプロを見つめる。
パートナーだと言ってくれたパワプロが決めてくれるなら、その決定に従おう――ほむらはそう思ったのだ。
パワプロは目を瞑って逡巡し、決心したように目を開いて蛇島を見据える。
「良いよ。試合しよう」
「パワプロっ、お前までっ」
「ただ、俺達は一年だ。それもチームとして結成して一ヶ月で試合をする、なんて無茶を聞き入れるんだ。……だったら、蛇島の方のチームも今年高校に入学した一年生までにするのがフェアだと思うんだけど、どうかな」
「クックック、良いでしょう。それくらいの条件なら飲んで差し上げますよ。もっとも、仮に帝王シニアだったメンバーを連れてきても文句はないですよねぇ?」
「……ああ、さっき言った条件を守ってくれるならそれで良いよ」
「分かりました。それではボクは失礼しましょう。試合の結果が出るまで、このグラウンドには来ませんが、野球部に籍は置いておきます」
「分かった」
「それでは、また会いましょう。次は試合の時にね……クックック」
不気味に笑いながら、蛇島が去っていく。
その背中を、聖タチバナ野球部の面々は見送ったのだった。
☆
「久しぶり! 蛇島!」
「久しぶりです。皆さん、嬉しいですよ。突然の呼び出しにも関わらず、こんなにも集まっていただけるなんてねぇ」
「当然だろ。蛇島に呼ばれりゃ来るって!」
蛇島の呼びかけに応え、ファミリーレストランに現れたのは、彼が帝王シニアのキャプテンだった時代のベンチ入りメンバーの殆どだった。
実力至上主義を掲げていた帝王シニアのメンバー達は、チーム内の野手では最も実力が有り、憧れであった蛇島の呼びかけに逆らうこともなく、過酷な部活が終わった後でも呼びかけに応じたのだ。
地区は違うが、聖タチバナ高校と帝王実業高校の距離は近い。
遠くの高校に越境入学した者達以外は、その殆どが帝王実業高校に入学している。
その為、蛇島に呼ばれて当時の帝王シニアのメンバー達の殆どが揃ったのだ。
その中に一人、帝王実業高校のユニフォームを着た金髪の男が、つまらなそうな表情で椅子に座っていた。
「それで、どうしたんだ? いきなり呼ぶなんて」
「ええ、それがですね……ボクが入学した、聖タチバナなんですが……」
「ああ、野球部無くなったんだよな?」
「だったのですが、新しく再設立されましてね」
「へぇ! 良かったじゃん! 今度は敵同士なのが残念だけど、これで蛇島も野球を続けられるな!」
「それが、ですね。少し困ったことになりまして」
「……困ったこと? 何があったんだ?」
蛇島が困ったような顔を見せる。
金髪の男を除いたメンバー達が、蛇島に興味あり気な視線を向けた。
その視線に答えるように、蛇島は淡く微笑んだ。
「実はキャプテンに嫌われてしまったようで、ボクのポジションがセカンドではなくサードにされてしまいそうなんですよ」
「……は?」
「蛇島と言えばセカンドだろ。何考えてんだ? そのキャプテン」
「ていうか蛇島がキャプテンだろ。常識的に考えて」
「勿論ボクも抗議したんですよ。ボクの代わりにセカンドのレギュラーになるのは、女の子ですし」
「そりゃ納得出来ない話だな。確かに女性選手も参加出来るようにはなったけど、野球のどれを取っても、女なんかに蛇島が負ける筈無いし」
「結構良い選手でしたけどね、彼女も」
「蛇島は優しいなぁ」
興味が無い様子の金髪の男を除いた元チームメイト達が、蛇島の紳士的な言葉に尊敬の視線を向ける。
彼の本性を知っているものが居れば、蛇島の言葉が嘘だということは簡単に気づけただろう。
だが、尊敬の視線を向けた者の中に、蛇島の裏の顔を知るものは、一人として居なかった。
「……それで、その結果、五月の一週目に、ボクの知り合いで構成したチームと、聖タチバナ野球部で試合をすることになったんです。それでボクが勝てば、ボクがセカンド、そしてキャプテンになれるんですよ」
「……なるほど、つまりは、俺達に力を貸して欲しいってわけだな?」
「流石ですね。その通りです。我儘になるのですが……」
「何遠慮してんだよ。俺達の仲だろ?」
「そうだぞ蛇島。お前がそんな理不尽な目に合ってるって言うんなら、助けに行くに決まってるだろ?」
「皆さん、ありがとうございます。皆さんの力が有れば百人力です。……貴方も――勿論、力を貸してくれますよね?」
そこで、蛇島はやっと一人輪に入っていなかった、金髪の男に目を向けた。
話しかけられた男は蛇島に視線を返す。
「俺は断る」
「そうですか……差し支えなければ、理由を聞いても?」
「あー、蛇島、そいつな……一軍に入ったんだよ」
横槍を入れるような言葉に、蛇島は気づかれない程の一瞬だけ、ぴくん、と頬を引きつらせた。
帝王実業高校には一軍、二軍、三軍と行ったクラス分けが存在する。
三軍は雑用を兼ねた、所謂戦力外の選手。
二軍は育成を兼ねた、実力養成機関。
そして一軍は、次の大会のベンチ入りするメンバーで構成されている。
つまり、金髪の男は入学して未だ一週間経っていないにも関わらず、名門、帝王実業でベンチ入りを果たした、ということだ。
「一軍入り、ですか。凄いですねぇ……」
「一軍に入った以上、身勝手な行動は赦されない。悪いが蛇島、お前の問題はお前で片付けてくれ」
「困りましたね……是非貴方の力を貸して頂きたいのですが」
男の突き放すような言葉に、蛇島は苦笑いを浮かべてみせる。
だが、男がこういった態度を取ることは、蛇島にとっては予想の範囲内だった。
有象無象の輩とは違う、物事の本質を見通すようなその視線と考えている事が全くわからない、クールな表情。
しかし、蛇島は知っている。
この男が家族以外で唯一、感情を隠し切れないほど特別視している相手が居ることを。
「――ああ、そうでした。その、私を嫌ったキャプテンの名前を言い忘れてましたね」
「興味はない。俺は練習が有る。帰らせて貰――」
「パワプロくんですよ」
「――!」
その名前を聞いた瞬間、男が僅かに目を見開いたのを、蛇島は確かに見た。
「パワプロ……だと」
「ええ、そうです。貴方の右肘を破壊した男ですよ――友沢くん」
金髪の男、友沢は名前を呼ばれて、蛇島の目をじっと見つめる。
――友沢亮。
彼が完全に野球をやれなくなったと思っているパワプロがここにいたら、思わず彼に話しかけていただろう。
『どうして、帝王実業のユニフォームを着ているんだ?』と。
ここに来て、初めて表情を見せた友沢に満足そうな笑みを浮かべる蛇島を余所に、友沢とパワプロを巡る因縁を間近で見た帝王シニアの元面々は、憤りの声を上げる。
「あいつかっ!」
「丁度いいじゃねぇか友沢! 野手として復活したお前の力、見せてやれよ!」
「友沢を壊した上に、蛇島を干そうとしてやがんのかよ。ふざけたやつだ。俺達で天誅を食らわせてやろうぜ!」
「……そういうことです。どうかお手伝いいただけませんか? 友沢くん」
蛇島が握手を求めて、手を差し出す。
ここに居る全員が一丸となって、パワプロと戦うということが当然という空気が、出来上がっている。
友沢はそれを感じながら、蛇島の手を見つめて、
「断る」
パンッ、とその手を払った。
「と、友沢……!? どうしてだよ! 仇を取れるチャンスなんだぜ! 蛇島のためにもさぁ……!」
「あいつが野球を続けている……それを教えてくれたことには感謝しよう、蛇島」
「……何故、断るんですか?」
「単純明快な答えだ。あいつと、そんな所で戦った所で何も面白くない」
詠うように呟く友沢の表情を、蛇島は初めて見た。
友沢は、笑っていた。
旧来の友と久しぶりに会えたような、嬉しそうな微笑みを浮かべて。
「それに、お前とパワプロ、どちらがキャプテンの器かと答えれば、俺は迷わずパワプロを支持する」
「な、に……!?」
「俺は帰らせて貰う。まだノルマの素振り五百本を終えていない。……お前たちも、レギュラーを取りたいんだったら、くだらない内輪揉めに体力を使うことはオススメしない」
「内輪もめって。友沢、お前なぁっ!」
「それじゃあな」
お冷をぐいっと飲み干して、友沢はバットケースを肩に担ぎ、歩いて行く。
一人ファミリーレストランを出て行く友沢の背中を見つめながら、蛇島は怒りを隠す為に、奥歯が割れるかと思うほどギリギリと歯を食いしばった。
「わりぃな、蛇島。相変わらず付き合い悪くてさ」
「い、いえ……流石、ですねぇ」
「ああ、友沢は凄いよ。……肘の骨折で投手生命が終わったって言われてたのに、怪我が治ったと思ったら打者に転向してあっという間にレギュラー取ったもんな」
「そうそう。蛇島は知らないだろうから教えるけどさ、あいつ、昨日、フリーバッティングで三年のエース相手に、十球使うバッティング試験で三本ホームラン打ったんだぜ。残り七本もヒットでさ。あっという間に一軍合流だよ」
説明をされていても、蛇島の耳には全く入ってこなかった。
「ま、ともあれ、俺達は全員蛇島の味方だぜ。五月一週、一緒に頑張ろうぜ?」
「……そうですねぇ。お願いします、皆さん」
笑顔を浮かべて返事をしながら、蛇島は友沢が出て行った扉を見つめる。
(あいつがオレよりキャプテンに相応しいだと? ……ふざけやがって……。今度はオレが、お前を潰してやる……)
はらわたをぐつぐつ煮え返らせながら、蛇島は扉の向こうに消えていった友沢亮の背中を、睨みつけたのだった。