実況パワフルプロ野球 聖タチバナアナザー   作:向日 葵

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第三話 "四月二週" 橘みずき勧誘作戦

                 四月二週

 

 

「足りないポジションは、投手だと思うッス」

「そうだね……やっぱり投手が足りないよね」

 

 蛇島の宣戦布告を受けた後、俺が皆に試合をすることをお願いすると、皆は快く頷いてくれた。

 六道さんだけはほむらちゃんの夢が掛かっていることが納得出来ないみたいで暫く渋っていたけど、ほむらちゃんがお願いすると「ほむらの為だ。私も全力を尽くすぞ」と頷いてくれた。

 各自各自が全力を尽くすことを誓って別れたのが昨日。

 そして、今日、俺とほむらちゃんは部室でうんうんと頭を捻っていた。

 困ったのは、足りないもう一人のメンバーのことだ。

 蛇島を入れて九人だったメンバーが、蛇島が抜けたことによって八人になってしまったので、試合をするためにはもう一人、メンバーを探さなくてはならない。

 それは勿論ご要望会議か何かでお願いすることになるんだろうけど、問題はそのポジション。

 恐らく、蛇島は自分のツテを使って、帝王シニアのメンバーを集める筈だ。

 チーム内で唯一投手が出来る水瀬は確かに速球派だが、全国大会に出られるレベルでは無かったらしい。

 その事を鑑みるのなら、勝利するためには投手がもう一枚、絶対に必要になる。

 もう一人投手が出来る人が居れば水瀬と交代することも可能になるし、水瀬も後を気にせず力いっぱいボールを投げることが出来る筈だ。

 

「うーん。でも、だいたいの野球経験者は宇津くんが勧誘してくれた筈ッスよね。その探し漏らしを見つけて、しかもポジションが投手で、尚且つ帝王シニア相手にしっかり投げ込めるレベルとなると……」

「絶望的……か」

 

 そもそも、そんな生徒はもうこの聖タチバナに残っていないかもしれない。

 寧ろ残っていない可能性の方が高いだろう。

 野球経験者でポジションが投手までならば有り得なくはない。

 でも、全国制覇した帝王シニア相手に投げられる選手となると、ラインが大きく上がってしまう。

 完全に抑え込めるレベルとまでは言わないけど、数イニングならば勝負になる投手ということを考えれば、県大会に出場するチームのエースくらいの実力は欲しい。

 そんな投手が、都合よくこの学校に居てくれるとは思えない。

 ぐっと拳に力を込める。

 あの時安易に勝負を受けたりなんか、しなきゃ良かったんだろうか。

 ……いや、あのまま蛇島に反対していなければ、俺は絶対に後悔しただろう。

 もう後悔はしたくない。

 やるだけやって失敗するのは良い。でも、何もやらずに後悔だけするのは、絶対に嫌だ。

 何もやらないままで居るのは、絶対に辛いことだから。

 そこまで考えた所で、俺は一人の少女のことが思い浮かんだ。

 

「……そういえば橘さんって、投手だったんだよね?」

「そうッスよ。橘みずき、六道聖といえば、知る人ぞ知るスーパーバッテリーッス。中学生離れした捕球技術と、中学生離れした高速スクリューを武器に、県大会決勝まで行ったッス。惜しくも帝王シニアには敗れたッスけど、蛇島くんと友沢くん擁する帝王シニアを、七回二失点に抑えたッス」

「……六道さんとコンビを組んでたんだ?」

 

 ちらりと六道さんに目をやる。

 俺とほむらちゃんの相談を聞きながら、ぼやきで有名なプロ野球選手の著書である『考える野球』を読んでいた六道さんが目線を上げた。

 六道さんは俺を見ると、俺の言葉にこくんと頷く。

 

「うむ。私とみずきはバッテリーを組んでいた。……みずきは凄い投手だ。特に、話にも出た高速スクリューは私のためにわざと変化を小さくして投げていた」

「わざと、小さく?」

「……恥ずかしい話なのだが、みずきの全力の高速スクリューは、私にも捕球出来ないのだ」

「っ、ひ、ひじりんが捕球出来ない程の球、ッスか?」

 

 ほむらちゃんが驚く。

 俺は六道さんのキャッチングを直接見たことは無いから何も言えないけど、これだけ野球情報に詳しいほむらちゃんが驚くということは、よっぽどの事なのだろう。

 

「そうだ。“クレッセントムーン”、とみずきは呼んでいたな」

「クレッセント、ムーン?」

 

 えっと、確か三日月のことだっけ。格好良い名前だ。

 プロ野球でもあまりにも凄い変化をするボールに、固有の呼び名が付けられることは多々有る。レインボーカーブとか、バニッシュボールとか。

 そんな特有の名前が着く変化球は得てして投手の決め球であり、比肩出来ない程の凄まじいボールだったりする。

 つまり橘さんのクレッセントムーンも、その域にまで達している凄いボールということなのだろう。

 

「その名前の通り、ただの高速スクリューではなく、弧を描くように変化するのだ」

「へぇ……」

 

 捕球で有名な捕手が捕球出来ない程凄い変化球。

 ……見てみたい。友沢のスライダーとどっちの方が凄いんだろう。

 

「……元々、みずきは左のサイドスローだ」

「ひ、左のサイドスローって……」

 

 左腕で横手投げというのは相当珍しい。投げるボールも相当独特な球筋になる。

 左投げというだけで価値が有ると言われる投手で、更に横手投げなのなら、かなり打ちにくいはずだ。

 

「捕手から見て、プレートの左側ギリギリに立って角度を付けて投げる投手で、クロスファイヤーを得意としていた」

 

 六道さんの言葉に、俺は思わず自分の右肘を左手で掴んだ。

 クロスファイヤー。

 簡単に言えば、利き腕と逆の打席に立つ投手の胸元へ投げる、インコースのストレートのこと。

 左投手なら右打者の胸元へ、右投手なら左打者の胸元へと強気に投げる、角度が付いた直球。

 つまりは、俺が友沢の選手生命を奪ったあの一球のことだ。

 

「強気なストレートと緩いスクリューによるコンビネーション。そして、打たせて取る高速スクリューと空振りを奪う為のクレッセントムーン。三つのスクリューを自在に操り、インコース、アウトコースにきっちり投げ分ける制球力を持った投手……それが、私の相棒のみずきだ」

 

 聞くだけで凄い投手ということが伝わってきて、俺は複雑な気持ちを抱く。

 ……なんだろう、この感情。自分でも何なのか分からない。

 

「パワプロくん? こ、怖い顔してるッスよ?」

「ん? あ、ごめん。なんとか橘さんに野球部に入って貰えないかな、って思ってさ」

「そうッスね。そうするのが一番良いと思うッス。ひじりんとのコンビネーションを考えても、みずきちゃん以外の選択肢は現実的じゃないッスね」

「そうだね」

「うむ、私もそう思う。……みずきが居ないと、ダメだ」

 

 六道さんが俯く。橘さんに野球部に入ることを拒否されたことを思い出したのだろう。

 試合まで、残り約一ヶ月。練習時間は殆ど皆無、つまりは、中学時代の実力がほぼそのまま試合の結果に直結する。

 一応、硬式野球の経験者で固められているから試合にはなるだろうけど、それもあくまで『戦える』レベルでしかない。

 もしも仮に蛇島が帝王シニアの面子を連れて来られたら、かなりの苦戦を強いられるだろう。

 でも、橘さんが入れば希望が見えてくる。

 中学校レベルなら、ほぼ投手の出来が試合を左右するんだ。

 俺達には橘さんが居るけど、帝王シニアには絶対たるエースはもう居ない。それなら、橘さんが入部して投手をやってくれれば、圧倒的に有利になる。

 そこまで考えて、俺はじくりと自分の胸が痛むのを感じた。

 ……そのエースが居なくなったのは俺のせいなのにそれを喜ぶだなんて、俺って本当に最低だな。

 

「パワプロくん」

「ん……何? ほむらちゃん」

「ありがとうッス」

「……え?」

 

 俺の思考がネガティブな方面に行きそうになったところで、ほむらちゃんが俺にお礼を言ってくれる。

 あの時、暗い所に沈んで野球を諦めていた俺をもう一度グラウンドへと引っ張り出してくれた時と、全く同じ表情をして。

 

「えっと、な、何が?」

「センターラインッス。一番難しいショートを、あのレベルで熟してくれるパワプロくんが居るから、ほむらは蛇島くんとの試合を諦めずに済んでいるッス。……ううん、そもそも勝負になった事自体がパワプロくんのお陰ッス。パワプロくんが蛇島くんに立ち向かってくれなかったら、ほむらはたぶん、マネージャーになっていたと思うッス」

「そんなこと……」

「そんなこと有るッスよ。結構蛇島くんの言葉が効いてたッスから。……だから、ありがとうッス」

 

 笑みを浮かべて、ほむらちゃんがお礼を言ってくれる。

 彼女の笑顔を見て、胸を苛んでいた痛みがゆっくりと薄れていく。

 寧ろ、お礼を言わないといけないのは俺の方だ。彼女の明るさと純粋さに、俺は救われているんだから。

 

「……どういたしまして。それじゃ橘さんに入部して貰わないとね」

「そうッス!『橘みずき捕獲作戦』開始ッスよ! ひじりん! 一緒に頑張るッス!」

「う、うむ」

 

 少々戸惑いながらも、六道さんはやっぱり橘さんと野球をしたいんだろう。ほむらちゃんの言葉に力強く頷いて、立ち上がる。

 

「作戦か。一体どうするつもりなのだ? 言っとくが、メイド服でにゃんにゃんはみずきには通用しないし、私はやらないぞ」

「まだ根に持ってるッスか~? 可愛いッスのに~」

「当たり前だっ。か、可愛いと言われても、絶対にやらないぞ!」

「むぅ。残念ッスね~。ね、パワプロくん」

「お、俺に振るの!?」

「男子はパワプロくん一人だけッスからね~」

「想像したら殺す。私で破廉恥な妄想をしたら、絶対に許さないぞ」

「もうしないってばっ」

「あはは。と言っても、作戦ッスか。ひじりんがお願いしても駄目だったッスよね?」

「……お願いというよりも、聞く耳すら持ってもらえなかった、な」

 

 しょぼん、と六道さんが肩を落とす。

 作戦、か。

 ……橘さんの性格を考えてみても、策を弄するのはどっちかというと橘さん側だと思う。

 そういう相手に小細工というか、遠回しにアプローチをしても無駄だろう。

 そもそも、野球以外で作戦を考えるとか、俺には無理だ。

 最初のご要望会議の時は俺達が頑張る姿を見せて、橘さんが戻りたいって思ってくれれば良いってそう思ってた。

 でも、今はもう状況が違う。一刻の猶予もない。

 それなら、作戦云々ではなく、正面から気持ちでぶつかった方が絶対に良い、そんな気がする。

 俺がそう思った瞬間。

 

『♪ピンポンパンポン♪ ただいまより、今期のご要望会議が行われます』

 

 そんな俺の気持ちを後押しするかのように、スピーカーから先日聞いたばかりの音声が流れ出した。

 

「ご要望会議ッスか」

「……よし、行こう」

「良しって……ぱ、パワプロくんっ、ご要望会議に行くッスか?」

「どうするのだ? 何か思いついたのか?」

 

 椅子から立ち上がり、俺は部室の入り口へと向かう。

 そんな俺を、慌てた様子でほむらちゃんと六道さんが追いかけてきた。

 

「流石パワプロくんッス! 何か作戦を思いついたッスね!?」

「そ、そうなのか? 教えてくれパワプロ。どういう方法で、みずきを野球に呼び戻すんだ?」

 

 興味津々と言った様子で俺に問いかけてくる二人。

 俺は、そんな二人へ振り向いて、

 

「そうだね。作戦名は『全投球内角直球勝負』、ってところかな?」

「「えっ?」」

「つまり、真っ向勝負だよ」

 

 何の作戦もないと告げて、笑みを浮かべた。

 

 

               ☆

 

 

「却下」

「そ、そんなぁ~!」

「次は何部よ~?」

「サッカー部だね」

「却下ぁ~」

「まだ交渉すらしてませんよ」

「だってつまんないんだもん」

 

 今日のみずきの機嫌は最悪だった。

 それもこれも、今朝のとある一件が原因だ。

 宇津の報告を聞いている中、祖父が来たのである。

 

『みずきさん! 大変です! 蛇島がセカンドのポジションを譲らないと言い張って、色々口論になった結果、キャプテンとセカンドのレギュラーの座を掛けて五月の頭に試合をすることになったって!』

『な、なんですってぇ……!? あいつぅ……! やらかすかもと思ったら初日でやらかしてくれちゃってんじゃない!』

『ど、どうします!?』

『どうしたもこうしたも無いわよっ。蛇島がキャプテンなんかになったら野球部が滅茶苦茶になる! あいつが帝王シニアで自分の言いなりにならない有望株や後輩を監督に手を回して干させたなんて知ってるでしょ!』

『じゃあ、野球部に勝ってもらえるようにしないと……!』

『分かってるけど、蛇島が連れてくるのはおそらく帝王シニアの自分の腰巾着よ。腰巾着って言っても実力は有るし、何よりウチの野球部は蛇島の分、人数が一人足りないじゃない!』

『す、助っ人を探しましょう!』

『帝王シニアとまともにぶつかれるレベルの助っ人なんて、もう残ってないわよ! それこそ、私くらいしか……!』

『じゃあみずきさんが』

『――ならんぞ』

 

 扉を開けて祖父が入ってきた時、みずきは心臓が止まるかと思った。

 皺の一つ一つに厳しさが刻まれているような、みずきが唯一恐れる男が、自分たちの話を聞いていて、開口一番自分の行動を封殺したのだ。

 蛇に睨まれた仔ウサギのように、みずきは縮こまる。

 

『お前は野球などやっている暇はない。全く、せっかく野球部を廃部にしたというのに、復活させよって……まぁ、ここまでは読み通りじゃがの』

『や、やっぱり、お祖父様が……!?』

『当然じゃ。野球部で頑張っていた生徒たちには申し訳無いが、三年前に野球も知らぬ教師を監督に据え、不振を利用に昨年度一杯で解任。それと同時に生徒たちにも他の部活への移籍をお願いし……お前の入学に備えたというのに』

 

 悪びれる様子もなく、祖父がふぅ、とため息を吐く。

 その様子に、普段は祖父の言うことには従順なみずきも怒りを隠し切れなかった。

 

『どうしてそんなことするのよっ!』

『なんだその口の利き方は!』

『こういう口の利き方にもなるってものよ! 私が入学するから廃部にした!? じゃあ野球部に入りたくて聖タチバナに入学した生徒達はどうなっちゃうのよ!』

『己の情報不足を恨むか、他部で頑張れば良いだけじゃろうが!』

『そんなの酷いよ! 野球が大好きで堪らない子だって、居るのに!』

『お前を野球から遠ざけ、生徒会長に居れる為じゃ。お前ならば六道の娘の為、生徒会長になり、野球部を作る手伝いをする、そう踏んでいたからの』

『っ~~~!』

 

 自分の行動が読まれているのは知っていたものの、それでも相手の予想通りだったと言われれば腹が立つ。

 みずきはぐっと拳を握り締め、目の前の祖父に跳びかかりたくなるのをぐっと堪えた。

 

『とにかく、お前が野球をやるのは二度と許さんぞ、良いな』

 

 言いたいことだけ言って、祖父は生徒会室を跡にした。

 生徒会室の入り口を恨めしそうに見ながら、みずきはバンッ! と生徒会長の机を叩く。

 その様子を見て、宇津はびくっと身体を震わせた。

 そして、それから数時間後の放課後が今。

 宇津は、今日ご要望会議に訪れる生徒達が可哀想で堪らなかった。

 

「却下」

「がーん!」

 

 まるで侍が藁人形をなで斬りにするかのように、みずきは聞く耳持たぬと言った様子で要望を却下していく。

 その速度たるや、今日の最高記録がバスケ部の『ゴールネットが壊れそうだから直す分の部費が欲しい』という一言な程だ。

 無論、『壊れるまで使え。却下』と一言で追い払われてしまったのであるが、たった今訪れたサッカー部の『新入部記念の合宿を』の一言に対しての、食い気味に言い放たれた「却下」の一言に比べれば、幾分かマシだったろう。

 

(今日はシャットアウトかもな……)

 

 宇津がアンニュイに自分の髪の毛を掻き上げた、その時だった。

 

「失礼します」

「却下……って、パワプロくんじゃない」

「うん。お願いがあって」

 

 扉を開けて入ってきたのは、ユニフォームに身を包んだパワプロの姿だった。

 その後ろには、川星ほむらと六道聖の姿も有る。

 今は放課後の部活動中のはずだが、三人の額には汗一つ浮かんでいない。

 大方、来るべき蛇島との試合の為、作戦を考えていたのだろう。その結果、とりあえず人数が足りないので、その不足分を埋めに来た――という所だろうか。

 宇津は思いながら、自分の机に入っている生徒名簿を取り出した。

 みずきチェックの入った生徒は全て当たった。

 その中で、投手経験者は複数居たものの、もうほかの部活に入っているか、野球部に入るつもりはない者達ばかりだ。

 それを告げるのが心苦しくて、宇津は一息深くため息を吐く。

 

「野球部のお願いなら聞いてあげても良いかな。ご要望内容は何?」

「部員のこと、なんだけど」

「部員のことなら、オレだね」

 

 パワプロの言葉に、宇津はゆっくりと立ち上がる。

『君たちの願いは叶えてあげたい。けれど、もう野球部に入ってくれそうな野球経験者は残っていない。その他の生徒でも良ければ、みずきさんからの許可が降りれば探すよ』――そう告げようとして、

 

「いや、俺が話をしたいのは、橘さんだけだよ」

 

 パワプロのその言葉に、思わず動きを硬直させた。

 みずきが驚きで目を見開く。

 宇津もぱくぱくと口を開閉するしかなかった。

 部員のことで、尚且つみずきに直接話すこと――そんなこと、一つしかありえない。

 

「……何?」

「野球部に入ってくれ」

「…………」

 

 思った通りの言葉が来て、みずき、宇津だけではなく、原や大京でさえ押し黙る。

 だって、断ったばかりなのだ。

 一昨日、『キミが欲しい』という大問題発言を行ったパワプロは、決して今直ぐにみずきを野球部に入れようという言動はしていなかった。

 いつか野球がやりたくなって我慢が出来なくなったその時は、その時は俺も手伝う――そんな風に言っていた筈だ。

 だが、今のパワプロは違う。

 みずきを野球部に入部させるという確固たる意志を、その瞳から感じる。

 それでもみずきは、その瞳を真正面から拒否した。

 

「……無理。却下」

「諦めないよ」

「却下って言ってるでしょ!」

 

 机を大きく叩いて、みずきがパワプロを睨みつける。

 

「みずきちゃん! 頼むッス!」

「みずきっ、お前の力が必要なのだ……! 実は――」

「うるさいっ。知ってるわよ! 蛇島と試合するんでしょ!」

 

 知っているとは思わなかったのだろう。みずきの言葉に、聖とほむらが驚いた表情を浮かべる。

 だが、当のパワプロは驚くでもなく、机に両手を突いたままじっとみずきから瞳を逸らさない。

 

「頼む。橘さんの力が必要なんだ」

「パワプロくん、貴方、言ったわよね。野球がしたくてどうしようもなくなったら、私の為に頑張るって」

「うん。言った」

「貴方が今やっていることは、手伝いなんかじゃない。ただただ私の邪魔をしてるだけだよ? 分かってるの?」

「分かってるよ。それでも引けない」

「っ、しつっこいなぁっ……! いい加減にっ」

 

 いよいよみずきの怒りが頂点に達しようとした所で、みずきの目の前に何かが放り投げられる。

 みずきは思わず"ソレ"を両手でキャッチした。

 石のように硬く、それでもなめらかな革の手触り。

 手にフィットするような、心地良い重さ。

 見ずともみずきには分かる。これは――。

 

「……ボー、ル」

「橘さん本気でもう野球なんかやりたくないって言うんなら、俺だってここまで引き下がらない。――でも、そうじゃないから、引き下がれない」

「な……に言って」

 

 つまみ出してと大京に命令すれば、パワプロ達を会議室の外に連れ出すのは容易な筈なのに、みずきにはその指示が出せない。

 自分の心の奥底の感情を見通すような、パワプロのまっすぐな瞳に金縛りにあったかのようだ。

 

「橘さんが野球部の為に頑張ってくれた分俺も頑張るとか言っておいて、舌の根も乾かない内にこうして訪れてお願いすることが、どれだけ自分勝手で我儘かってことは、自覚してる」

「な、ならっ」

「でも、俺は橘さんから"野球なんかやりたくない"って一言も聞いてない」

「っ」

「他の全てを蔑ろにしてでも俺達野球部の為に動いてくれている橘さんが、野球を嫌いな訳、ないよね」

「そ、それは、その、そう、だけどっ」

 

 そう答えて、みずきは失敗したと思った。

 目の前のパワプロの顔が、優しい笑顔に染まったからだ。

 

「ごめんね。橘さん、俺勘違いしてたよ」

「分かったなら、良い。だから――」

「橘さんは、最初から野球がやりたくて、堪らなかったんだね」

「――ぁ」

 

 そのパワプロの言葉に、胸がざわめく。

 気付かれた。

 みずきが思ったのは、それだけだった。

 周りに自分はもう野球をする気は無いんだと騙し。

 自分すら『もう野球はやらない、後方支援に徹するんだ』と騙してきたその想いを、気付かれてしまった。

 

「……、……そんなこと、ない」

 

 返事が遅れたのが何よりも証拠なのにも関わらず、みずきはそれでも意地を張ってパワプロの言葉を否定し続ける。

 そうしないと、パワプロの誘いに乗ってしまいそうだった。

 

「ボール、弄り続けてるね」

「え? あ、これはその」

 

 手にしっくり来るから、という言葉を飲み込んで、みずきは必死にどうやってパワプロを追い出せば良いのかと頭を悩ませる。

 そんなみずきの思考を凍結させる必殺の言葉を、

 

「野球」

 

 パワプロは発した。

 

「……ぁ」

「一緒に野球、しようよ。俺、橘さんと一緒に野球がしたいんだ」

 

 その言葉に、息が詰まる。

 普段被っている猫の皮を、パワプロの前ではかぶり続けることが出来ない。

 

「……私、は……」

 

 それもそうか、とみずきは心のどこかで納得する。

 パワプロは自分に、真っ直ぐ言葉と気持ちを向けているんだ。

 変化球のように想いを曲げることなく、心底からの言葉をストレートに投げ込んでいる。

 そんな力の有る直球に、小手先だけの自分の嘘なんて通用する筈がないのだ。

 

「ほむらもッス!」

「私もだぞ」

 

 畳み掛けるように、ほむらと聖が声を上げる。

 

「川星さん……聖……」

「ほむら、みずきちゃんが凄い投手だって知ってるッス! それに、ひじりんとみずきちゃんの約束も聞いたッス! だから、一緒に野球やるッスよ!」

「私はみずきと野球をするために此処に入学したのだ。みずきと一緒に甲子園に行くために此処に居るんだぞ。一緒に野球をしたい……一緒に甲子園に行きたいぞ……みずき……っ」

「ぁ……」

 

 クールな表情を崩し、目を潤ませて六道が懇願する。

 パワプロは、二人の言葉を目をつむって噛み締しめた後、みずきへと向き直った。

 

「キミの気持ちを教えて欲しい。……聞かせてよ、橘さん」

「……したい」

 

 三人の言葉と想いに、ボロボロと塗り固めた嘘の気持ちが剥がれていく。

 

「私、野球が、したい」

「みずきさん!」

「みずきさん……」

「……みずきさん」

 

 宇津が、原が、大京が、その言葉を聞いて立ち上がる。

 みずきは、俯いて言葉を震わせながら、背中越しに三人へと言葉を向けた。

 

「ごめん、ね。皆、私のために、宇津くんも、原くんも、大京くんも、趣味もやらなきゃいけないことも放って、生徒会に入ってくれたのに」

「ええですよ。みずきさん」

「……はい。みずきさんの決めたことなら」

「オレ達は、お手伝いするだけです」

「……っ……あり、がと……っ」

 

 我慢なんて、出来なかった。

 ぽたぽたと、たった数ヶ月封じてきた想いが、碧眼から溢れ出る。

 

「やっぱり、私、野球やりたいよぉ……っ!」

「みずきちゃんっ」

「みずき……!」

「だって、聖と一緒に甲子園行きたいんだもん! 野球が、好きなんだもん! この私が、なんで我慢なんかしなきゃいけないのよっ! ひぐっ、ぐすっ、目一杯投げ込みしたいっ! 変化球投げたい!! バント練習……は嫌だけどっ、とにかく野球がしたいの!」

 

 駄々っ子のように叫び、涙を零しながら、決して誰にも打ち明けることの無かった本音をぶち撒ける。

 そんなみずきを見て、パワプロはみずきの前へと移動し、溢れ出るみずきの涙を指で拭う。

 

「ぁ、ぅ」

「一体何がキミを邪魔してて、何の所為でキミが野球を出来なかったのか分からないけど――」

 

 そして、にっこりと笑って、

 

「俺に任せて。約束通り、橘さんの為に頑張るから」

 

 みずきの頭に手を置いて、妹をあやすように優しく頭を撫でる。

 

「……ぅ、ぅぅ、ふ、ぅぅ、うぁぁぁぁんっ!」

 

 それで耐え切れなくなったみずきは、パワプロの胸板に顔を押し付けて泣き声をあげる。

 そんな様子を見て、宇津、原、大京は顔を見合わせ、ふっと微笑んだ。

 

「ご要望会議はここまでやね」

「ああ、これ以上は会議にならないだろう。元から会議になってなかったけれどね。大京くん、中止を伝えてきてくれるかな」

「……了解した」

「みずきの泣く所、初めて見たぞ」

「みずきちゃんも女の子ッス。大好きな事を封じられて一人で我慢してたら、泣きたくもなるってもんッスよ」

 

 驚いた様子の聖に、ほむらがうんうんと頷きながら答える。

 普段なら痛烈な仕返しをするであろう周りのリアクションに反応することも出来ず、みずきはパワプロの胸に顔を押し当てて、ぐしぐしと泣きじゃくった。

 パワプロは涙を流す少女が落ち着くまで、頭を撫で続けたのだった。

 

 

                     ☆

 

 

「ぐすっ、ふぐ、ぶびー!」

「ああっ!? ユニフォームで鼻かまないでよ!」

「あー……泣いたわ~……」

 

 夕暮れが訪れるまで泣き続けたみずきは、パワプロから離れると、腫れた目を隠すように目に手を当てて椅子に座る。

 そして、引き出しから目薬を取り出すと、目にちょんちょんと垂らした。

 

「うぅ、俺のユニフォームが……っ」

「なによ。美少女の体液よ? 嬉しいでしょ?」

「そんな特殊な性癖はないよっ!」

「パワプロくん。これを使ってくれ」

「ありがとう宇津くん……」

 

 ユニフォームをウェットティッシュで拭くパワプロを見ながら、みずきはふぅ、と一息吐く。

 

「ありがと、スッキリした」

「それなら良いけど、鼻をかむならティッシュで……」

「うるさいわね。仕方ないでしょ、手頃だったんだから」

「もう……、……それで、橘さん。野球部へは……?」

「入る」

「! みずきっ!」

 

 みずきの言葉に、聖が顔をぱぁっと表情を明るくする。

 そんな表情をほむらもパワプロも初めて見て、驚いた表情を浮かべた後、暖かく微笑んだ。

 

「……でも、そう簡単には行かないわよ」

「む……どういうことだ?」

「……そもそも、私が野球部に入れなかったのは、お祖父ちゃんのせいなの」

「お祖父ちゃん……? って、橘さんの?」

「そうよ。私に跡を継いで欲しいから、野球をやってほしくないって言ってね。野球部を一度廃部に追い込んだのも、お祖父ちゃんの仕業」

「……お祖父ちゃんって、そんな力を持ってるッスか?」

「理事長よ。ここの」

「理事長……」

 

 つまりは、この聖タチバナ学園という組織を統べている人物ということだ。

 その影響力は言うまでも無いだろう。

 

「じゃあ、その理事長に認めてもらえれば……?」

「そりゃ、認めてもらえれば万事解決だけど、私が何度お願いしても駄目だったんだよ? 今更パワプロくんがお願いしたって……、……いや、ちょっと待って……」

 

 みずきが目をつむって考えこむ。

 ふむふむ、と何か確認するように何度か頷き、みずきはちらりとパワプロに目をやった。

 

「パワプロくん」

「ん……? 何かな、橘さん」

「私のために何でも頑張るって言ったわよね」

「なんでも、とは言ってないけど……うん、言ったよ」

「それなら、お願いが有るんだけど」

 

 じっと見つめてくるみずきに、パワプロはこくん、と頷く。

 

「分かった。俺に出来ることなら、橘さんの為に頑張るよ」

「ん。それなら――まずは橘さん呼びから変えて貰おうかな」

「へ?」

 

 間の抜けた声を上げるパワプロに、みずきはニッコリと小悪魔な笑みを浮かべる。

 パワプロは、その笑みに嫌な予感を覚えたのだった。

 

 

                 ☆

 

 

「橘さん」

「……」

「……橘さん」

「……」

「…………みずきちゃん」

「なぁに? ダーリン。みずきちゃんって呼ばないとシカトするよ」

「ゴメン。……それで、一体これは何かな」

「何って、私の口から言わせるの……? ダーリンのいぢわる」

「人聞きの悪いこと言わないでくれるかな!? 俺が聞きたいのは、どうして腕を組んだまま廊下を歩かないといけないのかってことだよっ!」

 

 ご要望会議が終わってにっこりと笑った橘さんにお願いされたことは、下の名前で呼ぶことと、二人きりで腕を組んで学内を散歩すること、だった。

 ほむらちゃんと六道さんはさっさと部活に戻ってしまったが、俺は一人橘さんのお願いを聞いて、こうして腕を組んで校舎内を一緒に歩き回っているのだ。

 

「後、橘さんのその『ダーリン』って呼び方もなんなの?」

「まーた橘さんって言った。全くもう、そんなんじゃ作戦が上手く行かないでしょ。私の為になんでもするって言ったなら、下の名前で呼んでよ」

「う、ぐ……。……みずきちゃん」

「よろしい。それじゃ説明するから。良い? パワプロくん、これは作戦なの。決して私がパワプロくんの事を好きだって訳じゃないんだよ」

「それは分かってるけど……作戦って?」

「まずは、私とパワプロくんが愛し合ってるって学校中の皆に噂させるの」

「……どうして?」

「そう結論を急がないっ。……そうなったら、お祖父様の耳に絶対入るでしょ。そうなったらお祖父様は『わしの可愛いみずきに馬の骨がくっついた』ってな感じで、パワプロくんと私を呼び出す筈よ」

「……ふむ」

 

 確かに、そこまでは俺も想像出来る。

 橘さん……じゃなかった、みずきちゃんのお祖父さんは、みずきちゃんの将来を考え、野球を辞めさせ、生徒会に入れさせたとみずきちゃんは言っていた。

 なら、みずきちゃんが何処ぞの知らない男性と仲良く腕を組んでいた――なんて事をお祖父さんが聞けば、まず間違いなく放っておかないだろう。

 十中八九、俺とみずきちゃんから話を聞こうとするはずだ。

 そして、恋人関係なら別れさせようとするだろう。

 

「つまりは、お祖父さんを誘い出す為にこうしてるってこと?」

「半分正解だよ。結構頭の回転速いじゃん」

「そ、そうかな。ありがとう。……でも、それならみずきちゃんが直接出向いて話をすれば良いんじゃないの? わざわざこんな挑発じみたことしなくても……」

「甘いわね。真正面から舌戦を挑んだらボッコボコにされるに決まってるでしょ。一方的に撫で斬りにされて終わりよ。だから、この抱きつきはその舌戦を強引に突破するための前振り。とりあえずは後のことは考えないで、何が何でもお祖父ちゃんに私の野球部入部だけを認めさせる。その為には口で戦っちゃ駄目なの。とにかく自分たちの意見を押し通して、それを議論させずに納得させる。それが狙いよ」

「……なるほど」

 

 そりゃそうか、大財閥の当主ともなれば、口が達者じゃない訳がない。

 幾らこっちに利が有っても、いくら訴えることが正論でも、気付けばお祖父さんの言うことが正しいという雰囲気にされて、結果的に自分たちの要求が受け入れられなかったというシーンが容易に想像出来る。

 実際、俺はご要望会議の順番待ちを割り込まれたような形になって不満を漏らす生徒達を黙らせて納得させた、みずきちゃんを目の当たりにしている。

 そのみずきちゃんがここまで言うんだ。変に説得を試みて付け入る隙を与えるよりも、とりあえずみずきちゃんの入部を認めさせる方向に動いた方が良いだろう。

 ……でも、わざわざこうして抱きついているのが前振りっていうのは、どういうことだろう?

 この行動が前振りということは、これからこの腕を組んで歩いていることが何らかの意味を持つ、ということなんだろうけど、それがイマイチ良く分からないし、想像も出来ない。

 こんなことをして抱かれる印象は、『あいつらラブラブだな』くらいのものだと思うんだけど……。

 何かを待つようにキョロキョロ辺りを見回すみずきちゃんに引っ張られながら、そんなことを考えつつ学校を練り歩くこと十数分。

 みずきちゃんは下駄箱で立ち止まると、入り口の方へ視線をやった。

 校門から校舎までは一直線だ。

 つまり下駄箱から校門が見える訳で、みずきちゃんはその校門の方を睨みつけるようにして見つめている。

 

「……みずきちゃん?」

「おっかしいなぁ。宇津くんが動いてくれてるし、もうそろそろだと思うんだけど」

「?」

 

 みずきちゃんの言葉に、俺が首を傾げた時だった。

 

「――! きたっ。パワプロくん、良い? 私と貴方は恋人。その設定を忘れないでよ」

「えっ、う、うん」

 

 突然みずきちゃんが俺の耳元に顔を寄せ、ぼそぼそと呟く。

 ドキッとしながらも、俺がみずきちゃんの言葉を肯定する。

 

「よし、来たわよ。校門の方」

「来たって……あ」

 

 みずきちゃんに促されて俺も視線を入り口へ映すと、そこには黒塗りの高級車が止まっていた。

 そこから、髭面の厳しそうな雰囲気の老人が降りてくる。

 あれがみずきちゃんのお祖父さんか。

 確かに、遠目から見ても分かるほど、百戦錬磨の雰囲気を漂わせている。

 対面したら思わず怯んでしまいそうなくらいの威圧感を発しながら、みずきちゃんのお祖父さんは校舎に向かって歩いてくる。

 

「動かないでよ」

「え? わかっ、っ……!?」

 

 突然みずきちゃんは俺の頬を両手で掴むと真っ直ぐに自分の方を向けさせる。

 そのまま、彼女は背伸びをして俺の唇へと自分の唇を近づけた。

 う、わ、ちかっ、近い……!

 天使を彷彿とさせる、みずきちゃんの可愛い顔がゆっくりと俺に近づいてくる。

 その表情たるや、演技だと分かってても彼女が恋人なら思わず抱きしめてしまっても良いのではないかと思うくらいには可愛くて、動かないでと言われて無かったら、俺はみずきちゃんの腰に腕を回してしまっていたかもしれない。

 青少年のサガを刺激してやまないみずきちゃんは、吐息が掛かる程の距離で動きを停止すると、横目でちらりとお祖父さんの様子を伺う。

 釣られて、俺も横目で様子を伺うと、

 

 そこには、般若のような顔をしながらこちらへ向かって全力で移動してくる、お祖父さんの姿が。

 

 あ、これ俺死んだかもしれない。

 全身に寒気を感じて動けなくなった俺からさっとみずきちゃんが離れる。

 お祖父さんは俺の前で立ち止まると、俺を親の敵のように睨み、怒号を発した。

 

「貴様……! みずきと何をしていた!」

「う、わ、えっと、えっと……!」

「お祖父様、来ていたのですか!?」

 

 みずきちゃんが顔を赤らめつつ驚いた表情を作り、白々しく言い放つ。

 女優もびっくりの演技力だ。作戦の上での言動だって聞いていた俺でさえ本心なのでは無いかと疑ってしまう程なのだから、お祖父さんからしてみれば、みずきちゃんのこの反応は本物にしか見えないだろう。

 

「……宇津が言っていた事は本当だったか。みずきに悪い虫が付いていると」

「わ、悪い虫……」

 

 確かにみずきちゃんと本当に付き合ってる訳でも無いし、お祖父さんから見ればそうなんだろうけど、良くしらない人に対してこうも言われるとカチンと来るものが有る。

 

「パワプロくんは悪い虫なんかじゃないわよ!」

「なんだと?」

「私の大切な人を悪く言わないで!」

 

 み、みずきちゃん……。

 演技を忘れてじーんと感激してしまった。

 みずきちゃんは、そんな俺の腕にぎゅっと抱きつき、

 

「私、この人と結婚します! ね? パワプロくんっ」

「あ、う、うん? そ、そうだね」

「……ほぉ」

 

 お祖父さんの目が、やっと真正面から俺を捉える。

 排除するべき敵を見る、ライオンを彷彿とさせるような殺意すら感じる恐ろしい眼。

 それを見て怯えるのではなく、逆に怒りと闘志がふつふつと湧いてきた。

 ――この瞳で、みずきちゃんを押さえつけて来たのか。

 みずきちゃんが野球をしたいと言っても、こんな恐ろしい瞳で彼女を野球から遠ざけてきたのか。

 

「――はい。俺がみずきちゃんのフィアンセの、パワプロです」

「自ら名乗るとは、良い度胸だ」

 

 みずきちゃんの前に出て、みずきちゃんを庇うように背中に隠す。

 猛獣のようなお祖父さんの目を睨み返し、俺は財閥の長と真正面から向き合った。

 

「……単刀直入に言う。小僧、みずきから手を引け」

「断ります」

「ほう? ならばどうなっても良いな。例え野球部が廃部になったとしても」

「良い訳無いです。俺は甲子園に行くんですから、それに影響が有るのは困ります」

「甲子園? ……ふむ、なるほど、確かにユニフォームを着ておる。……そういうことか。何故みすきがこんな馬の骨と知り合いになったのかと思ったが、つまりはみずきと出会ったのは野球場ということか」

「……そうですね」

 

 本当は生徒会室でだけど、それは言わない。

 みずきちゃんが野球部に入るためなら、どんな嘘だって吐く覚悟だ。

 

「やはり野球などさせるべきではなかった……! こんな馬の骨とそのような関係になるとは……!」

「パワプロくんは馬の骨じゃないっ! 甲子園に行って、プロになるんだから!」

「甲子園? プロ? ふははははっ! 笑わせるな! こんな男が、しかも甲子園出場経験の無い聖タチバナで、一度廃部になった野球部を甲子園にまで連れて行き、自らはプロになるというのか? 全く、相応の夢を抱いて欲しいものだな」

 

 お祖父さんが嘲笑する。

 俺は人の夢を嗤う真正面の男を見て。

 

「そんなにおかしいですか?」

「……何?」

「球児が普通に抱く夢が、そんなにおかしいですか? 俺には普通のことだと思いますけど」

 

 ――真正面から、その男の言葉を否定した。

 みずきちゃんがぐいっと俺のユニフォームの裾を引っ張る。あまり会話するな、と言うことだろう。

 でも、これだけは言わなきゃいけない。言わないと、気が済まないんだ。

 

 一度捨てた夢を、もう一度拾った。

 

 青臭いと言われるかもしれない。現実を見ていないと思われるかもしれない。

 それでも、二度胸に抱いたその夢を笑われるのだけは、許せない。

 その夢を信じてくれている人がバカにされるのは、もっと許せない。

 

「甲子園、プロ入り。高校野球をやっている人なら誰でも目指す夢です」

「……夢を視ていること自体を笑っているのではない。みずきが、お前などがその夢を叶えることを信じていることを嘲笑っているんだ」

「みずきちゃんは俺を信じてくれてるだけです。人を信じるだけで笑われる筋合いは無いです。それとも、貴方は真っ直ぐな事を言ってくれた可愛い孫娘をバカにするような、意地悪なお祖父さんなんですか?」

「……小僧……口だけは一丁前だな。それならば行動はどうだ? お前は本当に甲子園に行けるというのか? プロになれるというのか?」

「甲子園、優勝」

「……なんだと?」

「みずきちゃんに、そこを目指すって俺は言いました」

 

 みずきちゃんが息を呑む。

 ご要望会議の席で言った俺の言葉を、思い出しているのだろう。

 

「それを、みずきちゃんは信じてくれた。俺なんかが抱いた大きな夢を信じてくれたんだ。――だから、みずきちゃんを笑わないでください」

「……ふん。……みずき」

「は、はい」

「この男はこう言っているが? どうなんだ?」

「た、確かに、そう言ってたよ。そういう目標の高いところも、好きなところの一つなの」

「……ほぅ?」

「彼が目標を叶えるところを一番側で見ていたい……だから、野球部に入りたいの。お願いお祖父様。私の我儘を、聞いてくださいっ」

 

 みずきちゃんが目的の願いを口にする。

 好きでもない男である俺と恋人のフリまで、野球部入部という、願いを。

 

「俺からもお願いします! みずきちゃんの力がどうしても必要なんです!」

「お願いします、お祖父様っ」

 

 みずきちゃんと一緒に頭を下げる。

 俺達二人を見て、学園長は鼻を鳴らした。

 

「お前は勉強し、優秀な大学に入り、優秀な男と結婚すれば良い。それが橘財閥とお前のためなのだ」

「だったら、パワプロくんなら言うこと無しね。なんて言ったってプロ入りして、超一流の選手になるくらい優秀で、器の大きい人なんだもん」

「一度廃部になって、今年新設された野球部からプロ入りし、超一流選手になると。……確かにそれが成し遂げられたのなら、器は大きいと言えるだろうな」

「だから、私もこの人から色々学びたいの。だから、野球部に入りたい。良いでしょう?」

「……そこまで言うか。……良いだろう、そこまで言うなら認めてやる」

「!」

 

 やった……! ついに学園長が、みずきちゃんの野球部入部を認めてくれた!

 思わず表情を明るくする俺に、お祖父さんが「ただし」と冷徹な声で言葉を付け足した。

 

「その小僧が甲子園に出場できず、プロにも入れなかった時――お前は、わしの決めた許嫁と結婚させる。それでも良いのなら認めてやろう」

「っ、それは」

 

 勿論、甲子園にも出場して、プロにも行くつもりだ。

 でも、万が一それが叶わなかったら、みずきちゃんの人生が彼女の望まない方向に行ってしまうかもしれない。

 そう考えて、俺が思わずその言葉を否定しようとした時だった。

 

「うん。構わないよ。だって、パワプロくんは絶対甲子園に行くし、プロにも行くんだもん」

 

 みずきちゃんが、俺の言葉よりも先に堂々と宣言する。

 その宣言に、お祖父さんは満足そうに頬を吊り上げた。

 

「ただ、これからは邪魔しないでよ? 今までの事は気づかなかったことにするけど――今度邪魔したら、お祖父様とは一生口聞かないから」

「それは恐ろしい罰だな。分かった。これからは野球部やお前の邪魔はしないとそう約束しよう」

 

 みずきちゃんとそう約束して、お祖父さんは俺へと視線を向ける。

 

「婚約者として、男としての責務は分かっておるだろうな。これから野球部の練習に参加することになるのならば、帰りは遅くなろう。それで万が一があれば、わしはどんな手を使ってでも、お前に報復するぞ」

「……えっと」

 

 暗に「もしもみずきに何か有ったらお前を殺すぞ」と言われているような気がするのは、俺の気のせいだろうか?

 そんな風に凄まれて、もしも分かりませんと答えられる豪胆な精神の持ち主が居るんだったら紹介して欲しい。俺はその男を師匠と呼んで一生尊敬すると思う。

 それくらい、目の前の橘財閥の長であり、みずきちゃんの祖父である男の言葉には迫力があった。

 

「……みずきちゃんは俺が守ります」

「……ふん。精々甲子園、プロに行けるように励むことだな」

 

 踵を返し、お祖父さんが歩いて行く。

 彼の姿が見えなくなったと同時に、俺とみずきちゃんはほぼ同時にその場に座り込んだ。

 

「は、はー……緊張したぁ」

「みずきちゃんのお祖父さん怖すぎだよ……」

「でも作戦成功だね。……これから宜しく、キャプテン」

「あ……うん」

 

 嘘を突き通せた安堵か、それとも野球部に入れたという安心感からか、目を潤ませながらみずきちゃんが俺に手を差し出す。

 俺はその手をしっかりと握った。

 マメが何度も潰れて、その度に少しずつ硬くなった努力した投手の手だった。

 

「……こちらこそ宜しく、みずきちゃん」

「うん。……もう後には引けない。やるしかない」

「うん、そうだね」

「野球部を甲子園で優勝させて、プロに入れるわよ。頑張ろーね! ダーリン!」

「……それ、まだ続けるの?」

「何いってるの。ダーリンがフィアンセって事になってるから私が野球部に入れたんじゃない。卒業するまではこのままよ!」

「えぇー!?」

「安心しなさい! 野球部のエースが入部したからには甲子園一直線だから!」

「心配してるのはそっちじゃないんだってば!」

 

 立ち上がり、俺の手を握ったまま走り出したみずきちゃんに引っ張られて、俺も走る。

 みずきちゃんは嬉しそうにスカートを翻しながら、野球部のグラウンドへと向かう。

 

「さあ、まずは目の前の蛇島くん退治からよ。プロにアピールするためにも、キャプテンはパワプロくんじゃなきゃね! ……私もパワプロくんがキャプテンなら操作しやすいし」

「聞こえてる! 最後の一言聞こえてるよ! それがなければ『ありがとうみずきちゃん』で終わったのに!」

「あははっ! さー! やるわよ! 目指せ甲子園! 目指せプロ野球選手!」

「全くもう。……頑張ろう、みずきちゃん。目標も当然だけど、みずきちゃんの夢も叶えようね。六道さんと俺達と一緒に、甲子園に行こう」

「……パワプロくん……。……うんっ」

 

 みずきちゃんが俺の方を向いて、天使のような笑顔を浮かべてくれる。

 キラキラした太陽の光の中の彼女の表情を見て、俺は心の底から良かったと、そう思ったのだった。

 

 

 

                   ☆

 

 

「というわけでぇ、今日から練習に参加する橘みずきだよ。ポジションはピッチャー、宜しくね!」

 

 翌日の放課後。

 野球部に入部してくれたみずきちゃんがユニフォームを身に纏い、グラウンドに並ぶ俺達に向かってウィンクしながら挨拶をする。

 昨日見たばかりの、満ち足りた笑顔を浮かべ、小悪魔ちっくにウィンクをするみずきちゃんを、野球部の面々はとても嬉しそうに歓迎していた。

 特に六道さんは目を潤ませて、今にも泣きだしてしまいそうなくらいだった。

 

「みずき……待っていたぞ」

「待たせてごめんね、聖」

「わー! これでエースが入ってくれたッスよ~! 嬉しいッス~!」

「ふっふーん! 私が来たからには安心しなさい! びしっと抑えてあげるからね!」

「頼りにしてるぜ! エース!」

「順風満帆。後は蛇島を説得するのみ」

 

 うんうん、とエースの入部を喜ぶ部員達。

 そこで、俺はふと疑問を覚えた。

 

「あ、あのさ、みずきちゃん」

「なぁに? ダーリン」

「「「「「ダーリン!?」」」」」

「放課後、これから毎日練習に参加することになるんだよね? 宇津くん達はどうするの?」

「それを自然に受け入れてるッス……!?」

「い、一体二人に何があったのだ……!?」

 

 ざわざわとざわつく部員たち。しまった、普通に返事しちゃったよ。ここは弁明しといた方が良いかな。

 などと俺が悩んでいる間に、みずきちゃんがパンパン、と両手を叩いて騒ぎを沈めてしまった。

 ここらへんのリーダーシップは流石の一言だ。なんというか、みずきちゃんのリーダーの器をひしひしと感じる。

 

「外野うるさーい。それについては後から説明してあげるから静かにしてて。……とりあえずパワプロくんの質問に答えるね? 宇津くんと原くん、大京くんは生徒会に残ったのよ」

「生徒会に? 一緒に野球をやるんじゃないの?」

「お爺ちゃんが何してくるか分からないからね、生徒会をがら空きには出来ないの。確かに、宇津くんとかが野球部に入ってくれれば凄く楽になるけど、生徒会を通じて野球部への援護が出来なくなるとそれだけで詰みでしょ? いきなり『他の部がグラウンドを拡張したいと言ってきたので、野球部のグラウンドを没収して宛がうので、グラウンドから出て行くように』なんて言われたら一貫の終わりよ。そのためにも、私の味方のあの三人は、生徒会のメンバーとして残って貰わないと困るの」

「なるほど……」

 

 みずきちゃんはかなりお祖父さんを警戒しているらしい。

 それも当然か。一度野球部を潰されてしまった訳だし、みずきちゃんとしては先手を打っておきたいんだろう。

 

「でも、会長は? 原くんとかが兼任するの?」

「それだと原くんの負担が大変だから――丁度いい人を見つけたのよ」

 

 ニヤリ、とみずきちゃんが邪悪な笑みを浮かべる。

 この笑顔はみずきちゃんが意地悪なことを考えている時のだ。段々分かってきたぞ。

 

「あ、丁度良く通りかかってくれたっ。太鼓せんぱーい!」

「おや、前会長じゃないですか。何の用です? 現会長である私に!」

 

 みずきちゃんがグラウンドの外を歩く男性に声をかける。

 声をかけられたら太鼓、と呼ばれた先輩は独特なおかっぱのような髪型を揺らしながら、全力でドヤ顔を決めた。

 ……えっと、つまり、彼がみずきちゃんが会長に選んだ、新しい会長ということだろうか。

 

「調子はどうかなーと思いまして」

「すこぶる好調です。いやー、原くん、宇津くん、大京くん、全員優秀ですねぇ。私を持ち上げる所など、先見の明が有ると言わざるをえません。かなり気分が良いですね」

「そうですかー。応援してますのでがんばってくださいね!」

「橘さんも、野球がんばってくださいね。陰ながら応援させていただきますよ」

「はーい♪」

 

 にこやかに笑みを浮かべるみずきちゃんに別れを告げて、上機嫌な太鼓先輩は校舎へと歩いて行く。

 

「……みずき、今のはなんなのだ……?」

「かなり生徒会長ということが不安になりそうな先輩だったッスけど……」

「あの人は太鼓先輩だよ。ぷにぷに研究会っていう同好会に居た所を引っこ抜いて生徒会長に据えたの」

「ぷにぷに研究会ッスか……」

「どうしてあの先輩にしたのだ……?」

「え? だって扱いやすいし、おだてるだけで簡単にノってくれるんだもん」

「も、もしもあの先輩がご要望会議で変な採決をするようになったらどうするッスか? 例えば、野球部の予算を削減する、とか」

「そうしたら、原くんと大京くんと宇津くんに反対させれば良いだけよ。逆に、賛成させたい意見があれば、あの三人に賛成して貰えば良いってワケ。あの先輩には、『ご要望会議は生徒会のメンバーによる多数決で決めることになってる』って教えたからね♪」

 

 ニッコリ、と満面の笑みを浮かべるみずきちゃん。

 俺を含めた野球部全員は、その笑顔にゾクリとした戦慄を覚える。

 

(……みずきちゃんには逆らわないようにするッス)

(相変わらずだな、みずきは……)

(あくまだ……みずきちゃんは悪魔なんだ……)

「どーしたの? 皆」

「い、いや、なんでもないぜ……」

「安心安全。なんでもない」

 

 全員でごまかすような笑いを浮かべる俺達。

 みずきちゃんはそんな俺達に首を傾げた後、こほん、と咳払いをした。

 

「さーて! 練習を始めるわよー!」

「その前に、パワプロくんのことをダーリンって呼んでたことの説明がまだッス!」

「ん? ああ、あれ? ただ単に、パワプロくんは私のフィアンセってだけだよ」

「……なーんだ。そんなことッスか、ほむら安心ッス。……ってどういうことッスかー!?」

「うわぁ!? 落ち着いてほむらちゃん!」

「落ち着ける訳ないッスよ! 若干一五歳の友達に婚約者が出来たとか驚くに決まってるッス!」

「だからそれは……! み、みずきちゃん! 説明してよ!」

「あはは、嫌でーすっ! それじゃあ、皆で蛇島くんをこてんぱんにやっつける為、練習練習! ランニングからだよー!」

「ほ、ほら、ほむらちゃん。俺達も走らないと!」

「むぅぅ、わかってるッスけど! ちゃんと走りながら説明するッスよ!」

 

 笑い声が響くグラウンドへ、みずきちゃんが駆けていく。

 俺はほむらちゃんにみずきちゃんと何が有ったのかを事細かに説明をしながら、その背中を追いかけて、走りだしたのだった。

 

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