「これは誰にも渡さない」
息も絶え絶えに男が言った。
乱れた銀髪が汗と血にぬれ、一目で上質な物と分かる青い外套コートれている。
胸元で握られた手には、細い鎖を付けた金色のアミュレットが握られていた。
「これは俺の物だ。スパーダの真の後継者が持つべき物──」
言いながら男は後ずさり、背後の崖端に届く。
深い──底さえ見えない──闇が崖の下に広がっていた。
周囲に目を向ければ、その場がどれだけ異常であるかがわかる。
足場にしているごつごつとした岩の大地には、どこからか降り注ぐ大量の水が表面を覆い尽くしている。
空には白い円を縁取った穴が見え、周囲を漂う得体の知れない《何か》がユラユラとしたものが渦を作っていた。
「お前は行け。魔界に飲み込まれたくはあるまい」
青いコートの男は眼前の、素肌に派手な赤いコートを纏った男をにらみつける。
「バージルッ!」
「ダンテ」
駆け寄ろうとするダンテと呼ばれた赤いコートの男に剣─日本刀を突きつけ、青いコートの男──バージルは呟く。
「俺はここでいい。親父の故郷の──この場所が」
バージルは緩やかに身を谷へ投げ出した。彼に手を伸ばすダンテの顔は、バージルとうり二つであった。
■ ■ ■
男が駆ける。
紅い世界──人の顔のようなものがユラユラと揺れながら空を覆い、黒い太陽が浮かんでいる。地は"人の顔"が敷き詰められ、それぞれが生きているように表情を変えていた。男はその空間の中央、無数の触手に拘束された褐色の肌を持つ女性を目指している。
大柄な体の隅から隅まで力強い筋肉が盛り上がっている。剥き出しの上半身は無数の傷──血が流れているものもあれば、すでに塞がった古い傷まで──が刻まれ、手には所々刃が欠けた無骨な剣を握っていた。切っ先からは血がタラタラと垂れている。
「キャスカァッ!!」
剣と同じように頭からブーツの先まで血にまみれた男は叫びにような雄叫びを上げながら囚われの女性に群がる異形の存在の群に突っ込む。
人を丸飲みに出来るほどの大きさの口に、刀剣のような鋭い歯を持つ異形達が餌に群がる獣のように男に殺到した。
正面から迫る異形に上段から剣を振り下ろし、口を四つに斬り裂く。足を止めず駆け抜けると、彼の居た場所を他の異形の牙が抉った。
歩みを止めず、左右から襲いかかる巨大な手──掠っただけで頭部が吹き飛びような速度を持った──を渾身の力を込めた薙ぎ払いで指を切りとばす事で防ぐ。
ただ数歩の距離を進むのに何度もの死線をさまよい、新たな死線を潜り抜ける。まさに奇跡と言えるような事であった。
だが、あと少しという距離で左腕に異形の牙が食い込み、その奇跡も終わる。牙は獲物を離さんとさらに食い込み、骨を削った。
彼の遙か頭上、キャスカの背後に巨大な人の腕のような物が塔のようにそびえている。握り拳の指には四つの影が居た。
塔の親指の部分に乗る人型の一人は、頭部のほとんどを占めるような巨大な脳を露出させ、瞼を縫い合わせ、鼻と口の皮膚はひっくり返して留められている。そして黒く光沢のある外套のようなもので肩から足下までを覆っていた。
中指に立っているのは裸の女性だ。人間の髪がある箇所には一本一本が太い触手のような物が生えており、首とウエストを一人目と同じような光沢のある黒いもので覆っている。
薬指に"浮遊"している毛髪の生えていない小さな頭部と体の男。全長は頭二つ分のサイズしかなく、目にはサングラスのように黒い目が埋め込まれるように付いている。
小指には巨大な"ウミウシ"に頭部が乗っているような男がいる。その顔には肉が付き、目は押しつぶされて見えず、鼻はつぶれて豚のように醜い。
そのうち、親指にたたずむ人型が語り出す。
『誕生だ……五人目の福王。新たなる魔王。ボイド、スラン、ユービック、コンラッド。我らに連なりし、魔名を冠する新しき眷属。闇の翼フェムト』
塔の手の平、くぼんだ地点に貯まった赤い血の池から新たな人型が生える。塔はそれに答えるように──まるで生き物であるかのように──握られていた手を開き始める。そして、生まれた人型は翼を広げ、キャスカの元へと舞い降りた。
男の目が見開かれる。
「……グリ、フィス……?」
人型が現れると、あれほど無秩序に暴れ回っていた化け物達がシンと静まり返る。グリフィスの元にキャスカが運ばれ、彼はその体を撫で回した。
男の目の前で。
はじめは理解出来なかった。だが、"何"をしようとしているのかに気づくと、怒りが彼を埋め尽くした。
駆け出そうと足に力を入れるが、噛みつかれた左腕が足かせとなって出来ない。すぐさま噛みついた化け物に剣を突き立てる。酷使された剣は彼の膂力と、化け物の強固な体に耐えきれず、一突きで剣先が欠け、渾身の力で叩きつけ続けると半ばから折れた。
そして、迷いもなく、折れた剣を“己の左腕”に突き立てる。
折れた剣は切るというよりは潰すという形で男の左腕を壊し始める。鍛え上げられた腕は筋繊維がズタズタになるまで数回に分けて叩き潰され、骨が露出した。更に剣を突き刺す。骨が完全に折れ、残った皮と何本かの筋が残った腕を引っ張る。ブチブチと音をたてて、左腕が切り離される。激痛が彼を埋め尽すが、怒りがそれを塗り変えた。
「グリフィス!!!」
かつての親友の名を呼び、数歩だけ近づく。だが、周囲の異形はそれを見過ごさなかった。無数の手が、足が、彼を地面に押しつける。衝撃で跳ね上がった頭も押さえつけられ、叫ぶ事も妨げられた。
人面に押さえつけられながら、剣士は見た。
最愛が親友に蹂躙されるのを、頭を押さえ込む異形の爪が右目を抉るまで。
「ガアアアアアァッ!!!」
怒りだ。
異形の生き物達に取り押さえられ、左腕を失い、仲間以上の存在であったキャスカを目の前で犯され、己の右目を潰され叫ぶことしか出来ない自分に対する怒りが彼に慟哭のような叫びを上げさせる。
俺にもっと力があれば、そう思っていたとき、"奇妙な乱入者"は現れた。
(あいつは……!)
彼はその内の一人──本当に人だろうか──に見覚えがあった。
そしてもう一人。
白に近い銀髪に青い外套を纏った男。細く長い、やや反りのある鞘に納められた長剣を腰に差すわけでも、背中にかけるでもなく、左手に握っている。
髑髏の騎士は勢いを殺さず脳の露出した化け物──ボイド──に斬りかかり、青い男は落下した先にいた異形を斬り裂いた。
騎士の振り下ろした剣はボイドの剥き出しの脳天を斬り裂く寸前、突如として出現した──空間から歪み出たようにも見えた──"壺"に飲み込まれる。吸い込まれた剣先は壷を斬り裂くでもなく、何故か主である騎士に向かって飛び出した。
振られた剣がそのままの勢いで返ってくる。それを髑髏の騎士は盾を使って防いだ。不意打ちに近いそれを防ぐ事が出来たのは、騎士の技量か故か、“はじめから”そういう攻撃が来ると知っていたのか。
それを見届けると同時に、体中を埋め尽くしていた痛みが彼を襲い、間もなく彼の意識は闇へと沈んだ。
■ ■ ■
深く、深く、墜ちて行く。
上下が反転した足下、伸びていた光は指先ほどにしか見えなくなり、落下する先の闇がより深くなるのをバージルは感じた。
金色のアミュレットと握り締め、自らが落ち行く深遠の闇を睨む。
やがて、永遠とも思える深遠の奥に光が見えた。黒い円を縁取るように漏れる光は、蓋のようにも見える。
視界の隅に影が見えた。
それは馬にまたがった髑髏の騎士。
手には薔薇の描かれた簡素な盾と、それに納められた持ち手に薔薇の棘のようなものがある剣を持っている。その馬も、骸骨を模した馬鎧を身につけ、足場の無い闇を蹴りながら走る。
髑髏の騎士はバージルを一瞥するように、頭蓋骨の目の部分から覗く光を発した。
『これは──随分と長い間、待たされたモノだ……』
「何?」
それだけいうと、髑髏の騎士はバージルよりも前に進みだし、黒円を見据えると盾から剣を抜き、それを叩き壊した。ガラスが割れるような音を響かせながら、黒円が割れ、そこから漏れる光に騎士は飛び込んで行く。それに続くように、バージルも光へと飛び込んだ。
■ ■ ■
光の先には広い空間が広がっていた。
人の顔のようなものが地面や壁、天井を多い尽くすそれは人界とは似ても似つかない光景であった。
そして、群がるようにして集っている異形の集団が見える。人間のように四肢のあるモノもいれば、芋虫のような胴体のモノ、コウモリのような翼を持つモノなど、生命として"歪んだ"生き物が揃っていた。
落ちた先にいた異形の一匹を頭から真ッ二つにする。両断された死体の間にたつように着地し、思考を続ける。バージルは疑問に思っていた。
髑髏の騎士もそうだが、鼻を突く血の匂いに。血の匂いの濃さから察するに、一人や二人の量ではない。匂いは濃密で、数十人、あるいは数百人分の量があるだろう。それにこれだけの悪魔どもが一同に返すのも疑問である。
死体に立ってそのように考えていると、いきなりの乱入者に呆けていた周りの異形が襲い掛かってくる。
思考をやめ、閻魔刀の鯉口を切る。
向かってくる2メートルほど大きさの異形を見据える。襲い掛かってくる長い鍵爪による一撃を身を沈めることで躱す。そのまま四本の足を払い宙に浮かす。頭と足の位置が逆転したところを胴から切り裂き、二つに分かれた上半身を近くにいた象ほどの大きさにある異形に蹴りつけて視界を塞ぐ。
視界を塞がれて動きの止まった異形の背後を取ると同時に、股下から切り上げる。ただの一撃で絶命した異形の血を浴びながら、ゆるりと納刀する。
振り返った先にいる異形達は、一瞬でやられた異形たちに呆気にとられているのか動かない。
その隙を逃さず、異形の群に突進し、勢いを殺さずに閻魔刀を抜き、振るう。赤い血を噴出させながら、大小様々な異形は首、腕、足を宙に舞わせながら絶命していく。滴る血を払い、走り抜けた跡に倒れ付す死体を見ることもせずに背面にて納刀する。
髪から垂れる異形の返り血を整髪剤代わりに、額を覆う前髪を前から後ろに撫で付けオールバックに整える。
未だ視界に蠢く異形を眺めながら、呟く。
「想像していたのとは違うが──まあいい。戦う相手には不自由しないだろう」
新たな戦闘に備え、唾に指をかける。それを合図に、異形達がバージルの元へと殺到した。
四方から飛びかかる異形を、一歩だけ前に歩むことでかわす。対象を見失った爪や牙が虚しく空を切った。
襲撃に失敗した一匹が腕から生えた一角獣のような角をバージルに向けて突く。頭部を狙ったそれを閻魔刀の鞘で押し上げて穂先をずらし、抜いた刃で根元から切り落とした。
切り落とされた角を鞘で操り、その鋭い先端を持ち主に向ける。逆手に持ち替えた閻魔刀の柄を平たくなった根元にぶつけるようにして押し込む。凄まじい膂力と共に押し出された角は砲弾のように飛び、異形を貫いて背後にいたもう一匹にも突き刺さり、その身体を吹き飛ばした。
残った二体は長大な腕を振るい、挟むようにしてバージルを襲う。一方のそれを鞘で弾くようにして受け流し、もう一方は避けきれぬと判断して受け止めた。
「グッ……!」
衝撃がバージルを襲う。本来ならば余裕を持って受け止められる一撃であったが、身体には無数の傷──ダンテとの死闘の末に刻まれた敗北の傷でもある──があり、些細な衝撃が身体の真を揺さぶって痛みを発した。歯を食いしばって苦痛をこらえ、刀をふるって異形の首を飛ばす。背後から迫っていた最後の一匹は振り返ることなく切り捨てた。
(やはり……まだ回復しきってはいないか──)
納刀し、周囲を遠巻きに囲んで襲い掛かるのを躊躇している異形の群れを睨め付ける。
だが、この程度であれば問題は無い。
足元に転がる肉片は数百に上るだろう。弱った身体のことを考え、直接受けることをしなければ敗れることはないと判断した。ふと異形達の頭上に影が奔るのを見た。先ほど見かけた髑髏の騎士だ。髑髏の騎士が跨る髑髏の装具をまとった馬は、重力を無視するように悪魔どもの頭上を飛び回る。
それに襲い掛かる羽をもつ異形たちが髑髏の騎士に襲い掛かるが、騎士がマントを翻した瞬間に切り刻まれる。その先にいた巨大な化け物は巨大な手で叩き落とそうとするが、馬が宙で回転し、騎士が逆さまになったところでその腕ごと切り裂いて上半身を二つに割った。
そのままの勢いで駆け抜けた騎士は、群のなかにいた人間とほぼ同じ外見を持つ黒衣の存在に切りかかる。
だが不意に騎士が上に飛んだと思うと、騎士がいた空間が歪み、圧縮される。
周囲にいた異形を巻き込みながら縮まっていく肉塊。それは黒衣の存在の力だろか。当の本人は右手を見ながら何か思考に耽っている。
人型の後ろに飛んだ髑髏の騎士の馬上には、いつのまにか二人の人影が乗りかかっていた。褐色の肌を持つ女性と、体格の良い身体に左腕の無い男だ。その身体は傷だらけで血にまみれている。
髑髏の騎士はそのまま空に飛び、落ちてきた穴へと戻っていった。
それを見て、この場に来る直前の問答を思い出す。髑髏の騎士は自分の存在を知っているような口ぶりであった。
「奴は、俺のことを知っていた……」
『そうなの──私も、あなたの事を知りたいわ……』
背後からささやく声──反応できなかった──に、バージルは閻魔刀を抜き、振り向きざまに空間を斬り裂く。しかし、そこには声の主は居らず、代わりに無数の異形の血飛沫が舞った。
『“王さま”は行ってしまったけれど、あなたはまだ居てくれるわよね?』
バージルを見下ろすように、翼手を広げて空に浮かぶ女性──スラン──が妖艶な笑みを浮かべていた。