広大な平原。
そこには黒い竜巻のような“渦”が壁のように存在している。渦は大きく、町を飲み込むほどであった。
その渦の近くに、ガッツとキャスカの身体が並べられている。傍には少年のように幼い容姿の青年がいた。
その青年は傷だらけの二人に光る粉のようなものを擦り込んでいる。
そして、その集団を睨みつけるように、異形の存在が二つ、佇んでいた。
一つは、二人を“蝕”から連れ出した髑髏の騎士。もう一方は騎士の背後に仁王立ちをしている存在。
人型である“それ”の背丈はガッツの数倍はある。全身を黒色の剛毛が覆い、獅子のような面構えの頭部には太く曲がった角が一対生えていた。蹄に似た足を持ち、臀部からは長い尻尾が生えている。硬い剛毛の下の筋肉ははち切れんばかりに盛り上がり、人間ならば腕の一振りでその四肢を散らすだろう。
『構うな、続けよ』
手当てを続ける青年、ガッツたちと同じ“鷹の団”に所属しているリッケルトに髑髏の騎士が言った。その視線は背後の異形、“不死のゾッド”に向けられている。
『この程度で決着がついたなどと、考えてはいまいな』
ゾッドの口から低い声が響く。それは人間に獣としての恐怖を覚えさせるほどに威圧的であった。
『まさかな……だが不死者よ。この勝負、預ける気はないか?』
臨戦態勢であったゾッドに対し、騎士は勝負の見送りを提案する。
『何をバカな──』
強者との戦いを欲するゾッドが頷くはずは無かったが、倒れ付すガッツを見て驚きの声を上げた。
『その男は……生き延びたというのか、あの触から!?』
くぐもった笑い声をあげて、ゾッドは実に楽しそうに笑った。
『面白い、よかろう。この勝負預けておこう。その男の強運に免じてな。──いや、凶運と言うべきか……だが忘れるな、貴様との勝敗、これで決したわけではないぞ!!』
興に入るゾッドは騎士の申し入れを受けた。
『さぁ、急ぐがいい。門が消えれば、やつらがなだれ出てくるぞ』
殺戮の宴が終わろうとしている渦を見て続ける。“生贄”を食い散らす“使徒”の多くはゾッドほど“誇り”を持つものは少ない。
髑髏の騎士は手当てを続けるリッケルトに言葉をかける。
『終わったか』
「まだです。傷が多くて……」
リッケルトが賢明な治療を続けるが、ガッツとキャスカの傷は多く、しばらく時間がかかる様子であった。
ならばと、髑髏の騎士は傍に控えていた愛馬に跨った。
『しばしまて、古き友との盟約。果たす必要があるのでな』
ゾッドの疑問に答え、騎士は再び渦へと駆けた。
残された三人と一匹。リッケルトは治療に専念することで、ゾッドと目を合わせないように努めた。
そんな彼をよそに、ゾッドの視線は気を失ったガッツに釘付けであった。
(あの触を生き延びただと……面白い。見せてもらおう。これから、お前の前に広がる夜の世界。亡者の荒野の中で、人の身にすぎぬお前がどうあがくかを──"烙印の剣士"よ)
○○○○○○
異形が取り囲む中、バージルを見下ろす様に翼手を羽ばたかせるスラン。彼女はバージルの顔をよくよく見て、言葉を紡ぐ。
『──何処かでお会いしたかしら?』
「貴様なぞ知らん」
剣を納め、スランに向き直るバージル。剣を納めたのは戦闘の意思がないという事ではなく、"居合い"による一撃必殺の構えである。
『そうね……こんなに良い男、私が忘れるはずも無いでしょうし』
「貴様は話が通じるようだな。答えろ、"此処は何"だ?」
銃の撃鉄をあげるように、左手に握る閻魔刀の唾に親指をかける。それを見て、スランは笑みを浮かべながら口を開いた。
『"触"よ。人と魔の境界。時の接合点』
「──魔界への道は何処だ」
魔界、というフレーズを聞いたスランの表情が変わる。楽しむような笑みは鳴りをひそめ、虚を突かれたような顔になった。
だが、合点が行ったのか、すぐに妖艶な笑みを浮かべた。
『魔界ね……あなた、"彼"の知り合い?』
「質問に答えろ。魔界への道は何処だ」
バージルは指で唾を押し、一寸ほど閻魔刀の刃を抜く。
『さぁ──私に触れることが出来たら、教えてあげるわ』
スランのコウモリのそれとよく似た翼手が動く。それは常人には見ることは叶わないほどに速く、バージルに襲いかかった。
だが、彼は"普通"ではない。
スランの翼手が動くのとほぼ同時に、バージルは床の人面が抉れるほど強く踏み込む。人面は裂け、血飛沫と叫び声を上げた。
神速で抜かれた刃がスランの翼手から伸びる鉤爪が触れあって火花を散らせる。
拮抗した両者は、互いに弾かれるように距離をとり、バージルは納刀をして口を開く。
「腕の一本でも失えば、その口も開くだろう」
バージルの周囲に浅葱色の光が集う。それは徐々に形を成し、やがて光る両刃の剣へと形を変えた。
彼の魔力で構成された剣"幻影剣"はその数を増やし、計四本の幻影剣がバージルの周囲に配備される。
『──アハッ』
スランの喜悦満面の声が漏れるのと同時に、弾丸のように幻影剣が射出される。
風を斬り裂き迫る剣を、スランはほんの僅かに身を捻って交わす。しかし、致命的な隙でもあった。
大勢を崩したスランに、空間をも斬り裂く一撃が迫る。
その斬撃は、彼女の四肢の一つを斬り飛ばす筈だった。
「──グッ!?」
苦悶と共に、バージルの腹部から紅いしぶきが噴き出す。
(傷が……!)
相手の攻撃ではない。
バージルの一閃が、ダンテとの激戦を経た体に走る深い裂傷を開かせたのだ。
『あら、だらしないのね』
動き鈍った剣をかい潜り、常人には見切れぬ速度でスランの鉤爪がバージルの胸を引き裂く。
受けた傷と腹部の傷は深く、バージルは思わず膝を折った。身体に熱した鉄杭を突っ込まれたような痛みと、死闘で失われた体力が彼の体を重くする。
『いいことを思いついたわ』
うずくまるバージルの側に舞い降りたスランの手が、彼の頬に寄せられる。
『あなたに"プレゼント"をあげる。“烙印”のほうがいいでしょうけど、きっと気に入ってくれると思うわ』
言うや否や、翼手が動き、バージルの体を鉤爪が抉り始める。胸、腹、背中、腕、足に無数の傷が刻まれ、血が舞う。
そして、最後の仕上げとばかりに、鉤爪がバージルの両腕を貫いて自由を奪った。腕を貫かれながらも、愛刀を放すことは無い。
バージルは苦痛に顔をゆがめ、スランを睨みつける。叩きつけられる殺意、憎悪を受けて、スランは嬉嬉とした笑みを浮かべた。
『フフッ。いいわァ、あなた。あなたの憎悪も、苦痛も、私には心地のよい調べ。もっと聞かせてちょうだい』
抱き寄せるように、彼女はバージルを包み込む。ぐったりとした体は彼女のなすがままになり、その命の火も消えるかと思われた。
だが、一つの変化が、それを覆す。
バージルの体を囲むように、無数の鈍く光る魔法陣が出現する。それに呼応するように天から蒼き雷が彼の体に落ちた。
膨大な魔力の奔流がスランを弾き、バージルの拘束を解いた。その力は彼の体へと吸い込まれるようにして収まる。
『退け』
『ッ!?』
スランの耳に、殺気が込められた声が届く。
翼手を広げ、瞬時にバージルから飛び退く彼女の元に、研ぎすました白刃の閃きが襲う。
空を切り裂く斬撃は、床の人面にほんの僅かな赤い液体をこぼさせた。
血の滴りはスランの指先から落ちていた。左手の人差し指にうっすらと血が滲む切り傷を妖艶に舐め上げながら、彼女は興奮した様子でいる。
その視線は、目前の"蒼い悪魔"へと向けられていた。
父親である悪魔“スパーダ”から受け継いだ、体に宿る悪魔の血を呼び起こす。
内に秘められた人外の力は、彼の体を“魔人”へと変貌させた。
体に纏っていた蒼いコートは硬質化し、左腕に握られていた鞘は左腕と融合するように前腕から生えた。その鞘から抜かれた閻魔刀を納める悪魔、バージル。その顔は黒く染まり、口には鋭い犬歯が並んでいる。頭部には兜のように角が覆っていた。
『“やっぱり”……思った通りね』
変化はそれだけに止まらなかった。
スランが楽しげに呟くさきで、バージルの体を覆っていた傷が癒え始める。
細胞と細胞が互いに結びつき、抉られた肉を修復する。瞬く間に、バージルの体からは跡も残らずに傷が消えた。
魔人から洩れる殺気が周囲の異形を凍てつかせる。
身体に纏わりついていた魔力が再び形を成し始めた。
膨大な魔力により作り出された幻影剣が、彼の周囲を取り囲むように配備される。その数は先ほどの数倍。切っ先はすべてスランへと向けられていた。
『いい男ね──でも、残念』
翼手を広げ、舞台女優のように勝ち誇る。
『私の勝ち』
同時に、バージルの周囲を埋め尽くしていた幻影剣がガラスのような音をたてて砕け、空間に溶けるように消える。
原因はバージルの体に起こった変化であった。
魔人化によって癒えたはずの傷が開く。その都度修復されるが、再び傷が開くという繰り返しだ。
堪らず魔人化を解く。
突如として発生した傷は残り、バージルの体力を削ぎ落とした。
『どう? 私の“プレゼント”、気に入ってくれたかしら?』
そんな彼を余所に、スランは楽しげに言葉を紡ぐ。
口を開くことさえも躊躇うほどに疲弊したバージルの顔を見て、さらに話を続ける。
『頑張ったご褒美に教えてあげる。あなたの探している魔界への道はないわ。あそこは此処とは違う世界。“神”でさえも、干渉はできない』
「なら──何故その存在を知っている……!!」
血の固まりを吐き出し、閻魔刀を杖代わりに立ち上がるバージルは詰問した。
『それは──』
彼女が口拓く寸前、両者の間に黒い影が奔った。
翻る黒いマントがスランの目の前から消えた時、そこにバージルの姿はなかった。
『男と女の間に入るのは礼儀知らずではなくて、“王さま”?』
影、髑髏の騎士が遙か頭上にいた。騎馬にはバージルの羽織っていた蒼いコートが見え隠れしている。
天を仰ぐスランは、飛び立とうと翼手を広げた。
だが、それを牽制するように出現した無数の幻影剣が、スランを取り囲む。
彼女は翼手の薙ぎ払うように振り、剣はその煽りを受けて姿を保てずに空間に掻き消えた。
だが、彼女が再び二人の方に向いたとき。そこには血溜まりがあるだけであった。
『あら……つれないわねェ』
名残惜しそうに呟くスラン。
『すっごおい!! 面白い!! 予想外だ!!」
それを遮るように、ユービックが小さな手を叩きながら子どものように騒ぎ出す。
『時の接合点では予測できぬことがおこる。ごくごく微少ではあるが……』
『すべてを見越すことなんて不可能よ。私たちもまた、神そのものではないのだから……それとも、これも定められた運命の一つ……』
ボイドに問いかけるようにスランが語る。本人は縫い合わされた瞼を虚空に向けたままであった。
『どちらにしても、魚が一匹跳ねたところで、川の流れはゆらぎはしない。時はもう流れはじめてしまったわ。"5人目"の天使は誕生してしまったのだから』
騎士とバージルが消えた穴をフェムトが睨む。それをよそに、スランは言葉を続けた。
『闇の時が訪れる。邪が聖を。幻想が唯物を。怨念が希望を。憎悪が愛を。死者が生者を。あらゆる闇が光を凌駕する時代。そう……日の光を月影が覆いかくすように。後に人はこの時代をこう呼ぶでしょう。"暗黒時代"と』
○○○○○○
入るときと同様に、深い闇を駆ける髑髏の馬を操る騎士。その背後には、血に濡れたバージルの姿があった。
「──何故助けた」
騎士は僅かに言葉を選ぶように話し出す。
『我が友との“盟約”故だ』
「友──だと?」
問い詰めようと体を起こそうとするが、血まみれの体がいうことを聞かなかった。
「奴は、俺に何をした」
『“傷”だ。体ではなく、“幽体(からだ)”に刻まれた傷。奴は高位の存在。肉体のみならず“魂”をも傷つける。幽体の傷は肉体に干渉し、幽体の形をとろうとする。塞がった傷も、直ぐに開くだろう』
自らの傷を睨みつける。彼の傷は見る見るうちに修復され、後も残らずに消えた。だが、その身には未だに痛みが残っている。
『お前の“あの姿”は魂の形そのものだ。故に、“変われば傷ついた状態になる”。高位な存在であるならば、その傷も枷とはならぬだろうが、"人間でもある"お前には致命的だ』
「俺が……人間だと──」
その一言を吐き出すと、バージルは大きな血の固まりを吐き出した。
ダンテとの激戦。そしてスランとの攻防によって彼は衰弱しきっていた。
『──今は休め。外の二人を送る“ついで”に、お前も送ろう』
髑髏から響く声を聞きながら、周囲が明るくなり始めているのをバージルは感じた。