鳥のさえずりが聞こえる。
それは風に揺れる木の葉の音に乗って流れていた。
降り注ぐ日差しが生い茂る木々を照らし、緑の葉から透ける明かりが柔らかな土に漏れる。その中に、バージルは佇んでいた。
トレードマークである青いコートは脱ぎ、今は黒いノースリーブという出で立ちであった。彼は巨木を見つめ、左手の閻魔刀の鞘を握りなおす。まるで何かを確かめているようだ。不意に、木とバージルの間に風に舞う葉が舞った。
白刃が光を反射した。
いつ右手が柄に伸びたのか、腰を落とした姿勢から放たれた斬撃は幹を斬り裂く。
鞘鳴りが響く中、視線を木に向けたままのバージルが納刀するのと同時に、斬られているのを思い出したかのようにゆっくりと巨木が傾き始める。
大きな音をたてて倒れる木をよそに、バージルは自身の体に起こった変化を感じていた。閻魔刀を納めた左腕を伝い流れ出す血が、落ちた木の葉の上に赤い滴を垂らす。
ただの一撃。たったそれだけの動作で、彼の体は血塗れになっていた。スランが傷つけた肉体は治ったが、ある程度の行為によって簡単に開いてしまうのだ。
所々が裂け、皮膚の下にある筋繊維が覗く腕を一振りして流れる血を飛ばす。
木の枝にかけてあった蒼いコートを羽織る頃には腕の傷は塞がり、木の葉を濡らす血痕だけが残った。
「すげェ剣だな」
その場を離れようと歩き出すバージルに声がかかった。
振り向いた先にいた人物は老人であった。肩まで届く白髪に同じように長く白い髭。しかし、簡素な服から覗く腕は年を感じさせぬほどに筋肉質だ。
「剣もそうだが、あんたもかなりの使い手だ」
背負っていた籠を地面に置き、手に持っていた鉈で落ちていた枯れ木の枝を落としながら老人は続けた。
「剣も本望だろうよ。そんだけ見事に使いこなされるってのはな」
枝を落として棒状になった木と落とした枝を籠に入れ、また新たな枯れ木を同じように処理する。
「しっかし、あいつらと一緒にここに来たときには立つこともままならなかった癖して、数刻で剣を振るなんてのは相当なもんだな」
「何か用でもあるのか」
「いいや。俺は薪を拾いに来ただけだ。そこにあんたがいるとは思いもしなかったがな」
飄々とした物言いでバージルの鋭い視線を交わす男、老人は手を休めずに作業を続ける。見る見るうちに籠には薪が貯まっていく。
「だが、娘が心配するといかん。一度、山小屋に戻っては来れんかな?」
「必要ない」
にべもなく、老人に背を向けて去ろうとするバージル。
その彼の目前、包帯に全身を包まれた男。ガッツが走り去っていった。靴も履かずに裸足のまま、鬼気迫る表情で走り去っていった。
「なんだ。あいつもスッカリ元気じゃねぇか」
「……」
森の奥深くへと進むガッツをみてゴドーは呟き、バージルはそれを見つめるだけだった。
不意に、バージルが森の暗がりに視線を向けた。
その先には闇に紛れるように白い髑髏が木々合間をすり抜けるように馬を走らせていた。
「どうした?」
問いに答えず、バージルは歩きだした。
ガッツの後を追う髑髏に続くように。
「……全く、どいつもこいつも自分勝手な奴らだな」
薪で一杯になった籠を担ぎ、一人愚痴を言いながら老人──ゴドーはその場を後にした。
○○○○○○
ガッツが目覚めたのは薄暗い洞窟の中であった。
流れる小さな滝がたてる音が洞窟内に響きわたっている。壁の穴から漏れる日差しが暗い洞窟を照らしていた。
視界の隅にみえる削り出された階段をコツコツと音を立てて降りてくる人影が見えた。
「誰だ……」
包帯などが乗った盆を持つ人影、ガッツの背丈の半分もないそれはガッツの声に反応して声を上げた。
「ガッツ、気がついたの!?」
駆け出す影。だがガッツに到達することはなく、湿った岩盤に足を滑らせて盆にのった包帯をぶちまけながらひっくり返った。
「びょええぇ! いだいよゥ!!」
「エリカ……?」
盛大に泣きわめく少女。ガッツはその少女のことを知っていた。
「だめだよエリカちゃん。そんなにあわてちゃ滑るんだから」
「リッケルト? どうして……?」
そう言いながら階段を下ってくる影がまた一つ。その影はガッツの声に反応して表情を変えた。
「ガ……ガッツ……!」
リッケルトはエリカのそばをすり抜けてガッツの元へと駆け寄った。
「気がついたんだね!!」
「あ、ずっるーい。エリカが先ィ」
ケロリとしたエリカが便乗するように参加する。大した痛みではなかったようだ。
「も……もうだめかと思ってた……四日もピクリとも動かなかったから……」
「ここどこだ……なんでお前達が一緒に……?」
「ここわたしん家の裏山だよ。んとねー、とーちゃんの"コードー"っての」
「鉱洞ね」
エリカの言葉を補足するリッケルト。
「もーびっくりしたんだよ!このリッケリトがいきなり家にきてケガしている人がいるって……来てみたら、それがガッツでェ……」
「"リッケルト"。こっちだってびっくりだよ。まさかガッツの知り合いの家だったとはさ」
「変な騎士にね……オレたちここへ連れてこられたんだよ」
「騎士……?」
ぼんやりとした表情でガッツは呟くように言った。
「不思議なことばかりでオレ、何が何だかサッパリだよ。ねぇ、あの竜巻の中でいったい何があったの? グリフィスの救出は……このケガは? 他の……他のみんなはどうなったの……?」
「……ほかの──」
呆けたように呟く。目覚めたばかり鈍い頭が急に覚醒し、思わずガッツは跳ね起きた。
「わッ」
「………!!」
不意の行動に驚くエリカ。ガッツ自身、起きた衝撃で体中に痛みが走り、歯を食いしばった。
「いたそー」
「だ、だめだよまだ動いちゃ……!」
押さえようと手を伸ばすリッケルトであったが、不意にガッツに胸ぐらを捕まれた。
「キャスカは……キャスカは……どこだ!?」
「……キャ、キャスカは………」
「どこだ!?」
「キャスカおねえちゃんならあそこだよ。ほら」
焦ったように詰問するガッツにエリカが答えを出した。ガッツが視線を移す。彼女が指さす先で、キャスカが小さな滝のように流れ出す水を服を着たまま浴びていた。
「……キャス……」
「あ、あの……」
痛む体を引きずるようにベッドから抜け出す。その彼を止めようとしたリッケルトは言葉を掛けかねていた。
"どう説明すればいいか"分からなかったのだ。
「キャスカ……」
最愛の名を呼び、また一歩近づく。キャスカはガッツに気づいたのか、振り向いて彼を見た。
だが、それだけだった。
彼女はガッツを見て、自分を抱きしめるように身を縮ませた。
「キャス……」
彼女の奇妙な行動を不審に思ったが、ガッツはさらに歩みを進めて彼女の肩に手をかけた。
「ヤアアッ!!」
「キャスカ……?」
肩に手をふれた瞬間。キャスカは子供のような悲鳴を上げて身をそらした。彼女は震えていた。
「な、何のマネだよ……もういい、もう終わったんだ。キャスカ……?」
「イヤアアァ!!」
"アレ"のせいで気が張りつめていたのだろうと安易に考え、ガッツは彼女の手を残った右手で取った。しかし、更なる悲鳴を上げるだけで一向に落ち着く様子がなかった。
「わからないんだ。ガッツだって……わからないんだよ」
リッケルトが目を伏せながら言った。とても見ていられないとでもいうような表情であった。
「……冗談やめろよ。こんな時に……キャス──」
「……!!」
彼の言葉を否定するようにガッツはキャスカの手をさらに強く握った。
彼女は悲鳴を上げることはしなかった。ガッツの手に噛みついたからだ。
子供のように。涙を蓄えて。
思わず手を離す。自由になった途端、キャスカはガッツの元から離れてエリカの元へと走った。
そして彼女の小さな体にすがりつき、荒い息を吐きながらガッツを見る。その瞳はとても仲間を見るようなものではなかった。
「おーよちよち。おっかないお兄ちゃんですねェ。ガッツだめだよォ。キャスカお姉ちゃんいじめちゃあ」
あやすようにキャスカを撫でるエリカ。呆然とした表情で佇むガッツに恐る恐るとリッケルトが声をかけた。
「二日前に目が覚めてからずっとこうなんだ。体の傷は大丈夫なんだけど……わからないんだ! 覚えてないんだ、ガッツのこともオレのことも……心を許すのはエリカちゃんだけで……」
彼の言葉に、ガッツはすぐに反応できなかった。
理解したくなかった。
「キャス……」
否定するようにキャスカに再び手を伸ばす。だが、彼女は小動物にように竦みあがってエリカを握る手に力を込めただけだった。
「んぎゅ」
そのおかげでエリカは肺に残った空気を吐き出した。
「……」
ガッツは何も出来なかった。手を伸ばすことも、声を掛けることも。
その足はキャスカたちのそばをすり抜けて外へと続く石階段へと進んでいた。
「ガッツどこ行く気なの!? そんな体で……」
思わず声を張り上げるリッケルト。だが、わずかに振り向いたガッツの包帯の下から流れる血の涙をみてハッとした表情になった。
「ガッツ!! だ、だめだよ! 今無茶したら、命にかかわるよ!! それに……外には絶対出ちゃいけないって……"あの人"が……」
制止の声も届かず、ガッツは薄暗い鉱洞から出ていった。
ガッツが走るのをやめたのはあたりがスッカリと暗くなってからであった。
ひたすらに走ってたどり着いたその場所は草原であった。一面に草が生い茂り、足で踏んだ先から森のにおいがした。
空に浮かんでいた太陽は姿を隠し、入れ替わるように月が薄い明かりをガッツに注いでいた。
しかし、流れる雲が月を遮り、辺りはより一層夜の闇を深くした。
やがて、空を覆っていた雲から滴が落ちてきた。それは徐々に数を増やし、草原とガッツに降り注いだ。
仰向けに寝転がったガッツは頬に当たる雨粒を感じながら、目覚める前の出来事を思い返していた。
異形に貪り食われた仲間たち。生き残ったキャスカでさえ"変わってしまった"。そして、フェムトとして変わってしまったグリフィス。
雨音が響く中で、ガッツは声を聞いた。雨音のそれとは違う忍び笑いのような声。
「グッ!?」
首筋に痛みを感じた彼は上体を起こして反射的に手をかけた。
ヌルリとした感触はあの惨劇で出来た烙印から流れ出していた。
(……何だ?)
ザワザワと草と雨がぶつかる音に紛れて近寄ってくる存在に目を凝らす。
やがて、声が聞こえた。
『目だ…』
『腕…』
『オレのだ…』
『肝…』
『オレの…』
『脳みそ…』
草の合間の暗がりから覗く一対の目。それが草原を見渡す限り一面に存在していた。
(……また、あの悪夢の続きか!?)
『心するがよい』
背後からかけられた声に振り返る。そこには三度目の再会となる髑髏の騎士がいた。
『これがこれからの"お前の世界"。現世と幽界の境界。"狭間の世界"だ』
髑髏の馬具を纏った馬に跨る騎士はそう言った。
(こいつはあの時の……)
暗がりに潜んでいた"何か"が音を立てて這いよるようにガッツに殺到した。
『これを使え』
髑髏の騎士が自身の剣を抜き、ガッツへと投げた。
「ち……」
反射的に剣の柄を握って受け取った彼はおもわず声を上げた。
騎士の両刃の剣は盾のソレと同様にバラがイメージされているのか柄には茨のように棘が生えており、それは持ち手部分も同様であった。
おかげでガッツの手の平は血だらけになった
だが剣に悪態をつく暇もなく、忍び寄った"何か"が彼の前で跳ね上がった。
それは人間に上半身のような異質なものだった。呻きのような声を上げて手を伸ばしてくるそれに、ガッツは悲鳴を上げ剣を振った。
(何だ……この水を切る様な手応えは!?)
斬り裂いたソレは笑いながら消え去った。肉を斬るのとは違う妙な感触をガッツの手に残して。
『これはこの地をさまよう死霊どもだ。死してなお生命に執着する亡者達……お前の熱き血肉を欲して群れ集まってきた。“生け贄の烙印”。それが闇の者どもを引き寄せた』
ガッツに首筋、血を流す烙印を見据えて騎士が言った。死霊はガッツには襲いかかるが、騎士は襲わずに遠巻きにしているだけであった。
『血……』
『命……』
『オレに命を……』
呻き求める死霊はガッツに殺到した。
上段から振り下ろし、そのまま刃を返して切り上げる。病み上がりである彼はソレを何とかしのいでいた。
だが、烙印が更なる痛みを発したため、思わず動きが止まった。それを逃さずに足下から忍び寄っていた死霊が彼の足にすがりつく。
『入れてくれ……』
『オレ達を……』
『この体の中に……』
『入れて……』
動きが止まったガッツの元に死霊が群をなして取り付く。死霊はガッツと重なるようにして彼の"体"にとけ込んでいった。
体中の筋が不自然に痙攣して痛みを発した。
「がッ、がああ!!」
悲鳴に近い雄叫びを上げ、渾身の気合いを入れる。それに反応して群がっていた死霊が思わずガッツから跳び退いた。
『気を強く持て。さもなくば取り殺されるぞ』
胃液を吐き出して体を支配していた感覚をぬぐい去ろうとするガッツに向かって騎士が述べる。
『こやつらにしてみれば、さしずめお前は暗闇に投げ込まれた松明。さぞやいとおしく眩しげに映るだろう。これがこれからお前が歩まねばならぬ現実だ。肉の体では目にすることのかなわぬ境界。互いに重なりながら触れあうことのない二つの世界の狭間にお前は立たねばならぬ』
「どうして……!?」
『それが生け贄の烙印を受けた者の運命(さだめ)。お前の肉体もその血の一滴までもすべて闇の者どもにささげられた供物なのだ』
怯えていたのか遠巻きにしていた死霊が楽しそうに踊り、ガッツへと襲いかかる機会を待っていた、
「運命……」
呆然と立ち尽くす彼をみて好機と思ったか、再び無数の死霊が彼に襲いかかる。
「運命! 運命!! 運命!!! うるせぇってんだよオォ!!!!」
棘の生えた柄をさらに強く握りしめ、ガッツは死霊に剣を振るった。
気合いと共に切り捨てられた死霊は消え失せ、後続にいたほかの死霊はたまらず空をさまよった。
ガッツは振り返り、切っ先を髑髏の騎士に向ける。
「そのしたり顔で御託を並べるのは、オレが取り殺されてからにしてもらおうかドクロのおっさんよ!!」
ガッツの言葉を騎士は静かに聞いた。
「生け贄だ!? 供物だ!? 運命だ!? 小難しい理屈並べてんじゃねぇぞ!!」
不敵な笑みを浮かべ、ガッツは一つの結論に至った。
「要するにこれは戦だ!! いつもと何も変わっちゃいねぇ!! 戦って最後に立ってたもん勝ちなんだよ!!」
生まれ落ちてから戦の中で育ったガッツは上段で剣を構えて吐き捨てた。
「いいか!! てめぇら今、地獄にたたき返してやるから、あの"顔色の悪い連中"に言っとけ!!」
鬼気迫る表情で、彼は死霊どもを睨みつけた。
「オレは殴られたら必ず殴り返す!! オレを"喰い残した"のが貴様らの"運のつき"だってな!!!!」
周囲を浮遊する死霊に自ら斬りかかった。
「貴様らも!」
続けて二匹。
「あの腐れ化け物どもも!」
背後から迫る数匹を薙ぎ払う。
「一匹残らず!」
二体の死霊の口を吹き飛ばす。
「オレが狩り殺す!」
足下から忍び寄る死霊に上段から剣を降りおろして頭を割り、吼えた。
「これが、開戦の"のろし"だ!!!」
明日4話を投稿します。