不屈ノ爪〜The Iron Clow〜   作:明るい脳筋

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1年以上も放置してしまった…。本当に、本当に申し訳ないです…。
さて、皆様はいかがお過ごしですか?
私は4月から新社会人として働いています。そのせいで更に遅くなってしまうかも知れませんが、気長に待って頂ければ幸いです。
それでは、始めます。


第5話 昔話

7月5日

 

月明かりが海を照らす。

さざ波すらない海面は月を鏡のように映し、現実味のない世界を演出する。

現に、キングはそのように錯覚していた。

他の艦娘たちは宿舎に戻って既に眠っている。

彼女は、与えられた宿舎から抜け出し、初めての夜を満喫していた。正確には、艦娘になって、だが。

当然、基地の外に出るのは容易ではなかった。夜間の艦娘の外出は禁止されている。

が、彼女は艦娘ではあるが、あくまでもまだ部外者として扱われている。部外者が勝手に外に出ることは許されないが、許可さえ取れば簡単に出れる。

キングは、執務室で書類仕事をしていた上野提督から許可を得て堂々と基地を出た。

サイパン基地、さらに正確に言うとサイパン飛行場のすぐ近くには、オブジャン・ビーチと呼ばれる全長約2キロに渡る長大なビーチが広がっている。

平時であれば、空港のすぐ近くと言うこともあって観光客に人気であるが、有事である今は、人っ子一人いない。

しかし、そのビーチは観光客がいなくなることで、むしろゴミが減り美しさがより感じられるようになっている。

海の中も、やたらに騒ぎながら泳ぐ人間やジェットスキーと言った騒音を撒き散らす機械たちがいないおかげで穏やかそのものだろう。

結局のところ、自然にとっては人間など邪魔な存在なのかも知れない。

ふと、誰かが近づいてくるのに気付き、キングは警戒した。

こんな時間にここに来る者など普通はいないはずだ。巡回中の保安要員に見つかったと言うなら、まぁ別だが。

あるいは…敵か?

結果はすぐに出た。

近づいてきた相手は、キングに向けて語りかけてきた。

「どうです、人の目で見る海は?」

「悪くないわね。海風も今の体だと気持ちいいくらい」

ヴェラ・ガルフはキングの側に来ると、そのままビーチに座り込んだ。

「どうやって出てきたの?」

キングは小柄な少女に尋ねた。少なくとも、今目の前にいるその少女からは『世界最強の洋上艦』のイメージは感じ取れない。

「もちろん、勝手に」

「いいの?それで」

「江田提督から許可は貰ってますから」

「指揮系統が別ならそれでよし…か」

「まぁ、そんなところです。それに…」

「それに?」

「あなたが艦娘として人類側に付く前に話したかったことがあったので」

「なるほどね。今、ここにいるあなたは日本国国防海軍所属のヴェラ・ガルフじゃなく、1人の艦娘、ヴェラ・ガルフということね」

「はい」

「で、話って何?」

ヴェラ・ガルフは暫く水平線を見つめた後に、立ち上がってキングの顔を見つめながら言った。

「あなたは艦娘になる前のことをどれだけ覚えていますか?」

意外な質問と言えば意外だったが、冷静に考えればその質問は予想できたものだった。

今後、実際に戦っていくにあたり過去にどのようなトラウマがあるかを把握しておいた方がいいのは当然の話だ。

が、ヴェラ(彼女がそう呼んで欲しいと言った)の言っているのはそう言うことでないことは明らかだ。

ヴェラは、同じ世界から来たキングと過去を共有したいと考えているのだろう。

ならば、言うべき答えは簡単だ。

「もちろん、しっかり覚えてる。しっかりとね」

「それなら、聞かせてもらえますか?あなたの生涯を」

キングは少し考えたあとに答えた。別に隠す必要もない。

「ええ。それじゃあ、最初から始めますか」

 

私、シーウルフ級2番艦キングは、アメリカはコネチカット州グロトンのジェネラル・ダイナミクス・エレクトリック・ボートに発注され1998年の就役した。

グロトンは潜水艦の故郷と呼ばれる土地で、姉のアレキサンダーはもちろん他の著名?な潜水艦たちもこの地で生まれていることが多い。

特に、世界初の原子力潜水艦SSN-571ノーチラスの進水した場所として非常に有名だ。

また、この施設には潜水艦クルーたちの学校、海軍潜水艦学校が存在し多くの人々が日々ドルフィンマークを得るために切磋琢磨している。

それが、グロトンだ。

私の母港は生まれてから一度も変わらずグロトンのすぐ近くのニューロンドン海軍基地。

そこと海を行ったり来たりするのが私の日常だ。

就役と言ったが、実際に海軍の戦力として正式に動き出したのは1999年のことで、この間に私の評価がなされる。いわゆるPSA(公試後有用性)期間というやつだ。

この時、私に乗艦する就役艦長は私が海軍の一翼を担えるかを確認する試験官の役割も持つ。

この就役艦長ーー名前はジミー・マーシャルのはずだーーは、色々な意味で濃い人物だったと覚えている。

原潜を預かる人間でありながら、命令無視はざらで、機械類よりも自身の勘を頼りに行動し、感情に任せた操艦を行うと言うおおよそ艦長として相応しくない人物だった。

が、彼は少なくとも部下からは絶大な信頼を寄せられていた。

無茶苦茶な操艦の裏に隠された緻密な計算は、私の性能を最大限に引き出し、世界最強の原潜として生み出された私を完璧に使いこなして見せた。

また、彼は何方かと言えば古い時代の指揮官だった。

厳しくも常に部下たちの身を考え、的確なアドバイスでクルーたちの能力を向上させていく。

まさに理想の上司像と言うやつだ。

もっとも、上の人間からすれば使いにくいとしか言いようがない人物だったようだが。

現に、彼の階級は中佐止まりで老練の彼が今後昇進することは無いだろう。

「階級なんざどうでもいい。生涯戦場に居続けるのが私の目標だ」

彼は私にーーと言うより艦長室の壁に向かってーーそう独り言を呟いていた。

そう言いつつも、彼は常にそろそろ昇進したいとゴネていた。今にして思えば、人間味のある艦長だった。

そんな生活が1年ほど続いた後に、彼は2代目の艦長と変わるために私の元を去っていった。

…言い方が悪いだろうか?まぁ、とにかく私から降りた。

その後にやって来たのが、私の最後の艦長であるノーマン・キング・ベイツ少将だった。

 

彼はマーシャル艦長と真逆の性格だった。

命令に忠実で時間にうるさく、呆れる程数字をよく覚えていて、クルーたちですら知らない異様に専門的な数字をスラスラと口から出していた。

操艦も、まさに模範的なものだったが、マーシャル艦長の操艦を経験した後では物足りなさを感じた。

ただし、近くに艦長の義理の弟であるジョン・アレキサンダー・ベイツ艦長が指揮する私の姉、アレキサンダーがいればその限りではない。

ベイツ・サーカスとも呼ばれる2人の連携はまさに驚異の一言に尽きる。

私は潜水艦であって戦闘機ではないと言ってやりたいくらいだ。

キング艦長に変わってから3ヶ月が過ぎた頃、『シーバット』が反乱を起こすと同時に、独立国家『やまと』の誕生が宣言された。

最初はくだらない考えだと思っていたが、いつまでも問題を片付けられずにいる第3、第7の連中を不甲斐なく感じ始めた。

これまでのところ、まともに被害を与えられたのがヴェラ・ガルフ以下イージス艦3隻だけとはどういうことか?

いつからか私は自分が出ることを期待し始めていた。

今考えれば、随分と傲慢な考えだ。

だが、その時の私は自分の力を完璧に過信していた。

そしてその代償を、私は命を持って払うこととなった。

私は死に、アメリカの頭上で輝くはずだったオーロラは忌々しいことに『やまと』の頭上で輝いた。

「…まあ、後のことはお察しの通り。私は『やまと』に沈められて、多分奴はアレキサンダーも打ち倒して先に進んだと思う。

奴の目的が何かは知らないけど、奴がニューヨークに入るのはほぼ間違いないでしょうね」

ヴェラは何も答えず、暗い海を眺めている。

その目は目の前の海ではない、もっと別の海を見ているようだ。

「思い出しているの?あなたも」

ヴェラはこちらを見ることなく答えた。

「似ているんですよ。この海」

「何に?」

「私が沈んだ沖縄の海に」

特に何でもなさそうに呟く。まるで、他人事のようだ。

が、その奥には何か真意がありそうだ。

キングの口から思わず疑問の声が出た。

「どうして、あなたは日本の側…いえ、人間の側に付くの?」

ヴェラはその質問に答えず、キングに聞き返した。

「逆に聞きますが、あなたは何故そんな事を聞くのですか?」

キングは答える。

「あなたは自分が何に沈められたか覚えているでしょう」

「ええ」

「あなたは『やまと』に、日本人に沈められた。多少なりとも憎しみはあるでしょう?」

「…ええ。言いたくはないですが、あなたには言いましょう。確かに私は彼らを憎んでいます。正確には『あちらの世界』の日本人をね。

ですが…」

「なに?」

「憎んだところで何の意味もないでしょう。だいたい、私たちは戦闘艦。戦場で沈むのなら本望。そうではないですか?」

キングは答えに窮した。だが、それでも…。

「それでも、私は憎むことをやめられない。愚かなことだとは思っている。けど…」

あの海で、私以外にも多くの人間が死んだ。今でも簡単に全員の名前を思い出すことができる。私は彼らが大好きだった。私の短い人生を彩ってくれた彼らが。

だからこそ私を殺した以上に彼らを殺した『ヤツ』を…

「許すことなどできない」

隠そうと思っていた憎悪が臆面もなく出てしまった。

キングは慌ててヴェラに言う。

「…ごめんなさい」

「いえ、あなたのその感情は私にもよく理解できます。私も、もしかしたらそうなっていたかもしれませんから」

「何か特別なことがあったと?」

キングの問いに、ヴェラは微笑みながら答えた。

「すぐに分かりますよ、あなたにも」

ヴェラはそれだけ言うと、キングに軽く会釈して闇の中に消えていった。

残されたキングは、それからしばらく水平線を見続けた。

月明かりに照らされた水平線と空の境はほとんど分からないほど同化している。

大気が比較的綺麗な太平洋の空は都会よりも綺麗な星空が見えると言うが、どうやら本当のようだ。

彼女は心が鎮まって行く気配を感じながら、一人呟いた。

「私にも分かるかな?」

闇に沈んだ海は何も答えなかった。

 

少女たちが夜の砂浜にいる頃。

上野渥巳は執務室で書類を片付けていた。

秘書艦の曙はすでに床に就いている(書類くらいちゃっちゃと片付けやがれと散々罵倒された)ので、今は1人だ。

昼間の出来事の事後処理や江田提督との会談、それに転生艦であるキングの対応などで忙しかったため、普段の業務が後回しになったのは仕方がないことだろうが、それがただの言い訳に過ぎないことを彼はよく理解していた。

彼が今さばいている書類の大部分は昼間の不審物の件だ。

最初の報告で、爆発物でないことは把握していたが、それ以降のことを把握したのは今から数時間前のことだ。

報告書に書かれていたのは、大まかに言うと以下の通りで、

1.微量の放射線を発している。

2.放射線を発しているものの、人体に影響はなく、危険性はない。

3.不審物は金属製(その金属の詳細は不明であるが恐らくは鉛であると予想される)であり、『何か』が入っている(『何か』の中に放射性物資の可能性も含まれる)。

4.そしてその『何か』を見るための設備はこの島にはない。

と、ここまでで改めてみると、放射線を発していると言う以外は特に重大な問題ではないように見えた。

が、不審物の中の『何か』が、彼にはどうしても気になった。

そもそも、この不審物の詳細は分かってきたものの、その出現経路が未だに判明していないことも気になる。

いくら数千の軍人や軍属の人々がいるとは言え、こんなものを持ち込める人間はそう多くない。

そのため、だれが持ち込んだかは直ぐに分かると思っていたのだが…。

不審物の発見から数時間が経った現在も保安部からの報告は来ない。

まるで、突然その場に現れたようだ。

彼には確信があった。

これはただの不審物ではない。

彼の確信はよく当たる。

それは、彼が子供の時からの才能で、それは観察力によって生み出されたものであった。

と、言ってもその才能が開花したのはそれから少し時間が経ってからだったが。

 

少年、上野渥巳は1953年に兵庫県姫路市で産まれた。快活な少年で、観察力に長けた彼は、この時から周りからの評価も高く、クラスのどころか学校じゅうの人気者だった。

彼の父親は時代が時代故に元軍人で、満州から命からがら帰って来た帰還兵の内の1人だった。

そんな父親に育てられたためか、彼はいつからか世界を知りたいと考えるようになっていた。

そして、1975年。大学を卒業した後に見聞を広めると言う名目で海外へと飛び立った彼は、そこで世界の現実を見た。

いわゆる第三世界と呼ばれる発展途上国に行った彼は、日本がどれほど恵まれているかをよく理解した。

アフリカでは多くの人々が飢えに苦しみ、当時はまだアパルトヘイトが根強かった南アフリカでは毎日のように警官隊と黒人との対立が続き、何十人もの死者が出ていた。

しかし、彼が最も衝撃を受けたのは、これらの事件(あるいは虐殺とも取れるこの警官や軍人の過剰な対応)が、日本や他の欧米諸国でほとんど、あるいは全く報道されていない点だ。

第一世界とも称されることがある先進国は、自国の権益にしか興味がないように見えるこの現状に、彼は微かな失望を感じていた。

1979年。4年間いたアフリカから東南アジアに向かった彼は、そこでも日本にいた頃には知り得なかったいくつもの事実を知った。

イスラム過激派たちによる独立運動である。

自由アチェ運動やモロ民族解放運動に代表されるこれらの闘争は、やはり日本ではほとんど聞くことのない話だった。

当時の日本での海外ニュースの報道はと言えば、スリーマイル島原発事故やイギリスでのサッチャー首相の就任、朴 正煕大統領の暗殺、ウィーンでの第二次戦略兵器制限条約(SALTⅡ)の調印、ソ連のアフガン侵攻などで、第三世界のニュースなど全くと言っていいほどない。

1980年。

彼は日本に帰国した後、第三世界に支援を行なっているNGO法人に入った。

それが、彼のそれからの運命を決めたと言えるだろう。

 

NGO法人へと入った彼は、再び東南アジアへと飛んだ。

少年、上野渥巳は青年へと成長していた。

持ち前の観察力の高さはこの頃も健在で、同僚たちや現地の人々から随分と重宝されていた。

彼が活動していた国は、ほんの数年前までは地上の地獄のようだったカンボジアで、当時はカンプチア人民共和国と呼ばれていた。

ポル・ポトによる原始共産制によって多くの知識人はもちろん、大人たちまで失ったカンボジアは疲弊しきっており、倒されたとは言え、まだまだ影響力の大きなポル・ポト派の残党勢力によるゲリラ戦により復興は遅々として進んでいない状態だった。

当時のカンボジアは控えめに言っても危険しかない国だった。

そもそも、カンボジア・ベトナム戦争によって誕生したヘン・サリムを国家元首とした親越の新生カンボジア政府は、国際社会からは認められていないと言っても過言ではなく、日本政府も前政府である民主カンプチアーーつまり、ポル・ポト派に代表されるクメールルージュを正当な政府として認識していた。

国際的支援などは、ほとんど、あるいは全くと言ってないそんな国で彼は活動を続けた。

危険であるからこそ、自分たちのような支援者が協力していかなければならないと、彼は半ば錯覚していた。

彼の当時の精神状態は、今にして思えば異常をきたしていたように感じる。

世界の現状を目の当たりにし、それを変えたいと彼は若いなりに考えたのだ。

それが、恵まれた国に生まれた者特有の傲慢さであることなど、彼は全く思っていなかった。

カンボジアでの活動は、2年続いた。

きっと、あの事件がなければ彼はまだカンボジアの発展に貢献し続けようとしただろう。

1982年の6月18日。

2年間この国で生活したが、この蒸し暑さに慣れることはないだろうと、考え出したのはいつからだろうか。

もうそれが分からないほど、この考えがいつも頭を過っている。

そして、それでもこの国で暮らし続けるのは意地なのだろうか?

今、彼ーー上野 渥巳がいるのはカンボジアの首都プノンペンから北西に130キロほどの地点の未舗装の田舎道をどこのメーカーかすら分からないほどオンボロで改造が施された継ぎ接ぎだらけのトラックの幌に囲われた荷台だ。

座り心地がかなり悪く、トラックがよく跳ねるせいで尻がかなり痛い。

彼の正面には同僚の鈴木 茂が隣の現地スタッフと談笑していて、彼の隣には進駐しているベトナム軍の兵士が、ソ連から給与AK-47を肩に担いで座っている。

トラックの前を見れば、ベトナム軍のUAZ-469輸送トラックが重機関銃で辺りに睨みをきかせ、トラックの後方を見れば彼らの乗っているオンボロトラックと同様の車両があと2台あり、最後尾にはウラル-375D輸送トラックが20名のベトナム兵を乗せて突っ走っている。

この国の治安の大部分は、ベトナム軍によって保たれている。

保つ、と言うのはあくまで都市部のみの話で、ここのような田舎はと言うと周辺のジャングルに隠れるポル・ポト派のゲリラ兵たちの恐怖にいつも晒されている。

ましてや今走っているのは物資を満載しているトラックの車列だ。

襲われないと考えるほうがおかしい。

ベトナム軍が彼らの護衛に協力してくれたのは、彼らがカンボジアに支援してくれる貴重な人材だからだ。

上野たちの存在は、カンボジアにとって重要なものとなっていた。

彼はそれをとても誇らしく思っていた。日本にいた時は決して得られない感情だ。

だから辞めるわけにはいかない。帰るわけにはいかない。

彼の意思は固かった。

運転手のベトナム兵がなにやら喚き始めた。鈴木の隣のカンボジア人の現地スタッフが小窓を開けてなにやら応対している。

鈴木が不安そうにないこちらに尋ねてくる。

「何かあったんですかね?」

「さぁな。この国じゃよくあることだ」

「落ち着いてますね。こっちはビビって小便漏らしそうなのに…」

鈴木は三ヶ月前に前任者と交代でやってきた新人だ。若いながらもよくやってくれているが、この通り不安を簡単に吐き出してしまう少々頼りない一面もある。

「2年もいりゃあ慣れてくるんだよ」

上野は軽く返答したが、内心はかなり不安だった。何度もこうやって物資を運搬していたが、これまで護衛の者があんなに興奮してまくしたてるのは初めてのことだった。

現地スタッフは運転手との話を終えてこちらに説明を始めた。

「先遣のバイク部隊からの連絡です。この先の橋が数日前の大雨の影響で落ちてしまったとのことです」

「橋が落ちた?」

鈴木が悲鳴に近い声を上げた。

この辺りがポル・ポト派のゲリラ兵の巣になっていたのは有名な話(まぁ、ここのような田舎は大体そうなのだが)だ。

上野は冷静な声を装って尋ねた。

「で、先方の結論は?」

「後2キロほど進んだところに迂回路があるそうです。そこから落ちてない橋の所まで行くそうです」

「橋の場所は?」

「ここからですと20キロほどだと思います」

「その20キロの行程はまさか…」

「残念ながら、ゲリラ地帯を通過することになります」

鈴木が見て分かるほど顔を青くしている。隠しているつもりだが、上野自身も青くなっているかも知れない。

どちらにせよ、最悪の事態であることは変わらない。ただでさえ危険な物資輸送がさらに危険になった。

鈴木があんな顔をするのもよく分かる。

トラックの車列は砂埃を巻き上げながら田舎道を駆け抜ける。

突風が砂塵でトラックを覆った。

 

20分後。

先遣のバイク部隊が、橋に到着した旨を伝えてきた。

「で、橋までの安全確認は?」

上野は現地スタッフに尋ねた。

「少なくとも彼らが通過する間、襲撃はなかったそうです」

「先遣隊を襲撃するバカはそうはいないだろう?」

「確かにそうですが…」

彼が言わんとしていることは分かる。ここまで来た以上、引き返すわけには行かないのだ。

それからさらに数分後、彼らの車列は予定されていた迂回路へと入った。

車列は時速80キロに増速し、それまでかなりのほほんとしていたベトナム兵が緊張感のある表情へと切り替わった。

それと同時に、鈴木の顔は一層青くなり、傍目から見ても心配になるほど呼吸が早くなっていた。

現地スタッフの体も、微かに震えているように見える。

現在のスピードではゲリラ地帯を通過するのに約40分かかる。きっと人生で最長の40分になるだろう。

迂回路に入った後は誰も喋らなくなった。聞こえてくるのはオンボロトラックの騒々しいエンジンが叫ぶ音と、それによって駆動する4つの車輪が路面を削りながら走る走行音くらいだ。

息が詰まる恐怖の時間を過ごしながら、上野は妙に冷静な自身の頭に疑問を感じていた。

恐怖はある。いつ飛んでくるかも分からない銃弾の恐怖はもちろん感じているし、銃弾を受けて感じる苦痛に対する恐怖は尋常ではない。

だが、頭は冷静そのもので、どのタイミングで襲撃を受ける確率が高いかを真面目に考えている。

10キロほど、つまり道の途中での襲撃か?あるいは橋が近付いた瞬間か?それとも、橋を渡っている途中か?

まるで他人事のように考えている。

1つわかることがあるのは、襲撃が間違いなくあると言うことだ。彼の予想はよく当たる。

悪いことは特にそうだ。

「今回は外れてくれよ…」

小声で呟いたその刹那。

過去何回か聞いたことのある珍しい風切り音が聞こえてきた。

彼がそれに気付き、対応しようとしたその時、後方を走っていたウラル・トラックが火を吹き、爆発を起こした。

 

爆発による衝撃波を受けて上野の体は宙に浮きそうになったが、初動が早かったため、なんとかトラックの手摺に捕まることができた。

が、同乗者はそこまで対応はできなかったようだ。

鈴木は叫び声を上げながら宙を舞い、現地スタッフは恐怖に顔を歪めながら同じように宙に浮く。

ベトナム兵はどこかに頭を打ち付けたようで額から血を流している。

時間はゆっくりと動いているように見えたが、それも一瞬だ。

時間が再び動き出し、鈴木と現地スタッフが荷台の床に体を打ち付け、ベトナム兵は苦痛に呻きながらも何とか立ち上がった。

上野自身も、床に体を投げ出された体勢になっている。

上野は立ち上がり、後方を見た。

炎上するウラル・トラックから生存者たちが脱出していく。生存者と言っても火達磨になり悲鳴を上げる者ばかりで襲撃に対応できる兵士は一人もいないようだ。

前方のUAZの重機関銃が重々しい発砲音を発し始めた。12.7ミリ弾をジャングルにばら撒いている。

重機関銃が発砲するとほぼ同時に、ジャングルから銃声と共に何十発もの弾丸がこちらに向けて発砲された。

上野が伏せると同時に幌を貫いて弾丸が飛んできた。

運悪くそのタイミングで立ち上がり、銃弾を受けた鈴木が苦悶の表情を浮かべながら床に倒れ込む。

外からベトナム語で何やら怒号が聞こえ、反撃の銃声が始まった。それを聞いた車内のベトナム兵が幌をナイフで切り裂き穴を開ける。

その兵士が厳しい口調で何事か叫ぶ。

出ろ、と言っているのはすぐに分かったので取り敢えず無事な現地スタッフに先に行くように合図する。

相手はすぐに頷き、幌の穴から急いで脱出していく。ベトナム兵がこちらにも脱出するように指示しているようだが、上野は先に行くように顎で刺す。

ベトナム兵は一瞬考えた後、何事か言うと穴から抜け出して行った。

出ていくのを見た後、彼はすぐに鈴木の元へ向かった。

鈴木は荷台の真ん中あたりで倒れていた。

「鈴木!無事…」

彼はそれ以上言えなかった。鈴木の瞳孔はすでに開いていたからだ。

彼は急いで手を合わせ、簡単な祈りを済ませた後、彼の遺品になりそうなものを回収し、トラックから脱出した。

UAZが爆発したのは彼が脱出し、近くの岩場に隠れたすぐ直後だった。

木っ端微塵に吹っ飛んだトラックの残骸が、炎を帯びた弾丸となり、彼のすぐ横の地面を抉る。

その間も銃声は止まることを知らず、それによって増える負傷者の悲鳴や呻き声が銃声の合間に聞こえる。

上野が潜んでいる岩場に、ベトナム軍の通信兵が転がり込んできた。

通信兵はこちらを見て驚き、56式自動歩槍を構えかけたが、こちらが誰かすぐに気付いてホッとしたように岩にもたれた。

「無事でしたか…。よかった」

「あっちはどうなってるんだ?」

「マズイことになってます。私がここに来たのは、この場から離れて味方に襲撃の証拠を証明するためです」

通信兵がビデオカメラを取り出した。

上野はそれを聞いて頷きかけたが、すぐに気付いた。

「この場から離れる?」

「ええ、この場から逃げるんです」

通信兵は苦悩に満ちた表情を浮かべた。が、それでもその目には決意が浮かんでいる。

通信兵は岩陰から少し顔を出し、道路での戦闘に少し目を向けた後、上野に言った。

「すぐに味方は鎮圧されます。急ぎましょう」

「急ぐって言ったって、どこに行くんだ?」

「戦闘終了後に奴らがこの辺りを見回るかもしれない。そうなったらもう間に合わない。そうなる前にとにかく離れるんです」

「しかし…」

上野がなおも食い下がるので通信兵は少し厳しい口調で言った。

「彼らの犠牲を無駄にしないためにも逃げなければなりません。あなたが1人ということは、鈴木さんはもう亡くなっているのでしょう?」

「…」

「彼の死を、日本のご家族に伝えるのはあなたしかいないことをよく自覚してください」

「…分かった」

通信兵はその言葉を聞くと、再び周囲を見渡し、上野に後についてくるように指示を出した。

彼はその指示通りに通信兵の後をついていく。

銃声が鎮まりつつある道路を背に、2人はカンボジアのジャングルの奥地へと足を踏み入れていった。

 

襲撃から3時間後。

襲撃現場にたどり着いたゴ・ヴァン・タン大佐は焼け焦げたウラル・トラックを見て苦々しい思いを感じていた。

物資輸送に従事していた30人のベトナム兵と10名のカンボジア人、1人の日本人を喪い、積んでいた医療品や食糧が根こそぎ奪われていれば、誰でもそんな想いになる。

彼は舌打ちしながら部下に尋ねた。

「生存者はいないか?」

「残念ながらこの場にはいません。襲撃者の詳細は不明ですが、おそらくポル・ポト派のゲリラ兵であると予想されます」

「そうだろうな。…この場はいないとはどう言うことだ?」

部下の妙な言い回しに気付いたゴは、相手の顔を見て言った。

「上野氏とミン兵一の遺体がありませんでした。それと、道路脇の岩場からジャングルに向かって足跡が確認されています。これらを総合的に考慮した結論として、この2名の生存が予想されます」

「そう言ったことは下士官レベルでして欲しくないのだがな…。まぁ、いい。その足跡が敵の偽装工作である可能性は?」

「可能性は十分にあり得ます。ですが…」

「なんだ」

「今回の襲撃はお粗末極まるものです。この襲撃者がそこまで頭が回るとは思えません」

ゴは、部下のこの考えを吟味した。悪くない考えではある。説得力があるし、現場状況とも整合性が取れている。だが…。

これ以上、部下を失うようなことがあればこちらのキャリアにも関わる。罠である可能性を考慮すれば、簡単に部隊を動かせない。

だからと言って生存者がいる可能性を捨てることもできない。

ならば。

「…クラックスとか言う傭兵部隊が確かいたはずだが?」

「はい。この辺りで活動中のはずですが…」

「彼らに生存者探しをして貰おう」

「よいのですか?我々が動かなくて」

「諸君らを危険に晒す訳にはいかん。が、しかし生存者も見捨てる訳にも

いかん。それなら、彼らのような金で動く者たちを使うのが利口だ」

「…分かりました。クラックスに生存者の救助を依頼します」

「そうしてくれ」

ゴは、それだけ言うと部下の元を離れ、目の前に広がるジャングルを見つめた。彼の頭の中にあるのは、本国での安全な後方勤務に就く未来の自身の姿だけだった。

 

ベトナム軍内に侵入している『鼠』からの連絡により襲撃が不首尾に終わったことに気付いたクアン・ユーは苛立ちながらその報告に対する対応策を考えていた。

だから素人に仕事をさせたくないのだ。奴らはすぐに適当な仕事で済ませようとする。

生存者が存在するとなると非常にマズイ。我々がこの襲撃に関わっていることが知られることは良くない。特に、日本人をこの襲撃に巻き込んだことは。

現在日本政府は、我々民主カンプチアを正当な政府と認識しているが、かつて行った知識人の粛清をよく思っていないマスコミたちが、少しずつではあるが日本国内でこの事実を報道しつつある。

あの国の人間は人権や人命とやらにやたらとうるさい。そして、日本の政府は国民感情に左右されやすい。

そこに日本人がこちらの襲撃で死亡した証拠が出ようものなら日本政府の大々的な政策変更が行われかねない。

それだけは避けなければならない。何としてでも抹殺せねば。

「…ユアク」

「何でしょうか?」

部下のユアク・ヤシスが陰から姿を現した。クアンは彼に指示を出す。

「生存者を排除する。あの辺りで活動中の部隊はいないか?」

「穴熊が活動しています。彼らにやらせますか?」

「あぁ、彼らなら問題ない。指示を出してくれ」

「分かりました」

ユアクは頭を下げるとすぐに部屋を出て行った。

それを見届けたクアンは、中国の古いタバコを取り出して火を着けようとしたが、マッチがないことに気付いてやめた。

掘っ建て小屋の窓から見えるジャングルは濃霧に包まれつつあり、霞んだ緑色にしか見えなかった。

 

自動車の通行により轍が出来た道を、V-100 コマンドウが疾走していた。車体にはどこの国に属しているかを示す国籍マークの代わりに4つの端が光り輝く十字架を咥えたオウムが描かれている。

車体の色は何度となく塗り替えられた跡がある。それは、この車両が何度となく、あらゆる場所で活動していたことを表していた。

現在のカラーリングはジャングルに合うグリーンの迷彩色だ。

カンボジアの田舎道を突っ走るコマンドウの車内には陽気な空気が流れていた。

持ち込んでいるラジオからはこれまた陽気な歌が流れており、車内の空気をさらに穏やかにする。

狭い兵員収容部分で他の乗員と共に体を縮こませながら座っていたグレラ・マーティは、ラジオから流れる歌に合わせてリズムを取っていた。

グレアはカンボジアに展開しているクラックスの部隊長を勤めていた。

クラックスは、オーストラリアに拠点を置く傭兵集団である。コマンドウの車体に描かれている南十字星を咥えたオウムのマークは、彼らクラックスのシンボルだ。

クラックスのリーダーを務めるオールド・ドッグことベルズ・オービスはオーストラリア軍に所属していた退役軍人だ。

第二次大戦を経験した老兵は大戦中と違い、限られた軍事費が原因でつまりは現在の戦力を維持できなくなったために、退役を余儀なくされた。

もちろん、彼はその事を恨んでいるわけではない。彼の愛した祖国の判断は合理的で正しい。彼が上層部の人間でも同じことをしただろう。

だが、彼はもう普通の生活に戻れる人間ではなかった。彼の人生は軍歴とほとんど同じで、彼の根底を構成するのは硝煙漂う戦場の空気に他ならなかった。

故に、彼は普通の生活に馴染めず、やがて祖国を離れ傭兵として生活するようになった。

いくつもの戦場とその後方を行き来していた彼に、やがて仲間ができた。彼はその仲間とともに後にクラックスと呼ばれるようになる傭兵団、サウス・クロスを立ち上げた。

彼らは雇われる都度に評価を上げ、それと同じように人員が増え、資金が増え、信頼を得た。

グレラがこの傭兵団に入ったのはちょうどその頃だ。彼女もまた、オーストラリア軍に一時期所属しており、その時からオールド・ドッグの噂は聞いていた。

彼女は軍規に縛られない自由な兵士達に憧れを抱いていた。そしていつか、彼らと共に戦いたいとも思った。

もちろん、現実はそんなに甘くはない。彼らは、彼女が思っているほど自由ではないし、とにかく危険が多かった。

が、グレラは傭兵という響きにある種の幻想を抱いていた。

そして、その幻想を持ったまま、すでにクラックスに名称を変えていた傭兵団に入ったのだった。

 

喧しい通信機の音で、彼女は現実へと引き戻された。

部下の1人が、通信機に返答する。

「こちらクラックス」

通信機からかなり音質の悪い声が聞こえてきた。

『クラックス、こちらHQ。追加のオーダーだ。エリアビクターにて救出案件が浮上。ベトナム兵1名と日本人1名の救助を要求する』

救助要請だと?そんなものをこちらによこすとは…。彼女は部下に変わり返答する

「こちらクラックス。現場指揮官のグレラ・マーティだ。詳しい状況を説明しろ」

通信の相手は一瞬黙った。女が返答したことに驚いたようだ。グレラは口角を上げて笑みを浮かべた。

こういった反応を彼女はこれまでに何度も経験していた。最初こそ腹を立てた彼女だが、やがてこの業界ではこれが当たり前のことであることが分かったので、彼女はむしろこの反応を楽しむことにした。

残念なことに相手はすぐに立て直し、彼女が楽しむ機会はすぐに失われてしまった。

『3時間17分前にエリアビクター・ポイント4でポル・ポト派残党と思しき部隊による襲撃があった。襲撃されたのは日本人支援者による物資輸送部隊。積荷は医療品及び食料。兵員輸送トラック2台と武装トラックで護衛していたが、全滅したらしい。が、襲撃者は多くの証拠を残しているため、そこまでの手練れではないと上層部は考えているとのことだ。

また、日本人とベトナム人の2人が生存している可能性がある。

クラックスへのオーダーはこの2名の救助だ。

報酬は言い値で構わない。了解したか?』

通信士はひと息に説明した。聞きたいことは山ほどあるが、時間がないようなので1番重要なことだけを聞いた。

「追っ手はいるのか?」

『不明』

彼女は抑えることもなく舌打ちをした。それでは手の打ちようがない。彼女は仕方なく次の質問をした。

「救助対象はどの方向に移動したと思われる?」

『ビクターからウィスキーへ向かった模様。予想位置はエリアウィスキー・ポイント10』

彼女は隣で待機している部下に地図を出すよう指示した。

地図にはあらかじめエリア分けされ、なおかつ複数の数字が書かれている。この無線が傍受されていても、この地図を見なければ正確な場所が分からないと言うわけだが、そんなにうまくいかないことを彼女はよく知っていた。

襲撃位置から予想位置まで5キロほどだ。

素人たちにしてはペースが速い。ジャングルを歩くことに慣れた人間なのだろう。それに、1人はベトナム兵だという。ならば、多少は偽装工作をして移動しているだろう。追っ手がいたとしても追い付くのは時間がかかるはずだ。今から動けば十分間に合う。

彼女はある程度のプラン建てを頭の中でし、無線の向こうにいる相手に言った。

「了解した。報酬は成功後に交渉する」

『前金は良いのか?』

全く、何と無礼な奴だ。彼女は舌打ちの代わりに言った。

「我々の仕事に不満があるか?」

『い、いや、そう言うわけでは…』

相手は焦ったように言葉を発した。

彼女は焦った相手の姿を想像し、笑みを浮かべた。ざまあみろ。

「我々は確実に仕事をこなす。それだけの実績は残したつもりだが…?」

彼女はそれだけ言うと通信を切った。話はもう十分だ。

隣にいたゼン・アンクル・グランサーが聞いてきた。

「良かったのか、グレア?」

彼女は頷きながら老練な部下に答えた。

「勿論よ、アンクル。私たちにやれないことなんてないわ」

老兵は苦笑したようだった。

「何がおかしいの?」

「いや、なに。あんな小さい子だったのが随分と成長したと思ってな。いいだろう、リーダー。命令を出してくれ」

グレアは不満そうな顔をしたが、すぐに動いた。

「聞いた通りよ。次の道を左折、エリアウィスキーに向かう」

『Yes ma'am』

襲撃地点から2キロほどのジャングルの中に、数名の男たちが潜んでいた。彼らはポル・ポト派に所属する軍人たちだった。

彼らの仕事はーー仕事というほど真っ当ではないがーーありとあらゆる非合法な行為だった。強奪、拉致、殺人、密売、拷問などなど、少なくとも普通の人間ができる行為ではない。

しかし、彼らはそれを仕事にしている。

感情が無いわけではない。叫び声を聴けば耳を塞ぎたくなるし、命乞いをされればそれに応えたくもなる。

だが、彼らはそれをしない。

無慈悲に、そして確実に仕事をこなす。それが、彼らに与えられた命令だから。それが、彼らの仕事だから。それしか、彼らは知らないから。それしか、彼らはできないから。

感情を押し殺し、慈悲を踏み潰し、人間らしさを削ぎ落とした。

それが、彼ら『穴熊』だった。

『穴熊』リーダーのヴィスク・ガルマラップはその中では比較的人間的であったが、部下たちと同じくらい仕事に忠実だった。

今日の仕事は村の襲撃だった。最近、医療品が届いたばかりの小規模な村で、自警団程度の警察力しかなく、生き残るために必死なポル・ポト派の彼らがその村を襲わない理由はなかった。

仕事は短時間で終わった。彼らが、63式自動歩槍を見せるだけで村の人々は医療品や金品を差し出して来た。

弾を使わずに仕事が片付くのはいいことだ。弾を無駄にせずに済む。

それらの戦利品を回収した彼らは、村人をさらに脅し追いかけて来たり、連絡をしないように釘を刺し、それがただの脅しでないことを証明するため、近くにいた男の足を撃ち抜いた。

村人たちが震え上がる光景を、ヴィクスは愉快な気持ちで見ていた。彼にとっては、それも戦利品の1つだ。

それだけすると、彼らは撤収した。時間をかけず、最高の成果を挙げる。

ジャングルの中を静かに駆け回る彼ら『穴熊』の真骨頂だ。

彼らの元に、次の仕事が舞い込んで来たのはそんな一仕事終えてからほんの10分後であった。

 

「生存者の抹殺?」

『そうだ。相手はベトナム兵と日本人の2名だ。予想位置は君たちが襲撃した村から南に3キロほどの位置だ。やれるな?』

彼らの指揮官であるクアン・ユーの部下ユアク・ヤシスが、無線越しに無茶な要求をして来た。

予想位置が非常に大雑把で、はっきり言って見つかりそうにない。しかし、相手が求めている言葉は、正直な返答ではない。

「やれます」

ヴィクスは答えた。その返答以外に選択肢はない。

ヤシスはその返答に満足したらしく、重要な情報を付け加えた。

『敵の装備は自動小銃だけだが、どうやら救出部隊がそちらに向かっているらしい。クラックスと呼ばれる傭兵部隊で、中々の手練れのようだ。奴らより先に標的を見つけ出して始末してくれ。以上だ』

クラックスの噂はよく聞いていた。優秀な指揮官に率いられた歴戦の強者たちの部隊だと聞く。

そんな相手とやり合えというのか。

いや、あくまでも奴らより速く生存者を仕留めればいいだけの話だ。

地の利は我らにあるのだ。恐れることはない。

彼は、後ろにいる部下たちを見た。特に何も感じることがないようで、全員が無表情で待機している。

彼らは無言だが、言いたいことがヴィクスにはすぐに分かった。

『命令を』

彼はその要求に応えた。

「仕事だ。ベトナム兵と日本人を始末する」

『了解』

部下たちの返答は至極簡単だったが、ヴィクスに対する絶対的忠誠が感じられるものだった。

ヴィクスは部下たちに軽く合図をし、ジャングルの木々に紛れて消えた。

 

蒸し暑いこの気候をここまで恨めしいと思ったことは一度もない。

上野はジャングルの中を歩きながら考えた。

襲撃からすでに3時間半。つまり命辛々逃げ出し、前を歩くベトナム兵を追いかけてこのクソ暑いジャングルを草をかき分け、何百匹もの虫を払いのけ、何度となく細い川に足が浸かり、追手の恐怖を常に感じながら味方との連絡を一切取らずに3時間半歩いたことになる。

一応、抗マラリア剤は打っているものの、それ以外にも蚊が媒介する病原菌は幾らでもある。蚊に刺されるのはこれ以上避けたいところだが…。

現状ではとても避けれそうにない。

取り敢えずの所、彼らはゲリラの支配地域を抜け、何とか治安の安定している場所を目指していた。

治安が安定していると言うことは、この国にとってベトナム軍がいると言うこととほとんど同義であることは言うまでもないことで、だからこそ彼らはそこに向かおうとした。

が、彼らの逃避行が簡単に終わるものではなかった。

まず、そもそも治安の安定している都市自体がかなり遠かった。

首都から130キロも離れたこの辺りは僅かな地方都市と、それを取り囲む村々で構成された地域が多い。

村の1つ1つに、ベトナム軍が進駐するわけにも行かないので、村の多くは自警団以上の警察力は無いも同然で、安全もクソもない状態だった。

そのために、彼らは襲撃地点から数十キロ先の地方都市へ向かわねばならなくなった。

それも、ただの数十キロではなく、ゲリラによって支配されているジャングルを徒歩で向かわなければならないのだ。

あまりにも困難な道のりだ。はっきり言って現実的ではない。

が、彼らとしてはやるしかない訳だ。

生きている以上、簡単にくたばってやる気はない。

それに、彼らには生きる理由があった。上野は鈴木の死を家族に伝えるため、ベトナム軍の彼、ミン兵一は襲撃者の素性を明かすために。彼らは生きて帰らなければならない。

そうでなければ犠牲者たちに申し訳が立たない。

また川を渡った。水音がジャングルに響く。

「もう少し静かにお願いします」

ミン兵一が上野を方を見て顔をしかめつつ言った。

上野は小さく謝罪するだけしたが、ミンの顔に疲労の色が浮かんでいるのが分かった。

この3時間半の移動中に、2人はそれぞれのことを話し合った。

ミンはベトナムの北部、中国との国境付近の小さな村で生まれたという。家族は祖父と両親そして4人の兄妹がおり、ミンはその次男にだった。長男は村の畑を継ぐ予定で、次男であるミンは家庭の収入源となるために村を出て、陸軍に入隊した。

祖父は、英語が堪能でミンにそれを教えていた。今思えば、軍に入ることを想定してのことだったのかもと、ミン自身は回想している。

どちらにせよ、彼の英語はある程度役に立った。通信兵となっているのも、その辺が関係しているだろう。

ミンが軍に入ってから2年後、カンボジア・ベトナム戦争が開戦した。彼の配属されていた部隊も、その動きに合わせてカンボジアに進駐し、幾つかの戦闘を経験し、現在に至るという。

一方の上野も、それに勝るとも劣らない人生を歩んで来た訳だが、その話を聞いたミンは半ば呆れながら聞いていたらしく、時々、「馬鹿だな、あなたは」と小さな声で漏らしていた。

2人の距離感は、この3時間半でかなり近くなった。共に協力し合う戦友、とまでは行かないが、それに近い関係が築けていた。

先程の注意も、それの賜物だと言える。それまでは、もっと命令に近いものであったことを考えれば十分な進歩だ。

が、それ以上にこの2人がここで来れたのは、やはり2人ともジャングル慣れしているからだろう。

ミンは深いジャングルであるベトナム北部の生まれであり、幼い頃からその辺りを散策していたので、こう言った場所はよく慣れていたし、上野も世界中を回っていた頃にいくつものジャングルを歩いて来た。

そう言う面では、彼らはこの逃避行に極めて向いていたと言えたが、流石にそろそろ限界が近くなって来た。

あたりも少しずつ暗くなって来ており、これ以上歩くのは本来極めて危険だが、今の彼らは旅行者でも遭難者でもない逃亡者である以上、簡単に休むとは言えなかった。

それから更に30分歩いた頃、ミンが立ち止まった。

「どうした?」

上野は彼に聞く。

ミンは無言で少し先の岩場を指差した。上野はその方向に目を向ける。

ミンが何を指差していたかはすぐに分かった。

岩場にはちょうどいい大きさの洞窟があった。それも、この場所からでなければ岩や樹木たちが邪魔をして見えないような場所にある。

ミンが言わんとしていることはすぐに分かった。

「あそこで休むのか?」

「そうです。あそこなら外から簡単には見つからないし、見張りもしやすい。休む場所としては絶好の場所でしょう」

2人はそれ以上何も言わず、その穴を目指して岩場を登っていった。

疲労が溜まった身体にはキツイ登りだが、10分ほどの格闘でその穴まで来ることができた。

その穴は水の浸食によってできた洞窟のようで、外のジャングルより湿度が高いように感じられたが、中は非常に涼しかった。

後から入って来たミンが、洞窟の外を眺める。どうやら、安全かどうか確認しているようだ。

ミンはいくつかの方向から見た後、満足したようで奥の方に入って来た。

「ここなら一晩くらいは安全に過ごせるでしょう」

「そうだといいがな」

「…心配なのは分かります。私も同じですから。ですが、ここより安全な場所なんて簡単には見つかりませんよ」

ミンの言葉はおそらく正しい。この洞窟以外にも、いくつそれに類するものを見て来たが、どれも安全に過ごせるとは言い難いものばかりだった。

ここは、ミンの言うことを信じて一休みする方がいいだろう。

上野はちょうどいい高さの岩を見つけてそこに座った。ズボンに結露した水滴が染み込んで来る。

彼は慌てて立ち上がったが、すでに手遅れであることはシミのついたズボンを見て分かった。

舌打ちする彼を尻目に、ミンはポケットに突っ込んであった地図を取り出しそれを吟味し始め、やがて上野を呼び寄せた。

「私たちがいるのは、ここです」

指差された位置はWと12の交点から少し離れた位置だった。ミンの指はそこから動き、やがてクメール語で書かれた都市に行き着いた。

「私たちの当初の目的地であるプルサットがここ。距離にしてザッと40キロで、ポル・ポト派のゲリラ地帯の向こう側です」

「嬉しくない情報ありがとう」

上野はミンに嫌味を言ってみたが、ミンはそれを難なく受け流しながら続けた。

「いえいえ、知っていないと困る情報ですから。それは置いておくとして、我々の今後の動きを考えなければなりません」

「そうだな」

「まず、お分かりかとは思いますが、我々がベトナム軍に助けを求めにいくことは現実的ではありません。たった2人で、しかも1人は正規の訓練を受けたことのないド素人の2人で、経験豊富なゲリラ兵数百人が隠れるジャングルを突っ切るなんて正気の沙汰じゃない。

とは言え、何もしないままここにいるのはもちろん論外です。

我々は動き続けなければなりません」

「ならどうするんだ?」

「敵には我々がまだプルサットに向かっていると思わせておき、ジャングル内でうろちょろし、敵に見つかる前に味方に発見してもらうと言う計画で動きます」

「それは計画じゃなくて自暴自棄って言うんだ」

上野の呆れた顔と言葉に、ミンは真面目な顔で答える。

「正直なところ、これ以上の策はありません。これが我々が生き残るための唯一の方法です」

「…」

「とは言え、本当にいるかどうかも分からないモノに期待するのは些か心配ですから、可能な限りプルサットの近くまで移動して行くことになります」

「それだと艤装の意味がないんじゃないか?」

「ええ。ですから、大きく迂回しながら向かいます」

「迂回と言うとどれくらいだ?」

ミンは地図に記した自分たちの位置から大きな楕円を描きながらプルサットを示した。

「ザッとこれくらいですかね?」

ミンはこちらに笑顔を浮かべながら言った。

ミンの描いた楕円は、40キロの距離のおおよそ2倍の距離はあったはずだ。

「…馬鹿か?」

上野は不満や呆れ、恐怖といった感情を混ぜた一言を口にした。

ミンはさらに笑顔を大きくしながら答えた。

「あなたと同じくらいには」

その目は、全く笑っていなかった。




お疲れ様でした。
1年もかけて出来た文章がこれではなんとも言えませんね…。
一応、次回で昔話はおしまいにして、再び大西洋側に行きます。
戦闘シーンはもう少し先ということで。
最後にこのような作品を読んでいただきありがとうございました。
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