8 撤退戦
始まりは一発の砲撃音だった。
少女の尻から伸びた太く蛭のような尾の先には、獣のように剥きだした牙を持つ咢。その咢に備えられた三門の連装砲から発射された砲弾はステルス艦上空を旋回していた哨戒機を一撃で鉄屑へと帰してしまった。
司令部が状況を整理するよりも早く、少女はステルス艦を飛び出すと、逃げ遅れた哨戒船に飛び移る。
この常人離れした健脚、否剛脚を見せつけられた時点で、ようやく司令部は彼女が人間ではなく、明確な適性因子であることを確認。
しかしそれと同時に、哨戒船は轟音と共にオレンジの烈火と天高く上る黒煙を撒き散らしながら轟沈した。
ここで適性因子と呼称したのは、彼女が今まで確認されたどの深海棲艦ともその様相を大きく異なっていること。またその尋常でない火力と機動力からも他の深海棲艦とは同一艦でないことが明らかであった為、深海棲艦と断定できない以上敵性因子と呼称する他なかった。
敵性因子はまるで河川の中に敷かれた飛び石を渡るかのように、次々と別の小型艇、もしくは軍艦に乗り移ってはその船を爆沈させるを繰り返していた。
まさに恐怖が波紋するとはこの事である。
恐怖が全艦隊に行き渡るまで左程時間を要さなかった。各無線は異常事態になるべく冷静な対処を行おうと、懸命に情報の連絡を取り合うが、それが済むより早く敵は次々と沈めていった。
パニックの最中、後方待機していた艦艇はすぐさま攻撃指示を出すが、それよりも早い勢いで敵は辺り一帯の船を全て沈めてしまう。
八隻の小型艇。そして三隻の軍艦が炎と黒煙を噴き出しながら船尾を天に突き上げていく。
「クソ! 一体何がどうなっている! アレは一体何だ!?」
突然の惨状に将校は苦々しい顔で罵詈雑言を吐き捨てると、苛立ちを露わにした。
「哨戒機より入電! ステルス艦艇四隻より未確認生体が出現」
「モニターに映せ!」
映し出されたモニターには先ほどと同様、甲板と思しき場所にそれぞれ人影が見える。
中央艦艇には大きく開かれたハッチから一人の人影。先ほどと同様未確認の生体である。人外を思わせる蒼白い肌。そして結い上げられた白く長い髪。両脇にはそれぞれ二基四門の砲が提げられ、太腿より下はまるで取り込まれているかのように巨大な咢と合体している。
咢の歯からは赤黒い発光物質が漏れ出し、咢側面からは本体の女を模した躰全体の三倍はあろう太さの堅牢な腕と、そこから伸びる鉤のような黒い爪が禍々しいオーラを放っていた。
「こいつは……こいつらは、深海棲艦なのか?」
司令部の一人がそうぼやいた時、画面の端に見慣れた姿があった。
「前方ステルス艦艇の前部ハッチより駆逐ハ級出現! 数は十!」
「こちらは右方艦艇同じく前部ハッチより重巡二隻出現!」
「こちら左方! 戦艦タ級一隻出現です!」
「おいおいおいおい! じゃあやっぱりあの化け物も、ポニーテールのアレも深海棲艦の仲間なのか!?」
「でもあんなやつ見たことないぞ!」
「だったら深海棲艦以外の何だよ! どうみたってありゃ深海棲艦じゃ……」
皆口々に憶測を喋りだし、動揺と未知への恐怖とが司令部内を覆い尽くす。
「私語は慎め! 今はまだ作戦中だぞ!」
将校が声を荒げるが、それでもまだ動揺は収まらなかった。
「皆、落ち着いて聞いてくれ」
大岡は静かに、それでいてよく通る声で皆の視線を集めた。
「現状、敵が何者であるか分からない以上不用意な攻勢は避けなければならない」
大岡は一呼吸おいて声を張る。
「だがしかし! 敵性因子であり、想定以上の戦力を有していることは明らかだ。敵の詳細については現在、特殊戦術部隊中央司令部に画像を送信した上で、早急な確認と増援部隊の派遣を要請している。それまでの間、何としてでも我々はここを死守しなければならない。さもなくば、奴らの本土上陸を許すこととなり、内地は再び荒野と化すだろう。そうならない為にも、今我々は我々に出来ることを遂行するまでだ。総員、戦闘配置に着け! 戦はまだ終わっていないぞ!」
大岡の喝が効いたのか、皆己の役目を思い出したかのように、所定場所に着くと各々の持ち場に努めた。
「第一艦隊に連絡しろ。例のステルス艦艇群及び深海棲艦をあの場から動かすな。その代わりあのフードの化け物はこちらでなんとかする」
「了解です!」
目的は決まった。二階堂は無線で黒潮を呼び出す。
『黒潮、聞こえているか?』
『よーさん聞こえてるよ』
『話が早くて助かる。作戦が終わったばかりだが、君たちC群には引き続き新たな任務を遂行してもらう。攻撃対象は先ほど話にも挙がった例のフードを被った深海棲艦。こいつの抑止あるいは撃破、そして沈んだ船の乗組員の生存者がいればその安全確保だ。しかし見た限りアレは今までのどの深海棲艦よりも素早く、それでいて強い砲撃力を持つ。恐らくは並の戦艦、もしくはそれ以上だ。油断はするな。少しでも無理だと判断すれば即座に撤退しろ』
『了解や』
『飛鷹。君にはステルス艦艇群より現れた深海棲艦及びそれと思しき生体への航空爆撃を行ってもらう。味方の援護射撃には十分気を付けろ』
『分かったわ』
艦娘への指示を出し通話を終了した二階堂は大岡の元へと駆け寄る。
「出撃命令終了しました。敵の戦力が不透明である以上、彼女たちには危険と判断すればすぐに撤退するよう指示は出しました」
「ありがとう。助かったよ」
「はい。ですがあの二隻は本当にデータベースにも存在しない船なのでしょうか」
「片方の、髪を結い上げた奴。以前に英国海軍から提供された情報では西方海域、マダガスカル島付近においてアレと容姿の酷似した深海棲艦が確認されたと報告が上がっている」
「ではもう一方は」
「……分からない。あんなのは俺も見るのは初めてだ。機動力といい火力といい、これまでのどの深海棲艦とも違う。明らかに別の何かだ」
「別の、何か」
「クソ! どうしてこのタイミングで突然動き出す! あのステルス艦艇はただの潜水艇じゃなかったのか? 中央情報局の連中は一体何をやっているんだ!」
堰を切ったように罵詈雑言を並べる大岡だがすぐに我に返ったのか、一呼吸置くと苦々しい顔からいつもの精悍な男へと戻った。
「すまない。嫌なものを見せてしまった」
「いえ、自分は……」
「とにかく今は、我々に出来る最善を尽くすまでだ」
大岡の目はどこか遠く、まるで自身の無力さを呪うようなそんな目で虚空を見つめていた。
黒潮・熊野・朝霜・皐月のC群分隊は輸送艦しれとこへの帰路から再び戦地へとんぼ返りをした。
「それで、新たに現れた敵の数はいくつですの?」
「数は十五やけどそのうち二つは未確認の深海棲艦らしい。一隻だけがステルス艦を離れて洋上で暴れとるからその制圧をうちらが担当する」
「あたいら四隻がかりで一隻の船を沈めるってことか? いくらなんでも多すぎんじゃねえの」
「敵が未確認生体である以上、司令はんも油断はできひんねんやろ。それに無線の話やと、そいつたった一隻で近場の軍艦を三隻沈めよったらしい」
「そ、それって……かなり強いんじゃ」
皐月が不安な面持ちで訊ねる。
「安心しい。司令はんも無理に戦うなとは言うてるし、うちらが無理やと判断したらすぐに撤退しろって言ってくれてる」
「それにしてもたった一隻で戦闘艦を三隻も沈めるなんて一体どんな敵なのかしら」
「ひとりで沈めるくらいだしきっと怪獣みたいなやつかも」
「口からビームとか出したりして」
「いくら深海棲艦でもそこまでは……」
「お喋りはそこまでですわ。電探に感あり。数は一」
「敵の動きは?」
「依然補足地点からの移動は無し。まだこちらに感付いていない様子ですわ」
「ほな強襲作戦の説明や。まずうちと皐月の二隻が陽動になって敵の前に出る。攻撃はあくまで牽制や。下手にこっちの隙は見せんようにせなあかんから、目的は敵の目を引きつめること。その隙に朝霜と熊野はんが敵の死角から砲撃を叩き込む」
「了解ですわ」
「よっしゃあ! ようやくあたいにも見せ場が登場だぜ!」
「ここから先はうちと皐月が一直線に敵へと向かう。二隻はなるべく外周から微速で近づいて、いけると判断したら急速で接近。敵に一発お見舞いしたらすぐに戦線離脱や」
「つまりヒットアンドアウェイということですの?」
黒潮は頷く。
「敵さんの機動力が高い以上、こっちも下手な長居は禁物や。戦艦級の砲撃なんてモロに喰ろたら一発轟沈なんてこともあり得るからな」
皐月は生唾を飲み込み小さく頷いた。
突然けたたましい警報音が四隻の情報端末から鳴り響いた。皆一様に何事かと情報を確認する。
「なんだァ? 電探からか?」
「いや、これは……戦術統合システムだよ」
「こんな時に一体なんですの?」
「まさか作戦中止とかちゃうやろなあ」
そう言いながら黒潮は端末の情報を読み取り、戦術システムより知らされた情報に思わず口が止まる。
《高速推進音多数。示現反応アリ》
「でもおかしいぜ。敵の位置はまだ――」
次の瞬間、高速で頭上を何かが掠めると、直後後方十メートルで爆音が響き巨大な水柱が三本立ち上がった。
あまりに大きな爆音は一時的に艦娘たちの平衡感覚を奪い去り、水面への着弾は背丈よりも高い水柱を、そして嵐のような突風を生み出す。
唐突にそして不用意な状況で起きた生死の境界線は彼女たちを一気にパニックへと陥れた。
「艦砲!? それも戦艦クラスの」
ロケット推進音は無い。まして敵艦載機の姿もない。
「なっ、この距離でもう感付いたってのか!?」
「いくらなんでも早すぎる!」
「文句は後や。さっさとここから移動すんで! 奴さん、間違いなくうちらの居場所を把握してる!」
次が来る前に逃げなければならない。敵の標準が間違いなくこちらを定めていると分かった以上同じ場所に口を開いて突っ立ってはいられなかった。
とにかく敵の砲撃も命中精度が高いとは言えないのだから今は動くしかない。黒潮たちは一気に敵と距離を詰めるべく第一船速で加速した。
「畜生! あの距離からどうやってこっちの正確な位置を割り出したんだよ!」
朝霜は憎々しげに茜色の空を見上げるが着弾観測と思しき敵機は見当たらない。
「おそらく敵側にも何らかの索敵能力があると考えるほかないですわ」
「だとしても索敵範囲が広すぎる! 影すら見えないこの距離で、着弾観測無しの精密射撃なんて目隠しして針に糸を通すようなもんだぞ!」
着弾観測でない以上、敵がこちらの位置を把握する方法はこちらと同じく電探による位置補足以外に方法は無い。しかしこれまでの対深海棲艦戦において敵単体における索敵能力には限界があった。
敵の探知上限距離は約五キロ。これは敵戦艦級の平均的な索敵能力数値を過去のデータベースから割り出したものだが、いくら敵の位置を割り出したところで相手が巨大な軍艦でなくその主体を身体に帰依している艦娘となれば話は別だ。
目視での射撃となるとその距離などたかが知れている。一般的な狙撃においても狙撃銃・アサルトライフルの有効射程距離は使用する弾頭にもよるが精々七百メートル。そこに様々な環境要因が加わればこれよりももっと距離は縮まるだろう。
これは艦娘に置き換えることも出来るわけで、彼女たちの場合ここに海上という安定しない足場での射撃という悪条件が加わる。
当然狙う的も巨大な船から人サイズになるのだから、より精密な射撃能力が要求される。
また通常火器に比べ艦娘や深海棲艦の艤装は艦砲である為、その射撃速度も著しく遅い。
となると自然、彼女らの戦闘はより堅実な目視による近接打撃に重点が置かれた。
先ほどの深海棲艦との戦闘はでも接近戦での近距離射撃が行われていたのもこの為だ。
ところが敵はこちらの姿すら視認していないのにも関わらず精確な砲撃を行ってきた。
何か裏があるはずだ。
敵は何らかの方法でこちらの位置をある程度正確に把握している。このままではいつか敵の砲弾が四隻のうちの誰かに直撃するだろう。
四隻は隊列を組むと、回避運動を行いながら海を駆けた。
「なあ黒潮、これからどうする。というかあたいら今どこに向かって走ってんだ?」
「敵のおる場所。このまま懐まで飛び込む」
「なっ!? お前死ぬ気か?」
「どのみちあのままあそこにおってもいつか狙い撃ちされて終わりや。敵にうちらの居場所が割れてる以上、長期戦になればなるほどこっちが不利になる」
「つまり、ならいっそ開き直って敵とタイマン張ろう、ということですの?」
「まあそんなとこ」
「アホかお前! そんなんやっても勝ち目無いだろ! 相手は戦艦級の火力もってんだぞ」
「これはウチの予想やけど、敵の装甲は軽巡、もしくはそれ以下かもしれん」
「どうして?」
「考えてもみい。さっきみたいな大火力な上に、船を渡り跳ぶ高機動力や。この二つを維持しよう思ったら、身体は極限まで軽くせなあかんやろ。となると装甲は極端に薄いはず。砲撃さえ当たれば間違いなく敵の動きは抑えられる」
「でもそれって敵の動きを捉えれたらの話でしょ? もし僕たちよりもずっと素早かったら……」
「うちらは何の為に小隊組んでるねん。向こうは一に対しこっちは四。まして戦艦の砲撃となればそれだけ射撃速度も遅なる。四隻がかりで相手にすれば絶対に隙は生まれるはずや」
四隻は徐々に距離を詰めていった。しかし未だ敵の姿は確認できない。
その代り燃え上がる炎の塊が数個、水平線にお浮かび上がっていた。恐らく例の深海棲艦に襲われた軍艦だろう。
暫くして船の残骸と思しき漂流物がちらほらと見え始めていた。中には深海棲艦の生々しい攻撃の痕も散見する。
漂流物が足に取り付けられた主機にぶつかる回数は徐々に増えてゆき、次第に物以外のものも目につきやすくなってきた。
「うっ……これは……」
皐月は表情を強張らせながら蒼白な顔で呻く。
水面から僅かに浮かび上がっているのは人の腕。沈められた船に乗っていた水兵だろうか。まるで葦が群生するかのように、海面には大小形様々な手や足が突き上げられている。
幾人もの水兵たちの死骸が波に流され夕焼けの海に漂っていた。死因の大半は溺死だろう。
黒潮たちは微速に切り替えるとなるべく《漂流物》にぶつからないよう慎重にその間を縫って進んでいった。
「こんなの……ひどいよ」
「あんまり見たりなや。水兵さんがかわいそうや」
せめてもの情けの言葉だろう。
皐月は小さく頷くとなるべく下を見ないよう皆の後に続いた。
まもなく四隻は電探の示す敵の座標へと到着するが、周囲には深海棲艦どころか生きた人の影一つない。
やはり全員逃げ遅れたのだろうか。そんな一抹の不安が脳裏を過ったとき。
「ヤットキタ」
まるで機械音を合成させたような音。その合成音に大凡魂と呼べるものは感じ取れなかった。
「こいつが!」
四隻は声の主の姿を見て目を大きくする。
報告にあった通りその深海棲艦は、いままで見てきたどの深海棲艦とも大きく様相を違えていた。そして何より皆を驚かせたのは、拙いながらもこちらの言語を操っているということだ。
過去にも数度言語を操る深海棲艦に関する報告は上がっていた。しかし皆それを本気にしようとは思わず、半ば都市伝説じみた噂話程度にしかとらえていなかった。が、いま目の前にいるソレは間違いなく言葉を使っている。
「クルノガ遅イカラ待チクタビレチャッタヨ」
「おいおい冗談だろ? マジで喋ってんぞこいつ……」
「わたくしも噂には存じ上げていましたがまさか本当に……」
「デモオカゲデ、良イモノヲ見ツケラレタ」
そういって深海棲艦は漂流する残骸に手を伸ばした。取り出したものに四隻は驚嘆する。
深海棲艦は漂流物の中から水兵を取り出した。襟首を掴み、まるで人形のようにぶらぶらと振り回すと、水兵は苦しそうに呻き声を上げる。
「あの人まだ生きてる!」
「折角ダシ、君タチニモ教エテアゲルヨ。コレサッキ思イツイタ遊ビナンダ」
深海棲艦がそう言うと、突然水兵が取り乱したように叫んだ。
「や、止めてくれ! お願いだ! 頼む!」
「ナンデ?」
きょとんと、不思議そうに水兵を見る。
「まだ死にたくない……お願いだ。助けてくれ」
「ソレヲ言ウノハボクジャナクテ、アイツラデショ」
深海棲艦は水兵の頭を乱暴に掴むと前を向かせた。
水兵の顔は所々蒼く、がちがちと歯を震わせながら涙目で叫ぶ。
「お願いだ! あんたたち、助けてくれ! あんな死に方――」
深海棲艦は水兵の頭部を鷲掴みすると、青白く細い指を頭部にめり込ませた。水兵の悲痛な叫びが響き渡る。
もう片方の手で水兵の首元を抑えると、深海棲艦は水兵の首をゆっくりと捻じった。必死に悪魔の手から逃れようと抵抗を試みるが、いくら暴れても頭に食い込んだ指が抜けることはない。
今度は頭部に喰い込ませた指の腕をゆっくりと引っ張り上げる。その際首元を抑えた手は水兵の首をしっかりと押さえ、頭を押さえた手とは逆に、下方向へ向けて押し込む。
すると徐々に首の付け根が悲鳴を上げ、段々と赤黒く変色していく。
水兵は最早人ならざる獣のような悲鳴を上げた。想像を絶する苦痛なのだろう。顔面は汗と涙と涎まみれになり、下は失禁してしまっている。
そしてついに首の筋肉繊維が限界値に達した時、大量の動脈出血と共に水兵の身体と首は見事に引き千切られ分離した。
噴水のように血を噴き出しながら頭だけになった水兵をさらに引っ張ると、身体側の首から伸びる脊髄が粘着質の半液体を絡ませながら頭部に釣られて飛び出していく。
血の雨を浴びながら深海棲艦は無邪気な子供のように笑う。
「ヤッパリ人間ハオ面白イナァ。何度ヤッテモ飽キナイ」
「何度、も?」
深海棲艦の立つ海面のすぐ下。夕日が差し込みうっすらと何かが見える。
それが何か理解した時、ただの海は冥府へと化した。
海面近く漂っていたのは、脊髄と一緒に引きちぎられた人間の頭部。そして幾重にもなる首の無い屍体。周囲を見渡すとそこは屍体の海が広がっていた。
「うぁ……あぁ…ああ……」
皐月は言葉にならない声を今にも泣きだしそうな顔で溢した。
常軌を逸している。
いくら戦場で死と隣り合わせに戦う彼女らでも、猟奇という狂気的世界には否応なく拒絶反応を示した。
「テメェ……よくも、よくもおおおおおおおお!!」
叫んだのは朝霜だった。自身の理解を越えた目の前の光景に対し、彼女は怒りという感情でその意志を表明した。頭が真っ白になり、ただひたすらに目の前の敵に対する憎悪のみが彼女の闘争心を駆り立てる。
朝霜は主砲に弾薬を装填すると一気に最大船速まで加速。敵深海棲艦目がけて突撃した。
「アホ! 無闇に突撃するな!」
黒潮の制止も聞かず朝霜は敵に突っ込む。
「ぶっ殺してやる!!」
太腿に装填された魚雷発射機関が駆動。四連装酸素魚雷が放たれた。
ところが敵深海棲艦は一歩もそこから動かなかった。それどころか朝霜の行動を見るや否や満足そうに笑みを見せた。
魚雷の弾頭が触れるその時、敵深海棲艦は蛭のような尾を前方海面に叩きつける。
彼女たちは目を疑った。朝霜の放った四連装酸素魚雷を蛭尾の先に生えた咢が全て噛み潰してしまったのだ。
レ級の双眸が蒼く揺らめくと今度は一気に跳躍し、朝霜に距離を詰める。
「え?」
距離の空いた場所から突然目の前に現れた敵に朝霜は小さく声を漏らす。
ぎょりとした瑞々しい眼球が朝霜を捉えると、咢の先にある砲門を朝霜に向けた。
轟音。至近距離で発せられた一発の砲音は朝霜の左腕を捥ぎ潰し、隙を与えず次に蛭尾を振りかざすと朝霜の脇腹に重く叩きつける。
ごきゅり。肉と骨と軟骨質の擦れる音がすると「ぶえ」とヒキガエルのような声を吐き出す。
同時、朝霜は身体を宙に浮かばせながら十メートルほど吹き飛ばされた。まるで水切石のように何度か海面に弾かれながらようやく動きを止めると、身体を半分ほど沈ませそのまま動かなくなってしまった。
「朝霜!」
皐月は悲痛な叫びを上げて朝霜のもとへと駆けつけた。
「朝霜しっかりして! 返事してよ! ねえったら!」
「朝霜さん、大丈夫ですの!」
皐月の後を追うように熊野が朝霜の元へと駆けつけた。
「熊野さん! どうしよう、朝霜動かないよ!」
泣きじゃくる皐月。朝霜は息こそしているものの、大量の血を吐き出し、目の焦点は合わず、視界はおろか声にすらも反応を示さなかった。
「一応息はありますわ。ですが内臓の損傷が酷いです。このままではいくら艦娘とはいえそう長くは持ちません」
深海棲艦は次に皐月に狙いを定め一気に距離を詰めた。手を振りかざし一気に襲いかかろうとしたその時寸でのところで黒潮が割り込み高角砲を盾に深海棲艦の動きを止める。
鉄の擦れる音。火花が飛び散り砲身がひしゃげる。
「皐月! 朝霜担いで撤退や!」
黒潮は即座に撤退する判断を下した。これは独断などではなく、規則として大破艦が出た場合僚艦を付けて撤退することが義務付けられているからだ。
黒潮は即座に接射による超至近距離からの砲撃を敵のどてっ腹に打ち込む。
しかし深海棲艦は蛭尾を盾に使うと、尾の肉が抉れるのと代償に黒潮から距離を置いた。
急所を狙えず黒潮は小さく舌打ちをする。
皐月はまだ朝霜を抱えたまま震えていた。
「なにをぼさっとしとんのや! 朝霜連れてはよ船に戻れ!」
「で、でも……」
「でもやあるか!」
黒潮の怒鳴り声に皐月は身体を震わせる。
黒潮は苦々しげに眼前の敵を睨んだ。
「あんなやつ、まともに相手して勝てるわけないやろ!」
実際顔を合わせて黒潮はっきりとそれを悟った。自分たちの戦力では到底目の前にいるこのフードを被ったバケモノに勝つことは出来ない。自分たちでは力不足だと。
「現時刻を以てC群分隊は《撤退戦》に移行する。うちと熊野はんであのバケモンを抑えとくから、皐月は急いで朝霜を輸送艦まで連れ戻すんや。今朝霜を助けれるんはアンタしかおらんねんで」
熊野は皐月の傍によると優しく彼女の肩に手を添えた。
「時間がありませんわ。ほら、涙は無事に生きて全員帰れた時まで取っておきなさい。今朝霜を助けられるのは皐月、あなたしかいませんのよ?」
皐月は潤んだ琥珀色の瞳に溜まった涙を袖でごしごしと拭きとると、大きく頷いた。
「分かった。熊野さんも、黒潮も無事で帰ってきてね」
黒潮と熊野は小さく笑った。
「当然ですわ」
「まかしとき」
皐月は重傷を負った朝霜に肩を回すと辛うじて作動している朝霜の主機を頼りに曳航を始めた。
「行カセルカ」
深海棲艦は再び皐月を狙うべく、今度は蛭尾の主砲を彼女に向ける。だが。
「それはこっちの台詞!」
黒潮と熊野が両脇から主砲を構えると深海棲艦に砲撃を打ち込んだ。
深海棲艦の両腕が無くなった。どうやら黒潮の見立て通り、敵のスペックは砲撃と機動力にリソースが振られ、装甲は殆どないらしい。
ところが深海棲艦は負傷して泣き叫ぶどころか、嬉しそうに笑い声をあげた。
「久々ニ楽シメソウダ」
まるで感情に呼応するが如く、深海棲艦の大きな瞳に蒼白い炎光が揺らめいた。
「黒潮!」
皐月の悲鳴に近い叫びが聞こえる。
「行け! 行って早く船まで戻れ!」
「二人とも、絶対に、絶対に無事に帰ってくるんだよ! じゃないと許さないんだから!」
皐月は駆けた。瀕死の朝霜を背に乗せ真っ直ぐに。
後ろで爆発音が響く。
思わず振り返りそうになる。でも駄目だ。いまここで振り返れば自分はもう――。
皐月は小さな白い手をぎゅっと強く握りしめ、口を噤んだ。
司令部には戦場の情報が継早に入ってきた。
観測機無しの長距離射撃。
敵との接触。
朝霜の大破。
そして即座に下された撤退戦。
だが悪い報せはこれだけでは無かった。
飛鷹からの入電によりステルス艦艇群上空における制空権獲得失敗の報告が知らされた。
ポニーテールの未確認深海棲艦から放たれた敵艦載機にはこれまでとは大きく姿形の違うものが現れた。
白い球体に小さな角が二つ生え、大きな口と剥きだしの歯を持ち、体内から禍々しい赤の発光物質を漏らす新種の艦載機。
その圧倒的な機動力は飛鷹の攻撃部隊の後ろを捉え、彼女の艦載機全てを喰い破ってしまった。
ステルス艦艇群より出現した深海棲艦たちは一斉に移動を開始。それまでの本土を目的とした移動とは大きくことなり、南南西へ舵を切る。目的はおそらく黒潮と熊野が応戦している深海棲艦だろう。合流した後、改めて強襲を図るつもりかもしれない。
丁度その時、作戦本部に特殊戦術部隊の本営から敵に関する情報の返答が来た。
敵性照合の結果、件の未確認深海棲艦二体について、うち一体の新型艦載機を操る深海棲艦については、以前英国が確認したものと同一であると判明した。
名は装甲空母鬼。
鬼の名を司る深海棲艦の中でも極めて上位種に分類され、航空戦と砲撃の両方を行う航空戦艦に近い種類の艦である。
中でも特徴的なのは装甲空母鬼の放つ特殊な形状の艦載機。《艦載鬼》と呼称されており、これもまた、それまでの艦載機の上位種であることが判明した。
そしてもう一体。偵察機に僅かに映った未確認の深海棲艦。
これに関しては過去のデータベースを遡っても存在せず、類似の報告もないことから新種であると推定される。
情報も少なく艦のクラスを判定するには情報が不足していることからも、本営は暫定的にこれを戦艦レ級と呼称した。
飛鷹が輸送艦しれとこへ帰還すると艦内は出撃時とは違う慌ただしい様相をみせていた。
艦内の作業員だけでなく航海士や海軍士官までもが焦燥を露わに小走りで艦内を駆け巡っている。
すれ違う度、皆飛鷹と視線を合わせてはどこか気まずそうに逸らした。
飛鷹はなるべく目が合わないよう視線を落とすと小さくため息を漏らす。
無理もないのだろう。
二度目の出撃。飛鷹は完全に、完膚なきまでに叩きのめされ惨敗した。
相手がこちらの予想を遥かに上回る性能を有した新型の艦載鬼を出してくるなど誰も予想は出来なかったのだから、一方的に飛鷹を攻め立てるのは酷な話であると、全員が承知していた。
しかし、そうであったとしても。彼女の敗退により敵の行動を許してしまった今、戦況はより不利な方向へ大きく傾き始めているのは事実。
何故あそこで食い止められなかったのか。あそこで踏みとどまってさえいれば、これからの戦闘に杞憂する必要も無かったのに。
皆内心はそう思っているはずだ。
理解は出来ていても納得は出来ない。皆の向けるそんな目を見るたび、飛鷹は締め付けられるような痛みを胸中に抱いた。
自分は艦娘である。深海棲艦と闘い勝利するために生まれ、それこそが存在する意義であるにも関わらず。
それすらも満足に果たせなかった自分は一体何なのか。戦う為に生まれ、多くのものを犠牲にしてきたというのに。
自然、彼女は下唇を小さく噛んだ。
不満や落胆、幻滅の目を向けられるのは当然。負けたのだから。弱者に正義は無いのだから。
そうやって言葉の蓋で無理やり溢れそうになる感情を押し込めると、飛鷹は二階堂に戦果報告を行うため中枢戦術指揮所の置かれた艦内深部へと訪れた。
認証キーを提示し横開きの自動ドアを潜った先に中枢戦術指揮所はある。
指揮所は構造上吹き抜けの二階構造となっており、正面にそびえる巨大な液晶パネルと中心に大小さまざまなモニターが設置され、その真下を観測員及び各種オペレーターのデスクが段上に整列される形で陣取っていた。
その後方、白の詰襟集団の中に二階堂は居た。
相変わらず戦闘服に黒のスポーツウェア着ており、他よりも一回り大きな背中は明らかに同じ集団の中でも浮いた格好だ。一目でそれが二階堂であることを理解できる。
意地でも詰襟を着たがらない二階堂には、再三注意している飛鷹も頭を悩ませているが、今はそんなことなどどうでもよかった。はやる気持ちを抑え飛鷹は彼の元へと訪れる。
「ただいま帰還しました」
「よく帰ってきてくれた。次の出撃が下されるまでの間は待機していてくれ」
「それよりも、あの子たちはどうなったの!」
詰め入りの集団、特殊戦術部隊の提督たちは暗く視線を落とした。そんな中二階堂は淡々と事実を述べる。
「現在大破した朝霜を皐月が曳航して帰還中だ。黒潮熊野の両艦は現在敵性因子レ級足止めの為戦闘海域に残留中」
「敵本隊の動きは?」
「敵本隊は現在北上はせずに南西方面へ移動中。おそらくはレ級と合流した後戦力を再編して再び我々の敷いた防衛線突破を図るつもりだろう」
「……その、ごめんなさい。あそこで私が敵本隊の足止めに成功していたら今頃はこんなことにならなくて済んだのに」
「過ぎた話だ。それにたった一人で艦隊を牽制しろと命じたこちら側に問題がある」
丁度その時、皐月朝霜の二隻が当艦に帰投した旨のアナウンスが響いた。
その場に向かおうと指揮所を出た飛鷹が廊下を進んでいると、奥から医官と担架に乗せられた朝霜、そのそばで泣きじゃくる皐月がやってきた。
飛鷹は邪魔にならないよう脇へ逸れる。配管に気を付けながら壁に沿う形で立つと、眼前を担架に乗せられた重症の朝霜が通り過ぎた。
朝霜には左腕が無く、赤いシミが肩から胸まで大きく広がっている。おそらく内臓系も大きく損傷しているに違いない。
朝霜の傍を皐月はぴったりついて離れず、何度も朝霜の名を呼び続けた。
結局声すらかけられず、ただ見ていることしか出来なかった。僅かに血の生臭い匂いが鼻孔を突くと、彼女の脳裏にかつての事件が呼び起される。
みすみす死なせてしまったかつての仲間。いくら後悔しても二度と取り返すことの出来ないもの。
飛鷹の握る拳が固くなる。
廊下を歩いていると奥から見知った顔ぶれがいた。葉山たち五人だ。
「お疲れ様です飛鷹さ……ん?」
葉山が朗らかに挨拶しようとしたのに対し、飛鷹は返事どころか見向きもせずそのまま歩き去って行った。
「どうしたんだろ飛鷹さん」
「急いでいるようでしたね」
「何かあったんでしょうか……」
五人があーでもないこーでもないと喋っていると今度は二階堂がやってきた。
「あ、おつかれっす中尉」
「なんだ、葉山軍曹。君もこの艦にいたのか」
「いえ、自分たちは物資の届けに来ただけです」
「それよりもこの辺りで飛鷹を見なかったか?」
「飛鷹さんならさっきここですれ違いましたよ。ちょっと様子が変でしたけど」
「変?」
「こっちが挨拶しても聞こえていなかったというかそれどころじゃないくらい真剣そうな顔で」
「それで彼女はどこへ向かった」
「んー、自分も飛鷹さんの行動までは把握できませんが、ここの場所を考えればあそこじゃないですかね」
葉山は壁に備えられた艦内地図を指さす。
「『第四甲板』……まさか!?」
艦内を走るのは禁止されているにも関わらず二階堂は廊下を駆けると後部格納へと向かった。
第四甲板には現在LCACが取り除かれ、代わりに飛鷹の艤装と抜錨機関が置かれている。そんな場所に彼女が行く理由など一つしかあるまい。
第四甲板に着いた二階堂は周囲を見渡す。
「飛鷹! いないのか? いたら返事をしろ!」
しかし二階堂に返事をしたのは飛鷹ではなく第四甲板に残っていた技官だ。
「飛鷹さんならさきほど抜錨されましたよ」
「なに?」
「なんでも緊急の発艦命令が出たとかで」
二階堂はクソッ、と怒鳴り壁を蹴った。
「何を考えているんだあいつは……」
人肉の滞留する海に嬌声が響き渡る。
レ級は執拗に黒潮と熊野に砲門を向けると一方的な砲撃を行った。
一発でも当たれば大破は免れない。そんな切迫した状況下で容赦ない砲撃が黒潮の鼻っ柱のすぐ前を通過し空気を歪にうねらせる。
しかし二隻はレ級の周囲を旋回しながら顔色一つ変えないどころか、眉も動かさずにその双眸はレ級の砲塔ただ一点を捉えていた。
「イイ加減反撃シタラドウナノ」
レ級は詰まらなさそうに唇を尖らせると子供のような仕草を見せた。
レ級の言葉通り、黒潮と熊野は牽制射撃こそ行っていたものの明確な攻撃を行わなかった。
レ級は苛立ちを覚えた。最初の一撃。あの二隻が自分の腕をもぎ取ったあの一撃がレ級にはたまらないほどの甘美であったのだ。
生まれて初めて自分に傷をつけてくれた敵。明確な殺意を向けてそれを実行に移すだけの能力を持つ者たち。
こいつらとなら殺し合える。
だからこそレ級は両腕を捥がれた時、内心狂喜し、顎が壊れるほどの笑みを剥きだした。
だが今はなんだ。勿論敵意はある。だがあの時のような殺意が、彼女たちには無かった。攻撃もどこか散発的で精々牽制程度の砲撃しかしてこない。
もっと! もっと、もっと、もっと! 殺し合いたい!
本能に突き動かされるように全身が小刻みに震える。
悪い兆候だ。否、レ級本人にとっては良い兆候であった。戦闘本能が理性を凌駕するのは深海棲艦の本懐である。
「無闇ニ動クナッテ言ワレテタケド……モウドウデモイイヤ」
レ級は他の深海棲艦から無闇に能力を使うなと再三注意を受けていた。
能力、もとい瞬発的かつ爆発的な加速度で接敵する跳躍駆動には制約と代償が伴う。
しかしそんなことはもう知ったことではない。
レ級の瞳が蒼く揺らめいた。
瞬間、レ級の足元が爆発。弾ける海水と共にレ級は黒潮目がけて跳躍を行った。
黒潮の瞳孔が開く。
レ級は蛭尾を前へ向けると黒潮に砲門を向けた。
レ級が跳躍した瞬間、黒潮は背の主機に手をやると叫んだ。
「投錨!」
艤装から白い煙が吹き上がると、三本の錨が海底に向けて勢いよく射出。
速度も微速に切り替えると海面が弾け、降ろした錨に引かれ黒潮は一気に停止する。
「ナニ!?」
黒潮の突然の行動にレ級は驚嘆した。
レ級は黒潮の到達予測地点に身体ごと突っ込むと勢いよく海面に衝突。海が弾けた。
「イタタタタ、ナニ考エテンダアイツ……死ヌ気カ?」
高速度からの投錨を行えば当然船体にも高負荷が掛かる。下手をすればレ級が攻撃するよりも早く大破する可能性もあることは、黒潮も承知しているはずだ。
理解出来ない黒潮の行動に、呆れと不信感を抱いたその瞬間、――感じた。
ひやりと冷たい視線。
まるで射殺すような一点のみに集中した殺意。
これは、この感覚は。
そうか。そうだったのか。
全てを理解したレ級は心の奥底から熱い何かが湧きあがるのを感じた。
あいつ等は決して逃げていたわけでも適当にやりすごしていたわけでもない。
待っていたのだ。
じっと息を潜ませ、相手に悟られないよう虎視眈々と機会をうかがわせていたんだ。
こちらがしびれを切らし大きく手を出す今この瞬間を!
レ級が海面に衝突したことにより生じた霧の中から、鈍色に輝く砲身が突き出す。
瞬間、霧をかき分け熊野が最大船速で接敵してきた。狙いをレ級の頭に定め主砲を構える。
「クソッ!」
再びレ級の瞳が蒼く揺らめくと海面が弾けレ級は後方へ跳躍。
「アイツラコレヲ狙ッテ――」
レ級は気付いた。
「マサカ!?」
レ級は着地地点を振り向いた。そこに居たのは砲口をこちらへ向けて構える黒潮の姿。
最初からこれが狙いだったのか!
流石のレ級といえども空中で砲撃をかわすことなど出来ない。
黒潮は笑うことも顔を顰めることもせず、ただ冷たい双眸で敵を捕らえると、躊躇うことなく主砲の引き金を引いた。
「クソガ……クソガ!!」
レ級は悪態を漏らすと主砲を構えた。身体を捩じらせ横に空砲を打つ。すると黒潮の砲撃から僅かに逸れ海面に着水した。
だがそれで終わったわけではない。黒潮は魚雷発射管一番二番を開放すると直線上にいるレ級目がけて酸素魚雷を射出した。
海面が盛り上がり、巨木の幹のような水柱が轟音と共に立ち上がる。
魚雷は見事命中した。
「やりましたの?」
二隻はレ級から五百メートルほど距離をとり様子を伺う。
「いや……まだや」
煙が晴れ、中から一つの人影が現れる。
レ級は殆ど無傷だった。その代り蛭尾の先にあった咢が抉り取られ、傷口から青い液体が流れだしている。
「魚雷をもろに被弾して生きているなんて……!」
「でもこれであいつの戦力は完全に削げたはず――」
ぞわり。気持ちの悪い空気が二隻の頬をなぞった。
原因は他でもないレ級のものだ。しかし戦力が削げた今、その嫌な空気は先ほどよりも濃密になっている。
レ級は嗤っていた。戦力を削がれているにも関わらず、禍々しい殺意は先ほどよりもずっと強く増している。
まるでこれからが本番であると言わんばかりに。
唐突に黒潮の情報端末が警報音を鳴らした。
「海中に高速推進音多数、方位は――十二時!?」
現在十二時の方向に、レ級以外敵の姿は見えない。ということはあの魚雷の発射主は他でもない戦艦レ級である。
「んなあほな!? あいつ戦艦やろ! 魚雷なんか飛ばせるわけないわ!」
「つべこべ言わずに回避運動をしますわよ! どちらにせよ魚雷は真っ直ぐこちらに向かってきていますわ」
二隻は魚雷の推進線上から離脱を行った。
「なっ!? こんどは上空から現示反応、艦載機ですわ!」
見上げると敵機艦載機が蒼い光を伸ばしながら、二隻に爆弾を投下しだした。
二隻は急いで回避運動を行う。
直後、海面が半球状に大きく盛り上がると勢いよく爆発した。爆風と盛り上がった波が嵐のように海をうねらせる。
「まさかもう本隊が合流したんか?」
「いえ、あの艦載機の現示周波数から察するに……おそらくレ級のものかと」
「はぁ!? 魚雷ならまだしも戦艦が攻撃機積むってどういうことやねん。そんな話聞いたことあらへんで!」
レ級がこちらへ接敵することなくじっとこちらを見ていることから察するに、嘘ではないらしい。
「魚雷を放ち艦載機を飛ばす戦艦……たしかに前例がありませんわ」
「こっちは防空能力もたいしてあらへんのに艦載機相手にまともに戦えるわけあらへんやろ」
「潮時、ですわね。そろそろ皐月さんたちも帰投している頃ですわ」
「さて、あとはあの化け物からどないして逃げるか――」
そんな折、再び二隻の端末にけたたましい警報音が鳴り響いた。
「十時の方角、高速推進音多数! また来ますわ!」
熊野が叫んだ直後付近に轟音が響くと水柱が三本立った。海面は大きく波立ち、スコールのような飛沫が二隻の上に降り注ぐ。
「こんどはなんや!」
「まずいですわ。別動部隊がこちらへ合流してきます!」
「とりあえず逃げるで!」
「そうは言いましても数が多すぎますわ!」
駆逐艦だけでも十隻以上、加えて重巡に戦艦まで。明らかに敵の主力部隊だ。
「応援要請は!?」
「先ほどから出していますが敵のジャミング波でまともに通信できませんの!」
「くそっ、うちらの行動見据えて動いてんのか」
何か、何かこの場面を切り抜けられる方法はないのか? しかし考えれば考えるほど自分たちの不利な状況の証明材料ばかりが上がってくる。
「敵が艦載機を二十機発艦! 接敵予想時間は五分!」
艦隊防衛線まではまだ三キロほど残っている。この距離を敵の攻撃をかわしながら進むのは困難を極めた。
「他に何か方法が……!」
しかし無情にも時間だけが過ぎてゆき、茜色の空に幾つもの黒い影が浮かび上がる。そして影は徐々にその姿をはっきりとさせていき、二隻を驚嘆させた。
「なんですの、あの不気味な艦載機は?」
「はは……いよいよバケモンじみてきよったで」
乾いた笑いをあげる黒潮だが、額からは汗が滲んでいる。
艦載鬼たちは顎を外し口を大きく開くと奇声を上げながら二隻目がけて襲いかかろうとした。
先ほどのレ級との戦いに際して対空砲はひしゃげ、既に使い物にならない。いくら主砲で艦載鬼を狙っても、敵はあざ笑うかのようにこちらの砲撃を全てかわしていった。
一匹が熊野の頭蓋を噛み砕こうと、口を大きく開いて襲いかかろうとした瞬間。突然艦載鬼の顎がはじけ飛ぶと、熊野でも黒潮のものでもない、別の攻撃に晒され撃破された。
見上げた空には聞き慣れたレシプロエンジンの唸り声。二十機近いゼロ戦が急降下し艦載鬼を次々撃ち落としていった。
「このゼロ戦って」
『みんな大丈夫!? 怪我はない?』
無線に飛鷹の声が入ってきた。
「飛鷹はん! 助けにきてくれたんか!」
『当たり前でしょ。それより状況は?』
「敵本隊が合流してきてうちらに総攻撃しかけようとしてる。敵本隊がうちらに追いつく前になんとか防衛線まで戻らんと」
『それじゃあなおの事敵を倒さないといけないわね。彩雲からの報告よ。敵も増援を寄越してきたわ。ひとまず合流したあと、電波の届く場所でもう一度救援要請を行いましょう』
十分後、無事に飛鷹と合流を果たした黒潮と熊野は再度救援要請を行うべく作戦本部に無線を飛ばした。
「こちら第二十特殊戦術部隊所属旗艦黒潮、応答を願う。繰り返す、こちら――」
『こちら作戦本部だ』
「繋がった!」
『その声は、黒潮か? 無事だったんだな』
「司令はんか、よかった~~」
『状況はどうなっている』
「今はうちと熊野はんと、さっき合流した飛鷹はんの三隻で固まって防衛線まで逃げてるところや。敵との距離は一キロもあらへんっちゅーか、もう目の前まできとる」
『とにかく無事でなによりだ。君たちが巻き込まれる危険性がある以上ミサイル支援はできないが――』
航行しながら黒潮が無線通信を行う最中、熊野は不意に空を見上げた。間もなく日没が始まろうとしている時間。徐々に東側の空が暗く陰り始めている。
敵も日が沈めば不用意には動けないはずだ。そうすればこちら側にも幾分か逃げる活路も開ける。当然リスクが無いとは言い切れないが、それでも可能性があるに越したことはない。
そんなことを考えながら黄昏の空を見つめていた熊野は不意に光る小さな点が目に入った。
星? いや違う。黄昏と言えど星が出るにはまだ早すぎる上に、あの星は他と比べても明るすぎる。星は一つではなく三つ、平行に移動していた。
よく目を凝らして観察すると、赤い光を放つものや点滅しているものもある。
あれは星なんかじゃない。飛行機の衝突防止灯だ。
別に飛行機自体が珍しいものというわけではないが、戦闘空域を民間機が飛ぶなどあり得ない。おそらく偵察機の類と思われるが、何故そのようなものが、いつ敵に撃ち落とされるかもわからない危険空域を旋回しているのか。
「まさか――!?」
熊野の脳裏に嫌な予感が走った。可能性としては十分にあり得る。
「提督、そちら側からの支援攻撃はまだ出来ないんですのよね?」
『ああ、我々も現在は待機命令を下されていて動けない』
「では、今現在わたくし達の上空を偵察機が旋回していることもご存じありませんのね?」
『そのような情報は入ってきていないが――まさか』
熊野の意図を読み取った二階堂の声に僅かながら動揺の色が含まれる。
『全員今すぐその場を離脱しろ! なるべく遠くへ逃げるんだ!』
「司令はん何言ってんの? だから今こうして逃げて……」
突然端末に警報音が鳴り響いた。
「熱源反応有り。数は二十以上、出所は……わたくし達の艦隊ですわ」
三隻の顔が青ざめた。
「どうして味方からミサイルで狙われなきゃならないの!?」
「そんなんうちに聞かれても分かるか!」
「と、とにかくこの場から早く逃げないとわたくしたちもミサイルの餌食になってしまいますわ」
動揺する三隻の背には水柱が上がっている。駆逐艦の敵影が五つ、もう目の前まで敵は迫っていた。
「ミサイル到達まで残り二十秒!」
「とにかく逃げるしかあらへん!」
三隻は最大船速で海を駆けた。
「ミサイル到達まで残り十秒!」
遠く艦隊のある方角からロケット推進音が響いてきた。間違いなくミサイルはこちらに向けて発射されている。
そしてミサイルは姿を現した。
トマホーク巡航ミサイル。
現在深海棲艦に対し、艦娘の艤装による攻撃以外有効な迎撃手段は存在しない。その大きな理由の一つが深海棲艦が体表に纏った未知の装甲である。
この装甲は全ての焼夷弾に対し磐石の盾として人類に立ちはだかった。まさに人類が深海棲艦を攻略できない理由の一つがこれである。
だからと言って現代兵器が不要になったかといえばそのようなことはない。世の軍事評論家の中には深海棲艦に対しミサイルによる攻撃に意味はないなどと不要論を唱える者も少なくないが、敵を抑止する点に置いて高性能爆薬による威圧攻撃は一定の戦果を出していた。
決定打にこそならないが、時間稼ぎとしてはそこそこ優秀、というところが現在の評価だろう。
そして今、そのそこそこの戦果を上げるトマホーク巡航ミサイルは、敵艦隊の侵攻を抑止すると同時に、最大の脅威となって彼女たちに牙をむけた。
黄昏の海上が紅い炎で照らされた。腹の底に響くような振動と全てを焼尽する熱風。
通常の生物であれば間違いなく死に至る威力。それは深海棲艦も、そして船の魂を宿す彼女たち艦娘も例外ではなかった。