⒒ 救出
「飛鷹はん! しっかりしいや! 飛鷹はん!」
不規則に揺れる身体に重い瞼を持ち上げるとそこには見知った顔がいた。
「くろ……しお……?」
「よかった、やっと目覚ましてくれた」
黒潮は安堵の表情を浮かべ飛鷹に笑いかける。
そしてようやく思い出した。
「ああ、私、ミサイルの攻撃に巻き込まれて……」
重い身体を起こし辺りを見渡すと既に日は沈み、代わりに月明かりが飛鷹の顔を照らした。あれから結構な時間が経過したのだろうか。
「あれ、私、なんでここに……」
二人が居たのは小さな岩礁の上。幸いにも今夜は波も無く、二隻が波に攫われるようなことはなかった。
「うちが最初に目を覚ました時は海の上やったんや。ほんで移動してるうちに浮いてる飛鷹はんを見つけたからここまで曳航してきた。敵に見つからへんかったんは奇跡やな」
「そう、ごめんなさいね。駆逐艦一隻じゃ重かったでしょ」
「ほんまやで、もうちょっとダイエットしいや」
「そう言う意味で言ったんじゃないわよ。爆撃されたいの」
「じょうだんやて~~」
いつものようににへらにへらと頬を崩す黒潮に対し、三白眼で見つめていると、黒潮が所々破れた服の上から脇腹を抑え、そこから赤黒い液体が止めどなく流れているのが目に入った。
「黒潮! あなた怪我してるじゃない!」
「ああこれか。どうも吹っ飛ばされた時に打ち所が悪かったみたいでな。おかげでこんな様や」
なおも黒潮は笑顔で答えるが、その傷は決して軽いものなどではない。
よく見ると黒潮の身体からは気味が悪いほどの脂汗が噴き出し、僅かながら声も震えている。外傷はそれほど大きくないが、間違いなく内臓を損傷しており、明らかに重傷だ。
中破、もしくは大破状態。今すぐ治療を受けなければ非常に危険であることは飛鷹の素人目でも明らかだった。
おそらく気を遣って隠していたのだろう。そんな状態で駆逐艦である黒潮は航空母艦である飛鷹を無理に曳航したのだから身体に掛かる負担も相当であるはず。
「馬鹿……! 怪我してるなら私なんて放っておけばよかったじゃない!」
「同じ部隊の仲間見捨てれるわけあらへんやろ」
「だからってなにもそんな状態で助けることないでしょう! 私だってそのうち目を覚ますかもしれなかったのよ?」
「その間に戻ってきた深海棲艦に見つかっとったらどないすんねん。それに、今は艤装の生命維持装置もあるから普通の人間よりは頑丈や。ちょっとやそっとのことじゃ死なへん」
黒潮の言うとおり、艦娘は艤装を着装している間に限りは人ではなく艦船であるため、生命力や基礎代謝、体力、筋力、諸々においてその身体能力は飛躍的に向上している。
その能力の指向性や数値は艦種や型によって大きく異なるが、いずれの艦娘も艦船の本来持つ強度や馬力をそのまま身体にフィードバックさせており、常人の遥か上をいく生命力を持つことに変わりはない。
しかし、それでも彼女たち艦娘の素体はどこにでもいる普通の人間だ。生命力にも限界がある。
黒潮も直接でないとはいえ、ミサイルの爆風に晒され重傷を負った。黒潮の体力に限界があることも十分に考慮するべきだろう。
そしてもう一つ、黒潮の身体について憂慮すべきことがあった。
「怪我の事もあるけれど、着装限界時間だってそう長くは持たないわよ。生命維持装置の依存度は?」
「ざっと見積もって三十パーセント。でもこの調子でいけば徐々に上がってくやろなあ」
「あなた正気!? そんな調子じゃ持って半日、下手すれば六時間だって切る可能性もある。このままじゃいつ
「大丈夫やって。心配性やな飛鷹はんは――ッ!」
それまで平静を保っていた黒潮だが、やはり身体の痛みには耐えられなかったらしい。苦悶の表情を浮かべると、傷口の腹部を抑え倒れ込んだ。
「ちょっ!? しっかりして黒潮!」
とにかく今は黒潮の応急処置が最優先だ。飛鷹は緊急用の簡易治療キットを取り出す。
患部に鎮痛剤を注射。消毒液と抗生物質を塗り、開いた傷口を仮縫いした後、ガーゼを充て包帯を巻いた。
白くやわらかな腹部にザクロの如くぱっくりと大きく開いた傷口、おそらく爆風の際に何らかの破傷物が黒潮の腹部を貫いたのだろう。ただでさえ海面殴打による内出血も激しいというのに。
飛鷹は音を立てて歯噛みした。
「絶対に許さない! 勝手にミサイル撃ちこんだ馬鹿ども、全員彗星の腹に括り付けてナパーム弾と一緒に敵の頭に叩き込んでやる!」
「相変わらず物騒やな飛鷹はん……ていうか、彗星にナパーム弾は積まれへんのんとちゃうか?」
「そんなものやってみなけりゃわかんないわよ!」
一通り応急処置を終えた二隻はこれからどうするかについて話し合った。
「それで、これからどうするの?」
「なんとかして司令はんに現在位置を伝えたいねんけど、ここからじゃ無線は届かへんし、ここに来る前にも危険承知で何度か救難信号出してみたけど助けがくる気配も一向にあらへん。まあ味方も敵地のど真ん中に下手に近づこうとは思わんわな」
「それに例のレーダー索敵範囲外からの精密長距離射撃の件もあるわ。もしあれが本当に敵の超広範囲レーダーならここも敵のレーダー索敵範囲内に含まれている可能性があるから、下手に動けばすぐにこちら側の位置を特定されてしまうかもしれない」
「つまり……」
「ええ……」
二隻は重いため息と共に肩を下ろした。
「完全な手詰まり。身動き一つ取れませんっちゅーことか」
「そうなるわね」
「敵に見つかるのも時間の問題や。移動だけでも早いうちにしとかんと」
「そういえば熊野はどうしているのかしら……無事に保護されていればいいけれど」
「ここに来る前に何度か無線飛ばしてみたけど返事なかったし、多分無事に拾われたんとちゃうか」
「でももし一人逸れていたら……」
黒潮は小さく笑った。
「飛鷹はんも心配性やな」
「だってあの子、いつもどこか抜けているというか、浮ついているじゃない。私が見てなかったらいつもドジやらかすし、流石に心配もなるわよ」
「熊野はんも普段はあんな能天気そうやけど、意外と肝は据わってんで。さっきもレ級と交戦した時に敵のスレスレの攻撃にも微動だにせんと正確に弾撃ち込んどったし。正直あそこまで機微に動けるとは思わんかったからうちも結構驚いてる」
「意外ね……あの子普段はそんな様子おくびも見せないのに」
「人は見かけによらんっちゅーこっちゃ」
「ええ……そうね。――まったく、その通りだわ」
僅かに飛鷹は視線を落とした。
「とにかく今は少しでも気色悪い危険地帯から離れることが先決や。目先の問題は、やっぱり敵の超広範囲レーダー、か……。飛鷹はん、この辺の海域の地図だしてもらえる?」
「別にいいけど、一体何をするつもり?」
「幾つかある仮説の検証と証明。さっきは散々あいつらに出し抜かれたけど、次はこっちが出し抜く番や」
黒潮は不敵な笑みを浮かべ得意げにそう告げた。
輸送艦しれとこの作戦指揮所に戻った二階堂と熊野は大岡から黒潮と飛鷹の位置情報に関する説明を受けていた。
「ということは、二人とも無事であると」
「ああ、まだ確証がないから断言は出来んが、少なくともミサイルの爆風に巻き込まれて死んだという事はないだろう」
「よかった……二人とも無事でしたのね」
「今から三十分前、伊豆諸島大島の北西約二十キロの座標において救難信号を確認した。実を言えばこの二時間前にも十キロほど離れた座標で微弱な信号を捉えていたらしいんだが、俺もその話をつい先ほど将校から聞かされた」
「どうしてそのようなことを!」
憤慨する熊野に対し大岡はとりあえず話を聞けと制止を促す。
「それについては俺も同意見だが、将校曰く俺たち特殊戦術部隊が無断行動に走ることを阻止する為だそうだ。まあ上層部としても我々の動きはなるべく抑えておきたいのだろう」
「そんなの都合のいい詭弁ですわ! 報告を怠りあまつさえその責任をわたくしたちに押し付けるなど言語道断! ちょっとその将校様の尻に20.3cm連装砲をお見舞いしてやりますわ」
「熊野、少し落ち着け。大佐の前だ。それに今怒ったところで話は進まんだろう」
「で、ですが……」
「今優先すべきは飛鷹と黒潮の保護だ。気持ちは分かるが我慢してくれ」
二階堂に諭され熊野は肩をすぼめるが、それでもぶつぶつと「やはり酸素魚雷で尻に活け花のほうがよろしいかしら」「いえ、ここは旧海軍に倣って臀部を重点的に単装砲で――」などと小声で物騒な私刑計画を企てている。
何故尻ばかりを責めたがるのか些か気になるところではあったが、とにかく今後彼女の言動にはある程度指導が必要になりそうだ。
「お前のところの艦娘も中々のじゃじゃ馬娘だな」
「大岡さんのところもですか?」
「先日高雄君に首から下を地面の下に埋められそうになった」
「い、一体なにを……」
「いやなに大したことじゃないんだが、天気が良かったものだから、つい今日の下着の色は何かと聞いてしまってな」
「…………」
「…………」
「で、では、話を戻そう。三十分前に発信された救難信号は二点。二点とも座標海域から十二キロ程並行移動の状態で南下。二十一分五十秒後に二点ともロストした」
「南下? 敵本隊のある方向に向かってですか」
「それに救難信号を発しながら移動するというのも不自然ですわ」
「考えられるとすれば陽動、か」
「可能性としては十分にあり得るな。だが動機とするには何か足りない。逃げるにしてもわざわざ敵に救難信号の始点――現在位置を知らせるような真似をした」
「見つかるリスクを背負ってまでそうしなければならない理由があった」
「あるいはそうせざるを得なかったのか」
いずれにせよ今この場ではっきりしていることは、三十分前に救難信号の出た場所に居た可能性が高いという事だけである。
「無線が使えない以上、こちらからアプローチすることは不可能だ。今は待機命令も出されている」
「大岡提督、お願いですわ。救出に向かわせて下さい!」
「熊野君、何度も言うがこればっかりは私にはどうすることも出来んよ。全艦隊に待機命令が出されている今戦闘許可が下りない以上、我々特殊戦術部隊には戦闘発動権は発生しない」
「なら黙って今の状況を見過ごせと申すのですか!」
熱くなる熊野の肩に二階堂の大きく皮の硬い手が乗った。
「今ここで癇癪を起しても二人は助けられない」
「ですが……」
熊野の悲痛な表情に二階堂は顔色一つ変えない。
「とにかく、今は休養室に戻って安静にしていろ。君も完全に回復しているわけじゃないんだ」
「了解……ですわ」
それでもまだ何か言いたげな様子の熊野は不承不承に指揮所を後にした。
そんな熊野の背を見送った後、大岡は切り出す。
「それで、お前はどうするつもりなんだ。二階堂」
「どうもしません。命令である以上現状我々に戦闘権を行使することは出来ないのですから」
「意外だな。てっきりお前の事だからそんなこと無視して助けに行くと踏んでいたんだが」
「自分もそこまで考え無しじゃありませんよ。現状一人で戦闘海域に向かったところで人間の俺に出来ることなんて知れてます」
それではこれで、と二階堂は大岡に一礼すると指揮所の外へ向かった。
「そうそう一つ言い忘れていたことがあった」
「なんですか?」
「横須賀の哨戒船部隊に古い友人が居てな。安藤と言うんだが、何かと言い訳をして賭け麻雀の負け分をまだ俺に支払っていない。もし陸に戻ってあいつに会うことがあったら、次会う時までに払えなかったらお前が艦娘のイメクラに通っていることを嫁さんにばらすと伝えといてくれ。勿論写真付きでな」
「は、はあ……」
高雄へのセクハラの一件といいこの大佐も大概な男だ。
「それともう一つ。――今夜は良い満月だ。雲もなく波も穏やかで実に良い。最高の航海日和だ。お前もそうは思わんか?」
指揮所に窓は無い。しかし大岡は口を弧にし、二階堂を見据えた。
「ええ、同感です大佐。確かに今日は、最高の航海日和かもしれません」
それ以上大岡は何も言わなかった。二階堂も何も言わず真っ直ぐ指揮所を後にした。
「――ああ、そうだ。大至急こちらに一機寄越してくれ。――そうか。恩に着る」
受話器からから耳を離した二階堂は通信士に礼を言うと通信室を後にした。
「誰とお話ししていましたの?」
振り向くとそこには熊野が居た。
「休養室で待機していろと言ったはずだ」
「出来ればそうしていたかったのですが、どうにもうちの提督は部下に隠れてこそこそと何か企んでいるようですし、部下として問題行動の多い提督を見過ごすわけにいきませんわ」
「俺がいつ問題行動を起こした?」
「まさかとは思いますが、冗談で仰っていますわよね? とにかく、もしわたくしに隠れて何かをすると言うのであれば、そんなこと絶対に許しませんわよ。先ほどあきづき艦内でも言いましたが、今のあなたの部下はわたくしです。その部下を裏切るような真似をなさるおつもり?」
「はぁ……分かった」
二階堂は観念したのか頭を掻いて告げた。
「ついて来い。今からヘリで横須賀へ向かう」
「横須賀? なぜそのような場所へ……」
「ここでは将校連中の監視も厳しくて身動きが取れない。一度基地に戻り体制を立て直す」
「一体何を始めるおつもりですの?」
二階堂は足を止めると振り返る。
「俺たちのすることなんて端から分かりきっているだろ。戦争だ」
二階堂と熊野はヘリに乗り横須賀基地まで移動すると、飛鷹・黒潮救出の為手早く準備を始めた。
二階堂と熊野は大岡の伝手を利用し、安藤に交渉――もとい脅迫の末借用に成功した。そして現在、ミサイル艇に乗り込み出撃の準備をしている。
「まさかミサイル艇を使えるとは思いませんでしたわ……。提督、一体どのような魔法をお使いになったの?」
「大岡大佐の言伝とイメクラの話題を振ったら快く貸し出してくれた」
「その『いめくら』とはどのようなものですの?」
「知る必要はない。しいて言えば男のユートピアのようなものだ」
「なんだかよくわかりませんが、とても素晴らしい場所なのですね!」
瞳を輝かせる熊野に多少申し訳ない気持ちになる。この時ばかりは相手が飛鷹でなく良かったと心の底から思った。彼女ならおそらく卒倒モノだろう。
「それにしても提督、よくこの状況でしれとこの甲板にヘリを下ろす許可が下りましたわね」
「まあ、俺にも色々とコネはある。今横須賀基地に居ることも含めてな。だからあくまでもミサイル艇に乗り込むのは哨戒任務が理由だ。可能であれば目立った戦闘は避けておきたい」
「それにしても弱りましたわね。そのミサイル艇を動かせる人間が殆どいないというのは」
「仕方ない。今は有事だ。人員の大半も今回の作戦に割かれているのが現状らしい。さて、どうしたものか」
まさか肝心の船を動かせる人間がいないのは予想外だった。仕方ないと言えばそうかもしれないが、そんな理由で引き下がるわけにいかないのもまた事実。
「誰か船を動かせる人間は他に――」
「あれ、その声もしかして中尉ですか?」
聞き覚えのある男の声に船から顔を覗かせると埠頭から船を見上げる葉山軍曹の顔があった。そして葉山以外にもいつもの四名が後ろにいる。
「葉山軍曹? どうしてここに」
先ほど艦内で会ったばかりだというのに。
「艦艇への物資の輸送を終えてこっちに戻ってきたところっすよ。そういう中尉は一体どうしてこんなところに? というかなんでミサイル艇なんかに居るんですか」
「すまない。今はそんな説明をしている場合じゃないんだ。一刻も早くこの船を動かせる人員を確保しなければ」
「船ってそのミサイル艇のことですか? だったら俺動かせますよ?」
軽い調子で葉山の口から飛び出した意外な言葉に、二階堂は目を点にして驚いた。
「それは本当か?」
「ええ、というか俺ら神島基地隊では哨戒部隊所属ですし。ここに派遣されたのだって、物資輸送の人員不足で船を動かせる人間を無理やり連れてこられたからですよ。まったく上の連中も人使い荒いっすよねー、有能な人材にこんな小間使いやらせるなんて」
すると後ろの小太りの男、水無瀬伍長が口を挟んだ。
「何嘘言ってんですか。もとはと言えば軍曹が部隊長の頭髪が本物かどうかで賭博してたのがバレて逆鱗に触れたのがいけなかったんでしょーが」
「う、うるっせーよ! 理由なんてんなもんどーだっていいんだよ! 大体なんで今まで誰も髪の毛の生え方が不自然だということに突っ込まなかったんだ! おかしーだろ!」
「敢えて触れなかったんですよ! この馬鹿軍曹!」
「で、でもまさか植毛だったとは意外でしたよね……」
そうぼやく大柄な男、福井上等兵に他の隊員の太田一等兵と坂口上等兵は小さく頷いた。
「自分もてっきりカツラだとばかり思っていました」
「……私も」
「とにかくだ! 俺はあの賭博ぜってー認めねえぞ! 植毛だってカツラみたいなもんじゃねーか!」
「いい加減諦めて下さい。幾ら喚いても失った物は戻りません」
「ちっくしょお……俺の秘蔵これくしょん、愛宕さんの水着ブロマイドがぁ……」
艦娘は兵器といえどその多くが綺麗処、美少女ばかりで顔の偏差値は非常に高い。
その為か軍内外に問わず人気知名度も高く、広報活動の一環としてアイドルのような活動をしたり写真集を出すこともしばしばで、とくに水着ブロマイドのような一歩間違えれば軍の印象を落としかねない危険なブツは他の写真に比べ非常に流通が少なく、ネットオークションでも高値で取引されているらしい。
「そういえば葉山さん好きですもんね、パツ金爆乳」
「それだけじゃねえよ太田ァ! おめーは愛宕さんの素晴らしさを何一つわかっちゃいねえ! あの見る者全てを幼心に還らせる母性的な笑顔! そして甘い声色が紡ぐ圧倒的包容力! あの人は俺の母になってくれる存在かもしれないんだ!」
「ちょっと聞き捨てなりませんよ軍曹! この福井、た、確かに愛宕さんの包容力のあるおっぱいは素晴らしいと思います。で、ですがやはり圧倒的母性で雷たんを置いて追随するものは他にいません!」
「黙れやこのクソロリコン! 乳も未発達な幼女にしかバブみを感じられない異常性癖者に語る言葉はない!」
「……ちょっと工廠裏でお話があります軍曹」
「わー! 落ち着いて下さい福井さん! 暴力は流石にまずいですって!」
「離せ太田ァ! 僕の天使を貶す塵芥は灰塵に帰してやる!」
「別に雷さんのことは貶してませんよ! それに福井さん大柄なんですから喧嘩なんてしようもんならただの一方的な私刑になります!」
「というか福井、おめーこの間『高波たんのタイツはママの味でござるなデュフフwww』とか言ってたよな! 何が雷一筋だよ!」
「な、なぜそれを!?」
「隣の部屋から声が筒抜けなんだよ! もうちょっと抑えろ!」
「さ、最悪だアアアアアアア!!」
「落ち着け福井。近頃お前が夜な夜な夕雲型に想いを馳せていることは周知の事実だ」
「なんで追い打ちかけるんですか水無月さん!?」
「それよりも俺、前から気になってたんだけどやっぱり愛宕さんの下の――」
葉山がそう言いかけたところで、不意に彼の肩が突つかれた。指で突いたのは五人の中で唯一女性の坂口。
「なんだよ坂口。今大事なところなんだぞ」
「フナ虫……じゃなかった。軍曹が気持ちの悪い性癖論に熱中するのは結構だけど、あれ」
そう告げた坂口が指を差すその先。いつの間にかミサイル艇を降りた二階堂と熊野は五人を無視して基地舎に向かっていた。
「だー! ちょっと待ってくださいよ中尉!」
葉山は慌てて二人の背を追いかけた。
「下らないコントに付き合っている時間は無い」
「コントじゃありませんよ! それにさっきも言いましたが俺たちならあの船動かせますって!」
「……本当か?」
「なんで疑ってるんですか!?」
「疑う要素しかない」
「まったくもってそうですわ」
「二人してなんですかもう! ちゃんと動かせますって! そうだろお前ら!」
「え、聞いてませんよそんな話」
「や、やっと任務終わった所なのにまたですか? ちゃんと手当でますよね?」
「そもそもこの有事に哨戒艇が出るなんて普通あり得ないと思うんですがちゃんと出航許可出ているんですか?」
「……眠い」
「お前らアアアアアアアアアア! それでも日本海軍軍人か! 血税で飯食ってんだからちゃんと仕事しろ仕事!」
「一番仕事してない人が何か言ってますね」
「ええ、まったく」
「ふ、振り回される部下の身にもなって欲しいです」
「……フナ虫のくせにエラそう」
「畜生……なんで俺の部下たちはこうも俺に冷たいんだ」
呻く葉山を他所に水無月が二階堂に訊ねた。
「そもそも何故哨戒任務に行く必要があるんですか?」
「そういえばまだ説明をしていなかったな」
二階堂は事のあらましを五人に語った。
「じゃ、じゃあ今も黒潮ちゃんとお姫様はまだ戦場に取り残されているってことですか!?」
「その通りだ。そこに俺たちも乗り込むことになる。おそらく戦闘は免れないだろう。おまけに未確認の新型敵艦も確認されている。非公式の作戦である上に、リスクも高い。はっきり言って危険な上にタダ働き、下手すれば軍法裁判だ。だから君たちにも無理強いをさせたくはない。嫌なら断ってくれても――」
「何いってんすか中尉。そんなの断れるわけないじゃないですか」
「軍曹に同調するのは癪ですが、同感です」
「ぼ、僕もそうです。いつも前線で戦ってくれているのは彼女たちですから」
「同じ基地の仲間として助けるのは当然のことです!」
「……言うまでもない」
五人とも二階堂の話に快諾したことに二階堂は驚きを隠せないでいた。
「正気か? 頼んでおいてなんだがこんなこと普通断るべきだと思うが」
「仲間の為に命張らなくて国を守れるわけないじゃないっすか。それに俺たちは軍人です。入隊したその時点で全員もう腹は括っていますから」
葉山はそういつもの笑顔で答えた。いつもまとまりのないチームだと思っていたが、どうやら少し見誤っていたらしい。
「そうか。なら、よろしく頼む」
「皆様ありがとうございますわ!」
葉山は手を叩くと叫んだ。
「よーしお前ら急いで出航の準備だ! 時間が無い。さっさと済ませてウチのお姫様たちをお迎えに上がるぞ!」
「「「「了解!」」」」
同刻。黒潮と飛鷹は浦賀水道南部へ向けて北上を開始していた。
現在黒潮は自力での航行能力に支障がある為、飛鷹による曳航のもと凡そ十ノットで目的地まで移動している。幸い、今夜は波風もない為曳航自体はそれほど負担にはならなかった。
「作戦、上手くいったのかしら?」
飛鷹は不安げにぼやいた。
「少なくとも司令はんらにうちらの位置情報は伝える事もできたやろ」
「おかげで敵にも居場所が丸わかりになったけどね」
「安心しい。少なくとも敵の本隊はしばらく追いかけては来んはずや。うちの放った魚雷に足止め喰らってるやろ。今頃いきなり突っ込んできた敵の魚雷に泡吹いてるころやと思うで」
そう言うと黒潮は子供のように悪戯っぽく笑った。
「でも陽動に敵が気付くのも時間の問題でしょ? 第一敵が救難信号の意味を理解しているのかどうかすら怪しいのに」
「しゃーないやろ。少なくとも今はこれが最善の策や」
黒潮は暗天を見上げた。陸と違い光源の無い海では星が綺麗に輝いている。そして一際大きな輝きを放つ大きな満月は、黒潮の白い頬を柔らかな光で照らした。
黒潮の大きく突き出した額に若干の皺が寄る。
「どうかしたの?」
「夜やのにこんだけ明るいんはちょっとマズいなあ」
「どうして? 灯火を出さなくていいんだから敵にも見つかりにくくていいでしょ」
「明るすぎるんや。飛鷹はんは空母やからあんまり知らんやろうけどな、海上での夜間隠密行動に今日みたいな雲一つない満月は適してへんねん。確かに艦隊を組んで航行する以上周囲をちゃんと目視出来る分にはええんやけど、それ以上に水上艦に見つかるリスクが高まる」
「詳しいのね」
「まあ、今日みたいに夜にこそこそ戦うこともようあったしな」
「それって前に居た部隊の?」
「せや。前も。その前も。ここにくるまでうちはずっと水雷戦隊に配属されとった」
すると飛鷹は少し意外そうに黒潮を見返した。
「なんや? うちの顔になんかついとったか?」
「いえ、違うの。ただあなたが自分の事話しているの今まで聞いたことなかったから少しおどろいちゃって」
「そらウチらの部隊は元々訳ありの人員で構成されてるしな。不用意に自分の事話そうとはせんよ」
なら何故急にそんなことを話す気になったのか。と言いたげに飛鷹は眉を潜めた。
「ちょっと懐かしかったんや。今の状況。昔おったところでもそういえばこんなことしとったなーって」
「こんなことって夜間の隠密行動の事?」
「撤退戦や」
「え?」
「そんな顔せんでも珍しないやろ。うちみたいに凡庸な駆逐艦は掃いて捨てるほどおるし、そもそも駆逐艦は接近戦やないと勝ち目もあらへんからな。敵を倒せんかったらその時点で生きるか死ぬかの逃避行や」
黒潮は懐かしむように目を細めた。
「まだ日本が深海棲艦と戦争しとった頃や。南西諸島奪還戦で沖縄にある敵の『巣』の場所を探すために偵察しとったんやけど、他の部隊のヘマで敵の主力部隊に見つかってもうてな。
結局ウチともう一人以外は全員轟沈――いや、轟沈なんて生温いもんちゃうな。なぶり殺しにされとったわ。
髪の毛引っ張って無理やり頭皮引きちぎったり、一枚一枚肉をそぎ落としたり。まだ砲撃で上半身吹っ飛ばされた娘のほうがマシやったと思う。
なんにせよ、最後に命からがら逃げ伸びたウチとその子も、今みたいに夜の海で、いつ敵に見つかるかも分からん極限状態の中で小便ちびりながら震えて曳航したんや。まあその時はウチの方がその娘引っ張る側やってんけど」
「でも、今ここにいるってことは助かったんでしょ。あなたもその娘も」
黒潮は少し寂しそうに小さく首を振った。
「うちもその時は精神的にも体力的にも限界なんてとっくに越えとった。だから仲間に保護されるまでずっと逃げる事しか頭になかったんや。
そんでやっと助けられた時、振り向いてその娘に言うたんや。『やったで。うちら助かったんやで』って
ほんならうちの後ろにはだーれもおらんかった。曳航用のロープが海に垂れてるだけで、後ろには忌々しいくらいに何もないだだっ広い海しかなくて。
あの娘はうちの為に、自分からロープを切って沈むことを選んだんや」
おそらくその艦娘は自身の最期を悟ったのだろう。だからせめて、彼女が仲間に救助されるその時までは前だけを見て進んでほしい。そう願って自ら命の綱を絶った。
「その後うちが何回も土下座して救助艇だしてもろたんやけど結局あの娘の遺体は見つからんかった。後になって主機だけは見つかって引き上げられたんやけど、結局遺体の残骸すらなかった。主機も噛まれたみたいにそこらじゅうへこんどった。あの辺はフカも多いし、大方餌にでもなってもうたんやろな」
想像を絶する地獄である。
疲労も苦痛も恐怖も、その先に待っていた絶望も。無力故に仲間を死なせ、責任と後悔に押しつぶされることも。
彼女は、黒潮はその小さな背に背負いきれないほどの絶望を負っていた。
「せやから飛鷹はん。もしうちがこのまま駄目になったらその時は――」
「ふざけたこと言ってんじゃないわよ!」
飛鷹は背を振り返り後ろの黒潮を睨んだ。
「誰があんたを見捨てるですって? 馬鹿にするのも大概にして頂戴!
私はね。大切な人を助ける為ならたとえ海の底だろうと助けに行く。もしあんたが嫌がろうと、余計な御世話だと罵ろうと、私を拒絶して傷つけようと、そんなこと私の知ったことじゃない。私は絶対にあんたを救う。引きずってでもあんたを連れてみんなの元へ帰るんだから、だから――」
最早叫びだった。声は掠れ、喉は小さく震えている。彼女の言葉は黒潮ではない誰かへの懺悔であるかのように、そんな悲痛さを孕んでいた。
飛鷹は黒潮に背を向けると視線を落とし、口を小さく開いた。
「――自分から死ぬなんて、そんな寂しいこと言わないでよね」
しばらくの沈黙。
そして黒潮の口が小さく開かれた。
「その……ごめんな。うち、飛鷹はんの気持ち無視しとった」
「……私のほうこそごめんなさい。急に怒鳴ったりしちゃって」
「ええって。ウチの為に言うてくれたんやし。それに怒られてちょっと嬉しかったんや」
「それどういう意味? まさかあなた……」
「違うわ。さっき飛鷹はん叫んだ時、うちのこと大切な人って言ってくれたやん」
飛鷹は奇天烈な声を上げるとみるみる顔を紅潮させていった。
「いや、それはその……言葉のあやみたいなものであって、別にあなたに対して好意を抱いてるとかそういうわけじゃ……」
「うわぁ……なんやこの絵に描いたようなツンデレ」
「う、うるさいわね! いつもふざけてるくせにこういう時だけ真面目になるあなたに言われたくないわよ!」
真面目という言葉にうっと声を漏らし黒潮も顔を紅くする。
「な、なんや! うちにシリアスが似合わんっちゅーことかいな!?」
「当たり前でしょ! この上方ひょうきん駆逐艦!」
「上方を悪口みたいに使うなや! このどぐされパッツン尻デカ女!」
「言ったわね! 今尻デカって言ったわね! 気にしてるのに! だったらお望み通りロープ外して沈めてやるわよ! 今ここで!」
「やれるもんならやってみィ!!」
洋上でギャーギャーと騒ぎ始めた二隻。しかし突然端末から警報音が鳴り響き緊張が走る。
「示現反応有り! 数一、六時の方向距離約二百! 真っ直ぐこっちに近づいとる!」
「クラスは?」
「駆逐級。多分さっきのミサイル攻撃で生き残ったやつや」
「敵の速度は?」
「約二十三ノット」
「このままじゃ追いつかれる!」
現在二隻の速度は十ノット。しかし黒潮を曳航した状態でこれ以上の速度は危険である。
「飛鷹はんはこのまま速度を維持して!」
黒潮は主砲に装填を行うと迎撃の準備に入った。
「無茶よ! ただでさえこんな状態に加えて今はマニュアル航行なのよ!」
「大丈夫。ウチと飛鷹はんならあんなザコ一匹くらい楽勝や」
「楽勝って……何か策でもあるの?」
「その前に確認や。飛鷹はんの今の兵装に艦砲はあるか?」
「そんなもん空母が持ってるわけないでしょ!!」
「じゃあ他になにか弾飛ばせる奴はないんか」
「四十口径十二・七センチ連装高角砲と二十五ミリ三連装機銃ならあるけど……」
「よし。ほなウチの合図で面舵五度。敵が見えたら高角砲で威嚇射撃たのむで」
そう告げた黒潮は三メートルほどの曳航用のロープを更に二十メートルほどまで伸ばした。
「ちょ!? 黒潮、あなた正気!?」
「こうでもせんと二人仲良く砲撃の的や。それよりさっさと面舵!」
「ッ……分かったわよ!」
黒潮も伊達に第二十特殊戦術部隊で旗艦を務めているわけではない。部隊の中でも黒潮は艦歴が最も長く、航行練度も三隻の中では最も優秀であり、その実力は飛鷹も熊野も認めていた。
だからこそ飛鷹はそれ以上は何も言わず、舵を右へ切ると大きく旋回を始めた。
しかしそうなってしまえば自力航行のできない黒潮は同じ方向を向く敵駆逐からすれば絶好の的となる。加えて曳航用ロープが長ければ長いほど敵からの停滞時間も長い。
言ってしまえば自ら犠牲になると宣言しているようなものだ。先ほどの黒潮の発言もあり本来であれば断固として断るべきであるが、飛鷹には彼女の考える策が大凡予想出来ていた。だからこそ余計腹立たしい。
三時方向へ旋回したところでようやく敵が姿を現した。
駆逐イ級。黒潮の言った通り左程強い艦ではない。しかし夜間である以上艦載機は飛ばせず、黒潮も足をやられている為油断は出来ない状況だ。
飛鷹は高角砲をイ級に向けると砲撃を開始した。
当然と言うべきか、日ごろ高角砲を使うことのほとんどない、まして水上艦に向けたこともない飛鷹の砲撃がイ級に命中するはずなどなく、左右に逸れた場所で水柱が上がった。
「下手糞」
「ちょっと! 聞こえてるわよ!」
「ええからさっさと撃ち続けろやノーコン!」
「次ノーコンって言ったらあんたを狙うわよ!」
そんなことを言っていると真っ直ぐ黒潮に向かっていたイ級が飛鷹の砲撃に反応し、舵を黒潮から砲撃してくる飛鷹に向けた。
「あーもうやっぱり! 最初からこれが狙いだったのねこの悪魔!」
「文句言うてる間に一発でもええから当てろや!」
「分かってるわよもう!」
涙目で砲を構える飛鷹を他所眼に、黒潮は主砲を構えるとイ級に狙いを定めた。
「チャンスは一回。外せば攻撃能力があると判断されて曳航されてるうちが先に狙われる、か……ハハ、まるでスナイパーやな。飛鷹はんのこと笑われへんで」
そんなことを呟きながら黒潮は飛鷹に迫るイ級に狙いを定めた。イ級も飛鷹と同じく旋回している為狙いは定めやすい。
予想通過地点を計算。風向風速湿度に重力。様々な環境条件を計算した上で着弾地点を算出。そこにイ級の通過点を重ね、着弾点への通過予測時間と着弾までの時間を計算。
本来であればこのようなまどろっこしい演算は全て戦術統合システム『イヴ』の演算機が一括で行っているのだが、現在首都の某所で稼働している『イヴ』との通信は隠密行動につき敵からの場所の特定を避ける為、こちらから全てオフラインにしている。
だからこそ、現在黒潮はその演算の全てを一人で行う必要があった。正に神業である。
駆逐艦であればある程度は『イヴ』に頼らずとも長年の経験と勘で当てることは可能であるが、それでも一発必中とはいかない。
そんなことが出来る駆逐艦は黒潮の知る限りただ一隻のみ。天性の勘と天賦の才を持ち戦の神に愛された、正に駆逐艦として生きることを運命付けられた『幸運の駆逐艦』の名を持つ少女。
勿論黒潮にそんな眩しい才能は無い。知恵と努力と勘のみを綱にここまで生き残ってきた。
「だから今だけは頼むで、戦の神様!」
引鉄を引いた。
砲弾は黒潮の計算通りの角度と速度で目標地点目がけ飛翔。そして見事に砲弾はイ級の脳核がある頭部に命中。イ級は黒煙をあげた。
「よっしゃあ!」
しかしイ級は沈まなかった。黒煙の中から飛び出すと緑の光を更に強く輝かせる。
「クソッ、浅かったか!」
イ級はむき出しになった頭部の脳核を黒潮に向けると一気に駆けた。
「アカン、このままやと――」
ところがイ級は再び着弾音と共に黒煙をあげると今度こそ海中へと没した。
「――へ?」
状況が読めずポカンと口を開く黒潮にわざとらしい鷹揚な声で無線が入る。
「あらぁ? どうしたの。そんなカバみたいに口を開いて」
するとイ級の沈んだ奥から、どうだと言わんばかりに得意げな顔で高角砲を構えた飛鷹がこちらを見ていた。
「…………どうせ偶然やろ」
不機嫌そうに頬を膨らませそう小さく呟く。
それからしばらく、静かな洋上に二隻の喧騒が響いた。
曳航用のロープを再び元に戻した黒潮は、洋上に浮かぶ撃破したイ級の死骸に近づき、飛鷹と同じく二階堂から支給された対深海棲艦用のコンバットナイフを頭殻に突き刺した。
「何してるの? 敵に見つかった以上ここにいるのは危険よ」
「分かってる。でも確認せなあかんことがあるんや」
「確認?」
「飛鷹はん、あんたはさっきのイ級どう思う?」
「どうって……」
飛鷹が答えるよりも早く、黒潮はイ級の頭殻に切れ目を入れると硬質殻を一部引きはがした。すると中から青色の血が溢れ、アンモニアに似た鼻を突き刺すような独特の臭気が飛鷹の顔を歪ませる。
「というかあなた何してるの?」
「ええから続けて」
「え、ええ。そうね、偶然通りかかったにしてはえらく動きが直線的というか、真っ直ぐ向かってきていたわね。まるで初めからこちら側の位置を把握していたみたいに――ってまさか……!」
「偶然、うちらを見つけたってことはないやろな」
「でももしここが本隊の索敵範囲内だとして、普通イ級単艦に斥候なんてさせるのかしら」
「確かに。いくらこっちが手負いでも流石にイ級一匹だけってのはちょっと不自然や」
そう言いながら黒潮はむき出しになったイ級の頭部に躊躇いなく手を突っ込み内部をまさぐり始めた。
イ級の肉がぐちゅぐちゅと擦れる音に不愉快そうに眉を潜ませながら飛鷹は続ける。
「だったらそのイ級の索敵網に私たちが引っかかったと考えるしかないんじゃない」
「それがどうもそう言う訳にはいかんみたいや」
「どういうこと?」
黒潮はイ級の頭部から手を引き抜き、腕に着いた汚れを海水で落としながら答える。
「今イ級の主砲以外の装備を確認してみたけど、兵装は主砲だけやった」
「それって……」
「あのイ級はうちの索敵範囲外から真っ直ぐ一直線にこっちに向かって来とった。電探があらへんのにも関わらず、まるでそこに敵がおると確信しているかのような動きで」
「でもこっちの索敵範囲には敵影なんて一つもない。おまけにこれだけ距離があったんじゃイ級は本隊と連絡を取り合うことだって出来ないはず。だったら、コイツは一体どうやって私たちを見つけたっていうの?」
「そもそもや。なんで敵本隊はさっさとうちらを攻撃しに来うへんねん。いくら向こうも態勢立て直す言うたかてたった二隻の手負い艦やで? もしほんまに索敵範囲内なら岩礁で気絶してた時点で攻撃しに来ててもおかしない。いやむしろそうするべきや」
「それはつまり敵本隊には私たちが想定しているような広範囲の索敵能力がないってこと? でもそれじゃあ超長距離射撃の説明がつかないんじゃない」
「魚雷や」
「は?」
「ここに来る前、救難信号発信機付の欺瞞用空魚雷を発射したにも関わらず、うちらはさっきのイ級に見つかった。広域のレーダーでも、姿の見えないステルス艦でもない。なら考えられる可能性は一つ。本隊とは別に、うちらをずっと監視してる奴らが他におる」
「ちょっとまって。でもそれじゃあ私たちの索敵に引っかからないことや、あなたと熊野が超長距離の精密射撃を受けた時にも敵影や観測機が見つからなかったことと食い違うじゃない」
「何も敵が水上だけとは限らんやろ」
「それってまさか……」
黒潮は足元に視線を落とした。
「敵はこの海の下や」
「じゃあ私たちの今の動きも敵に監視されて……」
「可能性は高い」
「それってかなりまずいんじゃない? 居場所が敵に筒抜けだったらすぐに敵もこっちにやってくるはず――ってそうか。その為の魚雷だったのね」
黒潮は小さく頷いた。
「逆方向にそれぞれ進む移動体。加えて本隊側はウチの放った魚雷を確認してるから、うちらが本隊の進行を阻止しようと攻撃してきたと勘違いして警戒しとる。潜水艦側が感知したウチらの動きと本隊側が確認した魚雷の威力行為。互いの情報に齟齬がある場合、ツリー状の戦略指示系統を持つ深海棲艦はより上位権限を持つフラッグ艦の判断が優先される」
「つまり現状私たちに敵の追手が掛かっていないということは、敵の旗艦は本隊の中にいるってことね」
「多分フラッグは例の艦載鬼を飛ばしとった装甲空母鬼。そいつがどれだけ頭の回る奴かは知らんけど、それでも時間は十分稼げるはずや」
飛鷹と黒潮が護衛艦隊から逸れ約十一時間が経過した。目的地である旧日本海軍の魚雷発射実験施設跡に到着すると、剥きだしのコンクリート製桟橋から陸に上がり腰を降ろせる場所を探すべく内部の散策を始めた。
「それにしても、本当になにもない場所ね」
そんなことをぼやくほどには、精々五十メートル四方のこの小さな人工島に人の面影は無かった。
あるのは煉瓦製の倉庫だったものとおそらく魚雷実験を観測する為の二階建てのコンクリート製施設。そしてそのどちらも施設と呼ぶには風化が進み過ぎていた。
煉瓦製倉庫の屋根は落ちうまい具合に壁だけが直立。その中央にはぽつんと名も知れぬ広葉樹が一本ひょろりと伸び、床には瓦礫が無造作に転がり石の隙間からは雑草が無造作に伸び散らかってる。
コンクリート製の観測所では鉄筋がむき出しになり、そこら中から毛のように這い伸びている。二階へ続く階段は今にも崩れそう、といより既に半分ほど崩れていた。
飛鷹は不意に思い出した。これは俗に言う廃墟なるものなのだろう。以前熊野の読んでいた文芸雑誌に特集として今の光景に似たものが掲載されていたことを覚えている。
正直自分には何が良いのか皆目分からなかったが、熊野曰く時代に取り残された記憶が絶妙な哀愁を漂わせているとのことらしい。黒潮に見せた時は『なんか秘密基地みたいでわくわくするなぁ子供の時分思い出すわ』と談じていた。今も十分子供だろうと言ってやりたかったがそこはあまり詳しく踏み込まないほうがいいのだろう。噂では艦娘になると歳を取らないそうだが、今のところは都市伝説である。
そんな些末なことを考えながら飛鷹は黒潮に肩を貸すと倉庫跡のレンガ壁にもたれ腰を降ろした。
「ありがとうな」
弱弱しい声で黒潮は例を述べるとゆっくりと息を吐く。黒潮は目に見えて衰弱していた。無理もない。岩礁のあった場所からここまで殆ど休憩なしで五時間以上連続航行を続けていた。ただでさえ負傷の激しい黒潮にとってこの移動は体力的にも相当消耗したはず。黒潮の艤装着装限界時間も残り数時間を切った。これ以上の無理な移動は黒潮の命にまでかかわる。
「ここまでくれば流石に敵にも見つからないわ。今は助けがくるまでゆっくりしていましょう」
そう言って飛鷹は空を見上げた。天井の無い倉庫には代わりにどこまでも続く暗幕が広がり、数多の星々は宝石の如く色鮮やかな輝きを見せる。
「なんとなく、廃墟の良さが分かった気がするわ」
「何か言うたか飛鷹はん」
「いいえ、ただの独り言。それより本当に助けなんて来るのかしら」
「流石に朝までには助けも来るはずや。一応ここ、緊急時の救援ポイントにも指定されてるみたいやし」
端末を取り出し自身の発言に間違いがないか確認するべく海軍の規定マニュアルフォルダを開く黒潮。
「でも敵だって私たちを血眼で探しているはずよ。助けが来るより先に敵に見つかるかもしれないし、そもそもあの人が助けに来る確証もないのよ」
「司令はんなら絶対に来る」
確信めいたその言葉に飛鷹は眉を潜めた。
「ふぅん、信用しているのね。あの人のこと」
「なんや、やきもちかいな」
「そんなわけないでしょ。冗談も大概にして頂戴」
心底嫌そうに顔を歪め不機嫌そうになる飛鷹に黒潮は苦笑した。
「相変わら司令はんの事嫌いやな飛鷹はんは」
「別に嫌いってわけじゃない。あの人なりに色々思うところはあるんでしょうけど、ただそれでもやっぱり納得できないだけ。軍規を守ることは当然だし、それを破った相手に処罰を下すのも当たり前のことかもしれない。でも私たちは兵器よ。深海棲艦を殺す為に力を振るって何がいけないの?」
「だからこそ、とちゃうか。当然人命救助も深海棲艦を殺すことも大事や。でもそれ以上に部下の命が危険に晒されることがあの人には我慢ならんのやろ」
「部下の命って……艦娘が今更自分の命がどうこうなんて気にしているわけないじゃない」
「せやからあの人は甘いんや。人であることを捨てたうちらに人と同じ態度で接して、兵器ではなく兵士であることを望もうとする」
「それってただのエゴじゃない」
「だからうちもあの人の事は信用してない。ただ……」
「ただ?」
「あの人はウチと同じや」
黒潮の口調はどこか確信めいていた。
「それって過去に何かあったってこと?」
「同類の目。同族の目。地獄に片足突っ込んで泥沼から抜け出せんようになった哀れな奴。だから分かるんや。あの人は絶対ここに来る。一人でも、最後に頭一つになったとしても、うちらを助けにくる」
「どうしてそこまで」
「呪いや。先に死んでいった連中に掛けられる、死ぬまで解けへん呪い」
「じゃあ、あの人は私たちと同じなの?」
「さあなぁ。司令はん本人は何も言わんし。ただうちら艦娘に基礎体力や対人戦闘の訓練させたりと対深海棲艦の白兵戦を想定してる辺り、思うところもあるんやろ」
「思うところ、か」
飛鷹は頭を壁に付け夜空を見上げる。
「あの人にも大切なものがあったのかしら」
それ以上二隻は何も喋ろうとしなかった。静寂が二人を包み込もうとしたその時、夜の帳を裂くように警戒音が鳴り響いた。
「敵性反応!?」
慌てて敵の位置と数を確認した飛鷹の手が震える。
「うそ……なによ、これ」
端末に映し出される赤い点はおびただしい数で幾重にも重っている。敵性反応は三十以上。その大半が重巡級と戦艦級に占められていた。これは間違いなく敵の本隊である。
黒潮は忌々しげに顔を歪めると拳を握ると壁に殴りつけた。
「クソッ! なんでや! いくらなんでも早すぎるやろ!」
敵は予想をはるかに上回る時間でこちらの位置を嗅ぎつけ追いついた。一体何故なのか。敵はこちら側の魚雷を陽動だと気づいていたのか? だがそもそも深海棲艦にはそういった判別が出来る知能は備わっていないはず。しかしこのタイミングで追いつくというのは間違いなくこちらの放ったデコイを無視した動きだ。
まさか、本当に気付いたのか? 敵に陽動か否かを判別する能力があったというのか。しかし、それにしたって判断が早すぎる。もし仮に陽動であると判断しての行動だとすれば、もう少し警戒して動くはず。惧れや警戒心を抱かずこれだけの速度を出すなど普通は考えられない。
「まさか……」
飛鷹の脳裏にある可能性が浮かんだ。否、可能性というより、それは見落としに気付いたと言うべきだろう。
先ほど何故イ級が単艦で襲ってきたのか。敵本隊はこちらの位置を把握していながら何故すぐに追いかけてこなかったのか。そしてなにより、何故フラッグ艦が本隊の中に居るという先入観に囚われていたのか。
「本当のフラッグ艦は――潜水艦」
飛鷹の考えた可能性が最も現実的であり可能性が高かった。それになによりも敵フラッグ艦が単艦で海底に潜むはずがないという先入観に囚われていたという事実が、より可能性に現実味を帯びさせる。
絶望は唐突に、津波の如き勢いで押し寄せてきた。
敵の主戦力を擁する大艦隊は砲撃範囲内に入っても尚進攻を進めている。おそらくは直接二隻を叩きに来るのだろう。 どうやら奴らは殺しを愉しむつもりらしい。
黒潮は脇腹に負った傷の痛みを堪え身体を起こすと主砲に弾を込めた。
「黒潮あなた、まさか戦う気!?」
「逃げ場もない。助けも来うへん。なら戦うしかあらへんやろ」
「無茶よ! その身体じゃまともな戦闘なんて出来るわけないじゃない」
「それでも闘う。うちは艦娘、兵器や」
近づいてなお、敵は速度を上げた。あと数分もすれば敵は上陸してくる。
最早逃げ場などは無い。
二階堂と熊野、そして葉山軍曹率いる哨戒部隊員五名はミサイル艇で横須賀を出港後救難信号の発信地点へ急行するべく移動を開始した。
「それでは改めて救出作戦のブリーフィングを始める」
操舵は坂口と太田、福井に任せると、葉山と水無月はブリーフィングに参加することとなる。
船内に設けられた3Dモデリングの光学海図を起動すると、救難信号のあった座標に赤いピンが立てられた。
「ここが約一時間前救難信号のあった場所だ。だが二人は既に発信地点にはいないだろう」
「つまり陽動ってことですか?」
「ああ。信号は二つ、平行に直進した後しばらくしてロストした。おそらく黒潮が魚雷の信管を抜いて発信装置を付けたんだろう」
「どうして黒潮がやったと?」
「あんな底意地の悪い策を思いつくのは彼女くらいだ」
二階堂はまるで我が子の成長を喜ぶように口元を曲げた。
「評価しているのかそうでないのかイマイチ分かり辛いコメントですわね……」
「少々露骨すぎるが策としては悪くない。欺瞞ついでに敵を混乱に陥れられるしな。いずれにせよ二人が既にここにいないことは明らかだ」
「では問題はお二人がどこに向かったのかということですわね」
水無月伍長が手を挙げた。
「それについてはある程度予想は出来ています」
水無月は光学海図に手早く情報を入力すると、海図に青いピンを立てた。
「出ました。赤ピンから二十五キロ先館山湾沖合にある旧日本海軍の魚雷発射試験場跡です」
「そこにお二人はいらっしゃると?」
「可能性としては高いです。もし手負いで救助を待つのであればここしかないかと」
「旧日本海軍の魚雷発射試験場ねぇ。なんでそんなもんが未だに残ってんだ?」
「館山を含む南房総一帯は戦災汚染地域に指定されていますからね。住民からも船が通りにくいからいい加減潰して欲しいとの声はあったようですが、その住民が全員戦災に巻き込まれて死んでしまったのでは忘れ去られても仕方ありません」
「国益の為に建造されて、用済みになれば忌み嫌われて最後には存在そのものを忘れられるってのはなんか虚しいな」
「戦争とはそういうものです。必要とされても所詮は人殺しの道具。嫌われて当然ですわ」
「ま、まあとにもかくにも目的地が決まったんだしさっさと助けに行こうぜ! なあ水無月」
「そうはしたいんですが……少々厄介なことになったみたいです」
「厄介?」
「深海棲艦の本隊に動きがあったとの情報が。水道を北東方面へ移動開始したようです」
「チッ動き出したか」
「進行方向は房総半島方面。目的は恐らく……」
「先に手負いの飛鷹と黒潮を片づけるつもりか」
「今から魚雷試験場跡に向かっても敵本隊の方が先に到着してしまいます。それに例の超長距離射撃のことも。このままでは我々も到着するまでに落とされる可能性があります」
「今回の件で一番のネックはそこですわ。わたくしたちの持つ電探のスペックを遥かに上回る電探を敵は有しています。それをなんとかしないと敵の救出は非常に困難かと」
「いや、それは多分違うな」
「違うと言いますと?」
「電探のことだ。恐らくそんなものはない」
「どうしてそう言い切れますの?」
「もし本当にそんなものがあれば今頃君たちは殺されていたはずだ。敵にはその機会がいくらでもあった」
「ですがそれではあの超長距離射撃に説明が着きません」
「考えられるとすれば潜水艦級だろうな」
予想だにしない言葉に熊野は困惑した。
「せ、潜水艦? どうしてそうなるんですの?」
「君が報告した超長距離から観測機無しの砲撃。たしかに精密射撃には観測点が不可欠だ。これは現代兵器戦においてもある程度通ずるものがある」
「人工衛星や警戒機がこれに含まれてますね」
「ですがわたくしたちの応戦中に敵の観測機は一機もありませんでしたわ。念のために水上機も飛ばしましたのよ?」
二階堂はやれやれと言わんばかりにため息をついた。
「まったく、これだから艦娘は……」
「ちょっと! 今のは聞き捨てなりませんのよ! いくら提督でもその言い方はあんまりではありませんの!」
頬を膨らませ抗議してくる熊野。しかし二階堂は顔色一つ変えずに続けた。
「君は人の話を聞いていたのか? 俺は観測《点》が不可欠と言ったんだ。そして潜水艦級の最大の利点は?」
すると水無月が気付き手を打った。
「敵は海底に潜みパッシブソナーでお二人の居場所を把握していたということですね」
「もしそうだとしても潜水艦級が近くに居たら、あの時わたくしたちも気が付いていたはずですわ」
「たしかに静止した状態で対潜警戒をしていればその可能性もあっただろう。だが君たちは敵を背面に高速航行をしていた。加えてこいつを見て欲しい」
二階堂は海図のとある海域を指さした。
「ここがどうかしましたの?」
「東京湾内部の水深は深くても精々八十メートル程度だが南部へ行くにつれて深度はさらに深くなる」
「なるほど、東京湾海底谷ですか」
水無月が興味深げに地図を拡大した。
「おい、水無月。そのカイテイコクってなんだ?」
「東京湾の外湾部には深度が急激に深くなる海域があるんです。その深度は凡そ五百メートルから八百メートル。十分に深海と呼べます」
説明しながら3Dモデリングで構築された東京湾海底の断面図を他の三人に見せる。水無月の言葉通り、二階堂の示した海域を中心に深度が大きく下がっていることが分かる。
「なるほど……確かにこれだけの深さであれば、二メートル弱の潜水艦級を捉えるのは難しいですわ。でもだからこそ海軍は掃討作戦以前から示現反応に特化した探知網を張っていたのでは?」
「君は奴らがどうやってここまで侵入してきたのか忘れたのか?」
「そうか! 新たに深海棲艦が出てきたあの黒い船。あれも確か伊豆諸島近辺にいきなり出てきたんだってな。現示反応が一切無かったとか」
「深海棲艦がどうしてあんなものを用意出来たのかは知らんが、こちら側の現示反応探知網を掻い潜れる以上、恐らく潜水艦にも同様の処置が施されているはずだ」
「つまりわたくしたちは最初からその潜水艦に動きが筒抜けだったと」
「でもどうするんですか中尉? 熊野嬢は重巡です。対潜装備なんて持っていないですよ?」
「せめて護衛艦隊からSH-60Jだけでも出してくれればいいんですが」
「こんな状況で対潜哨戒ヘリなんて上が出してくれるわけないだろ。俺たちただでさえ無断で行動してんだぞ」
「そもそも探知網すら掻い潜る相手に対潜ヘリが有効かどうかも怪しいですしね」
葉山と水無月が言い合う最中、操舵に居た太田から無線が入る。
『あの~実はその事なんですが、先ほどから横須賀基地隊司令部より無線が引っ切り無しに入っていまして。今すぐ横須賀に戻れと』
「あ? そんなもん無視しとけ」
『で、ですが……』
「今更遅い! 適当にごまかせ!」
睨む葉山に怒鳴る水無月。
「そんな無茶な! 第一言い訳なんて司令部が効いてくれるわけ――」
太田が言い切るより早く無線を切ると水無月が指示を求めた。
「それでどうします中尉」
「このまま突入する」
「ほ、本気ですの!?」
「今は一刻を争う事態だ。悠長なことは言ってられない」
「ですがもし潜水艦に見つかれば到着する前に敵の砲撃の餌食に」
「だったら簡単な話だ。こちら側も攻撃を始めればいい」
「んな無茶な!? 我々船は動かせますがミサイルなんて発射できませんよ!」
「ミサイルは無理でも二十ミリ機銃とデコイがあったはずだ」
「ですがそれだけでは正面から敵を抑えるのは無謀すぎです!」
「無謀は端から承知の上だ。それになにも持たず突入するとは言っていない」
「「「え?」」」
熊野、葉山、水無月の声が重なった。
「戦うための道具だってちゃんと揃えてある」
二階堂は船内に持ち込んだ幾つかの木箱を開けると中を三人に見せる。すると三人の顔はみるみる蒼ざめていった。
「オイオイ……悪い冗談だろ? 重MAT(79式対舟艇対戦車誘導弾)にハチヨン(84mm無反動砲)、パンツァーファウストまであるぞ!?」
「それだけじゃありませんよ。重機関銃はもちろんC4、ハンドアロー(地対空誘導弾)まで……」
「中尉! こりゃ一体なんです!? 戦争でもおっぱじめるつもりですか!?」
「おっぱじめるも何も戦争はとっくに始まっているぞ軍曹」
「いやそんな『何当り前の事言ってんだお前』みたいな顔で言われても! というか、こんなもん一体どこから持ってきたんですか!? 明らかに正規のルートじゃないでしょ!」
「安心しろ。一応これらは全て正規の兵器だ。ただし海軍とは別ルートからのモノだが」
「ちょっと熊野嬢! お宅の提督一体何者なんですか!? 大量の対戦車兵器をさも当然のように船に持ち込む海軍中尉なんて聞いたことありませんよ! というかあってたまるか!」
「さあ、何者かと聞かれましても……ただのアホとしか」
「アホにも限度ってもんがあるわ! どーすんのこれ!?」
「重巡級までならこいつらでもある程度は有効なのは実証済みだ。以前の任地の一つであるタイのプーケットで重巡級四隻に囲まれた際にもこいつのおかげで――」
「そういうこと言ってんじゃないんですよ! これ、バレたら俺たち間違いなく軍法会議ですよ!」
「軍曹、自分たちが勝手に船出してる時点で十分にアウトです」
「そ、そういえばそうだった……」
葉山は思う。今ほど自身の軽はずみな発言を後悔したことはなかったと。
すると操舵室の方から無線が飛び坂口の張りつめた声が聞こえた。
『レーダーに高速移動物体反応。こちらへ直進して来ます。二時の方向、数は五』
空気が一気に張りつめた。敵は既にこちらの位置を把握しているらしい。
「思ったより早いな。ここも敵の索敵範囲内ということか」
「でもまだ敵の潜水艦の居場所も分かりませんのよ?」
「そいつは後回しだ。直ちに迎撃態勢、各員戦闘配置に着け」
「「了解」」
「了解ですわ」
船内は一気に気忙しくなった。
『中尉、進路はどういたしますか』
「進路はこのまま。速度も維持だ。敵を蹴散らせ」
『了解』
「それではこれより作戦に入る。さぁ、戦争(しごと)の始まりだ」
操舵を坂口上等兵に任せ、男手は迎撃準備を始めた。
「中尉、発射装置設置完了しました」
「ご苦労だ軍曹。敵は間もなく右舷三十度から姿を見せる。こちらの射程範囲内に奴らが入ったら照明弾を打ち上げる」
「それじゃあこちらの居場所晒すようなもんですよ」
「どのみち敵にはこちらの位置なんてとっくにばれている」
するとレーダー分析を行っていた福井から無線が入った。
『て、敵射程範囲内への侵入を確認』
「了解した。ではこれより――」
『い、いやちょっと待ってください。これは……魚雷です! 右舷後方敵の魚雷発射を確認、数は三』
「後方からだと!?」
「福井! 坂口に魚雷の予想進行座標送れ! 全力で回避しろ!」
『りょ、了解!』
二階堂は甲板で待機していた太田に無線を出す。
「太田、照明弾発射だ」
『了解です。照明弾発射!』
魚雷を回避しながら高速で移動するミサイル艇から一条の光の筋が天高く昇ると、月夜の海を煌々と照らした。
その光の中から浮き出すように、水平線には無数の影が海上に揺らめく。
『ぎょ、魚雷間もなく艦艇船尾と船頭を通過!』
福井のカウントが始まる。
『ま、間もなく魚雷最接近します。十、九、八、七――』
照明弾の光のおかげで敵の魚雷航跡が良く見える。福井のカウントに全員が固唾を飲んだ。
『三、二、――一!』
僅か三メートルほどの距離を敵の魚雷が通過した。
『魚雷三本とも通過を確認』
「よし、ではこれより状況を開始する。各員、打ち方始め」
ミサイル艇から何発もの誘導弾が発射された。
夜闇の彼方からいくつもの赤い光と轟音が湧きあがる。
「こちら太田、後方敵命中!」
「こちら水無月、前方敵全弾命中。敵は行動不能となりました。ですが……」
水無月はそれ以上の言葉を続けなかった。否、続けることが出来なかった。
絶望などという言葉が生易しく感じるほどに、夜闇の水平線には塗りつぶさんばかりの赤や緑の発光色が浮かび上がっていた。
「おいおい……どーなってやがんだこの数は。どっから湧いてきやがった!」
予想を上回る深海棲艦の数に最早笑いが込み上げそうになるが、そんな笑ってしまいそうな数の軍勢はたった一隻の船を狙って一斉に攻撃を開始した。
戦闘状況が始まってから二十分が経過した。周囲を敵に囲まれ戦況は硬直状態に陥っている。
「クソ! 撃っても撃っても次から次へと湧いてきやがる! せめてフラッグ艦さえ倒すことが出来れば……」
葉山がそう呻いた時、無線から聞き慣れぬ声が聞こえた。
『お困りのようだね!』
その一言で船内の人間でないことは明らかだった。しかし周囲に船の反応は無い。あるのは忌々しいほどに群れた敵の影だけ。
すると船外後方から爆発音が響いた。敵の暴発ではない。明らかに第三者の介入だった。そしてその第三者とはおそらく――。
「まさか皐月!?」
聞き覚えのある声に熊野は思わずそう訊ねた。
『そうさ、僕だよ!』
「どうしてあなたがこんなところに」
『ひっどーい。折角僕が助けに来たのにその言いぐさはなんだい?』
「ですが……」
それ以上は口に出来なかった。熊野の知る限り、皐月は先の戦闘での朝霜の凄惨とも言える大破負傷により精神的に重いショックを受けていた。戦闘などまともに継続できる状態ではなかった。しかし今の彼女はそんなことなど露ほども感じさせない。
『そんなことより、いいのかい? こんなところで道草食ってて。今は一刻を争っているんじゃないの』
「それは承知していますわ。ですがこんな状況では……」
『要はこいつらを全員動けなくすればいいんでしょ?』
「何か、策があるんですのね?」
『熊野たちの状況は大岡大佐から聞いている。多分そいつら敵の本隊の指揮系統からは外れた奴らだよ』
「提督の話ではこの付近の深海に潜水艦級が潜んでいて、おそらくはそれがフラッグ艦だと。ですがわたくし達には対潜装備が……」
『あるよ。対潜装備なら僕が持っている』
「えぇ⁉ どうしてあなたが」
「――なるほど、大岡大佐の御指示か。考える事は同じらしい」
『ご明察! えーと、おじさんの名前は……』
「二階堂だ。あとおじさんじゃない」
『とにかく、僕は今から潜水艦の索敵をする。ただどれくらい時間が掛かるのかは分からない。提督と熊野はなんとかここを突破して先に目的地まで移動して』
「……本当に、大丈夫ですの?」
その問いに無線はしばらくの間沈黙した。そして。
『うん。僕はもう大丈夫さ』
ほんの僅かに声が震えている。精いっぱいの強がり。
それでも皐月の意志は固かった。そうでなければ単身ここまで来れるはずもない。彼女は彼女の大切なものを護る為今ここにいる。
「分かりましたわ。決して無茶だけはしないでくださいまし」
『分かってるよ。それじゃ!』
そう言い残し皐月は無線を切った。
「葉山軍曹、火力を前方に集中させろ。一気にここを抜ける」
「了解です」
船は再び速度を上げた。前方の敵を撃破し道を開くと前へと進む。
「さて」
残った敵を引きつれ離れていった二階堂たちの船を見送った皐月は海上で静止した。
白い月明かり。濃い潮の匂い。小さく揺れる海面。海水でべた付いた身体を涼しい夜風が通り抜ける。
意識を外側から内に向け、深呼吸の後にゆっくりと目を閉じると意識を深く沈殿させた。深い深い深層意識への到達と同時に今度は感覚を鋭敏に、外部へと張り付かせる。
――水中聴音機、起動。AIFOSSとのリンクを確認。各ポイント定置ソナーブイとのリンク確認。出力百五十。
「アクティブソナー、発信」
ポーン。単調な高い音が等間で鳴り響いた。
海底の地形図、潮流、水温、各所で発信されたソナーの情報が一挙に皐月の脳内に流れ込む。
それはまるで暗く深い海の中を泳いでいるようだった。
光の無い闇の中、己の存在さえ不安定な場所。どこが上でどこが下かも分からない。刺すような冷たさと息苦しさが徐々に皐月の精神を蝕んでいく。
怖い。今すぐ逃げたい。
そんな本能が前に出てくるが、それでも皐月は手を前に、手探りした。ここで逃げては、朝霜に会わせる顔が無い。誓ったんだ。大切な仲間はこの手で護り切ると。
暗闇の中、必死に手を伸ばしそして――。
「見つけた!」
手探りの手の指先に何かが触れた。どうやら先のアクティブソナーに反応して動きを見せたらしい。深く潜っていた意識は一気に上昇。再び深呼吸すると、爆雷の投擲態勢を整え目的の場所まで急行した。
「爆雷発射用意。深度七百に設定。発射!!」
皐月の通った後に幾つもの爆雷が投げ出されると次々に沈んでいく。
「五百……五百二十……五百五十……」
端末に爆雷の深度が表示される。
「六百六十……六百八十……六白九十……七百!!」
海面が僅かに揺れた。
ソナーの方でも爆雷の起爆を確認した。
「よし、あとはちゃんと倒せたかどうかだけだね」
皐月は無線を繋げた。
丁度その頃船上では敵の猛攻に二階堂たちは切羽詰まっていた。
「まずいです中尉! こちらの火器では間に合いません! 数が多すぎます!」
「なるべく蛇行運動をするんだ。少しでも敵の目を攪乱させれば……」
その時船艇が音を立てて大きく揺れた。砲撃ではない。銛のような固く重い何かが突き刺さる音。
「なんですの!?」
熊野が呻いた直後、福井が慌ててやってきた。
「た、大変です中尉! 軽巡ト級が一隻船内に上がろうと船縁に爪を突き立てています!」
「流石に船内では対戦車武器なんて使えませんわ! ――って提督!?」
何も言わず二階堂は船外へ駈け出した。
「何してるんですの! 今外に出るのは危険ですのよ」
「ト級は俺が何とかする。君たちは引き続き敵を殲滅しろ」
そう言い残すと二階堂は銃器も持たずに船内へ乗り込もうとするト級の元へと向かった。
「なんとかするって……人間が化け物に敵うわけないじゃないですの」
二階堂が船尾へ向かうとそこには船内に身を乗り出した双頭の咢を持つト級の姿があった。
ぞわり。
二階堂の全身を薄気味悪い寒気が走る。生物でも機械でもない歪な存在は否応なく人間に対し嫌悪感を与えた。
不愉快で恐ろしく、忌々しい。――だが懐かしい。
二階堂は笑った。否、笑っていた。自然口元が緩み、開き切った瞳孔のまま敵に対し、悪意どころか好意すら覚えている。
こいつらは人類の敵であり尊ぶべき存在ではない。それはつまり、何をしても許容され、咎められない存在。己の全てをぶつけ、ありとあらゆる感情をただ暴力一点のみに発露することの出来る唯一の存在。
――だから俺はこいつらが好きだ。こいつらといる時だけは俺が俺でいられる。
敵を目の前にし、二階堂は楽しげに口を開いた。
「久しぶりだな化け物」
「ギギ……ギ」
二階堂の声にト級の双頭が反応する。
「寂しかったよ。ずっと会えなくて。片時もお前たちの事を忘れなかった」
ト級は呻きを上げると砲身を二階堂に向ける。
二階堂は腰から二本のコンバットナイフを抜き出した。
「さぁ、一緒に楽しもうじゃないか。化け物同士、愛を語らい仲良くしよう」
ト級は蒼白い腕を振りかざすと二階堂目がけ振り下ろした。二階堂はそれを寸でのところで躱すとト級の懐に入り込み双頭の喉笛を切り裂く。
ト級は耳障りな悲鳴を上げると青い体液を噴き出す。距離を置き、二階堂に再び拳を降ろすが今度も攻撃は外れる。
二階堂はまるで紙のようにゆらゆらと揺れ、寸でのところで躱しては隙が生まれる度ナイフで刻んでいく。
「どうした? そんな闇雲じゃいつまで経っても攻撃は当たらないぞ。ああ、そうか。目が無いんじゃ俺がどこにいるのかも分からないのか」
煽られたことを理解したのか、それまで沈黙を貫いていた中央の咢が突然吠えた。
「そこか」
すかさず開いた口に手榴弾を投げ込む。ト級の咢が爆音と朱の炎に包まれ青い体液と一緒に肉と脳幹がはじけ飛ぶと、そのまま身体を崩し活動を停止させた。
「……あっけないな。やはり活動時間の長短で個体差も大きく変化してくるのか」
二階堂がぶつぶつと考察を始めた時後ろから熊野の悲鳴が聞こえた。
「て、提督!? これは一体……まさか、提督がひとりでおやりになりましたの?」
「さして驚くことでもないだろう。これくらいなら艦娘じゃなくても出来る」
「え、ええ……まぁ、現に目の前でそうされてますしそうですけど……ってそんなことを言いに来たんじゃありませんのよ! 坂口からの連絡ですわ。間もなく目的の魚雷発射実験跡地に到着するとのことです」
「そうか。しかしその前にまずはこいつらをどうにかしなければな」
そう言って二階堂は再びコンバットナイフを構えると船尾の方向へ居直った。船尾には再び敵が今度は三隻も乗り込もうとしている。
「あわわわわわわわわわ……」
顔を蒼白に言葉を失う熊野。それに相反するように二階堂の笑みは先ほどよりも深くなる。
「ああ、今日はいい。実にいい」
「何も良くないですわよ! どうするんですのこれ! いくら提督と言えど三隻同時に相手にすればひとたまりもありませんわよ!」
「逆に考えるんだ。今度は三倍敵と戦える」
「何故敵を前にしていきなり脳筋になっているんですの!? キャラが豹変しすぎでしてよ!」
「いいから君も早く戦う準備をしろ」
「艤装もしていないのに戦えるわけないですわよ!」
半ばやけくそに叫ぶ熊野を他所に敵の三隻は咢を開くと吠えながら二階堂たちに襲いかかった。
「ぎゃー! 死ぬ! 死にますわ! 死に際の会話が脳筋相手だなんて最悪ですわ!」
熊野は涙目で目を瞑る。しかしいつまで経っても敵は襲ってこない。恐る恐る目を開けるとそこには完全に活動の停止した深海棲艦が横たわっている。
いつの間にか辺りは静けさに覆われていた。目の前の三隻だけではない。この船を追っていた全ての深海棲艦が活動を停止していた。
「い、一体なにが起きたんですの?」
その時丁度熊野に無線が入る。
『こちら皐月。熊野さん、そっちの動きはどう?』
「それが、何といえばよいのやら。突然深海棲艦が全て動かなくなってしまいまして」
『良かった! じゃあ無事に成功したんだね!』
「まさか、フラッグ艦を倒したんですの!?」
『ああ!』
腰が砕け、熊野はへなへなと甲板に座り込んだ。
「良かった……本当に良かった」
「まるであっけないな。もう少し骨のあるやつはいないのか」
「何を馬鹿なことを言っているんですの。もう少しで死ぬところだったというのに!」
涙目で頬を膨らませる熊野は小言を続けた。
「中尉、敵の生体反応途絶しました。もうここに敵はいません」
「了解した」
船内に残った深海棲艦の死骸を処理した後、船は再び目的地へと急行した。
すると二階堂はどこか寂しそうにじっと船尾から海を眺めた。この普段は岩のように表情の硬い男が侘しげな顔をしているのは珍しい。
「提督? どうかされましたの?」
「いや、なに。倒した敵の事を思うと少しな」
これは意外である。いざ戦闘となると悪鬼羅刹に豹変するこの男が人ではない敵に情けをかけるとは。
「提督……あなたは何も悪くありませんわ」
熊野はそう慰めの言葉をかけた。
「ああ、ありがとう。そうだな……もう少し奴らを殺しておくべきだった」
「心配したわたくしがアホでしたわ!」