エピローグ1
厳密にはまだ戦闘は終了していない。飛鷹達が去った後も肝心の彼女にはまだ息が残っていたからだ。
遠くで聞こえる砲撃音にうっすらと瞼を持ち上げ、そして徐々に意識が覚醒していく。
混濁した意識の中、装甲空母鬼は己の可能な限りの記憶を頼りに現状を思い出す。
そうだった。私はまだ死んじゃいない。
そう、あの忌々しい艦娘とニンゲンをまだ殺していない。覚醒するにつれ、己の内に抱いている泥の様な憎悪が湧きあがり、その表情を憤怒に染め上げる。
「ニンゲン如キガ、ヨクモ、ヨクモオオオオオオ!!」
装甲空母鬼はまるで怒りに震えるように、全身から白い湯気が立ち込めると、全身に付いた生傷が一気に治癒されてゆく。
「許サナイ。許サナイ許サナイ許サナイ許サナイ! 絶対ニ殺シテヤル!」
「目覚メタバカリナノニ相変ワラズダナ」
まるで相手を嘲る様な腹立たしい喋りには聞き覚えがある。
「レ級、生キテイタノカ」
崩れた岩の上に座るレ級はひらひらパーカーの袖を揺らす。喉と肩に穿たれた傷は既に治癒していたが、落とされた腕と蛭尾だけは再生できていないらしい。
「チョットヤバカッタケド、今ハコノ通リサ」
「ソノ様子ダト、オ前モ失敗シタノカ」
「マアネ。今回ハ分ガ悪イヨ。色々トイレギュラーガアッタ上ニコンナ状態デ援軍マデ寄越サレチャ流石ニネ」
「イレギュラー……アノニンゲンノコトカ」
「ソレモモチロンダケド、手負イトハイエ単艦デ僕ト互角ニ渡リ合ッタアノ重巡ヤ腕ヲ落トシタ駆逐艦モ普通ジャナイ。次ニ闘ウノガ楽シミダ」
「次? 何ヲ言ッテイル。マダ戦闘ハ終ワッテイナイゾ」
「ハ?」
「冗談ジャナイ! コノ私ガ雑魚三隻、マシテ下等種相手ニ遅レヲトルナンテ絶対ニ許サレナイ! 今スグ奴ラヲ追イカケテ四肢ヲ引キ裂イテヤル!」
「……ソレ、本気デ言ッテルノ?」
「私ハイツダッテ本気ダ。レ級、出撃ノ準備ヲシロ。オ前モアイツラヲアノママ逃ガシテ返シタクハナイダロウ」
レ級の丸く大きな目に半分ほど瞼が下りた。今まで一度も見せなかった目。好奇でもない。喜悦でもない。それは諦観と侮蔑、そして失望の織り交ざった目。
レ級は大きくため息を漏らした。
「アー……ヤッパリ、アンタモソウイウ奴ダッタンダナ」
「何ヲ虚ケタコト言ッテイル。早ク準備ヲ――」
唐突に、胸に大きな振動が走る。理解が追い付くよりも早く、装甲空母鬼は口から青い体液を吐き出した。
胸を見下ろすとそこには大きく穿たれた孔が開いていた。
「ナ――ニガ」
「アーア。少シハ見込ミノアル奴ダト思ッテイタケド。所詮鬼ジャコノ程度ガ限界カ」
「レ級、貴様……!」
「気付カナカッタ? ドウシテ単独戦闘ガ主体ノ僕ガオ前ノ旗下ニ加ワッテイタノカ」
「何ヲ言ッテ……」
「まだ分からないかなぁ? 僕の実験的投入なんてのは建前だ。『上』はお前の監視役として僕を派遣したんだよ」
「ソン――ナ、馬鹿ナ」
「オ前ガ旗艦トシテノ責務ヲ放棄シテ暴走シナイカ。ソレヲ見定メ、素養ガ無イト判断スレバ僕ガ処理ソスル。最初カラコウイウ決マリダッタンダ」
「嘘ダ……ソンナノ嘘ニ決マッテ……」
「往生際ガ悪イナァ。コノ状況デマダ信ジナイトカ頭固イニモ程ガアルヨ。僕モ途中マデハ見テイテ面白カッタシ付キ合ッテアゲタケド、マサカコレダケノ醜態ヲ晒シテオイテ、ダタ未練ガマシク戦オウトスルナンテ、チョット厚カマシイヨネ」
「レ級、貴様……貴様アアアアアアア!!」
装甲空母鬼は我を忘れ激昂するとレ級に襲いかかった。しかしそれよりも速くレ級は跳躍すると、装甲空母鬼の上半身にある本体の白い細腕を顎で引き千切りもぎ取る。
「アアアア! 腕ガ! 腕ガアアア!」
悲鳴を上げる装甲空母鬼を他所に、レ級はもぎ取った腕を失った腕の切り口に当てる。すると互いの筋繊維がまるで触手のように伸び、絡み合い、繋がり、最後はレ級の本体と完全に結合した。
両腕を繋ぎ終えたレ級はリハビリがてら肩を回し、掌を開閉させる。
「ヨシ、チャント繋ガッタミタイダナ。多少腕ガ細イ気モスルケド、コノ際贅沢ハ言ッテランナイシマアイイカ」
「何故……私ガ!」
「決マッテルデショ。ソレハアンタガ僕ヨリモ下等種ダッタカラダ」
「下等種? コノ私ガ、オ前ヨリモ、下等?」
レ級はにたりと笑った。
「ソウダヨ。オ前ハ僕ヨリモ格下ダ。僕ヨリモ下劣デ下賤デ下卑タ哀レナ塵芥ノ一ツだ。良カッタネ。ヨウヤク自分ノ立場ニ気ガ付ケテ。下等種サン」
「ヤメロ……ヤメロヤメロヤメロヤメロ!!」
違う。私は違う。下等種なんかじゃない。違う、違う。
装甲空母鬼は瞳に青い体液を蓄えながら何度も同じ文句を呟いた。
最早興味など失せたと言わんばかりにレ級は無機質な眼で哀れな装甲空母鬼を見据える。
レ級は発狂する装甲空母鬼に近づく。指の先に筋力を集中させ関節をぺきぺきと間の抜けた音で擦らせながら嗤い、一切の躊躇いなく装甲空母鬼の頭部を撥ねた。
大きなポニーテールが宙を舞い、重い音を立てて地面に転がる。白く艶やかだった装甲空母鬼の髪は泥と体液で薄汚れ、そこには最早生前の凍りつくような美しさは欠片もなかった。
「マ、全部嘘ナンダケドネ」
レ級は撥ねた頭部を拾うと、頭骨を破り中に納まっていた脳核を引きずり出し咀嚼した。
「サテ、コレデ残リノ連中ハ僕ノ支配下ニナッタワケダケド……アー駄目ダコリャ。殆ド艦娘ニ殺サレテルッポイネ。シャーナイ。今日ノトコロハ撤退ダナ。流石ノ僕モ一人デ主力部隊相手は御免ダ。イヤ、個人的ニハ是非殺シ合ッテミタイケド、今ハ命令ニ従ットクカ。ソレジャアネ。艦娘諸君、マタ会ウソノ時マデ。ソレト、ニンゲン。次モ期待シテイルヨ」
独り言を言い残したレ級は瞳を蒼く揺らめかせ跳躍。誰にも悟られず魚雷発射実験場跡を後にした。
エピローグ2
「大凡はこちらの予想通りに事が進んだようだな」
受話器を手に、三笠根海将は間延びした声を執務室に漏らした。
『ええ。試験的に導入した新たな空挺システムも遺憾なく能力を発揮しました。これでそちらの面子も立つことでしょう』
「ともかく無事に終わってよかった。テスト運用もないままアレを導入すると聞いた時は正気を疑ったが、作戦も無事に成功した。これも君のおかげだ」
『多少のイレギュラーこそありましたが、大凡こちらの想定範囲内の結果です。然るべき情報は得ることが出来ました』
「しかし、最初君たちの方から話を持ちかけられた時は豆鉄砲を喰らった気分だったよ。本当のところ半分ほどは博打のつもりだったんだがね。性質の悪い詐欺ではないかと肝を冷やしていた」
『我々はただ目的遂行の為接触したまでです。今ここで行われている通話は本来あってはならない許されざる内容であることをお忘れなく』
「分かっているよ。相変わらず用心深いな君は」
『立場上、それくらい用心しなければいけないということです。我々は表向きは存在してはならないことになっていますから』
「それもそうだな。ところで――今回の件に当たって君が紹介したあの男、確か二階堂といったか。彼は何者なんだ? 聞けばたった数名の下士官を連れて敵の本隊を急襲した上、敵陣に取り残された部下を連れて生還したそうじゃないか。彼の噂は幕僚部の耳にまで届いているが、君とは一体どのような関係が――」
『申し訳ありませんが、それを答える権限が私にはありません。同じくあなたにもその問いを訊ねる権限はございません』
「……はははは、そうかそうか。そいつは失礼した。どうやら海将たるこの俺にも触れてはいけないものというのがこの国にはあるらしいな」
『ご理解ありがとうございます。海将閣下』
「いずれにせよ、今回の一件で大本営は大きく揺れるだろう。特に水面下で強引に遠征作戦を進行させていた柴村一派は終わったも同然だ。この事件は近いうちマスコミ各社にも流れる手筈となっているから、幕僚部は嫌でも公表せざるを得ないだろう。事は思惑通りになった」
『……閣下。くれぐれも我々との約束をお忘れなきよう。もし約束を反故にする動きが少しでも見えた場合は――』
「分かってる分かってる。そう何度も言うな。これでも俺は義理堅い男だ。例え相手が政府の狗であったところで、勤めは果たす」
『――そう、ですか。それでは私はこれにて』
そう言い切ると、相手はこちらの言葉を待たずに通話を切った。
受話器には無機質な電子音が流れ、三笠根はため息をつくと受話器を降ろした。
するとまるで機を見計らったかのように執務室の扉にノックが鳴る。
「入れ」
「失礼します」
入ってきたのは三雲次官補。
「おう、久々だな」
「つい先日お会いしたばかりです」
「んなこと分かってるよ。連れないな……。それよりも、だ。今俺の前に現れたという事は全て手筈通り済んだのか?」
「ええ。今回の一件のマスコミ各社へのリーク。そして二階堂中尉以下特殊戦術部隊及び神島基地隊の下士官五名の処遇については一部の軍規違反を除きその一切を不問、非公開にするということで片が付きました」
「相変わらず仕事が早いな三雲君は。うちの秘書にも見習ってほしい」
「というよりも、あなたの秘書になった人間は皆三か月で移動願を出すか辞職しています」
「おっと、その情報は古いぞ。一か月だ。記録更新」
「誇るべき部分は微塵もありませんが……まあ今はそんなことはどうでもいいです。それよりもいいのですか?」
「何がだ?」
「先ほどの電話の相手です。私には信用に足る人物とは思えないのですが」
「言いたいことは分かるが、今回は事態が事態だ。立場上俺が表立って動ける範囲も限られている。その点奴らは靄だ」
「靄?」
「ああ。奴らはどこにでもまるで幻のように現れ、そして囁くように語りかけ、そして最後は跡形もなく消え去る。まるで初めからそこには何も無かったかのように、な」
「彼らの目的は一体何なんです? 同じ軍部にありながら内部の人間にすら非公認とされている組織。そんなものがあるとは到底信じがたいのですが……」
「信じようと信じまいと奴らは現れた。まるで見計らったかのように。二年ぶりに深海棲艦が領海内に出現したと同時に、空挺システム・二階堂中尉という現状に見合った要素を提示し、見事に成功させた」
「妙と言えばその深海棲艦です。例のステルス艦艇。軍の研究開発部の連中の話によると、それまでの深海棲艦の系統から、今回のような兵装の登場は極めて考えにくく、深海棲艦が大型の輸送機関を用いる前例はありません。おまけに特殊戦術部隊の主力艦が遠征に出たと同時の今回の一件。これまでの深海棲艦の戦術からは考えられない動きばかりです。これじゃあまるで――」
「人間みたいだ、か?」
三雲は口を噤んだ。認めたくはない、人類が最も憂慮し恐怖を抱く可能性。
もし奴らに人と同等の知恵が備われば、それはつまり新たな武器、戦術・戦略を得たという事。
もしそうなれば、今度こそ、人類に勝ち目はない。
「このことに特殊戦術部隊は?」
「一部の関係者を除き、彼らに対してもそれら情報の開示は一切行わない。柴村の強引な手引きとはいえ、戦力の大多数を本土から離した事実に変わりはないからな。これで彼らも下手に『こちら側』に介入することは出来ないだろう」
「『こちら側』、ですか」
「何か含蓄ある言い方だな」
「いえ、ただそれで彼ら特殊戦術部隊は納得するのでしょうか」
「禍根は残るだろう。だがしかし今はそれよりも憂慮すべきことが山ほどある。二年間一度も姿を見せなかった深海棲艦の、機を見計らったような大規模急襲。そしてレ級の登場。今は目の前の対策に精いっぱいだ。それに――」
三笠根は愉快に笑う。
「それ以上に彼らは良いモノを手にした」
「良いモノ?」
「今回の一件にマスコミはもちろん、野党の連中も黙っちゃいないだろう。大方軍部の暴走だなんだといってケチをつけて来るに違いない。柴村の解任は当然だが、以前からくすぶっていた特殊戦術部隊に対する不信感もこれに乗じて艦娘排斥論に世論は傾くだろう。当然特殊戦術部隊としてはそのような事態は何としてでも避けたい。だから我々は彼らに手を差し伸べた」
「……二階堂中尉、ですね」
「君はやはり頭が切れるな。野党はともかく、マスコミ連中が最も欲しがるのは出来上がった物語だ。より言えば英雄的、劇場的な展開とそれに見合うヒーロー」
「つまり、自らの命を擲ち敵を倒したヒーローとして二階堂中尉を祭り上げる、と。確かに世間好みの内容ですね。彼を人柱に世間の目をそちらへ逸らさせる。政治家らしいやり口です」
「若干言葉に棘を感じるが、君個人は不満だったか?」
「いえ、ただ……彼を見ていると思うのです。我々は、一体何と闘っているのだろうと」
「戦う相手なんて、人の数だけ存在するもんだ。それこそ同じ立場の人間でも見ている敵は違う」
「何故でしょう。あなたに言われると妙に説得力を感じます」
「お、それってもしかして褒めてくれてる?」
三雲はため息を漏らした。相変わらずこの男はと言わんばかりに。
「そんなわけないでしょう」
エピローグ3
あれからひと月ほどの時が流れた。この一か月はこれまでの人生で最も心臓に悪いイベントの連続だったと思う。
二階堂と共に、秘書艦である飛鷹は報告のため大本営に呼集された。そしてそこで待っていたのは当然の如く、度重なる詰問とお叱りの嵐である。
軍規を乱す無断行動に加え、下士官を危険な戦地へ連れて行ったこと、虚偽の申請によるミサイル艇の無断使用、無許可で火器を持ち出しあまつさえそれを船内で使用する危険極まりない行為。
他にも挙げればきりがない。
二階堂と飛鷹はとにかく頭を下げては別の場所でも頭を下げ、ひたすら謝罪の言葉を述べ続けた。
ところが不思議であったのがこれらの問題行為がいずれも軍法裁判に掛けられなかったことである。最初は手違いか、性質の悪い嫌がらせではないのかと戦々恐々していたが、大岡大佐からの言葉で本当に裁判にならないことが判明した。
どうやら柴村亡き後幕僚内部で発言力を強めた三笠根が絡んでいるらしい。ともかく、二階堂達にお咎めが言い渡されることはなかった。
横須賀にある特殊戦術部隊の本営に直接報告を済まし、特にこれといったお咎めもなく、これにて一件落着――かに思えた。
「なぁ熊野はん……うちは今、一体何をしているんやろなぁ」
物憂げに黒潮はそう言葉を漏らした。
神島基地隊第二十特殊戦術部隊の隊舎。かつて島の小学校であった建造物を改築したこの隊舎には当時の色が深く残っている。
古びた窓ガラスからは昼の厳しい日差しが差し込み、木目の床を白く反射させ熱を帯びている。
そんな窓から差し込む陽光を避けるように、日陰になっている元々教室であったブリーフィングルームの中央に腰を下ろした黒潮は、恨みがまし気に前の席に座る熊野に問うた。
「暑さで頭がやられましたの? 反省文を書いているのでしょう」
「んなことは分ってるわ! だからなんで! うちが! 反省文を! 書かなあかんねん!」
うがー! と声をあげ黒潮は頭を掻きむしりながら勢いよく席から立ち上がった。
「兵装の無断改装並びにその無断使用ですわ」
「しゃーないやろ! あの時は他に方法がなかったんや! 第一本営からは何のお咎めもなかったのになんで神島基地隊にケチつけられなあかんねん!」
「兵装の管理管轄には神島基地隊も関わってますからね……仕方ないですわ」
「くそー! なんで病み上がりのウチにまでこんなことさせんねん! 嫌がらせやろ!」
「おそらく半分は」
「シバく! あの糞メガネだけは死んでもウチがシバく!」
「怒鳴っても現状は変わりませんわ。眉月少佐も決して悪意十割というわけではありませんのよ。現に黒潮だけは反省文の量もわたくしの半分以下ですし」
「それで原稿用紙五十枚ってどういうことや! これもう反省文とちゃうで、ちょっとした小説やろ! なんやかんやノリノリで書いてて我ながら文豪としての才能の開花に恐れ慄いてるわ!」
「そう、でしたら締め切りに追われるのも作家の定めですわ。提出期限、明日の正午ですわよ」
「だいたい、ウチの半分以下の熊野はんがなんでウチよりはよ終わっとんねん」
「あなたが遅すぎるんですのよ。このくらい、一日あれば十分に書けますわ」
「うう……うちはこういうのが一番苦手なんや……」
「頑張ってください黒潮。あともう少しじゃありませんの。それにしても――」
熊野は室内の壁に掛けられた時計をよそよそしく見た。
「提督、遅いですわね」
「ま、しゃーないんとちゃうか。結局あの日以降、お姫さんとは一度も口交わしてへんみたいやし」
「大丈夫なのかしら……」
「さあな。お姫さんも意地っ張りやし。あとどうするかは――」
「はぁ……」
十五回。それは飛鷹が自室に入り、布団に包まって吐いたため息の回数だ。そして今のため息で十六回目。目の下を擦りながらベットに蹲った。
無事に救出されこうして戻ってきたが、あれ以降二階堂とはほとんど顔を合わせていない。謝罪や報告といった事務関連の会話でも他人行儀にふるまい極力会話は避けていた。
一体なぜそのようなことをしているのか。
『私はあなたを提督とは認めない』
「ああああ!」
飛鷹は呻くと頭を掻きむしりながらベットで悶絶した。
「あーもう! 私のバカ! アホ! オタンコナス! どうしてあんなこと言っちゃったのかしら!」
あの日、嵐の中漁船を守る為丸腰のまま囮になった飛鷹に対し二階堂は激怒した。今でもあの時自分が取った行動が間違いだとは思っていない。だが、二階堂の言い分にも一理あった。ここは軍隊で、二階堂は自分の上官だ。そして自分の取った行動は誰が見ても命令違反と呼べるものだった。なら、素直に謹慎処分を受け入れるべきだった。結局、自分はまだまだ子供なのだろう。否定されて癇癪を起す様では自分はあの男以下だ。
そしてそれだけで済めばよかったのだが、一か月前の事件で飛鷹は二階堂に救われた。そしてそれは蛮勇などではなく、飛鷹と黒潮の能力を鑑み、助けられる可能性があると見込んだからこその行動であり、決して飛鷹のようなその場限りの義勇で考えなしに動いたものとは違う。
ちゃんと考えて、それでいて必死になって部下を救ってくれた。
「これじゃあ私の立つ瀬がないじゃない……」
悔しさと申訳なさと無力さと稚拙であったが故の恥ずかしさと。多くの感情が入り乱れ――つまるところ、二階堂に対し素直になれなかった。
彼の想いは素直に嬉しかったし、まさか助けに来ると分かった時は心の底から感謝もした。
でも――
ぎゅ、と拳を握った。
だからこそ、彼女の心は複雑だった。
私は兵器だ。兵器であることを選び、その為に多くを犠牲に唯ひたすら前へ前へと進んできた。
兵器は消耗品だ。身を削ることに厭いを持たず、ただ敵前にして全身全霊で以て臨み、敵を排除する。
それが使命であり、自身に課せられた呪いでもあった。
それを今更お前は兵士、人間などと――
すると突然、飛鷹の部屋に、戸をノックする音が響いた。
驚いて飛鷹は布団から飛び上がり、返事をする。
「誰?」
「俺だ」
短く、その男は返事をした。
聞き覚えのあるその声に、飛鷹は思わず息を呑む。動揺を隠すように棘を含んだ声で返事をした。
「――何の用?」
「少し、話がしたい。その――入ってもいいか?」
十秒ほどの沈黙。その後、木戸から短い返事が返った。
「十分待って」
十分後、木戸が開かれ、中から紅色のワイシャツに黒のスカート姿の飛鷹が、顔を半分だけ出し、三白眼でこちらを睨む。
相変わらず二階堂は仏頂面で何を考えているのか読み取りにくいが、今は目が泳ぎ、しどろもどろしている。
「その、さっきの事なんだが」
「入って」
「なに?」
「入ってって言ってるの。こんなところで長話しても仕方ないでしょ」
飛鷹は二階堂の返事を待たずして、部屋の奥へと姿を消した。二階堂も仕方なくその後を追う形で、彼女の部屋へと入る。
部屋に入り最初に気付いたのは鼻孔を突く独特な油の匂い。飛鷹が扉を開けた時から僅かに漏れていた独特なその匂いは、部屋に入り更に濃くなった。
部屋の中に入り、まず目に入ったのは窓枠ほどの大きさのキャンバス。キャンバスには作業途中だったと思しき、青の絵の具が塗りたくられている。
キャンバスは一つだけではなかった。二つ、三つ、四つ……目で追うだけでも十枚以上はあり、部屋の奥に重ねられているものも含めればそれ以上にある。それだけではない。キャンバスを立てる為のイーゼルに、大小様々な形状をした筆、筆が何本も刺された筆洗器、汚れたパレットとパレットナイフ、画用液や油絵具に鉛筆など、二階堂にさえも名前の分からない、使い込まれた画材道具の数々がこの部屋にあった。ここは飛鷹のアトリエだった。
「驚いた……君、絵を描くのか?」
「そうよ。ここは私の自室兼アトリエ。ちょっとまってね、どこか適当に座れるものを出すわ」
そう言って飛鷹は部屋の片隅に山の如く積もっていたスケッチブックや額縁の山を押しのけると、その下から木製の丸椅子を出した。当然というべきなのか、この椅子にも飛び散った絵の具や油が染みついている。
「それにしても……」
二階堂は飛鷹から椅子を受け取りそこへ座ると、部屋を見渡して呟いた。
「酷い散らかりようだな」
「し、仕方無いでしょ。絵をかいていたらどうしても物は出しとかなきゃいけないのよ」
飛鷹は慌てて誤魔化しているが、どう考えてもそれだけが原因じゃない。視線を部屋の端に送ると、クローゼットから下着と思しき薄ピンクの布がはみ出している。おそらく、先ほどの十分で見られては困る物を纏めてクローゼットにぶち込んだのだろう。どうやら絵以前の問題らしい。今後、彼女には適切な指導をしなければならないようだ。
ふと、二階堂の目にある絵が止まった。
部屋の隅っこに立てかけられていたそれは海の上に浮かぶ船の絵。てっきり艦艇の類かと思っていたが、よく見ると形状が異なる。
「それは商船の絵よ」
二階堂の視線に気が付いたのか、飛鷹が言葉を挟んだ。
「ああ、なるほど。それにしても随分見慣れない形状をしているが、どこの船だ?」
「かつてこの国が持っていた船よ。まあ、正確にはこの国が持っていたであろう、とでも言うべきなのかしら」
そう言いながら飛鷹は自室に備えた冷蔵庫からアイスコーヒーのボトルを取り出すと、マグカップの中へそれを注ぎ、氷を入れて二階堂に差し出した。
「はい」
「ありがとう」
一口コーヒーを含むと、冷えているにも関わらず濃い匂いが鼻を通る。苦すぎず、濃厚な味のこのコーヒー、中々美味い。
「持っていたであろうとは、また妙な言い回しだな」
飛鷹は船の描かれたキャンバスに手を伸ばし、縁を指でなぞり始めた。
「この船の名前は出雲丸。まだこの国が帝国と呼ばれていた時代に、国が造ろうとした商船。でも出雲丸は商船になりそこなったわ。当時起きていた戦争の煽りを受けて、商船になるはずだったのが、無理やり空母にさせられたの」
この子は私と似ている、と飛鷹はキャンバスから二階堂に視線を戻した。
「本来であれば人や物を運んで皆を幸せにしていたはずの船が、たくさんの人を殺すための爆弾を腹に抱えた飛行機を飛ばすことになるなんて。矛盾してる」
「君は、闘うことが嫌いなのか?」
「……そうね、あまり好きでは無いかもしれない。私ね、絵を描いている時が一番楽しい。絵を描いている間は、自分が自分でいられることを直に感じれる。あなたも知っていると思うけど、私たち艦娘の中には船の魂が宿っている。だからね、今でも思い出すの」
「思い、出す?」
「私じゃないもう一つの魂が持つ記憶。鉄の味、真っ赤な血、火の燻る臭い、砲撃音、プロペラ音、悲鳴。目を瞑れば全てが鮮明に浮かぶの。最期にたくさんの人と一緒に沈んだ深くて暗くてどこまでも静かな海底までずっと」
飛鷹は作業用の椅子に腰を降ろすと二階堂を見据えた。
「それで、話って何」
「実はだな……その、なんというか、ここ最近の君の俺に対する態度についてなんだが……」
「えっと、そのことなんだけど私――」
「本当にすまなかった!」
二階堂は立ち上がり両足を揃え、脇を固め腕をまっすぐに伸ばすとそのまま九十度腰を曲げて頭を垂れた。軍人らしい整ったきれいな姿勢である。
「――へ?」
思わぬに稼働の言動に飛鷹はポカンと口を開く。
「先月の一件以降、妙に距離を置かれていることは分っていた。だが俺には一体なぜそのようなことをされるのか身に覚えがなく――いや、ないことはなくもないんだが、その、以前に増して無視されているような気がしていた。俺も原因を色々と考えてみたがこれといって思い当たる節がなく、改善しようにもどの箇所を改善すればいいのか皆目見当がつかない。そこで気が付いた。君は俺の態度云々ではなく、そもそも俺そのものが嫌悪の対象なのではないかと!」
「えぇ!?」
「そうなれば話は簡単だ。君を秘書艦から外し可能な限り君との接触を避けることで目下の問題を回避しようと。そうすればお互い気苦労を背負うこともなく円滑に軍務に励むことができる。しかし一方的に任を解くのも流石に無礼だと思い今回はこうしてここに――」
「ちょ、ちょちょストップストップ! ストップよ!」
あまりの二階堂の暴走っぷりに飛鷹は思わず手を前に出し静止を促した。
「あなたなにか勘違いしてる!」
「そ、それはどういうことだ?」
「それは……その……」
飛鷹は顔を赤くし、少し逡巡したのち言葉を続けた。
「別にあなたのことが嫌いとか憎いとかそういうわけじゃないから」
「じゃあ、一体どうして」
「なんというか、その、あなたと一緒にいるとどうしても思い出してしまうの。昔のこと」
「それはもしや……隼鷹とのことか?」
「知っていたの?」
「偶然聞く機会があった」
「なら話が早いわね。私ね、あの時のことは今もずっと後悔しているの」
「それは、彼女を護れなかったことか? それとも彼女を自分の手で殺したことか?」
「……多分両方。あの日決めたの。もう私の目の前では誰も死なせない。誰かに死なれるくらいなら自分が死んだほうがずっとマシだって。だからあの日以来誰とも仲良くならなかったし、戦うときは全線で、敵は全部叩き潰してきた。まあ、結局はそれも独りよがりの強引な戦い方だって、他の艦と揉めて対立して今の部隊に飛ばされたんだけど」
自業自得ね。と飛鷹は自嘲した。
「誰かを必死に守ろうとすればするほどみんなと遠くなってしまう。皮肉よね。でも私はそれで良かった。そうすれば誰も私に近づこうとしないし、私も無闇に傷つかなくて済む。でもあんたが現れた。確かにあんたは行動が極端で脳筋で何考えてんのか全然わかんない変な奴だったけど、でも真っ直ぐだった。誰よりも真っ直ぐで真面目で不器用で、民間人や敵なんかよりもまず私たちのことを心配してくれた。そして口だけじゃなくてそれを行動として証明した。だから私はきっと、あんたに嫉妬していたんだと思う。偉そうな口きくだけのいけ好かない野郎じゃなくて、ちゃんと私たちのことを見ていてくれた。それが嬉しかったのと同時に、今までの私がまるで馬鹿みたいじゃないかって。そう思うとだんだん自分のことが恥ずかしくなってきちゃって……だから私の方こそごめんなさい。散々迷惑かけて、心配させて。これからは変な意地は張らずにあんたの秘書艦として尽くせるよう努力するわ」
「……一つ、誤解がある。俺が君たちを護るのは決して善意や善徳ではない。俺は軍人だ。敵を殺し相手を脅し国のために忠義を尽くす。そしてそれは君たち艦娘に対しても同じだ。俺は君たち艦娘のことが嫌いだ。しかし同時に俺は君の上官であり提督。部下の命を護るのは他でもない上官である俺の責務だ。この国に忠義を尽くすとうことは、すなわち君たち艦娘にも忠義を尽くすということだ。だから……なんだ。長々と言い訳がましく喋ってきたが、要するにアレだ」
「アレ?」
こほん、と咳払いすると思い切って告げた。
「君のことをもっとよく知りたい」
「………………へっ?」
その言葉の意味を理解すると飛鷹の顔がみるみるうちに紅く染まっていった。
「な、あ、あんたそれってまさか……いやいや、落ち着きなさい飛鷹。相手はこの脳筋ゴリラよ。きっと何か性質の悪い裏があるに決まっている。でなきゃあんなこっぱずかしいセリフ……」
紅潮がばれないよう顔を隠しながらもちらりと二階堂に視線を向ける。
「どうかしたか? 顔に何かついているか?」
――言えるわけがない! こいつの思わぬ言葉についつい心がときめ……じゃなくて、動揺したなんて口が裂けても言えるわけがない! というかそもそもなんで私がこいつなんかに動揺してるわけ!? 抵抗がないから? 今まで女所帯で異性と関わることがなかったから抗体がないとでもいうの!? あーもう! こんなことなら軍内お見合いの一つでも受けておくべきだった!
「あの、飛鷹。どうかしたのか? 先ほどから黙っているが体調でも悪いのか?」
「何でもないわよ! 誰のせいだと思ってんの! 誰の!」
「す、すまない……」
飛鷹の気迫に思わずたじろぐ。
そんな二階堂を見て、ようやく飛鷹はため息とともに冷静さを取り戻した。「と、とにかく! あんたの言いたいことはよく分かった。だから、その……これからもよろしくね。提督!」
「――ああ。こちらこそ、よろしく頼むよ。飛鷹」
「と、ところでさっきの言葉の意味って、具体的にはどういうこと?」
「さっき? ああ、それのことか。それはだな――」
するとちょうど携帯端末に着信が入った。相手は熊野からだ。
「どうした」
『提督? 御用時はもう済みまして? わたくしもう待ちきれませんわ! はやく準備を――』
『司令はーん! 助けてぇなー! 明日提出の反省文が全然書き終わらへーん!』
『こら! いくら自分じゃできないからって提督に頼むのは卑怯ですわ!』
『でもこんなん絶対おわらへんもん!』
『もう、そんなこと言ってたらいつまでたってもお茶会が始められませんわよ!』
「お茶会?」
飛鷹が問う。
「ああ。どうも以前に俺を誘うつもりだったらしい。結局例の事件があってからずいぶんと先延ばしになっていたそうだが。こうして今日ここへ来たのも本当は君をそのお茶会とやらに呼ぶためだ。みんな首を長くして待っている」
「そう……ならいつまでもこんなところでうじうじしているわけにはいかないわね」
「ああ、そうだな」
『まったくですわ! 早く来てくださいまし! せっかくのお茶が冷めてしまいますのよ!』
『せやせや! ずっとギスギスしてんの見ててイラつくねん! はよ告白してすっきりしいや!』
「なっ、告白って黒潮何言って……!」
『まさかバレてへんとでも思ってたんか!?』
『あら、告白って、黒潮、それは一体どういう――』
『実はなぁ~~飛鷹はんって……』
「バカ! それ以上余計な事言ったら本気で殺すわよ!」
『やれるもんならやってみィ~~』
「よし分かった。三分でアンタを殺すからお湯でも入れて待ってなさい」
『アカン、マジトーンやん。どうしよ、熊野はん。ウチ深海棲艦の餌にされる……』
『よくわかりませんが……自業自得、ではないでしょうか?』
『そうと分かれば三十六計逃げるに如かず! ほなさいなら~~』
『あ、こら! お茶会の準備は!?』
最後は会話ですらなく通話は終了してしまった。
「あいつら、結局何が言いたかったんだ」
「さ、さあ……それよりも早く行きましょう。みんなが待っているんでしょ?」
「ああ、そうだな」
二階堂は席を立つと飛鷹に手を伸ばした。
「よろしく頼む、飛鷹」
飛鷹は笑みを蓄え、力強く二階堂の手を握り返した。
「こちらこそよろしくね、提督!」
完