3 海兵式
翌朝、事件は起きた。
それはまだ日も登りきらぬ朝六時。
突然、隊舎内に悲鳴が響き渡ったのだ。
一気に目の覚めた飛鷹が、慌てて自室から飛び出すと、執務室で煤にまみれびくびくと痙攣している黒潮を発見した。
「黒潮!? どうしたの!」
「わ、わからんけど……執務室の扉を開けて、中に入った途端……全身に電流が走って――」
そのままがくり、と黒潮は気を失ってしまった。
「く、黒潮ーー!!」
「なんだ、朝から騒々しい」
「大変なの提督! 黒潮が……黒潮が!」
「安心しろ。そいつは俺が張った害獣除けの電流のトラップだ。もちろん死なない程度に――ドフッ!!」
間髪入れず、飛鷹の拳が鳩尾に飛んできた。
「何やってんのよこのドアホ!」
「い、痛いぞ飛鷹……」
「当たり前でしょ! こっちは痛く殴ってんのよ!」
「何もそこまでしなくても」
「それはこっちのセリフよ! なんで執務室にトラップなんて仕掛けてんのよ!」
「よくぞ聞いてくれた。ここの隊舎は警備が手薄すぎる。そこで昨夜、緊急ではあるが手製のブービートラップをいくつか設置した」
「ちょっとまって……こんなトラップ、まだ他にもあるの?」
「ああ! 電流のほかにも侵入者を捕縛するための落とし穴や、不用意に侵入すれば爆殺可能な感圧式地雷、赤外線に反応して自動で速射する――」
「今すぐ全部片づけてこい!!」
「――で、ちゃんと全部片づけたんか?」
「……」
二階堂は不満そうな顔で小さく頷いた。
「ちょっとは前の提督よりもまともな人間だと期待していた、私が愚かだったわ……」
「愚かとは失敬な。あれは決して破壊工作などではない。立派な防衛装置だ!」
「だとしても極端すぎるのよ! あんたは何と闘ってんのよ!」
「まさか廊下の床が落ちて竹やりに刺されるとは思わんかったわ……あんな原始的なトラップ久々に見たで」
「仕方あるまい。一日ではあれが限界だ。もっと時間があればベトコンも真っ青の罠を――」
「次変なこと口走ったらその口に二十ミリ口径ぶち込むわよ」
「しかしだな……ここの警備は手薄すぎる。これでは敵に入ってくれと言っているようなものだ」
「当たり前でしょ、ここは軍事基地よ! そう簡単に敵が侵入してたまるか!」
「だが仮にも艦娘は国家機密だろう? それを衛兵一人置かずこんなところに追いやるなど、危機意識が低すぎる! これだから内地の人間は……」
「内地だからでしょ! あんたは異常に警戒しすぎよ! 昨日のことといい、海兵部隊の連中ってみんなバカばっかりなの? 深海棲艦にもろくに勝てないくせに、よく私たち艦娘の上に立とうと思ったわね」
「飛鷹はん、それは――」
まずいのではないか。そうたしなめようとした時、肌を突き刺す嫌な空気が執務室いっぱいにあふれ出した。原因は、言うまでもない。
二階堂は射殺す視線で飛鷹を見つめた。
二階堂が持つ独特の雰囲気は、間違いなくこの眼が原因だろう。決して睨むわけではない。ただじっと、相手の眼を見る。ただそれだけのはずなのに、身がすくむほどの何かを感じざるにはえなかった。
「――訂正しろ」
「は?」
「俺の同胞を愚弄した言葉を撤回しろと言っている」
「どうして私が――」
次の瞬間、飛鷹は胸倉を掴まれ壁に押し当てられていた。たった今まで執務椅子に座っていたにも関わらず、その動きに彼女は対応できなかった。
「な――!?」
飛鷹が驚いたのは、二階堂の極端な行動や、怒りとも呼べる感情にではない。人間が艦娘の反応速度よりも早く動き、こちらに対応する余裕すら一切与えなかったことだ。
本来であれば飛鷹や黒潮が組み伏せるはずの相手に、二隻は動くことすらできなかった。
掴まれた胸倉に、二階堂の堅い拳が強く押し当てられる。
「二度はない。撤回しろ。航空母艦」
その言葉でようやく現実に引き戻された飛鷹は、二階堂を睨みつけた。
ちょうどその時、執務室の戸を叩く音がした。
「……入れ」
流石にばつが悪いと思ったのか、拳を解き、胸倉から手を放した。
戸が開き、一人の少女が入ってきた。
亜麻色の髪を結い上げ、茶色を基調としたどこか気品漂うブレザーを身にまとうその少女は、神島基地においても、現在の執務室内においても異質だった。
「失礼しますわ。本日新たな提督が着任されたと聞きまして御挨拶にあがったのですが」
少女は室内を見渡し、何か得心したらしく、小さくうなずいた。
「あら、みなさんもうすでにお集まりになっていらしたのですね。もう、集まるならそうと教えていただければよかったのに!」
頬を膨らましぷりぷりと可愛らしく怒る少女に、一同毒気を抜かれたらしく、ぽかんと口を開いた。
「……見ない顔だな。艦娘か?」
「ええ、そうですわ。わたくし、熊野と申します。そちらの殿方は……」
「昨日付で第二十特殊戦術部隊に配属された指揮官の二階堂率だ」
「あら、ということはあなたが例の新しい提督? 意外と若い方ですわね! 海兵部隊の方と聞き及んでいましたので、てっきりもっと年上の方だとばかり……」
熊野は二階堂に歩み寄ると、一方的に手を掴み両手で振りながら微笑んだ。
「これからよろしくお願いいたしますわ、提督!」
まるで漫画に出てくる上流階級のお嬢様のような、妙ちくりんな言葉づかいの熊野は、天真爛漫という言葉がぴったり当てはまるような笑顔を見せた。
「あ、ああ……こちらこそ、よろしく」
二階堂も飛鷹も喧嘩するに出来ない空気となってしまい、なし崩し的に改めてお互いの自己紹介をする流れとなった。
「では、改めて確認だ」
執務室に二階堂の大声が響き渡った。
二階堂は相変わらずの戦闘服姿で、首からは二枚、それぞれ金色と銀色のステンレス製の認識票を提げ、上は黒いスポーツウェアというラフな格好である。
ウェアの伸縮性上、顕著に現れる二階堂の鍛え上げられた胸筋と腹筋に上腕二頭筋。そして何よりも猛禽の如きその鋭い目つきは、彼が海兵部隊出身であることを如実に語っていた。
二階堂は三人の少女と向かい合う形で立つと、右から順に彼女たちへ視線を移していく。
艦隊旗艦黒潮:第二十特殊戦術部隊の古参であり、戦闘に置いての事実上司令塔。
秘書艦飛鷹:現在この部隊の秘書艦を務めており部隊の代表者兼まとめ役。
そして彼女が最後の一人。
「重巡級最上型四番艦、識別艦名《熊野》。それが君の艦名だな?」
二階堂は手元にあるクリップボードに挟んだ艦娘のプロフィール資料を捲りながら熊野にそう訊ねた。
「ええ、その通りでありますわ」
亜麻色のポニーテールを揺らしながら熊野は胸を張ってそう答えた。
黒潮よりも幾分か年上ではあるが、二階堂からしてみればまだまだ子供の彼女は、妙ちくりんな言葉づかいで肯定した。どうやら本当に地の喋りらしい。
多少耳にはつくが、特に気にするほどでもなく、わざわざ注意も必要ないだろうと、二階堂もそれ以上は言及しなかった。
黒潮・飛鷹・熊野。そして指揮官の二階堂。この四人で第二十特殊戦術部隊というわけである。
「ではこれから君たちには俺の指揮のもと、作戦に従事して貰う。色々苦労することもあるかもしれないが、お互い信頼関係を築きあえるよう努力していこう」
「なあなあ司令はん」
そう言って手を上げたのは黒潮。
「質問を許可する。どうした、黒潮」
「うちらこれからなにをすればええんや? ここの部隊に配属されてから、今まで任務らしい任務なんて、ほとんどなかったで?」
黒潮の予想に反して、二階堂はさしてその事に驚きを見せなかった。
「確かに今現在我々の部隊に任務命令は降りてきていない。だが任務が無いからと言って、必ずしも何もすることがないというわけではない」
「どういうこと?」
「ここ数年、特に二年前、深海棲艦の掃討作戦が成功して以降、近海にやつらが姿を見せたと言う目撃例はなかった。それ故君たちの主な任務も沿岸の警備に限られてきていたが、今は事情が違う」
「事情? どういうことですの」
「皆知っているはずだ。昨日上空二千フィートに敵艦載機が出現したことを」
「でもそれって飛鷹はんが撃墜したやんか」
「ああ、それは俺も知っている。だが問題はそこじゃない」
「と、申しますと?」
「二年間、日本近海で確認されなかったはずの深海棲艦が再び姿を現した。これが何を意味するのか、君たちなら理解できるはずだ」
「まさか、あいつらがまたやってくるとでも言いたいわけ?」
「その可能性は十分にあり得る」
二階堂の言葉に飛鷹が食って掛かった。
「ちょっと待って、相手はたかが艦載機一機よ? 深海棲艦ですらないじゃない。それでまたあいつらがやってくるなんて、ちょっと発想が極端すぎじゃないかしら?」
「確かに艦載機は君が撃墜した。それは俺もこの目で確認している。だが、肝心の奴らは一体どこからやってきた?」
「どこってそれは当然母艦の深海棲艦からに決まっているでしょ」
「じゃあその空母が未だ見つかっていないのはどういうことだ?」
「それはあの艦載機がたまたま群れから逸れただけじゃ」
「そんなはずがないだろう。航空母艦である君ならその意味を十分に理解しているはずだ。飛鷹」
どこか含みのある二階堂の発言に飛鷹は何かを察した。
「……まさか」
「どういうことですの?」
状況が理解できない熊野と黒潮は訝しげに飛鷹を見た。飛鷹はしばらく考察した後、ある確信を得るが、それを認めたくない不安な面持ちで告げる。
「あなた達も知っていると思うけど、私たち艦娘を構成しているAIFOSSの基礎理論は、深海棲艦の死骸の生体情報を元に構築・蓄積を積み重ねたものなの。だから基本的な指揮系統やシステム回路はあいつらと一緒ってこと」
「ごめん、なに言ってるかぜんっぜん分からへん」
「これくらいは常識でしょ!? あなた学舎で何勉強してきたの?」
「うち座学は苦手なんや。頭より体で覚えるタイプやし」
「はぁ……もう。要するに、敵の空母も私たち艦娘の空母も艦載機の操り方は同じってこと。そして艦載機を操作するのは他でもない私たち空母自身なの。つまり艦載機がなんらかのトラブルを起こして指揮系統の外へ離脱でもしない限り、単独での行動はまず考えられないわ。そもそも単独で動かすメリットだってないわけだし」
「ということは、やはり昨日の艦載機はどこか故障をしていたということですの?」
「昨日の艦載機は確認したけどどこも故障している様子なんて無かったわ。それどころか基地のある方向へ一直線に飛んできた」
「え、ってことはそれって……もしかして偵察?」
一同は、執務机に腰を降ろし、腕を組む二階堂を注視した。
「ああ。おそらくは」
「あり得ないわ! 奴らは二年前の掃討作戦で近海からは完全に消え去ったのよ? それに今だって軍艦や潜水艦に哨戒機が、近海約五百キロを絶えず監視しているし、そんな中をかいくぐって、艦載機がここまでやってくるなんて到底考えられないわ」
「だが現実に艦載機はやってきた。奴らが再び我々に牙をむける可能性としては、十分すぎる材料だと思うが」
「――もし、あなたの仮説が本当だったとして本営がそんな世迷言に本気で耳を傾けると思うの?」
「おそらく、君の言うとおり極論の一言で片づけられるだろうな。中には危惧するべき事態だと考える人間もいるだろうが、それでも本営は何らかの理由を付けて、必ずそれを否定する」
「その言い方だと、何か事情を知っているみたいね」
「事情も何も、そんなことを本営が認めてみろ。当然その旨は幕僚を通して内閣府へと回り、内閣側としても当然それを公表せざるを得なくなる」
「そういえば、衆議院選、もうそろそろやってニュースで言っとったな」
馬鹿馬鹿しい。と飛鷹は呆れた様子でため息を漏らした。
「まあなんにせよ、御上には御上の事情というものがある。俺たちが言ってどうこう出来るものでもない。それに俺たちは軍人だ。俺たちの仕事は行政でも政治家や官僚に毒を吐き捨てることでもない。尊い国民の命を護ること。それが俺たち軍人に課せられた唯一無二の任務だ」
「軍人ねぇ。私たち艦娘は兵器の扱いだけど」
「それで、うちらは今からどうすればいいん?」
「――そんなもの、最初から決まっている」
「「「えっ?」」」
二階堂は一拍置くと、告げた。
「これから君たちには《特別な訓練》をしてもらう」
「特別な……」
「訓練……」
「ですの?」
「なぜ外部の――よりにもよって前線で使い捨ての駒よろしく戦わされる我々海兵部隊が、君たちエリート、もとい艦娘の上官になったのか。その理由を教えてやろう。それは――」
「も、もう……! どうして私たちがこんなこと……!!」
飛鷹は息も絶え絶えの様子で、ひぃひぃと悲鳴を上げながら炎天下のグラウンドを走り続けていた。灼熱の太陽は三隻の艦娘の体力を容赦なく奪い取り、飛鷹達陸に上がった艦娘の意識を朦朧とさせてゆく。
『何をぐずぐずと喋っている! 文句を垂れる元気があるならもっと足を動かせ! 五周追加!』
「ふざけんなァーー!」
「ふざけているのは貴様の方だ飛鷹! 口でクソたれる前と後に「サー」と言え! 分かったかウジ虫ども!」
「誰があんたなんかに……!!」
「何? よく聞こえんなァ! 全員十周追加ァ!」
「「「サーイエッサー……」」」
「ふざけるな! もっと腹から声出せ! タマ落としたか! 三周追加ァ!」
「「「サーイエッサー!!」」」
二階堂の叱咤に三隻は怨嗟に満ちた悲鳴を上げた。しかし二階堂の罵声が止むことはなかった。
ランニングを始めて三時間が経過した。突き刺さる日差しは三隻の体力を急激に奪い取り、精神的に蓄積された疲労は、もはや怒りや恨みといった感情を抱く気力すら奪っていく。
黒い長髪を結い上げ、運動用のシャツにべっとり汗を染みこませた飛鷹は他の二人を見た。
最も周回の多い駆逐艦黒潮は、三時間経過した今も特に疲労の色を見せることなく、身軽な身体と訓練学校時代から鍛え上げられた、無駄の無い筋力を活かして軽快に走り続けている。
やはり駆逐艦というだけのことはあるのか、スタミナや運動能力は他の艦に比べ、群を抜いている。
黒潮より三周遅れで走る熊野も、駆逐艦程ではないが、機動性を重要視されている艦なだけあり、体力は十分に備わっていた。
そして肝心の飛鷹はというと――
「どうした飛鷹! また速度が落ちてきているぞ! 貴様それでも艦娘か! 今朝の大口を忘れたのか!?」
グラウンドの正面で腕を組みながら直立する二階堂は大声で飛鷹を厳しく叱咤した。
黒潮よりも十周遅れで、亀のようにのろのろと走る飛鷹は最早体力の限界だった。
それもそのはず。飛鷹達航空母艦は他の巡洋艦と違い、機敏な艦隊運動や敵への肉薄を想定されてはいない。本人の体力自体は左程重要視されていなかった。
中には同じ航空母艦といえど、戦艦以上の馬力を持つ者もいるが、それはあくまで艤装着装時における『艦としての能力』に限ってのことだ。
着装していない今、艦名こそ持っていれど、彼女らはどこにでもいる普通の人間と身体能力的にはなんら変わらない。
他の二人に比べ日頃を重要視していない飛鷹が体力的に劣っているのは自明の理である。
当然、そのことは提督である二階堂も十分に理解していた。しかしそれでも敢えてこのようなことをさせる二階堂の意図が、飛鷹にはまるで理解できない。
最早声を荒げる気力すら奪われ、体力が底を着いた頃、ようやくランニングは終了した。
「あーしんどかった。こんな走ったん久々や」
疲れたと言う割にはどこか楽しそうな面持ちで汗を拭う黒潮に対し熊野も笑顔で答える。
「何呑気なことを言っている。まだウォーミングアップが終わっただけだぞ?」
「ウォー……えっ?」
「次はこの丸太を担いで走る」
そう言って二階堂が用意したのは子供の背丈ほどある丸太。三隻の顔が蒼ざめた。
「し、司令はん、それ本気か? 流石にうちでもこれ以上は無理や!」
「ほう……勇気あるファッキンコメディアンジョーカー駆逐艦。正直なのは感心だ。気に入った。だがサーが聞こえんぞ駆逐艦。もう一度ウォーミングアップをご所望か?」
「サー、冗談であります中尉! サー!」
灼熱のグラウンドに三隻の悲鳴が響いた。
三隻は汗と砂埃とでドロドロになりながらも、必死に丸太を担ぎ悪路を走り続ける。
「俺の趣味は貴様ら艦娘を痛めつけることだ。貴様らは厳しい俺を嫌う。だが憎めば、それだけ学ぶ。俺は厳しいが公平だ。艦種差別は許さん。駆逐豚、軽巡豚、重巡豚、戦艦豚、空母豚を、俺は見下さん。すべて平等に価値がない! 俺の使命は役立たずを刈り取ることだ。愛する海軍の害虫を! 分かったかウジ虫共!」
「「「サーイエッサー!」」」
足をつった黒潮が地面に倒れた。
「貴様……ふざけているのか? パパの精液がシーツのシミになり、ママの割れ目に残ったカスがお前だ! どこの穴で育った?」
「京都の伏見です、サー!」
「伏見にあるのは稲荷と競馬場だけだぞ。種馬には見えんから雌馬野郎か! 貴様も馬のおいなりが好きなんだろう?」
「なっ!? さ、さー……のーさー……」
「おフェラ馬か?」
「サーノーサー!」
「雄のカマ掘るのか! このペニバン大好き変態駆逐艦! 相手のマスかきを手伝う外交儀礼もないやつめ、きっちり見張っているぞ!」
黒潮は顔を真っ赤に紅潮させながら半泣きで立ち上がると、丸太を担ぎ再び訓練に戻った。
その後も苛烈な訓練と、常軌を逸した罵声のオンパレードは続いた。
ようやく彼女たちは悟った。自分たちの元へやってきた提督が、如何にとんでもない悪魔であるのかということを。
※指摘があった為、文章を一部加筆修正しました