「聞きましたよ、中尉」
雑多な音が響く食堂内、一人長テーブルの端で昼食を取っていた二階堂の元へ、葉山が昼食用のプレートを持ってやってきた。
士官と下士官が同じ食堂で食事を取るという一風変わったこの光景は、この神島基地が如何に小規模なものであるか物語っている。
といっても将校クラスの士官はこの基地に用意された専用のガン・ルームで食事を取ることがほとんどだ。わざわざ下士官の多く集まる騒がしい食堂に足を運ぶ物好きはそういない。
「葉山軍曹か。聞いたとは何のことだ?」
葉山は二階堂が着席を許可する間もなく、勝手に向かい側の席に腰を下ろした。
「特別訓練のことですよ。中尉がここに来て三週間、毎日やっているそうじゃないですか」
「当然だ。訓練は日ごろの積み重ねにこそ意味がある」
でもあんなキツい訓練、俺らでもそうそうやりませんよと葉山ははにかんだ。
「しかし意外ですね」
「意外、とは?」
「百田准将からは既に指揮権の移譲と、動員の許可を得たんでしょう? どうして外洋に出ないどころか艤装もせずに毎日陸であんな訓練を?」
「理由は色々ある。だが今のままではどの道駄目だろう」
「駄目、というのは?」
「彼女たちは知らなさ過ぎる。自分たちのことも、この世界のことも」
「はあ、そういうもんなんでしょうか」
今いち二階堂の言葉の意味が理解出来ていない葉山は、眉を八の字にしながらプレートに盛り付けられたカレーを口に運んだ。
「それはそうと、前から気になっていたんですが、どうして中尉は下士官用の食堂でいつも食事を? うちの庁舎にだって将校用のガン・ルームはありますよ」
「……君も相当嫌な性格をしているな。そんなわざとらしい喋り方をしているから、上官にも目を付けられるんだろう」
指摘された葉山は、特に驚く様子も不愉快な顔をすることもなく、先ほどと同じ笑みを見せた。
眉月少佐の態度。庁舎からはまるで隔離されたような場所に立つ、旧校舎を改築した隊舎。
他にも察する要素は幾らだってあった。
この基地において、艦娘は明らかに異質な存在として扱われている。そこに悪意の有無が介在するのかはこの際問題ではない。
だが現状のままでは隊の活動として大きな支障が生まれることは、目に見えて明らかだ。
基地隊との不調和。
一体この基地の連中が、彼女たちにどのような感情を抱いているのかなど、二階堂個人にしてみれば知ったことではないが、自身がその部隊の長である以上、この問題は看過できない。
「教えてくれないか? 一体この基地で彼女たち艦娘と何があったんだ」
「別になにもありゃしませんよ。彼女らが来る前も来たあとも、問題なんて何一つ起きちゃいません」
「なら、彼女たちに対するこの排他的な空気は一体何が原因だというんだ?」
「ここにいる連中の多くは戦場ってもんを知りません。深海棲艦が現れて二十年。近海から奴等が掃討されて二年。十八年の間にこの国は多くのものを失いました。財産・家族・故郷。失ったものなんて人の数だけあります。そして今軍にいる連中の多くはそんな戦火の中、家族や政府の庇護から零れ落ちた奴等です。なんせ、戦場を知っている奴らの殆どは海の藻屑になっちまったんですから。戦争は知っていても戦場は知らない。そんな奴らにとっちゃ変わらないんですよ。――化け物も。化け物みたいな力を持つ人間も」
葉山はコップの茶で食事を流し込んだ。
「中尉はどう思っているんですか? 彼女たちのこと」
そう言って葉山は視線を食堂の入り口に移した。つられてそちらへ目を移すと、丁度食堂に黒潮・飛鷹・熊野の三人がやって来た。三人とも汗と土埃で汚れた身体を洗ったのか、髪が湿っている。どうやら今日一日分の基礎メニューは全てこなしたらしい。
たった三週間で凄まじい成長だ。
最低限の基礎体力に関してはもう問題ないだろう。さすがに海兵隊の新兵基礎訓練と同等のものを彼女たちに強いるわけにはいかないが、それでも軍隊の中では十分に常軌を逸した内容であることには違いない。
伊達に学舎を主席で卒業し、艦名を賜った訳ではないのだろう。あれでも彼女たちは全国でトップクラスの秀才だ。その根性もそんじょそこらの兵士とは段違いである。
「別に彼女たちが兵器であろうと、人間であろうと俺には関係のないことだ。世論の風潮なんぞ知ったことではない。兵器である前に、人間である前に、彼女たちは俺と同じ兵士であり、そしてなによりも俺の部下だ」
すると葉山はしばらくぽかんとした後、笑い始めた。
「何がおかしい」
「すみません、いやちょっと意外というか、面白くて、その。初めてですよ。あなたみたいなことを言う人は。なるほど……そういうことね。俺、あなたに少し興味が湧いてきましたよ。中尉」
「君も相当変なやつだ。俺みたいなのに興味を持つとは」
「そりゃお互い様でしょう」
しばらく葉山が笑っていると後ろから声がした。
「司令官殿! お疲れ様です、サー!」
「おつかれ……っえ?」
突如声を張り上げる黒潮に葉山はぎょっとした。三隻とも、一見変わった様子は見えないが、明らかに目が据わっている。それは最早、生気を感じさせない生きる殺戮マシーンといった風体だ。
彼女たち艦娘をたった三週間でこんな顔にさせるとは。この男、一体彼女たちに何を仕込んだというのか。
「俺の与えた課題は全て終えたのか?」
「サー、三十時間トレーニング、無事終了しましたサー!」
「よろしい」
「三十!? え? ちゅ、中尉?」
「どうした軍曹」
「一体三週間、彼女らに何を……」
「流石に俺の受けた同様のブートキャンプを強いるのは酷だからな。俺なりに彼女たちを指導した」
「ハハハ……」
葉山は引きつった笑顔で答えた。
「よし、お前たち。三週間よく俺の訓練に耐えた。晴れて貴様らはウジ虫を卒業だ。俺は貴様らを海の戦士、艦娘と認めよう!」
三隻は泣きながら沸き立った。
「やっと……やっと終わりましたわ」
「これで開放される……」
「もう今日はゆっくりしたいわ……」
「では午後より、新たに戦闘訓練を追加する。各員時間厳守だ」
食堂内に悲鳴が鳴り響いた。
結局、艦娘たちの猛抗議の末、戦闘訓練は翌日に持ち込まれることとなった。
翌日。二階堂は三隻を執務室に呼集した。
「君たちには新たに戦闘技術を学んでもらう」
「よっしゃ! やっとうちらも海に出れるんやな! いい加減艤装付けとかな身体のほうが訛ってしゃーないんや」
「何を言っている。まだ海にはでないぞ」
黒潮は喜んだ勢いのまま新喜劇よろしくずっこけた。
「どういうことやねん!」
鬼気迫る黒潮を後ろから飛鷹と熊野が抑えながら、「どういうことですの提督」と熊野が訊ねた。
「確かに君たちを艦隊運用する許可は得た。だが肝心の任務は未だ横須賀本営から下りてきていない。俺も何度か任務を下ろすよう打診はしているんだが、どうも向こうはもうすぐ開始される大規模作戦の関係で、我々末端の部隊にまで手が回らないらしい」
「大規模作戦? そんな話、私たち一度も聞かされていないわよ?」
「公式には発表されていないことだからな」
「でも艦娘の大規模作戦なんて掃討作戦の時以来やな。今更どこを制圧するっちゅーんや?」
「聞いた話によると主力部隊が佐世保鎮守府に集結しているらしい。南西諸島の奪還がすでに終わっていることを考えれば、おそらく目的は南シナ海」
「でもあそこって……」
「ああ、奴らの《巣》があるとされている場所だ。下手な刺激は禁物だろう。それ以前にそんなこと、中国が黙っちゃいないだろうが、あの国は今絶賛東西分裂内戦中だ。政府も民主派の暴動や民族紛争の制圧に手一杯なんだろう」
「でもそんなこと世間にばれたら国内どころか海外からも非難轟々とちゃうか?」
「だからこそ今も軍内部で公式な発表がされていない。だが、こちら側には《深海棲艦の掃討による諸島奪還》という国際平和を希求する大義名分がある。まあ、ものは言いようというやつだ」
「皮肉ね。敵であるはずのあいつ等が免罪符になるなんて」
「今のご時世そうでもしなければ、軍隊なんて動かすことは出来ないからな。世界の警察なんて傲慢な通り名を名乗る合衆国ですら、国際世論を気にする時代だ」
「それにしても妙ですわね。どうして今の時期になって南シナ海域の奪還を?」
「あそこは各国のシーレーンが集中する場所だ。これまでのように、わざわざ航路を南へ迂回させて護衛艦隊を付けながら輸送させていては、大赤字もいいところだ。現に今この国の財政は軍備の強化で圧迫されている。物価の高騰に重課税。情勢が不安定なのは他の国に限ったことではない。この国も未だ混沌の時代からは抜け切れていないということだ。どこの国も不満という名のいつ爆発してもおかしくない爆弾を抱え込んでいる」
「なんだか複雑な話ね」
「わたくしたちは軍属の身ですし、俗世の事は理解出来なくて当然ですわ」
「ってえ! うちはそんなしみったれた話を聞いとったんとちゃうわ! その大規模作戦とうちらが海に出られへんのとは一体何が関係しとんねん!」
「さっきも言っただろう。任務が無い以上、海へ出る理由もない。当然演習でも組まない限り外洋へ出るなんて認められないだろう。何せこの国には金が無いんだ。無駄な軍備はびた一文許されないからな」
「じゃあ別の部隊と演習組めばええやろ!」
「こんな辺境の基地にあるたった三人のあぶれ部隊と誰が演習なんて組みたがる。そんな物好きいるならこちらから紹介して欲しいくらいだ」
「ウガァァァァァァァ!!」
黒潮は頭を抱えながら叫んだ。
「誰でもええからうちに早く硝煙の臭いを嗅がせてくれぇぇぇぇぇ!! もう我慢の限界や!」
「飛鷹、駆逐艦は皆ああも好戦的なトリガーハッピーばかりなのか?」
「多分あの子だけというか……あの子の元々いた第十六駆逐隊だけだと思うけど……、というか、海に出ないということは当然陸よね? 私たち、陸で何の戦闘訓練を受けるの?」
「それについては、後程説明しよう。これより三十分後、隊舎運動場に集合だ。各員訓練服を着用するよう」
各々返事をすると、ひとまずは解散となった。
しかし飛鷹だけが、じっと二階堂を睨みつけていた。
「どうかしたのか?」
二階堂の問いに対し、飛鷹は何かを言おうとしたが、それを躊躇った。
理由は分からない。黒潮の叫びやそれを咎める熊野の声、二人をからかう葉山達の会話は、彼女の真意を掻き消した。それは恐らく反抗。二階堂に対する抗議。
だが、二階堂は彼女の意図に気付かない。ただじっと、こちらを睨む飛鷹を不審に思うだけ。
「何してんの? はよ行くでー!」
黒潮に呼ばれ、彼女は小さく首を横に振った。
「……いえ、なんでもないわ。それじゃあ」
飛鷹は二階堂の視線から逃れるように、一人先に執務室を後にした。
三隻は二階堂の指定した隊舎運動場(旧校舎校庭)に集合した。午後の涼やかな潮風が撫でる、青々とした芝生の上に、三隻は二階堂と向かい合う。二階堂は三隻にゴム製の軍用ナイフを手渡した。
「これはなんですの?」
「模擬戦闘用のゴム製ナイフだ。まずはこれを使って近接戦闘技術を身体に叩きこんでもらう」
「近接戦闘? ほな、砲雷撃はないん?」
「ああ。だから今回君たちにはこうして艤装は装着せずに来てもらった」
「どうして私たちが近接戦闘を?」
「兵士たるもの、状況に対した柔軟な行動が常だ。戦場では何が起きるか分からない」
「またそれ? 前にも言ったけれど、こんな辺境の基地でそんな訓練したって意味なんか――」
「それを決めるのは上官である俺の仕事だ。君たちは俺の指示に従えばいい。それに、もし俺に口出しをしたいのであれば、まずは俺をねじ伏せて見せろ」
「――上等じゃない。そこまで言うのならやってやるわよ!」
二十分後。二階堂は芝生の上で四つん這いになりながら肩で息をする飛鷹を見下ろした。
「どうした、まだ十分も経っていないぞ? さっきの威勢はどこへ行った」
「ど、どうして……どうしてナイフを当てるどころか、まともに近づくことすら出来ないのよ」
「君の攻撃は隙が多い上に単調だ。だから簡単に次の攻撃が先読み出来る」
「くそう……」
「はぇーー司令はんすごいなあ」
「えぇ、飛鷹さん、手出し出来ないどころか、ほとんど動いていない提督に右足一つで軽くあしらわれていましたわ」
「さあ、早く立つんだ。戦場では誰も君のことなんか待ちやしないぞ」
「わ、分かっているわよ……でも、身体が思うように動かなくて」
滝のように汗を流しながら、飛鷹は苦しそうに答えた。
「……仕方ない。飛鷹、君は少し休んでいろ。その間他の二人を相手する」
そう言って二階堂が黒潮と熊野に顔を向けると、両者は声を揃えて「ヒィ!?」と悲鳴を上げた。
「何を怖がっている? これは訓練だ。別に死にはしないさ」
「そ、そりゃそうかもしれんけどやな……」
黒潮と熊野は二階堂の足元でえげつない関節技をキメられ、股関節の痛みに悶絶している飛鷹を見た。
「……いくらなんでもやり過ぎではないかしら?」
「安心しろ。最初にも言ったが、これは《訓練》だ。脳震盪を起こしてゲロを吐いても命までは削れない。生きていれば訓練は幾らだって出来る」
「いやあ、でも――」
「なにか、言いたいことでもあるのか?」
二階堂は猛禽の様な鋭い眼を更に鋭くし、有無を言わさぬ眼光で二隻を睨みつける。
深海棲艦と戦ってきた彼女らですら、二階堂のその眼には畏怖を抱いた。
正に艦娘の――戦艦クラスの眼光だ。本当にこの男は人間なのか? もはやそんなあり得ない懐疑すら抱いてしまう程である。
「さあ、新しい訓練の開始だ」
朝の運動場に二隻の悲鳴が響いた。