《六時間前/南シナ海遠征第一空母艦隊》
暗い海中に闇を切るスクリュー音が走った。
一本、二本、三本、白い線が海中を駆け抜け標的に接触した瞬間、海上に爆音と熱風が弾ける。
海は隆起し海面には大きな水柱が何本も立ち上がると、その様子を遥か上空から鳥瞰する偵察機の姿があった。
偵察機から得た情報はAIFOSSの有する多次元神経回路を通じてリンクされ、明瞭にその情報を彼女の脳内に伝えた。
湿度の高い南国の荒れた風に艶やかな黒髪をなびかせ、彼女はインカムに手を当てながら報告する。
『こちら赤城! 敵水雷戦隊の殲滅を確認! 繰り返します! 敵水雷戦隊の殲滅を確認!』
『こちら航空戦隊統括司令部、状況を把握。よくやった赤城。君たちの活躍で作戦は円滑に遂行することが可能になった』
『ありがとうございます。次はどのような命令を?』
『ひとまず作戦本部への帰還を命じる。輸送艦への帰投後、以降の指示は追って連絡する』
『了解しました』
司令部との通信を終えた赤城はふうと息を漏らした。
「流石ですね、赤城さん」
「あら、加賀さん」
赤城は報告時の緊迫した声色とは打って変わり、鈴を転がすような朗らかな声で返事をした。
赤城が赤を基調とした弓道着に類する服装をしているのに対し、加賀は青を基調とした服装で髪も結い上げサイドテールにしている。彼女は相変わらず表情の起伏に乏しい顔をしているが、その声色は穏やかで優しかった。
加賀はインカム越しの会話ではなく、わざわざ赤城と直接会話する為に水上航行で接舷を行った。
「お疲れ様です。赤城さんのおかげで敵の第一部隊は無事撃滅できました」
「いえ、私だけの力ではありません。第一空母艦隊の他の皆さんや哨戒活動やバックアップを随時行ってくれた海軍のみなさん、――そして提督の尽力のおかげです」
提督。その言葉に一瞬ではあったが加賀の鉄壁面が歪んだ。そしてそれを長らく彼女と連れ添った同僚の赤城は見逃さない。
「あら、加賀さん。提督のことがそんなに気になるの?」
「そ、そんなことは……」
顔を紅潮させ慌てて否定する加賀を赤城は微笑ましく見つめた。
「ただ……別の意味では少し気になります」
「というと?」
「赤城さんは気になりませんか? 今回の遠征任務」
加賀の発言の意図を理解した赤城は表情を固くした。
「ええ、私も少し、気になります」
丁度その時、赤城が最後に発艦させた偵察機の彩雲が彼女の元へと帰ってきた。
実寸大よりも二回りほど小さい艦載機は、赤城が特定の信号を発信することにより、機体に炎のような揺らめきが発生すると、手のひらサイズのミニチュアに大きさを変化させた。
赤城は左腕に備え付けられた飛行甲板を水平に突き出すと、そこへ彩雲は着艦を行う。
「偵察任務ご苦労様です」
赤城が労いの言葉をかけると、まるで合言葉のように彩雲の機体は再び炎に包まれ、今度は一本の弓矢に変化した。
赤城は彩雲の矢を背に掛けた矢筒に格納すると再び話を戻す。
「事前に聞かされていた情報に比べ、敵の規模も練度も全体的に低すぎる気がします」
「やはり赤城さんもそう思いますか」
「ええ……ここまで容易く勝利し過ぎてしまうと陽動の可能性を否めません」
「でも、今のところ他の部隊からもそのような報告は上がっていませんし、現状、何とも言い難いですね」
「ええ」
「提督――伊坂大佐にはそのことを?」
「念のため伝えました」
「それで、提督はなんと?」
「上には報告としてまとめて戴けるそうです。だからとにかく、今は目の前の任務遂行に集中し、全員が無事帰還することだけを考えなさい、と」
「……あの人らしいですね」
「ええ、本当に」
二隻は微笑みを見せ合うと、他の空母部隊艦娘と合流し帰投するべく移動を開始した。
二人の頬を南国のねっとりとした強い風が吹きつけた。見上げると空には曇天が覆い始め、遠くでは雷鳴も聞こえてくる。
まもなく、この一帯にも強いスコールが降り始めるだろう。スコールがやってくる前に輸送艦に戻らなければならない。
そんな焦燥感が胸中を煽る中、ふと赤城は速度を落とし来た道を振り返った。
――何も起こらなければいいのだけれど。
「赤城さん、どうかしたの?」
心配そうな加賀の問いに対し赤城は笑顔で答えた。
「いえ、なんでもありません。早く戻りましょ。伊坂提督や皆が待っているわ」
《同刻/八丈島から北北東約二十キロ地点》
明朝の漁を終え、八丈島への帰路についていた中型漁船舶《藤都丸》に乗船していた漁師の吉田は眉を潜めた。
「なんじゃあ、こりゃ」
魚群探知機の画面と睨めっこしながら、吉田は額に寄った皺の数を更に増やす。
「どうかしたんですか、吉田サン」
同僚の漁師羽田が声を掛けるが吉田はそれを聞こうともしなかった。仕方なく羽田は吉田が睨めっこをしている魚群探知機の画面を一緒に覗き込む。しかし特にこれといった不審なことは何もない。画面には大きな魚群の影が映っているが、別段珍しいものでもなかった。
「何か、おかしなことでも?」
すると吉田はゆっくりと指を上げ、大きな魚群の影に指を差した。
「これ、妙じゃないか」
「妙? 俺には普通の魚影群にしか見えんが……」
「ああ、魚影自体は何もおかしない。けど魚群にしてはちとデカすぎる気がするんじゃ」
「まあ、言われてみれば確かに。この様子だと全長二十メートルは下らんだろうかな」
「それだけならまだよか。この魚群、中が空洞なんじゃ」
「空洞?」
「まるで鶏卵の殻みたいになっとる。じゃが中には何の反応もあらん。まるで魚が何かにくっついて泳いでいるようじゃ」
「確かに、こりゃ妙な魚群だな」
「わしゃ生まれてから六十年、今まで八丈富士と共にこの島と海をみてきちょったが、こんなもん見るのは初めてじゃ」
「きっとこりゃ海軍の新兵器かなんかだろう。この辺の海は戒厳海域にも指定されとるし、探知機の網に掛からない変な船のひとつや二つあったっておかしくないさ。それに――」
羽田が自らの考察を語ろうとすると、突然吉田は叫んだ。
「影が動きよった!」
「動くって、どう?」
吉田は黙ったままゆっくりと羽田に振り返ると蒼白な顔で答えた。
「真っ直ぐ――上へ向かって!」
吉田の言葉に羽田の表情もみるみる蒼白となる。
「急いで船を出すんじゃ! このままじゃわしらの船とぶつかってまう!」
羽田は大慌てで操舵室へ向かうと船速を上げて舵を大きく左へと切った。
吉田は船外へ飛び出すと右舷側から海中を覗き込んだ。
一体、この海の下には何があるのか。恐怖とも興奮ともつかない妙な高揚感と緊張が吉田の胸中を駆け巡る。
「吉田サン! なにか見えたんか?」
「分からん、まだ何も見え……」
次の瞬間。朝焼けを背にそれは海中から勢いよく迫り出した。探知機には一切示されることのなかった二十メートル以上もある漆黒の物体。鯨と見紛う程の質量を示したそれは、天高く海上へ突き上がると自重に従い、剥きだした腹部を勢いよく海面へ叩きつけた。
スコールのような水飛沫。嵐のように揺れる波。吉田は船外へ飛ばされないよう必死に縁へ身体をしがみつけながらも、茫然とその光景を眺めた。
「こ、こりゃあ……!」
昔見たことがある。今と違い、まだ衛星打ち上げが満足にできていた時代に放映していた海外のドキュメンタリー番組。そこで放送されていた鋼鉄の鯨の急速浮上。
目の前の光景は正にその映像を彷彿とさせるものだった。
しかも驚くのはそれだけではない。
遠方からも大きな水しぶきが数度上がった。
一つ、二つ、三つ、四つ。
豆粒ほどの大きさしかない吉田たちの船に対し、その何十倍もの質量をもつ物体が五つも、突然吉田たちの目の前に姿を現した。
自分たちは何か悪い夢でも見ているのではないのだろうか。
そんなことすら思えるほどに常軌を逸したこの光景に、吉田はただじっと目の前の漆黒の塊を眺めることしか出来なかった。
すると今度は耳障りな鉄の擦れる音と共に、漆黒の塊の上部ハッチが開かれた。ゆっくりと開き、最後までハッチが解放されると中から人影が現れた。
「人がいる!」
羽田はそう叫ぶと船を転進させ、人影のある漆黒の塊の全部へ近づいた。
羽田は船首へ出ると大声を上げた。
「おうい! あんたらこんなところで何してる!」
朝日の逆光で人影が誰なのかは判別がつかない。向こうはこちらに気付いたらしく、首だけをこちらへ向けた。
妙だ。吉田はようやく興奮が収まり冷静に考えた。
なぜ海軍は民間船舶とあわや激突という状態で緊急浮上を行ったのだろうか。一見すれば性急な事態でないことは明らかであり、何よりも気掛かりなのは、この黒々とした巨大な物体にはマストもなければ艦番号もないということ。本当に、海軍の船なのだろうか。
吉田の心はにわかにざわついた。長年人生を海と共に過ごしてきた勘なのか。それとも彼の中に眠る原初的な生存本能がそれを警鐘しているのか。
「羽田さん。今すぐここから逃げよう」
大声で吉田が叫んだ次の瞬間、まるで岩礁にでも乗り上げたかのような大きな衝撃が船体に響いた。
「な、なんじゃ!?」
バランスを崩し、吉田は床に尻を落とした。
一体何が起きた? 何かが船底に衝突したような衝撃は、吉田の抱いていた悪い予感を明確に危険な事態としての認識に移行させる。
「うわぁぁぁぁぁぁぁぁ!」
船頭から羽田の悲鳴が聞こえた。
吉田は慌てて起き上がると船頭へ駆けた。
「羽田サン! どうしたんじゃ! 何かあった――」
吉田はその光景に声を失った。
船首がまるで食いちぎられたかのように抉れている。そして抉れた船首の縁には、腹部から下が千切れた状態の羽田が倒れていた。
思わず目を覆いたくなるその凄惨な光景に吉田の呼吸は浅くなる。
「羽田さん! 一体何があったんじゃ!?」
吉田は羽田の元へ駆け寄ると、千切れた腹部から零れ出した内臓に表情を強張らせる。
「ひぃ! 助けてくれぇ! ば、ばけもの……ばけものがデカい口で船ごと噛み千切りやがった!」
羽田は錯乱していた。目の焦点も合っていない。羽田はまだ自分の下半身が無くなったことに気付いていない。恐らくあまりの激痛に思考がまともな判断を出来なくなっているのだろう。
最早手の施しようがなかった。
「お、落ち着くんじゃ羽田サン。はやくここから脱出して……」
「嫌だ! こんなところで死にたくない! 助けてくれ!」
錯乱した羽田は吉田の服を強く握りしめ、いくら振りほどこうとしても放そうとしない。
「ええい、しつこい!」
あまりにもしつこい羽田に吉田はしびれを切らし、強引に羽田の手を振りほどくと、羽田を押し倒した。
上半身のみの羽田は濡れた床を勢いよく滑り、抉れた船首の縁から落ちそうになる。
吉田は反射的に羽田に手を伸ばした。このままでは羽田は海に落ちてしまう。
「羽田サン!」
吉田が手を伸ばした次の瞬間、抉れた船首の縁に突如黒い影が海中から飛び出した。
黒曜石のような身体を朝日に反射させるそれは、鰐のように強靭な顎を大きく開くと羽田の残りの身体に食らいついた。
最早断末魔すら聞こえない。
化け物は羽田を一口で食い殺すと再び海中に没した。
「な、な、な……」
吉田には最早叫ぶ声すら出なかった。
今のはなんだ!? まるで深海棲艦のような――まさか。
吉田は再び顔を上げ、漆黒の巨大な物体の上に立つ人影を見ると戦慄した。
嗤っている。
叫ぶでもなく、何か手を加えるわけでもない。人影は魚類のような瑞々しい大きな瞳でただじっとこちらを見つめ、口元だけを引きつらせて鮫のような歯を覗かせていた。
奴らは海軍なんかじゃない。ましては人間ですらない。
奴らは人類の敵。深海からの訪問者。
丁度朝日が昇り切った頃、誰もいない静かな太平洋の只中に老父の断末魔は薄く溶けていく。
久々の投稿です。
改行をしてちょっと読みやすくしてます