6 波高く、風強けれど
『あなたは提督じゃない。私はあなたを――認めない』
彼女の言い残したその言葉が胸中で何度も繰り返された。まるで壊れたテープレコーダーのように。
二階堂の頬を生温い潮風が撫でた。昨日の大雨もあってか、いつもより湿り気が多い。
照りつける太陽と清々しいほどの青空に相反して、二階堂は重く深いため息を漏らした。こんなに重いため息を漏らすのはいつぶりだろう。
隊舎の屋上に置かれていた雨ざらしの木製ベンチに腰かけている二階堂は、ぼうっと島の外洋を眺めていた。
「やはり言い方がまずかったのか、それとも……」
二階堂の後ろから物音がした。錆びた鉄の軋む音。屋上への扉が開かれる音だ。
「なんや、こんなとこにおったんか」
黒潮は黒くくすんだコンクリートの屋上を歩いて、二階堂の座るベンチにまでやってくると、そのまま隣に腰かけた。
「……座っていいとは誰も許可していないぞ」
「べつにええやん。細かいこと気にせんでも。それにこのベンチはウチの特等席や」
「特等席?」
「出撃の無い日はいっつもここに座ってぼーっと海を眺めてるんや」
「……煙草を吸いながら、か?」
黒潮は驚いた顔の後、露骨に嫌そうな顔で訊ねた。
「なんで分かったん?」
二階堂はベンチの下、足元を指さした。くすんだコンクリートの床に、所々黒く焦げた点がある。
「次からはもう少しバレないよう努力することだな」
「別にバレても注意するような人間、今までおらんかったし」
「なら、俺が止めろと言ったら、君は止めるのか?」
黒潮はスカートのポケットから煙草の箱を取り出した。箱から一本取り出すと、それを二階堂に差し出す。
「それは、上官命令? それとも、個人的なお願い?」
「……火はあるのか」
二階堂がそう訊ねると、黒潮は笑顔でライターを取り出した。
屋上に、二つの紫煙が登る。
煙の味。苦く、舌が痺れる。この味には何度も助けられてきた。死肉の焼けた臭いが立ち込める戦場で、唯一肺を正常なモノへと欺瞞できるのがこれだけだった。感覚を麻痺させることでしか、あの狂った戦場でまともに動くことは出来ない。
「司令はんは普段煙草は吸うん? 今まで吸ってるとこ見たことないけど」
「いや、普段は吸わないな。特に吸う理由がない」
「ふうん、そっか」
「そう言う君は普段から吸っているようだが」
「うちもたまにや。流石に毎日は吸わへんよ。うちら艦娘は身体が資本やし。まあ、中にはタービンみたいに吸いまくっとるヘビースモーカーもおったけど」
「意外だな、今のご時世にそんな奴がいるとは。本営は何も言わないのか?」
「うちらは艦娘やで? 特権階級みたいなもんやし、多少のことなら御上も大目にみてくれるわ。それに、こんな仕事、煙草でも吸ってなやってられへんわ。艦娘になった時点でうちらの身体はもうボロボロ。健康なんぞ気にしたところで焼け石に水や」
「そのヘビースモーカーって奴は今どうしてる?」
「……死んだよ。うちがこの部隊に配属されるひとつ前の部隊で。作戦中、敵戦艦の砲撃をもろに喰らって即死。気付いた時には人と呼べるような部分は何一つ残って無かったわ」
「……そうか、すまなかった。余計なことを聞いて」
「別にええよ。もう昔の話や」
暫くの間があって、黒潮は再び口を開いた。
「なあ、司令はん」
「なんだ」
「なんで飛鷹はんにあないなことゆうたん?」
「あんなこと、とは?」
「さっきの医務室でのことに決まってるやろ」
「俺はただ事実を述べただけのことだ。彼女の行動は軍隊行動の中で問題があった。ただそれだけのことだ」
「司令はんはやさしいな」
「何が言いたい」
「別に深い意味はあらへんよ。ただ司令はんはうちらの事、兵器やなくて、人間としてみてるんやなって」
彼女は亡者の囁きのような声色で押し殺すように告げる。
「――でもな、それはアンタの欺瞞やで」
黒潮は眼を細くすると、静かにじっと二階堂を睨みつけた。その眼は少女がしていいものではなかった。
二階堂はこの眼を知っている。戦地で幾度となく見た眼。全てを失い、人として超えてはいけない領域に踏み込んだ者の眼だ。
きっと彼女は隠していたのだろう。人当りの良い笑顔の下に潜ませていた、二階堂に対する本心とも呼ぶべき感情を。狂気を孕んだ本性を。彼女はそれを、躊躇うことなく表に出した。
「欺瞞、か」
「アンタはうちらがどないして艦娘になったのかも知らん。なんで兵器であることを選んだかの理由も知らん。そんな何も知らん奴に今更人間扱いでもされてみぃ、誰かて腹立つわ」
「君も、俺に腹を立てているのか?」
黒潮は何も答えなかった。
「確かに君の言うとおりだ。俺はここについて、君たちについても何も知らない、よそから来たどことも知れない馬の骨だ。だがな、これだけは俺にだって分かる。兵器には考える事も引鉄を引くことも出来ない。選択は人間にだけ許された特権だ」
「――それが、アンタの答えか?」
「さあな。答えなんて俺にも分からん。何が正しくて何が間違っているのか。そんなことが分かっていたなら俺は今頃こんなところに居なかったはずだ。俺は不器用だ。人の気持ちが理解できない最低の男だ。だから察するなんてお上品な真似は出来ないし、分からないことがあるのなら、直接聞かなければ何も分からない。だから、教えて欲しい。君たちの事。全部。例えそれが欺瞞であろうとも、君たちを傷つけることになろうとも、俺はそれを知りたい。知らなければならない。知らなければ、何も始まらない」
二階堂が言い終えてしばらく。両者の間に沈黙が流れた。
遠くで波の音が、蝉の鳴き声が、船の汽笛が聞こえてくる。
「く、くくく……」
黒潮は肩を震わせた。
「くくく、あはははははは!!」
黒潮は再び人が戻ったかのように、弾けた笑顔になり大声で笑った。
「な、何がおかしい」
「司令はん、やっぱりあんたは変わってるわ。こんなこと言う人初めてや」
少し前にも葉山に同じことを言われた気がする。
突然、二階堂のズボンのポケットに収められていた携帯端末が激しく振動した。
二階堂は「すまない」と詫びを入れてから端末を取り出し確認する。神島基地隊からの緊急回線だった。
緊急回線。二階堂がこの基地へ任地されてから初めて使用された回線だ。この回線が使用される以上、何か性急を求める事態が発生しているのだろう。
「はい、こちら第二十特殊戦術部隊司令部」
『はい、ではありません。何故執務室の電話に出なかったのですか』
無愛想なその声だけでも、銀縁眼鏡の奥で不機嫌そうに歪む瞳が目に浮かぶ。
その声の主は、電話がつながった途端臆面もなく二階堂を叱咤し始めた。
「失礼しました眉月少佐。現在自分は執務室外にいます。ご用件は何でしょう」
いつもであればここで二言三言彼女の嫌味文句が飛ばされるところであったが、珍しく今回はそれが無かった。というより、言おうとしたが、余程の急ぎの用なのか、それすら躊躇ったらしい。
『とにかく、今すぐ基地隊庁舎の長官室まで来なさい。秘書艦も同行して』
「非常に申しあげにくいのですが、眉月少佐。現在秘書艦である飛鷹には謹慎処分を下しています。その為彼女を同行させるには少し――」
『なら代理の艦を立てて、長官室まで来なさい! 今すぐ、可及的速やかに!』
ヒステリックな怒鳴り声が響いたかと思うと、一方的に音声通話が切られてしまった。
「なんやったんや?」
「さぁ、なんだろうな」
とにかく早急に来いと言われた以上行くしかないだろう。
二階堂は携帯端末をポケットにしまうと、煙草の火をコンクリートを床に押し当てベンチから立ち上がった。
呼び出しを受けてから五分後、二階堂は長官室の扉をノックした。
中から眉月の「入りなさい」という声が聞こえると、ゆっくりノブを回し、二階堂と黒潮は室内に足を踏み入れる。
長官室に備えられた来客用ソファには三人の人物が座っていた。
一人は先ほど電話越しに怒鳴ってきた眉月少佐。彼女の隣に腰を降ろしている胡麻塩頭の中年男が、この神島基地の長官を務める百田海将補。
二人とも、二階堂が入室してくるなり、どこか余所余所しい様子でこちらの目をじっと見つめた。
眉月にはいつも二階堂に見せる憮然とした態度は感じられず、百田もどこか落ち着かない様子で目をぎょっと開いている。
まるで理解しがたい事象に対して、答えを縋り乞うているような目だ。
急に呼び出され急いで足を運んだ二階堂にしてみれば、逆にこっちが訊ねたいといってやりたいくらいであるが、物事には必ず理にかなった理由というものが存在する。
その答えを見つけるべく、二階堂は新たな人影に視線を移した。
もう一人、彼らと向かって反対側に座る男。
歳は五十前後だろうか。
海軍の白い制服の袖から伸びる浅黒い肌に頬骨の出張った顔、三白眼の瞳からは大凡生気と呼べるものは感じられず、それでいて口元が緩んでいる。
あまり軍人らしからぬどこか気の抜けた顔の男はこちらに気付くと、一層頬を緩ませ小さく手を振った。
「やあ、君が二階堂中尉か。噂はかねがね。尉官で特殊戦術部隊の指揮官になったんだってな。思っていたよりもずっと精悍な顔つきをしている。悪くない」
返って警戒心を煽るその言動に二階堂は不審を抱くが、肩に付けられた階級章に視線を移すとそんな感情は一切合切吹き飛んだ。
金地に錨の刺繍が施されている。そして百田よりも一多い三つの桜星。
その階級章が示すのは幹部士官の中でも最高位である将官に属する人間、つまり海将である。
二階堂の背筋が一気に固まった。緊張と悪寒とで全身からとてもなく粘っこい嫌な汗が噴き出す。
「なんや、えらいひょうきんなおっさんやなぁ」
隣で小声で話しかける黒潮に、二階堂は蒼ざめた顔で叱咤する。
「口を慎め! 将軍閣下の御前だぞ!」
「将軍……ってええ!?」
二階堂の言葉に黒潮は目を白黒させ素っ頓狂な声を上げた。
「あわわわわわわわ…………も、申し訳ありません!!」
ようやく状況を理解した黒潮は、声を震わせながら涙目で男に敬礼をした。
黒潮の無礼千万な態度に対し、男は黒潮を叱責するでもなく、白い眼で睨むこともなく、左程気にしていない様子で快活に笑い飛ばした。
「はっはっはっは! 無理もない。俺みたいな貫録の欠片もないような男じゃ誰も海将とは思うまい」
男は浅黒い顔から白い歯を覗かせ、嫌味の感じさせない冗談で笑った。
「俺の名前は三笠根だ。今は市ヶ谷で防衛計画部部長を務めている」
「い、市ヶ谷……」
市ヶ谷、つまり防衛省の総本山、日本軍の本丸であり、統合幕僚監部に属する組織の最上位に君臨する人物ということだ。中尉の二階堂とでは同じ将校でも天と地ほどの差がある。
「以後宜しく」
立ち上がり握手を求める三笠根に対し二階堂はぎこちない様子で手を握った。
「恐縮です、三笠根海将殿」
「では早速で申し訳ないが、本題へと移らせてもらおう」
「本題?」
「俺は君たちに用があってここまで来たんだ」
「我々、に?」
海将自ら赴くとは一体どのような用なのか。
「百田君」
「は、はい!」
「悪いけど少しの間、彼と二人っきりにさせてくれないか? 話すことはさっき君らに言ったのと同じことだけど、一応こっちは基地隊で彼は特殊戦術部隊だし、込み入った話もあるから」
「滅相もありません、三笠根さんのご要望であればすぐにでも席を外します」
今すぐにでも逃げだしたいという顔で百田は張り付いた笑みを見せると、こちらが何かを発するよりも早く眉月と共に部屋を後にした。
「やれやれ、それじゃあ邪魔者もいなくなったことだし、本題に入ろうか。っとその前に」
三笠根は黒潮に目をやった。
「そっちのお嬢さんは?」
「彼女は自分の直属の部下であります」
「ああ、ということは艦娘の」
「第二十特殊戦術部隊旗艦《黒潮》です」
要領を得たのか、三笠根はなるほどと頷くと、「では彼女にも話を聞いてもらおう」といって二階堂にタブレット端末を手渡した。
「まずはこいつを見てほしい」
画面を開くとそこには数枚の写真が現れた。
一枚は人工衛星から撮影されたもの。もう一枚は恐らく偵察機から撮影されたものだろうか。他にも写真はいくつかあったが、どれも映しているものは同じだった。
五本の細長な黒い影。洋上にウェーキを立てながら五本の影は鏃のような形で航行している。
「君にはこいつが何に見える?」
三笠根の問いに対し、二階堂は少し考えたあと、短く答える。
「どこかの国の新型潜水艦でしょうか」
「半分正解、といったところか」
その言葉の意図が分からず目を細める。
「どういう意味です?」
「今から六時間ほど前、八丈島から北北東約二十キロ地点に突如膨大な量の現示反応があった。そいつはその時撮った画像だ」
「現示反応……ではこの物体は深海棲艦だと」
「そいつは違う。画像を拡大解像したら、この物体のすぐそばに膨大な数の深海棲艦を確認した。目視だけでも数は五十以上。中には強個体の姿も散見している。現示反応は全部こいつらが発生させたもんだ」
「しかし八丈島付近は海軍の要警戒海域に含まれているはずです。そんな中をどうしてこれだけの数の深海棲艦が気付かれずに本土近くまで」
「原因は恐らくこの謎の物体だ。通常レーダーにも引っかからなかったとこから推察するに、この物体は直前まで潜航を行っていた。なんらかの原理で現示反応を出さない素材なんだろう。とにかく、奴らはこちらの防衛網を潜り抜け本丸近くに突然出現した。そして今現在も真っ直ぐに本土を目指して航行している」
「では今すぐにでも艦隊を出動させて奴らの足止めを――」
「したさ」
一拍置いて三笠根は静かに続ける。
「横須賀から出動させた第一艦隊は四時間前、打撃を受け攻勢戦力の四割以上を損失した」
「四割……!」
黒潮は顔を蒼白にさせ小さく声を漏らす。
「数もさることながら通常火器ではこちら側は圧倒的に不利だ。おまけにやっこさんは伊豆諸島のたった二キロ離れた海域を航行している。島民の避難勧告こそ出しているものの、そんな場所ではこちらとしても下手に高火力火器を使用できない。使おうものなら一万人近い島民及び観光客に重度の危険が及ぶ。はっきり言って国家非常事態宣言一歩手前の緊急事態だ。このままでは敵はおそらく残り十時間程度でこちらの最終防衛ラインに突入するだろう。そうなっては水際作戦を余儀なくされる。それだけはなんとしてでも避けなければならない」
ならば、なぜさっさと艦娘を出撃させないのか。そう口に出しそうになり、黒潮は先日の食堂でのことを思い出す。
今、戦力の大部分が東南アジアのシーレーン奪還作戦に投入されているのだ。しかし――
「現在各基地に残っている大規模作戦に参加していない艦娘が事の対処に当たる為、緊急出撃を行っているが、それでもこちら側の火力不足は目に見えて明らかだ。かなりの劣勢を強いられているらしい」
ここまで説明を受け、二間堂はある疑問を抱いた。
この男――まさかとは思うが。
二階堂の中の素朴な疑問は懐疑となり、やがて嫌な予感を抱かせた。
三笠根は二階堂をじっと見つめ、そして小さくほくそ笑む。
「どうやら、君はただの変わり者というわけではないらしい」
僅かな表情の揺らぎと変動だけで、三笠根は二階堂の思考を読み取った。そういったことに長けているのだろう。
「遠征に出た主力部隊は戻ってこれない、と」
「来れないというよりは間に合わないと言った方が正確だな。彼女たちを乗せた船がこちらへ戻ってくる頃には、おそらく敵は陸地へ向けて爆撃を開始するはずだ。特殊戦術部隊の本営もなんとか艦娘だけでもこちらへ空輸できないか画策しているそうだが、今のところ現実味は帯びていない。今必要なのは、敵を足止めする為の時間稼ぎだ。これ以上は言わなくても分かるだろう?」
この男は暗にこう言っているのだ。
自分たちに大規模作戦から艦娘が戻り事態の対処を図るまでの間、防衛ラインで足止めを行い、本隊が帰還するまでの時間稼ぎをしろと。
「将軍閣下の命とあらば、断る道理はありません」
「本当にそう思っているのか?」
「無論です」
一瞬、両者の間に張りつめた沈黙が流れた。
沈黙の後、三笠根はゆっくり頷くと目を細め二階堂を見据える。
「そうか、では早速で申し訳ないが君たちにはこれから横須賀へ移動してもらう。そこで作戦についての詳しい内容を説明する」
「了解しました」
三笠根との対談の後、二階堂は足早に隊舎へと移動し始めた。
「なんやえらいことになってもうたなぁ」
道すがら、二階堂の隣を歩く黒潮は先ほどまで喋れなかった反動なのか、饒舌に語り始めた。
「司令はん。飛鷹はんのこと、どうするん?」
「謹慎は作戦が終了するまで一時中断だ。彼女にも作戦に参加してもらう」
「なんやてっきり置いていくもんやとばかり思とったけど」
「本当はそうしてやりたかったが今回は事情が事情だ。海将自ら直々の任務であることも考えれば致し方ない」
「でもまさかこんなちっこい島に海将様が直々に来られるとはなぁ。司令はんって実は結構有名なんとちゃう?」
「……さぁな。だが、あまり喜ばしい状況でないということは明らかだ」
「そら今は火急やし」
「そうじゃない」
「というと?」
「三笠根海将は何かを隠している」
「なんでそう思うん?」
「考えてもみろ。国家が危機に瀕しているこの非常事態に、幹部クラスの人間が何故こんな遠方の小さな基地にわざわざ足を運ぶ。しかもいくら討伐遠征で内地の艦娘が不足しているとはいえ、少数なうえ戦力もままならない俺たちだけを直々に指名した」
「言われてみれば確かに妙な話やな」
「問題は、三笠根海将が一体『何を目的に』動いているのか、ということだ」
「目的ってそら今使える戦力で近海の深海棲艦を倒すためやろ」
「だったら何故俺たちに直接会う必要があった。一刻を争うこの事態に戦力を結集するなら他に効率のいい方法はいくらだってあるはずだ」
「それってつまり、あの人は大っぴらに動かれへん、なんか事情があるってこと?」
「そういうことだ」
「ふうん、上の人間も一枚岩とちゃうねんな。そんな難しい話はうちにはようわからへんけど」
「ああ、黒潮、君の言うとおりだ。状況がどうであれ、いつだって俺たちのやるべきことは決まっている」
「それくらいならうちでも分かるで」
黒潮は不敵に笑みを溢した。
闘う理由。そんなものは古今東西いつの時代も決まっている。
敵を殺す。そして勝つ。ただそれだけだ。
長官室を出た三笠根は携帯端末を取り出し、通話を始めた。
「三雲君、そっちの様子はどうよ」
『概ね三笠根さんの予想通りですよ。これだけの非常事態に作戦本部はまだ重い腰を上げようとしません。南シナ海に展開している艦娘の艦隊は作戦を続行させるそうです』
「はぁ、柴村の奴も頑固だなぁまったく」
『どのみちこの一件が終われば南シナ海の遠征任務の件は世間に明るみに出ます。今ごねても自分の寿命を縮めるだけだと何故気付かないのでしょうか』
「そういうもんだよ。既得権益に溺れる人間ってのは。盲目になりがちなのさ」
『その既得権益を貪る立場のあなたが言っては説得力がありませんね』
「そりゃそうだ」
三笠根はケタケタと笑い声を上げる。
『それで、そちらの方はうまくいったのでしょうか?』
「ああ、やはり直接会ってよかったよ」
『二階堂率。使える人材で?』
「それを判断するのはまだ早い。これからだ。だが会って思ったのは、あいつ、提督って柄じゃないな」
『と、言いますと?』
「……奴は根っからの『狂犬』だ。下手すればこっちが噛まれかねない」
『本当に、彼で良かったんですか?』
「かまわんさ。むしろあれくらいはねっかえりなくらいが丁度いい。――そっちのほうが、ずっと面白い」
また三笠根の悪い癖が出た。電話越しにそんな三雲のため息が漏れる。
「それよりも三雲君。頼んでいたことは調べてくれたか?」
『ええ、丁度先ほど報告が上がりました。中々興味深い結果です。詳しい報告は後ほど送信しますが、あの二階堂という男、以前所属していた海兵部隊に少々問題があったみたいです』
「問題?」
『問題を起こした、というよりは彼のいた場所自体に問題があったと言うべきなのでしょうか。彼は《タグ持ち》です』
その一言に三笠根の呼吸が僅かに止まる。
「……それは本当か?」
『ええ、間違いなく。ゴールドタグです』
「ということは奴が以前いた部隊というのは……」
『はい。《フロントライン》です』
暫く沈黙の後、三笠根は短く答えた。
「三雲君。引き続きあの男を調べろ」
『了解です』
そうして通話は終了した。
三笠根は興奮がこみ上げてくるのを必死に抑えた。自然と顔が歪み、下半身に血流が集まっていく。
「もしかすると、俺はとんでもない当りクジを引いちまったのかもしれんなぁ……」
飛鷹は太ももを内股にし、どこか落ち着かない様子でもじもじとくねらせた。
その表情には動揺と緊張が浮かび、僅かだが頬は紅潮し、瞳は潤んでいる。
場所が場所なら紳士諸君も股間のアレがスタンディングオベーションな絵面だが、残念ながら今現在彼女のいる場所はホテルのベットでもマットの上でもない。
まるで地響きのような振動が足を通して全身を震わせ、薄暗く狭い内部構造がむき出した装飾の類が一切施されていない無機質な空間に、鉄の軋む音が響いた。
空間には限られたスペースを有効に活用するための簡易式の椅子が壁に沿うように設置されており、細い鉄パイプと赤い布地が張られただけの椅子の上に彼女は身体を丸くして座っている。
そしてなにより。飛鷹の心をざわつかせたのは先ほどから耳に入ってくる特徴的なプロペラ音。
「ねえ、本当に大丈夫なの?」
「君もしつこいな。何度も言っているだろう。この飛行機は安全だ」
「で、でも……」
呆れる二階堂を他所に飛鷹は相変わらず落ち着かない様子でC-130Hの内部を見渡した。
そんな飛鷹の姿を横に座る熊野と黒潮は苦笑いで見守る。
「そもそも、君は空母だろう。飛行機を疑う道理がどこにある」
「艦載機を扱うのと実際に乗るのとでは話が別よ! だ、第一私こんなお粗末な椅子に座るのは初めてなの」
「これは決して経費を削減した結果ではありませんわ。輸送機が限られた空間を効率よく有効に使うための工夫ですのよ。それにちゃんと安全ベルトだってありますし何も心配することはございませんわ」
「う、嘘じゃないわよね!? 本当にこんなのでちゃんとフライト出来るのよね!?」
「飛鷹はんもしつこいなぁ。さっきから何べん同じこと言ってるんや。飛鷹はんかて軍用機くらいみたことあるやろ」
「それは、もちろんそうだけど……」
「ほなさっきから何を心配してるんや?」
「そ、それはその……なんというか……」
口ごもる飛鷹に眉を八の字にする面々。
「はっきりせんなぁ。ここにおるみんな別に笑わへんからゆうてみ」
「そうですわ。私たちはチームですもの。仲間を馬鹿になんてするはずがありません」
「本当?」
飛鷹は涙目で訊ねた。
穏やかな笑顔を向ける黒潮と熊野の言葉で、飛鷹はようやく語り始めた。
「もちろんや」
「ですわ」
彼女たちは迷いなく応えた。誰にだって苦手なモノの一つくらいはある。それは決して恥ずべきことではなく、むしろ仲間であれば笑顔で受け入れるべきだろう。
ここはチームであり、三人は共に戦場を駆ける仲間なのだから。
「みんな……」
そんな仲間の温かい言葉に飛鷹は顔を綻ばせ、ゆっくりと告げる。
「そ、その……私ね、実は苦手なの」
「苦手って?」
「……た、高いところが苦手なの。だから飛行機に乗るのも本当は怖くって……」
熊野と黒潮の表情は固まり、沈黙が流れる。
「ぶ、ぶははははははははは!!」
堰を切ったように黒潮が爆笑すると、続けて熊野までもが大声で笑い始めた。
「な、なによ!」
「なにって、く、空母のくせに飛行機が苦手って、なんやそれ!」
「ぶふふふふ、そ、それじゃあまるでキュウリが苦手な河童みたいですわ!」
意味不明な例えが余計におかしさを加速させたのか、二隻は涙目で腹を抱えながら笑った。
「あんたらさっき笑わないって言ったじゃない!!」
飛鷹は顔を真っ赤に涙目で二隻に訴えかける。
「いやだって、まさかとはおもとったけど、そのまさかをストライクゾーンにストレートで投げ込んでくるとは思わんかったんや」
「せめてもう一捻り欲しかったですわ」
笑い続ける二隻に飛鷹はこめかみを引き攣らせ怒りに肩を震わせた。
「あ、あんたら……」
「まあ、そう怒るな飛鷹」
右隣に座る二階堂は飛鷹の肩を叩くと、相変わらずの鉄壁面で答えた。
「誰にだって苦手なモノの一つくらいはあるさ。俺が眉月少佐を苦手であるように」
「「ぶふぉッッッ!」」
二階堂の言葉に熊野と黒潮は再び吹き出しそうに笑った。
「し、司令はん、あんたのそれはまた苦手のベクトルがちゃうというか……」
「そ、そもそもフォローにすらなっていませんわ」
「……そうなのか。すまない飛鷹。どうやら俺には君を助ける力がないらしい。高いところが苦手なんて生まれてこの方一度も思った事なんてないからな」
「――さい」
飛鷹は小さく呟いた。
「何か言ったか?」
飛鷹は二階堂を睨みつけると勅令の構えで右手を振り上げた。
「うるさいって言ってるのよ! この馬鹿ァ――!!」
しばらくすると整備員の一人が訪れ間もなく離陸する旨を伝えた。
「――それでは離陸前に任務の概要について説明をしておく」
顔を煤だらけにしながら、二階堂は時々咳き込むが誰もそれを突っ込まない。もし突っ込めば次は自分がああなる番だと理解していたからだ。
といってもすでに熊野と黒潮は、それぞれ頭部に一発大きな拳骨を食らった後でその可能性は低かったが、未だにイライラした様子で舌打ちする飛鷹を見ていると、下手な言動は控えるのは賢明な判断だろう。
「今回の作戦は、八丈島付近に出現した深海棲艦群と謎のステルス性艦艇による本土進攻の未然阻止だ。敵は現在伊豆諸島沖合二キロの海域を進行。七時間後には第三防衛線に侵入すると予測されている。そして今回俺たちに課せられた任務は、奴らの進行をなるべく遅らせ、遠征に出ている主力部隊が帰還するまでの間時間稼ぎをすることだ」
「司令はん、質問ええか?」
「許可しよう」
「その進行してる敵の規模ってどれくらいなんや? うちら三隻だけでどうにかなるとは思えんのやけど」
「現在確認されている敵艦は約五十。主に水雷を基調とした艦艇群だが中には戦艦及び空母、重巡も散見している。しかしこちらも俺たち以外に横須賀に在留していた艦娘が、現在敵への波状攻撃を行っている。俺たちはその一部に加わるということだ」
「それで、具体的にはどうするの?」
「詳しい編成及び戦術については厚木基地で改めてブリーフィングを行う。今回黒潮と熊野には特殊な方法で戦闘に参加してもらう予定だ」
「その特殊な方法というのはなんですの?」
「俺も詳しい事情は知らんが、なんでも三笠根海将の口添えで、君たちには技研の開発した新型のユニットを使った――」
唐突にC-130Hの機体が前後に大きく揺れた。離陸態勢へ移る為の移動を開始したらしい。
「ひいぃ!」
飛鷹は顔面蒼白で隣に座る黒潮に抱きついた。
「ちょ、飛鷹はん! 離陸前に暴れたらあかんて!」
「お願い! せめて離陸するまではこのままでいさせて!」
「それは別にかまへんけど首にしがみ付くのは勘弁して……」
めりめりと音を立てながら、黒潮の首元に腕がめり込むと、黒潮は顔を紅くさせながら必死に飛鷹の肩を叩く。
「お願い! ちょっとだけだから!」
「ちょっとだけって……その前にウチの首ががが……」
黒潮の顔は赤から徐々に蒼白になり、肩を叩く手の力も弱まる。
そうこうしているうちに、機体は離陸態勢へ入ると、プロペラの回転率は一気に上がり、加速し始めた。
「飛鷹はん、ええ加減に……」
黒潮の枯れそうな断末魔もまるで聞こえていない様子の飛鷹は、機体の加速が最高値に達し揚力で浮き上がった瞬間、悲鳴と共に涙目で一層強く、黒潮に抱きついた。
ぐきり、と何か大事なものがへし折れる音がした同時、機体は離陸を終え、厚木へと向かうべく高度を急上昇させる。
機内にはやすらかな顔で眠る黒潮と熊野の悲鳴が響き渡った。
真夏の晴天に米海軍戦闘機F―14の雷鳴が響いた。
まさに青天の霹靂――というわけではなく、上空に米軍機が飛行するのにはそれなりの理由があった。
それはここが厚木海軍飛行場であるが所以だ。
深海棲艦の出現以降、海上自衛隊が国防軍としてその名を日本海軍と改めてからも、ここ厚木海軍飛行場は日本海軍とアメリカ海軍の共同航空基地として利用されている。
第二十特殊戦術部隊が厚木飛行場に到着しラッタルを降りると、一人の女性が二階堂たちを迎えに来た。
「あなたが二階堂提督でしょうか?」
青を基調とした制服で、頭には洒落た帽子が乗せられている。機能性というよりは礼装の趣を感じさせる服装だ。
こめかみで切り揃えられた黒のショートカットを航空機のエンジンが生み出す強い風に揺らしながら女性は笑顔で訊ねた。
「そうだが、君は?」
女性は敬礼をすると聡明な眼差しで挨拶をした。
「私は横須賀基地所属第一特殊戦術部隊旗艦《高雄》です。作戦本部よりあなたたちの案内を仰せつかって参りました。お会いできて光栄です、提督」
「ああ、こちらこそよろしくたのむ」
握手を交わした後、少し心配そうに高雄は二階堂越しのラッタルに目を向けた。
「ところで提督の部隊の方々がお見えになりませんが……」
「問題ない。じきに降りてくる」
二階堂がそう言った直後、昇降口から嗚咽が聞こえてきた。
「うぎゃあああああ! 飛鷹はんなにしとんねん!」
「うっぷ、し、しかたないでしょ……あんな高い場所に長時間いたら体調も崩すわ――うっぷ!」
再び嗚咽。そして黒潮の悲鳴が聞こえた。
「ほら、問題ないだろう」
「は、はあ……」
なんだこいつらはと言わんばかりに眉を潜めた高雄は、咳払いの後再び固い接待用の顔に戻すと本題に移った。
「それでは二階堂提督以下第二十特殊戦術部隊の方々にはこれより横須賀の大本営へ移動した後、基地内の会議室にて、本作戦司令部よりよりブリーフィングを受けていただきます」
「了解した」
「それでは、みなさんには車で移動を」
高雄は二階堂たちを駐車場に停車するジムニーへと案内した。
「ところで、これって誰が運転するの? 運転手の姿が見えないけれど」
飛鷹の問いに黒潮も確かにと同調する。
「うちら、誰も免許なんて持ってへんで?」
「提督はどうですの?」
「持ってはいるが、今は手元に免許証を持ち合わせていない」
「じゃあ誰が……」
「そんなの、決まっていますわ」
そう言って高雄は太ももが露わになるほど短いスカートのポケットから車のキーを取り出すと、得意げにそれを見せつけた。
横須賀にある本営へ向けて一行が厚木飛行場を出発してしばらく。
ジムニーは市街地を抜けると国道十六号線に乗り、横須賀方面へ向けて南下を始めた。
「しっかしまあ驚いたなぁ。まさか車の運転できる艦娘がおるなんて、うち初めて見たわ」
きょろきょろと車内を見回す黒潮に、高雄は笑って応えた。
「こちらではそう珍しいことじゃないわ。私も秘書艦だから、こういった技能は何かと必要なのよ」
「秘書艦て大変な職やなぁ……」
「いえ、私なんて全然大したことないわ。秘書艦の中にはヘリの操縦が出来る艦娘もいると聞くし」
「な、なんやその万能超人……。そんなんもう艦娘なんてやらんと他の方面で十分活躍できるやろ」
「逆に言えばそれくらい秘書艦に求められる能力が大きいと言うことなのよ」
「へえ、やっぱり本営の秘書艦ともなれば多彩な能力が必要なんや。な、飛鷹はん」
意地の悪い笑みを浮かべ、後部座席の隣に座る黒潮に対し、飛鷹は不愉快そうに眉を潜めた。
「それってどういう意味」
「飛鷹はんも一応秘書艦なんやからなんか資格の一つでももっといた方がええんとちゃう?」
「余計なお世話よ!」
憤慨する飛鷹とそんな彼女の反応を楽しむ黒潮に対し、高雄はバックミラー越しに視線を向けると口を挟んだ。
「あら、そんなことないわよ? 飛鷹さんならパイロットライセンスを持っているはずだけれど」
「へ?」
目を点にして驚く黒潮に高雄はくすりと笑みを溢した。
「そもそも艦娘になるには適性以外にも専門資格が必要なのよ。ほら、私たちって一応船の扱いじゃない? だから学舎に入隊したら船舶法の下、海技士の資格と船舶免許を取らされるのよ。といっても、その辺は全部学舎の教育課程に含まれた内容だからみんな無自覚に免許を取得していたけど」
「たしかに、学舎おった時に何回か小型ボート運転したことあったなぁ」
「それでも最低限の、艦娘が水上を移動するために必要な知識だから、それ以外にも艦種によって得るべき技能は色々あるのよ。特に空母艦娘は電子・火器系の技能以外にも艦載機を操る上で操縦士の資格が必要だったりするから」
「じゃ、じゃあ飛鷹はんも飛行機操縦できるん?」
黒潮の問いに飛鷹は思い出すように頬に人差し指を当てる。
「そうねぇ、私も詳しいことはよく覚えてないけど、確かジェット機までなら操縦桿を握れたはずよ。流石に戦闘機なんかは無理だけれど」
「それでも十分すごいですわ……」
「少しは私のこと、見直したかしら?」
「まあそれでも飛鷹はんが秘書艦として有能かどうかとは別の話やけどな」
「いい加減認めなさいよ! 底意地が悪いわね!」
「だいたい、パイロットライセンス持ってるくせに高所恐怖症ってどういうことやねん! ヒコーキ運転できひんやろ」
「それとこれとは関係ないでしょ!」
「そうですわ、いくら飛行機酔いでまともに運転も出来ない宝の持ち腐れでも、秘書艦の業務に差し支えはございませんわ! 宝の持ち腐れでも!」
「あんたらいい加減にしないと秘書艦権限で営倉にぶち込むわよ」
「うわ、でた。秘書艦の職権乱用。これやから高所恐怖症は」
「ほんとうですわ。これですから宝の持ち腐れは」
黒潮と熊野のいびりにとうとう飛鷹は我慢の限界がおとずれる。
ぎゃーぎゃーと騒ぎ始めた後部座席の三隻に高雄は慌てて仲介を促そうと、補助席に座る二階堂に視線を送った。
「あ、あのー、二階堂提督?」
いつもの姿で腕を組み、車窓をじっと見つめていた二階堂は、三隻の騒ぎ声にかき消されそうな高雄の遠慮しがちな問いに、視線を返し返事した。
「どうした」
「後ろの席、放っておいてよいのですか?」
「今のうちくらい好きに喋らせておけばいい。どのみちもうすぐそんな余裕はなくなるんだ」
「は、はぁ……」
どう返せばいいのか分からず高雄は困惑した様子で運転する傍ら二階堂を見る。
艦娘も艦娘ならこの提督も提督であった。
呆れてしまう感情を奥に押し込み、平静こそ保っていたものの、高雄の『嫌な予感』は見事に的中してしまった。
初対面の時、表情にこそ出さないでいたが、二階堂のその様相に高雄は大層肝を抜いた。
その相手を射殺すような鋭い目つきもさながらであるが、迷彩の戦闘服に身を包み、上半身の黒いスポーツウェアからは筋肉隆々で丸太のような太い腕が生えている。おまけにキャップを被っているせいなのか、それともただ単に表情に乏しいだけなのか、表情も上手く読み取れない。
端的に、高雄は二階堂という人間そのものを疑っていた。
当然ではあるが、彼が人間であるということは間違えようもない事実であるのだが、この男は本当に提督なのだろうかという懐疑は拭えない。
いっぱしの軍人ではあるにしろ、提督という柄には見えなかった。
まあ、軍人というものは十人十色なのだろう。現に彼女の属する第一特殊戦術部隊の提督も変わり者という点では二階堂に相当していた。
そう自分に無理やり納得させた高雄は話題を振るべく再び口を開いた。
「ところで、二階堂提督は先ほどから何を見ているのですか?」
「窓の外を見ている」
「あ、あはははは……そうですか」
そんなことくらいは言われなくても分かっている。そんな叫びを心の奥に押し込めて再び訊ねた。
「窓の外のどちらを?」
「街だ」
「え?」
「何かおかしいことでも言ったか?」
「い、いえ、そんなことは滅相もありません。街くらいだれでも見ますし」
「いや、そうじゃなくてだな。妙なんだ」
「妙?」
「ああ、先ほどから街の様子をつぶさに観察しているが、誰も逃げる気配がない」
「逃げるって一体何から」
「決まっているだろう。今こうして呑気に車内で会話している間も敵は真っ直ぐこちらへ近づいてきているというのに、避難勧告の一つも出ていないのか?」
言われてみれば確かにそうだ。敵がどこへ向かっているのか明確な場所が分からない以上下手な推論を立てることは出来ないが、少なくとも今ジムニーを走らせている国道十六号線、まして横須賀に入ったこの場所は敵の直線状の位置に当たる場所。
先の深海棲艦との戦いを考慮するのであれば真っ先に避難勧告を出すべき地域のはずだ。
「確かに少し変ですね、中央情報室でごたつきでもあるのでしょうか」
「だといいんだがな」
「それはどういう意味ですか?」
暫く口を噤んだのち、二階堂は高雄から目を外し再び窓の外を見た。
「なんでもない。ただの軽口だ」
「はぁ……?」
どこか胸の晴れないもやもやした気持ちの残った高雄は、再び訊ねることも気が引け、やるせない気分になった。
そんなわだかまりを払拭させるかのように、横須賀にある日本海軍特殊戦術部隊の中央司令部にむけて、ジムニーのアクセルを強く踏み込む。
横須賀にある海軍特殊戦術隊の統括指揮本部――通称横須賀鎮守府は海軍の総本山たる横須賀基地隊の庁舎の一角に腰を降ろしている。
ただ特殊戦術部隊の組織そのものの在り方は形式上防衛庁の直轄組織となっている。艦娘の特異性や存在の疑問視という点から情勢への配慮、というのが世間一般へ公表している主な理由だが、その本営が横須賀基地内に収容されていることからも、実質海軍の一部署のようなものとなんら変わりない。
そんな鎮守府の一室に設けられたブリーフィングルームに、作戦担当官の声が響いた。
「――以上が、君たち第二十特殊戦術部隊に下された作戦だ」
薄暗いブリーフィングルームの中、スクリーンの青白い光に照らされながら、佐官は手元の資料を参考に飛鷹たち第二十特殊戦術部隊への作戦説明を終える。
「君たち統合作戦部隊C群の第一次戦闘開始時刻はヒトナナマルマル。そこで敵群の第二機動部隊を制圧、制空権を確保した後、敵第二水上機部隊の殲滅を行ってもらう。尚、航空戦に置いては海軍戦闘機が全面的にバックアップを行う。水上戦闘に関しても君たちの他に第七特殊戦術部隊の面々と共に作戦を遂行してもらうが、敵の規模は今現在を以ても未知数だ。警戒は怠らないように」
何か質問はないか。と訊ねると、飛鷹が挙手をした。
「少佐、質問よろしいでしょうか?」
「質問を許可する」
「例の――深海棲艦と共に航行しているステルス艦艇群については今どれくらい分かっているのですか?」
「それについては現在調査中だ。あくまで君たちの任務は奥に控える本隊ではなく敵斥候部隊の殲滅だ。不必要な詮索はしないように」
「りょ、了解です」
啄瑞の物言わぬ威圧は飛鷹の口を噤ませた。
はぁ、と飛鷹はため息を溢す。
作戦開始時刻まではまだ二時間ほどある。
新型ユニットの調整と第七特殊伊戦術部隊との顔合わせに向かった黒潮・熊野と別れた飛鷹は時間を持て余していた。
薄い雲の張った曇天の空の下、彼女は庁舎の外へ出ると、横須賀の港を背に広がる外洋を望む。横須賀の海は静かだった。
横須賀の港には一部の軍艦を除いて、船はどこにも見当たらない。おそらく深海棲艦出現の知らせは港湾局を通して港内全ての船舶及び会社に伝わっているのだろう。
遠くではカモメが数匹優雅に羽を広げて空を旋回している。
飛鷹は視線をカモメから水平線の先へと移した。
数キロ先、水平線に浮かぶように薄く伸びた白い線が見える。
三浦半島から房総半島までの間、厚さ五十二メートル、浦賀水道を横断するように三層の白い鋼鉄の壁が、最短で二十キロ最長では六十キロに及び走っている。
先の深海棲艦との大戦で人類が築いた海上に浮かぶ万里の長城。太平洋を睥睨するようにそびえ立つ東京湾の牢壁。
正式名称《浦賀水上隔壁》
人類が天敵から首都を防衛する為莫大な国家予算により建設された防御壁だが、大戦時に着工が始まったそれも、完成する頃には既に敵は洋上の遥か彼方へと後退し、無用の長物と化した生きる廃墟。
――あの壁の先に奴らがいる。
自然、拳が固くなった。
二年前の掃討作戦以降、敵が姿を現さなくなってからも飛鷹は訓練を欠かさなかった。全ては、今この時の為。
不意に後ろから声が掛かった。
「飛鷹」
「うひゃあ!?」
突然掛けられた声に慌てて振り向くとそこにいたのは相変わらずの硬い表情で見据える二階堂の姿だった。
「びっくりした……なんなのよ、もう」
「す、すまない」
「他の提督との作戦会議は終わったの?」
「ああ。一応後で皆にも伝えるつもりだが、君たちC群の現場指揮は俺が執ることになった」
「それで、わざわざそんなことを伝える為だけに私のところに来たわけ」
「君に渡しておきたいものがある」
そう言うと二階堂は手に提げていたアタッシュケースを飛鷹の前に差し出すと、金具を解き、開いて中を見せた。
「これって」
飛鷹の目が丸くなる。中に入っていたのは刃渡り二十五センチのコンバットナイフが一本とホルダー。
「以前に発注していた分が今朝ようやく届いた。こいつは対深海棲艦用に鋳造された特注のナイフだ」
「対深海棲艦用って……そんな汎用兵器、聞いたこともないけど。確かに一部の艦娘には艤装の他に補助ユニットとして刃物類を装備してるって話は聞くけれど、私にはそんなものは設計されていないはずよ」
「こいつは一般兵用だ」
「まさか、生身の人間が深海棲艦と闘うとでもいうの?」
深海棲艦は単身で現代軍艦を凌駕する火力を持っている。軍艦相手に人間が真正面から太刀打ち出来るはずがないのと同様に、そんな敵相手に人間が生身で挑めるはずがない。そんなことは今時子供だって知っている。
「ああ、闘うさ。その必要があるのなら」
だが、それでも、その事実を知り理解していて尚、闘うことが至極当然であるかのように二階堂は肯定した。
二階堂は続ける。
「現示加工こそ君たち艦娘の兵装に比べかなりランクダウンはしているが、軽巡・重巡級までならそれなりに役には立つ。俺たち人間じゃ刃を立てるよりも早く奴らの砲撃の餌食になるのがオチだが、君たちならまだ上手く使いこなせるだろう」
「でもどうしてこれを私に?」
「装備はあったほうがいい」
「無駄よ。艤装を付けている間は錯乱して自害しないよう艤装に自己防衛プログラムが組まれているの。自殺なんて出来ないわ」
「これは奴らを殺す為の武器だ」
飛鷹は訝しげに二階堂を見る。
「そんなナイフで化け物相手に戦えると本気で思っているの?」
「戦えとは言っていない。可能な限り殺せと言っている。兵士は生きて帰らなければならない」
「しつこいわね。私は航空母艦飛鷹なの。兵器であって人間じゃない。名前を捨てて身体にナノマシンを埋め込んだ人肉の機械よ」
「だからなんだ。君は俺の部下だ。兵器だろうとなんだろうと、俺の部下である以上無駄死には絶対に許さない。君が自身が兵器であることを望むのならその役目を果たせ。可能な限り敵を殺し、絶対に生きて帰ってこい」
「……話はそれだけ?」
二階堂は小さく頷いた。
「出発はヒトロクサンマルだ。それまでに兵装のメンテナンスをしておけ」
そう言い残し、二階堂は強く吹き付ける海風を背に庁舎へと歩き出す。
彼の背は語らない。そこには自信も緊張も怒りや悲しみもなかった。
波は高く、風は強い。