翌朝。マグノリアの一角にあるメイド喫茶にクロエの姿はあった。制服だと言う肩口の空いた、やたらフリフリした黒のメイド服を着せられたクロエはまだ何もしていないのに精神的に死んでしまっていた。
「なかなか似合っているじゃないか」
「そう? ありがとう!」
近くのエルザとルーシィの会話が耳に入りクロエはため息をこぼす。最初からノリノリだったエルザはともかくとして、ルーシィまで満更でもなさそうにメイド服を着ているのはどういうことなのだろう。クロエは二人のテンションからすっかり取り残されて疎外感すら覚える始末だった。
「よしっ、そろそろ開店時刻だな。ルーシィ、クロエ。準備はいいか」
「ばっちり」
「……帰りたいわ」
エルザの確認の言葉に二人が対照的な返事をしたところで店が開く。すると開店早々お客が入って来た。こんな時間からメイド喫茶に来るなんてどこの暇人よとクロエが呆れ半分にお客の方を見ると、派手な桜色の髪の青年、その足元で二足歩行する猫、服を派手にはだけさせた露出狂、見るからにチャラそうなグラサン男と見覚えのある顔がずらりと並んでいた。
「アンタ達、何しに来たわけ?」
ルーシィがびっくりしたように言う。お客様第一号はナツ(とハッピー)、グレイ、ロキだったのだ。
「よーう、ルーシィ!」
「どうしよう、ナツ。ルーシィがまた変な服着てるよ」
「制服よ、バカネコ」
「へーえ、なかなか似合ってんじゃねえか。馬子にも衣裳ってか」
「アンタは服着なさい!」
「私はどうだ、グレイ?」
「お、おおっ、エルザ!? ……まあ、いいんじゃねえの」
「ん? どうした? 顔が赤いぞ」
「んなわけあるか!」
最近、妖精の尻尾の最強チームだとか何とかいわれている四人と一匹が揃ったことで、店内がにわかに騒がしくなる。チーム外のクロエは傍らに立つもう一人のチーム外――ロキの服の裾を引いた。
「で? あなたたちは雁首揃えて何しに来たの?」
「可愛いメイドさんを見物しに来たのさ。ナツとグレイも暇そうだったから誘った」
「なにそれ。つまらない野次馬根性出してないで帰って仕事でもしてなさい。だいたい当店はあなたみたいな節操なしはお断りよ」
「ひどいなあ。これでもれっきとしたお客だよ、僕」
「どうだか」
クロエは胡乱な目つきでロキを見た。こと女性関係でロキ以上にだらしない人間なんていないのだ。そんなロキをメイドカフェに放り込むなんて、羊の群れの中に狼を解き放つようなものである。
「心配しなくても大丈夫さ。だってボクの相手をしてくれるのは君だろう?」
「は? 馬鹿も休み休み言いなさい。なんでこの私があなたをもてなさなければいけないのかしら。ルーシィかエルザにしてもらえば?」
「もう二人とも接客中だよ。ほら」
「え?」
ロキが指さすほうを見れば、いつのまにかルーシィがナツとハッピーを、エルザがグレイを席へと案内していた。ということはロキの相手をするのは必然的に自分ということに……。クロエは「最悪だわ……」と呻いて天を仰いだ
☆
「ご注文はお決まりでしょうか、ご主人様」
ロキをテーブルに案内したクロエは極めて平常心で尋ねた。
「ちゃんとメイドやるんだね」
「仕事なんだからしかたがないでしょう。そう、これはしかたがないことなんだわ。ご主人様がよりにもよって貴方でもしかたがないことなのよ」
自分に言い聞かせるように何度もしかたがないと繰り返すクロエにロキは苦笑いした。
「よりにもよってとはご挨拶だな。僕としては君が接客してくれて嬉しいんだけどね。ほら。エルザは怖いし、ルーシィは星霊魔導士だろ?」
そう言ってロキは肩をすくめた。
ロキは以前からエルザと星霊魔導士を苦手としている。ロキがエルザを苦手としているのは、ギルドに入りたての頃にエルザを口説いたら半殺しにされたかららしいが、星霊魔導士の方に関してはわからない。そっちに関してはロキがいつもはぐらかしているので誰も知らないのだ。大方、星霊魔導士の女に手を出してひどいフラれ方でもしたのだろうというのがみんなの意見だったけれど、クロエはそうは思っていなかった。
その理由は目の前にある。ほら、今だって。いつも飄々としていて心の内を悟らせないロキだけれど、星霊魔導士のことに関して口にする時はほんの少しだけ表情に影が差すのだ。
クロエは妖精の尻尾に来てからというもの、なんだかんだでロキと行動することが多かった。仕事は一人でというのがクロエの基本的なスタイルだけれど、誰かといっしょにとなると大概その相手はロキだった。だからクロエは星霊魔導士のことを口にする時のロキのわずかな表情の変化も、それがきっとロキの心のキズに由来するものなんだということも察していた、
「そう。でも私はうれしくないわね。どうせならエルザに相手してもらって、びくびく震えていればよかったんだわ」
「辛辣だなあ。ま、いつものことだけど」
だからクロエはロキが星霊魔導士のことを口にしても何もなかった風に言葉を返すことにしていた。彼の抱えているものが気にならないと言えば嘘になるけれど、余計な詮索はしたくないし、なにより無意味だ。だってロキがそれに関して自分の助けを必要とする時はきっと頼ってくれるはずだから。その時は私だって――っていやいや。どうして私がロキのお手伝いをしなきゃいけないのよ。お手伝いなんてしないけど、でもロキが何も言わないということはきっと彼の事情は自分にはどうしようもないことなのだ。
「ま、ともかくだ。僕は君のメイド服姿をまた見ることができて感激だよ」
「特にメイド好きじゃないって言ってたくせに」
「おや、君が僕の好みを覚えてくれているなんて嬉しいな」
「はあ……もういいわ……」
飄々とした様子で軽口を叩くロキにクロエはため息をついた。ロキが相手だとどうもペースを掴まれがちになっていけない。彼の軽薄な調子はクロエの精神には毒だった。
「それでご注文はどういたされますか、ご主人様」
「ああ、そうだったね。まずはこのオムライスにしようかな」
「かしこまりました。しばらくお待ちくださいませ」
☆
「ご注文のオムライスです」
クロエは音を立てないようそっとテーブルにプレートを置いた。
ロキの注文したオムライスは店長こだわりの特製ケチャップをふんだんに使ったチキンライスを黄金色のふわふわ卵で包んだ人気ナンバーワンメニューらしい。付け合わせの野菜とともにプレート上に置かれたそれは確かに美味しそうだった。ロキもそう思ったらしく感心したように口笛を吹いた。どうでもいいけどマナー違反よ、それ。
「それではごゆっくり」
ぺこりと一礼してクロエが立ち去ろうとすると、ロキが「ストップ」と呼び止めた。
「いかがなさいましたか、ご主人様」
「魔法はかけてくれないの?」
「……何ですって? いや、何とおっしゃられましたか、ご主人様」
「魔法だよ、魔法。別途料金を払えばそういうサービスがあるって書いてあるよ。ほら、ここに」
メニューの一か所をさして言うロキにクロエは表情を凍らせた。
もちろんクロエはロキの言うそういうサービスがあることを知っていた。オムライスを注文されたらそのサービスを勧めるよう店長から指示を受けていたからだ。しかしクロエは、たまたま、うっかりロキにそのサービスを勧め忘れてしまっていた(決して故意ではない)。なのにこの男ときたらクロエのせっかくのうっかりを歯牙にもかけず、独力でメニューからそのサービスを見つけてしまったらしい。
クロエはひきつった笑顔を浮かべながら、ロキに向き直る。
「ご主人様。こんなサービスにお金を払うなんてばかばかしいとは思いませんか? 同じ値段ならこっちのドリンクを飲んだ方がよっぽど得であると進言いたします。ご主人様もそう思いますよね?」
「もちろん思わない!」
「くっ。一片の迷いもなく言い切るなんてご主人様はなんて思い切りのいいバカ野郎ですか」
ロキがにこりと白い歯を見せて言い放ったので、クロエは頭を押さえた。
「仕事は真面目にやるんだろう?」
「ぐっ……」
「どうせこの後また誰かにやることになるんだし、慣れておいた方がいいんじゃないかな?」
「見知らぬ他人にやる方がまだ何倍もマシよ!」
「ほら、向こうでルーシィもやってるよ」
「え?」
ロキの指さした方のテーブルを見ると、ナツとハッピーがルーシィの魔法のサービスを受けていた。しかし――
「二人ともどん引きじゃない」
「まあ、ナツとハッピーだしね。ちなみに向こうでエルザもグレイに同じことやってるね」
「本当ね。しかしなんでエルザはあんな堂々としていられるのかしら……」
「エルザだし。まあ、僕としては女の子がちょっと恥ずかしがりながらやってくれる方が好みかな。ということでクロエ」
ずいっとロキが身を乗り出したので、クロエはたじたじになった。
「いや、えーっとね、ロキ。実は私、魔法のサービスをしてはいけない病を患っていてね?」
「クロエ」
「ううっ……本当にするの……?」
「当然」
ロキの目がサングラスの奥で意地悪く光る。南無三。クロエは観念して天を仰いだ。いいわよ、やってやるわよ、やればいいんでしょう。クロエは精一杯の笑顔を作ってロキに向き直ると、
「オムライスがもーっとおいしくなる魔法をかけてごらんにいれますね、ご主人様。も、萌え萌えきゅん……」
「最高っ!」
クロエがセリフとともに手でハートマークを作ると、ロキが大声を出した。途端にクロエの顔がかあっと熱くなった。恥ずかしい、恥ずかしい、恥ずかしい! 想像以上の精神的ダメージにクロエは泣きそうになった。
「ああ……死にたい。もう死にたい。ホント死にたい。それじゃごゆっくり――」
「ストップ」
ふらふらとキッチンの方へ戻ろうとしたクロエをロキが再び呼び止める。
「なによ……」
「まだ食べさせてくれるサービスがあるよ」
「え? あなたは私にこれほどの精神的苦痛を与えておいて、まだそんな恐ろしいことをさせようというの?」
「もちろん」
「笑顔で言うな!」
「仕事だろ? 大丈夫、お金は払うから。オムライスが終わったら次はこの動物さんメイドっていうのはどうだい? ネコ耳……いや、君にピッタリなうさ耳があるじゃないか」
ロキの言葉にクロエは愕然とした。まさか居座る気か、この野郎。
「ああ……。これが絶望というものなのね……」
「バカなこと言ってないで座りなよ。食べさせてくれるんだろ?」
ロキがスプーンをクロエの方へ差し出した。クロエはそれをたっぷり三秒ほど見つめてから、こんちくしょーとやけくそに叫んだ。
「わかったわよ、やればいいんでしょう! やれば! ご主人様の命令に逆らえない可哀そうな私のご奉仕をせいぜい楽しめばいいじゃない! あなたの心が痛まないならね!」
「痛むどころか浮き立つよ」
「この人でなし!」
☆☆
ロキが帰ったのはそれから三時間も経ってからだった。ロキは店のサービスというサービスをやり尽して、晴れやかな笑顔で店を出て行った(ちなみにナツとグレイは先に帰っていた)。あのグラサン野郎、どれだけ店に金を落とすんだ。たった一人接客しただけなのにクロエの精神はもうずたぼろだった。そもそも性格的に自分には接客業自体が向いていないのだ。それがメイド服着て、うさ耳つけて、なにが「私が食べさせてあげるぴょん☆ はい、あーん」だ。ふざけんな。
休憩時間に入るやいなやクロエはスタッフルームに引っ込み、椅子にだらしなく腰かけた。するとぐったりしたクロエを見かねたのか、同じく休憩中のルーシィが声をかけてきた。
「クロエ、大丈夫?」
「死にたいわ……」
「重症ね。たかが接客なんだからもっと気を楽に持てば?」
「あなたにはわからないのよ。ロキにおもちゃにされた私の気持ちなんて」
「おもちゃって大げさな……」
ルーシィが呆れたような口調で言ったので、クロエはじろりとルーシィをにらんだ。
「あのね、ルーシィ。私はルーシィと違ってマゾじゃないのよ。苦痛はそのまま苦痛なのよ」
「だれがマゾか!」
「ナツみたいなトラブルメーカーと好き好んで一緒に仕事に行く時点でマゾなことは一目瞭然じゃない。それともあなたたちできてるの?」
「できてないから!」
「でぇきてるぅ」
「巻き舌風にいうな! どこのバカネコよ!」
「せっかくの休憩時間なのにそんな勢いでつっこんでいて疲れないのかしら」
「疲れるわ!」
はーはーと肩で息をするルーシィを見てクロエはくすりと笑みをこぼした。
「あなたは私と違ってメイドさんに向いていると思うわ。ルーシィを見てると元気になるもの」
「メイドさんってそういう職業だっけ?」
「さあ? 実際はともかくとして、この店で求められているメイドさんというのはそういうものだと私は思うわ」
「私はクロエと話してると楽しいし元気になるけど」
ルーシィが真顔でそんなことを言うのでクロエは恥ずかしくなった。
「人たらし……」
「なんで!?」
「まあ、いいわ……。もう知り合いは来ないでしょう。二度会うことはないであろう赤の他人相手ならなんとか乗り切れるわ」
「私はどっちかっていうと赤の他人の方が嫌だけど……。ま、クロエが大丈夫ならいっか」
しかし休憩明けに来た二人目の客は――
「ミラ……。なんで女のあなたがこんなところに来るのかしら?」
「あら。男の人が多いってだけで女の子がまったく来ないわけじゃないんでしょ?」
「それはそうだけれど酒場は?」
「マスターに頼んで抜けさせてもらったの」
「わざわざそんなことしなくてもいいのに……」
「いいじゃない。それで? 私の相手はクロエがしてくれるの?」
「残念ながらそうなるわね。他の人は手が空いてないもの」
ため息交じりにミラを席に案内しメニューを差し出す。椅子に腰を下ろしたミラは興味深そうにメニューを眺めていたが、しばらくして何か見つけたらしく口の端をほんの少し釣りあげた。そのミラのわずかな表情の変化にクロエはいやな予感を覚えた。
ミラがメニューから顔を上げる。その表情が実に楽しげなものであるのを見て、クロエはいよいよもって表情をこわばらせた。これはまずい。ミラのことを何も知らない人間が見たのなら天使のようだと思うであろうこの微笑みが、その実非常に性質の悪いものであることをクロエは良く知っていた。昔からミラがこういう風に笑う時はたいてい意地の悪いことを思いついた時なのだ。
「ねえ、クロエ」
「な、なんでしょう。お嬢様」
ミラの呼びかけにクロエは硬い声で答えた。
「このお兄ちゃん向けサービスをお姉ちゃんにしてやってもらおうかしら」
「……申し訳ございません、お嬢様。当店でそういうサービスはいたしておりません」
「あら。うそはダメよ、クロエ」
最後の抵抗もあっさり見破られた。
「あの、ミラ? ロキじゃあるまいしこういうサービスは――」
「ミラじゃなくて、ミラお姉ちゃんでしょう」
「だから……」
「昔はそう呼んでくれてたじゃない」
「あなた昨日の話題をまだ引きずる気? 同じネタでからかおうなんて――」
「お・ね・え・ちゃ・ん」
ミラが笑顔で訂正してくる。その微笑みの圧力を前にしてクロエは観念した。
「う~、わかったわよ……。ミ、ミラお姉ちゃん」
口にした瞬間、クロエは恥ずかしさで顔から火が出そうになった。魔法のうさ耳然り、大きくなると昔は気にもしていなかったことが急に恥ずかしくなることがある。自分より少し年上の人間をお兄ちゃん呼びやお姉ちゃん呼びすることもクロエにとってはその類のものだった。
「あら? 顔が真っ赤よ、クロエ」
そしてミラはクロエがお姉ちゃん呼びを恥ずかしく思っていることをわかってやっているのだ。絶対そうだ。そうに違いない。小悪魔のような笑顔を向けるミラをクロエはにらみつけて声を荒げた。
「誰のせいよ! 誰の!」
「誰のせいでしょう?」
「ふざけてるの? あなたのせい――」
「『あなた』じゃなくて?」
「うっ……!?」
「『あなた』じゃなくて、なあに?」
「ミ、ミラお姉ちゃん……」
「うふふ」
墓穴を掘ったクロエにミラが笑みを深める。だめだ、このままでは泥沼にはまる。ただでさえミラに勝てたためしがないのに今は状況が悪すぎる。
「ミラお姉ちゃん、注文は決まった?」
この場は早く注文を取って撤退するにかぎるわ。そう思ってクロエが注文を促すとミラは考え込むように細い顎に手を当てた。その様子をメニューに悩んでいるのかしらと見ていたクロエだったが、次にミラの口から出てきた言葉は
「ねえ、今度はミラ姉って呼んでみて」
「はあ? なんでそんなエルフマンみたいなことを私がしないといけないの?」
「いいでしょ? ね、おねがい」
「……わかったわよ。『ミラ姉』」
クロエがそう呼んだ瞬間、ミラの表情がわずかに変わった気がした。なんだろう。いつもと違うような……。笑っているのにどこか寂しそう……?
「ミラ?」
「え? なあに?」
クロエが思わず声をかけると、ミラが不思議そうに小首をかしげた。それはいかにも自然な仕草で、もうミラに先ほどの違和感を見つけることはできなかった。気のせいだったかしら。クロエが混乱していると、ミラが「それより、クロエ」とメニューを指さした。
「私このオムライスが食べたいわ。もちろん魔法の呪文付きでね」
「なっ……」
その一言で違和感なんてクロエの頭からすっかり吹き飛んでしまった。
そしてミラが帰った後の三人目。注文を取った後もあれこれとミラに苛められて精神を削り取られたクロエが出迎えた客は――
「ロ、ロメオ!?」
「あ、クロエ姉だ」
そう言って無邪気に笑うロメオと対照的にクロエはひきつった顔で尋ねた。
「どうしてあなたがこんなところにいるのかしら?」
「よくわかんないけど父ちゃんがここでパフェでも食べてこいってお金くれたんだ。面白いものが見れるからって」
「酔っぱらいが余計なことを……。帰りなさい、ここは子どもが一人で来るようなお店じゃないわ」
クロエが言うと、ロメオはムッとして唇を尖らせた。
「子どもってクロエ姉だって子どもじゃん」
「あら、私は大人よ」
「父ちゃんが酒の飲めねえ奴は子どもだって言ってたよ? だからクロエ姉も子どもだよ、法律的に」
「ほ、法律ですって。六才児のくせに生意気な」
「生意気なのはクロエ姉の方だろ。俺、ご主人様じゃないの? 逆らっていいの?」
「うっ!?」
「ギルドでロキ兄がご主人様の命令に逆らえない可哀そうなクロエのご奉仕をせいぜい楽しんでくるといいって言ってたよ」
「あのグラサンは子どもとどんな会話してんのよ!」
「あと、来る途中で会ったミラ姉が魔法の呪文がおすすめよって言ってた。なんのことだかよくわかんないけどそれも注文していい?」
「もうやだあ……」
クロエはその場にがっくりと崩れ落ちた。
☆
「いっそ殺して……」
「あんたねえ」
閉店後のカフェ。憔悴しきったクロエが吐いた言葉にルーシィが呆れた声を出した。
「何よ。あなたにはわからないのよ。ロキにおもちゃにされて、ミラに苛められて、六歳児にまでバカにされた私の気持ちなんて」
「増えたわね」
「はあ……。だいたい何なのよ。妖精の尻尾の人間が来すぎでしょう」
ロメオが去った後も妖精の尻尾のメンバーが次から次へと顔を見せた。レビィがシャドウギアのメンバーといっしょに来店したかと思えば、今度はマスターが来たりして、相手をさせられるこちらとしては厄介なことこの上なかった。クロエがぶちぶちと恨み言を吐いていると、エルザがポンとクロエの頭に手を置いた。
「まあそう腐るな。よいことではないか」
「何もよろしくないわよ」
「いいや、いいことだ。お前だからみんなが店にやって来たんだ。どうでもいい相手なら冷やかそうとも思わないだろう?」
「なにそれ。意味わかんない」
「お前は大切なギルドの仲間だという話さ」
エルザがまっすぐにこちらを見てそう言った。クロエはすぐに言い返そうとしたが言葉がうまく出てこなかった。エルザの目を見ていられなくなってクロエはふいと視線を外した。
「……勝手に愉快な仲間に入れないでほしいわ。だいたい私じゃなくてルーシィやあなた目当てだったかもしれないじゃない」
数秒経って、クロエがようやくそう言い返すと、ルーシィがからかうような眼をクロエに向けた。
「もしかしてクロエ、照れてる?」
「蹴り飛ばすわよ」
「やめて!」
「あ、そうね。やめた方がいいわね。マゾっ子ルーシィにはご褒美になってしまうもの」
「だから誰がマゾっ子か!」
激しくリアクションをとるルーシィを見てクロエは笑った。エルザもくすくすとおかしそうに笑い、最後にはルーシィ自身もからからと笑った。こうして誰かと笑いあえる時間は嫌いじゃない。だからたとえ散々なことがあったとしても最後にこうして笑えるなら、それはきっと悪くない――
★
悪くない――わけもなく、やっぱりろくでもない仕事だったわと、一通り思い返したクロエは深いため息をついた。終わり良ければすべてよしなんて言葉は嘘っぱちだ。ちょっとばかり終わりがよかったところで、その過程で受けた屈辱の数々を忘れさることなどできはしないのだ。
これは私に恥をかかせた連中に報復すべきかもしれない。いや、そうに違いないわ。でもロキなんてしゃべるだけで疲れるし、割に合わない。ミラは……止めときましょう。返り討ちにあう気がしてならないわ。となるとロメオか。今度会ったらほっぺたをつねってやろうか。でも六才児相手に流石にそれはどうなんだろう? クロエがぐるぐるとそんなことを考えていると、カナが「クロエ」と話しかけてきた。
「なあに、カナ?」
「ちょっとギルドによっていこうか?」
「こんな時間だし、誰もいないと思うけど」
「ひょっとしたらミラはいるかもしれないじゃん。仕事の報告なんて明日でもいいけど、まだちょっと飲み足りないし」
「あれだけ飲んでおいてまだ入るの?」
「当然」
「呆れた。けど、いいわ。無駄足になっても遠回りってほど遠回りでもないしね。行きましょう」
カナとクロエはギルドに向かって歩き始めた。カルディア大聖堂の前を通り、橋を渡って運河を横切る。カナとの間に特に会話はなかったが、それなりに気心の知れた相手だ。初対面の人と二人きりになって話が続かない時のような居心地の悪い沈黙ではなかった。
そういえばクロエが妖精の尻尾に初めて来た時、最初に声をかけたのがミラで、その次がカナだった。今も昔もミラは意地悪だし、エルザは口うるさいし、おまけに当時この二人はすぐにケンカをしていたので、巻き込まれないようクロエはよくカナのところに避難していた。あの頃のカナはまだお酒とは無縁だったから、クロエにとってカナは欠点のない面倒見の良いお姉さんのような存在だった。
なら今は――? ふとそんな疑問が頭を過ぎって、クロエははたと足を止めた。今、カナは、ミラは、エルザは、妖精の尻尾のみんなは自分にとってどういう存在なのだろう?
考え始めて数日前のエルザの言葉が蘇る。人は収まるべきところに収まる。ならば今の私は収まるべきところに収まってしまっているのだろうか? エルザの言葉を借りるなら「大切なギルドの仲間」という立ち位置に収まってしまっているのだろうか?
もしそうならば、それは自分にとって好ましくないことだ。自分はすべてを喪った日から、そういうものとは無縁でいようと思って生きてきたのだから。持てば失う。何も失いたくないなら、最初から何も持たなければいい。だから私は――クロエ・クロイツェフは何とも交わらないし、染まらない。ひとりぼっちの黒うさぎでいいとそう決心したのだから。
「クロエ?」
はっとして顔をあげると、クロエが足を止めてしまっていたせいだろう、少し離れた位置に立ったカナがこちらを怪訝な表情で見ていた。
カナはどう思っているのだろう? 時折、こうして自分を仕事に誘ってくる彼女は自分のことをどう思っているのだろう?
「ねえ、カナ」
「ん? どした?」
「あのね――ううん、やっぱり何でもないわ」
聞きかけてやめた。突然「私のことどう思ってる?」なんて聞くのは変だ。だいたい自分はカナにどういう答えを期待しているのだろう? 自問自答して、クロエは首を振った。わからない。自分のことなのに自分じゃわからない。
カナの後ろについて夜道を再び歩き出す。相変わらず思考はまとまらない。そうして考え事に集中していたのが悪かったのだろう。突然クロエはぼすりと衝撃を受けた。カナが立ち止まったのに気が付かず、背中にぶつかってしまった。
「ごめんなさい。前見てなかった――」
「嘘だろ……」
クロエの謝罪にかぶさるようにカナが呆然とした声をだした。一体どうしたのだろう? 疑問に思いつつカナの視線の先を追ったクロエもまた、それを見て表情を凍らせた。
目に映ったのは崩れ落ちた屋根と罅割れた壁とまるで臓腑を抉るかのように深々と突き刺された鈍色の鉄柱の群れ。
「そんな……」
声が漏れる。呆然と立ちすくむ。目の前にあったのは無残に破壊された妖精の尻尾だった。