FAIRY TAIL -私は普通だから-    作:枝折

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第三話 警備クエスト(上)

 これは一体どういうことなのかしら。自分の置かれている状況に対して妖精の尻尾の魔導士、クロエ・クロイツェフは困惑の表情を浮かべていた。

 クロエが振り向きざまに胸に衝撃を感じ、柔らかいベッドの上に背中から倒れこんだのはほんの十秒前のこと。押し倒されたのだと気がついた時にはもう馬乗りになられていた。

 背中にはふかふかの布団の感触が、お腹には人の温度と重みが伝わって来る。ブルーの瞳がクロエを見下ろしている。長い金髪がクロエの頬をわずかに撫でて真っ白なベッドの上に落ち、そこでクロエの黒の髪と交じり合っている。

 女がベッドに押し倒される場合はたいてい、その相手は男であり、その目的は女の体であるということをクロエは知識として知っていた。さらに付け加えると、大概の場合それはのっぴきならない事態であり、貞操を守るべく声を上げて抵抗すべきであることも知っていた。

 しかしクロエは現在そのような自衛の行動を一切とっていなかった。恐怖で動けないというわけではない。今クロエが感じているのは恐怖ではなく、ただただ戸惑いだけである。

 

「えっと……」

 

 そのようなクロエの反応はもっともだった。なにせクロエの目に映っているのは十才に届くか届かないかくらいの幼い少女の顔で、クロエは現在幼女に押し倒されていた。

 

「ねえ、クロエ」

「な、なんでしょう」

 

 降って来る幼い女の子特有のかわいらしい声は、それに不似合いなほどの深刻さに満ち満ちていて、クロエは思わずかしこまった返事をした。すると

 

「お願いがあるの。聞いてくれる?」

 

 すがるように女の子が言う。聞くか聞かないかは内容によるのではないかしらなんてとても言えない雰囲気である。クロエは面倒事に巻き込まれそうな予感をひしひしと感じて、まいったなあと眉をひそめた。

 なぜクロエが金髪幼女に押し倒されているのか。事の始まりは昨日の午後にまでさかのぼる。

 

 

 ★

 

 

「金髪だからって理由でチーム組んでメイドの格好させるなんてひどいと思わない?」

 

 昼下がりの妖精の尻尾の酒場。カウンター席に座るクロエに愚痴るのはお隣さんの新人魔導士ルーシィ・ハートフィリアだ。どうやら先日行ったクエストの首尾がよくなかったらしく、彼女の口調は不満そのものだった。何でもとある本を求めてお屋敷に潜入する際、いっしょに仕事に行ったナツにメイドの格好をさせられたそうだ。

 ナツというのは妖精の尻尾に所属する滅竜魔導士だ。行く先々で暴れまわるせいで彼の火竜という異名は王国に広く知れている。そんなのといっしょに仕事に行けばロクな目に合わないのはわかり切っているというのになぜルーシィはチームを組むことを了承したのか、クロエには謎だったがあえてツッコむつもりはなかった。そんなことをすれば愚痴が長くなるに決まっている。クロエは火に油を注ぐような趣味はなかったので代わりに適当な相槌を打った。

 

「それは災難だったわね」

「そうなのよ! その上ただ働きになっちゃったし、もう最悪……。あ~あ」

 

 ルーシィが派手にため息をついたが、本当にため息をつきたいのはこっちの方だとクロエは思った。

 クロエがルーシィの愚痴を聞き始めたのは、ルーシィの初仕事がただ働きに終わったことに対するちょっとした同情からだった。クロエもつい最近ただ働きの辛さを味わったばかりだったので、少しぐらいなら愚痴に付き合ってあげてもいいかなと思ってしまったのだ。もっとも今となってはそんな同情心を持った一時間前の自分を蹴り飛ばしたくて仕方がない。ルーシィの愚痴は少しぐらいでは終わらなかったのだ。

 クロエはうっかりしていたが、そもそも愚痴というのは愚痴っている当人の気が収まるまでループすることが多いのだ。そしてルーシィの面白くもなんともない愚痴は今しがた四ループ目が終わったところだ。流石にうんうんと相槌を打つのにもうんざりしてくる。

 もしこのまま五周目に突入したらどうしよう。クロエはオレンジジュースをちびちびと飲みながらかなり弱っていた。

 

「こんなことで家賃払えるかなあ……」

 

 幸いなことにぼそりとこぼれたルーシィのつぶやきは今日初めて出るものだった。しかしそれはそれで聞き流しにくい内容だ。クロエはおずおずと尋ねる。

 

「ひょっとしてあの部屋に決めたことを後悔しているかしら?」

「そんなことないわよ。あの部屋は本当に素敵よ」

 

 ルーシィはきっぱりと言い切った。嘘や無理を言っている風でもなかったのでクロエはひとまずほっとした。

 

「ならいいのだけど……困っているのなら言いなさい。金銭的な援助をするつもりはないけれど、安い物件探しなら付き合うわ」

「大丈夫だって。というか手伝いはしないんじゃなかったけ?」

「ただの仕事のアフターケアよ。手伝いじゃないわ。変な勘違いしないように」

「はいはい」

 

 どういうわけかルーシィに生暖かい視線を向けられクロエはおもしろくなかったが、今は愚痴を終わらせるチャンスだ。リクエストボードの方を指さして

 

「お金がいるなら新しい仕事を探してくることをおすすめするわ。七万ジュエルくらいならそこそこの依頼で足りるでしょう」

「そうね。ようし、ちょっと見て来る」

 

 ルーシィは立ち上がりリクエストボードの方へ去っていた。愚痴から解放されたクロエはふうっと安堵の息を漏らした。ちらりとルーシィを目で追うとボードのところには今日も今日とてナブが立っていた。どうせ仕事なんてしないくせに毎日良く飽きもせずリクエストボードを見ているものである。

 もっとも仕事をしていないというのならここのところのクロエも人のことを言えたものではなかった。ロクな仕事がないとか言ってクロエは酒場のごろつき退治以来何の依頼も受けておらず、休暇にしてはあまりに長い時間が過ぎてしまっていた。このままでは自分もニート野郎の仲間入り、なんとも由々しき事態だった。

 ルーシィが選び終わったら自分もボードを見に行こう。そしてわがまま言ってないで適当な仕事をとってこよう。クロエが密かにそう決意していると、視線の先でルーシィが茶髪のグラサン男ロキに絡まれていた。彼氏にしたい魔導士ランキングとやらの上位ランカーらしい彼は、とにかく女好きでいつも誰かしらにちょっかいをかけている。

 かく言うクロエも何度かロキに誘われたことがあり、初めての時はこの男はロリコンなのかしらと真剣にひいた。クロエは自分のことを子どもだとは思っていないが、十四才という自分の年が世間的に見ればまだ子どもらしいことは、遺憾な事実としてではあるが認識していた。仮に酒が飲める年齢を大人としてもクロエはあと一つ歳が足りない。ましてやロキに初めて声をかけられたときクロエはまだ十三だった。そんな少女を酒に酔っているわけでもないのに誘ってくる男はロリコンと言われても致し方なしだ。

 あの男も相変わらずねと思いながらクロエが見ていると、ルーシィに袖にされたらしいロキとばっちり目が合ってしまった。彼が途端にぱっと顔を明るく輝かせたのを見て、クロエはしまったと顔をしかめた。

 

「やあ、クロエ。調子はどうだい?」

 

 甘い笑顔を浮かべながらロキはクロエの方にやって来た。

 

「特に良くも悪くもないわね。私に何か用かしら?」

「今日この酒場でキミと出会えたのはまさに運命の出会い。僕といっしょに仕事でもどうかなと思ってさ」

 

 ぬけぬけというロキにクロエはやれやれと首を振る。

 

「ルーシィに振られた数秒後には別の女って、あなた本当に軽いわね」

「いやいや。ボクはすべての女性に対して真剣さ」

「けだものね」

「まあ、そう尖らないでよ。割のいい話だからさ。村の酒場を壊して金がもらえなかったって聞いてるよ。どうせまた頭に血が上って無茶苦茶したんだろ?」

 

 痛いところを突かれてぐうっとクロエは顔をしかめた。じろりとロキをにらんで

 

「うるさいわね。心の広い私が怒ったりするわけないでしょう。あれはいくつもの不幸が折り重なった結果よ。偶然の産物よ」

「なるほど、いつもどおりの言い訳だね。知っているかい? 偶然はたまにしか起こらないから偶然というのさ」

「あら。呼吸するように運命の出会いをしているあなたに言われたくないわ。知っているかしら? 運命の出会いは滅多に起こらないから運命の出会いって言うのよ」

 

 クロエの言葉にこれは一本取られたとばかりにロキが肩をすくめた。その仕草は妙に様になっていて、うまくやり返したはずなのになんだかイラついた。クロエは落ち着こうとコップに残っていたオレンジジュースを飲みほして少しの間を取った。

 

「それで? どんな仕事のお誘いなのかしら。分かっていると思うけれど二人で行ったら報酬が半分になるわ。安い依頼なんてお断りよ?」

「半分になってもなかなかだよ、ほら」

「パーティーの警備の依頼ね。報酬は……確かに悪くないわね」

「だろ?」

 

 ロキの差し出した依頼はどこぞの金持ちからというだけあって内容の割に報酬がよかった。半分にならなければもっといいのだが、さすがにロキが見つけた仕事を奪い取るわけにもいかない。

 この男と仕事ねえ……。クロエはちらりとロキの方をうかがった。性格に難はあるものの彼の魔導士としての実力が高いのは確かだ。組むのも初めてではない。報酬のいい仕事を持ち掛けられてロキと仕事に行ったことは何度かあり、精神的にひどく疲れはしたが、依頼はいつも達成できている。少なくともナツに捕まったルーシィほどひどい目には合うことはない。

 

「いいわ、行きましょう」

 

 クロエがオッケーを出すと、ロキがナイスと親指を立てた。

 

「それじゃあ明日の早朝、駅で待ち合わせよう。楽しみにしてるよ」

「はいはい」

 

 軽やかな足取りでギルドから出て行くロキを見送る。おそらくこれから明日に備えて旅の支度でもするだろう。それは一緒に仕事に行くクロエもしなければならないことだ。さて私も家に帰って旅支度をしましょうかと、クロエが椅子から腰を浮かしかけたその時だった。

 

「大変だ」

 

 ギルドから出て行ったはずのロキがものすごい勢いで戻って来て、酒場にいる全員に聞こえる声量で叫んだ。何事かと皆の注目が集まる中ロキはさらに一言、

 

「エルザが帰って来た」

 

 酒場が一瞬静まった後、にわかに騒がしくなった。ロキの言葉にクロエはげえっと顔をしかめた。エルザ・スカーレット。妖精の尻尾の最上位クラス、S級魔導士の一角にして『妖精女王』の異名を持つ最強の女。クロエは彼女のことを人の皮を被ったバケモノなんじゃないかと常々思っている。

 クロエはエルザが苦手だった。行く先々で不幸な事態に見舞われるせいで、まことに遺憾なことにクロエはエルザから問題児の一人としてにらまれているのだ。このあいだの酒場全壊の一件が知れたらまたどんな小言を言われるかわかったものじゃない。

 これはさっさと退散するに限る。クロエはさっと立ち上がると、エルザが現れる前に慌ててギルドを後にした。

 

 

 ★

 

 

 翌朝、クロエとロキは列車に乗って目的地へと向かっていた。マグノリアの駅のホームで何かの仕事に行くらしいルーシィ(ついでにナツとグレイ)と会ったが、会話をしている時間もなかったので軽く会釈だけして列車に乗り込んだ。車内は空いており、クロエとロキは適当なボックス席に腰を下ろした。

 

「昨日もギルドでおしゃべりしていたのを見たけれどクロエはルーシィと仲良いのかい?」

「話をする機会は多いわね。彼女、私の家の隣に住んでいるから」

「そうなのかい?」

「ええ。あなたはルーシィとは相性が悪いみたいね」

「まあね。彼女が星霊魔導士であることが残念でならないよ。運命とは残酷だ」

 

 朝からへらへら軽薄なセリフを吐くロキに先が思いやられるなとクロエは微かにため息を漏らした。今日から数日この調子に付き合わねばならない。やれやれと頭を振りつつ、クロエは鞄からバスケットを取り出した。「それは?」と聞くロキにサンドイッチと答える。

 

「朝ごはんなのだけれど、あなたも食べる?」

「僕の分もあるのかい?」

「不本意なことにね。これは仕事のパートナーがどれほど人間的に尊敬できない人物であったとしても蔑ろにはできない私の人の良さが作り出した後悔の塊だわ」

「照れ隠し?」

「純然たる事実よ」

 

 ロキはバスケットからサンドイッチを一つ取って口に入れた。クロエはその様子を見守った。誰かに自分の調理したものをふるまう時、相手の反応をついつい気にしてしまうのは人の性だ。

 

「うん、うまい。これからはボクの家で毎日朝食を作ってほしいね。ああ、でもそんなことになったら他の女の子たちが嫉妬してしまう」

「はあ……ちょっと黙りなさい」

 

 おいしいと言ってもらえたことは嬉しいのだが、その後の一言、二言は余計だった。やはりこの男の相手をするのは疲れる。クロエは自分の分のサンドイッチをかじりながら、列車の外の風景に目を向けた。マグノリアの街がもうずいぶん遠ざかっていた。

 

「そうそうクロエ。今から行くお屋敷について少し話そうか。昨日はあっさりキミがいっしょに来てくれることになったものだから浮かれてしまってね。詳しいことを言いそびれていたんだ」

「お願いするわ」

「まず確認から。僕たちの仕事は明日の夜に開かれるパーティーの警護だ。依頼主の屋敷で行われるから、ホームパーティーだね」

 

 クロエが頷く。ここまでは報酬額とともに昨日見た依頼書にもあった。

 

「依頼主のウィリアス卿はかなりの財産持ちで、定期的にこういったパーティーを行っているようだ。ウィリアス卿にお近づきになりたい連中や仕事のパートナーから友人まで集まる人間は色々だけど、今のところパーティーで警備の手を煩わせるような問題が起こったことは一度もない。気楽だろ?」

「そうね。仕事が楽というのは重要なことだわ」

「ああ。だがもっと重要なことがある」

「何よ?」

 

 クロエが首をかしげると、ロキは「実は……」と少しもったいぶるように間を取った。その様子を見てクロエはこれはろくなことを言わないだろうなと確信した。

 

「そのウィリアス卿のご令嬢がすこぶる美人と評判なんだ」

 

 やっぱり。クロエはロキに冷ややかな目を向けた。どうせそんなことだろうと思ったのだ。

 

「呆れた……。魂胆が透けて見えるわね」

「うん。君の冷たい目もいいね!」

「蹴飛ばすわよ」

 

 クロエがにらむと「それは勘弁」とロキが両手を上げた。

 

「けど美しい女性の傍に狼が近付くのは当然だろ? さっきいろんな人間が集まると言ったけど、麗しきご令嬢の心を射止めようとする男たちもこのパーティーに参加するそうだよ。そもそもパーティーを定期的に開く理由の一つにはご令嬢の婿候補を探す意図もあるらしい」

「やけにくわしいわね」

「前回開かれたパーティーの警備にあたったのも妖精の尻尾の魔導士だからね。詳しく話を聞いておいたのさ」

 

 得意そうにロキが言ったが、クロエは彼を讃える気にはならなかった。どうせロキの一番の関心事はその美人のご令嬢とやらで、今まで彼の口から語られたのはその話を聞くついでに得た情報であろうことは容易に想像がついたからだ。

 

「まあ、いいわ。あなたの節操なしは今に始まったことでもないし、そもそもあなたがそのご令嬢と何をしようが私の知ったことじゃないもの。ただ問題を起こして報酬がなくなるなんてことだけはしないでね」

「あれ? クロエ、ひょっとして嫉妬してむぐっ――」

 

 いいかげんいらっときたクロエはロキの減らず口にサンドイッチをねじこんだ。

 

 

 ★

 

 

 屋敷に着く頃にはもう夕刻になっていた。大きな門を通り、これまた大きなお庭を横切って、やはり大きなお屋敷に入る。使用人に連れられて応接間に通されたクロエたちはそこで今回の依頼主であるウィリアス卿と対面した。

 

「はじめまして、妖精の尻尾の魔導士方。今回も依頼を受けて下さったこと感謝します」

 

 そう言って軽く頭を下げたウィリアス卿を見てクロエは良さそうな人だなと思った。顔つきこそ少々厳めしいものの、喋り方は優しく態度も丁寧だ。仕事に行くと横柄な依頼主に当たることもあるが、ウィリアス卿はいかにも好々爺だった。

 お互いに軽く挨拶をした後、お屋敷の警備の話に移る。この辺りの話はてっきり使用人か誰かに任せるのだろうと思っていたのでウィリアス卿が自ら応対に当たったことにクロエは少し驚いた。しかし、ホームパーティーを何度も開いているというだけあってウィリアス卿は慣れた様子だった。

 受け答えは基本的にロキがしたのでクロエは黙って座っていた。こういう時、大人がいると助かる。クロエが一人で仕事に行くと、クロエを見た目で判断した依頼主に理不尽な応対をされることがあるのだ。もっとも今回の依頼主に限って言えばクロエが一人で来ていたとしても問題はなかっただろうとは思う。ウィリアス卿はクロエを見てこれは可愛らしいお嬢さんだとは言ったものの、クロエを軽んじるような気配は全くなく、クロエのことをちゃんと仕事相手として扱っていた。

 

「ふむ、それでは明日はよろしくお願いします」

「承りました」

 

 打ち合わせは特に問題なくすんなり終わった。ウィリアス卿が立ち上がる。

 

「これからうちの使用人にお二人を部屋へ案内させますので」

「ありがとうございます」

 

 ウィリアス卿に続いて応接間から出ると、廊下で白のワンピースを着た女性と出くわした。ふんわりと内側にカールした金髪が美しい女の人だった。たぶん二十歳ぐらいだろうか。女性は愛らしい雰囲気の童顔をしており年齢が分かりづらかった。

 

「あら、お父さま。その方たちが妖精の尻尾から来てくださった魔導士さんたちかしら?」

 

 女性がウィリアス卿をお父さまと呼んだことで身分が明らかになる。どうやらこの女の人が噂のご令嬢らしい。彼女の言葉にウィリアス卿が頷くと女性はクロエとロキに向かって

 

「初めまして、レティシアと申します。高名な妖精の尻尾の魔導士とお会いできて光栄ですわ」

「光栄なのはこちらのほうです、可憐なお嬢さん。私はロキと申します」

「あら、お上手な方ね」

 

 女たらしのロキの言葉にレティシアは照れたのかほんの少し頬に赤みが差した。流石に依頼人の前でその娘を口説かれてはたまらないと思い、クロエはロキをじろりとにらんだが、クロエの視線をロキはどう解釈したのか――いや、どう解釈したのかは丸わかりだ。その顔には「おや、やっぱり嫉妬だね。素直じゃないなあ」とはっきり書いてあった。クロエはその都合のいい脳味噌がつまった頭を蹴り飛ばしたい衝動に駆られたが、強固な理性を持って何とか抑えた。

 

「そちらは?」

「クロエです」

「そう。こんなかわいい娘が警備に来てくれるなんて感激だわ」

 

 にっこりとレティシアが微笑んだ。上品で柔らかい笑顔だった。これは男が群がるのもわかるなとクロエは思った。レティシアはウィリアス卿の方を向いて

 

「もう打ち合わせは終わったの?」

「ああ。今、部屋へご案内しようとしていたところだ」

「あら。それなら私が部屋へ案内いたしますわ」

「それはかまわんが……よろしいですかな?」

 

 ウィリアス卿がクロエとロキを見たので

 

「喜んで。ねえ、クロエ」

「……はい」

 

 ロキが調子よく頷き、クロエは内心舌打ちしながら同意した。

 

 

 ★

 

 

 調度品の並ぶ廊下をロキとレティシアが歩き、その一歩後ろをクロエが続く。ロキはウィリアス卿の眼がなくなるとすぐにレティシアを口説き始めるのではと思っていたのだが、二人は普通に世間話をしていた。クロエがそれを意外そうに見ていると、視線に気がついたロキが「今は打ち解ける時間。勝負をかけるのは明日さ」と聞いてもないのに耳打ちして来た。

 なるほど。打ち解けると言う意味ではロキは成功しているようだった。いつの間にかロキはレティシアに対して敬語を使っていない。雇い主の令嬢に対してそれはどうなのだと思ったが、ロキの態度はいかにも自然でレティシアも気にしている様子はなかった。

 

「しかし、二人で警備は大変ですわね。前に来た方々は四人組でしたわ」

「僕たち魔導士は割と自由に動くからね。やり方もそれぞれさ。それに大変なのはお互い様だろ? こういうパーティーは招く側も気疲れが多いんじゃないかな」

「まあ、確かにそうなのですけど。でも……悪いことばかりじゃありませんわ」

 

 レティシアの口調が少し変わった。彼女は何かを期待して楽しみに待っている少女のような表情をしていて、クロエはおやっと思った。ロキはにやりと意地の悪い笑みを浮かべて

 

「なるほど。恋をしているみたいだね。パーティーには意中の男が来るのかい?」

「な、な、そんなこと……」

 

 途端にレティシアは顔を真っ赤にして動揺した。わかりやすくレティシアは誰かに恋しているらしかった。ロキもそれはわかっただろうに、しかし彼は余裕綽々だった。どうせそういうところを横からかっさらうのも面白いとか、ろくでもないことを考えているのだろう。クロエは呆れてしまった。

 話しながらしばらく廊下を歩いていると、向かい側から十才に届くか届いてないかくらいの少女が歩いてきた。綺麗な金髪の少女で、その顔立ちはレティシアによく似ていた。少し歳は離れているが少女がレティシアの妹であろうことはすぐにわかった。

 

「あら、ミリア」

 

 少女にレティシアが声をかける。妹はミリアというらしい。名前を呼ばれたミリアは笑顔でとてとてと走って来ると、そのままレティシアに抱き付いた。レティシアは少し困ったように、けれど嬉しそうにミリアの頭を撫でた。

 

「もうっ、ミリア。お客さんの前でしょう。こちらの方たちは明日のパーティーのお手伝いに来てくださった魔導士さんたちなのよ」

「こんにちは、お嬢さん」

 

 ロキが少しかがんでミリアに微笑みかけると、ミリアはさっとレティシアの後ろに隠れてしまった。どうやらミリアは少し人見知りらしい。レティシアは失礼でしょうとミリアを窘めたが、ロキはさして気にした風もなく笑っている。

 

「私はお二人を部屋まで案内するところなの。またあとでね、ミリア」

 

 レティシアがそう言うとミリアはこくこくと頷いて、逃げるように通路の突当りを曲がって走り去ってしまった。レティシアはそんなミリアの様子を苦笑交じりに見つめている。その眼差しは優しい。

 

「ミリアがごめんなさい。私の妹なのですけれど、ちょっと人見知りする子で」

「あれぐらいの年の子なら普通さ。僕も怖がらせちゃったかな」

「いいえ、そんな」

「かわいらしい妹さんだね」

「ええ、こんなことを言うと姉バカのようで恥ずかしいですけれど、本当に可愛い妹だと思いますわ」

 

 レティシアとロキはまた歩き出した。クロエもそれに続こうとしたが、ふとミリアの去った方から視線を感じた。そちらへ視線を動かすと曲がり角からミリアがひょっこり顔を出していてこちらを伺っている。人見知りでも年相応の好奇心はあるらしい。

クロエは可愛らしいミリアの仕草に微笑みを漏らし、彼女の方へ小さく手を振った。ミリアは目を丸くした後、ちょっとはにかんで小さな手を振り返してきた。

 

 

 ★

 

 

 夕食はウィリアス卿たちと共にとることになった。使用人に案内されたのは中央に白のクロスで覆われた長テーブルが置かれた広い部屋だった。上座に屋敷の主であるウィリアス卿が座り、彼から見て左側にはレティシアとミリアが、右側にはロキとクロエが座った。

 まるで正式な晩餐会のようでクロエは緊張してしまった。クロエはテーブルマナーなどさっぱりわからなかったので隣に座っていたロキの所作をそっくりそのまま真似していたのだが、妙な敗北感があった。クロエは料理に舌鼓を打ちつつ、この仕事が終わったら絶対テーブルマナーを憶えようと心に決めた。

 食事中は相変わらずロキがウィリアス卿とレティシアに受け答えしていた。ロキの良く回る口はこういう時非常に頼もしく、クロエはロキに会話を任せて黙々と食べていた。時折、真向かいに座るミリアがたまにちらちらと自分の方を見ているのに気がついたが、クロエが顔を向けるとミリアは恥ずかしそうに視線を逸らしてしまうので喋りかけたりはしなかった。

 一通り食事が終わり、ウィリアス卿、レティシア、ロキが三人で談笑していると、ミリアが静かに立ち上がった。自分の部屋に戻るのだろうかと思いながら見ていると、ミリアはテーブルを回ってとてとてとクロエのところまでやって来た。

 

「あら、なにか用かしら?」

 

 クロエは人見知りのミリアが緊張しないように気をつけながら声をかけた。ミリアがおずおずと口を開く。

 

「お姉ちゃんは魔導士……だよね?」

「そうよ」

「あのね。何か魔法を見せてほしいの……」

「魔法を?」

「うん」

 

 頷くミリアの青い瞳には子どもらしい好奇心が覗いていた。どうしようかしらとクロエはちょっと弱った。もちろん魔法を見たいと言うミリアの要望に応えることはクロエとしてもやぶさかではないのだが、問題はどんな魔法を見せるかということだった。

 クロエの一番得意な魔法はあまり人に見せたいものではないので却下。次に得意な魔法と言えば障壁を張る魔法だけど、障壁は魔導士じゃないと見えないからやっても意味がない。さて、どうしたものか。

 

「へえ。いいじゃないか。クロエの魔法は可愛らしいからね。僕も是非見たいな」

 

 クロエが思案していると横からロキが口を挟んできた。ロキの横やりにクロエは顔をひきつらせた。その魔法は使わないでおこうと決めたばかりだと言うのにこの男はなんて余計なことを言うのだろう。ロキのせいでミリアが一体どんな魔法だろうとすっかりわくわくした様子でクロエを見つめている。ううっ、しかたない。クロエは魔力を体内に走らせ、魔法を発現させた。

 

「わあっ! 耳が生えた」

 

 途端にミリアがクロエの頭を指して言った。彼女の言う通り、クロエの頭には一対の細長い耳が生えていた。

 クロエが使ったのは『兎変化』という魔法だった。聴力や脚力が上がる便利な魔法なのでクロエはメインで使っているのだが、この魔法にはいくつか欠点があった。その最たるものが魔法の発動と共に頭からひょっこりウサギの耳が生えてくることで、うさ耳姿を誰かに見られるのはぶっちゃけとても恥ずかしかった。

 この魔法を習得した幼い頃は全く気にもしていなかったのだがクロエも今や十四才。うさ耳を生やした自分の姿にいろいろ思うところがあったりなかったりするわけで、最近は恥ずかしいなどと言っていられない戦闘時を除いて人前では使わないようにしていたのだが……ロキめ。

 

「すごい。本物みたい」

 

 ミリアが弾んだ声で言う。ちょっとかがんでミリアの目の前で耳をぴょこぴょこ動かしてやるとミリアはいっそう顔を輝かせた。その様子にクロエは安心した。ここまで喜んでもらえるのならちょっとくらい恥ずかしくてもいいかと思える。

 

「ねえ、触ってもいい?」

「え? あ、そうね。えっと……かまわないわ。でも――」

 

 優しく触ってとクロエが言う前にミリアがいきなりむんずとうさ耳を掴んだ。

 

「※★△◎×◇☆!?」

 

 途端にクロエが声にならない悲鳴を上げてその場に崩れ落ちた。ウィリアス卿やレティシアが何事かと驚く。

 

「ぅん……ダメ……。離して……あぁっ……」

「ミ、ミリア離しなさい。早くっ!」

 

 レティシアの慌てた声が響き、ミリアがぱっと手を離した。解放されたクロエは息も絶え絶えになった。実はこの魔法の耳には恥ずかしいこと以外にもう一つ欠点がある。このうさ耳は飾りなどではなくれっきとした感覚器官なのだ。自前の耳よりはるかによく聞こえて便利な反面、とても敏感で強く刺激されると大変なことになる。

 それをためらいもなく握りしめるとはミリアはなんて恐ろしいことをするんだ。クロエは若干怯えた眼差しでミリアを見たが、ミリアはどうやらとんでもないことをしてしまったらしいことに気がついたらしく半泣きだった。

 

「ごめんなさい」

 

 涙声でミリアが謝る。クロエは勘弁してくれと内心大慌てで

 

「気にしなくてもいいわ。ほら、やさしく触ってくれれば大丈夫だから。ね?」

 

 クロエがそっと耳を差し出すと、ミリアはおずおずと耳に触れた。

 

「わぁ、ふかふか」

 

 ご満悦の表情でミリアは耳を撫で始める。耳を優しく撫でられると気持ちいいような、くすぐったいような感覚がして体の力が抜けるので、クロエとしてはあんまり長く触ってほしくないのだけれど、ミリアは感触が気に入ったのかなかなか止めてくれない。

 これ、いつになったら終わるのだろう。クロエが弱り切っていると、ミリア、とレティシアの声がした。ああ、やっと助け船が来たとクロエは安堵の息をついたが

 

「わ、私もちょっとさわりたいわ」

 

 結局レティシアも加わってクロエはうさ耳を散々弄り回される羽目になった。

 

 

 ★

 

 

 多少のアクシデントはあったものの晩餐会はつつがなく終わった。魔法を見せたからか、うさ耳の触り心地のおかげか、クロエはミリアに懐かれてしまったようで、晩餐会の後はずっとミリアの相手をしていた。遠くからウィリアス卿が申し訳なさそうにクロエに頭を下げたが、実際のところクロエはそんなに悪い気はしていなかった。すり寄って来るミリアは愛らしくて、レティシアが溺愛しているのもわかるなと思った。

 結局、クロエはミリアがお世話係らしい使用人の女性に「もう寝る時間ですよ」と窘められて自室に戻るまでいっしょに遊んでいた。

 

 

 ★

 

 

 ミリアと別れて部屋に戻ったクロエはシャワーをすませると、寝るまでの時間を小説を読んで潰していた。すると、コン、コンとドアをノックする音がした。誰だろうと腰かけていたベッドから立ち上がりドアを開けると、立っていたのは寝間着姿のミリアだった。

 

「ミリア。どうかしたの? こんな時間に」

「あのね……その……」

 

 クロエの問いかけにミリアは口ごもってしまった。少し待ったがミリアはうつむくばかりでしゃべらない。クロエはどうしたのだろうと首を捻ったが、入り口で立ち話も疲れるのでミリアを中に通すことにした。

 

「お話なら中へどうぞ」

 

 そう言ってクロエがベッドの傍まで歩を進めた時だった、後ろからミリアがクロエの名前を呼んだ。クロエが振り向くと、胸の下あたりにドンと衝撃を感じた。突然のことによろめき、クロエは後ろにあったベッドに背中から倒れこんだ。

 

「えっと……」

 

 クロエは困惑の声を上げた。幼女が上に乗っている。ミリアはもぞもぞと起き上るとクロエに馬乗りになった状態で、クロエを見下ろした。ミリアのブルーの瞳がまっすぐにクロエを捉える。真剣な表情だった。

 

「ねえ、クロエ」

「な、なんでしょう」

「お願いがあるの。聞いてくれる?」

 

 ミリアはすがるような目でクロエを見た。ミリアの様子にクロエは面倒事の気配をひしひしと感じた。

 

「そうね。とりあえず私の上からどいてくれると嬉しいわ」

「やだ。聞くって言ってくれるまでどかない」

 

 ミリアがぶんぶんと首を振って言った。それはなんとも可愛らしい脅迫だった。その気になればミリアを力任せにどかすことは簡単でも必死なミリアを見てしまうと実行に移そうとは思えなかった。代わりにクロエは口を開いた。

 

「ねえ、ミリア。お願いの内容もわからないのに約束はできないわ。それはあまりに無責任だもの。まずあなたのお願いがどんなものなのか話してもらえないかしら? できれば私の上からどいてね」

 

 するとミリアは「わかった」と頷いたが、どいてくれる気はないらしく馬乗りのまま話し始めた。

 

「ねえ、クロエは魔導士だから強いよね?」

「必ずしも魔導士みんなが強いわけではないわ」

「クロエは?」

「それはまあ……それなりに」

 

 クロエは腕っぷしにはそれなりに自信がある方だったが、それでもエルザみたいな化け物と比べられると困るので控えめに頷いた。

 

「あのね。ダン卿をやっつけてほしいの。クロエならできるよね?」

「ダン卿? 誰かしら?」

「悪者! あいつはお姉さまやお父さまを騙そうとしているの!」

 

 ミリアの言葉にクロエは目を丸くした。

 

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