FAIRY TAIL -私は普通だから-    作:枝折

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第五話 過ぎた日の話

 日差しの眩しい夏の日の昼下がりのこと。ぷらぷらとギルドの建物から裏庭に出ると彼女はこちらに背中を向けてせっせと洗濯物を干していた。長い白髪がさらりと綺麗な、私の大好きな人。彼女はまだこちらに気がついていないようだ。私はニヤッと笑うと、忍び足で彼女の背中に近づいていった。そろりそろりと慎重に距離を詰め――

 

「おねえちゃん」

 

 その声と同時に最後の一歩を踏み出して、少女の腰に飛びついた。まったく私の気配に気がついていなかった彼女はきゃあっと驚きの声を上げた。

 

「こらっ、クロエ。びっくりするじゃない」

 

 腰にまとわりつく私におねえちゃんは文句を言ったけれど、私は全然気にもならなくって、にへらとした笑みを浮かべながら彼女の身体に頬を寄せた。

 

「えへへ」

「いや、えへへじゃなくて。洗濯物が干せないわ」

「おねえちゃんならだいじょうぶ」

「あんたねえ。とっとと離れなさい。暑苦しいでしょう」

「やだー」

 

 じゃれつく私に、おねえちゃんは呆れたような、困ったような表情を浮かべた。それから「クロエはしょうがない子だなあ」と言って、ぽんぽんと私の頭を撫でた。私はそれですっかり嬉しくなって、にこにこしながらおねえちゃんから離れた。

 

「さあ、クロエも手伝って」

「はーい」

 

 私がカゴから洗濯物を出して渡して、おねえちゃんが広げて竿にかける。二人並んでせっせと洗濯物を片していく。それはどこにでもありそうな、なんてことのない日常の一コマで、けれど私にとっては幸せな時間だった。

 

 

 ★

 

 

「ん……」

 

 カーテンの隙間から差し込んできた光でクロエは目を覚ました。寝起きのぼんやりとした頭で夢の内容を思い出し、またかと苦笑いをする。ミリアとレティシア。お屋敷の仲良し姉妹と接したからだろう。どうにも昔の記憶が蘇りがちだ。

 クロエは昨夜の終便でお屋敷警備の依頼からマグノリアに戻って来ていた。本当はもう少し早くにマグノリアに着く予定だったのだが、駅に向かう途中で馬車が転倒するという不幸な事故に見舞われたおかげですっかり帰りが遅くなってしまった。そう、あれは不幸な事故だった。断じて馬車の中でロキを蹴り飛ばしたことが原因ではない。

 ん~と大きく伸びをしてからもぞもぞとベッドを出る。着替えて、鏡の前に座る。自前の長い髪を梳かしながら今日はどうしようと考える。仕事を終えたばかりだし数日はオフにする予定だ。休みって素晴らしい。

 身だしなみを整え終えたクロエは、さあ朝ご飯と鼻歌交じりに台所に移動し冷蔵庫を開けて、おやっと声を上げた。冷蔵庫の中は見事に空だった。なるほど。とりあえずは買い物に行く必要があるらしかった。

 

 

 ★

 

 

 ギルドの酒場で朝ごはんを済ませてそれから商店街で買い物しよう。そう決めたクロエは家を飛び出した。てってってと家から歩くこと十数分。マグノリアのメインストリートを抜けると、ギルドの建物が見えてくる。

 ギルドに近づくにつれて魔導士たちの騒ぎ声が耳に届き始める。今日も今日とて妖精の尻尾の魔導士は元気が有り余っているらしい。

 ギルドの門を潜り、酒場に入ると、クロエはまっすぐリクエストボードの方へ足を向けた。仕事から帰って来たばかりだから今すぐ次の仕事をいれる気はないのだが、それでもリクエストボードをなんとなく確認してしまうのは職業病だろうか。

 私ってまっじめー、なーんて頭の中でつぶやきながらざっと依頼書に目を通す。子ども魔法教室の先生、脱獄囚の拘束、薬草の採集、人探し……リクエストボードに並んだ依頼は実にバラエティに富んでいる。その中にはクロエの大好きな「割のいい仕事」もちらほら混じっていて、やっぱり依頼をうけようかと心が揺れた。基本的に依頼の受注は早い者勝ちなので、良さそうな依頼はその時に取らないと、すぐになくなってしまうのだ。

 うーんとクロエが悩んでいると、カウンターの方から「クロエ~」と名前を呼ぶ声が耳に入った。この声はミラだと思いながら振り返ると、やはりミラがにこにこと笑みを浮かべながら、こっちにおいでと手をちょいちょい動かしていた。

 ミラの前のカウンター席にはクロエのお隣さんの新人魔導士ルーシィが座っていた。ミラとルーシィという組み合わせを見たクロエはまた何か厄介事を頼まれるのではと顔をしかめたが、さりとて呼ばれているのに無視するわけにもいかないので、しぶしぶそちらに歩を進めた。どのみち朝食の注文をするにはミラに声をかけないといけないのだ。

 

「おはよう、クロエ」

「おはよう、ルーシィ。隣いいかしら?」

「もちろん。座って、座って」

 

 ルーシィに挨拶を返しながら隣の席に腰を下ろす。ルーシィも朝食中だったらしく彼女の前には食べかけのサンドイッチが置いてあった。パンに挟まった数枚重ねのハムとしゃきしゃきレタスがおいしそうだ。私もサンドイッチをたのもうかなと思いながら、クロエはミラに声をかけた。

 

「それで? 私に何か用かしら?」

「ううん、何も。姿が見えたから呼んだだけ」

「あなたねえ……」

 

 クロエはじとっと呆れた眼でミラを見たが、ミラは気にした風もなくにこにこと笑って「あら、いいじゃない」と言った。

 

「クロエも何か食べる?」

「はあ……。オレンジジュースとサンドイッチ」

「はいはーい」

 

 軽く返事をしてミラが準備に取り掛かり始めると入れ替わりにルーシィが話しかけてきた。

 

「クロエはいつ仕事から戻って来たの?」

「昨日の夜よ」

「あたしと同じね。どう? 仕事はうまくいった?」

「ええ。簡単な警備の仕事だったし特に問題はなかったわ。いっしょに仕事に行った奴のおかげでずいぶん精神的に疲れたけれど」

「誰といっしょに行ったの?」

「ロキよ」

 

 あのグラサン変態男め。クロエはロキの一見さわやかな、けれどイラッとする笑顔を脳裏に思い浮かべながら毒づいた。お屋敷の一件でロキは色々手を貸してくれた。それには感謝している。しかし癇に障るあの軽薄な調子だけは許容できない。

 

「へー、ロキと? なんか意外な組み合わせね」

「本当にね。そりが合わないのよ」

 

 ルーシィの言葉にクロエは深くうなずいた。私のような常識人は本来ああいう手合いと関わり合ってはいけないのだ。朱に交われば赤くなるっていうし、悪い子になってしまったら大変よ。そんなことをクロエが思っていると、ミラが口をはさんだ。

 

「あら。クロエはロキと仲よしじゃない」

「ちょっと。変なこと言わないでもらえるかしら」

「でも前にもロキといっしょに仕事に行っていたじゃない」

「そうね。でも別に仲がいいわけじゃないわ」

「嫌いじゃないでしょう?」

「それはそうだけど……」

「じゃあ好きってことじゃない」

 

 ミラが断言するが、クロエはいやいやその論法はおかしいと思った。どうして好きと嫌いの二択なのか。その中間ってこともあるでしょう。クロエはそう言いたかったが、ミラのにっこり笑顔に押されて口をつぐんだ。ミラとちょっとでも口で争えばいつもこれだ。勝てる気がしない。クロエが面白くなさげにう~と唸ると、ルーシィがまあまあととりなした。

 

「仲が悪いよりいいじゃない。あたしなんて星霊魔導士だからって理由でロキに避けらちゃってるし」

「良いことじゃない」

「そ、そう?」

「そうよ。考えてもみなさい。いっしょに仕事に行くと数日間ずっとあの軽薄な調子に付き合わされるわけ。私が仕事中何度あの男を蹴り飛ばしたくなったかルーシィにわかるかしら」

 

 クロエがそう訴えると、それは確かに大変かもとルーシィは乾いた笑い声をあげた。

 

「まあ、あなたみたいにナツやエルザといっしょにクエストに行くよりは楽だけどね。ルーシィは仕事の首尾はどうだったのかしら? ちゃんと家賃払えそう?」

「あはは。家賃を稼ぐどころじゃなかったわ。すごく大変だったんだから。クロエは新聞見てないの?」

「新聞?」

 

 クロエがきょとんとして聞き返すとルーシィはふふんと得意げな表情をした。

 

「そっかあ、クロエはまだ見てないのね。あたしたちの活躍を」

「活躍?」

「ふふふ、聞きたい? どうしようかなあ」

 

 焦らすようにルーシィが言うので、クロエは何て面倒なと眉をひそめた。どうせ喋りたくてしかたがないくせに、いちいちこういうやり取りをする必要性がどこにあるのか。そんな風に言われると聞きたいって言うのが何となく悔しくなるじゃない。

 しかし、まあ、いいだろう。ここは素直にのってあげるのが大人の余裕というものだ。まったくルーシィも年上のくせに子どもっぽくて困るわね。いいでしょう、聞いてあげるわよ。あくまで社交辞令として、しかたなくね。別に本当に気になったからではない。断じて違う。

 

「何があったのかしら?」

 

 すっかり理論武装したクロエがそう尋ねると、ルーシィはますます得意げな顔になった。そうして「そんなに聞きたいならしかたないわね。教えてあげる」とやはり面倒くさい前置きをしてから話し始めた。

 

「実はあたしたち『鉄の森』(アイゼンヴァルト)っていう闇ギルドと戦ってね」

 

 ルーシィがそう言った瞬間、クロエは胸の奥の方からカチリと閂の開くような音が聞こえた気がした。

 

「あのね、エリゴールっていう敵の親玉の魔導士がいてね。あ、風を操る魔導士なんだけど」

 

 ルーシィが歌うように楽しげな声で話を続ける。ララバイっていう魔法が――。敵の魔風壁っていう魔法で閉じ込められて――。でも私の星霊魔法で――。ルーシィの声は、言葉は、ギギギとクロエの心の奥の扉を押し開けて、その隙間から、どろり、どろり。閉じ込めていた暗く、重く、静かで、熱い感情が漏れ出だした。それはクロエの内にじわりと広がっていき、そして――

 

「それでね――」

「ちゃんと息の根を止めてきたんでしょうね?」

 

 気がつくと言葉となって口からこぼれ出していた。え? と話を遮られたルーシィの表情が固まるのが見えた。頭の片隅でまずいと思っていたが、動き始めた口は止まってくれず、クロエはどす黒い感情と殺気が乗った言葉をはき出した。

 

「闇ギルドの連中を一人残らずぶち殺してきたのかって聞いているのよ」

「クロエ!」

 

 カウンターの内側からミラの鋭い声が飛んできてクロエはなんとか口を閉じた。落ち着け。自分にそう言い聞かせて短く息を吐く。真っ黒な感情を扉の奥へと押し戻す。そうしてなんとか平常心にもどったクロエだったが、一度口から出た言葉までは戻らない。ルーシィがどこか怯えたまなざしで自分を見ているのに気がついて、クロエはどうにも気まずくなった。

 

「……私帰るわ。ごめんなさい」

 

 クロエはまだ出てきてもいない朝食のお代をカウンターに置くと、逃げるようにギルドを後にした。

 

 

 ★★

 

 

「大丈夫、ルーシィ?」

 

 クロエが去るとミラが気遣って声をかけてくれた。ルーシィが何とか頷くと、ミラは「クロエがごめんね」と困ったように苦笑いをした。

 

「あのね、ルーシィ。クロエの前で闇ギルドのこと話しちゃダメよ」

「なにかあったんですか?」

「昔ちょっとね。クロエのキズなの」

 

 その言葉にルーシィはそういえばと以前ミラが言っていたことを思い出した。

 

「妖精の尻尾の魔導士たちはみんな何かを抱えている……。クロエも?」

「ええ」

 

 ミラは少し悲しそうな顔で頷いた。クロエの傷。それがどういうものなのかルーシィは知らない。けれど先ほどの闇ギルドに対する憎悪をむき出しにしたクロエの様子から、それが浅い傷でないことだけは容易に想像がついた。

 

「あたし、悪いことしちゃったみたいですね。最近わりとクロエと仲良くなってきたって思ってたのに、嫌われちゃったかな……」

「あら。それは大丈夫よ。クロエはルーシィのこと好きよ。懐いてるもの」

「はい?」

 

 唐突なミラの発言にルーシィは目を丸くした。

 

「今日だってルーシィに呼ばれて嬉しそうによってきたじゃない」

「いや、呼んだのミラさんだし。それに思いっきりしかめ面してましたけど」

「あら。そうだったかしら? でもあの子、好き嫌いがはっきりしてるから。本当に嫌いな人間は相手にもしないのよ」

「はあ……」

 

 そうなのだろうか。ルーシィにはよくわからなかった。だって、過去とか性格とか好きなものとか嫌いなものとか、クロエについてルーシィが知っていることは多くないから。その逆もまた然りだ。

 そもそもルーシィが妖精の尻尾に来てクロエと出会ったのだってまだまだ最近の話だ。お互いについて知らないことがたくさんあるのも、それが原因でぎくしゃくしてしまうこともしかたのないことだ。

 だったらどうする? ルーシィはそこまで考えて、よしっと呟いた。朝食の残りを手早く片付けて立ち上がる。

 

「ミラさん、ごちそうさまでした。あたしちょっとクロエ探してきます」

 

 クロエに謝ろう。ルーシィはそう結論を出した。時にぶつかってしまうのがしかたのないことだというなら大事なのはその後だ。ぶつかったら素直にごめんなさいすればいい。そうして仲直りすればいい。

 

「クロエならきっとカルディア大聖堂にいると思うわ。あの子、何かあるとあそこに行くから」

 

 するとミラがクロエの行先について心当たりを口にした。彼女が告げたのは意外な場所だった。カルディア大聖堂? どうしてそんなところに? ミラにそう尋ねると、彼女は「行ってみればわかるわ」とだけ言った。ルーシィは探す当てができただけマシかと思い、礼を言ってギルドを飛び出した。

 

 

 ★

 

 

 ギルドの酒場を後にしたクロエはざらついた気分でマグノリアの街を歩いていた。どこか目的地があるわけではなく、適当に足を動かしているだけ。ただの気持ちを落ち着かせるための作業だった。

 クロエの胸の内はやってしまったという後悔でいっぱいだった。さっきのルーシィの怯えた顔を思い出すだけでも申し訳なさで地面に埋まりたくなる。お隣さんだというのにしばらくルーシィとは顔を合わせにくくなりそうだ。

 ギルドから道なりに直進しているとひときわ大きな白塗りの建物が目に入った。街のシンボル、カルディア大聖堂だ。クロエは引き寄せられるようにふらふらと中に入った。

 昼食時という礼拝には微妙な時間のせいだろう。大聖堂の中はがらんとしていて、クロエの他には少年が一人いるだけだった。その少年にしても聖堂に置かれた長椅子の一つに座って目を閉じてはいるが、祈っているというわけではなさそうだ。少年は長椅子の上に胡坐をかくという祈りをささげるにはいささか不適当な格好をしていた。これが今時流行りの祈りのポーズ……ということは流石に無いだろう。

 その珍妙なことをしている少年はクロエの顔見知りだった。一体この子は何をやっているのかしら。クロエが小首をかしげていると少年がふと目を開け、少年の視線と少年を見ていたクロエの視線が衝突した。

 

「クロエ姉じゃん」

「こんにちは、ロメオ」

 

 別に私はあなたのお姉さんではないのだけれど。そう思いながらクロエは少年――ロメオ・コンボルトに挨拶した。ロメオは妖精の尻尾の古株の魔導士マカオ・コンボルトの息子で、確か六才だ。ロメオ自身はまだ魔法を使えないが、マカオにくっついてギルドによく出入りしているので、彼のことはクロエもよく知っていた。

 

「こんなところで一人で何をしているの? まさかお祈りじゃないわよね」

 

 クロエはロメオの隣に座りながら言う。

 

「今のは魔法の練習さ」

「魔法の練習? 私にはそんな風に見えなかったけれど」

 

 自慢げに答えるロメオにクロエは眉を顰めた。

 

「精神を集中してたんだ」

「はあ……。わざわざ大聖堂で?」

「なんかそれっぽいじゃん。魔法使えそうな気がする」

 

 うん、わからないわね。クロエはあっさり匙を投げた。六才児の、それも男の子の考えることなんて、精神的には大人の女性といって差し支えない私にわかるわけがない。クロエは適当にふーんと相槌を打った。

 

「それにしても魔法の練習なんて急にどうしたの? 今まではそんなことしてなかったのに」

 

 そう尋ねると、ロメオはちょっとねと答えた。

 

「少し前にさ、父ちゃんが仕事でハコベ山に行ったんだ」

「ああ、ルーシィから聞いたわ。お父さん、大変だったそうね」

 

 ちょうどクロエが酒場のごろつき退治に行っている時分の話だ。ロメオの父親のマカオはハコベ山へバルカンという魔獣の討伐クエストに行っていたそうだ。バルカンの集団を相手にしたマカオは討伐完了まであと一匹というところで力尽き命の危機に陥ったそうなのだが、救助に来たナツとルーシィに助けられたという風にクロエは聞いていた。

 

「ナツ兄たちが助けてくれたからよかったけど、オレ、父ちゃんがもう帰ってこないんじゃないかってすごく不安だった。オレがすごい仕事をしてくれなんて頼んだせいで、父ちゃんがいなくなったらって考えたらすごく怖くて……」

 

 ロメオの声は少し震えていた。無理もない話だった。ロメオの家は両親が離婚していて片親だ。親の危機なんてただでさえ不安なのに、家で一人きりともなればロメオは相当こたえた筈だ。

 

「ナツ兄が親父を連れて帰って来てくれた時に思ったんだ。オレ、ナツ兄みたいに仲間を助けたり守ったりできる強い魔導士になりたいって。いいや、絶対なる」

 

 ロメオは力強く言いきった。それに対してクロエは

 

「なるほど。それで精神統一ね。さすがロメオくん。おめでたい」

「今、バカにしただろ」

 

 ロメオがぎろりとこちらをにらむ。彼の鋭い視線に、クロエはちょっと意地悪言われたくらいでそんなに睨まなくてもいいじゃないと思いながら目をそらした。

 

「絶対バカにした」

「してないわ」

「う~、そんな態度じゃ、クロエ姉のこと助けてやらねえから」

「あら。私のことも助けてくれる気でいたの?」

「当然。クロエ姉も同じ妖精の尻尾の仲間だろ」

 

 なんでもないことのようにロメオが言った。

 

「仲間……ね」

 

 クロエは思わず繰り返す。なんとも重たい響きにクロエは息苦しさを感じた。

 

「クロエ姉?」

 

 少しクロエの雰囲気が変わったのを感じたのかロメオがうかがうような眼でクロエの顔を覗き込んだ。クロエはなんでもないわと首を振ってから、

 

「ま、ロメオに助けられる日は来ないわね」

 

と混ぜっ返した。ロメオは「なんだとお?」と憤慨した。唇を尖らせたロメオの表情が面白くてクロエはほんの少し気持ちが軽くなった。

 

「すっごく強い魔導士になる予定のロメオくんに一つ言っておくと、精神統一で魔法ができれば誰も苦労はしないわ。必要ないとまでは言わないけど、もう少しまともな練習を考えた方がいいわね」

「じゃあ、クロエ姉が魔法教えてよ」

「やあよ。面倒くさいもの。だいたいあなたが使いたい魔法って――」

「もちろん火の魔法さ」

 

 だと思った。ナツもマカオも火を扱う魔導士だからロメオがそう言うのは容易に予想がついた。そしてクロエは火の魔法なんて使えない。

 

「それじゃ、無理ね。私は火の魔法なんてできないもの」

「ちぇ、使えねえ」

「あら、生意気ね」

 

 言いながらこつんと軽く頭を小突くと、ロメオはべーと舌を出した。やっぱり生意気だ。

 

「あのさ。クロエ姉はどうして魔法を覚えたの?」

「何よ、急に」

「最初に聞いたのはクロエ姉じゃん」

 

 確かにそうだった。そう言われると自分も答えないとずるい気がする。クロエは口を開いた。

 

「そうね……最初は嬉しかったからかしら」

「嬉しい?」

「ええ。私が魔法を上手に使えるようになるたびに喜んでくれる人たちがいたの。私はそれが嬉しくてしかたがなかった。だからもっともっと喜んでほしくて、気がついたら魔導士になっていたわ」

 

 少し懐かしい気分になりながらクロエは答えたが、ロメオ少年にはあまりピンと来なかったらしい。

 

「なんだそれ。もっとすごい理由はないの?」

「あら? つまらなくて悪かったわね。でもロメオも魔法を使えるようになるとわかるわ。きっとあなたのお父さんは喜ぶと思うから」

「そうかなあ……。まあ、どっちでもいいや。オレさ、いつかすっげえ火の魔法を使えるようになるんだ。その時はクロエ姉にも見せてあげるよ」

「私としてはいつかなんて気の長いこと言ってないで、半年くらいで何とかしてほしいのだけれど」

「ええっ!? 無茶言うなよ」

「ふふっ、そうね。今のはちょっと無茶だったわね」

 

 クロエがくすりと笑うと、ロメオはちぇっと面白くなさそうに舌打ちした。

 

「あのね。魔法を覚えたいならまずはお父さんに聞くべきだと思うわ」

「た、確かに」

「……言っておいてなんだけど、最初に思いつくことじゃないかしら。ちなみにマカオはギルドに居たわよ」

「ホント? さっそく行ってみるよ。ばいばい、クロエ姉」

 

 そう言うとロメオは慌てて大聖堂から出て行ってしまった。まったく元気なことで。ロメオの小さな背中を見送りながらクロエは苦笑した。

 

「仲間を助けたり守ったりできる強い魔導士になりたい……ねえ」

 

 残されたクロエは先ほどのロメオの言葉を繰り返す。大事なものを失わないために強くなりたい。それはとても立派で尊く、なにより残酷な志だ。だっていつかは知ることになるから。この世にはどうしようもない理不尽があるって。

 

「結局、失くしたくないと思うなら最初から何も持たないのが正解なのよね」

 

 ぽつり。誰に言うでもないクロエのつぶやきはがらんどうの聖堂にほんのすこし反響して消えた。

 

 

 ★★

 

 

 ギルドを出たルーシィはミラに言われたとおりカルディア大聖堂までやって来た。大きな扉を抜けて礼拝堂に入ると、荘厳な雰囲気が漂う空間には人の姿がなくがらんとしていた。ここに来る途中ですれ違ったロメオはクロエと礼拝堂で会ったと言っていたのだが、ひょっとしてもう帰ってしまったのだろうか。

 ルーシィは礼拝堂を出ると、クロエを探して敷地内をうろうろ歩き回った。そうして教会の裏手の墓地に入ると、真っ白な墓石の群れの中にぽつんと黒い人影が見えた。いた。クロエだ。ルーシィがそちらに近よっていくと気配に気がついたのかクロエが振り返った。ルーシィの姿に彼女は少し驚いた様子で口を開いた。

 

「ルーシィ……。どうしてここに?」

「ミラさんがクロエはたぶんここにいるって教えてくれたから。あたし、さっきのこと謝りたくて」

「その必要はないわ。私が勝手に怒っただけだもの。ルーシィは何も悪くない」

「でも……」

「やめて。あなたに謝られたら余計にへこむわ」

 

 そう言ったクロエはこの話はおしまいとばかりにそっぽを向いてしまった。クロエの態度にそれ以上何も言えなくなってしまったルーシィはふとクロエの前にある墓石に視線を移した。

 手入れの行き届いた綺麗な白の墓石。そのつるりとした表面には十数人の名前が刻まれている。個人のお墓じゃないのね。そう思いながら順番に故人の名に目を走らせていると、一つ気になる名前があった。

 

「リーザ・クロイツェフ……。クロイツェフってもしかしてクロエの――」

 

 隣りに立つ少女を見る。するとクロエはええと頷いた。

 

「リーザは私の姉。ここはね、ギルドのお墓なの」

「ギルドの?」

「ええ。魔導士ギルド『月兎の庭』(ラビットガーデン)。かつて私と私の姉が所属したギルド。そして闇ギルドによって壊滅したギルドよ」

「えっ……」

 

 ルーシィは言葉を失った。

 

「一年半前、私たちのギルドは闇ギルドに襲われたの。何か特別な理由があったのか、もしかしたらただの気まぐれだったのか。どうして狙われたのかはわからないけれどね。襲撃のあった日、たまたま私だけは仕事に出ていてギルドにいなかった。けれどみんなは――」

 

 クロエが言葉を切る。彼女の視線は墓石に刻まれた名前をなぞっていた。

 

「小さなギルドだった。魔導士なんて両手の指で数えられるくらいしかいなかった。その分、個々の結びつきが強くて、みんながまるで本物の家族のようなギルドだったわ」

 

 感情の見えない声で淡々とクロエは言った。それが余計にクロエの無念さを際立たせる。ルーシィはうつむいて、唇をかんだ。嬉しそうに手柄話をしていた自分がバカみたいだ。クロエの過去を知らなかったのだからしかたがないこと。そんな理由では割り切れない気持ちがルーシィの心を重くする。

 落ち込んだルーシィの様子を見たクロエは「あなたねえ」とため息をついた。

 

「そんな顔しないでもらえるかしら。言ったはずよ。ルーシィは何も悪くない。だいたいもう昔の話だわ。今さらなんとも思わないわよ」

「うそ……」

「嘘じゃないわ」

 

 そう言ってクロエは挑むような顔でルーシィを見た。けれどクロエの引き結ばれた唇はほんの少しだけ曲がっていて、ぎゅっと握りしめられた小さな手は微かに震えていて――。ルーシィの眼にクロエは精一杯の強がりを言う小さな女の子のように映った。

 

「うそだ」

「ルーシィ?」

「なんともないわけないじゃない!」

 

 言いながらルーシィはクロエの華奢な体を自分の方に抱き寄せた。

 

「あたしもお母さんを亡くしてるから少しだけクロエの気持ちわかるよ。大事な人を失くす気持ち。だから……」

 

 だから放っておけない。クロエを抱くルーシィの腕に力がこもる。クロエは何も言わず、ただこちらに身を預けてきた。そうして少しの時間が過ぎて

 

「ルーシィ」

 

 胸元からくぐもったクロエの声が聞こえた。ルーシィが「なあに?」と優しく問いかけると

 

 

「窒息しそう……」

「はい?」

 

 その言葉でルーシィはクロエを離した。するとクロエはわざとらしく大きく息を吸ってから、じろりとルーシィを見た。

 

「まったくいきなり抱き付いて来てなんなのかしらね。でか乳アピールなのかしら。薄っぺらな私に対する当てつけなのかしら」

「そんなわけないし!」

 

 クロエは「どうだか」とひねた口をきいた。クロエの様子はすっかりいつもの調子に戻っていて、ルーシィは心配して損したような気分になった。ため息交じりに口を開く。

 

「はあ。あんたねえ、人がせっかく心配してあげたのに――」

「ありがとう」

「え?」

 

 ルーシィは目を丸くした。さらりと言われたお礼の言葉もそうだけど、それ以上にクロエの表情に驚いたのだ。クロエは微笑んでいた。それは普段のひねくれた感じのさっぱり抜け落ちた屈託のない笑顔で、ルーシィは「ああ、この娘もこんな風に笑うんだな」と目を奪われてしまった。

 

「何? 鳩が豆鉄砲を食ったような顔して。私がお礼を言うのがそんなにおかしいかしら」

 

 けれどその笑顔は長くは続かなかった。途端にしかめ面に戻ったクロエが不満そうに唇を尖らせる。ルーシィはその変わりようがおかしくて吹き出してしまった。くすくすと笑いながらゴメンと言うルーシィにクロエは「変な人」とますます唇を尖らせるのだった。

 

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