FAIRY TAIL -私は普通だから-    作:枝折

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第六話 漆黒の追跡者

 早朝。まだ人もまばらなマグノリアの目抜き通りを一人の少女が歩いていた。真っ黒な衣服に身を包んだ少女の名前はクロエ・クロイツェフ。魔導士ギルド『妖精の尻尾』に所属する魔導士だ。

 長い黒髪を風になびかせ足取り軽やかに道を行くクロエの様子は実に楽しげだった。明るい表情で、時折流行り歌を口ずさんでさえいる彼女の様子は十人が見れば十人とも彼女は上機嫌だと言うにちがいないものだった。

 実際今日のクロエは上機嫌。絶好調も絶好調だった。朝食に目玉焼きを作ろうとして卵を割ったら中からなんと黄身が二つも出てきて、これは今日一日いいことがあるにちがいないと彼女は思っていたのである。

 マグノリアの中心に位置するカルディア大聖堂を抜けると、クロエの目的地、妖精の尻尾の建物が目に入る。今日クロエは次の仕事を探すつもりだった。できれば体を動かすタイプの仕事がいい。この間ロキと行ったお屋敷の警備はなんだかんだであまり魔法を使わなかったし、そろそろ実戦的な仕事の一つでもしないと体がなまってしまう。

 魔獣の討伐とか賊退治なんていいかもしれないわね。そんなことを考えながらしばらく歩いているとギルドの方からこちらに向かって歩いてくる人影に気がついた。ちょうど向こうもクロエに気がついたらしく、近くまで来たところで右手を挙げた。

 

「おう、クロエ」

 

 そう挨拶をしてきたのは黒髪の青年だった。グレイ・フルバスター。ギルドの同世代の中でも一、二の古株らしい氷の造形魔導士であり、そして――

 

「おはよう、グレイ。今日は珍しく服を着ているのね」

「おいっ。出会ってそうそう人を変態みたいに言うんじゃねえ」

「あらあら。どの口がそんなことをいうのかしらね」

 

 そして脱ぎ男だ。露出狂とも言う。所構わず服を脱ぐというたった一つの癖さえなければまともなのだが、その一つがあまりに致命的すぎるなんとも残念な男だった。

 

「今から仕事かしら?」

 

 クロエがそう尋ねるとグレイは歯切れの悪い返事をした。

 

「いや仕事つーか、ナツの野郎がちょっとな。わりい、俺急いでんだ。またな」

「え? ええ、またね……」

 

 慌ただしく去っていくグレイの背中をクロエは戸惑いがちに見送った。あんなに急いで一体どうしたのかしら。クロエは三秒ほど考えて、まあ何でもいいかと再び鼻歌交じりに歩き出した。どうせ自分には関わり合いのないことなのだから気にするだけ無駄なのだ。

 

 この時はまだそう思っていた。

 

 

 ★

 

 

 ギルドの扉を通り中に入ると、クロエはおやっと首を捻った。いつもは魔導士たちがバカ騒ぎばかりしていてうるさいことこの上ない酒場が今日に限って控えめだった。クロエは常と違う雰囲気のギルドに困惑した。

 

「ねえ、何かあったの?」

 

 クロエはカウンターに近づくと、妖精の尻尾の看板娘ミラジェーンに話しかけた。「あら、クロエ」とこちらを見たミラの表情はいつもの笑顔と打って変わって固いものだった。

 

「それがね、ナツがS級クエストに行っちゃったみたいなのよ」

 

 ミラの言葉の予想外な内容にクロエは虚を突かれた。

 

「はあ? 彼はS級魔導士だったかしら」

「違うわ。ハッピーが二階のリクエストボードから依頼書を勝手に持っていっちゃったらしくて」

「それはまたずいぶんと思い切ったことをしたわね……」

 

 二階のリクエストボード。そこに集まるのはS級クエストと呼ばれる超高難度の依頼だ。命がいくつあっても足りない。S級クエストにはそういうレベルの依頼が多々存在しているため、妖精の尻尾ではマスターからS級と認定された魔導士以外がS級クエストへ挑戦することを固く禁じていた。

 なのに無断でS級クエストに行くなんて……。ナツが曲者ぞろいな妖精の尻尾のメンバーの中でも特にやんちゃなことはクロエもよく知っていたが、まさかここまでのことをしでかすとは思っていなかった。

 そういえばさっきすれ違ったグレイがナツがどうとか言っていた気がしたけれど、あれはこの事だったのかもしれない。じゃあ慌てた様子だったのは――

 

「ひょっとしてグレイはナツを連れ戻しに行ったのかしら?」

「ええ。そうだけど……」

 

 頷くミラの表情は優れない。理由は何となく察しがついた。あのナツが戻れと言われて素直に従うとも思えない。となると力づくで連れ戻さないといけなくなるのだが、困ったことにグレイとナツの実力は同じくらいなのだ。連れ戻せるかどうかは半々といったところだろう。そもそも先に出発したナツに追いつけるのかという問題もある。

 

「他に誰かいなかったの? エルザとか」

「エルザは仕事に出ていてまだ帰って来てないのよ。ラクサスはさっきまでいたけど俺には関係ないって仕事に行っちゃうし」

「彼は仕事がなくてもダメだと思うけれど……」

 

 ラクサス・ドレアー。マスターマカロフの孫でエルザと同じS級魔導士だ。ギルドメンバー同士のつながりが強い妖精の尻尾の中にあって、ラクサスは仲間想いじゃないというか、一匹狼の珍しいタイプの男である。もっともギルドの人間とあまり馴れ合いたくないと思っているという意味ではクロエも似たようなものだった。

 

「まあ動けるS級魔導士がいないというのなら後はグレイに期待するしかないんじゃないかしら? 賽は投げられたというやつね。それにナツがS級クエスト成功させて帰って来る可能性もなくはないわけだし」

 

 さあ、私も仕事を探さないと。そう言ってクロエはリクエストボードの方へ歩きかけて――進めなかった。

 

「……ミラ。離してほしいのだけれど」

 

 ひしひしと嫌な予感を覚えながらクロエは言った。カウンターの中から手を伸ばしたミラががっちりとクロエの腕を掴んでいた。

 

「ねえ、クロエ。グレイについてってナツを連れ戻すのを手伝ってあげて」

「やあよ。そんな義理ないもの」

「どうして? 同じギルドの仲間。家族でしょう」

「またそれ? 私にとって妖精の尻尾はただの仕事場よ。何度も言っているでしょう」

 

 クロエの言葉にミラはむーっと頬を膨らました。そしてクロエの腕からぱっと手を離すと、奥の棚からグラスとオレンジジュースの瓶を持ってきた。こぽこぽとグラスにジュースを注いでクロエの方へ差し出す。

 

「飲んで」

 

 にっこり笑顔で言うミラにクロエは強烈な既視感を覚えた。これはジュースを飲むとその代金の代わりにミラの言うことを聞かなくてはいけなくなるという、ルーシィの家探しの時にクロエがまんまとひっかけられた手口に他ならない。

 

「わーい、オレンジジュースだ……って飲むわけないでしょう! あからさまにもほどがあるわ!」

 

 同じ相手に同じ手口を使うなんて。もはやだます気すら感じられないあんまりなやり口にクロエは憤慨したが、ミラは悪びれた様子もなく手を合わせて

 

「クロエ、おねがい。グレイ一人で三人は大変だと思うの」

「三人?」

 

 クロエは眉をひそめた。二人まではわかる。一人はナツでもう一人というかもう一匹はハッピーだ。けどあと一人は……? 怪訝な顔をしたクロエにミラが答える。

 

「実はルーシィもついて行ったみたいなの」

「は?」

 

 クロエは呆然とした。ナツはまだいい。なんだかんだ準S級くらいの実力はあるし、悪運強いし、頑丈な滅竜魔導士だし、そうそう死んだりはしないだろう。でもルーシィは流石に危なすぎる。というかS級クエストみたいな危険なものにホイホイついて行くなんて、あの金髪女はいったい何考えているのかしら。そんなにナツと仕事行くのが好きなわけ? なんなの? できてるの?

 

「ね、クロエ。ルーシィのこと心配でしょう?」

 

 頭を抱えたクロエにミラが畳みかけるように言う。

 

「いいえ。別に私は……」

 

 心配なんてこれっぽっちもしていない。そう否定しようとして、ふと、先日お墓の前でルーシィに抱きしめられた時のことがクロエの頭をよぎった。触れた肌から伝わる温度、心が落ち着くふわりといい匂い、そしてなにより柔らかい胸の感触――ってこれじゃ私が変態みたいじゃない。私は普通。いたってノーマルよ。

 だが、しかしだ。あの時のルーシィの行動がほんの少し、本当にほんの少しだけ、私に安心のようなものを与えたのは認めてあげてもいいわけで。でもでも、それとこれとは関係のない話なわけで。じゃあルーシィを放っておくのかと言われるとそれはそれでなんか嫌なわけで。

 

「別に私は……なあに?」

 

 思考の海に沈むクロエにミラが小首をかしげる。クロエはう~と小さく唸って

 

「なんでもないわよ。とにかく! 私がルーシィを追いかける理由がないわ」

「クロエはそれでいいの?」

「い、いいもん……」

 

 ぼそぼそと小さな声で答えるとミラはなぜか困ったものを見るかのような目でクロエを見た。それからやれやれと頭を振って

 

「ねえ、クロエ。これは仕事の依頼よ」

「仕事……?」

「そう。グレイのお手伝いの仕事。報酬はオレンジジュース。クロエは私に依頼されてしかたなく追いかけるのよ」

「しかたなく?」

「ええ。しかたなく」

 

 ミラがにっこり笑って肯定した。しかたなく。その言葉は不思議とクロエの心にすとんと収まった。

 

「そ、そうよね。仕事ならしかたがないわよね」

「うんうん。しかたない、しかたない。じゃあ、はい」

 

 ミラがジュースの入ったグラスをクロエに渡した。そうよ。私はミラに頼まれてしかたなくルーシィの世話を焼くんだから。決して私が心配だから追いかけるわけじゃないわ。しかたなくよ、しかたなく。クロエはそう頭の中で繰り返しながらジュースを飲みほして、ふと気がついた。オレンジジュースと引き換えにミラの言うことを聞く……あれ? 結局、この前だまされたのと同じ結果になっているような……。

 それじゃ、みんなのことよろしくね。空になったグラスを受け取りながらにっこり笑ったミラを見てクロエはどこか釈然としない気分になった。

 はあ……と嘆息する。家を出る時、今日は何かいいことあるかもなんて浮かれていたのがはるか昔のことのようだった。

 

 

 ★★

 

 

「あーあ」

「何だよ。嫌なら帰れ」

 

 ハルジオン行の列車内。向かいの席で深々とため息をつく少女にグレイ・フルバスターは舌打ちした。

 長い黒のストレートヘアに縁取られた小顔に、凛とした瞳、薄い唇。髪の色と同じ黒のワンピースに包まれた体は華奢そのもので、薄氷のような脆さを感じさせる。

 グレイが少女――クロエ・クロイツェフと合流したのはマグノリアの駅だった。聞けばミラに言われてナツを連れ戻す手伝いをしに来たらしい。

 それはグレイにとって気に入らないことだった。ナツを連れ戻すぐらい自分一人で十分なのに、わざわざ増援を送り込むだと? そりゃクロエの魔法が人探しに便利なのはわかるし、二人で行けばナツを捕まえる成功率が上がるのは確かだが、まるで自分の実力が疑われているかのようでグレイは面白くなかった。

 そういうわけで今一つ虫の居所の良くないグレイだったが、機嫌が悪いのは自分だけではなかった。理由は知らないが、クロエはクロエでご機嫌斜めのようで、先ほどから胸元のネックレスを弄りながらため息ばかりついている。

 これで和気あいあいとした雰囲気になるはずもなく、グレイとクロエの間に流れる空気はどこまでも悪かった。二人が座っているボックス席の辺りだけ、まるで別世界のようにぎすぎすした空間へと様変わりしている。

 

「だいたいナツを連れ戻すくらい俺一人で十分なんだよ」

「……どうだか」

「ああっ? 何つった?」

「うるさいわね。私は別にナツなんてどうでもいいのよ。あんな生命力の塊みたいなのはS級クエストでも死にゃしないわ」

「あんだよ? それじゃルーシィのことが心配なのか?」

 

 グレイの言葉に途端にクロエが目をきりりと吊り上げる。

 

「は? どうして私がたかだかお隣さんのルーシィの心配をしないといけないわけ? 見当違いもいいところだわ」

「じゃあ何で来たんだよ」

「そんなの私の勝手よ。あんまりうるさいと蹴り飛ばすわよ」

「やってみろよ。返り討ちにしてやる」

 

 売り言葉に買い言葉でグレイとクロエは睨み合った。一触即発の重苦しい雰囲気の中、ガタン、ゴトンと列車の揺れる音だけが鳴る。二人はそうしてしばらく火花を散らしていたが、列車のドアが開き車両販売のお姉さんが入ってきたところでどちらからともなく力を抜いた。お互いばかばかしくなったのだ。

 

「私、オレンジジュースを買うわ。グレイは何かいる?」

「じゃあ、アイスコーヒー」

 

 グレイが答えるとクロエは販売員のお姉さんを呼び止めて飲み物を買った。クロエから差し出されたコーヒーのカップをサンキュと言って受け取り中身を飲む。喉が潤うとざらついていた気分が少しだけ落ち着いた。

 グレイは背もたれに身を預けて窓の外に視線をやった。目に映る風景はマグノリア郊外のそれで、ハルジオンまではまだまだかかりそうだった。

 退屈だな……。そう思いながらグレイはコーヒーに再び口をつけた。魔導士という職業はとにかく移動が多く、仕事の度にこうした移動時間の退屈さと付き合わなければならない。

 だれかといっしょに仕事に行く場合はそいつと適当に喋っていればいいのだが、今はそうもいかなかった。ボックス席の空気は先ほどの険悪ムードよりもマシになったとはいえ、会話を楽しむほどではなかった。

 昼寝でもするか? あー、でもコーヒー飲んじまったな。何か違うものの方がよかったか? グレイがさほど意味のない考えごとをしていると

 

「ルーシィたちハルジオンで捕まるかな……」

 

 向かいからぽつりとひとり言がこぼれた。その声にほんの少し陰りのようなものを感じて、グレイはそれとなくクロエの方に視線をやった。

 クロエは窓の桟に右肘を置き、頬杖をついて外の風景を眺めていた。すまし顔の彼女は普段と何も変わらないように見える。気のせいだったか……? そう思いかけてグレイはふと、膝の上に置かれたクロエの左手がスカートをきつく握りしめていることに気がついた。

 ああ、なんだ。やっぱり心配なんじゃねえか。素直じゃねえ奴。グレイはやれやれと思いながら

 

「捕まえるさ。だからあんま心配すんな」

 

 そう言うとクロエがわずかに目を見張った。それに、とグレイは続ける。

 

「捕まえ損ねてエルザにでも知られたらどうなるかわからないしな」

 

 考えただけで恐ろしいだろとおどけた調子で付け加えるとクロエの表情が少し柔らかいものに変わる。そうね、それは恐ろしいわねと言いながらクロエは微笑した。

 

「ねえ、グレイ」

 

 クロエが再び口を開いたのはそれから少ししてからだった。グレイが「なんだよ」とクロエの方を見ると、クロエは屈託のない表情で一言、「ありがと」と言った。

 それに対してグレイは「別に」とぶっきらぼうに呟き、そっぽを向いた。クロエが急に素直になったものだから照れくさくなってしまい「どういたしまして」とは言えなかったのだ。まったく。俺も他人に素直じゃねえなんて言えたもんじゃねえな。グレイは一人、苦笑した。

 

 

 ★★

 

 

 ハルジオンに着いて、列車から降りると空気のにおいが変わっていた。町にはその土地特有のにおいがあるけれど、それはここハルジオンで言えば潮の香りだろう。海風が運んでくる、人をどこか開放的な気分にさせる、そんな匂い。こんな案件で来たのでなければもうちょっと心が弾んだのだろうけどとクロエは小さくため息をついた。

 改札を抜け、駅前の広場まで出てくると、クロエは隣に立つグレイに声をかけた。

 

「さてどうやって探しましょうか。やっぱり港に行くのが順当かしら」

 

 ナツたちの行先は呪われた島『ガルナ』だ。海に浮かぶ孤島へ行くには当然船が必要なわけで、クロエたちが港町のハルジオンにやって来たのは彼らがここでガルナ行きの船を探すだろうと踏んだからだった。

 クロエの問いかけにグレイはいやいやと首を振る。

 

「まずはお前の耳で探すに決まってるだろ」

 

 グレイがそう言うとクロエはあからさまに顔をしかめた。

 

「それはできればお断りしたいのだけれど」

「はあ? 何で?」

「あれは疲れるし……。それに人前であの魔法はその……恥ずかしい……」

 

 ちょっと顔を赤らめたクロエはぼそぼそと歯切れの悪い返事をした。グレイが「いや、自分の魔法だろ」と突っ込むとクロエはむっとした表情になった。

 

「ああ、そうか。見られて恥ずかしいと言う感情は脱ぎ男には理解できないものだったわね。わからないことを言ってごめんなさい」

「オイ」

「そうそう。今のうちに警告しておくわ。私といっしょにいる時に一度でも裸になってみなさい。二度と私の視界に入らないよう地平の果ての果てまで蹴り飛ばしてやるから」

「こえーよ!?」

「ただの冗談よ……。そうね、あなたの言う通りまず私の魔法で探してみるのが正解よね。駄々をこねて悪かったわ」

 

 クロエはしぶしぶといった様子でそう言うと「ちょっと、こっち来て」とグレイを引っ張って広場の隅へ移動した。そこでクロエはグレイを人混みの方に向けて立たせ、自分は人の目から隠れるようにグレイの後ろに回った。

 

「なんだよ」

「あなたは壁よ。バリアーよ。グレイ・フルバリアー」

「なんだそりゃ……」

 

 グレイは投げやりに言った。もう何でもいいから早く魔法を使えとグレイは思っていたのだが、しかしグレイの背中にひっついたクロエは「へえ、普段見せびらかすだけあって筋肉質ね」などとからかうように言った。

 

「見せびらかしてねえ。くだらねえこと言ってねえでさっさとやれ」

「何? ひょっとして可愛い女の子に背中に張り付かれて照れているのかしら?」

「照れてねーよ。つーか自分で可愛いとか言ってんじゃねえ」

「あら。可愛くない? 私」

「いいからさっさと――」

「やだやだ。可愛いって言ってくれないと魔法使ってあげない」

「お前そんなキャラじゃなかっただろ! やってて恥ずかしくないのか?」

「とても恥ずかしいわ……」

「自爆してんじゃねえか!」

 

 グレイから激しいツッコミを受けたクロエは顔を真っ赤にしてうーと唸った。それから拗ねた様に「何よ。やればいいんでしょ、やれば」と言って、しぶしぶ兎変化の魔法を発動させた。

 ぴょこり。頭に一対のうさ耳が生えると、クロエは目を閉じた。今から発動する「広域聴音」は音だけに集中する必要があった。クロエはすっと軽く息を吐いてから、魔法の耳に魔力を集中させ、その感度を一気に高めた。

 途端にハルジオンの町に溢れる音がうさ耳へと流れ込んでくる。乗り物の動く音、人の会話、衣擦れの音、海鳥の鳴き声、港に寄せる波音――。膨大な音情報の中から標的の音声を探すこと十数秒、ようやくクロエは聞き覚えのある声を見つけ出した。

 

「――見つけたわ。あっちの方角からナツたちの声がする。やっぱり港の方ね。ガルナまで乗せてくれる船を探しているみたいだけど見つからなくて足止めされているわ。そこら辺はさすが呪われた島ってところかしら」

「船がないってのは幸運だが、裏を返せばもし見つけられたら俺たちが追いかけられねえってことだな」

「そうね。ここで捕まえないと」

「じゃ、さっさと行くか」

「そうしたいんだけど……」

 

 魔法を解除したクロエはずきりと頭に痛みを覚えて顔をしかめた。たまらずその場にうずくまる。

 広域聴音。書いて字のごとく広範囲の音を拾う技なのだが、あまりクロエはこの技を好んでいなかった。なにぶん手当たり次第に周囲の音を拾ってしまうので、膨大な音情報を一気に処理しなければならず身体への負担が大きいのだ。今のように疲労感と頭痛に苛まれるのが使用後のお決まりのパターンだった。

 

「おい、大丈夫か?」

 

 グレイの少し慌てた声が頭上から降って来る。クロエはうずくまったまま問題ないわと答えた。

 

「今回は街のど真ん中でやったから雑音がひどくて。少し休めば動けるようになるわ。申し訳ないけど先に行って二人を止めてきてもらえるかしら」

「いや、でも……」

「私は大丈夫だから早く行って。ルーシィのことよろしく頼むわ」

「わかったよ。任せろ」

 

 グレイはきりっと表情を引き締めてそう言うと、港の方へと駆け出した。グレイの背中はみるみると遠ざかって街の雑踏へと消えて行った。

 

「任せろ、か」

 

 残されたクロエはグレイの力強い言葉を繰り返して微笑した。列車の中での気遣いといい、あの男もけっこう頼もしいところがあるじゃない。今朝までは残念な脱ぎ男なんて思っていたけれど、失礼だったわね。反省、反省。今日一日でグレイに対するクロエの評価はウナギ上っていた。

 クロエはゆっくりと立ち上がると、近くにあったベンチに向かって歩きだした。ふらふらとした足取りの頼りなさとは正反対に、クロエはすっかり安心していた。グレイのあの様子ならきっとナツたちを止められるだろう、と。

 

 

 ★

 

 

「で、あの男は一体何をやっているのかしら」

 

 十五分後。技の反動から回復して港へやって来たクロエは水平線の向こうに浮かぶ小舟を睨みつけながら、だん、だんと不機嫌に地面を踏み鳴らした。

 視線の先、遠く離れた海上の小舟には人影が四つ見える。一つは船頭らしき見知らぬ男。そしてあとの三つはナツとルーシィと縄で拘束されているグレイだった。

 使えない。本当に使えない。何が「捕まえるから心配するな」よ。何が「任せろ」よ。返り討ちにあっているじゃない。口だけの脱ぎ男め。海に向かってばかやろーと叫ぶのを何とか思いとどまって、クロエは心の中で盛大にグレイを罵った。

 もうこうなってはS級クエストを止める手立てがない。ギルドが正式に受注した仕事ではないといっても、ナツたちが依頼を引き受けに来たといえばそれでおしまいだ。S級指定されるくらいの悩み事を抱えているガルナの島民たちはナツたちをあっさり受け入れるだろう。そうなってしまえばもうクエストを達成しないわけにはいかない。失敗はギルドの面子に関わる。

 どうする? クロエは頭を抱えた。これ以上の深入りは自分もいよいよ本格的にS級クエストに首を突っ込むということで、面倒な上に危険だ。でもミラに頼まれたし、ルーシィは放っておけないし。ああでも追いかけようにもガルナ島へ行く手段がない。

 

「あーもう、イライラする」

 

 バンと最後にひと際強く地面を踏みつけたクロエは思考を切り替えた。今はとにかく事の推移をギルドに連絡して、指示を仰ぐべきだ。となるとまずは通信用の魔水晶(ラクリマ)をどこかで借りなければならない。クロエは港に背を向けた。

 

 

 ★

 

 

「――というわけで止められなかったわ。ごめんなさい」

 

 ハルジオンの魔法屋。そのカウンターに置かれた通信用魔水晶に映るミラにクロエは事の経過を報告していた。

 今のクロエの気分は最悪だった。ルーシィたちは止められなかったし、この町に一つしかないらしい魔法屋を探して街を数時間さまよって疲れたし、ミラには失敗しましたーと情けのない報告をしないといけないし、まさしく泣きっ面に蜂だった。

 

「それでこれからなのだけれど私はどうしたらいいかしら? 追いかけようにも船がなくて……」

 

 クロエはすっかり弱り切った声で画面のミラに尋ねた。

 

「ううん、帰って来て大丈夫よ。実はエルザに連絡がついたの。仕事を済ませたその足でみんなを迎えに行ってくれるって」

「エルザが? でもガルナ島へ行く船は……」

「大丈夫よ、エルザの依頼はちょうど海賊の討伐依頼だったから」

 

 それは海賊船を奪うということだろうか。普通ならそんな無茶苦茶なと言いたくなる話だが、エルザなら無理やり海賊を従わせてガルナに向かうぐらいのことはやってしまうだろう。ああ、海賊の皆さんお気の毒に。クロエは心の中で手を合わせた。

 そしてそれと同時に胸をなでおろす。エルザほど怖くて強くて頼りになる魔導士はそうはいない。彼女に任せておけばもう何の心配もいらないだろう。どこぞの氷の造形魔導士とは違うのだ。

 

「じゃあ、あとはエルザに任せておけばいいのね。よかった……」

「ええ。クロエもありがとう」

「……別に。私は何もしてないわ」

「ふふっ、クロエってば素直じゃないわ」

「もうっ! 切るから」

 

 通信を切ると、魔法屋の主人に礼を言ってクロエは店を出た。空を見上げると綺麗な月が出ていて、すっかり夜になっていた。今からマグノリアに帰るのは時間的に無理だろう。しかたがない。やれやれとため息をつき、クロエは宿のある大通りの方へと足を向けた。

 

「ああ……。これはこれで大変ね」

 

 歩きながらぽつりと呟く。よくよく考えてみれば、エルザがガルナ島に向かったということはS級クエストとはまた別の危機がルーシィたちに迫っているということだ。エルザは規律に厳しいタイプだから、ルーシィたちがルールを破ってS級クエストに挑んだことにさぞかし腹を立てていることだろう。くわばら、くわばら。列車の中でしていたもしエルザに知れたらというグレイの危惧は的中したわけだ。

 かわいそうに。自業自得とはいえあんな赤鬼みたいなのに叱られるなんて彼らには同情を禁じ得ない。おそらく巻き添えをくらうであろうグレイには特に。クロエはそっとガルナへと旅立った三人と一匹の冥福を祈るのだった。

 

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