アニメ19話のオリジナルストーリーの話です。
人の死は残された者を変える。
多かれ少なかれ、良くも悪くも、望むと望まざるとにかかわらず。
最愛の妹を失った時、私はそれを知った。
★★
自分の居場所。
庭の涼しい木陰。窓辺の陽だまり。暖炉の前の肘掛け椅子。自室のベッドの上。
居るだけで心が安らぐ場所。
ミラジェーン・ストラウスにとっては妖精の尻尾がそうだった。
大笑いしながら雑談しているマカオとワカバ。
その隣のテーブルに腰かけて樽で酒を飲んでいるカナ。
なぜか踊っているビジター。
リクエストボードとずっとにらめっこしているナヴ。
酒場のカウンターに立つミラの目に映るのはなんでもないギルドの日常で、けれどその風景はミラの宝物だった。カウンターの内側からギルドのみんなを見ているだけで、ミラの顔は自然にほころんだ。
その風景の中にはとある少女もいた。
カウンター席の一番端っこにちょこんと腰かけている少女。墨で塗りつぶしたような黒の服を着て、いつもは下ろしている黒髪を今日はサイドにまとめている彼女は名前をクロエ・クロイツェフという。
クロエは午前中の割合早い時間帯からお昼を過ぎた現在までずっとあそこの席に陣取っている。その間、オレンジジュースの入ったグラスを傾けて中の氷をカラカラ音を鳴らしたり、トントンと人差し指でテーブルを叩いてみたり、そわそわと身を揺らしたり、胸元の十字架のネックレスをいじったりと、とにかく落ち着きのない様子だった。
ミラはクロエが落ち着かない理由を知っていた。クロエはS級クエストに出かけてしまったルーシィたちのことを気にしているのだ。ルーシィたちを連れ戻しに行ったエルザから今日あたりギルドに連絡があってもいい頃だとクロエは思っているのだろう。彼女が腰かけた席はカウンターの端におかれた通信用魔水晶に一番近く、連絡があればすぐにわかる場所だった。
しかし、クロエの待機は実のところまったくの無駄だ。酒場の開店前に、ミラはルーシィたちと無事合流したので明日にはギルドに戻るとの連絡をエルザから受け取っていたのだ。
ミラはクロエにそれを知らせていなかった。なぜまだ知らせていないのか。その理由はミラが今日最初にクロエと交わした会話にさかのぼる。
「あら、クロエ。おはよう」
「おはよう、ミラ」
「今日はずいぶん早いわね。依頼を探しに来たの?」
「依頼? ああ……そうね。依頼も探さないといけないわね」
「他に何かあるの?」
「別にそういうわけじゃないけど……その……」
「わかった。ルーシィたちのことが心配なのね。実は――」
「はあ? どうしてこの私がルーシィのことなんて気にしないといけないのかしら? 勘違いもいいところだわ」
これである。気になるなら気になる、心配なら心配と素直にそう言えばいいのにこのひねくれ者ときたら。そんな態度を見たら、いじめたくなるじゃない。むくむくと嗜虐心が湧いて来て、ミラはクロエにエルザからの連絡を伝えるのを保留した。
最初は三十分くらいやきもきさせたら教えるつもりだったが、今日は客が多く、ぱたぱたと忙しくしているうちに伝えるタイミングをすっかり逃してしまっていた。
でもお昼時を過ぎてようやく手も空きだしたし、そろそろ息抜きがてらクロエで遊ぼう。そう思ったミラはクロエに近寄って声をかけた。
「ねえ、クロエ」
「なにかしら?」
クロエがネックレスを弄る手を止めてミラの方を見た。
「今日はずいぶんと落ち着かないみたいね」
「別にそんなことないわよ」
「ルーシィたちなら大丈夫よ」
「いきなり何の話かしら。私はいつもどおり落ち着いているし、だいたい気にしてなんていないわ。今朝もそう言ったはずよ」
クロエはつんとすまし顔で答えた。
「ふーん。その割には通信用魔水晶の近くに座ってるわね」
「端の席が落ち着くだけよ。別に通信なんて待ってないわ」
「そう? ならよかった。実はエルザからの連絡はもうあったの」
ミラがそう言うと、クロエはがたりと椅子を鳴らして立ち上がった。
「いつ?」
「今朝。開店前に」
「それをなんで早く言わないのよ」
クロエがきりりとまなじりを吊り上げる。それに対してミラはにっこりと笑って
「あら。待ってなかったんでしょ?」
「それは――確かにそう言ったけど……」
「ならいいじゃない」
ミラが笑顔で言い切ると、クロエは言葉に詰まって、悔しそうに唇をかんだ。それから苦虫を噛み潰したような声で言う。
「そうね。別にわざわざ私に報告しなければならないきまりなんてないものね。それで?」
「それで、何?」
「連絡よ。エルザはなんて言ってたの? ルーシィたちは、その……無事だったのかしら?」
「あら。クロエはルーシィのことなんて気にしてないんでしょ?」
我ながら意地の悪いことをと思いながらもミラはもうひと押しクロエをいじめてみることにした。するとクロエがちょっと泣きそうな表情になって、恨めし気な視線をミラの方に向けてきたので、ミラはちょっとやり過ぎたかしらと内心舌を出した。
ミラはクロエと一対一で話しているとちょうど今のようにからかいが行き過ぎてしまうことがあった。自分でもいけないとはわかっているのだけれど、クロエにはミラをそういう気分にさせるところがあった。こういうかわいい表情をするから虐めたくなるのよね。そんなことを思いながらミラがクロエの泣き顔を堪能していると
「ミラちゃーん、酒頼むー」
「はーい」
客からの追加注文の声がした。ミラはジョッキに酒を注ぐと、お盆をクロエの前に差し出した。
「はい、これ」
「……何よ?」
「手伝ってくれたら教えてあげる」
ミラがそう言うとクロエは眉をへの字に曲げてしばらく逡巡した後、ひったくるようにミラの手からお盆を奪った。注文の酒をのせて客の席へと運んでいく。
「なんだよ、ミラちゃんじゃねえのかよ」
「うっさいわね。こんな綺麗な女の子に運んできてもらえて幸せでしょう」
「顔はともかく胸の発育がよお」
「……蹴り飛ばされたいの?」
「うへっ、勘弁」
そんな軽口を客と交わしてからクロエはカウンターに戻って来た。
「まったく酔っぱらいなんてろくなもんじゃないわね……。それでエルザは何て言っていたの?」
「あのね、無事S級クエストを終えたんだって。みんな明日には帰って来るわよ」
「そう。よかったわ」
クロエがほっと胸をなでおろすのを見てミラはくすりと笑みをこぼした。あれだけ気にしてないって言っていたくせにこれである。表情と仕草ですでに駄々漏れだった本音が、とうとう口からもこぼれていらっしゃる。ミラが笑ったのを見てクロエは自分の失態に気がついたらしい。慌てて「まあ、別に私には関係ないことだけど」と付け加えた。
「あら。ハルジオンから戻って来てからずっと心配してたじゃない」
「してないわ」
「わざわざギルドに来て連絡待ってたのに?」
「待ってないってば。今日は仕事を探しに来ただけよ」
「リクエストボードなんて一度も見てないじゃない」
「それは……その……」
「なあに?」
ミラは笑顔で続きを促した。するとクロエは顔を真っ赤にして、「今から見るところだったのよ。ミラのいじわる!」と子どものような――実際子どもだけど――捨て台詞を残してリクエストボードの方へ逃げていった……と思ったらすぐに引き返して来た。
「どうしたの?」
「お金、払ってなかった……」
クロエが赤くなった顔をますます赤くしながらカウンターに代金を置く。あれだけ盛大に捨て台詞を言った直後にわざわざ代金を置きに戻って来るなんて、律儀と言うか、抜けてると言うか……。
「支払い……ふふっ……あ、ありがとう」
ミラがぶるぶると身を震わせながらそう言うと、クロエは目にうっすら涙を浮かべてキレ気味に叫んだ。
「なによ! 私がそんなにおかしい? 滑稽? なら思いっきり笑えばいいじゃない!」
「ふふっ……ふふふふふっ」
「笑わないでよ! ミラのバカ!」
半べそをかきながら、クロエは今度こそリクエストボードの方へ逃げていった。何なのかしら、あの娘は。離れていく小さな背中を見ながらミラはお腹を抱えて笑った。
ひとしきり笑い終わると、ミラはカウンターに残されたクロエの飲み終りのグラスを片付けることにした。氷だけが残ったグラスを持ち上げると、カラン、コロンと氷とグラスのぶつかる音が鳴る。
それは酒場で働くミラにとって聞きなれた音のはずだった。けれど今日に限って、ミラはその涼しげな音色に懐かしさのようなものを覚えた。どうしてだろう。原因を探ろうともう一度手の中のグラスを揺らす。
それはきっかけだった。
カラン、コロン。記憶の扉を叩く音が鳴る。カラン、コロン。カラン、コロン。音に合わせて、記憶がくるりくるりと巡り出す。そうして蘇った記憶に、ミラはくすりと笑みをこぼした。
ああ、そっか。クロエをたくさんからかった後だからか。こんな昔のことを思い出すのは。
それはまだ、自分が今よりずっと尖った性格をしていた頃のこと。
それはまだ、真っ黒なひねくれ者が真っ白で純粋だった頃のこと。
私とクロエの出会いの記憶――
★★
「なんかつまんねえ」
ミラジェーンはギルドの酒場の机に突っ伏しながらひとりごちた。
いつもどおりくっだらないバカ話で盛り上がる周囲の妖精の尻尾の魔導士たちとは反対にミラの心は沈んでいた。その原因は先日行われたS級魔導士試験でエルザ・スカーレットが最年少のS級魔導士になったことだった。ミラはエルザをライバル視しているので、彼女が自分よりも先にS級になったのが面白くなかったのだ。
そういうわけで最近の彼女はいまひとつ調子がよろしくなかった。誰かといっしょにいる時はそうでもないが、いまみたく一人でほんの少し手持ちぶさたになるとたちまちダウナーな気分になってしまう。
あいにくと今はミラの孤独と暇を解消するのに適当な相手が酒場にいなかった。妹のリサーナはナツを連れて外へ遊びに行ってやがるし、弟のエルフマンもどこをほっつき歩いてんのか姿が見えない。ギルドの同年代のメンバーも仕事やらなんやらで不在だった。
ミラはあーあと小さく不機嫌な声を出し、ストローで注文したジュースに入った氷をくるくるとかき混ぜた。カラン、コロンと氷がグラスとぶつかって冷たい音が鳴る。カラン、コロン。カラン、コロン……こんなの暇つぶしにもなりゃしない。そんなのわかっているけれど、さりとて積極的に自分から何かをするような気分にはなれず、ミラはふて腐れた表情で氷を回し続けた。カラン、コロン。カラン、コロン……。
「ちょいと良いかな、お嬢さん」
頭上からしゃがれた声が降って来たのはそんな時だった。身を倒したまま首をちょっと捻って声の主を確認すると、老いた男とその孫くらい年の離れた少女の二人組が立っていた。
ミラは老人の顔に見覚えがあった。魔導士ギルド『
しかしディペッドの隣に立つ少女の方は初めて見る。十才くらいだろうか。その少女は長い髪も、柔らかそうな肌も、着ている服も、何もかもが真っ白で、けれど瞳の色だけはわずかに赤の入った紫色だった。少女はおそらく妖精の尻尾に初めてきたのだろう。宝石みたいに綺麗な目を好奇心できらきらと輝かせながら、きょろきょろと物珍しそうにギルドを見回している。
「何だよ、じいさん」
「マカロフのやつはどこにいるかの?」
ミラがディペッドに問いかけると、ディペッドは人の良さそうな笑顔を浮かべながらマスターの所在を聞いた。
「奥の部屋」
体を起こすのもめんどくさい。ミラは机に伏せたまま奥の通路を指した。ディペッドは「ありがとう」と礼を言うと傍の少女に呼びかけた。
「クロエや。ワシはマカロフのやつに会いに行くが――」
「じゃあ、私はその辺見てる。いいでしょ?」
「かまわんがくれぐれも人様に迷惑はかけないようにな」
「はーい」
元気よく答える少女の頭をポンと一度撫でると、ディペッドは少女を残して奥のマスターの部屋へと続く通路へと姿を消した。何の用事だろう。ギルドマスター同士だし何か重要な話でもしに来たのか、それともただ遊びに来ただけか……どっちでもいいか。私には関係ないことだし。考えるのもめんどうになってミラは思考を投げ出した。そのまま気だるさに身を任せてぼーっとしていると、ふと横合いから誰かの視線を感じた。何だよと思って視線をずらすと、じぃと自分の方を見る赤紫の瞳が目に入る。クロエとディペッドに呼ばれていたその少女はミラと目が合うと、にぱっと人懐っこそうに笑った。
「ねえねえ、不良っぽいお姉ちゃん」
開口一番、人様に向かって失礼極まりない一言をクロエは言い放った。ケンカ売ってんのか、こいつは。ミラはしまりのない笑顔を浮かべているクロエを殴り飛ばしてやろうかと思ったが、怒りよりダウナーな気分が勝った。ほっときゃそのうちどっかに行くだろ。子どもの相手をする気になれないミラは少女を無視することに決めた。
しかしその見通しは甘かった。テーブルに伏して無視を続けること数分。クロエは一向にミラから離れる気配もなく、しつこくまとわりついていた。
「ねえねえ、お姉ちゃん名前は?」
「お姉ちゃんの服装知ってる。パンクっていうんでしょ?」
「お姉ちゃんの髪きれいだね。見て見て。私も同じ色なんだ」
「妖精の尻尾ってすごく大きいね。うちのギルドとは大違いだよ」
「なんで黙ってるの?」
クロエのあまりの騒々しさにミラは顔をしかめた。しかたないと無視を諦め
「うっさいぞ、チビ助」
「あいた!?」
クロエのおでこをびしっと指ではじいた。対してクロエはむっと頬を膨らませてミラをにらむ。
「ちっちゃくないしっ!」
クロエが声を荒げる。デコピンにではなくチビ助と呼んだ方に怒るクロエの様子を見てミラはにやりと口の端をゆがめた。なるほど。こいつは小さいのを気にしているのか、そうか、そうか。
「まあ、そう怒んなって。チビ助」
「だからチビじゃないってば。私にはクロエ・クロイツェフっていう立派な名前があるんだから」
「そうか、チビ助。オレンジジュース飲むか?」
「わあ、飲む――ってまたチビ助って言った!」
笑顔で話しかけてきて、今度はむっと眉を吊り上げて、けれどすぐに笑顔になって、でもまた怒って頬を膨らませて。くるくると忙しく表情を変えるクロエにミラは目を細めた。なんかかわいいなあ、コイツ。このいかにもバカそうな感じがナツみたいでからかいがいがある。
ミラはにやにやと笑いながら、クロエをチビ助、チビ助と呼び続けた。クロエは始めこそぎゃあぎゃあと言い返して来たけれど、それでもミラがチビ助と呼ぶのを止めないでいると、ぷるぷると震えて涙目になった。
「泣くなよ。かわいいなあ」
「泣いてないしっ!」
うっすらと涙の浮かんだ眼をごしごしとこすると、クロエはきょろきょろと周囲を見渡し始めた。なんだろうと思って見ていると、クロエはあっと顔を輝かせてとある人物を指さした。
「ほら。私よりあっちのおじいちゃんの方が小さいよ!」
クロエの指さした方を見るとちょうど奥の通路から我らがマスター、マカロフ・ドレアーが出てくるところだった。隣には月兎の庭のギルドマスターもいる。挨拶もそこそこに、積もる話は酒を飲みながらってことで二人して酒場へ出てきたのだろう。
くい、くいとミラの服の裾を引っ張りながら「私の方が大きい。私、小さくない」と嬉しそうに騒ぐクロエにミラはおいおいと苦笑した。
王国屈指の魔導士ギルド『妖精の尻尾』を束ねる三代目マスターにして、大陸でもっとも優れた魔導士に与えられる称号『
クロエの大声はでてきたばかりのマカロフたちの耳にも入ったようだった。
「うん? 見慣れん嬢ちゃんじゃ。オマエの連れか、ディペッド」
「まあ、孫みたいなもんじゃ。連れてくるつもりはなかったんじゃが、私も行くと言って聞かなくてのう」
マカロフたちはこちらにやって来た。マカロフが近くに来たことで身長差がよりはっきりすると、クロエはふふんと勝ち誇ったかのような笑みを浮かべた。
「お嬢ちゃん、儂が小さく見えるかい?」
「うん。すっごくチビ助」
マカロフの問にクロエはわざわざチビ助という言葉を使って答えた。もしかすると先ほど自分にさんざん馬鹿にされた仕返しのつもりなのかもしれないが、いかんせん相手を間違っている。得意げなクロエをミラは呆れた眼で見つめていた。
しかしマカロフの目にはそんなクロエの様子が、幼い子どもの微笑ましい姿として映ったらしい。わずかに目を細めた後、悪戯を思いついた少年のようにニィと笑って
「これでも儂は小さいかい?」
「へ?」
一瞬のことだった。ぐん、ぐん、ぐんっ! マカロフの体が急激に大きくなり、ギルドの天井にも届こうかというぐらいにまで背が伸びていく。
それはマスターマカロフお得意の巨人の魔法だった。ギルドの人間――ミラにとっては見慣れたものだったが、初めて見る奴はおったまげること請け合いの魔法だ。現に、突如として巨大化したマカロフを前に、クロエはぽかんと口を開け、目を丸くしていた。
そうして固まること数秒して、クロエは急にぐるんと首を回してミラを見た。
「ねえ、見て。ちっちゃいおじいちゃんがおっきくなった! すごい!」
くい、くいと再びミラの服の裾を引っ張ってクロエが叫ぶ。なんでいちいち私に報告してくるんだか。クロエの行動にミラは思わず吹き出しながら
「残念だな。これでまたお前が一番のチビ助だ」
「うっ……。ま、魔法はずるだもん!」
「それはすまんかったのう」
マカロフが巨人の魔法を解いてしゅるしゅると元のサイズに戻る。するとクロエは顔を輝かせてゆさゆさとマカロフを揺すりながら「ねえねえ、おじいちゃん。その魔法、私に教えて」とおねだりをし始めた。
「これこれ、ご迷惑じゃろ。だいたい魔法ならワシが教えてやっとるじゃろう」
そんな連れの行動を見かねたディペッドが苦笑いを浮かべつつ止めに入ると、クロエは不満そうに唇を尖らせた。
「え~、マスターの教えてくれる魔法はしょぼいんだもん。これだよ?」
瞬間、クロエが魔力の光に包まれる。ミラが何だと思って見ていると、ぴょこり、ぴょこりとクロエの頭に一対の細長い物体が現れた。ふかふかの毛に覆われ、わずかに先端が前に折れ曲がった細長いそれはどこからどう見てもウサギの耳だった。なるほど。どうやらクロエの魔法は変身魔法のようなものらしい。動物の耳を生やすなんてリサーナのアニマルソウルみたいだなとミラは思った。
「ウサギはかわいいけどさあ、弱っちくない? どうせなら怪獣とかの方がいいよー」
「あのなあ、クロエ。その魔法はお前さんがうまく使えておらんだけで十分よい魔法じゃ。それにお前さんはまだ小さいじゃろう。強力な魔法を覚えるのは早いわい」
「う~、私は早く強い魔導士になりたいの」
諭すディペッドに、クロエは聞き分けなくばたばたと地団駄を踏む。やれやれ、このじいさんも大変だな。その様子を見ていたミラは、ディペッドがクロエを相手に過ごしているであろう日々を想像して同情した。
「つーか、なんでチビ助はそんなに強くなりたいんだよ?」
ミラが尋ねるとクロエは「だからクロエだってば」とミラをにらみつけてから、すぐに、にへらと笑って理由を口にした。
「私ね、ギルドが大好きなの。月兎の庭にはリーザお姉ちゃんがいて、マスターがいて、みんながいて――。でもうちのギルドはいつ潰れちゃってもおかしくないくらい、小さくてぼろっちいんだ」
「いや、そこまでぼろくないわい」
ディペッドが口をはさむと、クロエは「えー、ぼろギルドだよー」と無邪気に言った。そのぼろギルドのマスターは「人のギルドをなんじゃと思っとるんじゃ」と顔をしかめたが、クロエは気にした風もなく話を続ける。
「だからね、私が強くなってギルドを守るの。強い魔導士になったらすごい依頼もできるでしょ? すごい依頼をクリアしたらもっとすごい依頼がギルドに来るでしょ? それもクリアしたらこんどはもっともっと――。私がそうしているうちにギルドはおっきくおっきくなるの。それでいつかは私がマスターになってね、ギルドを改造するの。十階建てくらいにして、一番上の階を私とお姉ちゃんの部屋にしてね。あとギルドをすっごくかっこいいのにしたい! 羽根つけて空を飛ばすとか!」
クロエが身振り手振りを交えながら楽しそうに話すのをミラは黙って聞いていた。クロエの語る未来には、ところどころ荒唐無稽なところがあったけれど、茶化す気にはなれなかった。
かつて悪魔憑きと呼ばれた少女がいた。悪魔が宿り異形と化した右腕を持つ少女を、村人たちは忌み嫌い、迫害した。故郷を追われた少女はきょうだいとともに各地を流れ、やがて妖精の尻尾に行きついた。妖精の尻尾にいる魔導士は変わり者ばかりで、少女の腕のことなんて気にもしないで距離を詰めてきた。どいつもこいつもうるさくて、バカで、馴れ馴れしくて。でも、温かくて、優しくて。いつの間にか妖精の尻尾は少女の大切な居場所に変わっていた。
クロエもきっと同じ。『月兎の庭』には、このマスターがいて、リーザお姉ちゃんとやらがいて、他にも仲間がたくさんいて。クロエにとってはいるだけで笑顔になれるような居場所なんだろう。だからクロエはギルドのために強くなりたいと真摯に願っている。
ギルドを想う気持ち。髪の色が同じとかそういう外見的なことではなく、内側に似ている部分がミラとクロエにはあって、クロエの願いにミラは共感を覚えていた。
ま、流石にギルドに羽つけて空を飛ばしたいとは思わないけどな。ミラが内心そう考えていると、ちょうどディペッドも同じことを思ったらしい。「流石に空を飛ばすのは勘弁してほしんじゃが……」と呟いた。するとクロエは「えー、なんで?」と驚いてから
「飛んだ方がかっこいいよ。ねー、おねえちゃんもそう思うでしょ?」
と、同意を求めてミラの方を見た。ミラは答える代わりにポンとクロエの頭に手を置くと、柔らかい髪をわしわしと撫でた。するとクロエは「わわわっ……」と戸惑いの声を上げた。
「もうっ。いきなり何するの? 髪がめちゃくちゃになっちゃった――」
「できるといいな」
クロエの抗議の声にかぶせるようにミラが言う。するとクロエが「え?」と聞き返してきたので、ミラはもう一度、今度はさっきよりもずっとやさしく頭を撫でながら繰り返した。
「できるといいな。そんなギルドに」
「うん!」
ミラの言葉にクロエは眩しい笑顔を浮かべて頷いた。
★★
「懐かしいわね」
下げたグラスを洗いながら、ミラはひとり呟いた。
初めての邂逅を遂げてから、ミラはクロエと友達……と言うにはちょっと年が離れていたけれど、仲良くなった。ミラの方から『月兎の庭』を訪ねることはなかったけれど、クロエが『妖精の尻尾』に遊びに来る時はそれなりに相手してやった。
クロエと関わりを持ったのはミラだけじゃない。リサーナやエルフマンも、エルザやカナだって、クロエは誰とでもすぐに仲良くなって遊んでいた。あの頃のクロエは今と違って、どこまでも明け透けで、素直で、人懐っこい少女だったから。けれど――
人の死は残された者を変える。
多かれ少なかれ、良くも悪くも、望むと望まざるとにかかわらず。
リサーナを喪って自分が変わったように、クロエも――。
魔導士ギルド『月兎の庭』が壊滅したという知らせをミラが聞いたのは一年半前。リサーナが死んで半年くらい経った頃だった。生存者はゼロ。クロエもリーザもあの人のよさそうなマスターもみんないなくなってしまったのだと思うと胸が痛んだ。
それから少し経って奇妙な魔導士の噂が流れ始めた。いわくその魔導士は、向う見ずにもたった一人で、大も小も関係なく、手当たり次第に闇ギルドを潰しまわっているという。とち狂ったかのようなペースで闇ギルドへの襲撃を繰り返すその魔導士がいつの間にか『気狂い兎』という名で呼ばれ始めるようになった時、ミラはその正体を予感した。
まさかあの子が生きて――?
その予感が正しかったことはすぐに証明された。激しい雨の夜。マスターマカロフに連れられて、ざあざあと叩きつける雨の向こうからクロエは妖精の尻尾へやってきた。
ミラはクロエのあまりの変わりように驚きを隠せなかった。白銀の髪は真っ黒に染まり、綺麗だった肌はあっちこっちが傷だらけ。きらきらと輝いていた紫の瞳も黒に変わっていて、これっぽっちも感情の色が見えなかった。
けれど、クロエが心に深い悲しみと苦しみを抱えていることはすぐにわかった。大切な誰かを喪う痛み。すぐそばにいるのが当たり前だった誰かが急にいなくなったときに感じる、世界の一部が欠落してしまったかのような喪失感。それはミラのよく知るものだった。
ミラはクロエを放っておけないと思った。リサーナを喪った時、ミラにはまだエルフマンがいた。ギルドのみんなだっていた。悲しみを和らげてくれる大切な人たちが傍にいてくれた。それでもまだミラはリサーナの死を完全に乗り越えることができていない。サタンソウル。ミラに宿った魔法の力は、リサーナを喪った時からずっと使えないままだ。
家族もギルドの仲間もいっぺんに喪ったクロエの痛みは大き過ぎて、なのにクロエは一人ぼっちだ。クロエは孤独と絶望の淵にたった一人で立っていて、潰れた心をどうすることもできずに泣いている。
別に助けたいとか、救いたいとか、そんな大層なことを思ったわけでも、できると考えたわけでもない。でも何もせずにはいられなくて、気がつくとミラは人一倍クロエにかまうようになっていた。初めて会った時とは真逆に今度はミラの方から言葉をかけた。
始めはほとんど反応らしい反応も返ってこなかった。けれど、続けるうちに少しずつクロエは変わっていった。ぼそりぼそりと言葉を返したり、用もなくギルドにやってきたり、感情を表に見せるようになった。
笑ったり、怒ったり、泣いたり。クロエが感情のままに表情をくるくる変えるのを見る度、ミラはそこに昔のクロエの面影を見た。どれだけのことがあっても、きっと彼女の根っこの部分は変わっていないんだと思うとうれしくなった。
そして今、クロエがギルドに来て一年あまりが過ぎて、一人ぼっちだったクロエの周りにはたくさんの人がいる。昔仲良くしていたギルドの古株たちに加えて、ロキや、最近では新入りのルーシィとも仲良くやっているようだ。
それはクロエにとって良いことのはずだ。喪った人は帰ってこないし、心についたキズだってそう簡単に消えたりはしない。けれど妖精の尻尾で結ばれた新しい絆はきっとクロエの支えになれるはずだと、ミラは信じていた。
ふとリクエストボードの方へ視線を移すと小さなクロエの姿が目に映る。彼女はどういうわけかカナに後ろから抱き付かれていて、「ひっつかないで」と迷惑そうに文句を言っていて、けれど言葉とは裏腹にその表情は――。
それはなんでもないギルドの日常。騒がしくて、温かくて、ほっとする、宝物の景色。今日も酒場のカウンターからその景色を眺めて、ミラは口元をほころばせるのだった。
上下構成なので次話は近日中に投稿しますね。
お読みくださってありがとうございました。