「がはっ」
口から地を吐く依姫。先程まで攻めていた筈の彼女は地面に叩きつけられていた。その時受けた衝撃により、全身の骨が砕け、臓器に突き刺さっている。
(一体何が……何らかの術を使ったと思ったら、急に桁違いに速く……いや、そうか、時間を操作したのね)
依姫の優れた頭脳はすぐさま起こった事態について突き止める。ベナレスの召喚した獣魔、それは嘗て彼が生み出した魔獣、ノルマルテに与えた『時間加速』の力を宿した獣魔であった。その獣魔の能力により自身の時間を600倍にまで加速したのである。
ただでさえ強いベナレスがこの術を使えば余りにも強く対抗できるものが居ない。戦いを求めるベナレスにとっては、ある種の興ざめを招く術であり、余程のことが無い限り使わない奥の手とも言える術なのである。
「くっ、『大国主』よ その薬にて私の傷を癒せ!!」
因幡の白兎に治療方法を教えたことから、一説には日本最古の医療行為を行った存在と言われる大国主を召喚し傷を癒す。しかし余りにダメージが大きいため、瞬時には完全回復できない。
「どうやら、本気で手を選んでいる場合ではないようね」
一気に逆転された形勢を再び自分優位に持っていくため、いや優位などと言う中途半端なものではなく、即座に勝負を決めるため依姫もまた奥の手を切る覚悟を決める。それは国産みの神であり、八百万の神の中でも最上級の力を持つ一柱。死の塊たる存在で、それ故にその能力を使用すれば穢れを発生させてしまう。一度召喚した程度ならばある程度の時間をかければ浄化できるとは言え、できれば使用を避けたい手だったが、最早なりふり構うつもりはなかった。
「『伊邪那美』よ、目の前の男を黄泉の国へと誘え!!」
距離や時間を超越し、まさしく突然に発生した闇、純粋なる呪いがベナレスを包み込む。その闇が晴れた時にはもうそこには何者も存在しないことになる。黄泉の国の住人である伊邪那美に肉体も魂も連れて行かれるのだ。
そして闇が晴れる。
そこにベナレスは”健在だった”。
「なっ!?」
今まで攻撃が破られても余裕を崩さなかった依姫。しかし、始祖神の力にして絶対な自信を持っていたことに彼女は初めて動揺する。
そしてその動揺が収まるまで待っていてくれる程ベナレスは優しくなかった。
「出でよ火牙(ホゥアヤア)!!」
炎の龍が依姫へと迫る。
「くっ、『国之水分神』よ 炎を沈めよ!!」
何とか水の神を降ろし、炎龍にぶつけ相殺、そして彼女は身体を動かし、位置を変えながら考える。
(『伊邪那美』の力が効かない。そんな存在があるとしたら……まさか永淋様と同じく完全に不死身!? あるいは同格以上の神の加護を受けているというの?)
月の頭脳より指導を受けた優秀な生徒である彼女は答えに辿りつく。しかしそれが正解であるかどうかを確かめることができないため、彼女の中では推測どまりであった。しいて言うならば彼女の与えたダメージの大半が既に癒えていることが不死を裏付ける証拠とも言えるが、それも再生能力に特に優れた妖怪ならばありえないとは言い切れないため確信には至らない。
(確かめるためにも、最早この手しかないか)
「『月読命』 私にその力を貸し与え給え!!」
伊邪那美に匹敵するもう一つの奥の手を切る。月の都の盟主である月読、自らの上役であるが故、伊邪那美とは別の意味で気安く神降ろしできない存在。しかしその強力さは無比。降ろした瞬間に、大国主の薬でも治りきらなかった負傷が急激に回復し、数秒で全開する。しかしこれですら月読の力の一部、その本質は癒しや治癒力の強化等と言ったものではないのだ。
「古来より月の光には魔力や霊力が込められていると言われてきた。地上の妖怪も満月の時にはその力を最大限に発揮するわ。月読様はその力を自由に使うことができる。つまり……」
その次の瞬間依姫は消えた。否、『時走』を使用時のベナレスにも追随できる程の速さで動いたのだ。それに対抗するために、ベナレスも再び時間加速をする。 常人の目には映らない速度で激突する両者。ベナレスの爪と依姫の刀がぶつかりあう。
「私は今、無限に近い力を有している」
激突は一瞬の拮抗にすら産まなかった。指の間から肩までが一瞬にして切り裂かれる。同時に強すぎる勢いの依姫の刀が砕ける。全能力の飛躍的向上と、霊力無限、単純にして最も厄介な能力、それこそが月読の力であった。
「ぐっ、出でよ闇……」
「はっ!!」
獣魔の召喚を妨害し、ベナレスを殴り飛ばす。その衝撃により数千メートルをとびクレータ側面にまで叩きつけられる。
力の差は圧倒的、これに対抗しようとするならばベナレスもまた、依姫とは異なる方法で無限の力を得るしかなかったが、今の彼にはそのために必要な条件を満たすことが出来ない状態にある。
「ぐぅっ」
壁面より落下し、地面に仰向けに落ちるベナレス。立ち上がりはするものの、全身より出血しており、ダメージが大きいことが一目で分かる。
「まさか、この俺が地面を舐めることになるとはな……」
そんな状態にも関わらず嬉しそうな表情を浮かべるベナレス。一方の依姫は冷静に彼を観察する。
(さっき切った腕が奴を追うように飛んでいってくっついた。この再生力は妖怪にしても流石に異常。っと、なるとやはり不死か。厄介ね)
不死の相手を倒す手段となると限られてくるが、流石に月読程の大神と別の神を同時に降ろすことはできない。相手を動けなくした後、一度解除し、他の神に切り替えなければならない。どう追い込むか算段を立てる。
「決着をつけさせてもらうわ」
数秒の思案をし、刀を再生させた彼女は決着をつけるべくベナレスに向かって飛んだ。数千メートルの距離など今の彼女には詰めるのは一瞬、しかしベナレスの方もそれを許すまいと妨害を仕掛ける。
彼女に迫るのは植物の蔦にも似た形をした何本もの触手。それを切り裂きながらすすむ。
「今更、こんな攻撃……!?」
ついで飛んできたのは大小沢山の岩。彼女はそれを砕いたり弾いたり、動きそのものを止めたりしながらくぐり抜ける。
そして最後の関門として待っていたのは地面そのものが隆起させて産みだされた岩壁。
「はっ!」
小さな岩山とも呼べるそれを一振りで切りさき、割れた岩の間をすり抜ける。
そして見えるベナレスの姿。その首を切り捨てるべく、彼女は全力で刀を振るう。
「この俺が罠を使わざる得なかったのは貴様が始めてだ」
そしてその次の瞬間、ベナレスを切り捨てる筈だった刃は彼の首から数センチ離れた所で止まっていた。
「こ、これは」
依姫は凄まじい力で縛られていた。彼女は気づくべきだった。ベナレスが妨害に使ったのは呪蛇縛(スペルスネークバインド)と操演(ツアオイエン)彼が弟子に教えた術であり、獣魔術ではなかったことを、そしてこれまで獣魔術ばかりを使っていた彼が何故ここに来て他の術を使ったのかを。
「術が間に合ったのは紙一重だった。ほんの少しの差で俺の首はお前の狙い通り切り裂かれていただろう」
魔現封神、大地の精を用いて相手を封印する術。この術の詠唱をする時間を稼ぐために、彼は詠唱を必要としない術で依姫を妨害し時間稼ぎをしたのである。
「くっ、このようなもの月読様の力で……えっ!?」
依姫が顔に驚愕と焦りが浮かぶ。神降ろしが強制解除されたからだ。魔現封神には相手の真の姿をさらけ出すという副次効果がある。その効果が神降ろしを用いる依姫には最悪の相性であった。
「さらばだ」
4千年を超える人生で自身を最も苦しめた相手ともう戦えないことを惜しみつつ今、まさに封印されようとする依姫を見送る。
その時、彼の後ろには豊姫が立っていた。
「!?」
振り返る、それと同時にベナレスは身体の大半を素粒子へと分解される。辛うじて残ったのは頭部と肩、左腕の肘までのみであった。
更に豊姫が勾玉のようなものをかざすと魔現封神が解除される。解放された依姫のもとに瞬間移動すると、その状態を確認する。
「……気絶してるだけみたいね」
妹の無事を確認した彼女は再びベナレスに向き合い、物質を素粒子にまで分解する力を持った扇を掲げながらベナレスに対し見下す視線を向ける。
「あなたの部下に足止めさせていた筈の私がここに居るのが不思議かしら? 生憎私には海と山とを繋げる程度の能力を持っている。私に足止めなんてものは何の意味もないわ。さてと、理解してもらったところであなたには消えてもらうわね。さっきは、依姫を巻き込まないように加減したけど、次は全力で振らせてもらうわ。見たところ随分強い再生能力を持ってるみたいだけど流石に全身を跡形も無く消されたらどうかしらね?」
「ベナレスの名において命ず……」
豊姫の語る言葉を黙って聞いたベナレスはその最後の問いに対し、彼は獣魔召喚の詠唱を持って答える。
「無駄よ、どんな術を使おうが、術ごと分解してあげるわ」
豊姫は余裕と嘲りの表情を浮かべ、扇を振る。同時にベナレスもまた獣魔を召喚した。
「全ての獣魔よ!!」
百を超える全ての獣魔を。
「これでこの戦いの決着はついたわ。ベナレスは肉体の大半が消滅した状態で、一度に精を使い過ぎたことで肉体が崩壊。依姫と豊姫も瀕死の重傷を負い、撤退したわ。この状態で自分達が生き延びたのみならず、この時点で生存していた玉兎を全て連れ帰ったのは見事と言う他無いわね」
一部始終を話し終えた紫がそこで一息つく。
「その後、2度の交戦があったわ。ベナレスと綿月姉妹の戦いは引き分けだったけど、不死身のベナレスと違い、綿月姉妹はそうではなかったから、月の医療を持ってしても直ぐには戦線復帰できなかった。当然、代わりの戦力が投入された訳だけど、実戦部隊の中に彼女達を上回る実力者はいなかったから、ベナレスを倒すことは出来ずに月側は多くの死傷者を出すことになった。ベナレス側の方も被害がなかった訳では無く、片腕二人を失ったけどね。おかげで聖魔様達との戦いの時には人材不足でかなり苦労したみたいよ」
ガネーシャは先代鬼眼王の无の死体を操り人形とし、ノルクスは不死に近い再生能力を与えた魔獣を2000年以上かけて鍛えたもの。どちらもベナレスが産みだしたものではあり、月人に対抗できる程の強さを持っていたが、それだけに簡単に代えの効く存在ではなかった。
「そして3回目の交戦の後、月側から龍皇城の建設の許可、戦争によって発生した穢れを浄化する行為を認めること、そして相互不干渉の契約を条件に終戦を申し出たわ」
「月側が負けを認めたってことですか!?」
その終戦条件では月側が一方的に損をしており、聞く限りには敗北宣言としかとれなかった。
「それは私にもよくわからないわ。月側にはまだ月読命を始め実力者が残っていた筈だし、怪我を負っていたとは言え依姫や豊姫もまだ健在。結果だけ見れば2対1で相打ちに追い込まれたとはいえ、依姫は実力ではベナレスに負けていなかった。いえ寧ろ私の見立てでは彼女の方が地力では少し上だったと思うわ。とにかく、1対1で比べるのならばともかく、全体の戦力では月側が有利だったと思うのだけど……。まあ、理由はともかく、この終戦協定にベナレスも同意して月面大戦は終わったって訳」
首をかしげながら答え、話を締めくくる紫。
「わかりました。丁寧に説明していただき、ありがとうございました。っと、すいません、頼まれた仕事がまだ残っていましたのでこれで失礼します」
「ええ、頑張って頂戴ね」
主に礼を言い、用事を思い出して立ち去ろうとする藍。紫はそれを見送り、そして彼女が背を向けたところで呟くように言った。
「ところで、ベナレスが依姫を追い詰めた魔現封神という術、八雲さんも使えるそうよ」
「えっ!? ま、まさか紫さま聖魔様と八雲さんを味方につけて月に攻め込む気ですか?」
「ふふっ、どうかしらね」
慌てて振り向き問い詰める藍に対し、はぐらかすように言う紫。長年の付き合いからこれ以上問い詰めても無駄だと判断し、溜息をつく。
「ふう。紫様が何を考えてらっしゃるのかはわかりませんが、あまり無茶はしないでくださいね。今度は土下座ですむかわからないんですから」
「ええ、勿論よ」
式の心配に対し、紫は胡散臭さ満点の笑みを浮かべ答えるのだった。
これにて月面大戦編は終了。
次からは八雲とパイ視点に戻ります。