口下手提督と艦娘の日常   作:@秋風

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第十五話 時雨の気持ち

 

「それでは失礼します」

 

 最後にもう一度、元帥に敬礼を送り部屋を出る。

 扉が閉まり切ったことを確認し、終始体中を纏っていた緊張感が抜けていくのを感じながら一つ小さく息を吐く。

 

「お疲れ様、提督」

「ああ。待たせてすまないな、時雨」

「僕は平気さ。それより今日はこれで終わりかな」

「そうだな。それでは帰るとしよう」

 

 部屋のすぐ横に設置してある椅子にずっと掛けていたのであろう、時雨は目を瞑りながら少し伸びをしている。

 周りでは同じように、提督と護衛艦であろう艦娘たちがそれぞれ帰り支度を始めていた。

 

「それにしても今日の定例会議は普段より少し長かったけど、何かあったのかい?」

「北方海域の件で少しな」

 

 月に一度、各所の提督が大本営に集められて行われる会議に出席するため、秘書艦の時雨と鎮守府を出たのが朝の七時前。

 遠方から訪れる提督もいるため、早いうちに始まり、早いうちに終わるのが定例となっているのだが、最近不穏な動きを見せる北方海域の調査の報告に少し時間が掛かってしまった。

 

「随分暇を持て余してしまっただろう。この建物内に休憩できるような場所があればよかったのだが」

「待つのには慣れているから大丈夫だよ。それに金剛さんから借りたこの雑誌もあったしね」

 

 そう言って手に持った紙袋を見せてくる時雨の表情はどことなく上機嫌なように見えた。

 しかし時雨も気に入る雑誌とは一体どのようなものだろうか。金剛から借りたと言っていたから紅茶関係の雑誌かもしれないな。

 

「ん? どうしたの提督。もしかしてこの雑誌が気になるの? でもゴメン、この雑誌だけは提督には見せられないんだ」

「む、そうなのか」

「本当は僕も欲しかったんだけど時間がなくて……でもこうやって見ることができたから良かった」

「そう言われると気になってしまうな」

「ふふ、ゴメンね提督」

 

 出口へと繋がる通路を二人で歩きながら他愛もない話に花を咲かせる。

 少し前に夕立と共に改二への改造が完了した時雨だが、それを機に前は少し消極的だった性格が前向きになっているように感じる。

 

「なんだい提督? 次は僕に興味があるの? いいよ、なんでも聞いてよ」

「いや、少し嬉しくてな。気にしないでくれ」

「ずるいよ提督。そう言われるとなおさら気になるじゃないか」

「あ、あまり引っ付きすぎると歩きにくいのだが」

「あっ、ご、ごめん提督」

 

 急にずいっと近づいてきた時雨に思わず足がもつれそうになるのをなんとか堪える。最近どことなく同部屋の夕立に行動が似てきたような気がするが気のせいだろうか。

 それでもどこか遠巻きに遠慮するような態度だった昔の時雨に比べれば、喜ぶべき変化であることには変わりはないのだが。

 

「そんな顔されるとやっぱり気になるよ」

「すまない」

 

 少し不満そうな時雨に言葉を返していると、いつの間にか外への出口へと到着していた。

 腕に嵌めた時計に視線を移し、帰りの便へまだ時間があるのを確認する。それまでどこか甘味処にでも寄ろうかと提案すると、時雨は少し逡巡したのち、困ったような仕方がないといったような表情をこちらに向けてきた。

 

「ごめん提督。実は夕立に昨日からお土産をお願いされてるんだ。もし迷惑でなければ少し時間を貰えると嬉しいんだけど……駄目、かな」

「そのお願いを断ると、後で夕立に怒られそうだな」

「それじゃあ」

「ああ、もちろん良いとも」

「ありがとう。やっぱり提督は優しいね」

 

 なんだかんだ言いながらも、夕立のお願いを無碍にできない辺り、時雨の面倒見の良さがよく出ているように思え、自然と頬が緩む。

 確か、近くに雑貨屋があったはずだが。

 その旨を時雨に伝えると、彼女は楽しそうにくるりとこちらに向き直り手を差し出してきた。

 

「それじゃあ行こうか提督」

「ああ、そうだな」

 

 差し出された手を握り返しながら、時雨の隣に立って歩き始める。

 他の子たちにも何か買って帰ってやらなければな、と割とどうでもいいことを考えながらのんびりと二人で目的地へと向かうことにした。

 

 

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

 

 

「ここかな提督?」

「ああ、早速入るとしよう」

 

 少し古ぼけた立て看板に『雑貨屋』と無造作に書かれたそれを見つけ、二人して店全体を見上げてみる。

 どこか年期の入ったように見える店構えにどことなく懐かしい気持ちになりながら、早速と扉に手をかける。

 ガラリと扉を開け、足を踏み入れた自分たちの視界にまず飛び込んできたのは整然と並べられた多種多様な小物類。その思わず見て回りたくなる光景に隣に立つ時雨が『うわあ』と感嘆の声を上げていた。

 

「あんたが来るなんて久しぶりだね。いらっしゃい」

「ご無沙汰しております」

 

 早速目の前の動物を模った小さな置物に目を奪われている時雨にどこか夕立の姿を重ねていると、店の奥から一人の女性が姿を現し、声を掛けてくる。相変わらず気だるげそうな雰囲気は変わっていない。

 

「提督、知っている人かい?」

「ああ、この店には実は何回か来たことがあるんだ。この人はこの店の女主人だよ」

「こんにちわ。君は初めてだね。古臭いところだけど自由に見て行ってね」

「ありがとう。僕の名前は時雨って言うんだ。ここは……うん、凄く心地いい場所だね」

「相変わらずあんたのところの子はできた子ばかりだね。といってもここに来る提督なんてあんたくらいだけど」

「む、もしや迷惑だったか」

「かー! どうしてあんたはそうなるんだい? 時雨ちゃん、こいつは普段からこうなのかい?」

「実はそうなんだ。だからみんなヤキモキしてるんだ」

「根は凄く良いやつなのに、残念な男だねえ」

「ぬ、ぬう」

 

 自己紹介の流れからいつの間にか私への評価へと話が変わってしまっていた。この場合どういった反応をすればいいのか非常に困ってしまう。

 そんな私の反応を楽しむように、女主人はけらけらと笑いながら『ゆっくり見て行ってよ。買う時は声かけてくれればいいから』と言い残し、店の裏へと消えていった。

 

「面白い人だね」

「ああ、ここに来ると私はいつもからかわれてばかりだが」

「あはは、でも凄くいい人だよ」

「そうだな」

「それで、提督はいったい誰と二人でここに来てたんだい?」

「うぬ?……ぬ」

「ごめん冗談だよ提督。そんな困った顔しないで。それじゃあ見て回ろうか」

 

 先程の女主人を真似たのか、楽しそうに笑う時雨を見ながら、今後彼女が時雨に悪影響を及ぼさなければいいがと無駄な心配をしつつ、夕立への土産を探し始める。

 

「あ、これなんてどうかな」

「綺麗なマフラーだな。だが、これから梅雨を過ぎれば夏がくる。マフラーはその後でもいいんじゃないか」

「そう言われてみればそうだね。ところで提督」

「ぬ?」

「その後ってことは、また僕を一緒にここに連れてきてくれるってことかな?」

「……私となんかでいいのなら」

「本当かい? 凄く嬉しいよ。約束、だね」

 

 あれだけ待たせてしまった会議の後だというのに、時雨はまるで気にしていないといった感じで指きりを促してくる。

 それでも自分のために自ら護衛を務めてくれようとしていることに私は感謝するべきなのだろう。

 

「お楽しみのところ悪いが、ちょっといいかい」

「わっ!」

「どうしたんですか急に」

「ちょっとあんたたち、というか時雨ちゃんに頼みたいことがあってね」

「頼みごと、ですか?」

 

 急に現れた女主人に時雨が珍しく大きな声を出してこちらの服を掴んでくるのを支える。その様子に謝罪の言葉を入れながら、女主人が頼みごととやらの内容を申し訳なさそうに話し始める。

 

「実は今裏で娘に着物の着付けを教えてるんだけど、私の身長じゃ着物のサイズに合わなくてね」

 

 言いながら、ふうと溜息を吐く女主人を見ながら内心なるほどと納得してしまう。

 確かによく見なくても、女主人は女性にしては背丈が大きい方だと言えるだろう。控えめに言っても、百七十は超えているはずだ。それならば着物のサイズが合わなくても仕方がないかもしれない。

 

「代わりに時雨にモデルをやってほしいと、そういうことですか?」

「え? 僕が?」

「時雨ちゃんの身長ならぴったりだろうし、美人さんだから衣装映えすると思うんよ。申し訳ないけどお願いできないかねえ」

「時間にはまだ余裕があるから問題ないが、どうする時雨」

「あ、えっと……僕なんかでよければ」

「本当かい!? いやー助かったよありがとう! 着付けが終わったら記念に二人の写真を撮るからね!」

「え? あの、えっと」

「さあさあ時雨ちゃんはこっちに。すまないけど少し時間が掛かるからあんたは適当に店の中見といてくれ」

「ああ、そうさせてもらおう」

 

 未だ少し困惑する時雨を半ば強引に店の裏に連れて行く女主人を眺めながら、どことなく隼鷹を思い出す。あの掴みどころのなさと、あっけらかんとしたところは彼女にそっくりだ。

 

「今のうちに、夕立と皆の土産を見繕っておくか」

 

 おそらく暫くは時間が掛かるだろう。それにこうやって静かな雰囲気で何かを眺めるのも嫌いではない。

 久しぶりに訪れた穏やかな一人の時間を堪能しながら、商品を吟味していく。

 時折聞こえてくる時雨の恥ずかしそうな声は聞こえなかったことにしながら。

 

 

「いやーお待たせ。すまないね、時雨ちゃんがあまりにも着物似合うもんだからつい本気になってしまったよ」

「いえ、私もついさっき選び終えたところでしたから」

 

 つい熱中して商品選びをしていたら、一仕事やり終えたというような清々しい表情と共に女主人が裏から現れる。ふと時計に目をやると既に一時間が経過していた。

 

「まあそれも、あの姿の時雨ちゃんを見ることができるんだから許しておくれ。さ、出ておいで」

「あの……やっぱり少し恥ずかしいや」

「……おお」

 

 女主人の言葉と共に、おずおずと言った感じで登場した時雨に思わず声が漏れてしまう。

 普段から物静かで落ち着いた雰囲気の時雨に牡丹柄の着物がよく似合っており、後ろで綺麗に纏められた髪も新鮮さを前面に押し出していた。

 女主人の腕がいいのか、ほんの少しだけ化粧しているのだろう表情もその姿と相まって思わず見入ってしまった。

 

「どう、かな提督」

「ああ、よく似合っている。本当に」

「ありがとう。お世辞でも嬉しいよ」

「世辞などではなく、本当に。言葉足らずだが、綺麗だと思う」

「や、やめてよ、恥ずかしいじゃないか」

 

 恥ずかしがりながら否定の言葉を入れてくる時雨を前にしても、不思議とこちらに困惑する気持ちはなかった。それだけ心からの感想を述べることができていたということだろうか。

 『どうしよう。顔が熱くて提督の顔が見れないや』という時雨を隣でからかいながら、女主人がこちらに手招きを送ってくる。

 

「ほら、写真を撮るからあんたもこっちに来な」

「む? 時雨一人のほうがいいんじゃないですか?」

「何言ってんだい馬鹿。あんたが入った方がいいにきまってんだろ。ねえ時雨ちゃん」

「……うん」

「そうか」

「ほらそんなに離れてたら入らないだろう? もっと寄って。そうそういいね。ほら笑って」

 

 実に楽しそうにこちらにカメラを向けてくる女主人になんとか笑顔を返しながら、視線だけを時雨に送る。

 その視線に気付いたのか、時雨もちらりとこちらを見て、小さく笑いかけてくる。

 

 その表情は昔のどこか遠慮したようなものではなく、本来時雨がずっと持っていたであろう心優しい笑顔であるように私には感じられた。

 

 

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

 

 

「今日はありがとうね。またいつでも来なよ」

「こちらこそ、お土産をタダにしてもらってすいません」

「いいってことよ。時雨ちゃんにはそれだけいいものを見せてもらったからね。娘も俄然やる気が出たみたいだし」

「僕も忘れられない大切な思い出になったよ。ありがとう」

 

 店の前で、両手一杯になってしまったお土産袋を下げながら、女主人に別れの挨拶を述べる。

 その言葉に笑いながらひらひらと手を振り、女主人は店の中へと消えて行った。別れの時までさっぱりした人である。

 

「なんだか夢のような時間だったよ」

「そうだな」

 

 来たときとはまた違う感動を胸に終いながら、時雨は小さく『また来るよ』と呟いていた。

 時雨のその姿に一瞬目を奪われながら、来た道へと視線を移す。

 

「さあ提督。みんなのところへ帰ろう」

「ああ」

 

 言いながら、時雨は手に持っていた写真を大切そうに鞄へと仕舞い込み、来た道へと歩を進め始める。

 次に来るときにはどんな話をしようか、そんな期待に胸を膨らませながら。

 


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