口下手提督と艦娘の日常   作:@秋風

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 今回は前後編のためキリがいいところで切っているので少し短めです。


第二十六話 提督の休日 北方棲姫編 前編

 

 提督は目の前の光景が信じられなかった。

 何かの間違いだ、と何度も何度も目を擦ってみるが瞼がひりひりするだけで目の前の光景は変わらない。

 

「……私は夢を見ているのか」

 

 死後の世界を信じているわけではないが、目の前の光景が現実なら、よほど死後の世界云々の方が信じるに値する事のように今の提督には思えた。

 

「おう嬢ちゃんどうした? なんだウチの店のたい焼きが食いてえのか? 仕方ねえなあほらよ」

 

 場所は下町の商店街の一角、表通りの東側に位置する入口のすぐ近く。一週間越しの休日に、提督は日々の細かい生活用品などを買うため町に出向いてきていた訳だが。

 熱した鉄板からクリームのいい匂いを漂わせているたい焼き屋、そこの店の店主であろう、気のいい四十代ぐらいの男性が先程からたい焼きを見つめる一人の少女へと熱々のそれを手渡す。

 まるで海の底からやってきたような真っ白な肌と髪、どこまでも深く沈んでいきそうな赤い瞳をしたその少女へ。

 

「出来立てで熱いから気をつけろよ」

 

 店主の気遣いと共に、ぱあっと嬉しそうにそれを受け取った白髪の少女とふいに目があった。

 

「…………ポ!」

「……ぬう」

 

 そこには、見覚えのない深海棲艦であろう少女が、たい焼き片手になぜかこちらに向けて手を振っていた。

 

 

 

 数分後、まるで断食一週間目の修行僧のような険しい表情をした提督がそこにいた。

 その提督が腰掛けている商店街の外れのベンチの隣では例の少女が、一心不乱に熱々のたい焼きを頬張っては歓喜の声を上げている。

 というのも、

 

『おお、アンタは鎮守府の! この子あんたのとこの子だろ? あんまりウチのたい焼きを見る目が輝いてたもんでついやっちまったけどいいよな? よせやい礼なんて! ほらちゃんと手繋いでやんねえとまた迷子になっちまうぞ』

 

 という半ば強引なたい焼き屋の店主の言葉と、周りの好奇の視線に成す術も無く、致し方なく少女を引き取る形になってしまったというわけである。

 つまり、あそこにいた人々は目の前の少女を鎮守府配属の艦娘だと思っていたのだ。

 故に、あの場面で『私とは関係ありません』と言えるほど提督の精神は鋼でも強靭でもなかった上、純粋な瞳で手を差し出してくる隣の少女を無視できるほど度胸のある人間でもなかった。

 ほかほかのたい焼きが入った紙袋の熱を感じながら、提督は一人考え込む。

 

(なによりも、彼女がもし本当に深海棲艦で交戦の意思があった場合、人気が一番多い商店街の入り口に一人残しておくのはあまりにも危険すぎる)

 

 そこまで考えて、提督はいやと被りを振る。

 もし、本当にその意思があったのならば自分が到着する前に事は起きていただろうし、例え鎮守府狙いだったとしても、提督である自分が今現在も無事であることが疑惑の否定を表している。その気があったら出会った瞬間問答無用で撃たれていた筈だ。

 そのまま思考の渦に呑み込まれそうになる提督の耳に突如、隣から慌てたような声音が聞こえてくる。

 

「ウワア! アツイアツイ!」

「む、大丈夫かね? これで零れたクリームを拭きたまえ」

 

 見ると、たい焼きの尻尾側から零れた熱々のクリームが少女の両手と太もも辺りを襲っていた。

 その熱さにあたふたする少女へハンカチを手渡しながら、頬にもついたクリームをティッシュで拭き取っていく。

 

「ハァー……アツカッタ……タイヤキハウマイケドキケンダナ」

「たい焼きを食べたのは初めてか?」

「ウン。アンナウマイモノガコノヨニアルナンテ」

「まだいくつか残ってるが、食べるか?」

「イイノカ!?」

「ああ、折角だ。餡子と食べ比べてみたまえ」

「アンコ! ヨクワカラナイケド、イイヒビキダ!」

 

 両手をぶんぶん振りながら瞳を輝かせる少女に紙袋から取り出した餡子入りのたい焼きを手渡す。

 まだほかほかと湯気を放つそれを、懸命にふーふーしながら夢中で食べる少女、その様子を眺めつつ提督は心の中にあった予想を確信へとシフトさせていく。

 

 ――敵意はない。

 

 あくまで目の前の少女限定の話ではあるが。

 少なくともこの白き少女からは、普通映像からでも伝わる他の深海棲艦の敵意や憎悪といった類の物が全く感じられない。

 もちろん百パーセントではないが、何年も前線で戦い続けてきた提督にとって自己のその感覚は現状、何よりも信頼に値するもののように思えてならなかった。

 

「君の名前は何と言うのだ?」

「ホッポ! ホッポ!」

「ほっぽか。君に合った良い名だな」

 

 気が付けば提督はほっぽと名乗る少女の髪を撫でていた。

 そのままたい焼きを食べていた手を止め、気持ちよさそうに目を細めるほっぽの様子に鎮守府の仲間達を思い出す。

 そんな提督に、ほっぽが同様の質問を投げかける。

 

「私か? そうだな……私はここから西にある鎮守府の提督だよ」

「テートク……テートク!」

「ほら、また餡子が零れてるぞ」

「ン、テートクハイイヤツダナ!」

「そうか」

 

 たい焼きを全て食べ終えたほっぽは満足そうにむふーと自分の右手でお腹の辺りを擦っている。

 またもや口元にべったりとついている餡子を拭いてあげながら、提督は努めて穏やかな口調でほっぽに質問を投げかける。

 

「ほっぽはどこから来たんだ?」

「アッチノズットムコウノウミカラキタ」

「やはり海から、しかも北方海域の方角か……ふむ、一人で来たのかね?」

「ウウン、コウワンネーチャントイッショ」

「その人と二人で来たのか?」

「ウン! ホッポハイツモコウワンネーチャンとイッショ!」

「仲が良いのだな」

 

 ほっぽの話に相槌を打ちながら、提督は同時に頭の中で思考を巡らす。

 海という表現と容姿から推測しても、やはり彼女は深海棲艦で間違いはない。普通ならここで大本営に連絡を入れ然るべき手を打ってもらうのが妥当な判断なのであろうが、今の提督の頭には、ある一つの大本営からの報告が浮かんでおり、それが連絡用機器へ手を伸ばすのを拒んでいた。

 数週間前に通達された北方海域調査の最新の伝文の片隅に載っていたその報告。

 それが――

 

『艤装を持たず、戦うことをしない深海棲艦が存在する』

 

 ――という一文。

 おそらく大本営自身眉唾ものと考えていたのであろうその片隅の表記に、それでも提督は何か言いようのないものを感じたのを覚えている。

 だからだろうか、もう少し目の前の少女と話してみようと思えたのは。

 

「その人はどんな人なんだ?」

「エト……オッパイガデカクテメツキガワルイ! デモヤサシクテ……オッパイガデカイ!」

「そ、そうか」

 

 なんだか印象に残っている部分に偏りが感じられるが、提督はとりあえず話を進めてみることにする。

 

「そのコウワンネーチャンとは一緒じゃないのか?」

「コウワンネーチャン、ホッポニスナハマデアソンデロッテイッテカイモノイッタ」

「買い物? ここの町でか?」

「ソウ! キョウハカレーノヒ! カレーハタイヤキトオナジクライウマイカラタノシミ!」

「……驚いたな」

 

 ほっぽの口ぶりから察するに二人は町と言うものを経験することが初めてではないようで、それだけでも驚きなのに、コウワンネーチャンとやらは普通にこの町でカレーの具材を購入しているようだ。

 深海棲艦もカレーを食べるのだな、などと提督は混乱する頭を整理しつつ、一つ気になったことを口にする。

 

「む? では、なぜほっぽはたい焼き屋の前にいたのだ?」

「スナハマデアソンデタラ、キュウニイイニオイガシタカラ」

「したから?」

「キガツイタラアソコニイタ……フシギ」

「それは不思議だな」

「ソレモゼンブタイヤキノイイニオイガワルイ! ホッポナニモワルクナイ!」

「ふむ、だがそうなるとコウワンネーチャンはほっぽが砂浜にいないから今頃困ってるんじゃないのか?」

「…………ハッ!?」

 

 提督の何気ない指摘にほっぽはぴたっと動きを止めたかと思うと、次の瞬間にはぶるぶると震えながら冷や汗らしきものをダラダラと流し始る。

 そのまま水に映った月のように揺れる瞳を提督に向け、

 

「……ドウスルテートク……ホッポハドウシタライイ?」

「むう、今からでも砂浜に向かうのが一番だと思うが」

「コウワンネーチャンハオコルトコワイ……イマカエレバオコラレナイ?」

「……怒られるかもしれんな」

「イ、イヤダ! テートクタスケテ!」

 

 ばふっと自分のお腹辺りに顔を埋めながら助けを求めてくるほっぽを宥めながら、提督はどうしたものかと頭を悩ませていた。

 こういう時に赤城や鳳翔がいてくれたらと、無意味な望みを心に馳せてみるが当然隣には誰もいない。

 提督は左腕に嵌めた時計に目をやり、ふうと溜息を一つ。

 

「ほっぽはコウワンネーチャンの事が好きか?」

「ウン……デモオコルトコワイ」

「そうだな。でもそれ以上にコウワンネーチャンは今、ほっぽがいなくて心配してると思うぞ」

「……ホント?」

「ああ、だから勇気を出して戻ってみないか。そこでコウワンネーチャンが怒っていたら二人で謝ろう」

「イイノ!?」

「うむ、約束しよう」

 

 危険はある。だが、それは今ここでほっぽと別れたとしても同じことで、むしろ彼女たちの存在が曖昧なままで終わってしまうためそっちの方がより危険だ。

 それになにより、提督自身が確かめたいと感じていた。本当に戦意のない深海棲艦がいるのかどうか、その事実を。

 

「ジャアセントウハテートクニマカセタ!」

「いいのか? もしかしたら後ろからコウワンネーチャンがやってくるかもしれないが」

「ダ、ダメダ! ソレハキケンスギル! テ! テ、ツナイデ!」

「むう」

 

 目的も決まったところでベンチから腰を上げ、一言一言にころころと表情を変えるほっぽと手を繋ぐ。遠くに見える時計台の針は午後一時を指そうとしていた。

 そのほっぽの手の温かさに心の中で少し驚きながら、提督は彼女の歩幅に合わせるようにゆっくりと歩き出す。

 

「テートクハイイヤツダケド、コーワンネーチャンノコワサニカテルカ?」

「それはどうだろうな」

「テートクガマケタラホッポハオコラレルシカ……テートクガンバレ!」

「むう、ほっぽは一緒に頑張ってはくれないのか?」

「ム、ムムム……ガ、ガンバル! ホッポモガンバルカラ!」

 

 うおーと迫力よりも愛嬌が溢れる仕草でふんすと気合を入れるほっぽ、それでも瞳は少し不安げに揺れている。

 その様子を穏やかな足取りと共に眺めながら提督は、

 

「それならお土産にたい焼きでも買っていくか」

「タイヤキ!? イイゾ! ソレハスゴクイイカンガエダ! ソレナラコウワンネーチャンモキットオコラナイ!」

「……涎が垂れているのだが」

「タイヤキハシカタナイ! アレダケウマカッタラヨダレモデル!」

「そうなのか」

「ナニヤッテルテートク! ハヤクタイヤキヲカイニイクゾ!」

「う、腕を引っ張るのは止めたまえ」

 

 なんだか提案の方法を間違えた気もするが、と提督は考え込みそうになるがすぐに『まあいい』と改める。

 そのまま無邪気にぐいぐいと腕を引っ張ってくるほっぽに連れられるように、提督は商店街の中心へと歩を進めていく。

 遠くからは午後一時を知らせる鐘の音が間延びするように響いていた。

 




 と言う訳でほっぽちゃん登場。
 片仮名ばかりで読みにくかったらすいません。でもやっぱりこれが一番しっくりくるような気がします。

※前回の活動報告への返答は一週間程度を目途にと考えております。
 まだ目を通されていない方は、一度そちらも覗いていただけると幸いです。

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