口下手提督と艦娘の日常   作:@秋風

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 ある意味妖精さん回。


第三十三話 夏の慰安旅行 其の三

 

 人は自己が経験したことのない出来事にいきなり直面したとき、咄嗟にどのような思考に陥るのか、一度振り返ってみてほしい。

 碌に頭が回らなかったと答える人もいれば、頭の中が真っ白になったと答える人もいるだろう。もしかしたら思考そのものを放棄して、成り行きに身を委ねた強者もいたかもしれない。

 中には冷静に対処できたキレ者も存在するかもしれないが、それはほんの数パーセントの割合でしかない、所謂『偶然』の要素が強い例外と言ってしまっていい。

 結局何が言いたいのかというと、それぞれに微妙なニュアンスの違いはあれど、共通していることは一つだけ。

 

 まず間違いなく、そういった場面で人は『正常な思考回路ではなくなる』ということだ。

 

 

 

 燦々と降り注ぐ夏の太陽光を避けるように移動した、ドーム状の休憩用テントの中で神通は静かに自分の髪を結っていた。

 サンオイルを塗るために首筋や肩を露出させる必要があり、その事前準備ではあるが、チラチラと見え隠れするそれらと元々の肌質の良さからか、やけに艶めかしい。

 即興で作成したタオルカーテンの向こう側には提督がいると思うとやはり落ち着かないのか。

 じわりと汗が滲み出てくるのは室内の暑さだけが原因ではなさそうだ。

 

『わ、私にサンオイルを塗ってくださいませんか!?』

 

「あうう」

 

 数分前に自分が発した言葉を思い返してか、神通は一人顔を両手で覆ってしまう。今はアップにまとめられている絹のような黒髪の間から覗く耳は熟れたトマトのように真っ赤に染まっている。

 

「いくら提督とお話ができる機会が欲しいからって……私はなんてお願いを」

 

 改めて考えてみても、大胆すぎたのではないか。

 火照る顔を手で仰ぎながら、髪を束ねるのを手伝ってくれていた妖精さんにどうだったか聞いてみたら、ニヤニヤした表情で親指を立てられた。

 からかわれてますねとお返しにお腹をつついてみるも、けらけらと笑いながらじゃれついてくるだけで効果は薄い。

 もうっと頬を少しだけ膨らませながらも、神通はそれでも喜びを隠しきれず表情を緩ませる。

 

「でも……断られませんでした」

 

 神通という少女は控えめに見ても、大人しい性格の艦娘だ。個性的な仲間が集うこの鎮守府で、時には埋もれてしまうこともあるだろう。

 それでも神通は自分の性格を嫌いだと思った事はなかったし、後悔した事もなかった。

 ただ少しだけ、日頃から提督と楽しそうに談笑できる姉の川内や妹の那珂の積極性が羨ましかった。

 

 だから少しだけ勇気を出してみよう。

 海に着いたら、一番に提督に声を掛けてみよう。

 

 あの提督のことだ、きっと断られるだろう。神通にとってはむしろそれで良かった。断られた後に少しだけ提督と話ができればそれで十分。

 人間、駄目だと理解しながらの行動の方が一歩を踏み出しやすい時もある。

 数日前に那珂と一緒に見た雑誌に加え、夏の日差しとハイビスカスの水着が彼女の背を押した。

 

 だからこそ、神通は提督に首を縦に振られた時には盛大に焦った。

 想定していなかった事態に思わず『ふあ』と声なのか息なのかよくわからない反応をしてしまったものだ。

 一連の流れを固唾を飲んで見守っていた周囲の視線が、なにかよくない方向へと変化していくのをなんとなく背中で感じ、妙な危機感すら生まれた。

 そんな場の空気に耐えられず、そのまま始球式のボールをホームランした提督の手を引きながらテントへと駆け込ませたのも自分。

 改めて振り返ってみても大胆どころの話ではない。

 

「…………」

「じんつうさんのひゃくめんそう、おもしろかったですはい」

 

 今日何度目かの蒸気を上げる神通の膝の上では妖精さんが、実に満足そうな表情でチョコレートを頬張っていた。

 

 一方その頃、カーテンの向こう側で提督は何をしていたのかというと――

 

「いいですかていとくさん、まずさんおいるはひやけどめとはすこしちがいますです」

「む? そうなのか?」

 

 ――なぜか妖精さん主催のサンオイル講座に真面目な顔で参加していた。

 実にシュールな光景ではあるが、一応理由はある。

 確かに男である提督にとってサンオイルや日焼け止めなどという商品に詳しくなかったことは仕方のないことと言ってしまっていい。

 頼まれたからには最善の努力を、と足りない知識を補うため、神通が準備している間に誰かにサンオイルについて教えてもらおうと行動したことも理解できる。

 しかしここで他の女性である鎮守府の仲間たちに、それを聞いてしまうのはマナー違反かと踏み止まったことも大いに評価しよう。

 問題は残った選択肢が妖精さんしか思い浮かばなかったことか。どうやら表情には出ていないが、提督は提督でいっぱいいっぱいだったらしい。

 

「さんおいるははだをきれいにやきたいひとがつかいますです」

「日焼けを防止するのが日焼け止め、皮膚へのダメージを抑えて、綺麗に焼きたい人が使用するのがサンオイルということか」

「さすがていとくさんです。りかいがはやいです」

「君たちの説明が上手いからだよ」

「おなじことをせんだいさんにせつめいするのにいっしゅうかんかかりましたです」

「……そうか」

 

 そんなこんなで、一見判断ミスのように思えた妖精さん講座ではあったが、提督にとって嬉しいことに彼女たちはなぜか非常に詳しかった。

 他の鎮守府ではどうかわからないが、ここの妖精さんは非常に好奇心旺盛で提督とも艦娘とも非常に親しい関係を築いている。

 駆逐艦の少女たちと一緒に町に買い物に行き、酒が好きな艦娘と一杯やり、提督と艦隊版チェスに興じるなど趣味嗜好も幅広い。この前など夕張と共に夜な夜な深夜アニメ鑑賞会を開いていたというのだから驚きだ。

 サンオイルについてもきっと雑誌やテレビから情報を得たのだろう、説明前にもぞもぞと取り出して装着した付け髭と指揮棒がどこか自慢げだ。

 

「じんつうさんははだがしろいですから、ぬりもれがあるとあとでひりひりしますです」

「むう、それは責任重大だな」

「ていとくさんにもさんおいるぬるですか?」

「私が日焼けしても仕方ないだろうし、遠慮しておこう」

「ぜつぼうだー」

「このよのおわりですか」

「もはやこれまで」

「むねん」

「……よろしく頼む」

『よーそろー!』

 

 自分の一言一言に身体全体で反応する妖精さんたちに、提督は振り回されながらお礼もかねてチョコレートを配る。

 本人たちはそれを『ありがたやー』と神の恵みのように大袈裟に感謝しながら、嬉しそうにもごもごと口一杯に頬張っていく。

 どこか小動物を思わせる目の前の光景に、後でもう少しチョコレートを買っておこうと提督の思考が移ろぎかけたところで、室内を区切っていたカーテンが控えめに開けられた。

 

「提督、お待たせ致しました」

「じゅんびばんたんです」

 

 現れたのは勿論神通と妖精さんだ。

 普段とは違い、丁寧にアップで纏められた髪形とハイビスカスの水着姿が新鮮で、提督の鼓動が少しだけ早くなる。

 綺麗な肌は言わずもがな、首筋から鎖骨のラインにかけての絶妙な黄金比は世の男性を魅了するには十分な艶やかさを醸し出していた。事、肌の艶と綺麗さで言えば、神通は艦娘の中でもトップクラスの水準を誇っている。

 勘違いされやすいが、鋼の理性を持っているだけで提督とて立派な男である。このような場面で何も感じない程、淡白な人間では決してない。

 

「あ、あの、なにかおかしなところがありますか?」

「いやすまない。なんでもない」

 

 ここでさらっとで褒め言葉の一つでも出てくるのがデキる男の嗜みなのだろうが、そんなものはこの男に期待するだけ無駄である。

 他人に促されての褒め言葉ならいざ知らず、自ら切り込んでいくのはまだまだハードルが高いらしい。

 周りで『いけやれ押し倒せ』と興奮気味に騒いでいた妖精さんにチョコレートで口封じを計りながら、提督は予め引いておいたベンチ用のマットへ神通を誘導する。

 

「あまり上等なマットではないから、少し居心地が悪いかもしれないが」

「い、いえそんな……こんなものまで準備して頂いてありがとうございます」

 

 ぱんぱんと敷かれたマットの最終確認を行っている提督に神通はなんとか感謝の言葉を紡いでいる。どれだけ緊張を隠そうとしても、胸の動悸が抑えられない。たぶん、顔も赤いままだ。

 カチッという音が響いた。

 提督が振り返った先には、水着のホックを外し、手で支えただけの神通がそこにいた。

 

「ぶらぼー」

「ないすばでぃ」

「か、からかわないでください!」

「そんなじんつうさんにていとくさんからひとことどうぞです」

「ぬぬ……私としてはとても綺麗だ……と思ったが」

「あの、その……あのっ……顔が火照ってしまいます」

 

 妖精さんの介入で怪しくなってきた雰囲気を断ち切るように、提督は神通をうつ伏せに寝るよう指示を出す。

 よく考えればサンオイルを塗るだけなのに、なぜこうもギクシャクしてしまうのか。マットの横では妖精さんがどこからともなく機材を用意して穏やかな音楽を流してくれている。

 自分たちをリラックスさせるための妖精さんの配慮に感謝しつつ、提督は今一度気を引き締める。

 塗り手である自分が動揺していては神通もリラックスできないのだ、と自分に言い聞かせながら小瓶からサンオイルを適量垂らし、手の平に馴染ませる。

 

「不快だったらすぐに言ってくれ」

「だ、大丈夫です。よろしくお願いします」

「ではいくぞ」

「は、はい。来てください」

 

 提督の視界が神通の白い肌で埋まる。

 イメージだ。川を流れる葉のごとく柔らかなタッチを意識しろ。なればきっと神通に妙な感覚を与えることもない筈だ。

 まるで自分がアロマセラピストにでもなったような面持ちで提督はゆっくりと、それでいて静かに白い柔肌へと手の平を滑らせる。

 

「んっ……!」

 

 とんでもなく艶めかしい声が神通の口から漏れた。

 予想以上に過敏に反応してしまったことと、とんでもない声を発してしまった自分が恥ずかしすぎたのか、神通は近くにおいてあった枕へ顔を完全に埋めてしまっている。

 ここに青葉がいなくて本当に良かったと神通は心の底から安堵した。

 同時に提督の手がびくっと止まり、表情が見る見るうちに変化していく。最終的に金剛力士像並に厳つく変化したところで、思わず妖精さんが開いた口にチョコレートを放り投げた。

 

「す、すいません、なんでもないですので……気にせず続けて下さい」

「う、うむ」

 

 この状況で気にするなとは、流石は花の二水戦、第二水雷戦隊を最も長く率いたとされる彼女の精神力は並ではない。

 加えて、この空間で一番興奮してもれなく全身を赤く染めているのが妖精さん達なのだからもうどうしようもない。

 口に入ったチョコレートを舐め溶かしながら、提督は今度こそとサンオイルを手の平に垂らしていく。

 

 その後、同じような展開を五回ほど繰り返しながら、二人と妖精さんたちによるサンオイル実践講座は実に慌ただしく進んでいった。

 

 

 

 同時刻、テントの外では――

 

「妖精さんお願い! ちょっとだけ! ちょっとだけでいいから那珂ちゃんに覗かせて! お願い!」

「おことわりです」

「那珂は駄目でもいいからこの川内にちょっとだけ、ね?」

「川内ちゃんなにそれどういう意味!?」

「どっちもだめですはい」

 

 ――数人の艦娘が出歯亀行為を行おうと群がっていた。

 テントの周りでは提督の指示で『一応神通のために』と怪しげな人物が入ってこない様、前もって見張りを頼んでいた妖精さんが隊列を組んで堅守を見せている。

 別に仲間ならいいのではと思わなくもないが、今の彼女たちは若干瞳が据わっており、行動も怪しげなため妖精さんに不審者認定を受けて覗かせてもらえない。

 丁度今、金剛の突撃を妖精さんがスクラムを組んで止めている。

 

「クッ! 見た目はお饅頭みたいに柔らかそうナノニ! どこからそんなパワーが出てくるデスカ!?」

「ていとくさんのしじはしんでもはたすのがわれわれのしめい」

「そのためならひのなかみずのなか」

「こうしょうできたえたこのちから、いまこそはっきすべきとき」

 

 金剛の呻きに対応するように妖精さんバリケードがゆらゆらと揺れている。想像以上の堅守ぶりに出歯亀娘達も思わず苦戦を強いられているようだ。

 折角旅行に来ていると言うのに、海にも入らずテントの周りで右往左往する彼女たちを他の休暇中の人々が不思議そうに眺めては去っていく。

 後日変な噂が流れてしまいそうな行為だというのに、諦める気配は微塵もない。

 

「加賀サン! 何か手はないですカ!?」

「任せなさい」

 

 静かに惚れ惚れする様な流麗な仕草で、加賀が非常に残念な思考の元、彩雲を発艦させようと弓を捻る。

 彼女たちはいったい何と戦っているのか。疑問点は多々あるが、悲しいことに加賀と金剛の表情は既に勝ち誇っていた。

 艦載機ではるか上空からテントの中の索敵を行えば、流石に防がれないだろう。

 無駄に無駄を重ねた加賀の熟考に、遠巻きに様子を窺っていた『強引にはなれないが気にはなる』出歯亀予備軍の少女達の期待も高まる。

 不敵に『やりました』と盛大にフラグを立てながら、万感の想いで放った加賀の彩雲は主人の気持ちに応えるようにぐんぐんと上昇――せず、目の前にボテリと落下した。

 

「…………」

「…………」

 

 死んだ魚のような目をしたまま落ちたソレを眺めていた加賀はそこで初めて一つの事に気が付いた。

 彩雲にパイロットが乗っていない。

 嫌な予感がして、加賀がちらりと視線をテントの前へと移し、そこに映る光景を見て思わずがくっと膝から崩れ落ちる。

 しっかりと交ざっていた、バリケードに。加賀の相棒である彩雲のパイロットの妖精さんが実に楽しそうに。

 

「私に任せて下さい」

 

 失意の底に沈む加賀の前に一人の人影が映りこむ。

 綺麗に束ねられた長髪を靡かせるその女性は、なぜか水着の上からエプロンを装着していた。

 間宮である。

 意外ではない。普段は大人のお姉さんのように思われがちだが、彼女の積極性は時に提督を困惑の檻へと誘ってしまう程にはアグレッシブなのだ。

 今のその姿もきっと提督のニッチな趣味嗜好(あるかどうかはおいといて)をどうにか探るために準備したものであろう、エプロンの下から見え隠れする肌色から推測してもかなりきわどい水着で間違いない。

 後ろでは伊良湖が必死にエプロンの裾で身体を隠そうと涙目になっていた。

 

「妖精さん、どうしても覗かせてはもらえませんか?」

「まみやさんのたのみといえど、ここはゆずれないです」

「そうですか。なら覗くとはいいません。中の音だけ聞かせてはもらえませんか?」

 

 言いながら間宮は肩にかけていたクーラーボックスのようなものから何かを取り出して妖精さんに差し出す。

 

「これ、今月の新作のデザートの試作品で、チョコレートとバニラとイチゴのアイスなんですよ」

「おお」

「なんたるかがやき」

「これをくれるですか?」 

「それは妖精さんたちの返答次第といったところですね」

 

 黒い。真っ黒だ。妖艶に微笑む間宮に伊良湖がジト目を送っている。このために暑い中、急いでアイスを準備したのかと。

 突然の買収劇に周囲の艦娘もごくりと唾を飲み込んでいる。流石は鎮守府の胃袋管理者、発想が尋常ではない。

 だが、先程まで戦艦の突撃にも屈しなかった妖精さんがこれしきのことで折れるのだろうか。

 一瞬だけ行われた会議の末、妖精さんは凛々しい表情で、

 

「おとだけならゆるすです」

 

 あっさりと買収された。口元からは涎が垂れている。

 提督と妖精さんの鉄のような信頼関係も間宮アイスの前では成す術も無く敗れ去ってしまった。提督が聞いたら落ち込んでしまうかもしれない。

 一斉にアイスへと群がる妖精さんバリケードを抜けて、栄光への架け橋へと金剛たちが雪崩込み、一瞬でテントの周りが少女で覆い尽くされていく。

 いつに間にか、駆逐艦の少女達も交じっている。思春期真っ只中の彼女たちにとっては気になって仕方がないのだ。

 一体中で提督と神通は何をやっているのか。そのベールが脱ぎ捨てられるときがついにやってきた。

 祈るような表情で数十人の耳がテントへと近づいて、やがて触れた。

 

 穏やかな音楽に続いて、断片的な声が聞こえてくる。

 

『……とても綺麗だ』

『……顔が火照ってしまいます』

『……いくぞ』

『……来てください』

『んっ……!』

 

 数分後、大和が寝ている救護施設に数十人の艦娘が運ばれた。

 状況説明を聞いた医師はどこか遠い目を窓の外に向けて一言『夏ですな』と呟いていた。

 ちなみに神通はテントから出た後、取り囲まれて根掘り葉掘り質問タイムに一時間は費やした。

 

 夏の日差しを浴びながら、それでもその表情はどこか嬉しそうで、満足そうに見えた。

 




 夏が終わる(絶望
 そして話は終わらない(遠い目

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