口下手提督と艦娘の日常   作:@秋風

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第三十九話 閑話其の一 天龍と龍田

 

 規則的な動きを繰り返す水面に突如として水柱が立ち昇る。

 予期していなかった轟音に、やや乱れた陣形を崩させまいと駆逐艦の少女達がお互いに檄を飛ばし合う。が、怒声と揶揄しても遜色ない程度の声量全てが、新たな砲撃の衝撃波にかき消される。幾本もの突き出した岩礁を縫うように、水面を駆ける少女達の表情に余裕の色は一切無い。

 

 演習。

 彼女達が現在行っている訓練は基本的にそう呼ばれている。文字通り実践を模した訓練であり、其れ自体はどこの鎮守府でも行われている基本鍛錬の一つだ。しかし”基本”と言えど、軍の鍛錬である事に違いは無い。

 幾ら爆薬が使われていない演習弾とは言え、実践を想定して開発された物である。圧力によって破裂する仕組みに設計されている着弾時の衝撃波と轟音は、慣れていない者ならば失神しても可笑しくはない程度には高威力だ。当然当たった時の痛みも"痛い”では済まされない。

 一発一発に明確な敵意が込められた砲撃の流星弾雨。常人ならばまず絶望を、百戦錬磨の先人達でさえ眉を顰める目の前の状況に、天龍型軽巡洋艦一番艦、天龍は一人笑みを浮かべていた。

 

「二人同時に相手は難しいと悟って、定石通り標的を俺一人に切り替えたか。ハッ! ちゃんと前回の反省が活かされてるじゃねえか!」

 

 瞬時に身を屈め、先頭の砲撃を避ける。そのまま横に跳ね、岩礁を身代りにしながら、天龍は嬉しそうに口角を釣り上げチャームポイントの八重歯を光らせる。龍田ならば写真に残し、額に入れ、自室の壁に飾るぐらい良い表情ではあるが、残念ながら、別に天龍は自身が的にされて歓喜するドMでも、激しい争いに興奮する戦闘狂でもない。

 天龍の胸中にあったのは親心に近い何か。この五ヵ月もの間、寝食を共にし、自分と龍田を信じてここまで歯を食いしばって地獄ともとれる訓練を乗り越えてきた目の前の少女達。初日、あまりに過酷な訓練内容に涙を零し、嗚咽していた少女達が今、決意を秘めた瞳で、自らの意志で水面を駆けている。

 過去、自身の鎮守府で同じ道を辿ってきた”先輩”として”一人の艦娘”として、天龍は少女達の成長に笑みを隠せなかった。

 

「分かってるって龍田。だからそんな目でこっち見るんじゃねえよ」

 

 少し離れた所で円を描くように滑走しながら、龍田が視線だけをこちらに向けていた。相変わらず踊るように砲撃を避けつつ、薙刀で華麗に砲弾をいなす姿に天龍はやれやれと溜息を一つ。姉妹でどうしてこうも華やかさに差が出るのか。近接戦ウェルカムの天龍ではあるが、あそこまで流麗に砲撃をかわされると流石に思うところがあるらしい。

 距離が開いている上に、砲撃の着弾音でお互いの声は届かない。それでも龍田と視線が重なった瞬間、相手の言わんとしている事が理解できたのは二人の関係性故か。

 

『気持ちは分かるけど情に流されちゃ駄目よ~、天龍ちゃん』

 

 二対六。編成人数から鑑みても圧倒的不利な筈の現状況下。それでいてなお、龍田は情に脆い天龍が少女達に華を持たせる可能性に先んじて釘を刺した。要は手を抜いて負けてやるかもしれない、という危惧に対して、だ。

 何も知らない者が聞けば嘲笑に伏すであろう龍田の懸念。だが、其れは人数的優劣の外側に位置する要因を考慮していない者の、底の浅い思考に他ならない。

 

 ここは口下手で無骨な提督が率いる鎮守府でもなければ、彼の信頼に応えるために破竹の勢いで海域を進撃する見慣れた仲間達のいる場所でもない。

 在るのは未だ海風に晒されて老朽化していない新設の鎮守府に、最近やっと安定して正面海域をパトロールできるようになった眼前の艦娘の少女達。加えて、彼女達のために日々執務をこなし、夜遅くまで艦隊指揮の指南書を読み込む新人女性提督が一人だけだ。

 彼の提督の元に着任してから、幾度の大規模戦闘に身を投じてきた二人からすれば、現在の数的不利など些細な問題にも当てはまらない。それほどまでの差が、両艦隊の間に確として存在していた。

 

「お前達は努力してるよ。五ヵ月の間ずっと訓練教官をやってる俺が言うんだ。それは間違いねえ」

 

 これがスポーツならば、彼女達の努力に実を結ばせるのが指導する者の役目だろう。しかし、時として理不尽に、時として容赦なく全てを奪い去っていく最前線の脅威を経験している天龍の手は緩まない。

 なおも続く砲弾の雨に、そろそろ決着を付けに来ている感覚を肌で感じた天龍は、ふと昔、自身の訓練教官であった榛名に言われた言葉を思い出して、笑った。

 

『勝つことに執着するのは構いません。ですが私達の戦いは”護るべき”戦いであることを忘れないで下さい。勝ち戦の時には見えない本当に護るべきものは、敗戦濃厚時にこそ色濃く鮮明に映し出されます』

 

 

 ”天龍さんにも護りたい大切な何かがあるでしょう?”

 

 

 勝利は求められるもので、勝とうという想いは大切な資質だ。だが、時としてそれは本当に大切な何かを見失わせる。ここは発足してから半年足らずの若い鎮守府だが、艦娘は提督を深く信頼し始め、提督は艦娘に対して常に真摯であろうとしている。

 なればこその龍田の懸念。人は勝ち鬨を上げた時に隙が生まれ、経験が浅いほど後々に影響する。

 しかし何より――

 

 身体に纏う艤装の感覚に意識を集中させ、天龍は下半身に力を込めたまま不敵な表情で呟いた。

 

「お前達が本当に護りたいものは、こんなちっぽけな勝利じゃねえだろう?」

 

 同時に、一際大きな水柱が水面を駆け昇り、少し遅れて演習の終了を示すフラッグが上がる。演習時間、一時間と二十一分。

 其れは今までの演習で一際長く、駆逐艦の少女達が水面を駆けた何よりの証であった。

 

 

 

 

 

「今日もお疲れ様~、天龍ちゃん」

「おう。龍田もな」

 

 龍田から手渡されるタオルで乱雑に濡れた髪を掻きあげながら、天龍と龍田の二人は司令室に向かう廊下を歩いていた。シャワーを浴びた後なので水気が残るのは仕方ないが、髪の手入れまで完璧の龍田に比べて、上着を腰に巻き付けてインナー一枚、加えて生乾きの髪のままズカズカと歩く天龍の姿はまるで風呂上りのおっさんそのものである。

 ちなみに演習に参加していた駆逐艦の少女達は今頃、湯船の中で泥のようにぐったりとしている頃だろう。反省会と称しての湯浴みではあるが、重度の疲労で、最早その体を成していないのは言うまでもない。

 

「にしても、天海提督も律儀だよな。指導教官として派遣されてる俺達に日頃の礼がしたいからって、そうほいほいと他の鎮守府の奴を執務室に招くかね」

「そう~? 私はそれも含めてあの提督らしいと思うけどな~」

 

 天海とは、ここの鎮守府の提督の名だ。女性らしい包容力と落ち着いた雰囲気に満ちており、同時に艦娘に対しての理解と真摯な想いを持っている優秀な人物とは、彼女を提督に押した元上司の言葉だ。

 だが、元々人手が足らず、かと言って新人提督に新人艦娘だけでは流石に不安が残ると言う事で、半年の艦娘派遣要請を受けたのが創眞提督の鎮守府であり、彼が天龍と龍田の二人を推薦し、現在に至る。

 

「それに天海提督とウチの提督、どことなく纏う空気が似てる気がするのよね~」

「確かに二人とも超が付くほどのお人好しだからな……」

 

 頭に浮かぶ二人の提督の顔に天龍は若干呆れた表情で視線を動かした。片や笑顔が苦手で口下手なお人好し、片やいつも微笑みを崩さない、心配性なお人好し。大半の人が想像する軍人像とは正反対にあるといってもいい二人の人柄だが、天龍と龍田の表情に不満の色は露程も見えない。

 

「まあ身内贔屓を差し引いても、俺達もあいつらも提督には恵まれてんだろ。それこそ、これ以上は無いって確信できるほどにはな」

「それはそうね~」

 

 尤も、彼に関して言うなれば、もう少しこちらにグイグイ攻めてくる程度のフランクさは見せてほしいものだが、周囲では勘違いした提督が艦娘に対して不埒な行為をしでかす案件が急増しているだけに、逆に守りを固めているのだから頭が痛い。

 一度、提督が入浴中、順番にタオル一枚で突撃してしまおう案の可否が大ホールで行われ(勿論提督は知らない)ギリギリ理性を保った半数の艦娘のおかげで否決となった事を思い出し、いっそのこと賛成しとけばよかったか、などと今更ながらに天龍が思い直す辺り、提督の堅物も相当だ。

 

「提督と言えば、今頃皆は海で楽しめてるかしら~」

「あの面子で楽しめない訳ないだろ。どうせ今頃、提督に構ってほしい連中が問題の一つや二つ起こしてるんじゃねえか?」

「そうかもね~。でも意外だったな~、天龍ちゃんから海に行くのを辞退するなんて」

「いや、行きたくない訳じゃなかったけどよ。アイツラにとっても大事な時期だったし、それに――」

 

 ――今回、俺は何もしてねえからな。

 怠惰、懶惰、横着、懈怠。この鎮守府に其の類が一つでもあったなら天龍は迷わず海を選んだ。誠意には誠意を、想いには想いを以て応えるのが天龍の在り方だ。故に彼女がここに残っている事実が何を示すのか、自ずと、この鎮守府の在り方も見えてくる。

 其れとは別に、また理由もある。

 

「今回の派遣任務が半年間、提督の鎮守府の働きが評価された期間とほぼ一致してるもんね~」

 

 つまりはそういう事だ。

 龍田の指摘に天龍がフンッと鼻を鳴らす。まるで我が家が自分達が不在でも順風満帆な事が気に食わないとでも言いたげに、見事なしかめっ面である。

 

「だったら俺が海に行くのはなんか違うんじゃねえかって思っちまってさ」

「天龍ちゃん何かカッコいい~」

「だろ?」

「でも、提督は私達が参加できるよう褒賞が決まった瞬間から手配してくれてたらしいけどね~」

「うぐっ……」

 

 意図の見えない龍田のボヤキから逃げるように天龍は顔を背ける。情に厚い天龍の事だ。経緯はどうあれ提督の、自分と龍田への想いを断ってしまったという事実に思う部分は少なくない。少なくないが、故に決断した心に憂いも後悔もない。

 

 褒賞に値する半期間、天龍と龍田が上げた直接の戦果は無い。提督が二人に与えた任務とはそう云うもので、派遣任務とは得てして視認できない評価を内包するものだ。勿論提督からすれば艦娘に与える任務に差などないが、こればかりは天龍自身の考え方の問題だ。

 今回の慰安旅行は、提督と仲間達の歩みが評価され形になった証だ。そこに今の天龍が交ざるのは他でもない自分が許さなかった。

 

 ”半年間、頼む”と、提督は二人にそう告げた。

 

 其の半年はまだひと月残っている。提督が選んだのは自分達二人だ。なればこそ、最後までやり通して帰るのが現在の鎮守府と、提督の信頼に対する誠意になる筈だ。

 

「なんか俺の我が儘に付き合せちまって、龍田には悪いことしたな」

「ううん。天龍ちゃんが良ければ私はそれでいいの~」

 

 なんと出来た妹か。天龍は思わず緩みそうになった涙腺を誤魔化すようにへへッと笑いながら下を向いた。普段は実に楽しそうに笑顔で姉を涙目にする妹の風上にも置けない龍田だが、時と場合はしっかりと弁えている。

 流石は自慢の妹だ。姉である自分をいざというときはしっかりと立て、言葉無くとも理解し合える様はまさに理想の姉妹だとい――

 

「あ、でも折角買った新しい水着が一度も着れないのは勿体ないかな~」

 

 ――うん?

 

「それに電ちゃんや雷ちゃん、第六駆逐隊の子達がすっごく寂しそうな顔してたって電話で鳳翔さんが言ってたな~」

 

 ――あれ?

 

「提督に新しい水着の話したら”きっと似合ってるのだろうな”って言われたっけ~。あれ~? そんな渋い顔してどうしたの天龍ちゃん」

「……龍田お前。実は海に行けなかった事、すげー根に持ってないか?」

「ん~? そんなことないよ~?」

 

 天龍の問いに龍田はニコリと笑顔で答える。切れ長の瞳と妖艶な口元でうふふと笑いながら、言外で意図を伝えてくる龍田の表情に映るのは期待の影。

 天龍は知っている。こんな時、龍田が何を欲しているのかを。そして其れを実行するのはいつも自分であることを。皆が割と知らない事実、龍田は意外と我が儘なのだ。

 

「へいへい、帰ったら六逐の奴ら誘ってどっか甘味処にでも連れて行ってやるからよ。それで勘弁な」

「ん~? もう一声欲しいかな~」

「だああ! わかったよ! 提督も誘えばいいんだろ!? くそっ! なんか恥ずいんだよな提督誘うのって!」

「さっすが天龍ちゃん~」

 

 互いが気の置けない相手だからこそ見せる遠慮も裏表もない表情で、二人は汚れの目立たない廊下を笑顔で歩いていく。前に、前に、と進む足取りは軽い。

  離れていても想いは伝わり、また還ってくる。静かに、ゆっくりと、そして確実に。

 

 ――そう。其れはまるで寄せては返す海波のように。

 




 戦闘描写って難しい。

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