口下手提督と艦娘の日常   作:@秋風

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 今回少しだけシモイ感じの話題が含まれています。
 それでも良いぞ、と言う方のみお進み下さい。


第四十一話 夏の慰安旅行 其の十

 

 ――これは少し旗色が悪い、かな。

 

 自身を取り巻く現状を分析しながら、明石は内心で一人大きく溜息を吐いた。

 対面では目下、彼女の悩みの種である人物が顎に手をやりつつも真剣な表情で何かを思案中である。相も変わらず思考の渦に吞まれると眉間に皺が寄る癖は直っていないらしい。

 両隣ではなぜか妙に楽しそうな間宮と、責任感と緊張で瞳がバタフライしている大淀が同様に眼前に座る人物の返答を待っていた。両者共に正反対とも言える反応ではあるが、二人の瞳には一貫して共通した色合が含まれている事に明石は当然気が付いている。

 

 ――やっぱり私も肯定してくれる事を期待しちゃってるなあ。

 

 なぜなら、明石自身も二人と同じ想いを自覚しているのだから。

 我ながら欲深いなあ、と苦笑を零す明石の隣で、緊張が臨界点を突破したのか大淀が胸元で両手を合わせ祈りを捧げ始めている。何か怪しい宗教でも始めたの? と言いたくなる行動だが、普段は思考を理論で固めてから行動する事を身上としている大淀にとって、この局面はあまりに唐突すぎた。理論派の彼女は無茶ぶりに弱いのである。

 そんな彼女達の思考を更にどん底へと落とし込むかのように、対面に座る人物――提督は困ったような表情で口を開いた。

 

「君たちの提案は理解した。だがしかし私が君たちの部屋に、というのはなあ……」

「提督が私達の部屋で一夜を明かされる事に何か問題がありますか?」

「いや……と言うよりなぜ間宮君はそんなに笑顔なのだ」

 

 間宮の強気且つ大胆不敵な攻めに提督は相変わらず押されっぱなしである。しかし、強引過ぎても意味はない事を理解している間宮は提督の問いに微笑みをただひたすら返すのみだ。まずはこちら側に提督に対する遠慮や無理な気遣いがない事を理解してもらわなければならない。

 押す時は押し、退くときは退く。相手は遠慮と優しさの権化のような人物、駆け引きに焦りは禁物だ。

 とまあ、頭では実に冷静な間宮ではあるが、笑顔の裏に隠された肉食獣のようなギラギラとした何かが所々漏れ出しているため、提督が微妙に退いている事に間宮自身気が付かない。彼女は彼女で割と残念気質の持ち主だ。

 

 さて、現在彼女達が何をしているのかと言えば、提督同部屋連行作戦の実行真っ最中だ。

 先刻の緊急会議で選ばれた部屋の主である大淀が、早急に提督を説得するよう会議に参加していた艦娘から要請を受けたのだが、そこには無責任にも程があると言えてしまう大きな問題があった。

 その時の一部始終がこんな感じだ。

 

「わ、分かりました。なんとか提督を説得できるように頑張ってみます。ですので何か説得のための妙案があればご助力頂きたいのですが……」

「そうね。では僭越ながら私から一つ」

「……加賀さん!」

「押して押して押しまくりなさい。以上よ」

「……え?」

「提督は優しい上に、穏やかな方よ。そして少し押しに弱いところが正直堪らな……があるわ。だから押しなさい、徹底的に。そうすれば間違いなく頷いてくれるわ」

「い、いやそれは流石に……」

「なら色仕掛けもアリだな」

「む、武蔵さん!? 突然何を!?」

「突然も何もないさ。提督だって男だ、それらの欲が皆無って訳でもないだろう? そこを普段はしっかり者の大淀みたいな人物が潤んだ瞳で甘えるように囁けば流石の提督と言えど何も感じない事はないさ」

「む、無理! そんなの私には無理ですよ!」

「あら、そろそろ時間ね。では大淀、後は任せたわよ。この旅行の命運はあなたに懸っているわ。頑張って」

「あ! ちょ、ちょっと待って下さい!」

 

 以上。

 混乱と羞恥だけを大淀の心に残して、仲間達は部屋を出て行った。あまりの適当さに大淀は静かに瞳のハイライトを消して頭を抱えるしかなかった。が、ある意味では仕方ないとも取れる一連の状況であった事を一応記しておく。分析官として日頃活躍している大淀ですら提督にどの部屋に泊まってもらうかで頭が一杯だったのだ。説得内容なんて誰も考えていなかった事は火を見るより明らかな事実。相変わらず提督の事になると駄目駄目になる部下達ではあるが、本人達は至って真面目なのだからどうしようもない。

 

 気が付いたら大淀は明石と間宮に土下座して、提督の説得を手伝ってくれるよう頼み込んでいた。まさか人生初の土下座が今日この場所だとは微塵も予想していなかった大淀であるが、走り寄ってきた大淀がそのまま流れる柳のように土下座へと行動をシフトするのを目の当たりにした間宮と明石の驚きは、きっとその比ではなかっただろう。

 後に一連の事件は大淀にとって黒歴史となってしまうのだが、彼女の身体を張った行動を伝え聞いた同僚の評価に”いざという時は身体を張れる意外に逞しい人”という項目が追加されるのだが、今の彼女には知る由もない。

 ちなみに残りのメンバーである鳳翔と伊良湖は夕食の準備の手伝いのため、席を外している。

 

 だからこそ、この作戦は必ず成功させなければならない。仲間達の想いを裏切らないため、そして何より大淀の土下座を無意味なものにしないためにも。

 最早退路は残されていない。進まなければ、待っているのは悲しみに暮れた表情で線香花火を囲む自分達の姿。今この瞬間三人の表情は、過去の艦隊決戦、そのどの最終局面の真剣さを超えた。

 

「一つお聞きしたいのですが、提督が私達の部屋で一夜を明かす事について考えておられる問題とはなんでしょう?」

「それはまあそうだな……あれなんだが」

 

 間宮の問いに対する提督の反応に、明石はおや、と小さな違和感を感じ取る。

 彼にしては実に珍しい歯切れの悪い言葉もそうだが、それ以上に、何かを誤魔化すように髪の後ろを触るなど、どこか気恥ずかしそうな空気を纏っている提督を見るのは初めてだ。

 普段の様子から、物静かで落ち着いた雰囲気に慣れているからか妙に新鮮味があって、三人共つい前のめりのなって提督に言葉を急かしてしまう。

 自分は今、彼女たちに一体何を求められているのか全く分からない。分からないからこそ提督は、感じている危惧を正直に話すことを決意する。

 

「……君たちのような年頃の女性の部屋で、私のような男一人が共に一夜を明かすなど……そのなんだ……風紀的に考えても、やはり、な」

「……まあ」

 

 最終的に察してくれ、と萎んでいく提督の視線と言葉に、口元を手の平で隠しながら間宮は実に嬉しそうな反応を見せた。なぜこの場面で急に彼女はキラキラし始めたのか、疎い提督にとってはさっぱり理解できず不安で仕方がない。

 更に、並び座る明石と大淀も奇妙な反応だった。お互いに顔を見合わせた後、提督の視線と交差した大淀はほんのりと頬を染め、慌てるように顔を逸らしたのだ。対して、明石は内心を提督に悟られまいと表情こそ普段通りに振る舞っていたものの、両耳が茹蛸の如く真っ赤に染まっていた。 

 言わずもがな、三名共、提督が暈した意図の真意を汲み取った結果である。

 

 つまりはそう言った可能性を提督は危惧している。有り体に言ってしまえば、夜の男女による営み的なあれこれに付随する問題を、だ。

 

 当然ではあるが、提督本人にその気は無い。彼が不安視しているのは鎮守府以外の人物による偽報道(デマ)――パパラッチ被害を彼女達が受けはしないかといった程度のものだ。

 確かに最近、民間の間でも注目を浴び始めている海軍鎮守府ではある。加えて、艦娘の少女達の見目麗しい外見も在ってか、スキャンダルのように週刊誌に載る鎮守府も少なくない。今回のように、提督と艦娘が同じ部屋で寝泊まりをする話などは確かに、如何にも彼らが食付いてきそうな内容ではあった。

 まあ補足しておくと、ここは大本営管轄のホテルのため無断でそういった輩が侵入する事はまずないのだが、施設のセキュリティ関係など提督が知る由もない。

 

 しかし、間宮達にとっては、どういう経緯であれ提督が自分達を異性として把握してくれていることが素直に嬉しくもあり、驚きでもあった。もしこの場に金剛と大和がいたのなら、間違いなく彼を押し倒していたと確信できる程度には、乙女心を擽られてしまった。

 

「でも安心しました」

「……む?」

「普段そういった話に提督があまりに淡白なため、一時期食堂で、提督は男色か不能なのではないかという妙な噂が流れていたので」

「あー、あったあった。あまりに真剣だったから海域突破の作戦会議でもしてるのかと思ったなあ」

「……君達は食堂で一体何を話しているのだ」

 

 大淀と明石の掛け合いに提督はがっくりと肩を落とす。その手の分野が不得手なのは自覚しているが、熱く議論される程酷いものなのか、と思わず顔を覆ってしまう。

 誤解されがちだが、当然提督は決して男色でも不能でもなく、普通に異性に対する感情を持っている。湯浴み後の加賀を美人だと思うこともあれば、作戦前の大和の凛々しい表情に惹かれる事も多々ある。金剛に迫られれば緊張だってするし、鳳翔の慈愛の表情に癒されることだって勿論あるのだ。気付かれないのは単に、理性が人一倍強く、表情に出難いからで、決して彼女達に対する感情を何も所持していない訳ではない。

 何が嬉しいのか、終始ニコニコした表情で間宮が悪ノリにも似た雰囲気を振り撒きつつ、駆逐艦の娘らには聞かせられない爆弾を明石へと放り投げた。

 

「うふふ。でも工作艦の加護を受けている明石さんなら提督が不能でもなんでも即メンテ、できちゃいますよね?」

「ふえ!? え……ええ!?」

「そうですね。明石なら不能だろうがなんだろうが、自前のそれらで即メンテ完了、ですよね?」

「お、大淀まで!? え、えとその……うええ!?」

 

 実に楽しそうな間宮と大淀の言い回しに、まるで酔っ払った中年のオヤジのようだ、と提督は思ったが勿論口にはしない。うら若き乙女が不能なんて言葉を連呼するのもどうかと思うが、巻き込まれるので口にはしない。

 急に標的にされた明石は頭からぷしゅーと蒸気を上げながらわたわたおたおたと不可思議な動きを続けている。時折涙目でチラリと提督を窺い見ては”うあー!”と唸りながらよく分からない事を呟いたりと落ち着かない様子は少し新鮮でもあった。

 

「あれ? 工作艦ともあろう人が提督のメンテ一つできないんですか?」

「明石さんともあろう方がその程度なんて……残念ね」

 

 これまでの鬱憤を晴らすかのように笑顔で煽る大淀に便乗する間宮。おそらくこれが彼女達の素の付き合いではあるのだろうが、三人共、目の前に提督がいることをすっかり忘れている。

 あまりの理不尽な責め苦に何かが吹っ切れたのか、明石は突然握り拳を作り、涙目のまま半ばヤケクソに言い放った。

 

「な、何を言ってるんですか! 他ならぬ提督のためならこの明石、何時でも何処でも全身全霊でメンテさせて頂きます! 不能だろうがなんだろうがどんと来いですよ!」

「いや、気持ちは嬉しいんだが、私は不能でもないし大丈夫だ。すまない明石」

「……振られたわね」

「……振られましたね」

「ふ、振られてないし……振られてないし!」

 

 そっちから話を振っておいてこの仕打ちはあんまりだ、とテーブルに突っ伏してしまう明石。流石にやりすぎたと反省したのか、大淀は苦笑しながら明石に言葉を掛けている。

 一方の間宮はと言うと、大淀と同じように一度明石を慰めた後、どこか穏やかな微笑を浮かべながら提督へと姿勢を正した。

 

「……提督、私たちだけじゃありません。皆寂しがっています。折角の旅行なのに提督がいないのは、やっぱり寂しいですよ」

「……むう」

 

 自分の言葉を聞いて心の底から困ったような表情を見せる提督に、間宮は少しだけ頬を緩めた。本当にどんな時でもお人好しが抜けきらず、艦娘の事となると一大事の如く悩み始めるのだから、と。

 でも、そんな提督だから一緒にいたい、一緒に楽しみたいと思う心も芽生えるのだ。だからこそ間宮は正直な気持ちを提督にぶつける事に決めた。それで断られてしまうのなら、仕方がない。

 暫しの黙考の後、先に口を開いたのは提督だった。

 

「……鳳翔と伊良湖君はこの話を了承してくれているのか?」

「鳳翔さんならいつもの数倍ニコニコした表情で”後で秘蔵の一本を仕入れてきますね”と仰ってましたね」

「伊良湖ちゃんはなにか物凄い勢いで”提督と何を話しよう”ってメモしてたなあ。滅茶苦茶キラキラしててかなり眩しかったですよ」

「皆、直接は言いませんが、もっと提督と話がしたいと思ってるんですよ。それが簡単な雑談でも、力になるんです」

「そうか……」

 

 いつの間にか復活していた明石と大淀の補足に、提督は短くそれだけを返す。そのまま小さく頷いた後、顔を上げた彼の表情に、最早困惑も憂いもなかった。あるのはどこか前向きな、そんな表情だけだ。

 

「あ、そうだ。そう言えば駆逐艦の皆から提督宛てに伝言があるんでした」

「む? 伝言?」

「えっと読みますね。『司令官へ。もし今夜一緒に花火してくれなかったら、明日から毎晩駆逐艦の誰かがベッドに潜り込みに行くので覚悟しててね。 駆逐艦一同より』ですって」

「ふふ……それは怖いですね」

「との事ですが、如何ですか、提督」

 

 先程の提督の表情から何かを読み取ったのか、既に答えは決まっていますよねと言いたげな表情で三人娘はズズイと彼に近づいて返答を求めた。駆逐艦一同の伝言といい、ここの年少組はこの年長組の影響を多大に受けていると言っても大袈裟ではないだろう。

 まるで鬼の首でも獲ったかのように瞳を輝かせながらにじり寄ってくる部下三人に、提督は観念したように両手を上げ、一言”了解した”と小さく告げた。

 

『やったあ!』

 

 目の前でお互いに手を取り合いながら喜ぶ明石達の声を聴きながら、提督は三人に見えないように小さく笑う。

 

 ――私もいい加減、成長しないといけないな。

 自分には他人を笑わせるユーモアも、会話の中で楽しいと思わせるコミュニケーション能力もない。一緒にいて不快ではないが楽しくもなく、親しくなるには物足りないという、昔の周囲の判断は今もなお正しいのだろう。

 だがそれでも、だ。

 

 ――こんな私でも、一緒に居てくれる人達はいる。

 ――ならば自分だけ前に進まない訳にはいかないだろう。

 

 きっといつかそれが彼女達の助けになると信じて。

 

「ほら、何やってるんですか提督! 行きましょう!」

「ふふ。任務完了です。これで伊達眼鏡の軽巡なんて言われる事もないですね! さあ提督、夕食です!」

「ん~。それじゃあ布団の割り振りどうしようかしら。っと、提督、お手を」

「ああ、ありがとう」

 

 間宮から差し出された右手を同じように右手で掴み、提督は立ち上がる。

 そうして四人は歩いていく。来た時とは違う、実に楽しそうな、そんな表情を振り撒きながら――。

 


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