口下手提督と艦娘の日常   作:@秋風

48 / 61
第四十六話 霞と着任記念日

 

 着任記念日、というものがある。

 誰が考えたのか、記念日と名は付いているが別に大袈裟なものではない。単に各々の艦娘が着任した日から一周年を祝う、所謂誕生日的行事だ。

 発端は提督が着任して一年を迎えた電へ、短い感謝の言葉を送った所まで遡る。

 

「電、いつも助かっている。これからも宜しく頼む」

「こちらこそありがとう、なのです。不束者ですが、これからもどうかよろしくお願いしますね」

「うむ……だが、その言葉は何と言うか、危ない気がするな」

「は、はわわ!?」

 

 そんな些細なやり取りから生まれた記念日は、気が付けば少女達にとっての密かな楽しみとなっていった。

 当日の様子は様々だ。提督にここぞと愛を囁く者、べったりと甘える者、すっかり忘れている者、休みや遊びなど実利を取る者、逆に提督を労わろうと張り切る者、特別な瑞雲を催促してくる者等々。中には、同じ日に着任したメンバーで飲み会を開いたりと、大所帯ならではの楽しみ方をしている者達もいる。

 

 何気ない日々の中にあるささやかな特別を求めて、少女達は思い思いの一日を過ごしていく。

 そして今日もまた一人の少女が、ある決意を胸に特別な一日を始めようとしていた。

 

 

 

「ねえ、霞。アンタ今日、着任記念日じゃなかったっけ?」

 

 急に振られた満潮の言葉に霞はトクンと心臓が跳ねるのを感じ、思わず手に持ったトーストを落としかけた。そのまま動揺を悟られないよう一度咳払いをして、極力平静を保った表情で短く言葉を返す。

 

「それが、なに?」

「いや、別に深い意味は無いけど。もしそうなら一応おめでとうくらいは言っておこうかなって。ねえ朝潮」

「はい。霞、着任一周年おめでとうございます」

「あっそ」

 

 満潮に促されるように、隣に座って卵焼きを口に運んでいる朝潮がぺこりと頭を下げてくる。

 場所は間宮食堂。時刻は未だ朝の七時を過ぎた辺りな所為か、周囲に人影は少ない。朝から相変わらず不機嫌そうな霞の態度は何時もの事だと流しながら、満潮は愛嬌のある勝気な瞳を細めながら欠伸をしてみせた。

 

「それにしても、着任記念日と秘書艦の仕事が被るなんて珍しいわよね。二週間前までに申請すれば調整できるんだから、変えてもらっても良かったんじゃない?」

「別に。着任記念日なんかに現を抜かして仕事を蔑ろにするなんて馬鹿のする事よ」

「む? ですが朝潮の記憶によると一か月前には既に、秘書艦カレンダーの今日の日付に霞の名前が書いてあったような――むぐ?」

「あ、朝潮! あんた達、今日これから遠征でしょ!? しっかり食べとかないと途中で倒れるわよ! 私のトースト半分あげるから感謝しなさいよね!」

 

 それ以上はいけない、と霞は咄嗟に朝潮の口に自分のトーストを突っ込んだ。ほのかにエメラルドグリーンのグラデーションがかかった毛先を揺らしながら、瞳を吊り上げる姿はさながら毛を逆立てる猫である。

 幸いな事に今の会話は最後まで満潮の耳にまで届いていなかったようで、彼女の矛先は黙々とトーストを咀嚼する朝潮に向けられていた。

 

「朝潮、アンタ……まさか毎日秘書艦カレンダーまでチェックしてるわけ?」

「体調不良などで秘書艦が急に欠員になった時の早期把握のために、備えておくのは当然の事です。司令のお役に立てるならばこの朝潮、何時でも秘書艦任務をこなす覚悟です」

「それって遠回しにずっと提督の傍にいたいって言ってるようなものじゃないの……」

「? その通りですが、二人は違うのですか?」

「うえぇ!? ど、どうなのよ霞」

「きゅ、急に私に振ってんじゃないわよ!」

 

 手痛い反撃を受け、しどろもどろになるツンツン娘二人を前に、朝潮は可愛らしく小首を傾げて疑問符を浮かべている。そんな純粋無垢で真っ直ぐな長女を前に、霞は最近芽生えた小さな危機感を思い出し、即座に首を振った。

 

 と言うのも一応、理由はある。例の提督とのデコキス事件以来、朝潮の提督に対する振る舞いや仕草が明らかに変化しているのだ。有り体に言ってしまえば、女の子らしくなった、である。

 以前の朝潮は良くも悪くも忠誠心の塊のような少女だった。いつもぱたぱたと提督の後ろを付いて回る姿はさながら忠犬のようで、彼に向ける視線はひたすらに尊敬――それ以外の要素は無かったように思う。

 

 それが例の事件を機に変わった。

 

 提督との触れ合いに人並みに恥じらいを見せるようになり、私生活において、実に自然に笑うようになったのだ。本人は無自覚かもしれないが、身だしなみを気にする時間が増え、荒潮の私物であるファッション誌にも目を通すなど、以前の任務一筋の朝潮からすれば考えられない事に興味を持つように変わり始めている。

 提督に向ける視線に芽生え始めた尊敬以外の何かに戸惑いながらも、本人がそれを大切に育もうとしているのは、誰の目にも明らかだった。

 

 意識が変われば、周囲からの評価も変わって行く。自分達と変わらないと思っていた朝潮が、急速に魅力的になっていく姿に、霞は一人置いて行かれたような気がして不安で仕方がなかった。そう、彼女も思春期である。

 朝潮だけではない。元々大人っぽい荒潮は兎も角、同じ穴の貉だと思っていた満潮も、最近は提督に対して良い意味で遠慮が無くなったような気がする。提督の随伴任務中に、視線を泳がせつつも口元を緩ませながら仲良く手を繋いで帰ってきた時なんか、思わず口に入れていた飴玉をかみ砕いてしまった程だ。

 

 だから霞は決心した。

 兎に角、提督には素直にありがとうと言えるようになろう、と。捻くれ者で頑固な自分の性格がすぐには変えられない事は分かってる。でも、せめて日頃の感謝の気持ちくらい、言葉にしたい。偶には素直に頭を撫でさせてあげるのもいいだろう。うん、仕方ない。

 そうして迎えた今日この日。周囲に疑問を抱かせないよう周到に準備を重ね、記念日と秘書艦の日付を合わせる事についに霞は成功した。後は今日一日、密かに重ねた特訓の成果を提督に見せるだけである。

 

「おっと、もうこんな時間。朝潮、艤装の最終チェックのために一度工廠に行くわ。霞、照れ隠しだからって司令官にあんまり厳しく当たっちゃ駄目よ」

「分かりました。では霞、行ってきます」

「はあ!? ふざけた事言ってんじゃないわよ! あんた達こそ、出迎えのハグばっか気にして資材を持ち帰るのを忘れない事ね!」

「なっ!? べ、別にハグなんて気にしてないし! ねえ朝潮?」

「あ、朝潮は司令の事は尊敬していますし、その」

「……なんか滅茶苦茶キラキラし始めたわね」

 

 

 とりとめのない軽口を叩き合いながら、二人は食器を片づけ、工廠へと続く出口へと歩いていく。一人残された霞は嘆息し、残っていたコーヒーを一気に飲み干した。気が付けば食堂の席は半分ほどが埋まり始めており、平時の楽しげな喧騒が耳に届いてくる。

 現在の時刻は八時前。秘書艦任務は九時からだが、一度部屋に戻って身嗜みと今日の執務スケジュールをもう一度確認しておいた方がいいかもしれない。

 

 ――よし。

 

 一度小さく頷いて、立ち上がる。

 そうして霞が食堂を後にする頃には、鎮守府は何時もの穏やかな雰囲気に包まれていた。

 

 

 

 

 

 霞の様子がおかしい。

 提督がその違和感を覚えたのは、昼を過ぎて一時間が経ってからだった。

 午前中は出撃や演習指揮などで別々に行動する事が多く気が付けなかったが、今日の霞は何処か変だ。常にそわそわしているし、頻りにチラチラとこちらの様子を窺っている。

 

「霞、先月の資材管理報告書だ。最終確認後、不備が無ければ本営に送っておいてくれ」

「……ん」

 

 杞憂の可能性も鑑みて、確認印を押した書類を差し出しながら再度彼女の反応を窺う事にする。が、しかし霞は首を縦に振るだけで書類を受け取り、そそくさと秘書机に戻ってしまった。

 やはり、どうにも違和感が拭えない。

 霞に悟られないよう様子を見ながら、提督は一人思案する。

 

 駆逐艦霞はどんな相手にでも物怖じしない性格で有名な艦娘である。

 良く言えば叱咤激励、悪く言えば罵詈雑言。彼女の小さな口から飛び出す数多の言葉に、初対面の者ならば心を圧し折られる事請け合いな、割と他の者と衝突しすい気質の持ち主だ。

 

 事実、前の鎮守府でその性格が災いして、半ば厄介払いされる形で異動してきた彼女との日々に、しかし提督は煩わしいと感じた事は一度も無い。

 提督は知っている。霞は他人にも厳しいが、それ以上に自分にも厳しく、いざ出撃となれば仲間の無事を第一に考え、行動できる心優しい少女だと言う事を。

 確かに着任当初は容赦なく浴びせられる罵詈雑言に面食らったりもしたが、数多の戦場を共に駆け抜けてきた今となれば、それも含めて霞なのだと理解出来る。

 

 だからこそ分からない。

 今の霞は静かすぎる。いつもなら十分に一回は飛んでくる叱咤激励が、ここまで一度もない。

 

 ――やはり、着任記念日と秘書艦任務が被ってしまった事が原因なのか……?

 

 唯一思い当たる節がそれだ。しかしカレンダーに名前が書いてあった以上、本人が希望したのは間違いない。

 本来なら執務開始前に記念日を祝う言葉を送るつもりだったが、霞があまりにも思い詰めた表情で現れたため、タイミングを逸してしまったのだ。

 

「ねえ……ちょっとアンタ! ねえってば!」

「む……すまない。少々考え事をしていた。どうしたのだ?」

 

 思考に耽り過ぎていたのか霞の呼び声に反応が遅れ、慌てて顔を上げた先に霞の綺麗な黄色の瞳があった。まさかここで来るか、と身構える提督を余所に、霞は何故か彼方を向きながら空になった提督の湯呑を指差していた。

 

「……お茶」

「む?」

「う゛ー! なんで分かんないの!? 新しいお茶入れてあげるって言ってんの!」

「お、おお、そうかありがとう。宜しく頼む」

「ふんっ! 日頃から仕事ばっかのアンタにうんと美味しいの入れてやるんだから、覚悟しなさいよね!」

 

 最後に判断に迷う捨て台詞を残して、備え付けの戸棚へ茶葉を交換に向かう霞。隠れた右手で小さくガッツポーズを取っているが、残念ながら背中越しの提督からは見えていない。

 ”やはり霞は激励あってこそだな”と満足げに頷く提督を余所に、入れ直した湯呑と何枚かの書類を手に霞が戻ってくる。

 

「ほら、わざわざ私が入れてあげたんだから感謝して飲みなさい。それとこっちの書類もついでに片付けといたから、さっさと確認して次の書類に取り掛かれば?」

「わざわざすまんな。ありがとう霞、茶も美味いぞ」

「わ、わざわざ言わなくていいから! アンタに褒められると身体がムズムズして……あーもう!」

 

 急に机に突っ伏して身悶える霞に苦笑を返しつつ、提督は手渡された書類に視線を落とし、

 

「おお、凄いな霞。数値、報告文共に不備がない。執務関係の書類をここまで処理できるのは駆逐艦の中でもそういないぞ」

「こんなの全然大した事ないわよ。他がだらしないだけなんじゃない?」

 

 嘘である。

 と言うのも霞はこの日までの一ヵ月、秘書統括である大淀に頼み込んで、密かに執務補佐のイロハをその身に叩き込んできていた。全ては提督の役に立つためであり、その成果は無事彼に見せられたようで、頬が緩みかけているのをそっぽを向いて耐えている。

 このままだと緩んだ顔を見られてしまう、と早足に背を向けて秘書机に戻っていく霞に提督から一言。

 

「いや、それでもこの成長は素晴らしい。流石は大淀に師事を仰いだだけの事はあるな」

 

 その言葉に驚いた霞がべしゃっと地面に転がる。こけた拍子にエメラルドグリーンに白のストライプが入った下着が露になるが、当然見せつけている訳ではない。

 そのまま恥ずかしそうにスカートを両手で抑えつつ、つかつかと戻ってきた霞が真っ赤な頬と共に涙目で吠えた。

 

「ななな、なんでその事をアンタが知ってんのよ!? 誰にも言ってなかったのに!」

「な、何故と言われても直接大淀に聞いたとしか。霞が事務仕事の楽しさに芽生えてくれたと心底嬉しそうに話してくれたのだが……もしや聞かない方が良かったか?」

「……あーもう、バカばっかり」

 

 肩肘張っていた力が抜け、霞はその場にぺたんと座り込んでしまった。

 霞は分かっている。これは自分の落ち度だ。内緒にしておきたいがために、大淀にも本当の理由を言っておらず、適当に”ちょっと興味が湧いただけ”と伝えていたらこうなってしまうのも仕方がない。

 だが悔しいものは悔しいのだ。司令官も普段は驚くほど周囲を見ているのに、こういう時だけ鈍くなるなんて馬鹿ではないだろうか。

 

「むう……察してやれず、申し訳ない。だが、感謝の気持ちに嘘はないぞ」

「それで、なんで頭撫でてんのよ!」

「すまん、つい癖で……霞はこういうの嫌いだったな」

「嫌いだなんて一言も言ってないわよ!」

 

 何勝手に止めようとしてんのよ、と瞳で訴えられた提督は透き通るような霞の髪を撫でながら、静かに隣に腰を下ろした。開け放たれた窓の外からは演習の砲撃音に混じって、秋を告げる微風が流れ込んでくる。

 どれくらいそうしていただろうか。呟くように、しかし意思の籠った言葉で提督は告げる。

 

「着任して一年、おめでとう霞。未だ不甲斐ない上官だが、これからも宜しく頼む」

 

 突然振られた感謝の言葉に、霞は咄嗟にいつもの調子で反抗してしまいそうになった。しかし、提督の穏やかな瞳に心を揺さぶられ、思考が纏まらないまま口だけが動いてしまう。

 

「べ、別にそんなのどうでもいいけど……一応お礼は言っておくわ。司令官……いつもありがと」

「……霞にそう呼ばれるのは久々だな。そういえば昔はクズだとか無能とか言われて――」

「む、昔の事を今更掘り返すなんてみみっちい男ね本当に! あの頃の事は本当に悪かったって思ってるんだから忘れなさいよ!」

「いや、怒ってなどいないさ。ただ懐かしい思い出として胸に残しておくのも悪くないと思ってな」

「想い出とか……ば、馬鹿じゃないの!? いいからさっさと仕事に戻るわよ!」

 

 そう言って早足で秘書机に向かう霞。言動こそ怒気が混じっているが、今の霞の表情は何か憑き物が落ちたかのように晴れやかで、提督も一安心と執務に戻っていく。

 

 着任記念日は艦娘にとって大切な一日である。しかしそこに置かれる言葉の比重は然して重くない。おめでとう、と一言。それで次からまた頑張れる。覚えてくれている事が嬉しいのだ。

 

「冷蔵庫に昨日の本営帰りに買ったケーキがある。後で一緒に食べよう」

「……アンタがそうしたければそうすればいいじゃない」

 

 素っ気ないフリを続けながら霞は考える。

 

 ――来年は何かプレゼントでも用意したら、アイツも喜んでくれるかな。

 

 次への期待が、新たな活力を生む原動力となる。

 既に思考は来年へと移り変わりかけている霞は、ふと、窓の外から流れ込んでくる風に髪を掻き上げた。

 

 季節は夏から秋へ。

 窓の外では蜩が、夏の終わりを告げるかのように鳴いていた。

 




 戦犯=大淀

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。