「提督、先日依頼されていた報告書です。ご覧になりますか」
「すまない加賀。見せてくれ」
大量の書類の山と鎮守府全体の財形整理を同時並行で片づけていると、一段落した絶妙のタイミングで加賀が報告書の見分を具申してくる。
……ふむ。やはり能代の報告にもあったように北方海域方面に敵艦隊の反応が多数出ているみたいだな。
「加賀、引き続き北方海域方面への索敵を行ってくれ」
「ええ。もう既に数回の索敵機を飛ばしているわ。変化があればすぐに報告できるように」
「流石だな。助かる」
「優秀な子たちですから」
本日の秘書艦である加賀。彼女には航空部隊の中心として私の指示がなくともある程度自己判断での艦載機運用を許可している。
一航戦、加賀。それが彼女の名前だ。
艦載機の扱いと航空火力に秀でた正規空母の艦娘で、この鎮守府に初期から配属されていた古株だ。そのおかげか自分自身、彼女のことは比較的意思疎通を図りやすい相手だと思っている。……おそらく。
私が言うのもなんだが、綺麗な顔立ちをしていると思う。サイドに括った髪は彼女なりのオシャレなのだと同じ一航戦の赤城が言っていた。
その風貌と立ち振る舞いから憧れる艦娘も少なくないという。ただなぜか五航戦相手になると言動に棘が生まれるのでそこは仲良くしてもらいたいものだ。
「……私の顔に、何かついていて?」
「いやすまない」
「別に謝るようなことではないのだけれど」
「気が回らず申し訳ない。私のような者の不躾な視線を送ってしまい、さぞ不快だっただろう」
「むしろもう少し見ていてもらってもよかったのだけれど」
「何か言ったか?」
「なんでもないわ」
なんでもない、という割にはなかなかに不満そうな顔を浮かべている。やはり不快だったが上司の手前口には出せず顔に出てしまったといったところだろうか。
などと思考がいつも通りの方向へ進もうとしていたその時、ふいに加賀が座っている方向から控えめだがはっきりと主張した音が鳴り響いた。
……くぅ
「……」
「……」
耐え難い静寂が流れる。こういう時の対処法を私は知らず、ただ鈍く重いこの空気に汗が滲み出てくるだけだ。我ながらなんとも情けない話である。
当の本人である加賀は表情を僅かに朱色に染めながらぷるぷると震えていた。
ちらりと執務室に掛けてある時計に目を向けてみると時刻は十二時半を少し過ぎていた。どうやら執務に没頭しすぎたせいでお昼を過ぎていたことに気が付かなかったようだ。
「ごほん、すまない加賀。執務に集中しすぎて気が付かなかった。お昼にしよう」
「別にあなたのせいではないわ。ですがそうしましょう」
先ほどまでまるで深海棲艦のごとき暗い顔をしていた加賀の表情がぱあっと明るくなる。
しかし秘書艦の身体状態も把握できないようなものが提督とはやはりあってはならないのではないのだろうか。
「それでは提督、行きましょう」
「む?」
改めて自分の提督としての無能ぶりに我ながら辟易としながら、普段通り執務室に置いてあるファンシーな戸棚(金剛にむりやり置いて行かれた)から即席食品を引っ張りだそうとしていた自分に加賀から声をかけられる。
行く? いったいどこに行くというのだろうか。
「……提督、その手に持っているものはなんですか?」
「ああ、これか」
声をかけられ、振り向いた私の手に持っているものを見て加賀の表情が一気に苦虫を噛み潰したような顔になる。
「これは即席食品と言ってだな、お湯を入れて三分待つだけで食べられる優れモノだ」
「それは知っています。赤城さんがよく夜中に食べていますから」
赤城は夜中にそんなことをしているのか。
「そうではなく、提督はいつもお昼にそればかり食べているのかと聞いているんです」
「そ、そんなことはないぞ。今日はたまたまとんこつ味だったが、しょうゆや味噌、カレーなどレパートリーには事欠かなくてだな」
「……はあ」
どういうことか私は弁明をしているはずなのに、その話を聞いていた加賀の表情がどんどんといけない方向に進んでいき、最終的には盛大な溜息と共に顔を手で覆ってしまった。
昔、父が母によくこんな態度をとられていたような気がするが今は関係ない。
「提督、提督はなぜ食堂をあまり利用されないのですか?」
「む、そ、それはだな」
突然の加賀の問いかけに上手く言葉を返せず、軽くどもってしまう。
確かにこの鎮守府には食堂が存在する。といっても他の鎮守府にも食堂くらいはあるだろうが。
基本的には給糧艦である間宮君と伊良湖君が妖精君たちとともに一日の食堂業務を賄ってくれている。たまに他の艦娘が臨時で手伝ったりしているようだが。
その味は大本営の高級レストランのシェフをも唸らせたといわれるほどであり、我が鎮守府内でもお昼は常に賑やかな光景が見られるほど好評である。
「この前も間宮さんが、『提督がなかなか来てくれない』と落ち込んでいましたよ」
「む……むむう」
確かに、間宮君や伊良湖君には出会う度に『待っていますね』と声を掛けられているにも関わらず、ほとんど行けていないのには申し訳ないと思っているが。
「……折角の休憩時に会いたくもない上司が近くにいたら休まるものも休まらないだろう」
「……」
「ましてや私のような面白みのない人間が近くにいても気を遣わせてしまうだけだろうし」
「……」
「その、だから、なるべく君たちの邪魔にならないようにだな」
そこまで言って、加賀に盛大に溜息をつかれてしまった。本日二度目である。
しかし実際にも他の鎮守府ではスキンシップが行き過ぎて憲兵のお世話になる提督が後を絶たないというし、彼女たちも年頃の子が多いためそういった部分は私が気に掛けるべきだと常々思っている。
「提督が前回食堂を利用したのはいつごろですか?」
「た、確か、二か月くらい前だったと記憶しているが」
その時もなるべく人がいない三時過ぎごろにお茶を飲みに行ったつもりだったが、なぜか間宮君たちがにこにこしながら大量の甘味を出してきたため、一時間ぐらい長居してしまったような気がする。
あれはやはり折角ピークを過ぎて落ち着いたのに私が来てしまったため気を遣わせてしまったのだろう。
「提督はやはり一度周囲からの自分への評価を改めるべきですね」
「そ、それよりも加賀はお昼はいいのか?」
「そうですねそろそろ私も限界です。それでは行きましょうか提督」
「そ、袖を引っ張るのはやめたまえ」
これは確定事項です、と言わんばかりの加賀に手を引かれながら私は、どうすれば食堂の空気が不快にならないかを必死に考えた。
が、やはり何も思いつかなかった。
ここまで読んでいただきありがとうございます。
実はこの話の続きは一緒に載せるつもりだったのですが予想以上に長くなってしまったためキリのいいここで切らせてもらいました。
少し短いですが次話は早めにあげられると思うのでお許しを。