口下手提督と艦娘の日常   作:@秋風

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 ご指摘が多かったので捕捉をば。

 本作では秋雲は陽炎と夕雲の両方の妹として描いています。
 竣工日で考えた場合、厳密には秋雲は夕雲よりも先に竣工されていたわけですが、まあややこしいですし、なにより秋雲本人の『自分は夕雲型だと思っていた』という一言を反映させてあげたかったのでございます。

 史実や原作ゲームの設定を大切にされている方には申し訳ありません。
 武蔵も大和の事を呼び捨てではなく姉上と呼んでいるなど、至る所で原作との齟齬があるとは思いますが、そこはどうか物語のスパイスとして見て頂ければと思います。


第五十七話 オータムクラウド先生爆誕、そして伝説へ 前編

 

 趣味。

 それらは時に日々の生活に潤いを与え、世知辛い現代社会という荒波を生きる原動力となる。

 スポーツ、音楽、読書、旅行、なんでも良い。中には労働に生きがいを感じるという人もいれば、畳の皺を数えるのが趣味という変――強者もいるかもしれない。

 しかしそれも趣味だ。

 例え世界で一人しか興味を持たない事があったとしても、本人がそれを楽しみ熱中できる事であるなら、それはもう立派な趣味なのだ。

 

 趣味に貴賤は無い。

 もちろん法に触れない範囲で、という大前提と、常識的範囲内のマナーは守っているとして、趣味は人それぞれ自由であって良い。

 人々はそうして趣味を楽しみ、今日を生きている。

 

 そしてそれは艦娘であっても変わらない。

 彼女達もまた興味を持ち、物事を楽しむ心を持っている。

 

 これはとある口下手な提督が率いる鎮守府で起きた些細な出来事。

 絵を描くことが大好きな、一人の艦娘の少女の趣味にまつわる話。

 

 少女の名は秋雲――

 

 

 ――またの名を、オータムクラウド先生とも言う。

 

 

 

 

「秋雲さん……これはなあに?」

 

 悪鬼である。

 目の前の姉は今、悪鬼と化している。

 

「…………」

 

 秋雲は何も言葉を返せない。

 正座中のため見下ろす形になっている姉――夕雲の目をとても見れず、ただただ自室の床とにらめっこを続け、背筋から噴き出す冷や汗を感じるばかりだ。

 

 夕雲の右手には薄い本のような物が一冊。

 その表紙には誰かによく似た軍服姿の生真面目そうな男が、これまた誰かによく似たポニーテール姿の少女の腰に手を添えて見つめ合っている絵が描かれている。

 

 見覚えがありすぎる絵柄に、脂汗が止まらない。

 私は今日、今ここで死ぬかもしれない。

 死因は姉による粛清か、などと半ば今生を諦めつつも、秋雲はなんとかこの危機的状況を打開するべく事の経緯を思い返していた。

 

 

 

 それはちょっとした気の迷いだった。

 本当にちょっとだけ、ほんのちょっと描いてみようかなーっと心の中に生まれた米粒みたいな好奇心が生み出した偶然と気まぐれの産物。

 プリントの端に描いた落書き程度の、そんな暇つぶしレベルの絵。

 誰かに見せるつもりなんて毛頭なかった。ちょちょっと描いて、自分で満足したらすぐに消せば良い。

 本当にその程度しか考えていなかった。

 

 それがどうしてこうなった?

 

 確かにあの時は趣味の投稿サイトに載せている連載漫画が行き詰って、多少ムシャクシャしていたのは認めよう。休日を梯子して二徹していたのも良くなかったのかもしれない。

 それともこれまで描いてきた、恋愛はあれど健全な漫画やイラストに欲求と不満が溜まっていたとでもいうのか。

 

 兎にも角にも気が付けば秋雲はその薄い本の続き(・・・・・・・)を描いていた。

 そう、界隈でいう所の男女がイチャコラちゅっちゅする薄い本――通称、同人誌である。

 当然秋雲自身に経験など皆無だったが、何を隠そう彼女も花も恥じらう思春期真っ盛りの可憐な乙女、そこは逞しい妄想力と豊富なネット知識(笑)で見事にカバー、瞬く間に一冊分の妄想……もとい構想をまとめ上げてしまった。

 

 オータムクラウド先生、目覚めの瞬間である。

 

 そも、彼女にとって不運だったのは、自身でも引くぐらい筆が乗ってしまった事。

 年頃の、加えてサブカル文化に染まり切った乙女の創造力を侮ってはいけない。

 妄想が爆発し、徹夜にありがちなミラクルハイテンションのまま、秋雲は薄い本一冊の全てを勢いで描き上げた。

 

 勢いとは実に恐ろしい。

 完成と共に感じる確かな満足感と達成感。何故かお股の辺りが妙にムズムズしていたが、気が抜けたのか遅れてやってきた強烈な睡魔に負けて、秋雲は倒れ込むように眠りについた。

 

 そう、その場で眠りについてしまったのである。

 二人部屋である筈のその場所で、机に出来立てホヤホヤの薄い本をおっぴろげたまま――

 

 ――起きたらそこに悪鬼が立っていた。

 

 完。

 

 

 

 と、回想と共に現実からも逃げたい秋雲だったが、そうは問屋が卸さない。

 正確には夕雲が扉の前に仁王立ちしてる所為で逃げ場がないのだが。

 

「秋雲さん、もう一度聞くけれど、これはなあに?」

「いや、なんというかそのー……漫画です、一応ハイ」

 

 よりによって、一番見られてはいけない人に見られてしまった。

 

 個性豊かな夕雲型を束ねる長女、夕雲。

 普段は穏やかで優しく、面倒見の良い姉だが、怒ると非常に怖いのだ。

 特に、妹たちの生活習慣と日々の態度には厳しく、無意味にだらけたり任務をサボったりすると、どこからともなく現れて説教部屋へと引き擦り込んでいく。

 

 反して、自分も含めて妹たちを常に気に掛けてくれる提督の事は人並み以上に信頼しており、よく彼の部屋にアタックを仕掛けては撃沈されて項垂れて帰ってくるなんて可愛らしい一面も。

 目立たないだけで彼女も立派な提督ジャンキーだ。

 

 そんな姉に、提督と自分をモデルにした薄い本を描いていたのがバレた。

 

 どう考えても絶望です。今まで本当にありがとうございました。

 生きていたら、オータムクラウド先生の次回作にご期待下さい。

 

「…………」

 

 なんて現実逃避をしている場合ではない。

 しかし、現状は考えうる限り最悪。一枚、また一枚と無言で夕雲がページを捲る音が、死刑宣告までのカウントダウンに聞こえて仕方がない。

 

 唯一の救いはページ数の問題でR18ではなく、R15程度の内容に留められた事くらいか。まあそれも、そういった直接的行為の描写が無く、大事なところが妙な光や不自然な湯気で絶妙に隠れているだけで、紙面全体は肌色満開なことになんら変わりは無い。

 

 偉い人が言っていた――同人誌に常識や現実的思考(リアル)などいらない、と。

 深い言葉だ、と秋雲もそう思う。

 おかげ様で紙面上の提督(仮)は常時半裸状態、秋雲(仮)の衣服に至っては気付いたら脱げているという謎の理不尽がまかり通っているのだが、何も問題は無い。

 

 表現は自由だ。そこに最低限必要なのは一握りの倫理観のみ。

 そして昨夜の秋雲はその倫理観をも見事に放り投げていた。

 

 思い返しても、完全に自業自得であった。

 

「ふぅん……流石の秋雲さんも最後の一線を越えるような描写は自重したのね」

「ハイ! ソレハモチロンデス! ハハハ!」

 

 よもや、時間が足りなかっただけとはとても言えない。

 

「まさかこれ、秋雲さんのサイトに載せたりなんか」

「してないっ! してないってば!」

 

 流石の秋雲と言えど、提督と自分をモデルにしたイチャラブ本を広大なネットの海へと放流出来るほど厚顔無恥ではない。そもそも普段の秋雲であれば、自分をモデルにした本など絶対に描くわけが無かった。

 秋雲の作風は自己投影型ではなく、他者想像型だ。

 周囲の人物の行動や感情、またはその場のシチュエーションなどを糧に想像を膨らませ、作品へと落とし込んでいく。始まりが曖昧だからこそ、妄想のし甲斐があるのだ。その反面、自分をモデルに描くと、どうしても現実と妄想の乖離が激しすぎて途端に熱が冷めて手を止めてしまう。

 

 秋雲に恋愛経験は無い。従って、恋という感情もいまいち理解できていない。

 それでも恋愛をモチーフにした話を描けるのは、モデルが他人でストーリーが架空だからだ。これが秋雲本人がモデルでは、妄想よりも先に理性が上回ってしまう。なまじ自分自身を理解しているだけに、想像上で描いた自画像は滑稽でしかない。

 

 加えて、秋雲の一番身近に居る異性が提督であるため、必然的にいつもお相手の描写が彼に似てしまう点も羞恥心を煽るのに一役買ってしまっている。言い換えれば無意識化に置いて、秋雲の異性に対する理想像が描写に現れている証でもあり、その初々しさをどうにかすれば面白い恋愛話が描けそうなものだが、ほどよく捻くれた彼女がそこに気付く筈も無い。

 要は恥ずかしいのだ、色々と。

 

 つまり昨日の自分はどうかしていた。

 ネットに晒すなど毛頭考えていない。これ以上恥の上塗りなど御免被りたい秋雲さんだ。

 

「……まったくもう、秋雲さんったら本当に」

 

 そんな感情が伝わったのか、溜め息を付きながらも夕雲からは怒気が収束していくのが分かる。

 どうやら夕雲の中では本番行為の描写があるかどうかが刑執行の境界線だったみたいだ。……考えてみれば常識的範囲でとはいえ、この姉は本の内容に近い事をしたいがためにリアルの提督相手に日々突貫しているジャンキー少女、もしかしたらその辺の事実も恩赦に繋がったのかもしれない。

 

 とにかくどうにか赦された。

 危機的状況を脱し、ほっと身体の力を抜く秋雲。そこに先程とは打って変わって、なにやら興味深そうな瞳で再度黒歴史を開く夕雲の姿が。

 

「それにしてもあの秋雲さんに、こんな願望があったなんてねえ」

「いや、なんというかですね? 昨夜の秋雲さんはどうかしていたわけで、決してその内容が本意という事ではなく、そもそもが架空の人物像でありまして……」

 

 ごにょごにょと呟く秋雲に、

 

「でも、この男性の外見といい話し方といい、どう見てもお相手は提督でしょう? 軍服ですし」

「ぐうっ! で、でもだからといって相手が秋雲とは誰も」

「吹き出しに堂々と秋雲さんの名前が出てるわね」

「……がっ!」

 

 ほら、と夕雲が広げて見せて来るコマには確かに『秋雲』と提督が囁いているシーンが描かれていた。半裸の提督(仮)に見つめられたまま耳元で名前を囁かれ、頬を染める秋雲さん(仮)がそれでもゾクゾクしちゃう屈指の名場面だ。いや、なんだこれ。

 みるみるうちに秋雲のライフがガリガリと削れていく。

 

「うふふ、秋雲さんの性感帯は耳なのね」

「ち、違う……これは無意識で……無意識に」

「無意識にこれだけ描くって結構な事だと思うけれど。秋雲さん……あなた、欲求不満なの?」

「……かはっ!」

 

 胸の内を抉られ、ついにその場に膝から崩れ落ちる秋雲。

 羞恥心が限界を迎えたのか、両耳は真っ赤に染まり、頭からは湯気が立ち上っている。

 趣味が趣味故に猥談などはむしろ得意分野の筈だが、状況が状況な上、エロスの権化みたいな存在の夕雲に欲求不満を心配されては流石の秋雲といえども耐え切れなかった。

 

 もうやめて! とっくに秋雲さんのライフはゼロよ!

 

「あなたも立派な女の子なんだから、溜め込むのは良くないですよ秋雲さん」

「……秋雲は今日から陽炎型一本で行こうと思います」

「もう、拗ねないで。ちょっと全体の肌色率が高くて読み手は限られるけれど、それを除いてもクオリティは高い漫画よ。ただ」

「ただ?」

 

 起き上がり胡坐をかいて、髪をがしがしと掻きながら秋雲は夕雲の言葉の続きを促す。

 

「提督の描写に関しては零点ね。こんなの夕雲の提督じゃないわ」

「いや、別に夕雲姉だけの提督ではないっしょ……ちなみにどの辺が?」

「細かいところまで挙げると朝になってしまうけれど」

「是非とも簡潔にお願いします」

 

 頭を下げて、秋雲は画材道具の中からメモとペンを用意する。

 自分が描いた提督が言外に似てないと言われるのはどこか悔しいが、貴重な読者目線の指摘だ、ここは素直に聞いておいた方が良い。

 秋雲はお調子者だが、絵の事に関しては真摯に聞く耳を持っている。

 

「色々あるけれど、そうね。まず最初に目につくのは提督の体格についてかしら。この漫画では結構スマートに描かれているけれど、実際の彼はもっとがっしりしてるわね」

「うーん、秋雲さんのイメージでは細マッチョって感じだったけど」

「うふふ、あの人は着やせするタイプね。筋肉をつける事が目的でトレーニングをしていないから、服の上からではそう見えるの。海ではほとんど上着を着ていらっしゃったけれど、秋雲さんもハグしてもらった事はあるでしょう?」

「まあ……あるけどさ」

 

 夕雲はこう言っているが、実のところ秋雲はハグより、頭を撫でてもらう方が好みだったりする。

 ハグも嫌いではないのだが、やはりどこかまだ恥ずかしく、それよりもあの温かい大きな手で優しく髪を梳いてもらえる方が心地よい。

 ハグだと見えない、撫でて貰っているときの提督の穏やかで優しい顔が見れるのも好ポイントだ。

 

 ――イラストとかだと全然気になんないんだけどなー。

 

 秋雲さんも女の子である。

 

「あと、この自分でリボン外してる秋雲さんのシーン、提督に外してもらっては駄目なの?」

「えぇー……それこそらしくないっていうか、提督が誰かの服を脱がしている想像ができないって」

「うーん、分かってないですねえ、秋雲さん」

 

 頬に手を当てながら、やれやれと言った表情でため息を吐く夕雲。

 なんだろう、良くわからないがイラっとする秋雲さんだ。

 

「秋雲さんが言っているのは普段の提督の事でしょう? 当然ですよ、性格云々以前に現実の提督には立場や様々な制約があるのだから、おいそれと私たち部下である艦娘に手を出すことはできません」

「いやー、毎日の如く提督の部屋を訪ねている人の言葉とは思えない」

「だけど、こちらはそれらの試練を見事超えて秋雲さんと結ばれた、もしくは結ばれかけている前提でのお話」

 

 あ、聞いてないや。

 

「いざという時、提督はとても男らしくなれる人よ……艦隊指揮中が良い例ね。そんなあの人が、想い人との逢瀬中、ずっと受け身なんてあり得ない。まず間違いなく内に秘めたワイルドさで優しく服を脱がせてくれるに違いないわ」

「なんかさ、途中から夕雲姉の妄想混じってない?」

「あら? 二次創作なんて妄想と願望の塊だって教えてくれたのは秋雲さんじゃなかったかしら?」

「うっ……」

 

 手厳しい夕雲の指摘に、秋雲は返す言葉も無い。

 そのまま夕雲の提督講座を聞き続ける事、数十分。

 

「あー、駄目だ! 聞けば聞くほど提督の事が分かんなくなるっ!」

 

 ついに限界を迎えた秋雲は頭からベッドへと飛び込んだ。

 ジタバタともがく秋雲にあらあらと夕雲がお母さんムーブをキメていく。

 

「でも性格はともかく、見た目は完璧を求めないと、提督ファンクラブ名誉会員の金剛さんや大和さんは認めてくれないと思うわ」

「誰にも見せる気ないからいいんすもーん」

「でもこれ、シリーズ化したら、みんな喜んで買ってくれると思うけれど」

「……」

 

 夕雲の台詞に秋雲の動きがピタリと止まる。

 

「明石さんのお店に裏メニューとしても置けそうだし、作品ごとにヒロインを代えてあげればファンは増える事間違いないし」

 

 ピク。

 

「秋雲さんの作品で士気も上がって、提督もハッピー。絵の練習になってお金も入って秋雲さんもハッピー、娯楽が増えてみんなもハッピー」

 

 ピクピク。

 

「でも、秋雲さんにその気がないなら仕方がないわねえ」

「待った」

 

 同人誌を置いて、話を終わらせようとする夕雲のスカートの裾を秋雲がガッチリと掴む。

 起き上がった秋雲の目は闘志に燃えていた、

 

「できたら、私がヒロインの本を一番に描いてくださいね?」

「あ、でも、秋雲が提督の身体を正確に描けなかったら結局意味がないんじゃ」

 

 結局はそこが解決しなければ机上の空論。

 しょぼしょぼと闘志が沈んでいく秋雲。

 

 しかし、夕雲はそんな秋雲の不安もどこ吹く風、いつものように駆逐艦とは思えない妖艶な笑みと共に、

 

「あらあらうふふ、それなら直接見せて貰えるように、早速頼みに行きましょう」

 

 さらりと、とんでもない事を口にした。

 

 


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