「あなたがあきつ丸さんですか」
名を呼ばれ、顔を上げたあきつ丸はぎょっとした。
鋭い視線。まるで相手を射殺すかのような鋭利な視線でもって現れた相手に、あきつ丸は座っていた長椅子から飛び上がる勢いで起立する。
「はっ! 陸軍より視察に参りましたあきつ丸であります!」
「今回、鎮守府視察の案内役を承りました不知火です。どうぞよろしくお願いします」
あきつ丸の敬礼に対して、目の前で恭しく腰を曲げる少女。名を不知火と言うらしい。
汚れ一つない白手袋に、すらりと伸びる手足、特徴的な薄桃色の髪は青のリボンで後ろ手に括られている。どうやら大淀と入れ替わりに現れたこの少女が、本日の案内役を務めてくれるようだ。
それにしても視線が鋭い。
小柄な身体に似つかず全身から放たれる圧も強烈だ。流石は彼の提督が率いる鎮守府、一介の駆逐艦ですら存在感が並ではない。
どことなく昔所属していたレンジャー部隊の教官を思い出し、あきつ丸は思わず全身をぶるりと震わせた。
ここは気を引き締め直した方が良さそうだ。
視察と言えど、置かれている立場は対等なもの。こちらに選択する権利があるのと同じく、あちらからは値踏みされる側である事を忘れてはならない。
「本日はどうぞよろしくお願いするであります、教官殿!」
「教官ではありません、不知火です。時間が勿体ないので本日の予定は歩きながら伝えます。まずは――」
挨拶もそこそこに、不知火が先導すがら、今日の予定を伝えてくれる。
どうやら今日一日で一通りの鎮守府設備を案内してもらえるようだ。
「最初は演習場でありますか」
「百聞は一見に如かず。こちらの艦娘としての練度を見て頂くには丁度良いでしょう」
不知火の言葉にあきつ丸も確かにと頷く。
鎮守府の練度を計る場合、まず演習場を見よというのは常識だ。繰り返された鍛錬の跡は、その場に色濃く残る。日頃の演習場の使われ方一つで、其の鎮守府の在り方が分かると言われるほどには。
「此処では日課時以外は演習場が基本的に開放されているので、申請さえ出せば誰でも自由に使えます。ですが枠に制限がありますので早めに申請書を出すことをお勧めします」
「活気があるのでありますな。演習とはいえ実践を想定した訓練は相応にきついもの。噂に違わず此処の艦娘は傑物揃いなのですな」
「不知火たち艦娘は司令の剣となり盾となる存在。その命に応えるべく鍛錬を欠かさないのは当然の事です」
さも当たり前だ、といった口調の不知火教官。しかし身内を誉められた喜びを全く隠しきれておらず、ふんすふんすと鼻を鳴らしてポニーテールをほにょほにょと揺らしている。
なんとも意外だ。クールな見た目とは裏腹に、感情がもろに表に出るタイプらしい。
最初は提督に無礼を働いた自分を粛正しに来た冷酷無比な殺し屋かと身震いしたものだが。
よもやよもや、やはり人を見かけで判断してはいけない。
「なるほどなるほど、いやはやしかしその通り。不知火殿は艦娘の鑑でありますな!」
「司令の日々の尽力に比べれば、なんてことはありません」
なんと出来た艦娘か。仲間を想い、自身を律し、上司を立てる。
会話を続けながら、あきつ丸は人知れず感動を覚えていた。先ほどの大淀の不穏な言動から此処の艦娘の性格に一抹の不安を感じていたが、目の前の少女からそんな雰囲気は一切感じられない。
――やはりあの一言は大淀殿なりの冗談だったのでありますな。
殺し屋などとなんと失礼なことを考えてしまったものか。
反省の意を込めて、加えてこの機会に新たな関係性を深めておこうとあきつ丸は他愛もない話題を振ってみることにした。
「ちなみに此処の提督殿は結婚とかされてるので――」
「は?」
「――いえ、なんでもないであります」
前言撤回、やはり殺し屋かもしれない。
右肩付近に感じる絶対零度のプレッシャーに、もともと色白なあきつ丸の顔面が白を通り越して青に染まる。話題を間違えた。いや、どの部分がと言われたら分からないが、とにかく地雷を踏み抜いたことだけは理解できる。
横が見れない。見たらきっと命はない。
これほどまでに身の危険を感じたのは何時振りか。
あきつ丸は戦慄する。やはり此処は生半可な覚悟で来ていい場所ではなかった、と。
「…………」
「…………」
この世の終わりのような顔でがしゃこがしゃこ、と奇妙な歩き方を続けるあきつ丸の横で、白手袋の袖に触れながら、鬼のような視線を向け続ける不知火。
さながら死刑台に向かう囚人とそれを見張る看守の如き雰囲気だ。
ちなみに彼女たちは鎮守府の廊下を歩いているだけである。
そんな奇妙な状況は、二人が演習場へ辿り着くまで続いたのだった。
潮風の流れる海と青空がのぞく只広い空間。
演習場はそれぞれの用途ごとに、区画を分けられて整備されている。案内役の不知火に先導されてあきつ丸はまず空母を中心とした鍛錬場である弓道場のような場所に訪れていた。
「的当ての訓練でありますか」
「主に空母の方々が心身と技術の鍛錬のために使用されています」
あきつ丸の視線の先では二人の艦娘が見惚れるような凛々しい姿で弓を引いていた。放たれた矢は寸分違わず的の中心を射抜いている。見事な技量だ。さぞかし集中しているのが見て取れる。
と、手前で弓を引いていた方がこちらに気が付いて近付いてくる。
「あら、不知火、とそちらは」
「お疲れ様です、加賀さん。こちらは陸軍所属のあきつ丸さんです。本日は彼女の鎮守府視察のために、案内役を司令より仰せつかっています」
加賀、と呼ばれた女性がその綺麗だが少し冷たい印象も受ける瞳であきつ丸を見る。
「陸軍所属のあきつ丸でありますっ!」
「正規空母の加賀です」
緊張気味のあきつ丸に、恭しく頭を下げてくる加賀。不思議な人だ、とあきつ丸は思った。第一印象は少し冷たげだったのに、口元に少し笑みを浮かべるだけで柔和な印象も受ける。
これが歴戦の空母の余裕か、とあきつ丸は一人でごくりと喉を鳴らした。
「どうかしら、うちの鎮守府は」
「まだ見学を始めたばかりでありますが、此処を見るだけで鍛えられている事が理解できるであります」
「そう」
あきつ丸の視線はなおも乱れぬ姿で矢を射る彼女――赤城に注がれている。演習場というだけあって時折近くで激しい砲撃の音が鳴り響いてくるが、その轟音や地響きにも乱れる様子は無い。
「赤城さんは我が鎮守府が誇る歴戦の空母の方々の中でも別格ですから」
仲間を誉められて鼻高々な様子の不知火が補足を付け加えてくる。
「きっと彼女は何事にも動じる事は無いのでしょうな」
「あら、意外とそうでも無いかもしれないわよ」
え? と驚くあきつ丸に加賀が何処か稚気の混ざったような表情を向ける。一体何をする気か分からないが、並大抵の事ではあの赤城が動じるとは思えない。
そんなあきつ丸の疑念を感じ取ったのか試してみましょうか、と呟いて加賀は誰も居ない方向へと視線を投げる。
そして赤城の耳にも届くようにわざとらしく大きな声でその魔法の言葉を口にした。
「あら? 提督じゃないですか」
瞬間、それまで何事にも微動だにしなかった赤城の手元がビクンと跳ねた。同時に放たれた矢は的とは全く見当違いなところに飛んで行ってしまった。そのまま彼女は慌てて誰かを探すように視線をきょろきょろと彷徨わせている。
「……ね?」
「……驚いたであります」
まるで悪戯に成功した子供のようにぷくくと笑う加賀に、あきつ丸はすっかり毒気を抜かれてしまった。あの轟音にも微動だにしない彼女が、あんな一言であれほど動揺するとは。此処の提督は一体どれほどの影響力を持っているというのか、あきつ丸はますますわからなくなってしまった。
そんな様子を眺めていた不知火が何かに気が付いたのか急にぎょっとして、慌てた様子であきつ丸に手招きをしてくる。
「そ、それでは加賀さん。我々はまだまだ回るところがありますので」
「あら、そう――」
「それでは失礼します! ほらっ、あきつ丸さんも早く行きますよっ!」
「りょ、了解であります」
加賀の返事もそこそこに、不知火はあきつ丸の手を引いて早足でその場を離れる。その横顔は盛大に焦りを滲ませている様子で、横に並んだあきつ丸は意味が分からずこてんと首をひねった。
「急にどうしたでありますか?」
「…………」
まるで恐ろしくて背後を見れないと言わんばかりの不知火。その代わりに右手の親指だけで先ほどまで自分たちが居た場所をぐいっと指さした。
そこには正真正銘の鬼が立っていた。
「――あ、赤城さん!? いやさっきのはただの勘違いで悪意があったわけでは決してなくてですねっ!」
「…………」
「あ、待って、待って下さい! そこの関節はそっちには曲がらなああああ!」
その先は恐ろしすぎて、あきつ丸にも見る事はできなかった。
数秒後、断末魔が止まったと思ったら、最後にカエルが潰れたような情けない犠牲者の声だけが聞こえてそれ以降何も聞こえなくなってしまった。
此処の鎮守府は自分には早すぎたかもしれない、とあきつ丸が内心涙目で思ったのも仕方が無い事だと言えた。
一方その頃執務室では。
「あきつ丸君はいったいどこの鎮守府を選ぶのだろうな」
「もしうちに来てくれたら、歓迎会をしないとですねっ」
「ああ、そうだな」
提督と大淀が湯呑に湯気を立てながら、そんな暢気な会話を交わしているのだった。
こちらもぼちぼち再開したいなと思っています。